民主党政権における、ネット保守の戦い(激闘編)六年前のあの日に始まった、一人の男の物語。の続編になる。
前項において、6年前の平成21年(2009年)?平成23年(2011年)の3年間のことをまとめた。
自民の歴史的大敗に始まり、中川昭一の急逝。
鳩山内閣、トラストミー、外国人参政権、口蹄疫、尖閣での後退。
菅内閣、尖閣請願、TPP、東日本大震災、フジデモ・花王、太陽光発電(再生エネ法)
そして野田内閣に続くまでの、ネットの保守の動きを私の目線で時系列に並べ、思うことを書いてみました。
今回は、続編として、3年前の平成24年(2012年)から、政権を奪還するまでの過程を書き記したいと思います。
反撃の年。実りの年。
総裁選のまさかの勝利、衆議院選挙、
政権奪還、安倍内閣発足。
参議院選挙でのねじれ解消。
そして。
私は、保守活動から引退を決意する。
いまのネット保守ができるまでの話、私目線での今のネット保守に至るまでの経緯。
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(OGP画像)
[su_heading size=”30″]3年前の出来事。[/su_heading]
平成24年(2012年)、3年前のことである。
反撃の年。実りの年。
[su_box title=”春 小坪しんや初当選” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
告示日 平成24年4月8日
投票日 平成24年4月15日
民主党政権に対し、野党自民党と同じ陣営で戦い続けた三年間。
私は、31歳、最年少議員として当選させて頂いた。
出陣式(4月8日)には、熊本から木原先生が、山梨からは赤池先生が駆けつけてくれた。
私を含め、全員、バッチなしの状態であった。
この時は、まだ民主党政権であった。
(よく考えれば凄い絵である。)
関連:
自民党の宝、木原みのる
[su_box title=”安倍総裁、誕生” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
平成24年9月26日 安倍さんが総裁選挙を制する。
第一次安倍内閣の崩壊、二度目の首相など、多くは例がない。
まさかの総裁選、勝利。
野党時代を支え続けた谷垣幹事長の一件もあった。
石原伸晃氏の反乱、なんてやつだと思ったが、あれがあったから安倍総裁は誕生したとも言える。
最後は、石破茂候補と一騎打ち。
安倍晋三は、総裁(自民党のトップ)となった。
この時は、まだ民主党政権である。
まずもって「奇跡の総裁選の勝利」があっての、第二次安倍内閣であった。
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実は、私も総裁選に参加。
地元福岡において、安倍さんの前でマイクを握っている。
国会議員(前職含む)が主で県議も少数、異例なことと言われた。
なんでそうなったのか、よくわからない。
市議当選より3か月ほどのことだったと思う。
さして緊張もなかった。
この時は(市議というよりは)市外においては「活動家」のノリであり、そういう意味では場慣れしていたのだろう。
[su_box title=”解散” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
平成24年11月16日 解散。
私の誕生日であった。
最高の誕生日プレゼント。
政権奪還を目指すべく、衆議院選挙を戦う。
地元は安定の福岡11区、麻生選挙においても勝利。
また小泉選挙では刺客を立てられるも(数百票の僅差で)これを撃破。
地元代議士に頼み込み、小選挙区を離れ、県外の支援に向かう許可を求める。
政権奪還のため、運動員として地元を離れたいというもの。
これは、かなり無理な要請です。
(正直、いっぱい怒られる。)
[/su_box]
[su_box title=”衆議院選挙” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
平成24年11月16日 解散。
驚きもあった。
浪人中の木原先生が、創価学会からの推薦を受けない。
事務所には、慣れたスタッフが足りているとは言えず。
事務所運営には、やや支障をきたしたようにも見えた。
バッチをはずし、一人の運動員として現場を切り盛り。
行動隊B班の班長(駐車場の整理などの指揮、意外に重要)として戦う。
行橋から熊本まで通う日々。
片道3時間、往復6時間の運転。
12月議会日程と被り、倒れかける。
高速代とガソリン代で残念なことに。
市議選を終えて日が浅く、貯蓄が欠乏。
宿泊費は一瞬で尽き、漫画喫茶に泊まっていることがばれた。
(いっぱい怒られる。)
[/su_box]
[su_box title=”政権奪還” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
平成24年12月16日 投開票。
衆議院選挙を制する。
長らくの野党を経て、鍛え上がられた支部長たちは、続々と復帰。
請願においては、多くの紹介議員がついているが、これは在野にあった支部長(前職国会議員)たちの協力があってのことだった。
野党時代、在野においては共に駆け抜けた戦友だと思っていた、
だけど、もうこれで気軽に電話したり、(ちょっと失礼な)冗談を言ったりはできないな、と思った瞬間。
[/su_box]
[su_box title=”宴の後” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
開票は、木原事務所で迎えた。
壇上でマイクを握る木原先生。
最高の笑顔。
どことなく寂しさも感じた。
「そろそろ終わり(引退)かな」と呟いた。
駆け抜けた、対民主党戦線。
死ぬ気で戦えたのは、守りたい世界があったから。
守りたかった世界は、戻りたかった世界。
鉄火場のような、眠れぬ夜の終わりが見えた気がした。
・・・そろそろ、降りても許されるのではないか。
歓声に沸く事務所を、ひっそりと後にした。[/su_box]
[su_box title=”安倍内閣、発足” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
平成24年12月26日 第二次安倍内閣発足。
激動の年の瀬であった。
自民政権として、この年を締めくくった。
選挙疲れを押して、無理な稼働を続けていた。
市議に当選したばかり、半年も経っておらず議会にも慣れていない。
衆院選は12月議会と重なり無理がたたる。
体力的にも限界で、発足のニュースを聴いた前後だったか、
この数年の無理(対民主党)がたたってただろう、点滴を打っていた。
低血糖で倒れ、以後、甘い物を意識的にとるようになる。
もう、きっと、限界だったのだろう。
私自身も。心も体も。
終わったら、戻りたい場所があった。
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[su_heading size=”30″]2年前の出来事。[/su_heading]
平成25年(2013年)、2年前のことである。
ねじれ、解消。本当の意味での政権奪還が達成される。
[su_box title=”参議院選挙勝利” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
平成25年7月4日 公示
平成25年7月21日 投開票
夏の、暑い日だった。参議院選挙、勝利。
ねじれ解消。
本当の意味での政権奪還を果たす。
[/su_box]
[su_box title=”赤池誠章、当選” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
全国比例においては、下馬評では厳しいとされた赤池先生に着く。
初のネット選挙の成果とも言われた上位当選。
以下は、自由民主党 香川県支部連合会において、大山一郎県議の県政報告に際し、私がマイクを握らせて頂いた際の動画です。
市議当選より一年と二ヶ月少々の頃。
いまは、もう少し上手く話せるようになったでしょうか?
赤池まさあき先生応援演説@小坪慎也(行橋市議)
[/su_box]
関連:
参議院全国比例を戦うということ、その意味。
大山一郎県政報告会
舞台袖であった秘話。
駆け抜けた、あの日。大山一郎(香川県議)について。
[su_box title=”台風と公務と、瀬戸大橋” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
私、げっそり疲れてますね(笑)
市内で公務があったんじゃなかったかな、
前入りすることはできず、必死に自走で香川県に。(片道450km)
台風が接近していて、瀬戸大橋が停まる寸前でした。
[/su_box]
[su_box title=”参議院議員、赤池まさあき” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
靖国神社に大山先生と参拝。
のち赤池先生と合流し、一緒に撮った一枚。
これは当選後の写真です。
[su_heading size=”30″]保守活動からの引退を決意。[/su_heading]
政治活動からの引退。
正直、悲願であった。
市議当選より約一年、参議院選挙を最後に、事実上の引退。
[su_box title=”普通の市議に。” style=”bubbles” box_color=”#000000″]
キャンディーズがそうしたように。
縮小傾向にあった保守活動を、ほぼ完全に停止。
慣れぬ議員生活、地方行政を学ぶため、、、
それは言い訳かも知れない。
実際は、何もかもが限界であった。身体も心も。
[/su_box]
[su_box title=”なんか嫌だった。” style=”bubbles” box_color=”#000000″]
野党自民を共に耐えた一人として、悪くない話もあった。
なんとなく、それが嫌だった。
そんなことのために、身体、張ってきたんじゃない。
そして共に戦った仲間たちがいる。
私だけが、どこか優遇されるようなことは、末端とは言え、指揮官としてのプライドが許さなかった。
何もいらない。
[/su_box]
[su_box title=”(これで、もう、俺、いいっすよね。)” style=”bubbles” box_color=”#000000″]
そう呟いた時、心の中には中川昭一の存在があった。
どこかで重荷だったのだと思う、
暑かったあの日、麻生選挙の大敗。
中川さんの死が、守れなかったという罪の意識。
[/su_box]
戻りたかったのだと思う。
守りたかった世界があった。
だから全てを賭けて戦えた。
守りたかった世界とは、戻りたかった世界だ。
後輩たちとバカ話をして、わけのわからぬ笑い声の響く日常に。
きらびやかな世界よりも、何よりも、私がずっと求めていたもの。
保守活動を縮小、相当に大人しくし引退を決意、実際、引退した。
[su_heading size=”30″]私が望んだもの[/su_heading]
静かに生きたかった。
ただの新人市議として、ちょっと口の悪い先輩市議とかにですね
こう、いじってもらったり。
後輩と車をいじったり、地元のお祭りで神輿を担いだり。
そんな生活に憧れた。
いや違う、私が元々いた世界。
守りたかった世界。
もう激しく生きるのはやめよう。
古くからの同志たちに、民主党政権を打倒のち、「あとは任せて大丈夫だよね」と。
お別れを言って、黙ることにしたのです。
本当は、ちょっとしたプレゼント、金銭などではなく。
対価ではありませんけど、お礼みたいなものも提案されました。
とても魅力的なものばかりでした。
キラキラした世界もいいな、って。
ちょっと思いました。
だけど。
例え話になりますが、綺麗な服を来て、高級車に乗って、そんな煌びやかな生活よりも。
ぼっろいスポーツカーに乗って、何より大事な後輩たちと生きる生活を選んだ。
行橋市に、残りたかったんです。
東京の、すれ違う人の顔すらわからぬ喧騒の中にはなくて
地元にだけある幸せがある。
それだけは、なぜか直感的にわかりました。
2年前、小坪しんや、前線より引退。
6年前の、あの日の苦悩に押しつぶされそうだった。
麻生選挙の大敗、中川昭一という存在の喪失、自分なりの責任感ゆえ駆け抜けてきたが、ここで一旦の区切りとし、私は引退の道を選んだ。
(舞い戻った前後の話は、「復活編」として、やがて記したいと思う。)
前編)
民主党政権における、ネット保守の戦い(激闘編)六年前のあの日に始まった、一人の男の物語。
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民主党政権における、ネット保守の戦い(雌伏編)反撃、開始。引退を決意。 民主党政権における、ネット保守の戦い(激闘編)六年前のあの日に始まった、一人の男の物語。の続編になる。 前項において、6年前の平成
小坪先生、新規投稿ありがとうございます
投稿を読みながら、なぜか、おつかれさまです!といいたくなりました。
閑話休題・・・・
>出陣式(4月8日)には、熊本から木原先生が、山梨からは赤池先生が駆けつけて>くれた。
>私を含め、全員、バッチなしの状態であった。
>この時は、まだ民主党政権であった。
>(よく考えれば凄い絵である。)
木原先生、赤池先生、小坪先生がならんでおられるこの写真、いまみても・・・
すごいですね。んで、当時、民主党政権ですかぁ・・・(´・ω・`)
そして、最後に一言・・
小坪先生、頑張れ!頑張れ!頑張れ!と三唱をおくります。
追記:
私も田舎町に住んでおります。ですが、イオン(おかげで、まわりに小売り店はありません!せいぜい、セブン系列のコンビニのみ、セブンはつええわw)のおかげで、買い物には不自由しておりません。ま、シナ朝鮮系の食品は購入しないように気を付けております。
いつもありがとうございます.
シェアします.
忘れませんよ,ミンスの暗黒時代.
尖閣,自衛隊への罵倒,事業仕分け,沖縄,そして大震災+原爆.
忘れてはならない.
失われた国益と名誉,そして人命.
> 静かに生きたかった。
先生の言葉だと重みを感じます。
復活した今言うのも変だとは思いますが敢えて記します。
お疲れ様でした。
ブログには始めて書き込みさせていただきます。
> 2年前、小坪しんや、前線より引退。
前線から引退されたということですね。
でもね、それは、サッカーでいえば、前線(攻撃担当、FW)から、後衛(守備担当、DF)になられただけかなと。
だから、小坪さんの実力は、ひょっとして未だに、日本代表DFクラス。
それが証拠に、ひとたびサイドを駆け上がれば、全国の地方議員の皆様から、ほら、いい感じのパスが。
強靭なフィジカルがあるわけではないけど、いざ駆け上がったら鋭い攻撃参加を見せる、スーパーサイドバック。
草サッカーレベルの私からすれば、憧れです。
日本代表に、まだまだ小坪さんは必要だと思いますよ。
願わくば、無理してケガしませんように。変なイエローカード貰いませんように。
漫画化されないのですか??なんて思いました(笑)
そして市議のお話しを読んでてこれを思い出しました
↓
第二次大戦中の知られざる日系人兵士たち10の活躍
ttp://karapaia.m.livedoor.biz/article/52201633
↑
相変わらず反日工作員ばかりで残念ですがね(こう言う記事以外の、生物・理系記事ではごくたまに研究者から直接原稿進呈されるほど優秀なのに…)
↓
あと、こちらは犯罪です
↓
国の助成金詐取の疑いで、朝鮮総連会社の在日韓国・朝鮮人ら4人逮捕 被害総額は数千万にのぼる(札幌市)
ttp://blog.m.livedoor.jp/honmo_takeshi/article/46496482
↓
以下は余談です
↓
法政大が資格停止中の朴泰桓の受け入れを全面否定
ttp://blog.m.livedoor.jp/warakan2ch/article/8359209
天国で微笑んでいてくれている中川昭一先生。来年も小坪しんやブログでお会いしましょう。中川先生はハンサムでしたね。奥さんがあの日のことを本にしてほしい。テレビが中川酒パッシングで全局毎日毎日がなりたてていたのに…中川先生は帰国するまでテレビ報道を知らなかったとのこと。なぜ?さらにその時の回りが皆出世している。財務省などで…。
民主党政権は日本国にとっても日本人にとっても本当に大きな損失(そんな言葉ではとても言い尽くせませんが)をもたらしました。
その影響が日本中に残り、未だに私たちを苦しめていると思います。
ただ一つだけその功績(?)を認めるなら、多くの国民の目を覚まし結束をさせたことではないでしょうか。
鳩山さんの変人ぶり、菅さんの異常さ、外国人参政権、尖閣、TPP、一色さんの事件(?)に至っては、正しいことをしたのに何故?と頭が混乱するばかりでした。
そうです、目覚めは始まっていました。
危機感が半端ではありませんでした。
安倍政権誕生で、個人的には「そうだったのか!」とやっと膝を叩いたあの頃。
あくまで馬鹿な私の経験談ですが、民主党政権あったればこその目覚めだったのかも知れません。
本当に申し訳ない気持ちで一杯でした。
ただ、民主党に投票したことは一度たりともないことだけが、私の救いになってはいます。
二度と暗黒の民主党政権には、戻してはいけませんね
>赤池先生の選挙で思い出すのは、危ないとの下馬評があり
保守系ネットでの凄い応援を思い出す、あの時は私も赤池先生に投票したんだが
2chでもまとめでも、ニコ生でもものすごい応援と拡散だった
あの時に上位当選したのをみて、ネットで政治は動かせる時代が来たと実感したのを
思いだします。
ネットの力を大きくしていって、自民の中の売国奴を保守と入れ替えるまで運動を続けて行きたい
最近政治に興味をもったと言っていい自分のような人間からすると、
安倍政権が少しわからなくなってきました。
自民党内に親中、親韓派が多いのは聞いてますが、
国家公安委員長兼行政改革担当相=河野太郎に決定。
父親は売国奴。この人の秘書は韓国人でパククネ、ハンナラ党の側近という話があります。
潜水艦技術を中国よりのオーストラリアに移転。
津田やたろうや山本太郎、福山哲郎、ダイブ小西などの処分できず、手打ち。
これが一番腹がたってます。
だからといって民主党はごめんですが、保守党として好きだった次世代も自民党に合流するような事も言われてますし、なんかため息が出てきます。
小坪議員のようにまっとうな保守派議員がおられることは頼もしいのですがだんだん保守サイトを見る回数が減ってきました。マスメディアの報道を信用することはもうないでしょうが自分的にはちょっと疲弊感が出てきてます。
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