新型コロナウィルスが気になるところですが、豆まきという行為の、(福を招くのみならず)家から鬼を追い出すという部分は、実は感染予防の概念もあったのかな?と思う今日この頃。こじつけに近い気もしますが、実際に戸を開け放つことで換気はできるわけで、空気中のウィルス濃度を低下させることは高い効果を発揮します。当時の科学水準では”わかるはずはない”としつつも、例えば鬼門と水回りを考えるに、まったく無関係であったとも言えないと思うのです。
「鬼が何を指すのか」を、単に縁起担ぎ以外の考察をあてはめてみるのもロマンがあるかもしれません。
今日は何の日シリーズになります。由来を調べてみました。
節分と言えば豆まきですが、不思議に思ったことはありませんか?
実は知らないことも出てきて、少しびっくり。
トリビア的な話になるかも知れませんが、驚いたので今日は節分を調べてみました。
<急募>
コメント欄にて、豆知識を募集しております。
他の由来や節分の話、「保守ゆえに」こういう知識を身についていくことは大事だと思います。
よければ皆様にも参加して頂き、節分だけで「豆」知識合戦でも繰り広げてみませんか?
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(OGP画像)
節分は、年に一回ではなく4回ありました。
<漢字は大事>
漢字を読めば「なるほど」と思い至ります。
どこかの国は漢字を廃止したようで、日本でいう平仮名のみ(もしくは片仮名のみ)になっております。
漢字を併用した日本語の美しさ、素晴らしさを実感できる機会かもしれません。
(私はそうでした。)
<季節を分ける>
節分とは、季「節」を「分」けるわけですから、
四季がある以上、四回あるのは当たり前ですね。
言われてみれば納得ですし、読んで字の如く、まさにそのままでございますが
個人的に一番、驚いた部分でございます。
(wikipedia:節分より。)
<クリスマスイブ的なもの>
という表現は、政治家としてどうかと思うが、、、
実は「その日」を指すのではなく、「前日」を指すものです。
これも新たな驚きでした。
<他の節分はいつか>
「立春・立夏・立秋・立冬」の前日でありますから、以下の前日になります。
立春:2月4日ごろ。
(立春(りっしゅん)は、二十四節気の第1。)
立夏:5月5日ごろ。
(立夏(りっか)は、二十四節気の第7。)
立秋:8月7日ごろ。
(立秋(りっしゅう)は、二十四節気の第13。)
立冬:11月7日ごろ。
(立冬(りっとう)は、二十四節気の第19。)
この前日となります。
「ごろ」と書いているのは、これまたwikipediaで申し訳ありませんが、
「現在広まっている定気法では太陽黄経が315度のとき」という前提がつくためのようで、
「暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。」とし、
また別の方法である「恒気法では冬至から1/8年(約45.66日)後で2月5日ごろ。」と一日ずれます。
(※冬至の場合)
<二十四節気とは何か?>
以下の区分で二十四に分けているそうです。
昼夜の長短を基準にした季節区分(各季節の中間点) – 春分・夏至・秋分・冬至
昼夜の長短を基準にした季節区分(各季節の始期) – 立春・立夏・立秋・立冬
気温 – 小暑・大暑・処暑・小寒・大寒
気象 – 雨水・白露・寒露・霜降・小雪・大雪
物候 – 啓蟄・清明・小満
農事 – 穀雨・芒種
(それぞれの日付)
季節 | 節月 | 節(せつ) | 中(ちゅう) |
---|---|---|---|
春 | 一月 | 立春(315度、2月4日) | 雨水(330度、2月19日) |
二月 | 啓蟄(345度、3月6日) | 春分(0度、3月21日) | |
三月 | 清明(15度、4月5日) | 穀雨(30度、4月20日) | |
夏 | 四月 | 立夏(45度、5月6日) | 小満(60度、5月21日) |
五月 | 芒種(75度、6月6日) | 夏至(90度、6月22日) | |
六月 | 小暑(105度、7月7日) | 大暑(120度、7月23日) | |
秋 | 七月 | 立秋(135度、8月8日) | 処暑(150度、8月23日) |
八月 | 白露(165度、9月8日) | 秋分(180度、9月23日) | |
九月 | 寒露(195度、10月8日) | 霜降(210度、10月24日) | |
冬 | 十月 | 立冬(225度、11月8日) | 小雪(240度、11月23日) |
十一月 | 大雪(255度、12月7日) | 冬至(270度、12月22日) | |
十二月 | 小寒(285度、1月6日) | 大寒(300度、1月20日) |
こちらも参考になりました。
文章量的に記事は紹介しませんが、読むと面白いかと思います。
意外と知らない「二十四節気」のいろは
京都の和菓子屋さんでしょうか、甘春堂さんにて非常に興味深い記事があったため前段を紹介します。全文は以下のリンク先にて。
あくまで紹介であり、このような由来には諸説あるものですから、「これが絶対に正」として主張する立場にはありません。
トリビア的に楽しんで頂ければ幸いです。
節分の由来
2月3日は「節分(せつぶん)」ですね。節分とは本来、「季節を分ける」つまり季節が移り変わる節日を指し、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日に、1年に4回あったものでした。ところが、日本では立春は1年のはじまりとして、とくに尊ばれたため、次第に節分といえば春の節分のみを指すようになっていったようです。
立春を1年のはじまりである新年と考えれば、節分は大晦日(おおみそか)にあたります。平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師らによって旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事が行われていました。室町時代以降は豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展し、民間にも定着していきました。
京都ではこの時期、表鬼門にあたる「吉田神社」と裏鬼門にあたる「壬生寺(みぶでら)」の節分祭がことに有名で、厄除節分会の期間中は大勢の人でごったがえします。
豆まきの由来
節分には豆をまきますが、これは中国の習俗が伝わったものとされています。豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があります。昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っており、「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。
豆まきは一般的に、一家の主人あるいは「年男」(その年の干支生まれの人)が豆をまくものとされていますが、家庭によっては家族全員で、というところも多いようです。家族は自分の数え年の数だけ豆を食べると病気にならず健康でいられると言われています。
ただ、豆まきに使う豆は炒った豆でなくてはなりません。なぜなら、生の豆を使うと拾い忘れた豆から芽が出てしまうと縁起が悪いからです。「炒る」は「射る」にも通じ、また、鬼や大豆は陰陽五行説(「木」「火」「土」「金」「水」の五行)の「金」にあたり、この「金」の作用を滅するといわれる「火」で大豆を炒ることで、鬼を封じ込めるという意味があります。そして最後は、豆を人間が食べてしまうことにより、鬼を退治した、ということになるわけです。
(節分と豆まきの由来より。全文はリンク先にて。)
<豆は「魔滅(まめ)」で魔を滅する。>
ゴロ合わせのようなものとは言え、由来は非常に力強いものだったのですね。。。
節分にかけて政治的な話をしようかと思いましたが、
4回あったことに結構驚いてしまって、そちらに文章を割いてしまいました。
漢字の重要性や、言葉のもつ意味、この素晴らしさ。
そして由来を辿れる喜び、これこそが保守として守るべき伝統であり
先人たちからの何よりの贈り物だと思います。
恵方巻も、別には否定はしませんが、
バレンタインやクリスマス、最近で言えばハロウィンと同系統の話に思います。
それはそれ、楽しまれる方は楽しんでください。
ただ、節分という今日の日に、その由来を調べてみたり
二十四節季について学んでみることも、個人的にはお勧めしたいな、と思います。
なぜなら、それが日本を知ることにつながり、
誇りを持って生きて行くことだと考えるからです。
次の世代に、伝統を繋いでいくことになると信じるからです。
「なるほど!」と思った方、
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本エントリは、過去の記事を微修正したものになります。
【今日は何の日】節分の由来と意味(なんと4回あった!)
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【支援要請】戦うための、武器をください。
<シリーズ 今日は何の日>
このシリーズは、かなり堅苦しいです。
【今日は何の日?】グアム島守備隊玉砕の日【8月11日】
【今日は何の日?】葛根廟事件【8月14日】
【今日は何の日?】終戦の日・ポツダム宣言受諾【8月15日】
【今日は何の日?】神風特攻隊 敷島隊、突入に成功。連合艦隊、壊滅。【10月25日】
【今日は何の日?】ベルリンの壁、崩壊。共産主義者らの敗北した日【11月10日】
【今日は何の日】真珠湾攻撃・大東亜戦争開戦記念日【12月8日】
【今日は何の日】10年目の竹島の日【2月22日】
【今日は何の日】二・二六事件?国を愛したのは誰か?【2月26日】
【今日は何の日】憲法記念日、各党の談話の紹介と読み解き
コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)
選挙支援本当にお疲れさまでした。
「魔滅」で「豆」まきとは…
知りませんでした。このご時世、豆を撒かねばならぬ国政自民党議員は潔く他の自民党員のために離党ではなく、「辞職」を要求したいものです。
選挙取り組みシステムの違いではあるものの、公明党の「辞職」と差をつけられました。
「魔滅」はさすが日本で「鬼滅」ブームは平安・鎌倉からか…??
日本の風習は平安・鎌倉からのものが多いですが、平安・鎌倉時代(勿論もっと前から)にも天然痘や疫病が多く発生し、目に見えないウイルスや細菌を「魔」・「鬼」と目には見えねど禍々しくも存在することを体感していたのですね。
豆まきの「換気」神社の「手水」
他国にない「穢れ」ケガレの意識。差別に繋がると叩かれもしたが、正しい認識を持つべきですね。それが間違った認識から生まれる誤りを正せる元ですし…
詳しくは無いので、今でも皇居(宮中)で節分に「追儺」(豆まき起源?)は行われるのでしょうか?天皇陛下が国民統合の象徴として、国民を代表して「魔滅」していただいているのですね。
台湾にはオードリー・タンがいますが、我々に日本には祭祀の君である天皇陛下がおられます。そう考えると、世界中で比較的日本が大丈夫な理由、所謂「ファクターX」とは!!天皇陛下と言っても過言では無いはず???毎日のご神事に感謝です。
異国の風習(バレンタインやクリスマス)にうつつを抜かすから疫病が流行ると、物部氏のようなことは言いませんが、古来数々の疫病に勝ち抜いた日本の伝統文化!「豆まき」!
元は唐の国からきた風習(当時の先端テクノロジー)ですが、天皇陛下が洋装でお出ましになっても威厳が損なわれることが無いのと同様、1000年を超えて日本文化となった「豆まき」!
ウイルス・細菌と言った目に見えぬ「魔」・「鬼」だけでなく、心に潜む悪「魔」・「鬼」も節分の日に「豆まき」したいです。
豆知識!今年は124年ぶり2月2日が節分の日だ!2月3日じゃないぞ!日にち間違わないで!
爺は、小坪先生のブログではじめて、節分の由来と意味(なんと4回あった!)をしったのです・・・、まじで、恥ずかしい!脳内お花畑集団といわれている団塊の世代には、爺のような人が多いのかもしれません!
でも、今では、手の届くところに『令和三年 靖国暦』をおいてありまして、日々、今日は、何の日かな?と見開いて確認するまでになりました。すこしは日本人として覚醒できたかなともおもっています。
扨て、福岡 秀憲さんのコメントの豆知識に、今年は124年ぶりの2月2日が節分の日だ!とありましたが、靖国暦でも、節分になっておりました。爺にとっても、2月2日が節分として迎えたのははじめてです!
何百年も?受け継がれている節分の豆撒き。
日本古来の伝統が、今でも文化として残っている、ということは、過去に戦争は多々ありましたが、それなりに他国に侵略されたこともなく、平和な時代が長く続いていた証?
(消滅して忘れられた文化も多いとは思います)
ずっと大切に残していきたい。
という我が家では孫もいませんので毎年、文化とは言えない恵方巻をただ黙々と食べるだけですが…笑。
4節分あることは、知っておりました。
ただ、それが肌身にしみるほどのものであることがわかりだしたのは、つい数年前からですね。
新暦では、春はおおむね3月~5月、以下、夏、秋、冬と3か月ずつ分けるのが慣例のような感じになって久しいですが、この4節分は、旧暦の季節わけの日となるわけです。
そこから考えれば、節分の翌日の「立春」から、いよいよ春ということに相成ります。
このクソ寒いのに、雪さえ降っとるのに何が春かと言いたくなる人もおられようし、昔は私もそんな感じで不思議に思っておりました。
ですが、昔の人の季節感というのは、単に気温や肌の歓談だけではなく、その季節が始まって完成するまでの間というのが、例えば、春なら2月初めの寒い時期から、少しずつ目が息吹き、桜が咲き、そして若葉が生い茂るようになって、そこで、春の完成、そして、夏へ・・・といった感じだったのではないかと、最近ようやく思えるようになりました。
余談ですが、私がいた養護施設(現在の児童養護施設)での話ですが、1981(昭和56)年の8月8日、それこそ立秋の日に、小雨の中、プール開きが行われました。当時私は小6でしたが、こんな肌寒い中に何が悲しくて、と思って参加「させられて」いました(苦笑)。後にこの「節分」を知って、いくら夏休みとはいえ、とんでもない日にとんだ罰ゲームをさせられたような気分になったものです(それはつい最近改めて感じたことでもありますが~苦笑)。
ちなみにその養護施設は丘の上(といえば聞こえがいいが山の中)に移転して間もない時で、火事などの際の防火用水の貯水池としてのプール(ただし、幼児用)を作る必要があったため、このような設備を作った次第です。
長々とした駄文、失礼しました。
皆様のお役に立てれば幸いです。
勉強させていただきました。良いお話でした。
「魔滅」は現代漢語ではたしかに「mo2mie4 モウミエ」(数字は声調)と発音しますが、
(おそらく古語の発音も似たようなものと思われます)
中日辞典(小学館)、中日大辞典(大修館)、中国語辞典(大学書林)、角川『新字源』、
現代漢語詞典(商務印書館)、漢語大詞典には「魔」も「滅」もあるが、
「魔滅」という熟語としての記載なし、
古漢語常用字字典(商務印書館)には「魔」は記載なし「滅」はあり。
ここからいえることは、「魔」も「滅」も漢字であるが、「魔滅」は和製漢語である
ということではないでしょうか。
たとえば、「拉」も「致」も漢字だが、「拉致」は和製漢語というふうに。
漢字熟語については少し注意が必要です。
たとえば古典籍に「権利」という語は存在しますが「権」と「利」であって
現代の「権利」の意味ではない、というように。
節分ではないのですが、参考として「ぞろ目」の日について。
旧暦のぞろめの日即ち節句はろくでもない日だ。
その恐怖の避邪の日が後に楽しい行事の日になった。
元旦。火を使用しない。煮炊きをしない。おせち料理。
三月三日。流し雛。
五月五日。端午の節句。
七月七日。七夕。羽衣伝説。野良へ出ない。
九月九日。山へ避難する日。
奇数一・三・五・七・九は陰陽の陽である。
九月九日(きゅうげつきゅうじつ)。重陽または重九。陽月陽日。
九は陽数で吉祥・幸福・光明の象徴である。
九九は漢語の久久と同音で長久平安の意味。
重ねて長長久久とも。
明・清の皇帝の住居であった故宮の宮殿の間数も九千九百九十九間。
重陽を祭日にしたのはおよそ二千年前の東漢(後漢)の時代。
『續齊諧記』より。
――汝南の桓景(カンケイ)は仙人費長房に師事していた。
あるとき長房が桓景に云うには
「九月九日に、おまえの家に禍(わざわい)があるに違いない。
急いで逃げなさい。そのとき家族の人たちにそれぞれ、
五色の糸で縫いとりをした布で袋を作りそこに茱萸(シュユ・カワハジカミ)
を入れ、その袋を腕につなぎ(お守り袋)、高処に登り菊の花を浮かべた
酒を飲む、そのようにさせればこの災厄を逃れることができる」と。
桓景は言われたとおりにした。
夕方帰宅したところ家に残してきた雞犬牛羊みな突然死しているのを見た――
今の世の中の人が九月九日に高処に登るのはこれが始まりである。
「登高」という。茱萸の茎は薬用になり、五色は魔除けになる。
五月五日の吹流しも五色である。
九月九日憶山東兄弟 王維(盛唐699~759)
九月九日山東の兄弟(けいてい)を憶(おも)う
独在異郷為異客 独り異郷に在って異客となり
毎逢佳節倍思親 佳節に逢うごとにますます親(シン)を思う
遥知兄弟登高処 遥かに知る兄弟高きに登る処
遍挿茱萸少一人 あまねく茱萸を挿して一人(イチニン)を少(か)くを
私はひとり故郷を離れ他郷に身を置く旅人となっている
九月九日の節句がくるたびにいよいよ故郷にいる肉親のことを懐かしく思う
遠く離れていてもよくわかる。故郷の兄弟たちは今ごろ山に登り
みな揃って頭に茱萸をさしている中に、異郷にあるわたしひとりだけがいないのだ
王維十七のときの作。科挙受験のために家を離れていた。望郷の情である。
登高 杜甫(盛唐・712~770)
万里悲秋常作客 万里悲秋 常に客となり
百年多病獨登臺 百年多病(たへい)獨り臺に登る
艱難苦恨繁霜鬢 艱難はなはだ恨む繁霜の鬢
潦倒新停濁酒杯 潦倒新たに停む濁酒の杯
はるか故郷を離れてこの悲しい秋を迎えた私は常に旅人であった
一生のあいだ病気ばかりしている体で、今たったひとりこの高台に登っている
苦労を重ねて白くなったわが髪がつくづく嘆かわしい
ささやかな楽しみだった濁り酒ですら年老いて衰えた今やめなければならなくなった
東西南北の人、杜甫五十四。
成都を離れ病気がちの身で家族を連れ長江に沿って流浪の旅をした。
長江の限りない生命力を眼前に、九月九日の重陽、虁州にて老いた
杜甫はひとり哀しみに沈む。杜甫は肺がわるかったらしい。
「新たに」とは「最近~したばかり」即ち、最近酒をやめたばかり。
現在は知りませんが昭和30年代以前の私の出身地、長野県安曇野市では節分の豆まきという行事はありませんでした 理由はこの地は犀川という川を渡らなければならないですが其処には大量の川ガニが棲息しており鬼は挟まれるのを恐れ川を渡れなかったのです 豆まきはなかったのですが代わりに蟹を玄関に吊るす家もあったようです 今はこんな事を知っている人はいないでしょうが昔の変わった風習でした。
可愛らしい風習があったんですね。(◍•ᴗ•◍)
漢字は中国から伝えられたので、それはそれとして日本語には一つの言葉であっても、その中から色んな広がりを知る事が出来る言葉が沢山ありますね。「忌む」という言葉もそうです。避ける、遠ざける、嫌う感情を表し、忌まわしいとか忌むべき、または禁忌などにも使われます。節分の鬼は外〜の掛け声には忌まわしきを避け遠ざけると言う意味があるのではないですか。拙い私なりの解釈です。
いにしえの昔から単一民族国家であった日本には古くから伝えられてきた風習や伝統として残る祭り事、四季の移ろいや風土の中で培われて来た独特の文化、日本人だけにしか分からない感性があると思うんです。我々の国、日本は古来から単一民族の知恵だけで成り立って来た国です。その事に日本人はもっと誇りを持って、今こそ単一民族国家を守り抜く覚悟と意欲を持つべき時です。空気もあるのは当然でも清澄な空気を保つ為には努力が要るように。何かまるでグローバリズムがいいもんだみたいに世界的に持て囃されて来たけれど、蓋を開けて良く見てみたら、どの国も結局喰い散らかしされに来られただけの侵食に過ぎない。ヨーロッパもアメリカも、もう滅茶苦茶。
何故、共生を無理強いされなければいけないのか??
弱者のフリしながら人権が〜差別が〜と大声上げてる人達には要注意。必ず、もっと利権をよこせと言っているに過ぎないので人権だ、差別だと言われても怯む事など微塵もありません。アメリカがあんなふうになってしまったのを見ると、アメリカは多民族国家なのだから、いつかはあんなふうになる宿命だったのだとも思い、しかし、すっかりポリコレで言論封殺されていた素地が出来上がっていたからだと思います。民主主義は簡単に崩壊してしまったのです。アメリカでは、これからも言論の自由の封殺が社会に浸透して行くんでしょう。
フェイクニュースを垂れ流すな、ヤメロと言うのは言論の自由の封殺ではないですからね。
バイデン大統領は「中国ウイルス」や「武漢ウイルス」という呼称を大統領令で禁止すると言っています
https://news.yahoo.co.jp/articles/51dc0ca52c7fa5d1f442a76dd8a667f0b7ea1fa6
早速、始まってますよ。(関西人としては「何でやねん!!バシッ💢」で済む話なんですけどね。)
バイデンやおそらくはバックに居るであろう者たちの考えとしては、アメリカ英語からChinaやChineseといった言葉を消し去る意向を感じてしまいます。Chinaの代わりの国名を勝手に邪推するとすれば指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)に出てくる架空の国名である「中つ国(MiddleEarth)」を使うなどはありそうです。
私達は実は沢山の贈り物に囲まれていますね。
二十四節気をさらに分けた七十二候は、一年を七十二等分したもので、日本の気候風土にあわせて何度も変更されてきたもののようです。
その時期の兆しを教えてくれる言葉に、繊細な季節の変化を感じます。
“東風解凍”(はるかぜこおりをとく)
立春の初候をあらわす言葉に
美しさを感じます。
近場に梅の花が咲いています。
ほんのり春を感じて嬉しいです。
・「わたなべ」家では、その昔、鬼に勝ったとの言い伝えがあり、鬼を追い払う必要がないのでつ豆まきをしないらしい。身近な「わたなべ」さんにお聞きになってみてください。
・日本書紀に桃で鬼退治をしたとの記述があり、後に、節分の豆が桃のかわりになったとも言われています。
(https://ameblo.jp/kegarekami/entry-12086493189.html)
(https://ameblo.jp/sumumu/entry-11764621966.html)
桃は女性そのものとも言われますから、黄泉の国の鬼とそれを遠ざける桃という例えには、象徴的な意味合いがありそうです。その豆の本当の意味は女性の・・・、止めておきましょう(笑)
文春が、菅総理の息子さんと総務省の官僚とのズブズブ関係を暴露しました。ワイロもあります。
https://article.auone.jp/detail/1/2/3/136_3_r_20210203_1612336591413010
これ、政権がつぶれる?