12年前の10月4日、中川昭一先生の急逝が報じられた。本年は、折りしも菅内閣の退陣、そして岸田内閣の発足した日となった。
12年、もう12年になるのだ。干支が一回り。亡くなったのは平成21年10月3日のこと。
急報に接し、様々な立場の者が、それぞれの覚悟を抱いた。
あの日から、どれほどのことが起きたろう。
自民惨敗、民主党政権樹立。
迫りくる闇法案、建て直しを図るべく鼓舞するネット保守陣営に、急報として入った訃報。
私はあの日を忘れることができません。
一歩を踏み出す勇気を、心に宿した日のことを。
春が来て、夏になり、秋が訪れ、冬となり。
谷垣総裁の元、一丸となって戦った時代を経て、
何度目かの秋。
政権奪還の衆院選、安倍総理の誕生。参院選での、本当の政権奪還。
ネット保守と、政治家が最も身近であったろう、時代。
安倍政権が誕生、そして戦後最長の総理となった。
菅内閣が退陣、岸田内閣が始まった。中国をはじめ周辺国における不安は、年々厳しくなっている。これからの日本はどうなっていくのか。
どうしても今日は、考えてしまう。
あの人が生きていてくれたなら、と。
中川さんに笑われないように、頑張ろう。
あの人が、天国で美味い酒を安心して呑めるように。
※注
タイトルにおいて、また記事中の一部においても中川昭一と敬称を略して表記しておりますが、これは「存在」としての中川先生を示した表記です。
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(OGP画像)

[su_heading size=”30″]平成21年10月3日[/su_heading]
中川先生が亡くなった。
発表は明けてのことだったろう、報道は4日のことであった。
あの時代がどのような時代であったか。
いまから平成21年(2009年)、11年前のことである。
もう11年、なのか。
たった11年なのか。
僅か数年前のことと言うこともできるし、遥か昔のことのようにも思う。
[su_box title=”ダボス会議と酒飲み会見” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
日本を救う、世界を救う。
経済に主軸をおき、リーマンショックから回復基調を見せた麻生政権。
真骨頂たるあのダボス会議において、
世界中から賞賛されたダボス会議だが、
日本国内において「のみ」、徹底的に叩かれた。
私の記憶になるが、会議終了後の会見であり、
しかも会見前に「うまく行って良かったですね」と酒を飲ませたのは、読売新聞の女性記者であったと思う。
(コメント欄でのご指摘ありがとうございます。)
その名は越前谷知子。
[/su_box]
[su_box title=”中川昭一、落選。” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
現職の閣僚が落選。
比例復活もならず失職。
民主党に拠る「政権交代の象徴」かのように、その落選は徹底的になじられた。
偏向報道どころではなく、実際には捏造もあった。(バチカンの証言など)
落選してまで、現職を退いてのちもなじられ続け、その名は徹底的に汚され続けた。
[/su_box]
[su_box title=”落選の報” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
耳を塞ぐばかりの、落選の報。
木原みのる、落選。
赤池まさあき、落選。
中山なりあき、落選。
西川きょうこ、落選。
臼井しょういち、落選。
総裁であった、麻生総理をなじり続けるテレビ。
笑顔であった麻生さんの、あのような顔は初めて見た。
あのような顔をさせてしまったのだ、私たちは。
[/su_box]
[su_box title=”政権交代” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
報道の圧倒的な戦力の前に、保守勢力は敗退。
自民党は惨敗し、麻生政権は潰えた。
9月16日、民主党による鳩山内閣誕生。
悪夢の時代の、始まり。
[/su_box]
[su_box title=”一歩、前に。” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
ネットのみの活動から、一歩前に。
一部のネットユーザーは、手探りで麻生選挙を支援。
党本部もこれに答え、ギャンブルパンフなどが作成された。
リアルのノウハウを持たぬネット支援者たちと現実の事務所は、各所で不幸な衝突も見せた。
両者が手探りの中、連携を模索した時代。
その報は、もたらされた。
保守の希望の星、中川昭一の急逝。
誰もが言葉を失った。
[/su_box]
[su_box title=”10月4日、訃報” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
このタイミングでの訃報であった。
ネット保守、指揮官級すらも言葉を失い、陣営を鼓舞するどころではなくなった。
民主党政権の成立を受け、折れ切っていたと思った心は、
完全にバラバラになった。
[/su_box]
[su_box title=”崩壊するネット保守” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
「麻生政権を守ろう!」
民主党への危機感から、ネット上でも「リアル活動の重要性」が盛んに議論されていた。
ポスティング等のリアル活動が提唱され、小さな一歩を踏み出したばかりのネット。
よちよち歩き、やっと政治を学び始めたばかりのネット保守派は、意気消沈。
組織化もままならず、崩壊するやに思えた。
web空間では、夢も希望もないとの嘆きが溢れかえった。
あの時、現場指揮官らは、覚悟をもってそれぞれの戦線を維持。
崩壊しそうな戦線を、「足並みを崩すな」「戦おう」と、自分自身も泣きたい気持ちを抑え、周囲を鼓舞していった指揮官たちの姿がそこには在った。
名もなき者の、身を捨てた戦い。
私も小さな戦線を支える一人であった。
[/su_box]
[su_heading size=”30″]2009年、政治とネットとメディアと。[/su_heading]
平成21年を、多角的に振り返る。
[su_box title=”偏向報道の年” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
カップラーメンの値段、漢字クイズ。
いま思えば凄まじくどうでもいい話で「いつ解散ですか?」とメディはがなりたてた。
ネットがある程度の監視機能を有する「11年後のいま」とは異なり、
あの年は、偏向報道が最も激しい年であったようにも思う。
[/su_box]
[su_box title=”メディアが政治を倒した年” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
構図はこうだ。
メディアによる攻勢により(敢えて言わせて頂くが)「民度の低い層」を徹底的に狙い、支持率から見て「勝てる算段」をつけた上での「解散風」のように感じた。
その武器として「現金あげますよ」という子ども手当は有効な手段であった。
私が「民度の低い層」と、政治家にあるまじき発言をさせて頂いたのは、ここに起因する。
政治は、メディアに敗北した。[/su_box]
国の予算規模は膨大ゆえ、なんでもできそうな気はする。
だが、もともとは皆さまが納税したものであり、過大なサービスを提供すれば税金があがる。毎日、コーヒー1杯を節約すれば、数千万円もするスーパーカーがもらえるみたいな話。
考えればわかりそうなことを、身勝手な大人たちは無責任に信じ、
当時、選挙権もなかった10代の子供たちの未来を叩き潰した。
あの時の大人たちは、皆、次の世代への加害者だ。
確かに「メディアに騙された」被害者でもある。
だが、最終的には、投票の合算で決していることは事実であり、加害者となっている「罪」をなかったことにはできはしない。
私たちは、ネットを含め、必死に戦った。
だが、勝つことができなかった。
敗北したという意味では、私も次の世代への責任はある。
[su_box title=”メディアの罪が問われなかった年” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
解散権は、首相の専決事項である。
あたかも「明日、解散」「すぐ解散」と報道したことの「罪」は、問われたのだろうか。
就任直後より連日解散と言われ続け、結果として、それらの報道はすべてが誤報であったのだ。
あの罪は、ネット不在の中、誰からも責められることはない1年であった。
[/su_box]
[su_box title=”ネットの敗北” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
リアルとの接点をうまく見出せぬまま、
ネット上の支持層と政治は、スムーズな連携を取れたとは言い難い。
連携不足もあっての、ネットが敗北した年とも言える。
リアルでの動き方がわからずノウハウ不足による部分も大きかった。
例えば選挙の支援方法、リアルでの動き方がわからない等。
頭数は相当に揃えども、指揮官をもたず組織化されていないというネットの特性が、逆に弱点となった側面もある。
[/su_box]
希望。
小さな萌芽。
[su_box title=”手探りが始まった年” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
メディアの力の前に、屈した。
政権交代は、起きてしまった。
対民主党政権、対闇法案。
組織化の必要性が叫ばれ、リアルとの連携が模索されていた。
これは自民党側においても、またネットにおいても同様であった。
両者のすれ違いは続き、求めあう手が握りあうことは難しかった。
ネットと政治が、実務的に交わり始めた年であった。
[/su_box]
[su_box title=”自民党の内紛の年” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
麻生さんも辛かったと思う。
「漢字が読めないから落選させられた」「中川が酒飲みだから落選させられた」
落選してしまった議員自らが言ったわけではないが、支持者からは怨嗟の声。
無論、中川先生への批判も。
本来は責任を問われる必要のない者たちが、敗北の責任を問われ続ける恰好となった。
中川先生自身、恐らくは散った同僚議員たちへの贖罪の意識に悩んだのではないか。
特に選挙前においてだが、自民党の内紛が報じられた年でもあった。
[/su_box]
[su_box title=”ネットの疲弊” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
瞬発力においては類を見ない強さをもつが、
継続性については弱さも見せるネット。
継続しての行動、国籍法からダボス会議、続く麻生選挙。
疲弊しきっていた。
私生活もあり、その上で「ちょっとネットも」という負荷ではなかった。
意外に思うかも知れないが、当時のネット空間は今とは相当に異なる。
議論の深化という意味では現在のほうが進んでいるかもしれないが、当時は「極めて実務的なこと」を行っていたチームが複数ある。
野党自民とネットは、各所で固く手を握りしめており、ネット発の国会法に基づく請願も複数が展開。実際に提出し、委員会付託まで持ち込んでいる。ロビー活動の実務面では、現在よりも遥かに進んだレベルであった。
ただし、参加人員としては(いまに比較して)少なく、
各個々人にかかる心理的負荷、肉体的な負荷は、膨大なものとなった。
倒れる者も続出した。
ただの一発の弾も、絶対に通せぬような事案ばかり。
様々なものを犠牲にし、多くの者が前に立った。
長く持つような、そのような体制ではなかった。
[/su_box]
[su_box title=”葛藤と苛立ち、小さな一歩。” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
自民の内紛をメディアはクローズアップ。
連携の必要性が、政治側・ネット側から模索される最中、
ネット保守層は、自民党支持者と一部において対立。
実際の政策上の実績を知るネットは、麻生・中川を高く評価。
ネットは、メディアの偏向を批判。
麻生・中川を(報じられぬため知らなかった)自民支持者と溝を深めて行く。
思えばこれすらも作戦であったのか。
疲弊しきった状態で見せられた自民党の内紛劇。
心を折るには充分であった。
葛藤、そして苛立ち。
多くの者が、去って行った。
しかし。
リアルとの乖離、ここにネット保守層が疑問と悩みを感じつつ
衝突しながらも距離を縮めはじめた年であった。
ネットとリアル、その始まりの年でもあった。
[/su_box]
私自身もその末端として、双方の橋渡しを模索した一人であった。
FBという実名SNSが登場する以前に、政治専用SNSを開設。
最盛期は年間20億PVを達成、自民党の支部長を公式アカウントとして迎えるまでに至った。
(webからDLする方式の、国会法に基づく請願はこの際に多用された手法)
[su_box title=”小さな芽” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
一部の保守活動家は、これを機にリアルとの接点を模索し始めた。
結果としてweb上からは「前向きに」一時引退した者もいる。
リアルのロビイストとなっていったのだ。
私もその一人であるが、地方議員選挙を戦った者も多い。
このとき、小さな芽は育ち始めた。
[/su_box]
ネットとリアルの融合、双方が模索を始めた瞬間。
折れかけた心を必死の思いでつないでいた、あの日。
中川昭一というヒーローを失った。
無論、現実世界での評価は高い、
のみならず、ネットでは偶像化された、
すでに神格化とされたと言ってもいい英雄であった。
今後のこと、体制の再構築。
ぼろぼろの保守陣営を見るに、誰しもが言葉を失った。
そのような全体のことは、どうでもいいとすら思ってしまった。
ただ、何より悲しかった。
30歳を過ぎて、はじめて泣いた。
[su_heading size=”30″]失ったもの[/su_heading]
麻生選挙は、負けていない、とそれでも言いたい。
結果が全てであるが、実は負けたとばかりも言えないのだ。
それは安倍選挙が「勝った」とは言えない、深刻な状態を示すものでもある。
[su_box title=”喪失した経済政策” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
若者を思い、トリクルダウンとは真逆の舵をきったのが麻生内閣であった。
その経済政策は、財務大臣 中川昭一の手によるものであった。
麻生選挙は惨敗した。
結果、それらの政策的な方針は、国民の手により完全に葬られた。
中川昭一の死と共に。
[/su_box]
[su_box title=”新自由主義の台頭” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
同じ方針を、あれほどの結果を前に、再度、提示する賭けはできない。
結果、経団連に迎合したかのような政策に縛られることとなった。
今後の自民党政権は、(メディアの)スポンサーを、ある程度は喜ばせるような運営しかできないだろう。
長期政権を目指すことが国益と同一視できる以上、残念ながら構造上の問題となってしまっている。
中川昭一が不在であり、構造改革路線の総括ができぬまま今を迎えてしまったためだ。
[/su_box]
[su_box title=”麻生内閣の得票数” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
数字をこの場で調べる余力がないため、詳しくは調べて頂きたい。
恐ろしいことがわかるだろう。
麻生選挙は、負けたとも言えなかった。
一丸となった、リアル保守陣営・ネット保守層の献身的なまでの支援は、確かに数字に結び付いていた。
得票だけで言えば、最高とも言えるほどの得票を得ている。
安倍選挙の得票は、実は、比較すれば低い。
差は、野党が民主党に一本化されていたか、
もしくは少数野党に分断されていたかの差に過ぎない。
麻生内閣も、そして中川さんの経済政策も、数字として確かに支持されていた。
(年表にして数字にすると、実は保守も票を落とし続けていることに気付くと思う。)
政権奪還を含め、その後の衆院選は「野党がバラけていた」か否か、に過ぎない。
これが小選挙区のマジックである。
[/su_box]
[su_box title=”これからの日本” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
安倍内閣の続投を支援します。
しかし、その軌跡は、一部において新自由主義の味がするのだろう。
安倍政権の長期化をもって、国内は安定するだろう。
産業なども活発化するだろう、しかし、その先はどうなのか。
あの時、私たちが麻生さんを守り切れなかったことによる「打撃」に対し、これで間に合うのだろうか。
野党自民を率いた、谷垣総裁も引退した。
当時は「種」に過ぎなかった私たちは、しっかりとした「芽」になれたろうか。
保守の政治家の後進は、果たして育っているのだろうか。
この判断は、私はいまだ持ちえない。
[/su_box]
どうしたらいいんだろう、
もういない方に問うのは間違っているのだろうが、どうしても今日は、中川さんのことを考えてしまう。
これからの日本を、どうしたらいいんだろう。
あの時、真夏の麻生選挙、私は必死に戦った。
皆も必死に戦った、だけど足りなかった。
あの時、あの時、もっと。
悔やんでも悔やみきれない。
一分もない動画だ、これで思い出すと信じる。
それとも思い出すのはこちらでしょうか?
続編、である。
激戦区に投入された、新米ネット保守、小さな戦線を支えた思い出話。
覚悟を決めたあの日、私たちの戦い。
政権奪還、参院選の勝利、安定政権へ。
美しい野党自民と共に戦線にあったことを、ただ誇りに思う。
祭りの後、私は引退を決意。
(のち私は復帰し、いまに至る。)
私たちが支えた野党自民、その指揮をとったのは谷垣総裁(当時)であった。
政権奪還が確実視される中、石原幹事長が後ろから撃つ。
政治の「当たり前」を見せられ、私は【与党自民に想像される変化】を知った。
引退の決意、その構図は、維新の志士が明治政府への合流を拒否、田舎に帰るようなものである。
あの日から12年。
日本は、どうなったのか。
「与党だから」という理由で、仕方のない話もある。
わかっている。
だけど、私の愛した野党自民は、もういないのだということを
政権奪還を果たした喜びとともに、寂しくも思う。
そしてあの訃報に接し、涙を流した友たちは、今日をどう過ごしていくのか。
覚えていますか、中川先生の急逝を知った日のことを。
日本のために身体を張った男を知り、
それぞれの立場で、様々な者が覚悟を決めた日です。
我が国の上空を何発ものミサイルが飛んでいる現在。
中川昭一が生きていたら、なんと言っただろう。
どうしても今日は、考えてしまう。
次期総理候補として、あの人が生きていてくれたなら。
盤石の、これからも続く自民を、もっと愛せただろうと・・・。
中川先生、貴方の最後の原稿、私が著作権(使用権)をお預かりしました。
当時、現職でもなかった私には、極めて重たいものでした。
中川先生、いまの日本を先生はどう見ておりますか?
私たち、若手はちゃんと仕事ができているでしょうか?
中川さんに笑われないように、頑張ろう。
あの人が、天国で美味い酒を安心して呑めるように。
静かに心の中で手をあわせ、
一歩を踏み出す勇気を心に宿す者は、
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地方自治体とは違い、国の予算は税金が原資ではありません。
『税収以上の支出は出来ない』
この誤解が、国民を窮乏化させる緊縮財政や新自由主義が謳う「改革」を
20年以上も継続させてきました。
正しい国家観があっても、誤った貨幣観では、国民を護れません。
あの時、あの頃、リーマンショックと呼ばれた世界的な経済危機、世界恐慌が韓国の産業銀行の腹黒い画策から端を発した事と、中川さんの朦朧会見ばかりを繰り返し、繰り返し取り上げて、日本の汚らわしいマスゴミは日本がIMFを救った事を意図的に日本国民には知らせなかった。そして日本は民主党政権の泥沼へと引きずり込まれて行った。そして日本はあの屈託のない笑顔の大切な素敵な中川さんを失った。無念を言い表す事は出来ない。
🔻日本政府とIMFとの関係・2 中川昭一とストロスカーン
https://nekotomo.at.webry.info/201210/article_16.html
2012/10/16 13:59 0 0
IMFについて語る時、自民党麻生政権時代の故中川昭一財務・金融大臣を思い出す。今にして思えば、政治家としてこれだけの国士はいなかった。あらためて中川氏を再評価したい。
IMF拠出で署名=過去最大の1000億ドル-中川財務相
【ローマ13日時事】中川昭一財務・金融相と国際通貨基金(IMF)のストロスカーン専務理事は13日、日本政府がIMFに最大1000億ドル(約9兆円)を拠出する取り決めに正式に署名した。IMFの資金基盤を強化し、金融危機を受けた加盟国への資金提供などを後押しする。
日本政府は昨年11月の主要20カ国・地域(G20)金融サミット(首脳会合)で、麻生太郎首相が提案の目玉として表明していた。
加盟国支援が必要になった場合、要請を受けた日本が約100兆円の外貨準備からIMFに貸し付ける形で拠出する。加盟国による資金提供としては過去最大で、ストロスカーン専務理事は「人類の歴史上、最大の貢献だ」と謝意を表明。財務相は「有効活用を期待したい」と述べた。
(2009/02/14-10:03)
転載元:http://www24.atwiki.jp/free_nippon/pages/60.html
今年4月の安住前財務大臣のIMFへの資金拠出について、2009年の中川氏の場合とどう違うか、分かりやすい解説記事があるので紹介する。
中川氏が嵌められたのは、IMF拠出金を米国債で貸し付けたからで、それが米国を激怒させたということが言われているが、おそらくそれが中川氏失脚の直接の動因だろう。つまり、中川氏は、国際金融資本から受動的に国富を吸い取られない形で、外貨準備金を有効活用して多くの困窮した国家群を助けるという、実に愛国的かつ愛他的な働きをしていたことになる。これは、米国債だから、国際的な融資というIMF本来の機能には有効に役立つが、アメリカの実利には結びつかないわけである。日本収奪を当然の権利と心得ているアメリカが、中川氏に対して激怒した理由がその辺にあると考えれば納得がいく。
この部分は重要だ。中川氏が、例の酩酊記者会見で嵌められ、失脚していった経緯とその背後関係を記述しているが、その分析は秀逸といえる。詳しくは↓
🔻「安住財務相、IMFに電話一本で500億ドル以上の拠出を表明」について
2012年4月16日 (月)
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2012/04/500-cc26.html
今月の12日、ヨーロッパ信用不安の拡大を防ぐため、G20では、IMF=国際通貨基金の融資基盤の強化について、日本の安住淳財務大臣は500億ドルを超える資金をIMFに拠出する方向をIMFトップのラガルド専務理事に電話で表明した。IMFは融資できる資金規模を最大で5000億ドル拡大する目標を持っているが、安住大臣は日本枠として500億ドル(約4兆円)以上の資金供出を用意できると言ったらしい。今月19日からワシントンで開催されるG20を睨んでのことらしい。
日本はリーマンショック直後の世界的金融危機の際、各先進諸国の先陣を切ってIMFに1000億ドルの拠出(融資)を行っているが、これを実行した人物が、麻生政権時の(故)中川昭一元財務大臣であった。神州の泉は、中川昭一氏は、郵政民営化法案が上げられた2005年の小泉政権以前から、国際金融資本やCIA筋からマークされていたと考えている。人権擁護法への警戒と言い、小泉郵政民営化一色に翼賛傾向になっていた時、小泉内閣の閣僚にありながら、政治家の中で唯一、「エクソンフロリオ条項」に触れていることなどを考え合わせると、中川氏は間違いなく憂国派、愛国派の人物だった。
IMFの存在意義や国際的な位置付けなどについては、漠然とながら国際金融資本の犬であり、米国エスタブリッシュメントの利益を代行する機関という見方をしている。つまり、グローバリゼーションという国際収奪システムを構築する世界盗賊機関の一環という位置づけである。もう少し卑俗な言い方をすれば、国際機関の体裁をまとった高利貸しであり、この機関から融資を受けた国々は例外なく不幸になるという認識である。韓国が締結してしまった不平等米韓FTAもその前提的流れとしては、韓国がIMFに支配されていたことが原因であると見なしている。
ただし、リーマンショックという強烈な金融不安に陥った時、弱小国家群は致命的な打撃を受け、IMFに頼らざるを得ない状況に陥っていたが、この時、中川昭一氏が率先して、IMFの貸し付け条件を緩和する提案を行うとともに、日本から1000億ドルの資金供出を申し出ている。これによって救われた国々は多かったと聞く。この時期に中川昭一氏が行ったIMFへの巨額な資金供出は、世界的な金融ショックという特殊な事情下で十分な意義を持つ素晴らしい仕事だったという評価は多い。
ところが、非常に不自然なことに、中川昭一氏はアメリカに強く敵視され、2009年2月、G7の財務大臣・中央銀行総裁会議出席のためにイタリア・ローマを訪れた時、例の朦朧記者会見で、各マスコミから猛批判を受け、辞任に追い込まれた。随伴した日銀関係者や読売新聞記者などの不自然極まりない不作為から、この朦朧会見は仕組まれたものではないかという説が有力になっている。中川昭一氏はこれがきっかけで汚名を受け、選挙には落選した上、政治家としてこれからという若さで死亡するというむごい結末を迎えている。神州の泉の思想的立場から言えば、中川昭一氏の逝去はあまりにも惜しいことであり、日本の大きな希望が一つ失われたと思っている。本物の愛国者が一人また潰されてしまったのである。
中川氏が嵌められたのは、IMF拠出金を米国債で貸し付けたからで、それが米国を激怒させたということが言われているが、おそらくそれが中川氏失脚の直接の動因だろう。つまり、中川氏は、国際金融資本から受動的に国富を吸い取られない形で、外貨準備金を有効活用して多くの困窮した国家群を助けるという、実に愛国的かつ愛他的な働きをしていたことになる。これは、米国債だから、国際的な融資というIMF本来の機能には有効に役立つが、アメリカの実利には結びつかないわけである。日本収奪を当然の権利と心得ているアメリカが、中川氏に対して激怒した理由がその辺にあると考えれば納得がいく。
中川氏が1000億ドルを拠出する宣言をしたとき、当時のIMF専務理事であったストロス・カーン氏は「人類の歴史上、最大の貢献である」と絶賛しているが、日本のマスメディアはそのことをほとんど報じなかった。そのストロス・カーン氏がその後、破廉恥行為の容疑で失脚しているが、これも中川氏の失脚と同質の背景を持っている可能性がある。
さて、今回、安住財務大臣が電話一本で、IMFに500億ドル(4兆円)以上の拠出を約束したが、問題はこれが中川元財務大臣の1000億ドルの拠出と同じ文脈で捉えてもいいのかという疑念が湧く。今の日本はリーマンショック直後の時期と事情が大きく変わっている。311大震災と原発事故が起き、日本の経済状況は根底から変わっていて、当座の復興資金が何よりも最優先されるべき時期に、このような多額な資金を拠出していいのだろうか。欧州危機回避のためとは言うが、それを言うなら、日本国内の危機の方が優先されるべきで、IMFに拠出するということよりも、日本復興のために、今までIMFに貸し付けた金を返還してもらって、国内の復興に充てるという方向性ではないだろうか。
国民利益から乖離した野田政権は、財務省や米国の言うがままの売国的傀儡政権に成り下がっている。この状況で悪徳閣僚の一人である安住財務相が電話一本で打ち上げた500億ドル以上の拠出金は、欧州危機支援に対し、物の役に立たないどころか、国際金融資本にそのまま丸投げの形になってしまうのではないだろうか。中川昭一氏と安住淳氏では、愛国者とチンピラの違いがあると思うのである。
皆さん、新しい環境大臣は元民主党でした。笑笑
レジ袋無料化は諦めて下さい。この、あ〜やっぱりね感はどこから来るのかと思っていたら…。あらあら、まぁ。
🔻┐(´д`)┌元民主党の新環境大臣はあかんな
https://blog.goo.ne.jp/moja_gd/e/9e8a9e7fb60e8998d226fabb9c84628c
トータルニュースワールド @ TotalWorl… 13時間
【悲報】 山口環境相は、 進次郎氏以上にあれだった。
桜田議員の声は届かず / 「グレタさんと温暖化に対する実感を共有」 「再生可能エネルギーを最大限導入」「レジ袋有料化の見直しは急に変えることは慎重だ」/ネットには落胆と怒りの声
🔻【悲報】山口環境相は、進次郎氏以上にあれだった。桜田議員の声は届かず/「グレタさんと温暖化に対する実感を共有」「再生可能エネルギーを最大限導入」「レジ袋有料化の見直しは急に変えることは慎重だ」/ネットには落胆と怒りの声 | Total News World
http://totalnewsjp.com/2021/10/08/tamaguchi/
Moja テレビがやらないニュース管・20時間
d(¯¯¯¯¯¯)だって菅直人政権の内閣府副大臣だも
の。
……………
島田洋一 (Shimada Yoichi) @… 21時間
「グレタ・トゥンベリさんと温暖化に対する
実感を共有している」 以下、すべての発言が
小泉グレタ進次郎氏と変わりない。この環境
相は駄目だろう。
■山口環境相、原発利用可能な限り低減レ
ジ袋有料化見直し慎重一新閣僚インタビュー
jiji.com/jc/article?k=2…
Moja テレビがやらないニュース管 10月3日
d(¯¯¯¯)新しい環境大臣って、かん内閣の内閣府 副大臣なんだよな。 テレビで見た時の印象が良く なかった記憶がある。
【内閣府副大臣に山口氏】
菅直人首相は5日午後、復興担当相に就任する 平野達男内閣府副大臣の後任に、民主党の山口壮 衆院議員を充てる人事を内定した。 時事 (2011/07/05 )
🔸1回に5円払うぐらい…国民は何を言ってるのだと思ってるのでしょうけど、あまりに政治センスがない。無料化したら、よっしゃあ〜と思って投票所に足を運ぶ人を増やしたのです。何がイッシューなのかと言うと、いつも法案成立を阻む下らない野党の連中を出来るだけ多く減らすチャンスでありボーナスステージだったのにムザムザ捨ててしまった事が衝撃!! 反日売国の野党議員を落選させるには自民党への投票率を上げるしかない、当たり前でしょ。
この愚作のまずいところは、他の増税は国民が納得いかなくとも思い出す回数が年一回くらいなのが、毎日買い物をするたびに思い出すことになるところですよね。
一日に5回買い物すれば、5回思い出して小泉元環境相→自民党にむかむかすることになることです。毎日ですよ、毎日。
不満が蓄積していくのです。マスコミのネガティブキャンペーンを自民党自らでしているようなものです(人口の半分は女性で、投票権も持ってますよ~お忘れなく)
「たくさんの人の意見を聞く」→結果的に不満の声とファッションエコの声両方を聞いて何もしない(各声の比率や科学根拠は検証しない)、あるいは双方に「コレジャナイ」と突っ込まれる蔡英文政権初期みたいなことが他部門でも増えていかないことを願います。
簡単に取れる無党派層の比例票を捨てた感じがします。何故この人を任命したのか意味がわかりません。
私も前のエントリーのAzumaebisu様のようにしばらく様子を見てみたいと考えております。
今回の波那様のご指摘は危惧していたことの一つであります。
さらに、私自身はそれほど詳しいわけではありませんが、岸田派と財務省の関係を指摘している意見もよく目にします。
多分、
多分、小坪先生も同様の疑問というか憤りというか、そのようなお考えはすでにお持ちではないかと勝手に愚考しております。
ただ、お立場上そのようなことは言えませんよね^^。
引き続き、しばらく様子を見たいと考えております。
蛇足ながら、
人の話を聞くことが、つまりAの意見と(Bではなく)アンチAの意見を聞いた結果、何もしないという結論にはならないことを祈っています。
小坪議員、ホントに有難う御座います。
中川昭一さんの命日!
12年目なんですね! カバル DSは
負けを悟ったのに人類を不幸の道連れにする
積もりらしいです。
1番期待していたし 日本に希望を観させる
有志の政治家でした。
悔しいです!!!! 本当に………………………