【今日は何の日】二・二六事件?国を愛したのは誰か?【2月26日】


七十九年前の今日、
昭和十一年二月二六日、いわゆる二・二六事件が勃発。

その思いをもって崇高だと褒め称えるべきか。
または陛下を激怒させたことをもって、国家の敵となすべきか。
どう評すかは、意見のわかれるところだろう。

私は答えを持ちえないし、また答えを出すべきとも思わない。

 

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<概要>
このようなブログを訪れてくれる方ですから、名前ぐらいはご存知かと思います。
実際に何があったか、どう思うかを述べるにあたり、簡単に振り返ってみましょう。

大日本帝国陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(旧制中学校から士官学校に進み任官した、20歳代の隊付の大尉・中尉・少尉達)は、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えていた。彼らはこの考えのもと、1936年(昭和11年)2月26日未明に決起する。
wikipedia:二・二六事件

 

<二・二六への評価>
私は、迷う。
どう評していいかわからない。

その思いをもって崇高だと褒め称えるべきか。
または陛下を激怒させたことをもって、国家の敵となすべきか。
どう評すかは、意見のわかれるところだろう。
私は答えを持ちえないし、また答えを出すべきとも思わない。

確かに愛国者であり、
そして、どちらもまた愛国者であったのだ。
とは言えボタンの掛け違いなどと、
簡単な理由でもない。

一つ確実なことは、どちらの陣営も
「仕方なかった」ゆえの、思いの発露であり
そして双方がご皇室を敬愛し、この国を愛していたこと。
その点については疑いたくはない。

ゆえに、どちらが正しいとは、
私は言うことができないし
(言う人がいることは構わない。)
私個人としては言うべきではないと思う。

 

<蜂起した青年将校らは、左翼とも言える。>
一部保守界隈では「義挙」として神格化されているように思うが、ことはそう簡単ではない。
事実、昭和天皇の逆鱗に触れ反乱軍として鎮圧されている。
そもそも国家社会主義である北一輝から影響を受けており、蜂起した青年将校らは革新派であった。

革新派とは、つまり今でいう左翼系なのですが、
左翼系の者たちが「天皇政治の実現」を図ったことに違和感もあるかも知れない。
ネットで言う左翼とは「日本が嫌い」という存在の総称のようになってしまっている。
いまの時代の言葉、カテゴリでは簡単に分類できるものではない。

ただし、クーデターであり「革命」であり、
この点をもって左翼と言うこともできる。

 

<背景にあるもの>
私が彼らの心中を成り代わって述べることは、極めておこがましいことなのだけど
だけれども、その年、その時代に思いを馳せると涙が出てくる。

昭和十一年、西暦で言うところの1936年。
二・二六事件は起きた。

昭和四年 世界恐慌、農村部は疲弊していく。
昭和八年 昭和三陸大津波。

そして。
日本最後の飢饉と言われる、昭和東北大飢饉が昭和九年(から十三年)のこと。
まさに真っ只中。
社会の教科書で見たこともあるかも知れないが、「娘売りマス」の時代である。

一見、二・二六事件とは関係ないように思うかも知れない。
しかし、私はそうは思わない。
これが青年将校が蜂起した時代、彼らの見たものなのだから。

3960

 

<将校 ? エリートとして>
自衛隊への誹謗が凄まじい現在、「自衛隊の名誉を護れ」というキャンペーンなども行っている。
当時の戦前日本においては、世界の他の国々と同様、軍は国民より愛されていた。

はっきり言えば、エリートである。
そして尊敬の対象であった。
社会的なヒエラルキーも高い、と言っていいように思う。

確かに不満もあったろう。
しかし、満たされた者が革命に傾倒し
そして身を投じて行くことは考えにくい。

なぜ、彼らエリートが蜂起するに至ったのか。
それは「人として、とても大事なもの」が満たされていなかったからではないだろうか。

 

<青年将校たちの生きた世界>
姉が売られ、妹が売られ、
ちょっと惚れてた幼馴染も叩き売られ。
欠食児童は相次ぎ、餓死者も出る。
父が、母が倒れる、世話になった近所のおじさんが倒れる。

昭和恐慌の煽りを受け、都市部で失職した者が
農村に戻ってくる。
食べるものはないのに。

将校とは、エリートである。
社会的地位もあり、この酷い有り様の中においては
比較的「普通」に生きることができたのだろう。

どう、思ったのだろうか。

 

<出兵 ? 指揮する者、選ばれた者>
昭和六年 満州事変。
働き手の男たちは、兵にとられていく。
昭和恐慌、大凶作のダブルパンチ、
このような状況で、だ。

二・二六事件は昭和十一年。
その指揮をとり、幹部として、将来を嘱望された者は
どう思ったろうか。

見えてしまった者は、妙な使命感に駆られることがある。

 

<派遣社員と上場企業>
比較するようなものではないが、私はかつて上場企業において正社員であった。
本社採用の幹部社員候補生、のようなもの。

当時、製造派遣が解禁され、一気に派遣社員が増えて行った。
職場はまさに東北であった。

たまらないものが、あった。
私が政治家を目指した理由、その原風景の一つが
自らのみは約束され、同級生らが崖下に叩き落されていく姿、
その光景が堪らなかったからだ。

見えてしまった者は、妙な使命感に駆られることがある。
少なくとも私はそうだった。
私のルーツ。議員としてこの場に在る理由。

 

<実際、政治はひどかった。>
時代は前後するが、所謂「成金」という者もいる。
いまより遥かにひどい格差社会でもあった。
こんな世界において「高額紙幣」に火をつけ、「ほら明るくなったろう?」とやるわけである。

景気もひどかった、大凶作だった、自然災害もあった。
そして政治腐敗も甚だしく。
不満は、高まって行った。

農村という「そんな世界」から
選ばれてしまい、エリートの仲間入りをした、
世界を世界として受け入れられぬ青年たちは、何を思ったのか。

 

<持たざる者として>
社会的な地位でもない
お金でもない、温かいご飯でもない。
「持たざる」の中身はそれではない。

戦う力を持つ者としての使命感。
そこには、地位でもお金でもない、
何かが欠けていたのだろう。

なすべき力のある者は
何かをなさねば、と焦燥感に駆られていったのだろう。

陛下の周りにいる者は、全て憎むべき悪人どもだ。
彼らを「取り除く」ことで、天皇親政が実現すれば・・・
そうすれば全部、解決するに違いない。

冒頭に<概要>として紹介した文を、もう一度読んで頂きたい。
大日本帝国陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(旧制中学校から士官学校に進み任官した、20歳代の隊付の大尉・中尉・少尉達)は、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えていた。彼らはこの考えのもと、1936年(昭和11年)2月26日未明に決起する。
wikipedia:二・二六事件

 

<弱った心に忍び寄る、危険思想>
北一輝は社会主義者ですので、共産主義とは非常に近い存在です。
世が混乱し、世界が壊れて行く中、
弱った心に忍び寄るのが「革命」という危険思想かと思います。

・・・こんな世界なら、壊れてしまえ。
暴力革命、辞さず、と。

 

<高橋是清>
いまでこそ三橋さんの著書もあり、「高橋是清=保守の神様」みたいなイメージである。
確かにケインズ政策の先駆けとも言える公共事業の活用、リフレーション政策を推し進め、日本の恐慌を押しとどめ、再建の道筋をつけました。

しかし、このような世界において、
それでもなおインフレを起こしてまで国を立て直したのです。
後世において評価されることと、当時の思いはまた異なるのではないかと思います。

現在のネット世論で言えば、まるで「竹中平蔵」(こちらは後世も評価されぬでしょうが)のような存在であったのかも知れません。

高橋是清は、二・二六事件において警護の巡査が奮闘したが倒れ、拳銃で撃たれたうえ、軍刀でとどめを刺され即死しています。

 

<昭和維新の歌>
これは実は左翼も大好きな歌で、学生闘争などにおいては、よくかかっていたとのことです。
なぜ「左翼がこの歌を?」と思うかも知れませんが、時代背景を読み解いていくに、なるほどね、と納得してしまったのです。

 

 

昭和維新の歌  映画 『2・26』 より

 

 

<反乱軍としての最期>
2・26事件において「昭和維新」(クーデター未遂)を、陛下を愛するがゆえ、誤った愛の発露として銃を取った青年将校ら。
反乱軍として処理されます。

昭和天皇は以下のように激怒されたとのことです。
「朕が股肱の老臣を殺戮す、此の如き凶暴の将校ら、
その精神に於ても何の恕すべきものありや」

「朕が最も信頼せる老臣を悉く倒すは、真綿にて朕が首を締むるに等しき行為なり」

「朕自ら近衛師団を率いて、此れが鎮定に当たらん」

これをもって「反乱軍」として徹底鎮圧、武力攻撃に移ります。

 

<二・二六事件の影響>
総選挙で大勝したばかりの「民政党」は政権より転落、
陸軍が台頭していき、政党勢力は一気に衰退していきます。
景況感の凄まじい悪化、政治不信が背景にあったことも一因でしょう。

ここに政党政治の歴史は、一端は幕を降ろし始めるのです。

 

 

<二・二六への評価>
私は、迷う。
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その思いをもって崇高だと褒め称えるべきか。
または陛下を激怒させたことをもって、国家の敵となすべきか。
どう評すかは、意見のわかれるところだろう。
私は答えを持ちえないし、また答えを出すべきとも思わない。

確かに愛国者であり、
そして、どちらもまた愛国者であったのだ。
とは言えボタンの掛け違いなどと、
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一つ確実なことは、どちらの陣営も
「仕方なかった」ゆえの、思いの発露であり
そして双方がご皇室を敬愛し、この国を愛していたこと。
その点については疑いたくはない。

ゆえに、どちらが正しいとは、
私は言うことができないし
(言う人がいることは構わない。)
私個人としては言うべきではないと思う。

昭和維新の歌(メドレー)
(良ければ歌詞もお読みください。)

 

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<シリーズ 今日は何の日>
このシリーズは、かなり堅苦しいです。

【今日は何の日?】グアム島守備隊玉砕の日【8月11日】
【今日は何の日?】葛根廟事件【8月14日】
【今日は何の日?】終戦の日・ポツダム宣言受諾【8月15日】
【今日は何の日?】神風特攻隊 敷島隊、突入に成功。連合艦隊、壊滅。【10月25日】
【今日は何の日?】ベルリンの壁、崩壊。共産主義者らの敗北した日【11月10日】
【今日は何の日】真珠湾攻撃・大東亜戦争開戦記念日【12月8日】
【今日は何の日】10年目の竹島の日【2月22日】


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18 Responses to 【今日は何の日】二・二六事件?国を愛したのは誰か?【2月26日】

  1. 生野区民 2 のコメント:

    高松の宮を天皇にと、やったと聞いたが左翼だったのは知らなかった
    殿下は95歳でご存命だから、思うところをお聞きしてみたい
    官邸や公邸に押し入ったのだから、どんな崇高な理想があっても後世の人間はクーデターを起そうとした
    テロリストって方がしっかりくる、とても愛国者とは思いたくないって言うのが本音です
    戦前は左翼であっても売国ではなかったというのがわかったのが収穫かな
    最近は2.26のドラマもやらないし、地上波は5年みてない状態だからw

  2. たろう のコメント:

    「私は答えを持ちえないし、また答えを出すべきとも思わない」
    賢明なお考えだと思います。
    どこかに、なにか革命的に物事を解決する方法があって、世の中のだれかがその解決を阻んでいるというのは短絡的であると思いますね。身もふたも無いですが解決策はけっこう複合的であり、また意外と地味なことが多いと思います。
    226事件はあの時代の日本の混乱の象徴であり、当時の政治家や革新軍人などがアホ・バカ・間抜けと言われ続けてきましたが、なんといっても、大正末期から浸透してきた共産主義思想の野獣性と空想性を見抜けず大歓迎した二流のインテリたち、それと人心の扇動しかできないくせに民主主義の代弁者と自負していた偽善的な通俗ジャーナリズム、この二つの要素は異様に大きいと思います。日本の治安維持法は天下の悪法と言われますが、近代的制度の先頭を走っていたイギリスなども通信傍受などして赤化対策を講じたように世界中が荒れ狂った共産主義の猛威に翻弄されました。
    けれども混乱した時代にあってもやはり生真面目な日本人は実に美しかったと思います。行橋市とそれほど離れてない小倉を舞台にした名作映画といえばなんといっても「無法松の一生(稲垣浩監督などが映画化)」ですが、もとになった小説は226事件の数年前に発表され。当時の庶民や軍人の心意気、猥雑な中にも凛とした気概をもった大衆の力強さやユーモアが見事に描かれています。映画のなかで軍人家庭の子息が歌った「青葉の笛(平家物語の一ノ谷の戦いで堂々と散った幼き敦盛への鎮魂歌)」は実に感動的です。脈々と続く歴史のなかで受け継がれてきた日本人の心情と詩魂を感じます。

    • 日本丸 のコメント:

       私も同じような意見です。コミンテルンの工作が北一輝の改造計画になって現れ、皇道派将校のクーデターになったと思います。因みにクーデターであって革命ではありません。クーデターと革命は全く別物。でも、この事件は革命に繋がるクーデタというべきかもしれません。問答無用というのが軍人らしくないコミンテルン的な狭量な心だと思います。北一輝は裁判の後、天皇陛下万歳をしましょうという刑務官の言葉に、私は死ぬ前に冗談は言わないと嘯いたといわれています。まさにコミンテルンの手先だったことを証明していると思います。それにまんまとたぶらかされた皇道派将校の処刑は仕方なかったと思います。独善はいつの世にも国の進路を狂わせるのではないでしょうか。

  3. MT のコメント:

    日本人の心そのものだと思います。
     かたや中韓に毒された現在の左翼は、話題にするのもおこがましい腐った心の持ち主ですね。

  4. たろう のコメント:

    近代史のなかの思想状況というのはなかなかわかりづらいところがありますが(当時の膨大な史料を何年も読み続ければ何か感得するところがあるかもしれませんが)、現代史であれば自分自身がそのなかに生きているので本能的に多くの事が察知できます。
    たとえば三島由紀夫の昭和45年の自決は、三島が真の愛国者と洞察した二・二六事件の首謀者の魂に殉じたのではないかと思います。私は三島由紀夫の精神を語り継ぐために憂国忌などが毎年開催されるのはよい事だと思います。近所に買い物でもいくように中国や韓国に行って反日行為をそそのかしてきた左翼に三島の爪の垢でも煎じて飲ませたいです。
    けれども(三島由紀夫氏自身は俺の知ったことじゃないと言うでしょうが)三島自決後の時代に生を受けた我々はぞっとするほどの左翼ウィルスの流行に苦しめられることになった。おそらくあの自決は(退廃した時代のなかにあっては)左翼増長に対するストッパーが消滅した象徴的事件となってしまったのです。

  5. たろう のコメント:

    「派遣社員と上場企業」。
    小坪先生は私など一般人よりはるかに詳しいと思いますが、こういう問題で重要なのは「心情」と「論理」の識別だと思います。
    誰でも福利厚生の充実してない派遣社員の境遇に同情して正社員化を推進しようとしたいのは(本人が正社員になりたいと希望していれば)人情だと思います。けれども論理で徹底的考察すればこの問題はかなり複雑です。
    たとえば派遣社員のテーマについてよく考えてきた、実際に対話も行ってきたという専門家がいるとします。その人に次のような質問をしてみます。
    「日本の派遣社員比率はどのくらいですか?その国際比較は」
    すぐに統計データの二つや三つ言えない人間は、この社会問題を考える資格はあまりないと思います。非情ですが冷徹にデータを分析できる人間がより正しい判断をできると思います。
    私は個人的には日本の「解雇規制」が強すぎるので企業に正社員化のインセンティブが働かないのではと推測しています。
    それと格差問題も前日話題となった日教組問題にもからんでいます。こいつらは労働意欲の弱い日本人を大量生産して格差社会をつくりあげてきました。それも半ば意図的にやったのだと思います。格差社会をつくったら社会を不安定化して日本人を不安にたたきおとすことができるからです。もちろん現場の教師はそこまでたくらんではないでしょうが、その黒幕の思想的フィクサーが計算してそういう風になるように仕組んだのです。
    しかも家庭崩壊しては労働意欲どころではない。離婚の割合もどんどんアメリカやフランス型に近づいています。

  6. ネコ太郎 のコメント:

    しばやん様のブログからまた引きですが。

    倉前盛通氏の『悪の論理』より

    二・二六事件によって『蒋介石と和解し、対ソ作戦の準備に力を入れよう』と主張する人々はほとんど陸軍から排除され『支那大陸への侵攻』を考えるグループによって陸軍の主導権が握られたことは疑いを入れない。ここにも、日中を戦わせようとする米ソ双方の巧妙きわまる陰謀工作が伏在していたと筆者は信じている。
    こうしてみると、昭和十年の第七回コミンテルン大会、昭和十一年の二・二六事件と西安事変、昭和十二年の日支事変勃発(盧溝橋事件)の四者の間には密接不離の脈絡があることがわかるであろう。(引用終わり)

    世の中のことは複雑で偶然性もあって分かりにくいものと考えるより、いわゆる陰謀論の方が筋が通っているのではないでしょうか。
    竹中平蔵は陰謀論を持ち出すまでもないくらい、とても分かり易い国際金融勢力の工作員ですが。

  7. Augusta のコメント:

    彼らの精神は純粋だったかもしれません。
    ですが、暴力による解決を目指し、殺人まで犯した人間は非難されて当然です。

    当時は天皇が絶対だったので、共産主義者でさえも否定できなかったのでしょう。
    だから、彼らは天皇のためにと言って扇動したと考えます。詐欺師が「あなたのため」と
    言いながら近づいてくるように。

  8. 徐勢昌 のコメント:

    帝国軍人だった身内は、戦前の陸軍の横暴さを肌で知っていました。
    そして、陸軍というのは、なにかにつけて陛下の御名を大義名分に掲げてはその実自分たちが好き勝手に横紙破りをするためだけに利用していた、不敬な輩がいたと憤っていました。
    だから私は、陛下が激怒したというのはごもっともだったのだと思います。
    無知も罪です。視野が狭いのにその自覚もなく、さも自分たちには何事かを為すだけの資格があるかのように思い上がって愚挙に出るなど、許されることではありません。
    何故、そんな大それたことをすれば陛下の御宸襟を悩ますことになると思い至らなかったのか。
    それこそ、彼らが平素から慎みを忘れていたことを証し立てるものでなくて何でしょうか?
    日露戦役で耐えに耐えて艱難を忍んでやっと血みどろの凱歌を挙げ得た先人の思いを受け継がず、ただ勝った勝ったと浮かれていた当時の幼い子らが、そうした青年将校に成り果てたわけです。
    そこには日本が近代化に伴って愚かしくも重要なことを捨て去ったことによる、今に至るまで続く教育制度の欠点があります。

  9. としし のコメント:

    先日NHKで二・二六事件をテーマとした番組を放送していました。
    驚いたのは私の母(もうすぐ80歳)が「二・二六は子供の時のことだし、学校でも教えてもらっていない」と言ったことです。二・二六がクーデターだとしか知りませんでした。
    どうやら日本人でこの事件を知っている人はかなり少ないようです。

    私は学生時代に歴史が好きでしたが、現代史(明治維新以降)はキラいでした。
    今になって、現代史こそ何をさておき学ぶべきと考えるようになりました。
    自分や親が生きてきた時代の事件を知らない、その歴史的評価ができないというのは悲しすぎます。
    子供達には少しづつでも伝えるようにしたいと思います。

  10. 生野区民 2 のコメント:

    そういえば学校では詳しく教わらなかった、これも日教組の弊害なのか知識はドラマしかない
    ドラマだから脚色されて、いい加減なものだと今更ながら気づいた

  11. Keiji Baba のコメント:

    2.26は右も左もわからぬ兵を私したことでもうダメです。 そこによこしまな私心があります。

  12. miku のコメント:

    2/26事件については「日本の将来を憂いた青年将校たちによるクーデター」
    としか 知りませんでした

    元在特会 桜井誠氏のニコ動で恥ずかしながら事実を知りました

    主に東北で婦女子が身売りされる程
    日本が困窮していたこと

    その裏に

    「朝鮮への莫大な投資」
    があったこと

    「自国民を顧みず、他国へ金や技術を垂れ流す体質」は
    もうこの時期からあったのですね

    共産主義への防波堤という、当時の時代背景を考慮したとしても
    あすこまで莫大な投資が果たして朝鮮半島に本当に必要だったのか?
    疑問です

    現在でも日本国民には消費増税して 消費出来ないようにしておきながら
    シナ人にはビザ緩和・免税・買い物三昧

    日本人には奨学金返済義務あり、外国人には帰国時の航空代まで無償

    日本は今も昔も 「自国民に最も厳しい国」

  13. Simple のコメント:

    燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや

    天皇陛下にとって、反乱将校は国家の敵であった。
    でも我々燕雀にとっては、国家の敵であったかどうかはわからない。

  14. まつ のコメント:

    他国への投資とは、要は自国の大企業に外国のインフラ整備の仕事を与えるのが目的で、政治家・官僚の利益にもなるという、純粋な愛国者にとっては許し難い利権構造なわけです。
    今の中東・インド・アフリカへの投資も同じようなものでしょう。
    思想は分かれるものの、本当の愛国者である一般国民を左翼と右翼で戦わせ、その隙に税金をかすめ取る手法を編み出した現在は、悪徳政治家と官僚の天国なわけです。
    現在の安倍政権のやり方には元自衛隊背広組が疑義を唱え出しました。
    彼等は現代の「2・26」を起こそうとしているのかもしれませんね。

  15. 櫻盛居士 のコメント:

    古来より、日本は権威を天皇陛下が担い、権力をその他が担うシステムを確立した国でした。

    二・二六事件は言い換えれば、天皇陛下に権威と権力を集中させる革命行為と私は考えています。
    悪い言い方をすれば、国体の破壊ですね。
    要は、支那やその他の君主制を敷く国と、同列に落とせと言う事になるのでは無いでしょうか。(出雲が大国主大神に支配されていた時代に逆行する流れ)
    故に、時の陛下が激怒なされたのではなかろうかと・・・。

    この事件の発起人は若手ではありますが尉官とは士官でありまして、決して社会的に下層に位置する者では無かった事がポイントでしょう。
    日本以外の国ですと、この手のクーデターは大概下士官や兵が持ち回りの武力を以って起す事が多いのです。
    但し、権力争いに基づいたクーデターの場合は、軍の士官以上、特に権力の大きい将校クラスが自らの欲の為に起す事はありますが。

    その点、二・二六事件は社会的には中位以上に位置する士官が起した事実は、ある意味日本的でもあり異質でもあります。

    また併せて、当時の帝国議会は過度な民主主義体制で大臣は全て横並び、総理大臣も単なる一大臣の位置付けですから、とにかく纏まらない。(総理大臣の権限は、現在の方が大きい)
    纏まらないから、グズグズしている様に見える。
    そうしている間にも、身売りする女性は増えるし、死ぬ者も増える。
    国民を守る立場にある軍人が、国民を守れない体制に苛ついたのは、理解出来なくもありません。

    日本の場合は将校から兵に至る迄、命を賭して国と国民を守る存在として軍属は自負して来ましたし、また民間人もその意識でした。
    余談ですが、支那を始め欧州などでは将校・士官は貴族や官僚など良い所の出身者が独占し、兵は奴隷や貧乏人の寄せ集めで構成された軍が多く、兵を戦わせる為に督戦隊と言う兵の背後から逃亡者を仕留める別働隊を置く事も珍しくありませんでした。
    その点、日本は軍の上層部から末端に至るまで、国民を守る武人としての自負が持てた事は、ある意味誇りであり幸せであった反面、いざ国民を守れて居ないと思える様になると板挟みの心境になり、苦しかったと考えます。

    オマケに、他国では近衛兵は単なる貴族を縛る人質だったのに対し、日本の皇軍は徹底した実力主義で家柄は問わず採用されていました。
    これは近衛兵以外でも同様で、どんなに貧困層でも実力次第で士官にも将校にもなれましたから、庶民の苦しみが痛いほど分かる者が軍の幹部に居たわけです。

    この事件当時、天皇陛下もさぞお辛い思いをなされた上で、敢えて激怒なされたのでは無いでしょうか。

    国民の幸せを思う気持ちは皆同じなのに、その解決方法の違いからあからさまに対立の構図が具現化してしまった様に考えております。

    これは、現在の保守層が肝に銘じておかなければならない訓示なのかも知れません。

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