【今日は何の日?】葛根廟事件【8月14日】


「今日は何の日」というテーマで時々、記事を書いてみる、第二回目になります。
祖母の初盆ということもあり、8月14日の23時に寄稿。
もう少し早く書くべきでした。

保守陣営を言われれば「あぁ、この日か。」と思いだすのですが、しっかりと刻み付けると共に振り返っていく行為に意味を感じたのです。

本日は、いつも巡回している知人のブログ、草莽崛起ーPRIDE OF JAPANより。
以下、リンクを張っておりますので、興味のある方は全文をお読みください。

【挿絵で振り返る「アキとカズ」】(19)ソ連軍が日本人1000人を虐殺した葛根廟事件を忘れてはならない2014.8.10 07:00

アキとカズ
「アキとカズ」第104回(挿絵・井田智康)

「ウソも100万回繰り返せば真(まこと)になる」とか、「1人殺せば殺人だが、100万人殺せば英雄だ」という。

産経新聞の連載小説『アキとカズ』の読者から、「物語の参考にしてほしい」と、1945(昭和20)年に制作されたソ連軍のドキュメンタリー映像を送っていただいた。

(中略)

ちょうど同じころ、ソ連軍によって約1000人の民間人が、虫けらのように虐殺された「葛根廟(かっこんびょう)事件」の生存者や遺族らでつくる、興安街命日会編の約600ページに及ぶ大作『葛根廟事件の証言』(新風書房)が発刊されるのを知った。

葛根廟事件については、時事通信解説委員長、日銀副総裁を勤めた藤原作弥(さくや)さん(昭和12年生まれ)をインタビューしたときに、詳しくうかがったことがある。

満州(現中国東北部)北部の興安街に住んでいた藤原さん一家は終戦の年の8月10日、突然、侵攻してきたソ連軍から逃れ、運良く“最終列車”に乗ることができた。しかし、同級生や近所の人たちの多くは徒歩での逃避行を余儀なくされ、同14日昼前、近郊のラマ寺院「葛根廟」近くで、ソ連戦車群に見つかってしまう。

その数約1300人。ほとんどが女、子供、老人である。非戦闘員の民間人に対して、ソ連軍はまったく容赦なかった。逃げ惑う人たちに戦車の砲撃を加え、キャタピラで蹂躙(じゅうりん)し、くぼみに隠れた人たちを見つけてはマンドリン(サブマシンガン)の銃弾を放つ。

先のソ連軍のドキュメンタリーにも、満州の荒野(大興安嶺)を行く戦車部隊、騎兵隊、マンドリンを携えた歩兵が突進する映像があった。こんな大部隊に「丸腰」の民間人が襲われら、ひとたまりもなかったろう。

阿鼻叫喚の地獄絵図は約1時間数十分にわたって続いた。もはや逃れられないと、覚悟を決めて自決した人を含めると、犠牲者は約1000人に上る。運良く、生き延びた子供たちの多くは中国人に引き取られて「残留孤児」となり、戦後も差別や貧困、重労働の苦難の日々を送ることとなった。

日本まで生還できた人たちはわずか百数十人に過ぎない。藤原さんは同書の序文で、「幼い頃から私には『ボクだけが生き残った』という後ろめたさが常につきまとっていた」と苦しい胸の内を打ち明けている。

葛根廟事件から間もなく69年。同書には、悲劇を目の当たりにした生存者の生々しい証言と詳細な記録が収録されている。この悪魔のようなソ連軍の所業を次代の日本人に語り継いでいかねばならない。さもなくば「世界平和のため」などという大ウソを信じてしまう日本人が出てこないともかぎらないではないか。

葛根廟事件(かっこんびょうじけん)は、1945年8月14日、満州国興安総省の葛根廟(現在の中華人民共和国内モンゴル自治区ヒンガン(興安)盟ホルチン右翼前旗葛根廟鎮)において日本人避難民約千数百人(9割以上が婦女子)がソ連軍および中国人によって攻撃され、1,000名以上が虐殺された事件。

草莽崛起ーPRIDE OF JAPANより「ソ連軍が日本人1000人を虐殺した葛根廟事件を忘れてはならない」

武力を持たないことを、私は恐ろしいことだと思う。
理系的なものの見方をしているのかもしれないし、個人的には珍しく文系的に考えてみたつもりでもある。

「丸腰」というのは、他者の邪な欲望をかきたてる場合があるのだ。
その事実は、人類の歴史を紐解くまでもなく、容易に証明されている。

例えば飲み屋町、繁華街で素っ裸で妙齢の女性が歩いていたとしよう。
かつ、その日は「警察がほとんどいない。」と周知されていたとしよう。
その女性の貞操が無事である保障は、服を着ていた場合より低いだろう。

情欲に例えてみたが、これは食欲でも同じである。
飢えた者たちの前に、なんの手当てもせず商品の食べ物を置いてみたとする。
貴方が一年を過ごすため必要な、大事な米だとする。
見張りもおかず、値札もつけず、警察力もない中で、だ。
時を経ずして、貴方の大事な食糧はなくなるだろう。

国家とて、同じなのだ。
国の家と書いて、国家。
家族には私が住む福岡県もいるし、沖縄県だっている。
その中に、私が市議を務める行橋市がある。

貧困にあえぎ、外貨獲得のため女性を出荷せねばならない状態や、国家としての経世済民を達成しうるため資源が必要であったり、とか。
肥大した人口に対し、食糧がなく餓死者が大量に出る、とか。

世界恐慌を経て、大国は飢え、植民地支配を苛烈に行い
ブロック経済をひき、そして、、、
こうなってしまったのだ。

我が国は、悲しいことにその策動に巻き込まれ、真っ暗闇の中、
ただ一筋の光を信じて、無謀と知りつつも刃を抜いた。

さて。
ソ連軍は、日本に侵攻した。
これは明確な国際法違反である。

なぜか。
それは我が国が疲弊していたからである。
我が国の軍が弱っていたからである。

当時、最強と恐れられた主力部隊は、兵装と共に南方戦線に送られていた。
ノモンハンをはじめ、日本陸軍は、ソ連軍を蹴散らしてきた。
日本が強かった時は、ソ連は襲ってこなかった。

国家が、衣服を剥ぎ取られ、裸体を晒したからこそ起きた悲劇でもある。
他国の欲望を、実行に移せせしめたのは、我が国の軍備が弱ったからである。

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公人として以下は「閲覧注意」(R16)とさせてください。
史実とは常に痛いものではありますが、小学生には読ませるには早い歴史です。
少し長いですが、責任ある大人はソビエトが、コミンテルンがどのようなものか、国家の暴力から目をそらさず直視して頂きたい。

【R16】日本軍は、国民を守った。

昭和20(1945)年8月9日未明、終戦を眼の前にして、突然一方的に日ソ不可侵条約を破ったソ連軍が、満洲地方になだれ込みました。
この日、満州の牡丹江省にあった石頭予備士官学校にも、早朝からけたたましい非常呼集のラッパが鳴り響きました。
校庭に全員が整列しました。

校長から「本日未明、ソ連軍来襲、目下交戦中」の非常事態が伝達されました。
3,600名の生徒は2組に分けられ、歩兵砲、機関銃隊1,600名は荒木連隊長の指揮下に、残り2千名は学校長の小松大佐のもとで東京(とんきん)城に布陣しました。

対する敵のソ連軍は、投下兵力158万人の大部隊です。
メレンコフ元帥が直接率いる主力部隊の第一極東戦線だけで、歩兵4師団、十二個狙撃師団、戦車二個師団、十五個国境守備隊、大隊砲3,500門、ロケット砲430門、戦車約1,000両、他に空挺部隊などを持つ、ソ連最強の大部隊です。

このときの戦闘の模様が、当時まさにその石頭予備士官学校の生徒であった高崎弥生氏の『実録 遥かなる回想』に記載されています。
すこし引用します。

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ついに候補生にも出撃命令が下った。いまこそ祖国のために一命を捧げる時が来たのだ。
かねて覚悟はしていたとはいえ、悲壮な思いが、ひしと胸に迫り、完全武装を急ぐ手が震えた。

一瞬、故郷の父や母の顔が瞼をかすめた。
「長い間お世話になりました。国のため、先立つ不孝をお許しください」
おそらくこれが今生の別れとなろう。
こみあげる熱い思いをぐっとこらえ、私はひそかにわかれを告げた。

「悠久の大義に生きるを本文とすべし・・・」
死ぬことだけを教えられた日々・・・今こそ祖国のために一命を捧げるのだ。

東京(とんきん)城方面へ行軍中、避難の在留邦人達がトラックに満載され「お願いしま?す」「頑張ってくださ?い」、悲痛な声で叫びながら、祈るようなまなざしで次々と通り過ぎて行った。
軍隊を唯一の頼みに、すがりつかんばかりの必死の叫びに、胸をしめつけられるような、全身に激しい闘志と責務に奮い立った。

夜を徹して駆け足行軍が続き、翌未明、「隘路口(あいろくち)」到着。
敵戦車を迎え撃つべく、一文字山峡に布陣。
正午ごろ、山麓の川辺で大休止となり、石頭出発依頼、満足に食っていなかった私達は、やっと米にありつき、久しぶりにハンゴウ炊きをしながら、熱くてたまらず、一緒に水浴びをしていた。

そこへ突如、山陰から飛来したソ連機が攻撃してきた。
爆弾が落下、大地を揺るがす轟音とともに砂塵が吹きあがった。
いましも湯気のあげるハンゴウに敵弾が命中。
川面に機銃掃射のしぶきがあがり、静かだった山峡はたちまち戦場と化した。

軍服をまとう暇もなく、慌てて身を伏せた。
重機関銃の傍らにいた私は、対空射撃の命令とともに、素裸のまま機関銃発射の握把をとった。
真っ先に狙われる重機関銃。
しかも初陣に素っ裸とは・・・。
死ぬにも死ねない気持ちが先に立ち、不思議と怖さはなかった。

乏しい弾薬とみて、おもいきり低空へ降下してきた敵機から、乗りだすような敵兵めがけて、夢中で発射。
「小癪な!撃たれる前に撃ち落とせ!」
体内の血が逆流し、炎のような闘志が全身に煮えたぎった。
「敵弾よ、それまでは当たるな!」
必死に祈りながら、ただもう懸命に撃ち続けた。
武器弾薬欠乏と思いこんでか、思いもよらぬ対空射撃に驚いた敵機が山蔭にかくれた隙に、ただちに部隊は出発。この戦闘で、青木中尉他、多数の死傷者が出た。
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重機関銃というのは、重さが50kgもあります。
その重機関銃を、担いでの駆け足行です。
当時の関東軍は、必要な武器弾薬兵器を南方戦線にことごとく送っていて、いわば案山子(かかし)軍団状態でした。そのなかで、わずかに残った重機関銃です。弾薬も僅かしかありません。

ちなみに、この戦闘の直前まで、日本は満洲のインフラ整備のために、ダムや道路、鉄道線路の敷設をしています。つまり、歩兵銃を含め、当時の満洲に残った関東軍に残されていたのは、不十分な武器、弾薬以外と、工事用のダイナマイトくらいしかなかったのです。

こうした状況を掴んだ上で、ソ連軍は158万の大軍を投下してきたのです。
互角の装備では、日露戦争や、それ以降の国境付近の衝突事件等で、ソ連兵はコテンパンにやられていました。それだけ彼らは日本軍が怖かったのです。

東京(とんきん)城方面に向けられたソ連軍は、航空部隊や戦車部隊を含めて約50万の大軍です。
これを、歩兵銃の弾もろくにない、重機関銃の弾薬さえも欠乏している石頭予備士官学校の生徒たち3,600名で迎え討ったのです。
続けて引用します。

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事態は急変した。敵が近くまで迫ってきたのだ。
支給された爆薬は、ランドセルくらいの大きさで、中にはダイナマイトがびっしり詰まり、30cmくらいの導火線がついていた。いわゆる「急造爆雷」である。

その先にマッチ棒を3本、木綿糸でしっかりとくくりつけた。
敵戦車が接近したらマッチ棒をすって点火させてから、爆薬を抱えたまま全力疾走で突っ込む作戦である。

点火後、3?4秒で爆発する。
これを「対戦車肉迫攻撃」といい、略して「肉攻」と呼んだ。

敵は明朝になれば必ず攻めてくる。
来ればどうなるかは、もう誰もがわかっていることだ。
あと数十時間の生命である。
蛸壺のなかに寝転んで暮れゆく空を見上げていると、なぜか故郷のこと、母のこと、兄弟のこと、幼いころのこと等が次々思い出されてくる。

8月13日、代馬溝陣地を突破したソ連重戦車が、ついに磨刀石にその姿を現した。
地面を揺るがせながら、道路を一列になってゆっくりと我が陣地内に侵入してきた。
この道路の両側には、草や小枝で擬装した蛸壺の中に「急造爆雷」を抱いた候補生が潜んでいた。

戦車が近づくと、次々と「先にゆくぞ」と叫んで、敵戦車に突入して行った。
戦車には自動小銃を構えた歩兵が随伴していて、蛸壺を見つけたら、中に潜む肉攻手を狙い撃ちするので、飛び込むまでにやられる者もあれば、同時に爆薬が炸裂し、敵もろとも吹き飛ぶ壮絶凄惨な戦闘が始まった。

味方の重機関銃も猛然と射撃を開始し、小型迫撃砲も一斉に発射された。
この重機関銃陣地をつぶそうと、敵の戦車砲、機関銃が集中砲火を浴びせてくる。
後方の高台に布陣をしている友軍砲兵が援護射撃を開始し、榴散弾(りゅうさんだん、弾の中に多数の散弾がつめてあり、炸裂して人馬を殺傷する)を浴びせかける。

敵は炎上する戦車を道路下に突き落として、次々と進撃してくる。
蛸壺の中では、爆薬を抱えた数百名の候補生が息を殺して潜んでいる。
やがて、肉攻壕の土が、ボコボコと戦車の地響きで崩れ始める。
耳を聾するキャタピラの音、重油の焼け焦げる匂いが胸をつく。

敵の随伴歩兵がトラックから降りて、自動小銃を構えて、戦車の周りに見え隠れして続々と向かってくる。
ソ連兵の自動小銃が肉攻壕を狙えば、肉攻手は、即座に自爆だ。

重機関銃隊が、銃の偽装の小枝をそっと払った。
たちまち味方の重機関銃がうなった。榴弾筒部隊も発射した。
20数名のソ連兵がぶっ倒れた。

ひるんだ敵の歩兵が戦車から退いて行った。
肉攻手が爆弾を抱えて踊り出た。
ひとりの肉攻候補生が、蛸壺を飛び出すと、爆雷を道路に置いて伏せた。
ソ連戦車は急ブレーキをかけて爆雷の3メートル手前で停まった。
候補生は、ほふく前進して爆雷を戦車の下に押し入れようとした。

戦車の直前で、爆雷は轟音を発し、半身は高さ20メートルまでも白煙とともに砕きあがり、鮮血を撒き散らしながらぐるぐると回転して、またもとの位置に落下した。
東満洲の軍都、牡丹江の防衛最前線として磨刀石に布陣した石頭予備士官学校候補生の、ソ連戦車体当たり戦法は、こうして開始された。

またひとり、小さな体で四角い爆薬の包みをかかえて飛び出していく。
一瞬、ものすごい閃光がひらめき、白焔が戦車をつつむ。
そして、またひとり・・・
突然、戦車の砲頭の下から吐き出す紅蓮の火炎に巻き込まれ、すさまじい轟音とともに自爆した。

(中略)

梅津中尉は、もはや組織的な戦闘は不能と判断し、生存者を集めて、後方の山中に入り、脱出した。
8月15日、掖河(えきか)の本体にたどり着いたときは、磨刀石出撃時に750名いた猪俣大隊の候補生は、わずかに105名になっていた。」
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昭和20年8月9日、ソ連が突如として日ソ不可侵条約を破棄して日本に襲いかかったとき、当時のことについてよく聞かれる戦後左翼のデタラメのひとつに、
「軍隊はソ連軍がやって来ると、日本人の市民をほったらかして逃げた」という、とんでもない侮辱があります。

多くの兵隊さんがお亡くなりになっている中にあって、同じ同胞に対してこれほど酷い侮辱を与えるというのは、日本人のすることではありません。

当時の満州には、戦時徴用のために、日本人の男性はほとんど南方戦線に送られてしまっていました。
残っていた男子は、ごく少数の上にご紹介したような予備士官学校の生徒さんや、一部の日本人警備兵、それと(ここが大事なポイントですが)終戦間近になってやっと徴兵されるようになった朝鮮人兵でした。

ソ連軍がやってきたとき、戦うべき兵士たちは、内地からやってきた日本人の正規兵たちだけで編成されました。
数十倍の完全武装し圧倒的火力を持った敵を相手に、ごく少数の兵で戦うのです。
そのために必要なのは、兵の練度です。素人集団では、悪いけれど足手まといになるだけなのです。

なぜ戦わなければならないかも明確です。
同年同年8月14日には、葛根廟事件が起こっています。
この事件は、満州国興安総省の葛根廟(いまの支那の東北部のモンゴルと国境を接するあたり)というとろこで、戦災からの避難のために集まっていた日本人婦女子千数百人がソ連軍によって攻撃され、千名以上の婦女子が虐殺されたものです。
簡単に言えば、被災地にある女子供ばかりの避難所を、ソ連軍が襲い、全員を虐殺したのです。

当時の西洋の戦線では、戦いに負ければ婦女は徹底的に陵辱されるのが常識でした。
そもそも有色人種は「人」でさえなかったのです。
ですからなにがなんでも、婦女子を逃がさなければならない。
そのためには、戦える能力を持った者で戦い、なんとかして敵を足止めして、その間に婦女子たちを逃がさなければならない。

そういう戦いを、ごくわずかな少数の兵で大軍を相手に行うとき、練度の低い兵は使い物になりません。
まして朝鮮兵は、その年の初夏にようやく徴兵されたばかりです。彼らは体格もよく、日頃はきわめて勇ましくて生意気だし威張り散らすけれど、いざホンモノの敵弾が飛んでくると、すぐに「アイゴー (???)」と叫んで銃を捨てて逃げてしまう。使い物にならないのです。

大昔の刀による斬り合いなら、個人の腕力が強いことや度胸があることがものをいいます。
しかし第二次世界大戦の頃には、戦いは銃や砲弾が用いられています。
そういう戦いで、しかも寡兵でたくさんの兵を相手に戦わなければならないとき、ものを言うのは、なにより責任感です。どんなに腕力が強くて度胸があっても、責任感のない者には、本当の戦いはできないのです。

このことは、朝鮮人を侮蔑するとかそういうことではありません。
非常事態には、それにもっともふさわしい対応をとるしかなかったというだけのことです。

朝鮮半島の日本の統治は、はじまってまだ36年でした。
まだまだ李氏朝鮮時代の無教養な社会が色濃く残る彼らには、後の世の新しい朝鮮、責任感あふれる朝鮮を築いてもらいたかったし、民族的特徴というのは、個人の資質云々の問題とは違うのです。
99%の兵がまっとうな日本男児としての薫陶を受けた強兵であっても、のこりの1%が、あるいはたったひとりがアイゴーといって逃げ出したら、全軍が総崩れになる。それはギリギリの戦いをするとき、最も避けなければならないことです。

ですから、北満州にソ連軍がやってきたとき、日本軍は、兵舎に朝鮮人兵だけを残し、内地の日本人兵だけで迎撃に向かいました。
ちゃんと責任をまっとうできる朝鮮人の幹部将校に、街を守ること、婦女子を無事に逃がすことを託して、内地兵だけで戦地に赴いたのです。
そして日本人の内地兵たちだけによる戦いの様子のひとつが、上にある石頭予備士官候補生たちの戦いでした。

↓続きは以下をクリック↓
責任感のある朝鮮人の幹部将校は、朝鮮人の兵隊に暴動を起こされ殺されます。
暴徒と化した元日本軍(朝鮮人)が何をしたかもお読みください。
歴史は、嘘をつかない。
日教組が消した歴史から、大人は目を背けるな!
ねずさんのひとりごとより、「北満州の戦いと石頭予備士官候補生たち」

さて。
他国が欲をもったとき、その前で衣服を脱ぎ捨てる行為がどれほど危険かおわかり頂けたでしょうか。

この場合の国家の衣服とは、軍であり、国家の威信である。
誇りをもたねばならない。
「自衛隊に反対する、日本共産党」は、当時は「コミンテルン日本支部」であったことも付記しておきましょう。

国家の治安を守る法律があったのですが、治安上よろしくないということで逮捕されていたようですが、当然のことではないでしょうか?
上記は、当時を生きた日本人は知っていたことなのですから。

武力を持たないことを、私は恐ろしいことだと思う。
「丸腰」というのは、他者の邪な欲望をかきたてる場合があるのだ。
その事実は、人類の歴史を紐解くまでもなく、容易に証明されている。
そうだ、日本の蹂躙された歴史が証明しているではないか。

のち、ソヴィエトは国際法に基づかず北方領土を占領。
現在も継続中。
世界同時共産主義革命を掲げた、共産主義者たちは。
日本の領土が欲しかったのさ、分割統治したかったんだ。
その欲望は、我が国の衣がほころんだ時、露わになった。
それだけだ。

守り切れなかった。
多くの婦女子を守り切れなかった。
軍備がなかったからだ。
悔しかったろう、武器がなかったことが。

「復員」(日本に戻ること)がどのような状態であったか、戦火の女性がどのような扱いか知るには「二日市療養所」で検索してみてください。

ここまでして、日本の兵たちは、日本人を守った。
軍は国民を守った。

しかし
守られたことを、国民は知る術がなかった。
GHQはプレスコードと称し、我ら国民に伝えなかったからだ。
戦後、政治をほったらかした大人たちが、日教組・共産党の跳梁跋扈を許し、教科書から歴史が削り取られてしまったからだ。

戦後、コミンテルン日本支部こと、日本共産党らは、歴史を改ざん。
伝えるべき歴史を少しずつ削り取っていった。

残念だったね、左翼の諸君。
俺たち若手の技術者たちは、英語をはじめ各国の言葉ができるのさ。
君たちの好きなグローバルのおかげだ。
そして資料を読み込むことができ、ネットツールのおかげで発信することもできる。

はっきり言おう、資料にも基づかず、「よくないよくない」ぐらいの低レベルなディベートテクニックで、鉄火場のような現場を回り、君ら大人が我らに用意した「競争社会」を勝ち抜いてきた人間に。
勝てると思ってるのか?
どんな場外乱闘にも付き合ってやろう。

私たちには、暴力にも脅しにも屈しないタフさがある。
肉攻の恐怖を乗り越えた、若き候補生たちがいるんだ、その歴史に触れた今。
私たちは逃げるって選択肢がないんだよ。
これが国家を愛する者の誇りであり、それを持つ者の強さである。
国家を愛するとは、彼らのように弱き民のため、全てを投げ打つ覚悟である。
弱くてはならんのだ。
国家も政治家も、弱くてはならんのだ。

いま一度、言おう。
武力を持たないことを、私は恐ろしいことだと思う。

今日は何の日?
8月14日、葛根廟事件。
若い候補生らが蹂躙され、それでも必死に守ろうとした日。
国家の衣が大事なものだと再認識させられた日。

行橋市議会議員 小坪慎也 拝

 
 
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