【今日は何の日】阪神淡路大震災から22年。病院で泣きかけていた少年の今。地方議員の戦い

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阪神淡路大震災から22年目を迎えました。
私はあの日のことは今でも鮮明に覚えています。

ちょうどインフルエンザ、被害実態のわからぬ中、朝のニュースで衝撃を受けました。
あの日、守られるだけの存在に過ぎず、震えることしかできなかった私は、
いまは未来に備える一人として、最前線に在ります。

地方議員とは、政治とは、自然災害にどのように備えるべきか。
ゆっくりとしか進まぬ現実を、歯噛みしつつ数字に向き合う。
自助・共助・公助のさらなる周知と制度の強化。
危険個所の発見と、古地図の分析、必要に応じて予算折衝。

「100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!」
(釜石市の津波記憶石に刻まれた中学生の言葉)

私たちは、こないかも知れない「100回」ではなく、
それでも「101回目」を想定し、その責任を負う立場です。

100回を笑えばいい。
私どもをバカにすればいい、それは甘んじて許容します。
その100回を笑ってもらえることこそが、私どもの誇り。

それでも101回目を真剣に見据えることが、私どもの重みであります。
笑って、何もなければ、それで結構。
だけれども、貴方ではなく、貴方の子供の世代になり、孫の世代になり
仮に貴方が天寿を全うし、また私も天寿を全うし、
私の名前など、誰もかれもが忘れた後世であったとしても、

それすらも護ろうとするのが、政治家の責務であると強く訴えさせて頂きます。

 

 

 

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(OGP画像)

 

 

 

 

[su_heading size=”30″]あの日、私は弱かった。[/su_heading]
あの日。
インフルエンザにかかってしまい、病院の混み合う待合室の中、茫然とテレビを見ていたように記憶しております。
(別の災害ではないと思います。)

まるでアニメのような、衝撃的なシーン。
どう言っていいかわからず、言葉にすることもできませんでした。
最初は、子供だからでしょう、それこそ漫画のワンシーンのようでワクワクもしたのです。
その映像を前に、徐々に不気味さが忍び寄り、怖くて怖くて、泣きそうになっていました。

高校生にもなって泣きそうになっている(インフルエンザの)私を見て、「なーに半泣きになってるの?注射こわい?」と看護婦さんが優しく声をかけてくれました。
あまりに茫然としているので「僕、大丈夫?」と心配もされました。

看護婦さんやお医者さんから見れば、職場でありますから、ゆっくりテレビなど見ていなかったのでしょう。
(特に初報は大きな扱いではなかったように思います。)

「だって、地震が、、、地震があって、大変なことに」と。
インフルでぐったりしていて、それ以上は言えませんでした。
お医者さんも「そっか、ちょっと揺れて見えるか・・・。」と。

ただただ、不気味で、怖くて。
あそこに人が住んでいて、火の中に人がいて
車があって、建物があって、それが壊れていて
その中に人がいて、、、

そのことが、ただただ怖くて
誰かなんとかして、助けて、と思いました。

病気でぐったりしていたこともあり
(涙こそ出ていないと強弁しますが)
本当に不気味で怖かった、のです。

これが、阪神淡路大震災に
(モニターを通してですが)触れた
あの日、少年であった私の姿です。

あの震災において、多くの方が亡くなりました。
ご冥福をお祈りすると共に、哀悼の誠を捧げます。
ご家族を亡くされた方もおられます。
その悲しみ、孤独、苦しみは察するに余りあります。

 

 

 

[su_heading size=”30″]阪神淡路大震災・被害[/su_heading]
死者    : 6,434名
行方不明者 :     3名
負傷者   : 43,792名

住家被害 : 全壊104,906棟
     半壊144,274棟
  全半壊合計249,180棟(約46万世帯)
   一部損壊390,506棟

火災被害 : 全焼   7,036棟
     焼損棟数 7,574棟
     罹災世帯 8,969世帯

その他被害 : 道路7,245箇所
      橋梁 330箇所
      河川 774箇所
      崖崩れ347箇所

 

 

 

[su_heading size=”30″]一人の政治家として。[/su_heading]
今日、この日ゆえ、振り返ることがございます。
いま、一介の市議会議員ではございますが、
二期目なりたての若輩の身ではございますが
政治家として皆様の前に立たせて頂いております。

私の責務とは、政治家の職務とは。
あの日、ただの子供であった私が感じた恐怖を、そそぐのが私の仕事になります。
人々を導き、安心させ、笑顔を守る。

「自助・共助・公助」と申します。
これは命を長らえる上でのフロー、システムになります。

自助とは、自ら頑張って命を長らえること。
被災直後は、周囲の人も行政(警察力・自衛隊を含む)も手助けができません。
最初の数時間、長ければ一日近くは、自らの力で生き抜いて頂かねばなりません。

共助とは、家族・地域コミュニティの力に頼り、
共同体で身を守って頂くことを指します。
自ら命を永らえたのち、共に力をあわせて九死に一生を得た命を守りあって頂きたい。
長ければ数日かかります。

公助とは、行政サイドによる保護を指します。
できる限り3日以内には、このフローに到達したく思います。
しかし行政力にも限りがあり、万全の体制を整えたとは言え「すぐ」とはいきません。
仮設住宅・継続しての安定した炊き出し、警察力または自衛隊の助力を願い、治安の維持・確保。
残念ながら、大規模災害ともなれば、ここまで数日かかることも想定せねばなりません。

 

 

 

[su_heading size=”30″]市議会議員の責務[/su_heading]
大きな職権は持ちません。
しかし、「眼として」「まるでレーダー」として、
皆様に寄り添い、常に共に在り、
もっとも現場において

「市民の生命と財産を守る」ことが責務であることを、自覚して職務に励みます。
こないかも知れない地震に備え、「想定外」などと言わずに済むように、
数字の積み上げを行い、景気動向も堅調とばかりとは言えぬ中、
それでも長期スパンの計画を策定し続ける。
全ては未来のために。

 

地域を護る防人として。
これは市議の仕事でもございます。

?自助
まず九死に一生を得てもらわねばなりません。
火元の確認、防災意識の向上、私の所属する総務委員会では消防を所管しますゆえ、救命処置の市民への案内・指導を徹底して参ります。
また、行橋市では遅ればせながら「海抜○m」の表示を市内各所に設置、防災マップを策定し市民に広報。
委員会でも委員らより指摘を受け、配布・周知に工夫を凝らしていっております。

?共助
・自主防災組織を各校区に設置。
実態としては、区長会(自治会)と組織は似ているのですが、被災後、数日にわたって地域単位で身を守って頂くための組織です。

災害発生時に必要な装備・資材についての説明、また保管場所を説明すると共に、「自助・共助・公助」についての説明を講師を呼び徹底しました。
私も出席させて頂き、不明点については質問すると共に独自で勉強。

市の主導で区長会(他自治体では自治会と称する場合もある。)にて自主防災の講演を開催、各校区に自主防災組織を整備。私も参加し、共に理解を深めます。
防災倉庫も整備し、いざという場合の「自助、及び共助の序盤」を地元で運用できる体制を【完成】させています。

・地域コミュニティの強化
さらに小学校を中心にPTA等、「父兄(及び子弟)」に周知、
区長会を中心に、祖父母の世帯に周知、
これらの連絡網をさらに強化・徹底して頂くと共に、
運動会・祭り・各種アメニティ(いきいきサロン等も広義では含む)
世代を超えたふれあいを通して、コミュニティのシナジーを強化してきました。

・・・シンプルに言えば、公務のみならず、
できるだけ一緒に参加し、楽しく和気あいあいと過ごす。
こちらも実施済みであり、いまは単に参加のみならず、より俯瞰した目線より行政側の動きと協調し、各種のスポーツイベントの運用において達成しております。
実施済み。

・防災上の危険箇所の点検・整備の提案
防風林の老朽化などもあり、山崩れの危険個所を区長会と共にピックアップ。
なにぶん多額の予算が必要とはなりますが、なんとか事業化を執行部に打診。
長い計画にはなりそうですが、実現を目指す。
また他校区にはなりますが、砂防ダムの必要個所については県を巻き込んで、実施を求めております。

校区の山林について、伐採。
対象が県となる土地があり(防風林など。)苦労はしたのですが、繰り返しの陳情と折衝により数千万単位の予算を獲得。昨年度、すでに実施済み。
今後はさらに急傾斜地について要請活動を地元とともに行動中です。
(特に、国・県予算が絡む要望を主軸に動いています。)

 

 

 

[su_heading size=”30″]予算処置と保守活動[/su_heading]
40年ほど経過し、老朽化した堤防を改修。
複数年度にまたがる計画ですが、昨年、入札も完了し、現在は着工済みです。
2事業あり、片方は市の予算も3割つかっておりますが、もう片方は「県 5割 ・ 国 5割」です。

地元選出の、衆議院議員 武田先生のお力と、複数名の県議の助力により予算は獲得済みで、市長にも報告しています。総額は(恐らく最終的には)10億を突破します。防衛予算は、使っていません。行橋市で防衛抜きでこれだけの規模の予算執行はほとんど例を見ません。

国県予算のみで着工しているため、市議会を通す必要がない予算もあります。
地元議会を通すことの、市議としての負荷、また「速度優先」で防災面は動いているため、
「市長に報告」(及び会派代表への報告)とし、独自交渉で片を付ける。

代わりに、国会議員・県議会議員(地元選出ではない議員を含む)とは、それなりのお付き合いをさせて頂き、「恩は返す」スタンスを堅持。

これら予算処置が必要な(本来、新人であれば「対応不可」な)案件につきましては、各種保守活動で知り得た先輩議員らの政治力を少しだけお貸し頂く場合もございます。
知識面・能力に劣る我々ではありますが、多大なフォローを頂くことで「それでも諦めず」予算獲得、及び事業化を目指して参ります。

えぇ。
これら(人によっては激しく映る)保守活動も、地域の活性化に大きなパワーとなっていることを、地域住民・後援会は一部ではありますが理解してくれています。
ゆえに、ここまで無茶苦茶な、政治活動が許容されております。
特に市内の大手企業は、何をやっているか、どのような交渉(ほとんど政治生命を賭けた規模の予算額)をしているかを、知っています。

ある有権者からは「(保守活動の)危険手当で予算とってきよるようなもんやな」と笑われました。
私は「一枚しかないコイン(命)ですが、倍率の高いところに一点張りしてる博徒に過ぎません。」と笑って返しています。

私の後援会は、最悪の場合、「何かある」ことも覚悟で支援してくれている方もおられます。
だから、こうやって働くことができます。

 

 

 

[su_heading size=”30″]福祉部と消防の情報連携[/su_heading]
私は一期生の際、文教厚生委員会において副委員長を拝命しておりました。
当時の福祉部長らと委員会において協議し、逃げることの難しいお年寄りをサポートするため、地域の情報と福祉情報の一部を連動。

のち総務委員会(消防を所管)に異動しましたが、今後は福祉のみならず消防とも統合管理する仕組みに改善。委員会側より、賛成の立場を強く打ち出し支援していきました。

市民の皆様からは「え?」と思われるやも知れませんが、個人情報保護法の兼ね合いやシステムの作成年度が異なるため、行政側にある情報の全てが連結されているわけではありません。(でした。)

今後も完全統合は(法的な兼ね合いもあり)不可能かと思いますが、防災面から必要な情報の統合については、システム面のアップデートも含め、執行部に強く訴えて参ります。

併せて、高齢化により救急出動が増加し、消防官の不足が深刻化する中、長期スパンの計画策定を一般質問において議会で強く主張。執行部より増員について確たる答弁を得ています。

 

 

 

[su_heading size=”30″]100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて![/su_heading]
これは、東日本大震災の被災地・岩手県釜石市唐丹(とうに)町本郷地区で、地元の小中学生95人の後世へのメッセージを刻んだ「津波記憶石」に刻まれた言葉です。

私たちは、こないかも知れない「100回」ではなく、
それでも「101回目」を想定し、その責任を負う立場です。

100回を笑えばいい。
私どもをバカにすればいい、それは甘んじて許容します。
その100回を笑ってもらえることこそが、私どもの誇り。

それでも101回目を真剣に見据えることが、私どもの重みであります。
笑って、何もなければ、それで結構。
だけれども、貴方ではなく、貴方の子供の世代になり、孫の世代になり
仮に貴方が天寿を全うし、また私も天寿を全うし、
私の名前など、誰もかれもが忘れた後世であったとしても、

それすらも護ろうとするのが、政治家の責務であると強く訴えさせて頂きます。

 

 

 

[su_heading size=”30″]自衛隊について[/su_heading]
激甚災害の場合は、自衛隊の出動・助力を仰がねばなりません。
自衛隊は防災組織ではなく、国防力であり、災害救助のため存在しているわけではありません。
しかし、それでも最後は頼らねばならない。

常日頃より、自衛隊の必要性や有難さ。
国防とは何か。
国が亡びれば、行橋も滅ぶのだと訴え続けております。

現在は、基地対策特別委員会 副委員長を再度、拝命いたしましたので・・・
「少しでも自衛隊が働きやすい」環境づくりを政治面より強力にバックアップさせて頂いております。
ここは「頂きます」という未来形ではなく、「頂いております」という現在完了形・進行形で表現させて頂きます。
地元代議士が防衛政務官・安全保障委員長・防衛副大臣を拝命してきたこともあり、国政においてのご助力を賜ることで、「自衛隊を具体的に支えたい」と全力で邁進してきました。

これからも邁進して参ります。

 

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私は、このような活動に「反論できぬ自衛隊」に、
反論できぬことをわかってこのようなことをすること、許せません。
心を傷つけ、痛めつける以外の目的はあったのでしょうか。
甚だ疑問です。

何が言論の自由か。
ただの人でなしではないか。

日頃、守られる国民として何が恩返しできるだろうか。
許せないと思ったらシェア。
おかしいと思ったらRTしてください。
ひとつひとつの声は小さくとも、積み重ねれば世論を動かす。

物言えぬ自衛官に代わって
物言う政治家として、「おかしい。」と言いたい。

 

 

<築城基地>
行橋市が面積の多くを占める築城基地。
我が第八航空団は、朝鮮有事・対CHINAを睨む「日本の矛」であります。
沖縄にF15を送り出しますが、世界最強の対艦攻撃機ともいわれるF2と15、二種の戦闘機を運用していた唯一の基地です。

制空戦闘機の15と、艦船に強いF2を共に運用、シンプルに言えば「うちからだけは、戦爆混合」であがれるということです。

専守防衛とは、やられっぱなしではなく。
最初に手を出せないだけであって
「撃たれたら、ちょっと考えて、撃ち返す」だと認識しております。

緊迫する東アジア情勢においては、防空の要のみならず「専守防衛」に基づき、「撃ち返す」基地だと認識しております。

ゆえに、旧称コミンテルン日本支部こと、日本共産党からの政治的なアクションも非常に強く、地盤としても左巻きの者も多い自治体です。
これらに対し、正面から対峙し、自衛隊を少しでも活動しやすくする、日本を物理的に守る職務を、気持ちよく行って頂けるよう、、、
私も命を懸けて、戦います。

自助・共助・公助に基づき、市議として職責を果たす。
そして、公助の最後の要である、自衛隊について、気持ちよく仕事に励んで頂けるよう、着実な歩みを進めてまいります。

これが、あの日、病院で半泣きになっていた少年の、いまの姿です。
最後に有名なコピペを掲載して、本稿を締めさせて頂きます。

 

 

 

【女子高生の怒り
?ここの人らは歩いて来てくれはったんや?】
http://kokorodo.net/e1080

2年前旅行先での駐屯地祭で、例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生と思しき少女が向かっていく。

少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で…云々」
少女「で、何しに来たんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる…云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や!!
寒い中ご飯作ってくれて
風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのも…ここの部隊の人や!!
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや!
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が…
ここの人らは歩いてきてくれはったんや…」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった…

団体は撤退・・・

彼女が門をくぐった時に守衛さんが社交辞令の軽い敬礼ではなく、直立不動のまま敬礼していた・・・
=========

地方議員とは、地域の守り神。
土地神のようなものだと思う。
最近では、遠方にばかり出ていっているが、力をつけ故郷を守りたい。

激甚災害ともなれば、死者・負傷者は出てしまうだろう。
しかし、一人も死なせたくはないのだ。
ゆえに、俺はなんでもやってやる。
そう思って、心の底から思って、だからあの日、立候補したんです。

これが、地方議員の矜持。
地域を守り、人を守ることの重み。
だから私は、この町の市議会議員になったのです。
ゆえに戦うのです、守るために。

関連記事
【百戦百勝の極意】一人の議員として。「言っちゃった」責任の果たし方。

 

 

入間市 市議会議員選挙
告示日 平成29年3月5日(日)
投票日 平成29年3月12日(日)

山本 秀和議員を応援します。

震災を越えた、被災者の一人。
本稿の重みを、恐らくは最もよく知る一人であります。

FB:山本 秀和

 

 

阪神淡路大震災より22年。

 

失われた命、流された涙。

 

あの日、震えていた、守られるだけの存在であった子供たちが

 

いまは現場で、地方議員として、未来を祈りつつ皆様の傍にいる。

 

100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!

 

来なかった100回を笑われることが誇り。

 

101回目に、「想定外」などと言わぬために走ることが

 

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. medakanoon より:

    【今日は何の日】阪神淡路大震災から22年。病院で泣きかけていた少年の今。地方議員の戦い 阪神淡路大震災から22年目を迎えました。 私はあの日のことは今でも鮮明に覚えています。 ちょうどインフルエンザ、被害

  2. 波那 より:

    取り上げて頂いて有り難う御座いました。被災者の一人として心から御礼を申し上げます。あの日から全てが変わってしまいましたね。救援隊に崩れた家から母を先に出してもらい、まだ暖かかったので諦められず通りがかったワゴン車にお願いして芦屋病院に連れて行って貰いました。既にロビーは野戦病院の騒ぎでした。お医者さんに蘇生措置をして貰いましたが駄目でしたね。3時間ほど経っていたんですもの。父は、その後暫くして出してもらい別の場所に収容されました。あの日、私はまだ知らなかったんです。何日も瓦礫の中から救い出して貰えなかった人達が居たことを。ですから父も母も本当に早く出して貰ったのでした。私は自分の部屋は何とか崩れてなかったので警察署に通りがかりの車に頼んで行きました。住所を言っていたので救援隊に来て貰えたのに、後から思えば他の方達に比べれば随分早く出して頂いたのに知らなかった私は「だから、直ぐに来てと言ったでしょう!」と食ってかかってしまいました。随分後になってから救援隊の方達の中にも助けられなかったという思いでPTSD にかかられた隊員が居ると知りました。今でも、あの時の事を思い出すと申し訳ないのです。

    • ハリマオ より:

      あのですね 地震で日本人が死ぬのを喜び叫んでいた 中国と韓国の
      国民が居たことを みなさん 忘れないようにしましょう 絶対に

  3. 草莽の団塊 より:

    小坪先生、阪神淡路大震災への新規投稿ありがとうございます

    地震発生が、1995年1月17日午前5時46分52秒(Wikipedia)

    22年前、先生はインフルエンザの高校生だったんですね・・・
    わたしは、当日(火曜日?)はたまたま、休暇だったので就寝していましたが、朝方、やたら、ヘリコプター(とおもってます、室内にいたので未確認)の飛行音がうるさいので眼がさめてしまい、なにかあったのかな、変だなとおもったことを思い出しました。

    >「100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!」
    >(釜石市の津波記憶石に刻まれた中学生の言葉)
    阪神淡路大震災と場所は異なりますが、この言葉をしっかりと脳内にメモしたいとおもいます。例え、100回逃げて笑われたとしても、笑いたい奴は笑えばいいとおもっております。

    阪神淡路大震災から22年たちました、あの震災で亡くなられた多くの方のご冥福をお祈りいたします。
    そして、哀悼の誠を捧げます。

  4. しん より:

     小坪先生、阪神淡路大震災への言及有難うございます。

     当時、JR三宮駅を発車間もない通勤の電車の中で、地震に遭いました。
     辺りが明るくなってくるのにつれて、周りの激烈な被害状況に驚き、電車内から見える火災の数々に恐怖しました。
     電車を降ろされ、JR三宮駅からなんとか西宮に有った会社へ電話を掛けようとしても繋がらず、長田に有る家に電話を掛けても繋がらず、後ろに待つ人に電話を譲るために後ろを向いた瞬間、戦災でも生き残った「蛍の墓」に出てくる三宮の阪急会館が倒壊しかけているのを見て絶望的な気持ちになりました。

     家に帰る道は、筆舌に尽くしがたい光景でした。
     家人の無事を確かめた後、周囲の崩れた家に埋もれた人々の救出などに駆り出されましたが、人の力のみでの限界をまざまざと感じました。
     また、近所の消防の方は自分の母親が家に押し潰されて埋まったままでしたが、市民の為に奔走し、自衛隊が来るまで自分の母親は後回しに。
     夜になれば、燃える家から火の粉が北風に乗り、灰がまるで雪のように降ってきました。自分たちの無力さを痛感させられた光景でした。

     それだけに、自衛隊の方々の姿が見え、救助活動が始まった際の頼もしさや嬉しさは、生涯忘れる事はないでしょう。

     どうか、自衛隊の方々を護るためにお力添えを下さい。
     私達は、未だ自衛隊の方々に受けた恩を返せていません。
     が、微力ながら行動し、発言する事が、自衛隊の為、それが日本の為になると信じています。

  5. 117黙祷 より:

    小坪先生、いつもブログを読み、コメントを読み勉強させて頂いております。
    コメントは久しぶりにさせてもらいます。
    (ここに書き込まれる方々に比べれば知識が乏しいもので。いつも感心しております)

    コメントを残そうと思ったのは「自分は1.17で被災した身」だからですが
    先生の
     【地方議員とは、地域の守り神。
      土地神のようなものだと思う。】

    これに心打たれたのだと思います。自分も家が半壊、インフラはボロボロで電気だけは幸運にもすぐに復旧しましたのでTV(ケーブルテレビ)を付けると・・・後はお察しの皆様がご存知の映像。
    自分の言いたいことは大体
    【女子高生の怒り?ここの人らは歩いて来てくれはったんや?】
    で代弁されております。この方は自分より被害の酷い地域だったと思われます。
    経験談を書き出すととんでもない長文になりますので省きます。たしかに消防車も素通りでしたほんとに。どこから手を付ければ分からない大火災でしたので、消防も警察も大変だったのでしょう、全く人員も重機も足りなかったはずですし、インフラも壊滅的でした。応援に駆け付けてくれた他県のボランティア、公的機関の方々には感謝しております。
    自分の友人たちも大切な人を亡くしております。あくまで現地レベルの噂ですが、自衛隊の方々も出動要請が出ず、かなりイライラされておられたとか(現在の政府はフットワークが良くていいですね、あの時の政府は・・・orz)
    あと、近所や友人との協力はすごい心強いですよ、ほんとに。近所付き合いもほどほどなのに、すごい一体感でした「日本人だなー」と今では思いますが。

    まあ色々書きましたが、小坪先生の精神(誠心)はとても大事なことです。議員として大切な心です。災害、有事は起きないのが一番良いのですが、日本ですからね。
    自分も役所からカセットコンロ等が支給されて大変助けになったものです(これも役所で配っていると隣人から聞いてからなんですが…)こういった対応が迅速に必要な場所に届く機能は市民もですが、日頃の議会や議員の方々の災害対応整備意識あってのものと思います。
    その志を応援しますね、お題のように何百回笑われようとも。

    ちなみに、行ける範囲で自衛隊の祭には参加させて頂いてます、楽しいですよ!無料ですよ(笑)

    拙文、駄文失礼いたしましたm(_ _)m

  6. 月光仮面 より:

    共産党は何を目標にしているか それは ロシア革命であり 中国の
    革命なんです 虐殺革命 そして 自衛隊が居なくなれば 必ず起きます
    日本での 日本人の虐殺が 革命の下で それが 仮面のしたの顔なんです
    だから 目標は日本人を殺すことです 

  7. シジミ より:

    小坪先生!!ありがとう!ありがとう!ありがとう!
    私は行橋市市民ではありませんが(笑)それでもお礼を言いたい。
    まだ生まれてもいない子孫を守るとはなんという愛…。確かに受け取りました!!
    議員になるのがゴールではなくて、やりたいことがあるから議員になられたのですよね。先生は。安倍総理とかぶります。

  8. 櫻盛居士 より:

    **********************************************************************
    暫く、小生のコメントには下記のフレーズを、継続的にTOPに書き込ませて頂きます。

    皆様に於かれましても、下記のフレーズを拡散されては如何でしょうか。
    何分、実績であり事実ですから、異存は無いでしょう。

     ・『テロを利用する共産党』
     ・『テロリストの味方である共産党』
     ・『テロに屈する共産党』

    **********************************************************************
     
     
    ブラウン管越しに見た、あの日の神戸の街の風景は今でも忘れられません。
    昔見た事のある神戸大空襲直後の写真を、再現した様な光景でした。

    大規模災害と戦争との違いは、襲って来るのが自然か人間かの違いでしかないと、思わざるを得ない光景でした。

    当時、「東京は危ないけど、関西は安全」と言う話が半ば常識化していました。
    故に、無防備だったと言えるでしょう。
    そこに襲撃があったのだからひとたまりもない。

    更に衝撃的だったのは、神戸大空襲にも耐えた現JR神戸線の高架区間は、駅舎の損壊等の被害はあったものの、戦前施工の高架橋自体は致命的な損傷を免れれていた事です。
    それに対し、戦後に高架化されたJR神戸線と並走する阪急電鉄の高架区間は損傷が著しく、対象的な光景に映ったものです。
    また、比較的に地震には強いとされていた地下構造物も崩壊する例が出ました。
    代表的なのは神戸高速鉄道の一部区間が崩壊し、西は姫路、東は梅田まで続いていた私鉄路線が寸断された事です。

    絶望的な光景が覆う中、阪神高速を走行中であった帝産観光バスが橋梁倒壊区間進入をギリギリ回避し、転落を阻止した画像は皆様も目にした事があるのではないでしょうか。
    この画像には、少しばかりの希望も感じたものです。
    地下でも同様のドラマがあり、山陽電鉄の列車が神戸高速鉄道の崩壊区間通過直後に、当該区間が崩壊し難を逃れてます。
    この列車は、10秒遅れていたら崩壊した地下トンネルの下敷きだったとか。
    九死に一生を得ると言った事もあるものだと、感心する場面もありました。

    何より感心した事は、その後の復旧復興にあります。
    街ぐるみで鬼のような突貫工事で、みるみるうちに復旧していく街の光景に、日本の底力を感じたものです。

    そして、この時の反省から数々の対策が打たれ、あらゆるインフラやシステムの改善が現在も進行中です。
    阪神淡路大震災後も幾度も震災を経験している日本ですが、その度にその災害規模の割に犠牲者は確実に減っていると推察しております。

    そして、これからも日本は強くなって行くでしょう。

  9. 元修羅の国住民 より:

    当時、災害救助の任務に当たった阪神淡路の近隣の陸自駐屯地のある幹部自衛官
    の述懐談に、部下の曹士は地元出身者が多く、おそらく家族や知人が被災している
    であろうことと考え、必死な思いで災害出動をを具申してきたそうです。
    その思いを上官に何度も伝えても、上からの返答は「待て」だけだった、と。
    そういえば震災当時、自分の選挙区が大火で手が付けられない大変な状況の時に、
    赤坂東急ホテルで政治資金パーティやってた土井たか子とかいう、当時与党だった
    社会党の元党首がいましたね。おそらく産経新聞だったと思いますが、そういう
    記事を読んだことがあります。

  10. 一国民意志 より:

    いつも拝見させていただいております。常に応援しております。

    22年前、大阪の病院から週末ごとに、交通規制のため船で弁天町から神戸にボランティアで通いました。取り上げていただきありがとうございました。

    天皇陛下も激励においでくださいました。

    おはなしは飛びますが、今は生前譲位ではなく退位退位とばかり報道されて、意図的なものを感じます。
    また女系天皇制度には大反対です。

    天皇陛下の継承は男系以外あり得ないと考えます。

    これは男系制度により、古代から現代まで受け継がれた同じY染色体によるものであります。
    ゆえに、我が国の伝統であり、我が国の奇跡であり天皇陛下が天皇陛下である大前提であります。

    女系になった瞬間にこの伝統はなくなるのです。
    つまり歴代天皇とは異なるY染色体を持つ天皇が誕生します。
    これでは天皇家天皇制を破壊したい勢力の思うつぼであります。
    継体天皇の時もはるか離れた男系ですが、同じY染色体がまさに体に受け継がれたのであります。
    この厳然たる伝統の根拠を死守する事が、天皇家天皇制度をお守りする事であります。
    医師や医学に通ずる国民はこの事実を認識しております。
    このある意味単純明快な男系の根拠を、全ての国民に周知徹底していただきたいと、切に思います。
    国民のコンセンサスを得て、男系天皇制度を維持できる知恵をお話し合いいただきたいと思います。

  11. 野良犬 より:

    地震のときの知事の対応の遅さ(結局知事は最後まで自身では自衛隊出動を要請せず)、
    「自衛隊の炊き出しを受けるな」と被災地に宣伝カーが走った事を思い出し、死者への追悼より無念さに腹立ちが先に立ってしまいます。

    以前見たあるアメリカ映画の一シーン。
    クリスマス近く。雪振る道路。将校らしい青年が、通る車に乗せて貰おうと手を上げている。
    一台の車が通り過ぎる。車の中での父子の会話。「クリスマス休暇の兵隊さんだな。
    兵隊さんは断れないよ」。すぐ車を戻して彼を乗せる。日本でもこういう環境になる事を
    切望しています。

  12. 岩本拓也 より:

    小坪先生、初めてコメントさせて頂きます。
    阪神大震災を大阪の自宅で迎えました。激しい揺れで目が覚め、身重の妻を案じて本棚を必死で抑えていたのを覚えています。その日の手術は中止。遠方から通勤する職員は到着せず、徒歩5分の近くに住んでいた私は院内を回診しました。
    その後、避難所となった御影高校の医務室に派遣され、現場の実態を目の当たりにしました。
    神戸、新潟、東日本の震災から災害医療の現場は多くのことを学び、DMAT(災害救時間以内の救命の種の援隊)とJMAT(避難所での健康と生命維持のための医療救援隊)を区別して構成し派遣できるようになっています。
    小坪先生のおっしゃるように、行政や議会もよくやってくれます。我々医療従事者や医師会もできる限りのことをしています。
    前を向いて、建設的な取り組みを続けたいと思います。

  13. kazuei より:

    櫻盛居士 のコメント:の決まり文句をやめさせて!
    私もそう思うが、自己満足のために繰り返すのはやめてほしいい。
    小坪しんやのHPがけがれる。
    やるなら、自分のHPでやってほしい

    • 小坪しんや より:

      kazuei 様

      コメントありがとうございます。
      それぞれの立場、様々にあるかと思いますが、私は嫌ではありません。
      また、私個人としてはけがれるとは思っておりません。
      (ただし貴殿がそう思うことを否定するつもりもございません。)

      左派、異なる意見であれ、当方で削除処置をとったコメントは数少ない。
      よっぽど言葉が乱暴であったり、もしくは「なりすまし疑惑」が極めて濃厚など、ある程度の線をひいております。

      そして、その線は、限りなく低い敷居でございます。
      コメント欄における議論において、なんらかの制限を加えるつもりはなく、
      できる限り解放していきたいというのが当方の考えです。

      頂いたコメントにレスをつけることは少ないですが、全て目を通しております。
      一人、二人とコメントすれば、やはり全員にせねば不公平かなと思ってみたり。

      頂いたコメント、その全てに感謝する立場です。
      仮に、それが異なる立場、対峙するイデオロギーに立脚する場合であっても。

      ゆえに、私のほうで何がしかの制限を検討することはございません。
      以上、答えとして適切であったかはわかりませんが、当方のスタンスとしてご了承いただけますと幸いです。

    • 櫻盛居士 より:

      小生のコメントに御意見が御座いましたら、どうぞ「返信」にて御意見下さい。
      可能な限り、コミュニケーションをとらせて頂きます。

      • こたママ より:

        横から失礼いたします。

        櫻盛居士様のコメントにはいつも沢山学ばせていただいており、豊富な知識と冷静な論調には尊敬の念を抱かざるを得ないと思っています。

        TOPのフレーズにつきましても、内容はおっしゃる通りで、見た目もクリーンにまとめられ、文章も丁寧で上品。kazuei様が、一体どの点を指して「HPがけがれる」という強い拒否感をお持ちになられたのかが理解できません。

        私の意見が参考になるかどうかは分かりませんが、ブログ主様である小坪しんや市議(皆様、敬称をつけましょう)が制限をお考えでない限り、一読者として櫻盛居士様の共産党への抗議メッセージを支持させていただきます。

  14. M生 より:

    いつも拝読しております。
    今日、初めて書かせてもらいます。

    22年間、1月17日5:46、九州から神戸に向かい黙祷を捧げております。
    教師をしておりました。神戸の大学に進学した彼は福岡に帰省して成人式に参加し、震災前日、神戸に帰り震災に遭いました。真面目で優秀な人物でした。

    災害で多くの悲しみが生まれます。
    その悲惨な現場からいのちを必死で救う人たちがおられます。
    感謝し、最大限の応援をすることは人として当然のことです。

    今日、皆様の投稿を拝読しながら、涙が流れました。
    そして、「いのちある者、しっかりせい」と我が身に鞭打つ思いになりました。

  15. こっくり悠流 より:

    自衛隊の方々を貶めるような行為は断じて許し難い
    言論の自由を盾に使われるのは言語道断

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