こういうのは勝ちそうだからやるとか、負けそうだからやらないという性格のものではない。
戦いは始まったらやるものだし、やると決めたら行くものだ。もともと覚悟をもって応援に入ると決めていた地方議員らに共通する見解だろう。選挙結果を数字だけで見れば惨敗と言うべきだ。そのうえで市長選挙に至るまでの情勢の推移、ここを政治闘争と定義づけるならば相当に良い戦いをしている。実際に自らの掲げた政策を、市長選の政策テーマに固定している。
実態としての分裂選挙となっており、ここに異論はあるまい。私が応援した笠間昇候補は、二期連続で自民公認でトップ当選しており支持者には自民党員も多い。友人にも自民系市議が多くいたのだが、市長候補として自民推薦候補(元市議)も出馬した。
支援者の取り合い、応援する市議らの苦悩。
様々な紆余曲折があっての市長選であったと認識している。精神的にも非常につらい戦いであり、最後の最後まで立っていたことが凄まじい。私は誇りをもって応援したし、駆け付けた地方議員らも同じ思いだったろう。立派な選挙でありました。
ちなみに4名の市長候補のうち、立憲・共産系の市長候補も出馬していたのだが、こちらも元綾瀬市議。
つまり現職不出馬で、全て新人という状況下、4名の市長候補のうち3名が元市議。しかも年齢もほぼ同じ。統一地方選後において市長選にもつれ込むまでの、様々な政治闘争があった。そのうえで候補も、状況を知ったうえで支え続けた支援者も立派でありました。特に、最終日において笠間候補が「ありがとう」と涙ながらに支援者に訴えた姿は思うことが多々ありました。文句の一つも言いたいとこだったのでしょうが、暑さもありボロボロに疲弊していく支援者らを前に、みんなの顔を前にしたらありがとうとしか言えないと。
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選挙結果
笠間候補が最終日において述べた「ありがとう」の凄みは、市長選に至るまでの経緯を知らねば私の思いをお伝えすることは難しい。
先んじて選挙結果を紹介しますが、各候補ともに無所属とはなっておりますが党派性もございますので陣営についても解説します。
任期満了に伴う神奈川県綾瀬市の市長選挙は、新人の橘川佳彦氏が初めての当選を果たしました。
綾瀬市長選挙の開票結果です。
橘川佳彦、無所属・新、当選、1万1246票
佐竹百里、無所属・新、8570票
栗原茂明、無所属・新、4371票
笠間昇、無所属・新、3991票
新人で自民党が推薦した元綾瀬市議会議員の橘川氏が、ほかの3人の新人を抑えて初めての当選を果たしました。
橘川氏は54歳。
平成23年から綾瀬市議会議員を務め、今回、初めて、市長選挙に立候補しました。
橘川氏は、「いま綾瀬市にある課題を解決して、市民が住み続けたいと思えるまちにしていけるよう頑張っていきたい」と話しています。
前回・4年前は無投票で、今回の投票率は43.03%となり、参議院選挙と同日に行われた前々回・8年前を11.14ポイント下回りました。
自民推薦を得ており、自公推薦の候補だと認識しています。
こちらも綾瀬市議であり、今回が初当選。小泉進次郎県連会長が複数回(確か三回)の応援に投入されています。
立憲系の元綾瀬市議であり、例えば論拠としては立憲民主党のHPにおいてタグがあり同神奈川県内のイベントにおいて、党本部に記事が公開されています。例えば(甘利明先生を下し)衆院選を制した太栄志13区支部長の活動や、同神奈川県内の海老名市における泉代表の訴えなどです。
外部では、さらに共産党の支援もあったとされており、その真偽は不明ながらも「立憲」のみならず「共産系」という部分は保守の強い綾瀬市ではハレーションもあったやに聴いています。実は当選可能性が高いとされていた陣営でもあり、その警戒感は投票行為に一定の影響を及ぼしたとの分析も妥当性はあるのでしょう。
4名の候補のうち、唯一の女性候補。
また綾瀬市長選においては初めての女性候補であったようです。
4名の候補のうち3名が元市議であり、それぞれに後援会組織を構えています。そのため”わけのわからん陣営”という扱いであったと、各陣営や(神奈川県内の)市外の地方議員は認識していたように思います。政策なども分からないのですが、聞くところによると米軍基地反対派のようで、私はオール沖縄的な方なのかな?と思っておりますけども実態は分かりません。綾瀬市の総面積のうち18%を米軍基地である厚木基地が占めており、反基地政策も一定の得票につながるのだなぁと結果を見て感じます。
オール沖縄的な方かも?としつつも断定的に述べることができないのは、それが(例えば左派的な)イデオロギーに基づくものなのか、もしくは仮に非現実的であったとしても政策を掲げたい候補なのかの見極めができないためです。ある意味では謎の勢力。(私には政策も認識できていないという意味で。)
落選はしましたが三位であり、後述しますけれども実は二位の立憲・共産系の佐竹候補と合算すれば当選順位は変わります。ここは橘川候補や笠間候補に来るとは考えにくく、仮に栗原候補が出馬しなかった場合には、自公系が敗北、立憲系(さらに共産系)市長が誕生した未来もあったのかなという見立てもできるでしょう。
得票分析として、選挙戦の結果としては惨敗とされるのでしょう。
ただしどの陣容で戦うことになるのか、それはギリギリまで不明であったことから「市長選に至るまでの政治闘争」においては一定の影響を行使しております。争点として、笠間氏が市議時代より提唱し支援していた”道の駅”を各市長候補の争点にできていることから、ある意味では終始状況をリードしていたとも言え、政治的には勝利した部分もあると言えます。
同じく元綾瀬市議であり、市議としては三期当選。そのうち二期は自民党の公認であり、市議選を二回連続でトップ当選しています。農業関係者が主たる支援層の一つです。市議としての自民公認は一名のみであり、後援会組織も自民色が強い。対立陣営に自民推薦がおりる中、支持者の引き締めと葛藤に悩んだ陣営でした。また最多得票市議でありましたので、のちのち県議選に出馬する可能性も噂され、結果として地元の自民県議との確執があると一般有権者にも周知されておりました。
昨年の統一地方選において市議選不出馬を明言しており、二期連続一位の市議が出馬を辞退してまで市長選を検討していたのですから手上げはもっとも早かった陣営とも言えます。
結果は以上になりますが、市長選に至るまでの経緯というものがある。
現職市長が不出馬を決める中、誰が出馬するのか、誰が候補となるのか。陣営や陣容はギリギリまで分からないもの。
ここに政策が関わってきますから、実は市議会も含めて相当な駆け引き、闘争があるわけです。
いま述べたように三位となった元市職員の候補、ここが不出馬であったならば、二位の佐竹陣営が一位になった可能性もある。正直に言えば三位となった市職員候補は、他の地方議員からすれば(後援会組織も持たないわけで)泡沫だろうという扱いもされておりました。しかし4000票をとったわけで、ここは私もビックリしました。米軍基地がある自治体では、反基地政策も一定の声になるのだなぁという驚き。
ここまで栗原陣営が伸びるとは思っていなかったことから、それは他陣営も同じだったと思うのですが、次点となった佐竹陣営が首位ではなかろうかという前評判もありました。つまり立憲・共産系市長の誕生、と。共産系というのは断定はできませんが、立憲系というのは公式に述べていいと思っておりまして、(神奈川13区を制した)立憲の太議員の色はかなり強く、かつ立憲の政党看板にも佐竹陣営のポスターが貼られておりました。また共産系のポスターと同様に貼られている事例も複数ありましたので、立憲系・共産系候補と述べるのは誤りではないと考える。
佐竹陣営が有利だという情報が流れると、立憲・共産系は勘弁!という波風もたつわけで、最終的には自公系に票が集約されていった流れは私も感じました。
三位の元市職員候補が、他の元市議陣営同等レベルで戦えているという情勢が流れていたならば、これまた選挙の風は変わったかもしれませんし、そもそも出馬しなかった場合には立憲系が実際に当選した可能性もある。配られたカードの中から投票行為に市民は臨むのであり、仮に(自民推薦の元市議が出馬しなかった場合には)笠間候補が圧勝していた未来もある。市議を辞してまで自民系市長候補が擁立されたのは直近のことであり、保守系無所属が笠間候補1名という状況も有り得たわけです。
そのため単に市長選の得票数だけでは、そこに至るまでの政治闘争というものは見えてこない。
自民支持層同士の、令和たぬき合戦
「ありがとう」の凄みを論じるならば、笠間候補が置かれた政治環境や、綾瀬市を取り巻く政治環境であったりまた産業構造を述べる必要がある。
究極的には自民支持層同士の産業構造の話にもなっていくのだと思う。
綾瀬市には駅がない。
線路はあるけど駅がないという状況で、なんなら新幹線の線路まで市内を通過しているというのに駅はない。
隣町は海老名市であり、海老名駅は駅周辺の開発もあり大いに人口が増えている。海老名駅から笠間事務所までは車で10分ほど。市内在住者にとって(特に若手に限定すれば)不便はないが、企業誘致や商業施設については圧倒的な差がある。最寄りの海老名駅周辺に宿泊したのだけれども、僅か10分でこれでもかというほどに商業施設の数は違う。
また厚木基地の大部分は綾瀬市にある。
厚木市もあるけれど、近所と言うだけで厚木市には厚木基地はない。綾瀬市および隣接する大和市にあるのが厚木基地。
参考:厚木にないのに「厚木基地」?(上)由来は諸説あるけれど(カナロコ)
下記は綾瀬市の住宅防音工事の助成である。滑走路の通り方を見ればわかるように、かなりの部分を綾瀬市が占める。(滑走路は大和市にもまたがる。)
綾瀬市は市内総面積の18%が基地にとられている格好なのだが、開発は容易ではない。
(ちなみに厚木市は、海老名市のさらに向こう側でありなんで厚木基地と呼ばれているのかは本当に不明。)
市内には線路が走る。新幹線まで走る。そりゃ騒音もある。
しかし綾瀬に駅はない。車で僅かの海老名市は、海老名駅をもっており商業施設が充実。市民としては複雑な思いもあるだろう。
さらに基地としての負担もある。
地図を見て頂けると分かると思うが、市役所周辺が農地になっている。大規模開発をやるならば、恐らく適地はここしかない。
しかし、ここは農振地域。簡単に除外もできないし、地権者は農家ということになる。もともとは農業も盛んな地域であったことから、かつての農家はいまは不動産大手ということもできるわけで、市内の名士は農家も多いという状況。
とはいえ都内にも近い神奈川県。東名高速も走っており、新たにインターチェンジも設けられた。
昭和から平成になるに従い産業構造も御多分にもれず変化していく。
この章において「令和たぬき合戦」と付した理由がここになるわけだが、ある意味では農地を追われていくのが笠間のぼる市議らであった。
そんなわけで農業は農業で、市内で一定以上の発言力を持つ。農家の協力がなければなんの誘致もできないし、地権者は結局は農家の血筋にぶちあたる。とはいえ(家を建てたいとか物流倉庫を建設したいとなれば)農家に土地を手放してもらわねばならないし、それは農家としての廃業を意味する。家業を潰せというのは横暴なわけで、かと言って市役所周辺の開発もしたい。産業構造が変化していく中で、ある意味では追い詰められていく一次産業の姿もそこにはあった。
笠間氏が地盤としている早川地区は、前述地図で市役所の左上。家も随分と増えてはいるが、まさに農家という感じであり、新興住宅地も並ぶけれども地域としては農業というイメージ。二年前に亡くなったお父様は農家の名代的な存在であり、笠間市議の動きというのは一次産業とも関連付けられて見られていた。
それらの背景もあり、笠間議員は三期当選。
そのうち二期はトップ当選であり、自民公認候補としての戦いだった。
支援者の一部からは、”やがては県議に”という思いはあったのだろうし、それは一次産業が主導権を取り戻したいという願いもあったのことだと思う。ただし私は笠間氏からは県議選転出という話は聞いたことがないし、本人にはまったくその気はなかった。ここは断定してもいい。とはいえ現職の自民県議からすれば面白くない存在でもあったとは考える。少なくとも(笠間氏の支持層である)農家から見れば、県議に対する怒りというのはあった。実際に公言されていることも多く、「うちの”のぼちゃん”がよぉ、またイジメられて干されてきたからよぉ」という声は農家から実際に聞いた。(のぼちゃんとは笠間氏の愛称)
事実として、昨年に実施された統一地方選において笠間氏は不出馬を決める。その際には、「自民の公認が降りない」ことは判断の背景にあった。ギリギリまで出馬を模索し、実際に二連ポスターのデザインまで行っている。相手は西岡力会長であり、つないだのは私であったので西岡会長にも事情を話しており私も完成版のポスターデザインを確認している。ただし他の同僚議員の引退なども重なり、悩み抜いての不出馬であった。有権者からは自民から(もしくは自民県議から)仕打ちと受け止められた。公認申請の用紙すら頂けておらず、このことは自民党員(農家)に強い不満をもたらした。
減っていく農地、変わっていく街並み。
されども駅を有する海老名には及ばない。農地を手放せという社会的ニーズも出てくる。東名高速のインターチェンジができたことで、いままさに大型の物流倉庫も建設中。
仮に農振が除外されるならば、せめて物産品を売りたい。
駅もないゆえ、ならば道の駅を。
これはある意味では一次産業側からのニーズであり、土地を手放し廃業していく農家の涙でもあったように感じた。
だから笠間氏の掲げた政策は、”道の駅”だった。
とはいえ農家だけが自民党ではない。
自民党支持者の、産業構造別の支援者同士のにらみ合いが市長選に至るまでの背景にあったと思うのだ。
基地負担もある、新幹線の騒音まである。しかしうちには駅がない。
都会に隣接するがゆえの苦悩、かといって農地を手放しまくるわけにもいかない。難しい選択を彼らは問われていく。関連は不明だが、議長選挙において会派間でにらみ合い。笠間市議は、県議が中心となる会派からは距離を置いていく。
そうそう、笠間市議が県議選に転出することは絶対になかったという理由は一つ。私にとっては一期目のころからの友人で、8年前の行橋市議選にも4年前の市議選にも来てくれており、また私も綾瀬市議選に行くぐらいの仲良しであって、そんな展望は聞いたことがないというのが一点。そして前述のように(開発が進む自治体の)農家とは意外に財産もあるわけで、あまり公言することではないのだろうけど海老名駅前にビルを新築しちゃうぐらいには笠間氏は財力もある。まぁ市民も知っているわけで、綾瀬市の元農家たちには富豪もいるだろうし、彼らは恐らくは下手な都道府県議よりも資産家なのだ。本人はのんびりした性格であり、まさに農家。お米が大好きでほんわりした性格。こんなことでもなければ政治闘争に身を投じるタイプでもなく、野心を抱く素地はない。
私が「実態としての分裂選挙」と警鐘を鳴らしたのは、これら綾瀬の農家および元農家らは、近隣自治体においても土地持ちが多く、隣接自治体の政界にも顔が効く。農家からすれば「よくも!」という思いは持ってしまうわけで、市長選まで至ってしまった経緯というのは今後の市議選や市長選に一定の影響を与える。ここは確実に与える。
※1 最寄りの海老名や藤沢市など、仮に開発が終わった自治体でも元の地権者は農家であるため資産形成なども含めて地方政界に影響は与える。農家の悲願、土地利用の在り方の時代変化というのは綾瀬市にも言えることで、また厚木基地が関わるため非常にややこしい政治背景があった。
※2 そんなわけで立憲系・共産系が市長を奪取しておれば、即時に米軍との軋轢などある意味での沖縄化も懸念された自治体なわけで、最終的に自公系に泣く泣く支持を一本化した層もいたし理解もできる。
※3 特に、同じく厚木基地を綾瀬市と共に抱える大和市は複雑。大和市の保守系議員と笠間氏は交遊も深く、かと言って立憲系にとられると大和市まで身動きがとれなくなる。泣いて友を討ちにいく苦悩はあったものと推察する。
※4 そんなわけで東京都知事選だけではなく綾瀬市の市長選も重要な選挙だった。保守系の場合は(選挙が終わり左派系がグリップしたあとに)「なんでだー」と声を挙げることが多いのだけど、基地を抱える自治体の保守系議員が笠間氏の応援に入ることも理解はされている。一年前から市長選を視野においた活動を笠間候補はしており、同じく基地を抱える議会の議員は「応援に行く」と心に誓っていた。そんな突然に自民分裂選挙になるなんて思いもしていなかったし(自民推薦候補の出馬はギリギリだった)、かと言って何年も一緒に戦ってきた同志を見捨てるような選択は、基地自治体だからこそできない。考え方が軍人化しているという方もいるけども、基地を抱える自治体議会の議員は、相互の信頼が相当に厚い。共産党から攻撃対象になることも多く、守ると決めたら絶対に守るというマインドが特に強い。
※5 ちなみに私が市議を拝命している行橋市は、第八航空団築城基地を抱える自治体。沖縄の負担軽減(訓練移転)にも協力しており、綾瀬の思いも一定は理解できる。特に、朝鮮半島で有事が勃発した際には最前線となる可能性がある航空団であり、厚木や岩国同様に左派との激突がある自治体。綾瀬の状況を一定程度は理解できると言っても怒られはしないポジションだと思う。
市長選に至ってしまうまでの経緯、政治闘争
まず綾瀬において道の駅の推進があがった。
これは前述の農家からの要請もあったろうし、実は物づくりの街でもある。アンテナショップなど自治体発信は強いとは言えず、海老名に対する思いもあって普通に市民ニーズは強かった政策だと考える。
前職市長である古塩(こしお)市長も推進側。
笠間市長候補は市議時代から言及していたと思うので、計画そのものはかなり古くからあったのではないか。
そこには農家に(農地を手放してきてもらった)申し訳なさもあったと推察する。二期目であり、三期目出馬の可能性もあった。
年は73歳、昨今の政治情勢を鑑みれば再出馬するかどうかは微妙な年齢だ。
1977年(昭和52年)に神奈川県庁に入庁
2006年(平成18年)4月1日、綾瀬市教育長に就任。
2009年(平成21年)1月5日、綾瀬市副市長に就任。
2016年(平成28年)7月10日に行われた綾瀬市長選挙に当選。当時現職であった笠間城治郎から後継者指名を受けて出馬。
(私は面識はなくいまWikipediaでぐぐった。)
このあたりは笠間姓が多く、市議にも他の笠間姓もいる。
で、正直に言えば古塩市長と(地元の)自民県議はそりが合わなかったと言われる。これは笠間市議というよりは地元の農家の一部が言っていたことで、そういう意味では有権者が認識はそうなのだという表現しかできない。一般的に考えれば70代の市長が、県議のいうことを聞くことは考えにくく、県議サイドからすれば扱いづらかったのでは?という言われ方はしていた。
道の駅の建設を古塩市長は進めようとするも、結果として自民系市議(県議系)はこれを抑止。
事業が進むことになれば小塩市長は三期目の出馬を考えるようになるため、不出馬になるよう県議系が仕掛けたというのが農家側の言い分。
笠間市議は道の駅の推進を市議時代から求めるわけだけれども、自民支持層の農家の声を、結果として自民系が握りつぶすという謎の状況に。これは実際にあった話で、例えば(笠間氏が市議選不出馬を決めたのちの)綾瀬市議会において、道の駅の推進を求める陳情が提出されたのだけれども店晒しになってしまった。のち工業系だと思うけれども提出に漕ぎ付けている。このあたりはひと悶着あったようだ。
市議選への不出馬を決めた笠間氏だったけれども、相当な迷いがあった。実は私が怪我をしてしまった一年前だけれども、前日の夜も笠間氏と共に各地に応援に入っており、また怪我をしてしまった当日も宿泊所まで来てくれた。病院にまで荷物を運んでくれたのだけど、そのギリギリまで出馬・不出馬を悩んでいた。
その際から「いよいよになれば市長選で政策を問う」と覚悟も示していたのだけども、古塩市長が引退するか否かも分からない。仮に三期目の出馬となれば、そもそも笠間氏が出馬することもなかったわけだ。令和6年の7月の市長選だ、できれば後継指名を得たい笠間氏としては(現職がいる状態で)安易に出馬表明も難しい。色は出しつつも、睨み合いが続く。その中で道の駅に関する陳情処理があった。
笠間氏と同様に「道の駅推進」を掲げる市議らはおり、少なくとも年明け早々においては三議席程度の味方もいたのだと思う。私も自分の市議選の直前だったので時系列はあやふやだけれども、農業もしくは工業系の声を受けた綾瀬市議らであったのではないか。いま振り返れば、ここが一つの分水嶺で、その三議席は結局は笠間陣営の支援には入れなかった。そこが政党間の”調整”というもので、笠間陣営からすれば引きはがしのように見えてしまう。
仮に三議席だとすれば、市議らが本気で市長選を支えた場合、各議員は800~1000票ほどの集票能力を発揮する。ここが地方における市長選の面白い個所で、そして重要な点でもある。支援した市議は、当選した市長の与党入りすることが多く、政策協定なども含んでのこと。ここで2500~3000票が動いたと仮定すれば、自公推薦候補は約9000票に。笠間候補は約7000票。本来の支持層の分析ならば、落ち着くと思われていたのはこのあたり。非常に厳しいが、僅差までもつれ込む可能性が示唆されていた。現場の報道関係者からは、ジャイアントキリングも有りうるという情勢分析が伝えられた。
綾瀬市議らの支援が途絶えた時期は不明だが、春先あたりではなかろうか。分からないというのは私は自分の市議選だったから。
支援の口約束があった時点で、市長候補としての政策リーフレットなどを印刷し、「私たちも応援します」と市議らの名を印刷しておけば話は違ったのだろう。しかし、それは現職市長に退任を迫るようなもので、後継指名を狙うのであれば難しい選択。悩ましい選択。
また、「〇〇市議、〇〇市議、〇〇市議」と数名の推薦に留まれば、他の市議はいらんのか?となり、他市議から市長候補を擁立される恐れもある。一般的な市長選の場合、その得票のうち1/3~1/2は市議が集票すると言われる。現市長の後継指名をもって、現市長の後援会にも食い込みたい。どこで正規に名を挙げるかは難しい。本当に難しい。結局、このあたりは結論的に言えば遅れた。こういうのは本当にたらればの話だから仮定の話はあまりしたくないのだけど、敗因分析も含め私の思いを述べるにあたっては、断片的な情報なのかもしれないけれども私が見てきた風景も述べてはおきたい。
笠間候補を応援した古くからの友人として自戒を込めて述べるけれども、振り返ればここに甘さはあったのかもしれない。
道の駅の推進をしてくれた小塩市長に対する恩義から、市長選への言及を躊躇った瞬間。また市議の支持を広げたい思いもあったろうし、一部の市議から応援を頂いているという表明は、他の自民系市議(県議系)を排除するリスクもある。市長選にもつれ込んでのちは自民批判もあったのだろうけれど、市長選に至るまでのギリギリまで笠間候補は自民党を批判していない。単に勝利を考えるだけなら、自民党をボコボコに批判するビラでも作って、強く対立軸を打ち出す方法だってあった。しかし、彼はそれをしていない。
結果として、県議主導の自民系市議が、市議を辞職。笠間氏の対立候補として擁立されていく。
ここも読みの甘さはあったのかもしれない、実は私も甘えた考えをもっていたのだけれど、この低い支持率だ、自民推薦候補は擁立されずに波風立たずに市長選が終わった可能性もあった。事実、東京15区補選や綾瀬市長選と同日投開票の東京都知事選においては自民は候補を擁立していない。黙って無風で笠間市長が誕生する可能性を、私は願っていたし、どこかでそうなればいいなとも思っていた。自民が不利な中、わざわざ農業団体と対立してまで擁立というのは考えにくかった。
状況が一変したのは、沖縄県議選以降なのだと思う。
「あの沖縄でも勝った」のだから、やってやろうぜという空気が神奈川県内でも出てきたのではないだろうか。厚木基地を抱えるがゆえ、立憲系でさえなければ、それはそれで良しとするなら最初から手上げしていた笠間候補に一本化されていてもおかしくはなかった。私はそうであって欲しいと思ったし、綾瀬市ぐらいの人口規模だと党の推薦というのもあまり聞かない。綾瀬は人口が8万4千、行橋市は7万人ゆえ大きくは違わない。為書きを送りあうぐらいはあるにせよ、政党推薦で首長選を戦うのは珍しいと思う。
市議を辞職してまで県議系の市長候補が擁立され、自民推薦が決定。
さらには県連が本腰を入れて動き始める。基地を抱えるからこそリスクは最小限にしたいもので、ここまで一気に振り切るというのは本当に珍しいこと。
で、先ほどの話なのだけれども、市議からの支援が約束されていた時点でぶっ放しておけば話はまた変わったのだろうけれども、当時の状況から鑑みれば「見」で待機するのは間違った政治判断ではない。
最終的に(中立を要請するも)自民推薦候補に綾瀬市議らの支援は集中していく。
私が応援に駆け付けたのは、選挙戦も中盤。
序盤より難しい状況になっており、もはや市長選の構造的に勝利は難しい情勢に。
自民推薦候補の擁立は「ない」可能性を、私も楽観視して夢想してしまっていた。
この構造になった以上は難しい。のち、さらに差は広がったというか、傾斜は深まっていく流れもあったと感じている。
冒頭の、立憲系・共産系の当選が現実味を帯びてきており、それだけは阻止せんと泣く泣く投票行動を一本化していく流れはあったと思う。基地を抱えるがゆえの警戒心が、むしろ保守系であるにも関わず逆に作用するという状況。相手は自民・公明がついている、立憲阻止ならば一択だ、と。
(厚木基地を抱える)綾瀬市を、革新系に渡すわけにはいかない。
笠間陣営の支持層は、結果として切り崩されて行った流れも感じた。
ただ、ふたを開けてみれば結果はそんなでもなかったわけで、あれはあれで何だったのだとはなる。
特に、立憲系候補の支援に共産党が入っているとの説が流れると、その動きは加速していったように思う。
一人を決める選挙ゆえ、それはそれで仕方ないことなのかと各員が苦悩したことと思う。
笠間氏が自民批判に踏み切ったのは、市長選になる直前も直前。
「一本化のための降りてくれ」と、ある意味での無条件降伏のように突き付けられてのち。ならば私の一年は何だったのか、市議選不出馬は何だったのか?となる。お支え頂いている後援会が納得するだけの条件闘争でもあれば別だったけれど、そういうものは一切なかったときく。
自公候補の陣営からなのだと思うが、『笠間が調整に応じず暴走した』という噂が振りまかれていた。たまりかねて、笠間候補はやっと重い口を開く。下記は、いわゆる『告発』みたいな言及ではなかった。ただ支援者に真摯にあろうとした姿。
【選挙後半戦の一幕】選挙とは人の本質が出る。ピリピリして怒り出す者もいれば何も考えてない人もいる。それが人間なんです。
市民のために役に立つと思ったならば、私は一歩も退きません。#笠間のぼる がここに続けた一言が素敵。#綾瀬市長選 pic.twitter.com/gT6uF3jDWi
— 🐻❄小坪慎也🎌行橋市議🐻(トレンド1位) (@kotsubo48) July 6, 2024
市長選挙が始まった際、実はこの時点で相当に厳しい状況にあった。
敗色濃厚だ、と。そんなことは応援に入った市議らの全員が覚悟してのこと。
とはいえ、「行くから!」と約束していたのに、それを反故にすることはできない。
だから市外の保守系地方議員は多数が応援に駆け付けたし、その多くは自民推薦の議員であり、中には公認議員も複数が含まれていた。
冒頭で書いたように、こういうのは勝ちそうだから行くとか負けそうだから行かないではないのだ。
基地を抱える自治体は、共産党との激突が繰り返される。誰もが苦しい思いは何度もしているわけで、自分が危ない時、やはり味方には来て欲しいわけで、このあたりは(笠間候補だけではなく)相互の信頼という部分の基本になる。「あいつは絶対に助けに来る」「絶対に裏切らない」というのは、基地自治体の議員にとってはすごく大切なもので、万難を排して駆けつけるのは、例えば前線で負傷した兵士を友軍が見捨てないことに近い。これは美談でもなんでもなく、単に自分が負傷した際には助けに来るという安心感を相互にもたなければ、難しい勝負は一緒にはできないから。形勢不利を見るや後退する兵士は、他の兵士からは信用されることはない。
#笠間昇 綾瀬市長候補のため駆け付けた地方議員たち。右より、 佐藤良憲 兵庫県議、行橋市議の私、候補、京さん、京都より 平本英久 亀岡市議、東京より 鈴木信行(前)葛飾区議。ちょっとだけ顔写真に加工をいれさせて頂いているのは某議員(地方議員としてはかなり立場のある方)、栃木県より 長浜… pic.twitter.com/HchYOBXjVF
— 🐻❄小坪慎也🎌行橋市議🐻(トレンド1位) (@kotsubo48) July 5, 2024
(例えば佐藤議員は、伊丹基地の陸自出身。かつては自民の伊丹市議として。いまは(笠間氏同様に自民内で色々あり)維新の兵庫県議に。)
こういう背景を知ると、下記の動画の背景がわかると思う。
【選挙戦最終日】実態としての分裂選挙を戦い抜いた、笠間のぼる候補は「悪口の一言も言ってやろうかと思ったが、皆様の顔を見たら私は・・・」
苦しかったと思うし悔しかったと思う。
それは市長選の得票ではなく、市長選に至るまでの経緯と背景を踏まえればと。
ある意味では県議候補の有力対抗馬と勝手に目され警戒、
農業と基地と、商業振興の政策の狭間で。本人が望むと望まざるとに関わらず、市民の選択肢として自らを投じるべく出馬を決意せざるを得なくなった経緯。もともとは自分の支援者同士でいがみあう状況も。自民公認市議として支えてきたのに「自民を不利にするのか!」という批判、農家を背負って退くに退けない選挙戦。
最終日、マイクで話せる最後の最後。
20時直前に選挙事務所に戻ってきた笠間候補。
候補の正直な気持ちが発露された瞬間。1週間を戦い抜いた選挙カーから。
本当に複雑な情勢、猛暑の中での選挙戦だった。#笠間のぼる#綾瀬市長選挙 pic.twitter.com/iVy6vqwpO5
— 🐻❄小坪慎也🎌行橋市議🐻(トレンド1位) (@kotsubo48) July 6, 2024
よく頑張ったよ、と思う。
投票日まで立ち続けることもやっとだったと思う。
立派だった。
市長選の結果はこのようなものであったので、今後は道の駅は推進されない可能性が高い。
しかし、市長選の政策テーマに道の駅を固定し、各候補が言及せざるを得ない状態に持ち込んだ。笠間氏は市長選の動きを常に主導していたとも言えるし、そのうえで純粋すぎたとも言える。
見た目はのんびり、そして実際ののんびり。
この構図に持ち込めば笠間は退くとナメていたのかもしれない。しかし退かなかったし折れなかった。
数字だけ見れば惨敗だった。
しかし各党を巻き込み、この情勢まで持ち込んだことは「政治闘争としては一定の勝利」とも言える。市民に、市の未来の選択肢として実際に示すまでに至ったのだから。
市長選を終えての、地元紙の記事。
各候補からのコメントが並ぶ。
笠間昇氏は同日、取材に「私の力不足で支援者の方には申し訳ない。投票率が低かったことは自民党支持者の多い綾瀬にあって嫌気が差してしまった結果ではないか」と述べた。
こうして綾瀬市長選は終わった。
ある市議は”南方戦線”と表現
暑かった。ここからは少し笑い話にもなる。
人は必死だと色んな事が分からなくなる。
笠間市長候補は、市議時代の選挙事務所をそのまま使った。
私も行ったことがある事務所で、「おぉ、懐かしい」となる。
ちなみに初日に私も倒れた。(気絶などはしていないが。)
そこは農地にある、テント。
遮光はされているものの、いわゆるビニールハウス。
綾瀬市議選は春のこと。
まだ肌寒い日もある季節。
綾瀬市長選は真夏。
ビニールハウスは暑い。暑いのだ。しかもクーラーがない。
喫煙のため選挙事務所の外に出ると「(日陰ではあるけど)あれ?中より涼しくない?」と素朴な疑問が。
そう、ビニールハウスは暑いのだ。そりゃそうだ、冬でもあったかビニールハウス。そのために農家がお金を出して買うようなものがビニールハウスなので、なんと災害級の暑さの中、クーラーのないビニールハウスの中に私はいた。支援者やスタッフも全員が中にいる。高齢者や女性から、徐々に体力が吸われていく。唯一あった冷蔵庫も途中で不調に。
私は気づいてしまった、応援に入った初日に。
「ビニールハウスの中は、外気温より暑いですよ?」と。
けど言わなかった、いまさら言ってもどうしようもない。
この中でやるしかない。嘘だろ、と。大丈夫か、と。それでも私は上着を脱がない。
こういうのは心構えであり、バッジ着用、暑くても我慢というのが古臭い流儀。
そして倒れた。
私に続いて応援に入った議員たちも、全員が上着着用で支援に入る。
特に厳しい選挙だ、誰しも覚悟して入る。ある意味では制服みたいなものだから。
そして順次体力を吸われて、ついに私も上着を脱ぐ。
「みんな、脱げ、これはやばい。選挙を戦えなくなる」と。
市長選の選挙カーも軽自動車であり、確団車両の普通車の方が冷房という意味ではマシだった。
かなり素晴らしい選挙カーで、まったく申し分ない。ただし夏でなければ。
後席の窓は半分しかあかず空気は抜けない。選挙カーは基本的に窓は全開放であり、エアコンは効かない。
最終日、ついに笠間候補にも熱中症の傾向。
私は後席にいたのだけどマイクを通じてのお訴えにキレがなくなっていく、呂律がうまく回らないのだ。直射日光をモロに浴び続け、そしてよく考えればご飯を食べれていなかった。厳しい選挙の最終日だ、午前中は別の地方議員が候補とともに乗車し全力で街頭演説から何から駆け抜ける。私は交代要員として入ったのだけど、選挙カーは事務所に戻さずに人員のみ入れ替え。候補を除き、運転手やウグイス、私などが交代。最終日は休憩どころではないのだ。気力で頑張っていた笠間候補は、お昼ご飯を食べ損ねたというか、忘れた。
そして13時過ぎだったと思うけども、「これはあかん」と、運転手に私が「停車してくれ」と要請。
日差しをもろに浴びながら、車体でできた小さな陰に候補を座らせる。死ぬほど熱い、きんっきんのアスファルトの上に。せめてもの熱を抜きたいとタスキも一旦は外してくれ、と。すると候補は「涼しい」と。いや涼しくはないだろ、と。熱いぞここは汗
冗談ではなく本人は本当に涼しそうな表情をしている。
正面から見ると目の焦点もあっているのか不明という感じで、眠くなってしまうと候補はいうけれどもそれは意識が混濁しているのではないか、と。14時から街頭演説が入っているため、せめて30分だけと選挙事務所に戻り、少しだけご飯を食べて再度の乗車。
私は本当は14時に綾瀬を立ち、土曜日(最終日)には行橋市まで戻る予定だったのだけれども、候補を置いてはいけない、と。万が一にもガチで熱中症になってしまい、選挙カーに乗れないとなれば私も責任を感じる。一旦は海老名駅に送ってもらうべく、知人の車両に乗ったのだけれども「駅ではなく、選挙事務所に向かってくれ」と頼み、私は延泊することに。
(youtubeなどの動画で私も着衣が少し乱れているのは、もはや汗だくでそれでもマイクを握るときはジャケットを着直しているから。ベチャベチャになっており袖が通らなかった。)
これはこれで私の思い出にもなったのだけど、一緒にいたからこそ、
ここまでの暑さなのだから、適時の休憩なりご飯を食べたかの確認なりすればよかった。焦り、焦燥感。戦うんだ!という強い意志、その気力こそが厄介なもんで、イケイケ!だけではあかんな、と。
夏はクーラーは必要だし、特に真夏のビニールハウスは凄まじく熱いというのが私の人生訓になった。
あと夏の選挙では軽自動車はダメだ。これは体力が吸われる。
投票日の朝、笠間候補に少しだけ挨拶をして行橋に帰った。
「無事でよかった」と。もしも病院で点滴とか打ってたらどうしよう、と。責任問題だとすごく心配してたんだ。無事でよかった。
体力も限界なら、精神的にも限界の選挙だったと思う。
あと暑さも限界だった。自衛隊あがりの地方議員が、ついにジャケットを脱ぎ始めて疲弊していく姿はなかなかない。私たち応援議員は休憩やローテーションがあるけども、候補は一名しかいないのだから常に乗ってる。よくもったと思う。
さっきと同じ動画なのですが、昼はフラフラになっていた笠間候補、
それが心配で心配で、行橋に戻れなかったゆえに私が同席できた、最後のマイク。
候補の正直な気持ちが発露された瞬間。1週間を戦い抜いた選挙カーから。
本当に複雑な情勢、猛暑の中での選挙戦だった。#笠間のぼる#綾瀬市長選挙 pic.twitter.com/iVy6vqwpO5
— 🐻❄小坪慎也🎌行橋市議🐻(トレンド1位) (@kotsubo48) July 6, 2024
この時点ではね、もはや敗色濃厚ということは、政治関係者は分かったうえで共に在った。
本人もかなりの覚悟はしていたろうし、革新市長阻止のためという理由で支援者が切り崩されていく実態も分かっていた。けれども最後の最後まで立ち続け、本当は悪口のひとつも言いたかったろうに、最後まで「ありがとう」「ありがとう」と絞り出すようにして戦ったんだよ。笠間さんは最後まで自民県議の悪口はマイクで言っていなかった。他にも言いたいことはたくさんあったろうに、どこまでも寄り添おうとしたんだ。
政治にたらればはないけれど、もしも分裂選挙でなかったならば。
立憲系との一騎打ちであったならば。もしも現職市長を踏みにじる形でさっさと表明してしまったならば。優しさと甘さは違うにせよ、この粘りは甘さではなく強さなのだと私は思う。
綾瀬市長選は、この形の市長選になったのは、
周囲が笠間さんをナメていたからこそ生じたものだとも言えるし、ある意味での党内政治闘争とも言われるのだろうし、そして周囲が思う以上に笠間昇という政治家のメンタルは強かったのだ。政策テーマを固定させるだけの老獪な手腕もあり、そして純粋さも備えていたのだ。私は彼を誇りに思うし、支え続けた後援会の一人一人を誇りに思う。
笠間さんは、翌日、立った。
街頭に立っていた。辛かったと思う。何よりこの日がもっとも辛い。
けれども立ったんだ。
名前がね、あるんだよ。政治家には。それぞれ名がある。
ここが厚木基地を抱える自治体だと知らなかった人もいるだろうし、結果として自公系が勝ったと、それだけしか見ない。
いい、それでもいいんだ。けどね名があるんだ、人間なんだよ。
沖縄の県議選においてもそう。
過半数か否か、数字で見る人もいる。そりゃ数字なんだ、議席数も数字だからね。
けど一人一人に名前があって、支えている陣営があって、必死の思いで戦っているんだよ。劣勢だと分かっていてもそれでも応援に入る地方議員たちもたくさんいる。実際にいた。
私はそのことを尊いと思うし、それが民主主義の払うコストなのだと思う。ここで流された汗も、涙も。
きっと自治体の名前も忘れる人もいるだろうし、ある意味での政局(自民が勝つか否かの、国政の政局)が持ち込まれた選挙でもあったと論評されよう。私が言いたいのは、一つ。それぞれの候補に名前があり、それぞれの候補を応援する人がいるんだ。真夏の選挙を、暑い暑い選挙を支えた有権者たちがいる。支援者たちがいる。それらすべての方々に栄光あらんことを。
一歩、前に出る勇気。
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お疲れ様でした。先ずは選挙の疲れを癒して下さい。
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共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
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関東でも綾瀬市と聞いてピンっと来る人は少ないのではないでしょうか。
やはり鉄道駅が無いのは、こう言った所にも影響がある様です。
嘗ては、車で移動する人であれば東名綾瀬こと東名高速道路上の綾瀬バス停付近が渋滞の名所であった事、そして最近は綾瀬スマートインターチェンジが新設された事から、名前は知っている程度だったりするのが実情でしょう。
寧ろ、東京都足立区綾瀬の方が女子高生コンクリート詰め殺人事件の現場と成り、全国的に一躍有名に成った関係上、こちらの方がピンっと来る人が多いのではないでしょうか。
扨て神奈川県綾瀬市ですが、そう言う事もあってかやはり農業が大きな基盤と成る地域と言えるのではないでしょうか。
特筆すべきは畜産も盛んで、中でも高座豚の養豚は有名で、市場では余りお見掛けする事の無い高級豚の産地だったりします。
これらを考慮すれば、綾瀬市は農業振興は斬捨てる事は出来無いのは明白です。
明治以降、現在迄の地域発展と言えばベースが人口増加を前提として行われて来ました。
ですが既に我が国は人口減少のターンに入って居るのは誰でも知って居る事ですが、人口減少を前提とした地域発展策に着手出来て居無い事が殆どです。
確かに現在でも都市化した方がまだ人が集まりますが、それも何時まで続くのか不明です。
人口の一極集中して居る事で問題と成って居る東京23区ですら、実は過疎地区が存在するに至って居ます。
これらを鑑みると、農地の極めて少ない東京23区の近郊に農業が盛んな地域を擁するのは、国家戦略的には大きなメリットとも言え、それが顕著に現れるのは東京で大規模災害が発生し、食料入手が困難に成った時でしょう。
勿論、食料自給率の面でも同様です。
首都圏危機管理を考えれば、綾瀬市の農業振興は大きな意味合いがあるのは事実と言えます。
まぁ、率直な意見として笠間先生は非常に話し易いタイプの人柄なので、相談殺到でオーバーフローさえ起こさせなければ、仮に当選して居たとすれば笠間市長は綾瀬市にとって莫大なメリットを齎したのではないかと考えて居ます。
恐らく、改善すべき点(悪い情報)をフィルタリングせずに、素直に伝え易い市長に成って居たと思います。
そう言った意味で今回の選挙は、選挙戦略と組織間の利害、選挙運動の在り方等、現行の政治が地元や現場を無視して進められる問題点も浮彫にした典型的事例に成ったと言えるのではないでしょうか。
地図を見て圏央道が近い…たしか圏央道あたりのインターチェンジ付近って「大規模物流倉庫用地」として、今、一番熱い(新型コロナでネット通販が流行したのもキッカケ)んだよな…というかんじで調べたら…
https://www.lnews.jp/2022/08/o0804302.html
↑たとえばこんなかんじで、雨後の竹の子状態ですね…
ただ、同じ圏央道付近でも茨城県(常総市)だと…
https://www.lnews.jp/2023/08/p0831311.html
↑「大規模物流倉庫」と「道の駅」と「観光農園」などを、一体に開発してるから…こういうところが大成功すれば、それを見て「うちでもやろう」って声も出てくるかも?
都市部にある綾瀬市(3,741人/平方キロ)と違って、常総市(477人/平方キロ)は農業関連に賭けるしかない、必死さが違うってのは、あると思いますが…
ある意味、綾瀬市は「選択肢が多い」んですよね…
全国的に名が知られる農産物がある場所は…都市部でも農家がなくなりにくいとは、思います。
たとえば「練馬の大根」とか…
練馬は「山手線まで5キロ」とかなのに、農地が残ってます(東京23区でトップ)からね…
今はちょうど「デフレマインド(新しいことは大抵失敗するから、何もやらないのが正解)」から「インフレマインド(他より先に新しいことをやった奴が勝つ)」に変化しつつあるので…市町村ごとに差がつきそうです。
こんな理不尽きわまりない、絶望的な状況で、
応援に駆けつけた地方議員、支援を続けられた後援会のみなさまと笠間のぼる氏は、
誹謗中傷に対しても応酬をせず、綾瀬市のため尽力することを訴える見事な戦いでした。
未来を拓く大きな戦いであったと思います。