昨晩、書いた記事の続きになる。
今回もうまくまとめることは、やはりできなかった。
いまだ受け入れ切れておらず、今日一日、どうしても暗澹たる思いで過ごした。
いつか、あの日の思いを、しっかりと言葉にできる日は来るのだろうか。
自伝のごとく、昔話を詳しくしたことは、本ブログではないように思う。
少し振り返りたい。
赤旗撲滅作戦の際「左翼のほうは、私をよく知っている」と書いた記憶はある。
10月3日、中川昭一、急逝。
夜遅くのことだったのだろう、報道は4日のことだった。
6年前の今日、我々はその訃報を知った。
6年前の、あの日。
泣き崩れたい気持ちを抑え、モニターの前。
私が目にしたのは、混乱する保守陣営、崩壊していく戦線であった。
崩れかけた仲間たち、その折れた心を支えようと、明るく気丈に振る舞う私がいた。
できもせぬことを、やれる自信もないことを。
大風呂敷を、何の保証もないのにぶち上げてみせた。
嘘でもいい、希望が欲しかった。
あの時、何もなかった。ただの一つも、一筋の光すらもなかった。
本当は、とてもとても、怖かった。
(無理とも思える目標を掲げたのだが、結果的には半分以上を達成することはできた。多くの方の協力のもとで。)
あの日、
6年前の、あの日。
ネット保守層において、中間管理職みたいな位置にいた私が何をみて何を思ったのか。
いまだ、言葉にすることは難しい。
そして、この6年の間に何があったのか。
徒然なるまま、書き散らしたい。
私にとっても必要なことなのだろうが、ゆえにこれはワガママの一種でもあるのだけれど、
きっと、これからの保守にとっても大事な歴史だと思うのです。
前編。
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自伝的な要素もあると思って頂きたい。
6年前、訃報が報じられた日。
中川先生を思うに、この6年を何と形容してよいかわからない。
激動のあの日を振り返る、良いことばかりではなかった。
むしろ悲しいことも多々あった。
失敗もたくさんあった、果たせなかった約束もある。
いまは。
ただただ、あの日々が懐かしい。
起きた出来事を、気持ちのままに並べ
論評をつけてみる。
リーマンショックによる世界恐慌が予測される中、日本はこれを押しとどめることに成功。
2009年2月14日午後(ローマ)、G7。
中川財務大臣が、世界を救う。
この成果は、日本においてのみ報じられず、政権への打撃となっていく。
mixiで動画が貼れるようになったのが前年の冬だったように思う。
最新ツールであった動画による効果は絶大であった。
人数で言えば、現在のほうが遥かに多いのだろう。
当時はノイジーマイノリティに過ぎない。
ただし、あまりの危機的状況ゆえ、恐らくは私生活を犠牲にしたプロも多数戦線にあった。
以下は、歴史的大敗を喫する衆院選の前に公開されている。
麻生政権と、あの時、何があったか知らぬ方は是非、ご覧ください。
「危機をチャンスに変えろ」 (前編) ?G20サミットの舞台裏
本動画の後編
「危機をチャンスに変えろ」(後編) ?予算編成の舞台裏
麻生内閣はここに潰えた。
新自由主義に異を唱え、メディアと対峙した内閣が潰えた。
それは以降の自民政権において、同種の政策ができなくなった瞬間でもあった。
報道の圧倒的な戦力の前に、保守勢力は敗退。
自民党は惨敗し、麻生政権は潰えた。
(出典:鳩山総理の動き?日米首脳会談)
数十年に渡る、汗と涙の調整は灰燼に帰した。
沖縄の問題は、あの時、暗礁に乗り上げた。
以後、普天間移設は迷走。
今もそのままだ。
政治とは連続性のあるものですからね。
ここの責任を問わぬメディアは、おかしいと思います。
メディアが政権を守り、閣僚を倒しても打撃にならない謎の状況。
「どんなルールだよ!」と叫ぶ私がいた。
保守派は少ない陣営を率い、戦線を構築。
無理とも思える激戦の中、苦しい状況は続く。
これは、現在、立法不可な状態にある。
仮に自民党が政権の座を追われようとも、立法は不可能だ。
具体的には、総務省選挙課・あと確か内閣官房とのやり取りがあるため。
ただし、ネット上では検索不可だろう。
村田先生と共に省庁に要請活動、私も参加したのだが、答弁不能になる「法の矛盾」(官僚的に立法できない状況)に追い込むことに成功した。
検索不可と断定できるのは、その元ソースのテキストは、私が所持しておりアップしていないためwebでの閲覧が不可能。
(そのうち公開するかも知れない。)
ワクチンリング、殺処分。赤松氏の采配にはミスがあった。
のち誕生してゴリ押しされた韓国牛。
メディアは、これほどの事態にも関わらず
民主党を延々と持ち上げ続けていた。
ネットユーザーの心に鬼が棲み始めたのを感じた。
殺処分:29万7808頭
畜産関連の損失:1400億円
関連損失:950億円
あれは仙石さんの時だったか。
勇気ある、愛国心ある、海上保安官を失う。
以降、東京都の買取り、国有化などなど。
様々な議論はあったが、結果的に対CHINAの交渉は大きく後退。
いまだにその影響下から脱出できたとは言い難い。
ネットは、その場では一色を褒め称えたけれど。
祭りの終わった縁日の寂しさというか、熱しやすく冷めやすいというか。
支持は、やはり瞬間的なものにとどまったな、それを寂しくも思う。
菅直人が第94代内閣総理大臣に任命された。
民主党政権は、「故人」献金や(親からの)「子ども」手当が顕在化。
支持率は急降下し、鳩山降ろしに発展。
民主党の内紛、麻生降ろしを見てきた保守陣営は「これで倒せた」と安堵した。
管直人にバトンタッチ。
今思えば、暗黒時代の始まりだった。
4本目か5本目の請願になる。
これは国会法に基づくものであり、現職国会議員の紹介が必須であった。
いま思えば、よくもこれだけの事務所に話を通せた(相当に組織化して動いていた)ものだと不思議に思う。
先生方を納得させるだけの字句修正、現在の外国人扶養控除の意見書等のノウハウは、ここで実地で学んだ部分も多い。
(肩書は当時。最終的なもの。)
衆議院議員
北村茂男 (石川三区 衆議院議員)
田中和徳 (神奈川十区 衆議院議員)
新藤義孝 J-NSC初代代表 (埼玉ニ区 衆議院議員)
稲田朋美 (福井一区 衆議院議員)
古屋圭司 (岐阜五区 衆議院議員)
加藤勝信 (岡山五区 衆議院議員)
柴山昌彦 (埼玉八区 衆議院議員)
小池百合子 (東京十区 衆議院議員)
小野寺五典 (宮城六区 衆議院議員)
下村博文 (東京十一区 衆議院議員)
甘利明 (神奈川十三 衆議院議員)
参議院議員
島尻あい子 (沖縄選挙区 参議院議員)
山谷えり子 (全国比例 参議院議員)
大江康弘 (全国比例 参議院議員)
高市早苗 (奈良二区 衆議院議員)
佐藤正久 元一等陸佐 (全国比例 参議院議員)
熊谷大 (宮城選挙区 参議院議員)
義家弘介 (参議院議員 神奈川第十六支部長)
有村治子 (全国比例 参議院議員)
宇都隆史 (全国比例 参議院議員)
衛藤晟一 (全国比例 参議院議員)
鴻池祥肇 (兵庫選挙区 参議院議員)
岩井茂樹 (静岡選挙区 参議院議員)
【請願】尖閣諸島・沖縄への自衛隊配備と日米同盟強化を求める請願
私がロビイストとして率いた部隊は、立ち上がれ日本、日本会議とほぼ同時期に完成。速力においては、(小規模集団という)フットワークの軽さから既存政党にも負けぬ速さを誇った。
民間の政策シンクタンクには、速さも精度も負けたくなかった。
プロ顔負けと言わしめた、在野のロビー集団がそこに在った。
ネットとリアルの連携を訴え、政策と行政手段一本で、行けるところまで行く。これが私が訴えた内容。
本当は自信などなかった。大風呂敷だった。
リアルの政治に影響力を!
法に則った実力行使を!
集った仲間たちは、これほどの力を発揮した。
ネット上では、その実態を秘匿したままに。
菅内閣の「思い付き」から、本来の形と異なるTPPが出現。
儲かると踏んだ米国側より、現在とは違うアプローチや情報が多々もたらされる。
当時とは随分と形の違うTPPAだから、何がなんでも反対とは言わない。
台風が熱帯低気圧になったようなものだ、とも思う。
自民も難しい交渉を頑張ったのだろう。
ただ、賛成かと聞かれれば、私は新自由主義的な側面が強いため、今でもNOと言いたい。
東日本大震災が起きる。
フジデモ・花王ショックを経て、ネットがメディアへの反撃を開始。
何もかにもが飲み込まれた日。
現実と思いたくないのだろう、映画のように別世界のことだと脳が受け入れない。
就職で東北に住んでいた私にとっては、見慣れた光景が沈んだ。
仮設住宅を韓国に発注、これは噂であったのか事実だったか。
地元雇用の創出にもつながる話で看過できなかった。
初期対応において、国道など主幹道路の計画に失敗。
いまだ被災地においては禍根を残す。
天災であったが、のち人災の色合いを濃くしていく。
TPP反対請願提出のご報告(新世紀のビッグブラザーへ)
紹介議員
古屋圭司衆議院議員、高市早苗衆議院議員、西田昌司参議院議員、野村哲郎参議院議員、山田俊男参議院議員、衛藤晟一参議院議員
三橋さんの監修、制作著作は私。
いくつか請願は書いていたけれど、ダブルネームで準備したのは初めて。
平成23年8月21日 フジテレビ抗議デモ
韓流ごり押しに対し、ネットが声を挙げる。
不買運動が、スポンサーを直撃する形で顕在化。
花王ショックとも言える現象が起き、コンプライアンス・ISOを盾にとった動きの最初期の動きとも言える。
この頃からか、報道の流れが少しだけ、変わる。
民主ゴリ押しから、世論の「民主っておかしい」の声に耐えきれず、報道による民主へのバリアが綻びはじめた。
※動き
そこで恋に落ちようと、別にいいじゃないかと思う。
結婚まですれば少子高齢化にも結ぶこと、保守からは祝福されてもいいはずだ。
恋愛トラブル(遊び目的)であった場合は責められて然るべきであるが、納得いかない。
再生エネ法を最後っ屁のように設置。
いまだ日本を苦しめる。
本法は、8月30日のこと、自民が歴史的大敗を喫した日であった。
自然エネルギーのみの、綺麗な世界は。
ドラえもん等、アニメの中にしかない。
技術職であれば、いまだ人と共存するには早すぎる技術だというのは常識だと思う。
関連:
国民が知らない太陽光発電の実態??消防官の危険と出火リスク
国民が知らない太陽光発電の実態??水害時の危険性
あの管直人が退陣、今度こそ政権奪還か?と喜びに沸くも、そうはならなかった。
野田内閣へとバトンタッチ。
なぜ民主党政権を倒せない!
泣き崩れた者もいた、慰め励まし、戦線を維持。
陣営は疲弊は、すでに限界だった。
就任直後より、閣僚のスキャンダル。
発足より9日後、鉢呂経産大臣が原発事故に関連する不適切発言の責任を取って辞表を提出。
枝野さんが就任。
それをネットが延々と追いかける形。
倒しても倒しても。
どんなに閣僚を倒しても、金太郎飴のように次から次へと、さらにひどいものが出てくる。
あの時(麻生降ろし)のようなことは流れが「なぜか」起きない。
凄まじい数の閣僚を倒せど、報道のバリアもあり打撃とならない。
徒労感、疲弊。
フジデモ以降、少し見えた綻びが顕在化。
メディアが、民主党の批判を行うことが散見されはじめた。
倒しても、倒しても。
徒労感の続く日々。
限界だった、破断限界を超えていたように思う。
保守層の一部は、すでに心に鬼が棲み、動きは獣のようであった。
少なくとも私自身はそうであったように思う。
メディア側に綻び、必死の保守陣営。
戦線は拡大の一途、激戦は続く。
保守陣営の練度は最高度に達した。
現在は36歳。
あの日、中川先生が亡くなったという一報を受けた際、
30歳であった。
ただの若者であった、むしろネットではDQNと言われても仕方ない人間であった。
29歳で市議選に挑戦、現職を抑える程度の得票を頂くも、届かず。
結果的に大量の死に票を産んだだけの、政治少年であった。
本当は、私だって逃げたかった、泣きたかった。
悲しかった、心に穴がぽっかりほげていた。
私だって、私だって、同じだった。
だけど、だけれども。
なぜか「できる」と思ってしまったんだもん。
曲がりなりにも上場企業に勤め、書類作成に埋もれた日々。
リアルに活かす、行政手法、あとは商談の延長と同様「なはず」だ。
全ては学びながら、無理やり進めたものだ。
逃げなかった理由、、、
それは、走り屋という、狼の群れにも似た小規模集団の頭を長らく務めていたからかも知れない。
いま退いてはダメだ、誰かが支えないと本当に終わる。
直管的にそれだけはわかった。
6年前のあの日、30歳の小坪しんやが涙した日。
政権交代はなされてしまった直後。
民主党政権が誕生、迫りくる外国人参政権。
麻生選挙の大敗は、保守陣営に凄まじい衝撃を与えた。
特に精神的なものは凄まじく、ショック症状と言っても過言ではない。
麻生選挙に全力を投じ、「これで終われる」と思っていた者は、泣きくずれ、真っ白になり。
自暴自棄になる者を押しとどめ、恐慌状態を落ち着かせ。
疲弊しきった仲間たちに、
「今から、四年間、私たちが日本を護る覚悟を持たねばならない。」
私は、残酷な言葉を吐くしかなかった。
本当は言いたくなどなかった。
民主党の分析を行い、体制を整えようとしていた矢先であった。
中川昭一の訃報が飛び込んできたのは、まさにそのタイミングであった。
英雄の喪失。
これはミッドウェーで艦載機を満載した空母が、誘爆していくに近い状況であった。
寸断していく戦線。
混乱、怒号、悲鳴。
保守活動自体をやめようとする者も多数。
もともと戦力など足りていない、一人抜ければ崩壊する戦線も多数。
そして補給などなく、指示もなく、援軍もなく。
どこにも希望なんてなかった。
嘘でもいい、希望が欲しかった。
あの時、何もなかった。
ただの一つも、一筋の光すらもなかった。
私が見た世界、まるで焼け野原のようだった。
あの日、私はウソをつきました。
できもせぬことを、やれる自信もないことを。
大風呂敷を、何の保証もないのにぶち上げてみせた。
中川昭一という存在の喪失。
崩れゆく戦線を前に、「私がなんとかする」「これより指揮を執らせて頂きます」
「大丈夫、我に策あり!」
そううそぶいた私は、実はノープランでした。
(無理とも思える目標を掲げたのだが、結果的には半分以上を達成することはできた。多くの方の協力のもとで。)
6年前の10月4日。
中川昭一という希望を、私たちは失いました。
代われるはずもないけれど、せめて小さな光になろうと誓った。
それがイミテーションだとしても。
嘘付きになる覚悟をもって、罵られることを覚悟して
小さな旗を掲げ続けた。
誰かの光になりたかった。
泣き叫びたい気持ちを抑え、半泣きになりながら
「大丈夫、大丈夫だから」「共に、立ち上がれ!」
そうキーボードを叩いた30歳の私がいました。
鼓舞し、支え、走り回り、連絡をとり調整し。
駆けずり回った日々。
とても、とても怖くて、
本当は逃げたかった。
これが6年前の、あの日、私が見たものです。
私だけじゃない、各所で多くの人が、様々なものを捧げ
それは時間だけでなく人生そのものを特攻させるようなやり方で。
そうやって今の、保守陣営は構築されていきました。
激動のあの日を振り返るに、
良いことばかりではありませんでした。
むしろ悲しいことも多々あった。去った者もいる。
失敗もたくさんあった、果たせなかった約束もある。
今は、ただただ全てが懐かしい。
もう泣いてもいいのかな、本当は怖かったって、言ってもいいのかな。
毎年、この日はそれを自らに問う。
そして「まだだよ」って、尊敬する政治家が笑うんだ。
明日の後編に続く。
残りの三年間。
保守の反撃と、実りの年。
いまの私に至るまで。
6年前、こんなことになるなんて、想像もつかなかったな。
一歩、前に出る勇気。
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ネット保守とリアル、六年前のあの日。 昨晩、書いた記事の続きになる。 今回もうまくまとめることは、やはりできなかった。 いまだ受け入れ切れておらず、今日一日、どうしても暗澹たる思いで過ごした。 いつか、あ
かねてより,幼少時より,あのころまで,わたくしは左派であったのです。
洗脳されていたのです。
取り繕わず,本音を申すと,当時のわたくし=民間の非営利団体一職員たる者は,公務員を一律悪と看做しており,公務員を宇宙人又はサイボーグと思料し,あらゆる物事及び他人様へのルサンチマンを炸裂させることに生きがいを覚える,下劣な人種であり,当時の偉大であった自民が破れて民主が政権を握った様態を,野球などのグランドスラムと捉え,甚だ愉快に考えておりました。
しかし,やがて逆差別の問題に触れ,真の公共の福祉について考察を重ね,さらには,左翼系議員は,有事又は普段の何れにおいても全般的に本当に困っている人に甚だ不親切であること,自分の事しか考えていないことが判明し,洗脳が自然と解けて我に返り,保守へシフトした経緯があります。
小坪先生、新規投稿ありがとうございます
自虐史観教育、東京裁判史観てんこ盛りの教科書で歴史を学んだ団塊世代の一人でございます。ですが、洗脳まではいきませんでしたが、あきらかなノンポリ人間としてそのまま生きてきました。そして、ずっと日本の社会のなかで生活してまいりました。
ノンポリから現在のように、覚醒できたのは、わずか、数年前です。もう、還暦をすぎてやっとやっと、日本人として覚醒できたようです。お花畑のままであちらの世界にいかなくてよかったと・・まずは、ホットしております。
閑話休題・・・・
小坪先生のブログ発信をすこしでも多くの日本の特に若者に読んでもらいたいものです。私のいまできること、拡散!拡散!拡散!をいたします。
小坪先生はなんといっても「頭でっかち」ではないのが素晴らしいと思います。
実際に現場で行動しながら現場から得たものを土台にして軌道修正していくというタイプに見えます。このような行動力ある方は貴重と思います。
日本はメディアの偏向により、愛国者にとっては北朝鮮のサッカースタジアムで試合をするようなアウェイ状態であり、この悲惨なアウェイ状態を勝ち抜くのは大変でしょうが、危機のときにはそういう英雄(勤王の志士)が何人も出現するのが日本のすごさだと思います。
平成元年に社会党党首の土井たか子に見せかけだけの厚化粧をほどこして、あつかましくも「マドンナ」に仕立てられて全国的なマドンナ旋風を巻き起こした最大の功労者は、当時の詐欺マスコミでした。(もっとも自民党の「敵失」もあったのでしょうが)
その後、社会党も泡沫政党となって、やっとクソマスコミの手品が見破られたかと安堵していたのですが、また民主党躍進では同じようなことが起こってしまいました。
もっとも民主党には全滅だった昔の社会党とは違ってそこそこ良い政治家もいると当時思いました。社会党や共産党のようにイデオロギーで出発した政党ではないからです。
民主党がダメになってしまった最大の原因は、左翼の異常性を洞察した反共産主義(反左翼)という基本概念をもった政治家が党内で主導権をとれなかったためかと思います。
(修正)
北朝鮮のサッカースタジアムで試合をするようなアウェイ状態
↓
韓国のサッカースタジアムで試合をするようなアウェイ状態
(注)北朝鮮にマスコミはない
何故だか上手くは言えないけれど、泣きながら読ませて頂きました。
丁度3年前、民主党から安倍政権に移行した直後に保守に目覚めた私ですが、少なくとも『お花畑』といわれるタイプではありませんでした。
だからずーっとずーっと長い年月、訳が解らず居心地の悪い思いをしていました。
考えても考えても腑に落ちない「政治」とやらを「誰か解るように説明して!」といつも思っていました。
それで、一生懸命新聞を読み、報道番組を見ていました。
でも、解らない!
何言ってるの?
なんかスッキリしない。
変?変?変?変?変?
ずっとこんな感じで、少女から成人になりおばさんになってしまっていました。
そしてネットでの保守との出逢い!
砂漠が水を吸い込むように、記事を読み漁りました。
初めて府に落ちた!
何十年もの霧がはれた…。
それと同時に味わった、怒り、悲しみ、悔しさ、屈辱、不安、絶望…言い出したらきりがない感情。
そして、一番思ったのが…
もし、自分が民主党政権時やそれより前に目覚めていて、真実を知っていたら、果たして耐えられただろうか?ということでした。
私が霧の中で半信半疑でいた頃に、不利な状況下で頑張ってくれていた人達がいたんだ!
日本を必死で守っていてくれた人達がいたんだ!
そう思って、心から感謝と尊敬の気持ちがわきました。
そのお一人が小坪さんだったのですね。
いえ、そんな事は勿論わかっていましたが、
改めて本当にありがとうございました。
感覚だけで理解をしている、難しいことの解らないおばさんですが、少しでもお役に立てるよう、私にも出来ることを続けていきます。
ものすごい共感を覚えました。
まるで私の心を語っていただいたような気分です。
やはり思う。あの時から今でもメディアの犯した犯罪と言っても良い報道のやり方を、何とかしてやりたい!
今日のエントリーで小坪議員が当時から活躍されていた事を知り胸が熱くなりました。
>平成21年8月30日、自民党、歴史的大敗。
麻生内閣はここに潰えた。
★、忘れ得ぬ言葉
「今回の総選挙で、自民党が戦った相手=敵は、「民主党」、ではなく、《日本のマスコミ》だった。ーーー西川京子・代議士
>平成22年(2010年)、春。
ワクチンリング、殺処分。赤松氏の采配にはミスがあった。
のち誕生してゴリ押しされた韓国牛。
メディアは、これほどの事態にも関わらず民主党を延々と持ち上げ続けていた。
ネットユーザーの心に鬼が棲み始めたのを感じた。
★印、この時現地に行き、事情を詳しく調べ、「チャンネル・桜」、で報告した、藤井厳喜氏が述べた言葉。
「実体、真相、を何も伝えようとしない、日本のマスコミの恐ろしさを痛感した。」
平成22年9月7日、中国漁船が海保の船に体当たり。
>あれは仙石さんの時だったか。
勇気ある、愛国心ある、海上保安官を失う。
★、印一人の人間の偉業 ーーー「狼魔人日記への書き込み」、より。
歴史を語るとき、IFは通用しない、といわれる。
歴史のような社会科学と、いまマスコミを賑わしているスタップ細胞のような自然科学との違いを独断で言えば、社会科学は自然科学のように、研究室内の実験が出来ないことだ。
歴史にIFは通用しないといわれる所以である。・・・
今回、NHK、7時のニュースで日本中に知れ渡つた、中共艦船によるベトナム艦船への体当たり。
この画像を見た、北は北海道から、南は沖縄までの日本国民は、全員、平成22年9月7日に起きた、尖閣諸島での中国漁船の海上保安庁の巡視船、「みずき」、への体当たりの画像を思い出したのは間違いありません。
ベトナム政府は10日までに、南シナ海の西沙(英語名パラセル)諸島海域での中国艦船によるベトナム艦船への体当たりや放水のビデオ映像を外国報道機関に配布した。
体当たりしたのはベトナム船の方だと中国側が反論していることに対抗し、?証拠?をあらためて示して国際社会にアピールする狙いがありそうだ。
ビデオ映像は9日夜に配布された。中国海警局の船がベトナム沿岸警備隊の船を追い回し、後部側面に衝突してくる様子や、負傷して手当てを受ける乗組員の様子を映している。「向かって来るぞ」と叫ぶ声や大きな衝突音、船体がきしむ音、側面がえぐれるように破壊されたベトナム艦船の様子も収められている。
ベトナムは中国艦船との衝突を発表した7日の記者会見で、衝突のビデオを大々的に公開したが、会見会場で上映しただけで配布はしていなかった。地元メディアなどが上映された映像を撮影して報道、ネット上でも広がっていた。
日本の尖閣沖における中国漁船の、「みずき」、への体当たり事件の時の民主党政権の対応措置。
国家主権の尊厳などくそ喰らえ、ベトナム、フィリピン両国に比べると、目を覆いたくなるほど、お粗末で酷いものでした。
衝突事件の際に海上保安庁は状況をビデオで撮影していたが、民主党政権は中国への配慮から国民への映像の全面公開を一貫して拒否していた。しかし船長が釈放された後も、フジタ社員の拘束、レアアースの禁輸、海事機関船舶の尖閣海域進出、謝罪要求等の中国側の強硬姿勢が止まらないことから、9月30日に衆議院予算委員会は映像の公開を政府に求めることを決定した。そして11月1日に、6分50秒に編集された映像が衆参予算委員会の理事ら30人に限定して公開された衝突事件の際に海上保安庁は状況をビデオで撮影していたが、民主党政権は中国への配慮から国民への映像の全面公開を一貫して拒否していた。しかし船長が釈放された後も、フジタ社員の拘束、レアアースの禁輸、海事機関船舶の尖閣海域進出、謝罪要求等の中国側の強硬姿勢が止まらないことから、9月30日に衆議院予算委員会は映像の公開を政府に求めることを決定した。そして11月1日に、6分50秒に編集された映像が衆参予算委員会の理事ら30人に限定して公開された 。
9月24日、国際連合総会開催中で菅直人内閣総理大臣および前原誠司外務大臣不在の中、那覇地方検察庁鈴木亨・次席検事が船長の行為に計画性が認められないとし、また日中関係を考慮したとして、中国人船長を処分保留で釈放すると突如発表。本決定を仙谷由人官房長官は容認。25日未明、中国側が用意したチャーター機で、中国人船長は石垣空港から中国へと送還された。
11月4日、ハンドルネーム、「sengoku38」、こと一色正春海上保安官によって漁船衝突時に海上保安官が撮影していた44分間の動画がYouTube上に流出した。
一色正晴・海上保安官の、職を賭した、勇気ある行動により、日本国民全部が、NHKニュースの画像によって、真実=中共の蛮行、を知ることになりました。
もし、一色・海上保安官が動画をYouTube上に流さなかったら。
ここの愛読者の皆様はどう考えられるでしょうか。
3年前(2011)の秋、日比谷公会堂において、「頑張れ日本」、主催の演説会が行われました。
その時、一色正春氏も演説者の一人として、登壇されました。
一色氏が壇上に立つと、会場のあちらこちらから、『有難う!!」、という大きな声での叫び声が起こりました。
今まで随分いろいろな集会に参加し、激しい野次、拉致被害者救出全国大会における、壇上の政治家に対する、殺気立ったような野次も聞いたこともありましたが、会場の何人もの参加者が、『有難う!!』、と大声で叫ぶのを聞くのは初めての経験でした。
民主との枝野が不埒にも民主党は保守本流などの妄言を吐いている
朝鮮本流というなら、誰しもが納得するんだが。
沖縄は選挙前のプロパガンダはいつも以上に激しい。このままだと共産党の島になってしまう。よしもとが三越後に進出し、沖縄シールズもできた。反日日刊ゲンダイがコンビニエンスストアに、夕刊フジは売ってない。情報が閉鎖された島。言論の自由は沖縄2誌NHKに統制されている
今日は5日だ。なんとかならないとアカの島は真っ赤に燃えている。
小坪議員
とても興味深く拝読いたしました。
読むにつれ私も当時のこと脳裏に蘇りました。
これからも、市井に潜む「草」的な存在として保守とは何かを考え実践していく所存です。
最後に
走り屋だけに「直管的」に理解されたと・・・座布団1枚です
任せない様
コメントありがとうございます。
予測変換とは恐ろしいものですね。
色々な事がありましたね、コメント欄で触れられている出来事も、確実に日本を変えてきたなと思いました。
しかしながら、国内も国外も日本人への害国人犯罪が後を絶ちませんね
↓
バングラデシュ/JICA農業プロジェクトの日本人射殺】星さんの仕事仲間や滞在先の大家ら殺害に関わったとみられる容疑者4人を拘束
ttp://blog.m.livedoor.jp/hoshusokho/article/45602176
住民を故意にエレベーターに閉じこめる…韓国籍のシンドラー元社員・李雄大容疑者(通名:岩本雄大)を逮捕 余罪多数
ttp://blog.m.livedoor.jp/honmo_takeshi/article/46460490
↓
あ、あと中国は他国を使い、日本に金と技術を出させ、それを奪う方法に変えたんですね、あと何回中国の為に日本が損する羽目になるんでしょう??
インドネシア政府はこの通り反省どころか益々厚かましいですし
↓
インドネシア、最大援助国日本からの投資が減る事を懸念「中国を選んだのは当然、でも日本政府が引き続き支援してくれると願っている」
ttp://m.moeruasia.net/article/45584097
↓
あと、日本にこんなのがいたんですね
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【難民問題】シリア男性、都内で講演「日本で難民と認められ大学に通いたい」
ttp://blog.m.livedoor.jp/hoshusokho/article/45603862
もう、6年も経ちますか、まだ40代ギリギリだったw。
本当に、日本はギリギリの崖っぷちであり麻生政権がなんとかカンフル剤で立て直そうとダボス会議で世界をけん引しようか期待された時、本当にまさかの足払い。あちらの勢力が豊富な資金を投入したのであろう、メディアの大バッシングと扇動。 本当に暗澹たる思いの時に、あの選挙前の「日本を壊すな」の自民党1面広告。 「本当に崖っぷちだな」と鳥肌が立ちました。
そして、あの政権が誕生した。 しかし当時の私には、坂本竜馬のごとく映った地方の落選議員を引き合わせたネットが有りました。 そこに「希望」が輝いており救われました。
「日本はまだ、巻き返せる!」そう確信していたので、仕事にも身が入り助かりましたw。
当時の状況を知らない人は、いつも通りのんきにTVで評論してればよかったでしょう、「どうせ、変わらん」と。 しかし気が付いていた人には恐怖でした、売国破壊政権が。
その後、二院制でほんとに良かった、と言える参議院での勝利が有り、首の皮一枚で日本は踏ん張れましたw。
経済は、財務省の消費税上げ工作につながる輩をなんとか、総理が振り切って延期しましたが、本来8%は二年延ばしていれば、、と残念ですが、おそらく事後の結果をバックデータとして次の延期に使うものと思っています。
ともあれ、これからもがんばりましょう。浄化作戦の枯葉剤は巻かれましたから。
今の自民党をこのまま支持し続けていていいのか、TPPで日本の
農業は終わったとの情報、これでは民主党と一緒ではないか
在日の住みにくい国づくりは賛成だがアメリカに支配されるのは
まっぴらだ、これからはあらゆるものがアメリカに都合のいいように
されてしまうのかと思うと・・・・・・
このままアメリカと行動を共にし続けていいのか?
小坪先生、30歳で保守陣営最前線で戦っていたんですね。
私は先生より25歳くらいも上なのに恥ずかしい。中川大臣の
真の姿を何も知らずテレビ報道を鵜呑みにしていたなんて。
それでも、民主党の怪しさには気付いていた(女房が先に)
ので、民主が政権を取ったことに不安しか感じなかった。
特に外国人参政権はやきもきして見守っていました。
自分はずっと反体制で生きてきただけで真剣に政治を考える
ようになったのはつい最近と言ってもいいくらいです。
小泉“人気”とかありましたが政治を本当に考える日本人は
今でも少ないのかもしれませんね。ネットでは盛り上がって
いるようでも実際はどうなのでしょう。
自分は、怖いです。日本人の国家感の無さを思うと安倍内閣が
終わったときに、また暗黒が来る可能性も否定できないから。
特に報道機関の異様さは衰えをみせていないし、反日分子は
まだまだ虎視眈々と期をうかがっているのではないか?
中国が存在する限りせめぎ合いは続くだろうから民衆の意識が
向く方向を何とかまともな方向に導かなければ。
18歳選挙権が、どういう効果をもたらすのか、学校が果たす役割が
大きいだけにかなり不安にも思ってます。
貴重な映像に心から感謝します。
中川さんの偉大さを垣間見た気がします。また、麻生さんも本当にすごい人だったんですね。クールジャパンろか湿原の多さとか、どちらかといえば軽い人のようなイメージを当時は持っていました。
今さらながら無知とは恥ずかしいものだと思いを新たにしております(><)
ところで,日本の未来を支えるマイナンバーと言う素晴らしき施行の産声にさえも,例の如くレッテル貼付を炸裂させる馬鹿が早速湧いてきましたよね。
折角の可愛い可愛いマイナちゃんをご自身のブログhttp://hiroichi.exblog.jp/21706456/
にて「うさぎのマイナは悪魔の手先」呼ばわりした過激な思想の持ち主たる,某市議会議員。
東京都下には,何故にコバトン県に勝るとも劣らぬ反日テイスト満載の議員が,こうも蔓延っているのでしょうか。
と言うか,当該東京都狛江市議会議員,言っていることも,やっていることも,顔つきも,S永K子議員に似ているような。。。
また,通知カード等の受取拒絶を謳っている輩が左翼系議員にも蔓延しておりますが,役所から送られてくる書留郵便を,不当に受取拒絶することは,血税により捻出された税金を無駄にした上で,郵便局員に無駄手間及び二重三重の手間並びに費用をかけさせ,あらゆる公共の福祉を破壊する,呪うべく極悪たる反社会的行為です。
保守へのルサンチマン晴らしのために,電車を止めて数多の人を困らせ,ムダ金を使わせて,メシウマ気分に浸るに等しきことです。
言葉もありません。
当時の何も知らなかった自分を只々恥じるばかりです。
深く反省し、これからの行動に繋げたいと思います。
わたしの自虐洗脳が解けたのは、某高貴なメンタルを患っているとされるお方が、一流の名医集団に診て頂ける立場にありながら、癌でさえ5年生存率というくらい5年くらいが治療の目安になるかと思ったのに5年以上も「静養」だか何だか分からない活動を続けておられることを純粋に疑問に思い、調べ始めたことでした。
支那や某カルト政党や害務省wといった反日勢力が日本の象徴である皇室にまで巣食っている現実、学歴ロンダリングの存在を知り、反日勢力がマスコミを乗っ取っていることも芋づる式に出てきました。
ですので民主党のアホさ、売国度合は政権を取る前から自明の理でしたので、説得しましたが情報弱者の家人は「一度替えて見なきゃ」と言いつつゴミンスへ投票しておりました。
異国であの選挙結果を見て「わたしの帰る国は残るのか?」と暗澹たる気持ちになったことを覚えています。
そこから更に、中川先生の訃報。直感で「殺された!」と感じました。
そう感じたのは何故かわたしだけではなかったようです。検死結果などは明らかにならないでしょうが、わたしは今でも他殺だと信じています。
その後帰国しました。国は残っていましたが、売国奴共が図に乗っていました。
頭にきたので、フジデモ、お散歩から参加致しました。花王製品も一掃しました。
my日本を見つけたので、近くの方の街宣やポスティングや某デモのお手伝いもしました。
寒いお正月の晩に外国人参政権反対のチラシをポスティングもしました。2日はゴミ新聞共も休みますから、一番読んでもらえるかと思いまして。慣れない請願などもしてみました。
取りあえず地元の民主党議員は、その後落ちました。
わたしの自責の念〜余りに政治に無関心だったし、政治家に任せきりだったから売国奴がのさばり、正道を行くものが蹴落とされたのだ〜
+
、だったら徹底して抗ってやる。という執念を込めたチラシをご近所の方が読んで下さり、政治に関心を持って下さった結果なのだとしたら嬉しいですけれども。
今はまた異国から日本の大掃除が済むまで。を心配しています。
[…] 民主党政権における、ネット保守の戦い(激闘編)六年前のあの日に始まった、一人の男の物語。の続編になる。 […]
[…] 民主党政権における、ネット保守の戦い(激闘編)六年前のあの日に始まった、一人の男の物語。 民主党政権における、ネット保守の戦い(雌伏編)反撃、開始。引退を決意。 […]
彦佐です。
AOLで2001年頃、Mixiでは2008年頃から発信してましたが、完全に異端扱いで白眼視されてた気がします。
今のネット空間での言論を見ると隔世の感がありますねぇ。
やはり2009年の政権交代は大きかった気がします。
ミコスマさんとかどこいっちゃたんですかね??
初コメです。 KAZUYAちゃんねる?だったかに、ご出演されていた時から拝見させて頂いております。
さて、東日本大震災の民主党対応の件、平成23年(2011年)3月11日。『 何もかにもが飲み込まれた日』
当時の震災「前」の津波対策法案も、リマインドお願いします。
>>小野寺五典|活動報告: 津波対策法案 2010年6 月11日
本日、議員立法で津波対策の推進に関する法律案を衆議院に提出しました。津波対策を総合的かつ効果的に推進するための法案です。先日のチリ地震に伴う津波の際に浮き彫りとなった問題に対応できる内容となっております。次期国会での成立に全力を挙げて参ります。・・・・・自民党は当時、野党として「議員立法」提出。法案審議が通過していれば、東日本大震災の前の年(4ヶ月前)の11月15日に国あげての「津波防災訓練」計画を実施予定。。。民主党は自民党提出の「津波対策法案」をたなざらし無視。
>>小野寺 五典 2011年6月9日 チリの津波被害を受けて昨年6月に自民が提案していた津波対策推進法が明日成立見込みです。私も法案提出者の一人。昨年は「民主の反対により審議に入ることさえ出来なかった法案」です。一年前に成立出来ていたら、実際に津波により甚大な被害を受けた今が、少しは違ったのではないかと思ってしまいます
>>【菅総理の不見識ぶりに赤澤議員(自民)怒る!7.6衆議院予算委員会 】
「9カ月間一度も審議してもらえなかったんですよ!!」自公の議員が与党である民主党の先生方に足を運んで頭を下げても、審議してもらえなかったんですよ!!」
津波対策推進法案。一言で言えば、東日本大震災が発生する9カ月前に、対応がまだ間に合う段階で自公が共同提出をしたにもかかわらず、与党が不見識で無理解で、たなざらしにした、握りつぶした、不作為を働いた。
・・当時の質疑で菅直人は、「2010年2月27日」に起こったチリ沖地震に依る津波を教訓に、自民党が提出したの経緯を全く理解できず、「60年前」のチリ地震のことと勘違い。。。
赤松口蹄疫、小宮山原発、尖閣漁船一色さんのご尽力等、民主党政権時に起きた事件はきりがないのですが、この法案の件も絶対忘れずに、心に留めてほしいものです。というか、知らない国民だらけなのが悲しい。
(先日、偶然にも民主党員らしき人物とネットでの議論がありました。この件に対しては、「過去を掘り返すな!大切なのは未来だ! 亡くなられた方々に失礼だから黙って哀悼の意を示せ!未来を語れ!」などとののしられました。)
政治は結果責任です。一方で、国民は、政治家が決断する案件に対しての、目的、現状、議論の経緯、メリット・デメリットなどの内容等をしっかりと把握に努める責任があると思います。残念ながら、伝えるマスコミが、立ち位置の思想優先で、結果ありきの印象操作に終始していることで、「複雑化」させていることが残念でなりません。でも、ようやく気づきだしている母数がかなり増えてきたことは救いですよね。
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