【今日は何の日】中川昭一、急逝の報。あれから8年【黙祷】

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8年前の10月4日、中川昭一先生の急逝が報じられた。
亡くなったのは平成21年10月3日のこと。
急報に接し、様々な立場の者が、それぞれの覚悟を抱いた。

あの日から、どれほどのことが起きたろう。
自民惨敗、民主党政権樹立。
迫りくる闇法案、建て直しを図るべく鼓舞するネット保守陣営に、急報として入った訃報。

私はあの日を忘れることができません。
一歩を踏み出す勇気を、心に宿した日のことを。

谷垣総裁の元、一丸となって戦った時代を経て、
政権奪還の衆院選、安倍総理の誕生。参院選での、本当の政権奪還。
ネット保守と、政治家が最も身近であったろう、時代。

春が来て、夏になり、秋が訪れ、冬となり。
何度目かの秋が来た。衆議院、解散。

我が国の上空を何発ものミサイルが飛んでいる現在。
中川昭一が生きていたら、なんと言っただろう。

どうしても今日は、考えてしまう。
次期総理候補として、あの人が生きていてくれたなら、と。
盤石の、これからも続く自民を、もっと愛せただろうと・・・。

中川先生、貴方の最後の原稿、私が著作権(使用権)をお預かりしました。
当時、現職でもなかった私には、極めて重たいものでした。
中川先生、いまの日本を先生はどう見ておりますか?
私たち、若手はちゃんと仕事ができているでしょうか?

さて、泣いても笑っても衆院選。
中川さんに笑われないように、頑張ろう。
あの人が、天国で美味い酒を安心して呑めるように。

※注
タイトルにおいて、また記事中の一部においても中川昭一と敬称を略して表記しておりますが、これは「存在」としての中川先生を示した表記です。

 

 

 

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(OGP画像)

 

 

 

 

平成21年10月3日
中川先生が亡くなった。
発表は明けてのことだったろう、報道は4日のことであった。

あの時代がどのような時代であったか。
いまから平成21年(2009年)、8年前のことである。

もう8年、なのか。
たった8年なのか。

僅か数年前のことと言うこともできるし、遥か昔のことのようにも思う。

 

ダボス会議と酒飲み会見
日本を救う、世界を救う。
経済に主軸をおき、リーマンショックから回復基調を見せた麻生政権。
真骨頂たるあのダボス会議において、
世界中から賞賛されたダボス会議だが、
日本国内において「のみ」、徹底的に叩かれた。

私の記憶になるが、会議終了後の会見であり、
しかも会見前に「うまく行って良かったですね」と酒を飲ませたのは、読売新聞の女性記者であったと思う。
(コメント欄でのご指摘ありがとうございます。)

その名は越前谷知子。

 

中川昭一、落選。
現職の閣僚が落選。
比例復活もならず失職。

民主党に拠る「政権交代の象徴」かのように、その落選は徹底的になじられた。
偏向報道どころではなく、実際には捏造もあった。(バチカンの証言など)
落選してまで、現職を退いてのちもなじられ続け、その名は徹底的に汚され続けた。

 

落選の報
耳を塞ぐばかりの、落選の報。

木原みのる、落選。
赤池まさあき、落選。
中山なりあき、落選。
西川きょうこ、落選。
臼井しょういち、落選。

総裁であった、麻生総理をなじり続けるテレビ。
笑顔であった麻生さんの、あのような顔は初めて見た。
あのような顔をさせてしまったのだ、私たちは。

 

政権交代
報道の圧倒的な戦力の前に、保守勢力は敗退。
自民党は惨敗し、麻生政権は潰えた。
9月16日、民主党による鳩山内閣誕生。

悪夢の時代の、始まり。

 

一歩、前に。
ネットのみの活動から、一歩前に。
一部のネットユーザーは、手探りで麻生選挙を支援。
党本部もこれに答え、ギャンブルパンフなどが作成された。

リアルのノウハウを持たぬネット支援者たちと現実の事務所は、各所で不幸な衝突も見せた。
両者が手探りの中、連携を模索した時代。

その報は、もたらされた。
保守の希望の星、中川昭一の急逝。
誰もが言葉を失った。

 

10月4日、訃報
このタイミングでの訃報であった。
ネット保守、指揮官級すらも言葉を失い、陣営を鼓舞するどころではなくなった。

民主党政権の成立を受け、折れ切っていたと思った心は、
完全にバラバラになった。

 

崩壊するネット保守
「麻生政権を守ろう!」
民主党への危機感から、ネット上でも「リアル活動の重要性」が盛んに議論されていた。
ポスティング等のリアル活動が提唱され、小さな一歩を踏み出したばかりのネット。

よちよち歩き、やっと政治を学び始めたばかりのネット保守派は、意気消沈。
組織化もままならず、崩壊するやに思えた。
web空間では、夢も希望もないとの嘆きが溢れかえった。

あの時、現場指揮官らは、覚悟をもってそれぞれの戦線を維持。
崩壊しそうな戦線を、「足並みを崩すな」「戦おう」と、自分自身も泣きたい気持ちを抑え、周囲を鼓舞していった指揮官たちの姿がそこには在った。
名もなき者の、身を捨てた戦い。
私も小さな戦線を支える一人であった。

 

 

 

2009年、政治とネットとメディアと。

平成21年を、多角的に振り返る。

 

偏向報道の年
カップラーメンの値段、漢字クイズ。
いま思えば凄まじくどうでもいい話で「いつ解散ですか?」とメディはがなりたてた。

ネットがある程度の監視機能を有する「8年後のいま」とは異なり、
あの年は、偏向報道が最も激しい年であったようにも思う。

 

メディアが政治を倒した年
構図はこうだ。
メディアによる攻勢により(敢えて言わせて頂くが)「民度の低い層」を徹底的に狙い、支持率から見て「勝てる算段」をつけた上での「解散風」のように感じた。

その武器として「現金あげますよ」という子ども手当は有効な手段であった。
私が「民度の低い層」と、政治家にあるまじき発言をさせて頂いたのは、ここに起因する。

政治は、メディアに敗北した。

国の予算規模は膨大ゆえ、なんでもできそうな気はする。
だが、もともとは皆さまが納税したものであり、過大なサービスを提供すれば税金があがる。毎日、コーヒー1杯を節約すれば、数千万円もするスーパーカーがもらえるみたいな話。

考えればわかりそうなことを、身勝手な大人たちは無責任に信じ、
当時、選挙権もなかった10代の子供たちの未来を叩き潰した。
あの時の大人たちは、皆、次の世代への加害者だ。

確かに「メディアに騙された」被害者でもある。
だが、最終的には、投票の合算で決していることは事実であり、加害者となっている「罪」をなかったことにはできはしない。

私たちは、ネットを含め、必死に戦った。
だが、勝つことができなかった。
敗北したという意味では、私も次の世代への責任はある。

 

メディアの罪が問われなかった年
解散権は、首相の専決事項である。
あたかも「明日、解散」「すぐ解散」と報道したことの「罪」は、問われたのだろうか。

就任直後より連日解散と言われ続け、結果として、それらの報道はすべてが誤報であったのだ。
あの罪は、ネット不在の中、誰からも責められることはない1年であった。

 

ネットの敗北
リアルとの接点をうまく見出せぬまま、
ネット上の支持層と政治は、スムーズな連携を取れたとは言い難い。

連携不足もあっての、ネットが敗北した年とも言える。
リアルでの動き方がわからずノウハウ不足による部分も大きかった。

例えば選挙の支援方法、リアルでの動き方がわからない等。
頭数は相当に揃えども、指揮官をもたず組織化されていないというネットの特性が、逆に弱点となった側面もある。

 

希望。
小さな萌芽。

 

手探りが始まった年
メディアの力の前に、屈した。
政権交代は、起きてしまった。

対民主党政権、対闇法案。
組織化の必要性が叫ばれ、リアルとの連携が模索されていた。
これは自民党側においても、またネットにおいても同様であった。

両者のすれ違いは続き、求めあう手が握りあうことは難しかった。
ネットと政治が、実務的に交わり始めた年であった。

 

自民党の内紛の年
麻生さんも辛かったと思う。
「漢字が読めないから落選させられた」「中川が酒飲みだから落選させられた」
落選してしまった議員自らが言ったわけではないが、支持者からは怨嗟の声。
無論、中川先生への批判も。

本来は責任を問われる必要のない者たちが、敗北の責任を問われ続ける恰好となった。
中川先生自身、恐らくは散った同僚議員たちへの贖罪の意識に悩んだのではないか。

特に選挙前においてだが、自民党の内紛が報じられた年でもあった。

 

ネットの疲弊
瞬発力においては類を見ない強さをもつが、
継続性については弱さも見せるネット。

継続しての行動、国籍法からダボス会議、続く麻生選挙。
疲弊しきっていた。

私生活もあり、その上で「ちょっとネットも」という負荷ではなかった。
意外に思うかも知れないが、当時のネット空間は今とは相当に異なる。
議論の深化という意味では現在のほうが進んでいるかもしれないが、当時は「極めて実務的なこと」を行っていたチームが複数ある。

野党自民とネットは、各所で固く手を握りしめており、ネット発の国会法に基づく請願も複数が展開。実際に提出し、委員会付託まで持ち込んでいる。ロビー活動の実務面では、現在よりも遥かに進んだレベルであった。

ただし、参加人員としては(いまに比較して)少なく、
各個々人にかかる心理的負荷、肉体的な負荷は、膨大なものとなった。
倒れる者も続出した。

ただの一発の弾も、絶対に通せぬような事案ばかり。
様々なものを犠牲にし、多くの者が前に立った。
長く持つような、そのような体制ではなかった。

 

葛藤と苛立ち、小さな一歩。
自民の内紛をメディアはクローズアップ。
連携の必要性が、政治側・ネット側から模索される最中、
ネット保守層は、自民党支持者と一部において対立。

実際の政策上の実績を知るネットは、麻生・中川を高く評価。
ネットは、メディアの偏向を批判。
麻生・中川を(報じられぬため知らなかった)自民支持者と溝を深めて行く。
思えばこれすらも作戦であったのか。

疲弊しきった状態で見せられた自民党の内紛劇。
心を折るには充分であった。
葛藤、そして苛立ち。
多くの者が、去って行った。

しかし。
リアルとの乖離、ここにネット保守層が疑問と悩みを感じつつ
衝突しながらも距離を縮めはじめた年であった。
ネットとリアル、その始まりの年でもあった。

 

私自身もその末端として、双方の橋渡しを模索した一人であった。
FBという実名SNSが登場する以前に、政治専用SNSを開設。
最盛期は年間20億PVを達成、自民党の支部長を公式アカウントとして迎えるまでに至った。
(webからDLする方式の、国会法に基づく請願はこの際に多用された手法)

3種郵便の取得を目指したものであるが、現在は実質の休止状態。
やがて事業廃止も検討せねばならない。

かつて作成した請願と紹介議員一覧(備忘録)

 

小さな芽
一部の保守活動家は、これを機にリアルとの接点を模索し始めた。
結果としてweb上からは「前向きに」一時引退した者もいる。
リアルのロビイストとなっていったのだ。

私もその一人であるが、地方議員選挙を戦った者も多い。
このとき、小さな芽は育ち始めた。

 

ネットとリアルの融合、双方が模索を始めた瞬間。
折れかけた心を必死の思いでつないでいた、あの日。
中川昭一というヒーローを失った。

無論、現実世界での評価は高い、
のみならず、ネットでは偶像化された、
すでに神格化とされたと言ってもいい英雄であった。

今後のこと、体制の再構築。
ぼろぼろの保守陣営を見るに、誰しもが言葉を失った。

そのような全体のことは、どうでもいいとすら思ってしまった。
ただ、何より悲しかった。
30歳を過ぎて、はじめて泣いた。

 

 

 

失ったもの

麻生選挙は、負けていない、とそれでも言いたい。
結果が全てであるが、実は負けたとばかりも言えないのだ。
それは安倍選挙が「勝った」とは言えない、深刻な状態を示すものでもある。

 

喪失した経済政策
若者を思い、トリクルダウンとは真逆の舵をきったのが麻生内閣であった。
その経済政策は、財務大臣 中川昭一の手によるものであった。

麻生選挙は惨敗した。
結果、それらの政策的な方針は、国民の手により完全に葬られた。
中川昭一の死と共に。

 

新自由主義の台頭
同じ方針を、あれほどの結果を前に、再度、提示する賭けはできない。
結果、経団連に迎合したかのような政策に縛られることとなった。

今後の自民党政権は、(メディアの)スポンサーを、ある程度は喜ばせるような運営しかできないだろう。
長期政権を目指すことが国益と同一視できる以上、残念ながら構造上の問題となってしまっている。

中川昭一が不在であり、構造改革路線の総括ができぬまま今を迎えてしまったためだ。

 

麻生内閣の得票数
数字をこの場で調べる余力がないため、詳しくは調べて頂きたい。
恐ろしいことがわかるだろう。
麻生選挙は、負けたとも言えなかった。

一丸となった、リアル保守陣営・ネット保守層の献身的なまでの支援は、確かに数字に結び付いていた。
得票だけで言えば、最高とも言えるほどの得票を得ている。
安倍選挙の得票は、実は、比較すれば低い。

差は、野党が民主党に一本化されていたか、
もしくは少数野党に分断されていたかの差に過ぎない。

麻生内閣も、そして中川さんの経済政策も、数字として確かに支持されていた。
(年表にして数字にすると、実は保守も票を落とし続けていることに気付くと思う。)

政権奪還を含め、その後の衆院選は「野党がバラけていた」か否か、に過ぎない。
これが小選挙区のマジックである。

 

これからの日本
安倍内閣の続投を支援します。
しかし、その軌跡は、一部において新自由主義の味がするのだろう。

安倍政権の長期化をもって、国内は安定するだろう。
産業なども活発化するだろう、しかし、その先はどうなのか。

あの時、私たちが麻生さんを守り切れなかったことによる「打撃」に対し、これで間に合うのだろうか。
野党自民を率いた、谷垣総裁も引退した。

当時は「種」に過ぎなかった私たちは、しっかりとした「芽」になれたろうか。
保守の政治家の後進は、果たして育っているのだろうか。

この判断は、私はいまだ持ちえない。

 

どうしたらいいんだろう、
もういない方に問うのは間違っているのだろうが、どうしても今日は、中川さんのことを考えてしまう。

これからの日本を、どうしたらいいんだろう。
あの時、真夏の麻生選挙、私は必死に戦った。
皆も必死に戦った、だけど足りなかった。

あの時、あの時、もっと。
悔やんでも悔やみきれない。

 

 

一分もない動画だ、これで思い出すと信じる。

 

それとも思い出すのはこちらでしょうか?

 

 

続編、である。
激戦区に投入された、新米ネット保守、小さな戦線を支えた思い出話。
覚悟を決めたあの日、私たちの戦い。

 

政権奪還、参院選の勝利、安定政権へ。
美しい野党自民と共に戦線にあったことを、ただ誇りに思う。
祭りの後、私は引退を決意。
(のち私は復帰し、いまに至る。)

 

私たちが支えた野党自民、その指揮をとったのは谷垣総裁(当時)であった。
政権奪還が確実視される中、石原幹事長が後ろから撃つ。
政治の「当たり前」を見せられ、私は【与党自民に想像される変化】を知った。
引退の決意、その構図は、維新の志士が明治政府への合流を拒否、田舎に帰るようなものである。

 

 

 

 

あの日から8年。

日本は、どうなったのか。

「与党だから」という理由で、仕方のない話もある。

わかっている。

だけど、私の愛した野党自民は、もういないのだということを

政権奪還を果たした喜びとともに、寂しくも思う。

そしてあの訃報に接し、涙を流した友たちは、今日をどう過ごしていくのか。

覚えていますか、今日は、中川先生の急逝を知った日です。

日本のために身体を張った男を知り、

それぞれの立場で、様々な者が覚悟を決めた日です。

 

我が国の上空を何発ものミサイルが飛んでいる現在。
中川昭一が生きていたら、なんと言っただろう。

どうしても今日は、考えてしまう。
時期総理候補として、あの人が生きていてくれたなら。
盤石の、これからも続く自民を、もっと愛せただろうと・・・。

中川先生、貴方の最後の原稿、私が著作権(使用権)をお預かりしました。
当時、現職でもなかった私には、極めて重たいものでした。
中川先生、いまの日本を先生はどう見ておりますか?
私たち、若手はちゃんと仕事ができているでしょうか?

さて、泣いても笑っても衆院選。
中川さんに笑われないように、頑張ろう。
あの人が、天国で美味い酒を安心して呑めるように。

 

静かに心の中で手をあわせ、
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  1. medakanoon より:

    【今日は何の日】中川昭一、急逝の報。あれから8年【黙祷】 8年前の10月4日、中川昭一先生の急逝が報じられた。 亡くなったのは平成21年10月3日のこと。 急報に接し、様々な立場の者が、それぞれの覚悟を抱

  2. 草莽の団塊です! より:

    小坪先生、中川昭一先生情報ありがとうございます

    >8年前の10月4日、中川昭一先生の急逝が報じられた。
    >亡くなったのは平成21年10月3日のこと。
    >急報に接し、様々な立場の者が、それぞれの覚悟を抱いた。

    コメントを書く前に、モニターのまえで、黙とうをささげました。

    閑話休題・・・・

    TVで、中川昭一先生の酩酊会見映像がこれでもか!これでもか!とたれながしされていたことを思い出しました。そして、日本国民全体が、すっかりその酩酊会見情報で洗脳されてしまいました。いまおもえば、日本の財務大臣が酩酊状態になったら会見するのをとめる日本の官僚でもだれでもい!そばにだれもおらんかったい!どうかんがえても変だろ!となるはずがそうはならなかったんですね。

    まんまと、中川先生の足を引っ張りたくて仕方のない反日マスゴミのやりたい放題のフェイク映像にひっかかったというわけです。
    わたくしもまんまとひっかかった一人でございます。猛省いたします。

    もう、あのような反日マスゴミのフェイク映像に接したら、なんかおかしいぜ!と脳内スイッチがはいるような日本人でありたいとおもいます。そうなるためにも、小坪先生のブログに日々接して、感性をみがいてまいります。今後ともよろしくおねがいもうしあげます。

  3. ちっち より:

    あれから8年ですか… 中川さん、一番好きな政治家でした。
    嵌められて落選してお亡くなりになって… きっと殺されたんだと今でも思っています。
    そして、絶望の民主党政権、売国法案通されるのが怖くていつも国会中継を観てた…というか、監視してた。
    その後待望の安倍政権… しかし、期待は裏切られた。
    TPPに,移民政策、消費増税、慰安婦合意、尖閣諸島も守らない、靖国参拝も最初だけ、経済政策は金融市場だけにお金をまわすサギノミクス、年金はゴールドマンサックスに運用させて…   やること成すこと完璧な国際金融資本の犬!犬以下!!!
    重税感も半端ない!地方住みだけど外国人がめっちゃ増えた。

    今度の選挙も入れるところが無い!反米保守の受け皿はどこにもない!
    ミサイル打たれても抗議するだけの情けない政府…(ほんとに抗議してるかすら怪しいし)
    中川さん、日本はもうダメかもしれないです。状況は悪くなる一方です。
    愚痴ばかりでごめんなさい。

  4. トリトン より:

    次の点は訂正をお願いいたします。

    中川さんに酒を飲ませた記者、越前谷知子は「読売新聞」の記者が正解です。
    よろしくお願いいたします。
    ちなみに旦那はNHK

  5. かんかん より:

    小坪先生、日々の骨身を削ってのご活動誠にお疲れ様です。

    8年前のあの日。
    私も涙を流した一人です。
    生涯忘れることはないと思います。

    私はパートの仕事をしながら二人の子供を育てる単なる主婦ですが、あの日子供を連れてたまたま実家にいる時に、ニュース速報で中川先生の訃報を知りました。本当に全身の力が抜けて、フローリングの床に倒れ込んでしまい、民主党支持者だった実父に「そんなにショックを受けなくても…」と笑われたのを覚えています。

    当時の私は、身内にも友人にも民主党政権の危険性を訴えては理解を得られず、孤独を噛み締めていたネット保守の末端の末端におりましたw

    某巨大掲示板の既婚女性板に常駐して、衆議院選挙時には、そこにアップされていたチラシをコピーして置き忘れたりと一人でできる事を模索していたり…二人目を妊娠したりで、デモに参加したりする事もできず、子供を寝かしつけながらのネットが唯一の心の拠り所でした。

    あの頃に比べたら、色々な状況は様変わりしたなあとは思いますが、このエントリを読んで、中川先生は今のこの国を、私達を、天国からどう御覧になっているんだろうと考えてしまいました。
    そして、移動中にもかかわらず泣けてきてしまってつい私事を書き込ませて頂きました。

    乱筆乱文申し訳ありません。

    いろんな想いを再度思い出し、奮い立たせてくれる小坪先生に感謝申し上げます。

    末端ですがwこれからも応援させて頂きますので、先生も呉々もお身体だけにはお気をつけて日本の為に頑張って下さい!

  6. 通りすがり より:

    失礼致します。
    越前谷知子は、読売新聞の記者です。

  7. 佐竹義男 より:

    数年前、石原慎太郎氏が「東日本大震災は日本人への天罰である」という旨の発言をしました。かの氏は嫌いですがこの意見については間違いとも言い切れないと思います。
    愛国者を死なせて心をいためたのは何人いたのか?その場の雰囲気だけで敵国の政党に投票したのは誰か?その投票の結果に責任を感じたのか?
    日本国は自然と共生する国家です。そこに生きる人々が人道に反したから天や自然が怒ったのではないか?そんな哲学めいたことを思うようになりました。
    今度の選挙でも日本国の歴史に翳りをもたらすような結果を出せば、そのときはなんらかの形で天罰が下るのではないか?そう思います。

  8. Tanaka より:

    R.I.P.

  9. 野良犬 より:

    中川先生の御霊に合掌。
    先生を陥れた勢力への報復を誓います。

  10. 波那 より:

    8年経ちましたか。思い出させて頂いて有り難う御座います。中川さんの画像、空と雲を背景に腕組みしてスクッと立ち〈お前ら、日本を頼んだぜ…〉という画像、スマホに入れて時々見ます。麻生大臣と並んで座って二人で楽しそうに談笑しておられる写真も。先生は失意の中で逝かれました。ご自分を責められる日々だったのではと思い出すと、とても辛いです。合掌

  11. 一心に より:

    ありがとうございます。色々とご迷惑をおかけしました。
    日本男児にはそれぞれ生き様がある。信念通りに生きるべき。

    私は、中川昭一先生を知りませんでした。慰安婦問題から、政治や歴史に興味を持ち始め、今ではガチに、人と論じようとできるところまで、のめり込んだ。
    スヒョン文書を知った頃の前か、中川昭一先生が、韓国への金の垂れ流しを食い止めてくださり、その結果、毒を盛られ、酩酊状態になり、通常であれば、体調不良と帰国でもなんでもできたはずが、工作員に公開処刑となるメディア会見させられた。銃による暗殺ではないものの、ケネディ大統領の暗殺に、等しい。あの工作をしたものは、それこそ外患誘致。

    李承晩が、大嫌いです。リミョンバクも大嫌い。
    国体を破壊されたくなく、日本国民を虐殺されたくない。
    国際法違反の、占領法を、作り直すのは当然。

    でも、どれだけ、回復させられるとしても、どれだけ、子供の未来を守れたとしても、
    中朝ロ米にやられ、力を奪い取られた結果、GHQに食われ、それをさらに朝鮮半島に食われた結果、弱まった日本人の生きる力の、また日本人を守ろうとされた人の、

    愛しい人の死はもはや取り返しがつかない。壊された人々の家族の過ごすべき時間の記憶は、奪われてしまっていて、取り返しが、つかない。
    絶叫しかなくとも、西村慎吾先生の表題にあった写真、英霊の18-19の日本男児の明るい笑顔は、愛しい祖国と家族を守るため。

    中川昭一先生も、その心根は、優しく、まさに平時という戦場で、朝鮮半島に暴力的に奪われ、流出させられる日本の国力を、生きる力を、食い止めてくださった。
    それは、まさに、あちらのヤクザにとったら、どんな手段を使っても潰すべき英雄だったことでしょう。いつの日か、読むことができる日を、お待ちいたします。

    命をかけて、クニを守ってくださった中川昭一先生に、感謝。
    文章をありがとうございます。

  12. お焼き県民 より:

    あの日、遠い異国にいました。
    訃報を知った瞬間、直感で「中川氏は、殺された」と感じました。

    真相は分かりませんが今でもそう感じます。
    某巨大掲示板のオカルト板でも他にもそういう人が居ました。

    訃報のスレは勝ち誇ったパヨクと賎人どもの、死者に鞭打つ書き込みで溢れていました。
    寝ゲロで死んだ、隣にはジンロの瓶が、等とまるで現場を見て来たかのように執拗に書かれていたのも覚えています。

    てめぇら絶対に許さない、弔い合戦だ。と誓ったのを思い出します。

    10月22日、中川さんがあの世で笑ってくれますように。

  13. 中秋の名月 より:

    越前谷知子は読売新聞の記者だったと思います。他に一緒に居た女性はロイターの記者だと言われていたような。
    変態毎日新聞の名誉のためと言う訳じゃありませんが、一応訂正をして置いた方がいい気がしたのでw

  14. べこたろう より:

    中川さんですか・・・
    中川さんの選挙区近い北海道道東地域出身ですので、物凄く記憶にある方です。
    今の状況を見て中川さんがあちらで美味しいお酒を飲めてるのか、悲しいかな一選挙民として、何とも言えないですね。

  15. 凡その人 より:

    越前谷知子は『読売新聞』の経済部記者です。

  16. 櫻盛居士 より:

    **********************************************************************
    共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
    ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。

     ・『テロを利用する共産党』
     ・『テロリストの味方である共産党』
     ・『テロに屈する共産党』

    **********************************************************************
     
     
    中川昭一先生の御冥福を祈りつつ・・・。

    当座の目標として、安倍政権の維持。
    同時並行で、後進の育成が目下の課題とも言えるでしょう。

    選挙と言う制度は民意を示す手段であると同時に、後進を育て導く道標でもあります。
    所が比例代表制と言う歪曲した選挙制度の為に、民意とそぐわない者ですら国費で養われる事が可能になり、それが故に志の著しく低い者が容易に当選してしまうと言う悪しき前例を積んで来ました。

    比例代表制の建前は「少数派の政策でも優れたものであれば採り入れやすくなる」と言ったものですが、そもそも論として”碌でも無い政策しか持合せていないから、少数派に追いやられた”と言う事実を無視した制度と言っても過言では無いでしょう。

    つまり、政治家としての資質に乏しいにも関わらず、政治家と言う肩書を得る事が出来てしまっています。

    これでは後進を社会全体が育てようとしても、育てられない。

    当面は安倍晋三と言う存在があるので、まだ良いのです。
    その先は?

    中川昭一先生並の仕事が出来る若手は育っているのだろうか?

    我々の殆どは直接政治家を目指す事は無いでしょうが、中川昭一先生の供養位は有権者と言う権力と、情報拡散によって可能なのではないかと考えて居る次第です。

  17. テロ指定共産党は より:

    存命ならば、総理総裁だった。
    本物の政治家を失った代償は大き過ぎたと思う。

    哀しい事だが、それも天命なれば意義のあった事だと思いたい。
    民主党政権誕生も、日本再生の為には必要な事象だと思っている。

    そのお陰で、水面下で日本乗っ取りを進めていた勢力が表に晒され、民主党の無能さと危うさを知る事が出来た訳だ。

    その民主党も風前の灯火。

    今度の総選挙は中川昭一氏の弔い合戦かもしれない。

    小坪氏の熱い想いも受け取ったよ。

    安倍総理を、皆で助けようね。
    .

  18. 鳥海山たろう より:

    中川昭一氏への安倍さんの弔辞を改めて聞くと(Youtube等で聞けます)、狂った左翼がしぶとく生き残り旺盛であった時代に、互いに本物の同志であると思っていたんだなという印象がします。

    頭のおかしいメディアに包囲されるなかで、ネット世論の支援もなく、ひたすら外国の敵と同時に国内の敵とも闘わないといけなかった時代なので、さぞ二人は孤独であったと思います。
    中川氏の遺志のいくぶんかは安倍さんに受け継がれているような気がします。

    中川さんと安倍さんを二人まとめて政治生命を奪ってやろうと、朝日新聞が画策したのが、「NHK番組改変騒動」で、この出来事も(狂信左翼の思い込みとは正反対の意味で)絶対に風化させないで欲しいものです。

    現在の加計騒動以上にとんでもない捏造報道でした。(いまだに頭のおかしい大学教授などが、放送への政治の不当な干渉であったかのように印象操作しています)

    個人的には、中川氏を想定すれば、理想的な政治家とは、まず訳のわからない左翼などと冷静に言論で闘えること、自立した見識をもち官僚などと互角にやりあえる人間であることなどを思い浮かべます。
    ただ情熱があるだけではなく、これらの素養があるのが中川氏の魅力であったような気がします。

  19. より:

    中川昭一先生のご冥福をお祈りします。

    何か妙手はないか考えても一朝一夕にできることはなく。
    今は先ず赤にも流されず緑にも流されず安倍内閣の信任と国防への意志を込めて投票する他ないと思う次第です。

  20. ネコ太郎 より:

    中川昭一先生はまず政治的に貶められ抹殺され、命までも取られた。
    オカルト陰謀論ではなく、本当に衆人環視の前で見せしめになったと信じています。
    それでは誰に?
    命じたのは国際金融資本家。協力者は読売新聞、財務官僚、CIAでしょう。
    どうして?
    G7でIMFへの拠出金を日本が持っている米国債で賄うと言ったから、と言われていますが。他にも理由があったのでしょう。

    眼の前で闇勢力のやり方を見た安倍さん、麻生さんは多くの事を学び、今日の政治に生かしていると考えます。

    • ネコ太郎 より:

      追伸
      全くの妄想ですが。
      中川事件には売国政治家コンビのK,Tも噛んでいるのでは?

      安倍さんは、外国人労働者受け入れで真性保守の眉を顰めさせていますね。
      もちろん、外国人労働者受け入れは国際金融勢力の差し金であることは明明白白。
      それを実行させるためのお目付役がTですね。

      ここに来て、世界の潮流がトランプ大統領出現で奴らの思惑と違ってきました。
      あとひと押しで世界は変わります。

      安倍さんが世界の首脳に伊勢神宮参拝をしてもらったことは重大なメッセージだったと信じています。

  21. error@1965 より:

    私が初めて衆院選の選挙権を得た場所は旧北海道五区故中川昭一氏とその御尊父中川一郎氏の地元選挙区でした。今の衆院選の区割りではそこから外れては居ますがその名残か今でも市内には中川後援会の事務所があります。そしてその票田を簒奪した鈴木宗男の事務所もあります。実は鈴木宗男の事務所は最初金のペーパー詐欺商法で社会問題となった豊田商事と同じビルに入っていました。(現在は違う場所に移転)
    滅多なことは書けませんが私は中川昭一氏は南北朝鮮の工作員によって殺害されたと今でも思っています。
    実は姦酷と北朝鮮にとって中川昭一は同じ不倶戴天の敵であったからです。中川は日本政府から第三国への直接援助を辞め全てIMFをとおすようにしました。このお陰で姦酷は日本からの借財を踏み倒しにくくなってしまいました。
    姦酷は元々日本から借りたカネを踏み倒すことによって経済成長してきたテロリストですのでコレは大きな痛手だったでしょう。
    更に中川は拉致問題解決の急先鋒でした。拉致問題をなぁなぁで誤魔化して日本からカネを引っ張る事を目論んでいた北朝鮮にとっても中川は目の上のタンコブでした。
    こうして中川はイミョンパクの配下で会ったマスゴミに全力で叩かれ更に地元十勝の有権者に裏切られ失職中川の議席は汚澤の陣笠に盗られましたが、天罰が下ったのかその陣笠はアッサリ逮捕され十勝の有権者の票は事実上無効票と化してしまいました。その後誕生した民主党政権は姦酷の援助に勤しみました。通貨スワップの大幅な増額を初めとして円高の放置コレによって姦酷は一時の春を謳歌しました。

  22. siksan より:

    (スンニ派)サウジアラビアが2016年にシーア派指導者ニムル師を処刑したことをきっかけに、(シーア派)イラン国内で抗議行動が広がり、サウジ公館が襲撃を受けました。サウジは事実上の断交。イスラム教スンニ派とシーア派との対立が表面化しました。

    スンニ派の盟主を自認するサウジは、シーア派の大国イランとの外交関係を断絶。サウジの同盟国もイランとの外交関係を縮小して来ました。

    両国の対立は政治に根差しているのではなく、7世紀以来の、誰が主役かと言うイデオロギーの対立です。外から見れば単なる兄弟げんか、そんなことに首を突っ込むのは悲劇でしかないのですが、どっこい、彼らは鉱物資源を豊富に持っているから、それがイスラム外の第三者を惹きつけてやまない。

    両派ともにムハンマドの言葉が世界の真実だと信じているわけで、誰を主役にするか、などは永遠に譲れない主張でしょう。世界ではイスラム/キリスト/ユダヤの、一神教の三つ巴と考えられています。それも歴史ですね。

    米国が絶賛したアラブの春が破綻したのもイスラム同士の勢力争い、シリアの内戦で多くの難民が出た時に、ドイツはかつての十字軍とナチスへの懺悔を表して難民を無条件に受け入れるとしました。

    近所の煽りを食らって難民化したヒンズー・キリスト・仏陀・無神者もいます。イラクでも紛争の大部分はイスラム内部にあり、イスラムが身から出たサビに毒されていると、私は感じています。

    かつてムハンマドに批判的な書(the Satanic Verses)がイギリスで発行され、シーア派トップ・ホメイニのファトワによって著者が死刑対象として世界的に指名手配されました。著者は英国にいて、翻訳者は世界中にいました。しかし暗殺されたのは日本人の翻訳学者で、筑波大学構内でした。事件は政府がウヤムヤにして迷宮入り=時効。以後、ムハンマドやイスラムへの批評は消え去ったわけです。

    その後、政府が渡航延期を促した自称ジャーナリストも、「話せばわかる」と、特ダネ目当てに飛び出し、首と胴二つにわかれた写真がネットに流されました。

    銃や、12cm以上の刃物が禁止されているから日本は安心なのですか?
    禁止されれば銃刀はなくなるのですか?持たないのは遵法者だけでしょ?
    覚せい剤は禁止されてもますます拡散しているのではないですか?
    我々が武器を持たなければ、北朝鮮や中共も武器を放棄してくれる?
    武器を持った侵入者が来た時には、タマを裂けて逃げまわるだけ?

    アラブが武器をアメリカから、イランが北朝鮮(ロシア複製)から供給できる状態は、イスラムを経由した代理戦争でもありますので、国際情勢は複雑になりましたね。もちろん中共はその他のイスラム国に多額の投資をし続けていますね。

    紛争・戦争は原爆・水爆の技術競争のようなことを言う方がいらっしゃいます。
    紛争・戦争の場は鉛の玉(弾丸)、鉄の玉(砲弾)、ガソリンの玉(焼夷弾)が高速で空中浮遊するところです。しゃがみこんでじっとしていても、タマは自分を避けてはくれません。

    この基本的な危機認識が、「俺だけは(交通)事故を起こさない」という奇妙な自信者の多い日本では持つことが出来ないようです。この認識を報道しない自由が、反日主義者のプロバガンダだと思います。そしてその方向に導いてきたのが朝日・毎日・東京・琉球などの報道姿勢でしたね。

    日本が、他国に比べていかに国民国家の危機管理意識が低いか、いかに「地球はひとつ」の花畑脳が多いか、それが明確な今日、たった一つの可能性、自民党の勢力低下は絶対にあってはならないと思い、隆盛を願っております。

  23. 北九州市民 より:

    民度の低い層、、、あまりにも多くて悲しくなりますね。
    これもGHQ、日教組の成果でしょう。

    ただあきらめてはいけません。
    明治維新だってごく一部の人間だけでやり遂げたんです。

    当時、圧倒的多数の「民度の低い層」はやはり何も知らなかったんですから、、、

  24.   より:

    海外からみると経団連の位置が良く分かります。中国外相と同時に経団連代表団がトリプルセブンで入国。日本人と思えない容貌の経団連企業駐在員が中国人妻と代表をもてなす。海外日本公館には怪しげな外国人がうようよと、それこそ日本人以上に頻繁に出入りしています。いかにも誠実だった日本人駐在員が次々と帰国し、入れ替わりで入ってくるのは、思考の偏った、ひょろ長い顔がゆがんだ正体不明の駐在員。苗字が木下、左右対称、カルトも多いです。経団連企業、だんだん日本人が少なくなっているのでしょうか。大企業は日本を支える大動脈ともいえる存在のはずです。徐々に首のすげ替えが浸透し、本当の日本人が恩恵を受けられず、まともな若者がブラック企業に追いやられ…それでも与党はそれを黙認し、擁護さえするというのでしょうか。プーチンやトランプが敢然と行っている事です。それでも、現時点で自民以上にそれを排除する力のある政党や政策はないでしょう。それだけ日本の闇は深いのですね。

  25. error@1965 より:

    https://www.youtube.com/watch?v=nkPMRf47BaM
    願わくば自分の子々孫々にこう言われる国を残したい。
    ただただ、それだけです。

    • テロ指定共産党 より:

      良き動画の紹介に感謝。

      日本人は自然に逆らわず同化してきた。
      西洋人の自然を支配する感性とは真逆だよね。

      日本人は滝の流れを好み、西洋人は噴水を好む。

      自然を支配した結果が、環境破壊だった。
      今更ながら、世界が日本文化に注目し始めた。

      人間も自然の一部だったことに気付いてきたようだね。

      信じられないが、虫の声が聞こえるのは、日本人だけらしい・・・

  26. まるこ より:

    >当時、圧倒的多数の「民度の低い層」はやはり何も知らなかったんですから、、、

    明治維新と現代の決定的な違いは、「彼ら」が投票権を持っている、ということではないでしょうか。

    為政者たちの純粋なる力関係ではなく、それをマスコミのフィルターと通して見ている我々によって政治が決められてしまうということです。

    中川昭一さん…訃報をきいて大泣きした初めての政治家でした。あの速報が流れた時、絶句し頭が真っ白になりました。あの瞬間を今でも憶えています。その喪失感を未だに拭い去れないでいます。

  27. ちび・むぎ・みみ・はな より:

    あえて正論を書く。

    討ち死にした中川氏を上に置くならば、同氏に続いて討ち死にする
    議員がいて当然だと思う。しかし、麻生政権に続く自民党政権は
    新自由主義にならざるを得ないという。とすれば、自民党の
    政権に近い方々はみなおじけづいたということなのだろうか。
    現在、政権に近いところでは、唯一、藤井内閣参与のみが現在までの
    新自由主義的政策が米国に頼るしかない弱い日本をもたらしたと
    主張する。消費税増が最大の過ちであるともいう。しかし、中川氏への
    謀略に怖気づいて新自由主義政策しか取れないという。
    日本人はずいぶんと立派になったものではないか。

    大蔵大臣の時には神奈川県の税務課長をテロで失い、野党の浅野氏が
    白昼のテロで命を失うような日本全体の危機の中で所得倍増政策を
    取り続けて(ストレスのために)がんで亡くなった池田隼人がいる。

    しかし、今風の評論家は岸首相の様なハードな政治を行わなかった
    池田首相は評価するに値しないという。しかし、本日のブログから分かることは
    所得倍増政策をやりきって日本の繁栄をもたらした池田隼人こそハードな
    政治家であったということではないか。

    せめて、藤井参与の努力を無駄にしないでほしい。

  28. naga より:

    もう8年になるのですね。あの訃報を知ったときは絶句しましたし、当時は第二次安倍政権が誕生する未来がやって来るなんて思ってもみませんでした。
    麻生氏の「死せる中川、生ける保守を走らす」という言葉ですら少し批判されたくらいでしたね。でも結果的にそのとおりになりました。なったからと言っても爽快感や達成感といったシンプルな心境になれたことは一度もありませんが…

    当時、事情が許せば、中川昭一氏には一度お会いしたかった。会って謝りたかった。
    今となってはおめおめと顔を出せるような分際ではないし、もう来世で謝るしかないだろうと考えています。

    …感傷的な内容はこのくらいにしておきます。
    ただ、
    >意外に思うかも知れないが、当時のネット空間は今とは相当に異なる。
    >議論の深化という意味では現在のほうが進んでいるかもしれないが、当時は「極めて実務的なこと」を行っていたチームが複数ある。
    というのは、ほぼウオッチャーでしかない立場から見ていてもそういう雰囲気だったのは察せられました。そのくらい若い空間でしたね。なつかしいです。

    匿名の場でのお約束になじめない方々がSNSに移行していき、そちらで新規の人たちを迎えて政治談議に花が咲いているのかもしれませんし、熟年世代の青春再来みたいなノリもあるのかもしれませんが、そちらに対応する気力のない中年からすれば、「あとはそっちでがんばってください」という心境でいます。

  29. 琵琶鯉 より:

    私は中川さんの事は生前はよく知りませんでした。しかし、ひょんな事から知る事になります。それは、2010年の夏の頃、2チャンに保守系スピリチュアルの「銀の紐」に中川昭一と名乗る霊の言霊 と言うのがあがっていました。

    最初は興味本位で訪れそのメッセージを読んでいたのですが、その内容が余りにも理論整然とし、当時の日本を覆う無気力な人々を言い当てていた事を思い浮かべます。
    かなりの長文で、それも7部に渡って掲載されました。もし、気になる方がいらっしゃいましたら、一度訪れてみて下さい。今も現在も中川さんは安倍総理や麻生閣下と共に日本の為に戦っておられますよ。

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