【今日は何の日】阪神淡路大震災から23年。病院で泣きかけていた少年の今。地方議員の戦い

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阪神淡路大震災から23年目を迎えました。
私はあの日のことは今でも鮮明に覚えています。

子供だった私はちょうどインフルエンザ、被害実態のわからぬ中、朝のニュースで衝撃を受けました。
あの日、守られるだけの存在に過ぎず、震えることしかできなかった私は、
いまは未来に備える一人として、最前線に在ります。

地方議員とは、政治とは、自然災害にどのように備えるべきか。
ゆっくりとしか進まぬ現実を、歯噛みしつつ数字に向き合う。
自助・共助・公助のさらなる周知と制度の強化。
危険個所の発見と、古地図の分析、必要に応じて予算折衝。

「100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!」
(釜石市の津波記憶石に刻まれた中学生の言葉)

私たちは、「来ないかも知れない100回」ではなく、
それでも「101回目」を想定し、その責任を負う立場です。

100回を笑えばいい。
私たちをバカにすればいい、それは甘んじて許容します。
その100回を笑ってもらえることこそが、私どもの誇り。

それでも101回目を真剣に見据えることが、私どもの重みであります。
笑って、何もなければ、それで結構。
だけれども、貴方ではなく、貴方の子供の世代になり、孫の世代になり
仮に貴方が天寿を全うし、また私も天寿を全うし、
私の名前など、誰もかれもが忘れた後世であったとしても、

それすらも護ろうとするのが、政治家の責務であると強く訴えさせて頂きます。

 

重要
【保守の知らない沖縄】左派に総攻撃される現職市長が窮地に【援軍を!と思ったらシェア】

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平成30年1月21日 投開票

 

 

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せめて一度は、この「音」を聴いておいてください。

・ミサイル攻撃時の、J-ALERTの音源
・【マニュアル】武力攻撃やテロなどから身を守るために(内閣官房)

 

 

 

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(OGP画像)

 

 

 

 

あの日、私は弱かった。
あの日。
インフルエンザにかかってしまい、病院の混み合う待合室の中、茫然とテレビを見ていたように記憶しております。
(別の災害ではないと思います。)

まるでアニメのような、衝撃的なシーン。
どう言っていいかわからず、言葉にすることもできませんでした。
不謹慎を承知で当時のことを正直に述べると、子供だったからでしょう、最初はそれこそ漫画のワンシーンのようでワクワクもしたのです。

ただし、それは「大人がなんとかしてくれる」前提のワクワクであり、
混乱し、焦りを帯びたアナウンサーの声に恐怖に変化していきました。
現実味のない映像を前に、徐々に不気味さが忍び寄る、
怖くて怖くて、泣きそうになっていました。

高校生にもなって泣きそうになっている(インフルエンザの)私を見て、「なーに半泣きになってるの?注射こわい?」と看護婦さんが優しく声をかけてくれました。
あまりに茫然としているので「僕、大丈夫?」と心配もされました。

看護婦さんやお医者さんから見れば、職場でありますから、ゆっくりテレビなど見ていなかったのでしょう。
(特に初報は大きな扱いではなかったように思います。)

「だって、地震が、、、地震があって、大変なことに」と。
インフルでぐったりしていて、それ以上は言えませんでした。
お医者さんも「そっか、ちょっと揺れて見えるか・・・。」と。

ただただ、不気味で、怖くて。
あそこに人が住んでいて、火の中に人がいて
車があって、建物があって、それが壊れていて
その中に人がいて、、、

そのことが、ただただ怖くて
誰かなんとかして、助けて、と思いました。

病気でぐったりしていたこともあり
(涙こそ出ていないと強弁しますが)
本当に不気味で怖かった、のです。

これが、阪神淡路大震災に
(モニターを通してですが)触れた
あの日、少年であった私の姿です。

あの震災において、多くの方が亡くなりました。
ご冥福をお祈りすると共に、哀悼の誠を捧げます。
ご家族を亡くされた方もおられます。
その悲しみ、孤独、苦しみは察するに余りあります。

 

 

 

阪神淡路大震災・被害
死者    : 6,434名
行方不明者 :     3名
負傷者   : 43,792名

住家被害 : 全壊104,906棟
     半壊144,274棟
  全半壊合計249,180棟(約46万世帯)
   一部損壊390,506棟

火災被害 : 全焼   7,036棟
     焼損棟数 7,574棟
     罹災世帯 8,969世帯

その他被害 : 道路7,245箇所
      橋梁 330箇所
      河川 774箇所
      崖崩れ347箇所

 

 

 

一人の政治家として。
今日、この日ゆえ、振り返ることがございます。
いま、一介の市議会議員ではございますが、
二期目なりたての若輩の身ではございますが
政治家として皆様の前に立たせて頂いております。

私の責務とは、政治家の職務とは。
あの日、ただの子供であった私が感じた恐怖を、そそぐのが私の仕事になります。
人々を導き、安心させ、笑顔を守る。

「自助・共助・公助」と申します。
これは命を長らえる上でのフロー、システムになります。

自助とは、自ら頑張って命を長らえること。
被災直後は、周囲の人も行政(警察力・自衛隊を含む)も手助けができません。
最初の数時間、長ければ一日近くは、自らの力で生き抜いて頂かねばなりません。

共助とは、家族・地域コミュニティの力に頼り、
共同体で身を守って頂くことを指します。
自ら命を永らえたのち、共に力をあわせて九死に一生を得た命を守りあって頂きたい。
長ければ数日かかります。

公助とは、行政サイドによる保護を指します。
できる限り3日以内には、このフローに到達したく思います。
しかし行政力にも限りがあり、万全の体制を整えたとは言え「すぐ」とはいきません。
仮設住宅・継続しての安定した炊き出し、警察力または自衛隊の助力を願い、治安の維持・確保。
残念ながら、大規模災害ともなれば、ここまで数日かかることも想定せねばなりません。

 

 

 

市議会議員の責務
大きな職権は持ちません。
しかし、「眼として」「まるでレーダー」として、
皆様に寄り添い、常に共に在り、
まさに現場において

「市民の生命と財産を守る」ことが責務であることを、自覚して職務に励みます。
来ないかも知れない地震に備え、「想定外」などと言わずに済むように、
数字の積み上げを行い、景気動向も堅調とばかりとは言えぬ中、
それでも長期スパンの計画を策定し続ける。
全ては未来のために。

 

地域を護る防人として。
これは市議の仕事でございます。

?自助
まず九死に一生を得てもらわねばなりません。
火元の確認、防災意識の向上、私が総務委員会に所属した際は消防を所管しますゆえ、救命処置の市民への案内・指導を徹底して参りました。
また、行橋市では遅ればせながら「海抜○m」の表示を市内各所に設置、防災マップを策定し市民に広報。
委員会でも委員らより指摘を受け、配布・周知に工夫を凝らしていっております。

いまは文教厚生委員として、学校施設・公民館など、避難する施設を所管しておりますので、集会所を始め老朽化対策・増改築を含め委員として行政を質しております。単に見た目の利便性のみならず、目立たない上に予算は必要となりますが、防災の観点からも各施設をチェックしていきます。

?共助
・自主防災組織を各校区に設置。
実態としては、区長会(自治会)と組織は似ているのですが、被災後、数日にわたって地域単位で身を守って頂くための組織です。

災害発生時に必要な装備・資材についての説明、また保管場所を説明すると共に、「自助・共助・公助」についての説明を講師を呼び徹底しました。
私も出席させて頂き、不明点については質問すると共に独自で勉強。

市の主導で区長会(他自治体では自治会と称する場合もある。)にて自主防災の講演を開催、各校区に自主防災組織を整備。私も参加し、共に理解を深めます。
防災倉庫も整備し、いざという場合の「自助、及び共助の序盤」を地元で運用できる体制を【完成】させています。

・地域コミュニティの強化
さらに小学校を中心にPTA等、「父兄(及び子弟)」に周知、
区長会を中心に、祖父母の世帯に周知、
これらの連絡網をさらに強化・徹底して頂くと共に、
運動会・祭り・各種アメニティ(いきいきサロン等も広義では含む)
世代を超えたふれあいを通して、コミュニティのシナジーを強化してきました。

・・・単に公務としてのみならず、
できるだけ一緒に参加し、楽しく和気あいあいと過ごす。
こちらも実施済みであり、いまは単に参加のみならず、より俯瞰した目線より行政側の動きと協調し、各種のスポーツイベントの運用において達成しております。
実施済み。

・防災上の危険箇所の点検・整備の提案
防風林の老朽化などもあり、山崩れの危険個所を区長会と共にピックアップ。
なにぶん多額の予算が必要とはなりますが、なんとか事業化を執行部に打診。
長い計画にはなりそうですが、実現を目指す。

県予算でございますが、校区の山林について、伐採。
対象が県となる土地があり(防風林など。)苦労はしたのですが、繰り返しの陳情と折衝により数千万単位の予算を獲得。昨年度、すでに実施済み。
今後はさらに急傾斜地について要請活動を地元とともに行動中です。
(特に、国・県予算が絡む要望を主軸に動いています。)

 

 

 

予算処置と保守活動
40年ほど経過し、老朽化した堤防を改修。
複数年度にまたがる計画ですが、着工済みで現在の工事中です。
2事業あり、片方は市の予算も3割つかっておりますが、もう片方は「県 5割 ・ 国 5割」です。

地元選出の、衆議院議員 武田先生のお力と、複数名の県議の助力により予算は獲得済みで、市長にも報告しています。総額は(恐らく最終的には)10億を突破します。防衛予算は、使っていません。行橋市で防衛抜きでこれだけの規模の予算執行はほとんど例を見ません。

国県予算のみで着工しているため、市議会を通す必要がない予算もあります。
地元議会を通すことの、市議としての負荷、また「速度優先」で防災面は動いているため、
「市長に報告」(及び会派代表への報告)とし、独自交渉で片を付ける。

代わりに、国会議員・県議会議員(地元選出ではない議員を含む)とは、しっかりとお付き合いさせて頂き、「恩は返す」スタンスを堅持。

これら予算処置が必要な(本来、新人であれば「対応不可」な)案件につきましては、各種保守活動で知り得た先輩議員らの政治力を少しだけお貸し頂く場合もございます。
知識面・能力に劣る我々ではありますが、多大なフォローを頂くことで「それでも諦めず」予算獲得、及び事業化を目指して参ります。

えぇ。
これら(人によっては激しく映る)保守活動も、地域の活性化に大きなパワーとなっていることを、地域住民・後援会は一部ではありますが理解してくれています。
ゆえに、ここまで無茶苦茶な、政治活動が許容されております。
特に市内の大手企業は、何をやっているか、どのような交渉(ほとんど政治生命を賭けた規模の予算額)をしているかを、知っています。

ある有権者からは「(保守活動の)危険手当で予算とってきよるようなもんやな」と笑われました。
私は「一枚しかないコイン(命)ですが、倍率の高いところに一点張りしてる博徒に過ぎません。」と笑って返しています。

私の後援会は、最悪の場合、「何かある」ことも覚悟で支援してくれている方もおられます。
だから、こうやって働くことができます。

 

 

 

福祉部と消防の情報連携
私は一期生の際、文教厚生委員会において副委員長を拝命しておりました。
当時の福祉部長らと委員会において協議し、逃げることの難しいお年寄りをサポートするため、地域の情報と福祉情報の一部を連動。

のち総務委員会(消防を所管)に移りましたが、今後は福祉のみならず消防とも統合管理する仕組みに改善。委員会側より、賛成の立場を強く打ち出し支援していきました。

市民の皆様からは「え?」と思われるやも知れませんが、個人情報保護法の兼ね合いやシステムの作成年度が異なるため、行政側にある情報の全てが連結されているわけではありません。(でした。)

今後も完全統合は(法的な兼ね合いもあり)不可能かと思いますが、防災面から必要な情報の統合については、システム面のアップデートも含め、執行部に強く訴えて参ります。

併せて、高齢化により救急出動が増加し、消防官の不足が深刻化する中、長期スパンの計画策定を一般質問において議会で強く主張。執行部より増員について確たる答弁を得ています。

 

 

 

100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!
これは、東日本大震災の被災地・岩手県釜石市唐丹(とうに)町本郷地区で、地元の小中学生95人の後世へのメッセージを刻んだ「津波記憶石」に刻まれた言葉です。

私たちは、こないかも知れない「100回」ではなく、
それでも「101回目」を想定し、その責任を負う立場です。

100回を笑えばいい。
私どもをバカにすればいい、それは甘んじて許容します。
その100回を笑ってもらえることこそが、私どもの誇り。

それでも101回目を真剣に見据えることが、私どもの重みであります。
笑って、何もなければ、それで結構。
だけれども、貴方ではなく、貴方の子供の世代になり、孫の世代になり
仮に貴方が天寿を全うし、また私も天寿を全うし、
私の名前など、誰もかれもが忘れた後世であったとしても、

それすらも護ろうとするのが、政治家の責務であると強く訴えさせて頂きます。

 

 

 

自衛隊について
激甚災害の場合は、自衛隊の出動・助力を仰がねばなりません。
自衛隊は防災組織ではなく、国防力であり、災害救助のため存在しているわけではありません。
しかし、それでも最後は頼らねばならない。

常日頃より、自衛隊の必要性や有難さ。
国防とは何か。
国が亡びれば、行橋も滅ぶのだと訴え続けております。

「少しでも自衛隊が働きやすい」環境づくりを政治面より強力にバックアップさせて頂いております。
ここは「頂きます」という未来形ではなく、「頂いております」という現在完了形・進行形で表現させて頂きます。
地元代議士が防衛政務官・安全保障委員長・防衛副大臣を拝命してきたこともあり、国政においてのご助力を賜ることで、「自衛隊を具体的に支えたい」と全力で邁進してきました。

これからも邁進して参ります。

 

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私は、このような活動に「反論できぬ自衛隊」に、
反論できぬことをわかってこのようなことをすること、許せません。
心を傷つけ、痛めつける以外の目的はあったのでしょうか。
甚だ疑問です。

何が言論の自由か。
ただの人でなしではないか。

日頃、守られる国民として何が恩返しできるだろうか。
許せないと思ったらシェア。
おかしいと思ったらRTしてください。
ひとつひとつの声は小さくとも、積み重ねれば世論を動かす。

物言えぬ自衛官に代わって
物言う政治家として、「おかしい。」と言いたい。

 

 

【守りたいと思ったらシェア】物言えぬ自衛官に代わり(行橋市議会議員・小坪しんや)

 

 

<築城基地>
行橋市が面積の多くを占める築城基地。
我が第八航空団は、朝鮮有事・対CHINAを睨む「日本の矛」であります。
沖縄にF15を送り出しますが、世界最強の対艦攻撃機ともいわれるF2と15、二種の戦闘機を運用していた唯一の基地です。

制空戦闘機の15と、艦船に強いF2を共に運用、シンプルに言えば「うちからだけは、戦爆混合」であがれるということです。

専守防衛とは、やられっぱなしではなく。
最初に手を出せないだけであって
「撃たれたら、ちょっと考えて、撃ち返す」だと認識しております。

緊迫する東アジア情勢においては、防空の要のみならず「専守防衛」に基づき、「撃ち返す」基地だと認識しております。

ゆえに、旧称コミンテルン日本支部こと、日本共産党からの政治的なアクションも非常に強く、地盤としても左巻きの者も多い自治体です。
これらに対し、正面から対峙し、自衛隊を少しでも活動しやすくする、日本を物理的に守る職務を、気持ちよく行って頂けるよう、、、
私も命を懸けて、戦います。

自助・共助・公助に基づき、市議として職責を果たす。
そして、公助の最後の要である、自衛隊について、気持ちよく仕事に励んで頂けるよう、着実な歩みを進めてまいります。

これが、あの日、病院で半泣きになっていた少年の、いまの姿です。
最後に有名なコピペを掲載して、本稿を締めさせて頂きます。

 

 

 

【女子高生の怒り
?ここの人らは歩いて来てくれはったんや?】
http://kokorodo.net/e1080

2年前旅行先での駐屯地祭で、例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生と思しき少女が向かっていく。

少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で…云々」
少女「で、何しに来たんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる…云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や!!
寒い中ご飯作ってくれて
風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのも…ここの部隊の人や!!
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや!
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が…
ここの人らは歩いてきてくれはったんや…」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった…

団体は撤退・・・

彼女が門をくぐった時に守衛さんが社交辞令の軽い敬礼ではなく、直立不動のまま敬礼していた・・・
=========

地方議員とは、地域の守り神。
土地神のようなものだと思う。
最近では、遠方にばかり出ていっているが、力をつけ故郷を守りたい。

激甚災害ともなれば、死者・負傷者は出てしまうだろう。
しかし、一人も死なせたくはないのだ。
ゆえに、俺はなんでもやってやる。
そう思って、心の底から思って、だからあの日、立候補したんです。

これが、地方議員の矜持。
地域を守り、人を守ることの重み。
だから私は、この町の市議会議員になったのです。
ゆえに戦うのです、守るために。

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【百戦百勝の極意】一人の議員として。「言っちゃった」責任の果たし方。

 

 

 

阪神淡路大震災より23年。

 

失われた命、流された涙。

 

あの日、震えていた、守られるだけの存在であった子供たちが

 

いまは現場で、地方議員として、未来を祈りつつ皆様の傍にいる。

 

100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!

 

来なかった100回を笑われることが誇り。

 

101回目に、「想定外」などと言わぬために走ることが

 

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テロに屈したと全国から批判された決議に賛同した者(敬称略)
桜の会(議長会派):小原義和(公明)、西岡淳輔(公明)、(死没のため略)
市民の会(いわゆる野党会派):藤木巧一、二保茂則、鳥井田幸生、大池啓勝、工藤政宏、瓦川由美、西本国治
共産党会派:?永克子(共産)田中次子(共産)

 

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私なりのケジメ

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. medakanoon より:

    【今日は何の日】阪神淡路大震災から23年。病院で泣きかけていた少年の今。地方議員の戦い 阪神淡路大震災から23年目を迎えました。 私はあの日のことは今でも鮮明に覚えています。 子供だった私はちょうどインフ

  2. 波那 より:

    被災地では自衛隊車輌を見ただけで私達は守られてると安心感を持てて嬉しかったものです。

    自衛隊を罵倒するだけのパヨクの恥知らずの皆さん、あなた方は自分達の家族が家屋の下敷きになっても駆けつけて来た自衛隊員に自衛隊は反対!と言って救助されるのは断って下さいね。

    厳しい軍事訓練も救助訓練も何の為にしてくれていると思っているのですか!私達国民を守り救う為です。自衛隊を誹謗中傷するパヨクは絶対に潰す。

  3. こっくり悠流 より:

    24年目の月日が流れ始めています。
    1.17 が残した教訓を僕らは絶対に忘れたらあきまへんね。

    自衛隊の有難み……(軍隊であったとしても同じように…) 等々…

  4. きゃべ より:

    職場の研究で震災対応を挙げて現在、四苦八苦してます。通常業務と並行して予測不能の災害に対策を施す大変さたるや…。私は匙を投げたい心境でしたが、このエントリーで「逃げちゃダメだ」と思わされました(笑)。
    必要な無駄は、あるんですよね。
    要は、続ける事。その為には楽しくなくては。
    ありがとうございます。

    コピペかもしれないけど、あれは泣けました。自衛隊、超勤手当なく日夜頑張ってます。有事は戦争だけではないんです。そして、奴らにも家族がいるんです。自分が激務、それ以上に家族の元にいられない事が余程キツいはずの、一介の人間です。主人にも昨日のエントリー読ませました。声を挙げてくれる人が居ることに感謝しつつ、今まで色々自衛隊に対する嫌がらせを受けた話をしてました。。

  5. 草莽の団塊です! より:

    小坪先生、情報ありがとうございます

    あらためて、阪神淡路大震災で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします
    また、当時、救援活動にあたられた自衛隊の方々に、お礼をもうしあげたいと心からおもいます。

    >「100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!」
    >(釜石市の津波記憶石に刻まれた中学生の言葉)

    上記は、中学生の言葉だったのですね、知りませんでした
    本日、脳内に永久保存させていただきました。

  6. 個別の774人 より:

    当時京都に住んでいた私は、何故か地震の数分前に目を覚まし、
    そのおかげで自宅ではある程度被害を免れる事が出来ました。
    1?2ヶ月あとだったか、北の方から桂の陸自駐屯地に向け、
    CH-47が頻繁に頭上を通過しており、ご遺体を運んでいるのだとの噂を聞きました。

    あと、地方議員として貝原兵庫県知事について一言ほしかったです

  7. パコリ〜ヌ(髭) より:

    不謹慎かも知れないけど、二度の大震災はパヨチン共に政権交代した時に起こってるのよね。

    アメリカの陰謀説やら皇祖神お怒り説やらオカルト説まであるけど、安倍ちゃんがいるうちは大丈夫な気がするわ。
    だから後20年は安倍政権でお願いしたいわね。

    石破茂とか野田聖子とか岸田とかが総理大臣だなんて、ヘソで茶を沸かしちゃうわよ。

  8. 月光仮面 より:

    地震は最近になってつかめて来たのです その昔は重量に0.2をかける
    ただそれだけだった でも 今はちがいます ガルと言う考え方が
    出て来たみたいです ここで 言いたいのは 原発は壊れるが
    東京タワーやスカイツリーは壊れないのか これは なぜ 原発は
    津波では壊れましたが 地震では壊れていないと思います
    でも 道路の桁が倒れてたシーンを思い出します 怖かったと思いますよ

    それから 日本には先の先と後の先という言葉が武道にあります
    後の先は専守防衛になると思いますが 後の先は考える暇はないのです
    まずもって攻撃する手段がなければ かならず 負 け ま す

  9. お焼き県民 より:

    関東におりましたが、神戸出身の同級生が実家と連絡が付かない。と泣いていたのを思い出します。テレビに映る倒壊した高速道路を見て、未だ経験したことのない大地震であることに息を飲みました。

    あれから東日本大震災も経て、日本の防災は少しでも進化してくれていると良いのですが。

    文末の有名なコピペ、パヨク共は女子高生の訴えに対して、すごすご尻尾を巻いて帰るしかなかった。

    ということはその女子高生の経験した事実・現状に基づく訴えに勝るだけの持論を持たない、机上の空論を主張していた。ということになりますね。

    まあ今時アカに騙されるなんてのは偏差値28集団くらいしか居ませんから、当然と言えば当然ですが。

    女子高生の涙の訴えを聞いても、自分達の主張がもしかして間違えているのか?という疑念が芽生えないのならばそれは最早洗脳の域で、宗教ですよね。良い意味じゃなくてカルト的な。

    是非、非常時には自衛隊の助けを断って自力サバイバルして頂いて、ご自分の日頃の主張との整合性を取って欲しいものです。

    そこまでするなら筋金入りの左翼、とある意味尊敬しますけれども、今の劣化パヨク共は先日、元修羅の国住民様のおっしゃったようにダブスタ・ブーメラン上等ですから真っ先に救助を願って恥じないんでしょうね。ああ醜い。

  10. ひろちゃん より:

    作家の百田さんが「憲法9条は戦後最大のカルト的」と言われていますね。

  11. 櫻盛居士 より:

    **********************************************************************
    共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
    ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。

     ・『テロを利用する共産党』
     ・『テロリストの味方である共産党』
     ・『テロに屈する共産党』

    **********************************************************************
     
     
    23年前のあの日、自衛隊がどのようにして救助に向かったかのかを一般的に知る人は、まだまだ少ないのではないでしょうか。
    時は村山政権で、勿論自衛隊を嫌っていた政権でした。
    更に当時の兵庫県知事も、同様におパヨク脳首長でした。

    地震発生直後から自衛隊は事態の深刻さをある程度予測した様で、早期に出動準備を整えていたのにも関わらず、待てども待てども出動要請が来ない。
    そこで、自衛隊が選択した救助出動は「訓練出動」でした。
    後に当時の陸上自衛隊松島悠佐総監は会見で、半泣きになりつつ謝罪していましたが、その根底にある悔しさが滲み出ていました。

    ここで、あの日を時系列で振返ってみましょう。

    ■1995年(平成7年)1月17日
    05:46 地震発生
    05:50 陸自中部方面航空隊八尾基地、偵察ヘリ発進準備。
    05:50 第三十六普通科連隊(伊丹)営舎内にいた隊員約三百人救援部隊編成開始
    06:00 村山起床。テレビで震災を知る。
    06:30 百里基地、偵察のためRF4発進検討するも断念。4ヶ月前北海道東方沖地震でRF4が墜落、社会党の追及で当時の指揮官が更迭されたため。
    06:30 中部方面総監部非常勤務体制
    06:30 警察庁が地震災害対策室を設置、大阪、京都、奈良などに機動部隊の出撃命令
    06:35 第三十六普通科連隊、倒壊した阪急伊丹駅へ伊丹署の要請で先遣隊出動
    06:50 陸自第3特化連隊(姫路)非常呼集
    07:14 陸自中部方面航空隊八尾基地、偵察ヘリ1番機発進。高架倒壊等の画像撮影。出動要請がないため訓練名目。
    07:30 村山総理に一報
    07:30 陸自第3特化連隊(姫路)、県庁へ連絡部隊発進
    07:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、阪急伊丹駅へ48人応援
    08:00 官邸、防衛庁に、派遣要請がきているか確認するも、要請無し。
    08:11 徳島教育航空郡所属偵察機、淡路島を偵察。「被害甚大」と報告。
    08:20 貝原知事、職員の自動車で県庁到着。対策会議開くも派遣要請出さず
    08:26 総理、官邸執務室へ(予定より1時間早い)。テレビで情報収集。
    09:00 呉地方総監部、補給艦「ゆら」が神戸に向けて出港。
    09:05 国土庁が県に派遣要請促す
    09:18 村山、廊下で記者に「やあ、大変だなあ」、視察はしないのかとの質問に「もう少し状況を見てから」とコメント。
    09:20 総理国土庁長官、月例経済報告出席。地震対策話題無し
    09:40 海自輸送艦、非常食45000食積み呉出港
    09:40 神戸消防のヘリコプターが上空から市長に「火災発生は20件以上。市の西部は火災がひどく、東部は家屋倒壊が目立つ」と報告。市長は直ちに県知事に自衛隊派遣を検討するよう電話で要請。
    10:00 村山、月例経済報告終了後廊下で、記者の「北海道や東北と違い今回は大都市での災害だが、対策は?」との質問に「そう?」とコメント。
    10:04 定例閣議。閣僚外遊報告。非常対策本部設置決定。玉沢徳一防衛庁長官には「沖縄基地縮小問題で(上京してきている)大田昌秀知事としっかり協議するように」と指示。震災についての指示なし。
    10:10 兵庫県知事の名で派遣要請(実際には防災係長が要請。知事は事後承諾)
    10:15 中部方面総監部、自衛隊災害派遣出動命令
    10:25 姫路の第3特科連隊の幹部2人がヘリで県庁に到着、県災害対策本部会議に参加
    11:00 京都機動部隊が兵庫入り。
    11:15 非常対策本部設置(本部長・国土庁長官の小沢潔)
    11:30 非常対策本部第1回会議
    12:00 新党さきがけ高見裕一、現地から官邸に電話。自衛隊増員要請するも、村山「高見は大げさだ」と冷笑
    12:00 政府与党連絡会議中、五十嵐官房長官が村山に「死者203人」と報告。村山「え!?」と驚愕。
    12:48 淡路島・一宮町役場の中庭に自衛隊ヘリ三機が到着。隊員がオートバイで被害調査を実施。
    13:10 渋滞に阻まれていた自衛隊第三特科連隊215人が到着。救助活動を開始。
    13:30 防衛出動訓令発令検討するも断念
    13:30 大阪消防局隊応援部隊到着
    14:07 村山総理、定例勉強会出席
    18:00 補給艦「ゆら」が姫路港に入港。緊急物資を積載し、神戸に向かう。
    19:50 兵庫県知事、海上自衛隊に災害派遣要請
    21:00 兵庫県知事、航空自衛隊に災害派遣要請

    ■1995年(平成7年)1月18日
    辻元清美ピースボート現地入り。
    08:00 海上自衛隊補給艦七隻が非常用食料10万食と飲料水1620tを積載し呉を出港。
    09:46 初の緊急閣議
    11:40 海上自衛隊徳島航空隊が海上自衛隊阪神基地に救護用の食料を空輸。
    13:00 自衛隊5200人と陸上自衛隊ヘリ65機が王子公園を拠点に救助活動、物資輸送を開始。

    ネット上に流れている情報ですので事実誤認もあるかも知れませんが(噂であろう部分は削除しています)、戦後初めての規模の災害だったとは言え、やはり対応がのんびりしていた様に感じますね。
    当時はまだインターネットも普及して居ませんでしたし、行政も災害対策の想定が甘かった頃です。
    携帯電話もやっと民間に浸透して来た頃で、加入電話が輻輳で繋がらなかったのに対し、携帯電話は契約回線がまだ少かった為、比較的繋がり易かった時代でもありました。(因みに、公衆電話は優先度が高い為、神戸に架電しても繋がりました)
    従って、現在の感覚で対応出来たかと言うとそれは無理だと判断しますが、それにしても対応に甘さが感じられます。

    それに対して、自衛隊や警察は出来る限りの行動を実行に移したのだろうと考えます。
    当時の自衛隊は国民を救う為に、屁理屈捏ねて、更迭覚悟で救助に向かったのではないかと思える程、行政の対応に比べて迅速に行動しています。

    この様な事例を振り返れば、普段の備えとして防災グッズを取り揃えるだけでは無く、反日的な政治家を当選させない事も重要な備えと言えるのではないでしょうか。
    亦た、反日的な政治家が当選する事の出来無い選挙制度も、同様に防災対策となると言えるでしょう。

  12. 一郎 より:

    いろんなことを想定内にしておきたい。
    日本のあちこちに工作員がちらばっているように見える。

    NHK内部の工作員が、国内を混乱に陥らせる目的で、あるいは株価や為替を操作する目的で、北朝鮮からのミサイル発射を報道する可能性もある。

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