本日、10月3日は中川先生の命日です。
あれから何年が経ったろう、自民惨敗、民主党政権樹立。
迫りくる闇法案、建て直しを図るべく鼓舞するネット保守陣営に、急報として入った訃報。
私はあの日を忘れることができません。
※注
タイトルにおいて、また記事中の一部においても中川昭一と敬称を略して表記しておりますが、これは「存在」としての中川先生を示した表記です。
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[su_heading size=”30″]平成21年10月3日[/su_heading]
中川先生が亡くなった。
発表は明けてのことだったろう、報道は4日のことであった。
あの時代がどのような時代であったか。
いまから平成21年(2009年)、6年前のことである。
6年も、なのか。
たった6年なのか。
僅か数年前のことと言うこともできるし、遥か昔のことのようにも思う。
[su_box title=”ダボス会議と酒飲み会見” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
日本を救う、世界を救う。
経済に主軸をおき、リーマンショックから回復基調を見せた麻生政権。
真骨頂たるあのダボス会議において、
世界中から賞賛されたダボス会議において、
日本において「のみ」、徹底的に叩かれた。
私の記憶になるが、会議終了後の会見であり、
しかも会見前に「うまく行って良かったですね」と酒を飲ませたのは、毎日新聞の女性記者であったと思う。
その名は越前谷知子。
[/su_box]
[su_box title=”中川昭一、落選。” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
現職の閣僚が落選。
比例復活もならず失職。
政権交代の象徴として、その落選は徹底的になじられた。
偏向報道どころではなく、実際には捏造もあった。(バチカンの証言など)
落選してまで、現職を退いてのちもなじられ続け、その名は徹底的に汚され続けた。
[/su_box]
[su_box title=”落選の報” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
耳を塞ぐばかりの、落選の報。
木原みのる、落選。
赤池まさあき、落選。
中山なりあき、落選。
西川きょうこ、落選。
臼井しょういち、落選。
総裁であった、麻生総理をなじり続けるテレビ。
笑顔であった麻生さんの、あのような顔は初めて見た。
あのような顔をさせてしまったのだ、私たちは。
[/su_box]
[su_box title=”政権交代” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
報道の圧倒的な戦力の前に、保守勢力は敗退。
自民党は惨敗し、麻生政権は潰えた。
9月16日、民主党による鳩山内閣誕生。
[/su_box]
[su_box title=”一歩、前に。” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
ネットのみの活動から、一歩前に。
一部のネットユーザーは、手探りで麻生選挙を支援。
党本部もこれに答え、ギャンブルパンフなどが作成された。
リアルのノウハウを持たぬネット支援者たちと現実の事務所は、各所で不幸な衝突も見せた。
両者が手探りの中、連携を模索した時代。
その報は、もたらされた。
誰もが言葉を失った。
[/su_box]
[su_box title=”10月4日、訃報” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
このタイミングでの訃報であった。
ネット保守、指揮官級すらも言葉を失い、陣営を鼓舞するどころではなくなった。
民主党政権の成立を受け、折れ切っていたと思った心は、
完全にバラバラになった。
[/su_box]
[su_heading size=”30″]2009年、政治とネットとメディアと。[/su_heading]
平成21年を、多角的に振り返る。
[su_box title=”偏向報道の年” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
カップラーメンの値段、漢字クイズ。
いま思えば凄まじくどうでもいい話で「いつ解散ですか?」とメディはがなりたてた。
ネットがある程度の監視機能を有する「6年後のいま」とは異なり、
あの年は、偏向報道が最も激しい年であったようにも思う。
[/su_box]
[su_box title=”メディアが政治を倒した年” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
構図はこうだ。
メディアによる攻勢により(敢えて言わせて頂くが)「民度の低い層」を徹底的に狙い、支持率から見て「勝てる算段」をつけた上での「解散風」のように感じた。
その武器として「現金あげますよ」という子ども手当は有効な手段であった。
私が「民度の低い層」と、政治家にあるまじき発言をさせて頂いたのは、ここに起因する。
政治は、メディアに敗北した。[/su_box]
[su_box title=”メディアの罪が問われなかった年” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
解散権は、首相の専決事項である。
あたかも「明日、解散」「すぐ解散」と報道したことの「罪」は、問われたのだろうか。
就任直後より連日解散と言われ続け、結果として、それらの報道はすべてが誤報であったのだ。
あの罪は、ネット不在の中、誰からも責められることはない1年であった。
[/su_box]
[su_box title=”ネットの敗北” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
リアルとの接点をうまく見出せぬまま、
ネット上の支持層と政治は、スムーズな連携を取れたとは言い難い。
連携不足もあっての、ネットが敗北した年とも言える。
リアルでの動き方がわからずノウハウ不足による部分も大きかった。
例えば選挙の支援方法、リアルでの動き方がわからない等。
頭数は相当に揃えども、指揮官をもたず組織化されていないというネットの特性が、逆に弱点となった側面もある。
[/su_box]
希望。
小さな萌芽。
[su_box title=”手探りが始まった年” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
メディアの力の前に、屈した。
政権交代は、起きてしまった。
対民主党政権、対闇法案。
組織化の必要性が叫ばれ、リアルとの連携が模索されていた。
これは自民党側においても、またネットにおいても同様であった。
両者のすれ違いは続き、求めあう手が握りあうことは難しかった。
ネットと政治が、実務的に交わり始めた年であった。
[/su_box]
[su_box title=”自民党の内紛の年” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
麻生さんも辛かったと思う。
「漢字が読めないから落選させられた」「中川が酒飲みだから落選させられた」
落選してしまった議員自らが言ったわけではないが、支持者からは怨嗟の声。
無論、中川先生への批判も。
本来は責任を問われる必要のない者たちが、敗北の責任を問われ続ける恰好となった。
中川先生自身、恐らくは散った同僚議員たちへの贖罪の意識に悩んだのではないか。
特に選挙前においてだが、自民党の内紛が報じられた年でもあった。
[/su_box]
[su_box title=”ネットの疲弊” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
瞬発力においては類を見ない強さをもつが、
継続性については弱さも見せるネット。
継続しての行動、国籍法からダボス会議、続く麻生選挙。
疲弊しきっていた。
私生活もあり、その上で「ちょっとネットも」という負荷ではなかった。
ただの一発の弾も、絶対に通せぬような事案ばかり。
様々なものを犠牲にし、多くの者が前に立った。
長く持つような、そのような体制ではなかった。
[/su_box]
[su_box title=”葛藤と苛立ち、小さな一歩。” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
自民の内紛をメディアはクローズアップ。
連携の必要性が、政治側・ネット側から模索される最中、
ネット保守層は、自民党支持者と一部において対立。
実際の政策上の実績を知るネットは、麻生・中川を高く評価。
ネットは、メディアの偏向を批判。
麻生・中川を(報じられぬため知らなかった)自民支持者と溝を深めて行く。
思えばこれすらも作戦であったのか。
疲弊しきった状態で見せられた自民党の内紛劇。
心を折るには充分であった。
葛藤、そして苛立ち。
多くの者が、去って行った。
しかし。
リアルとの乖離、ここにネット保守層が疑問と悩みを感じつつ
衝突しながらも距離を縮めはじめた年であった。
ネットとリアル、その始まりの年でもあった。
[/su_box]
私自身もその末端として、双方の橋渡しを模索した一人であった。
FBという実名SNSが登場する以前に、政治専用SNSを開設。
最盛期は年間20億PVを達成、自民党の支部長を公式アカウントとして迎えるまでに至った。
(webからDLする方式の、国会法に基づく請願はこの際に多用された手法)
3種郵便の取得を目指したものであるが、現在は実質の休止状態。
やがて事業廃止も検討せねばならない。
[su_box title=”小さな芽” style=”noise” box_color=”#FF0000″]
一部の保守活動家は、これを機にリアルとの接点を模索し始めた。
結果としてweb上からは「前向きに」一時引退した者もいる。
リアルのロビイストとなっていったのだ。
私もその一人であるが、地方議員選挙を戦った者も多い。
このとき、小さな芽は育ち始めた。
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ネットとリアルの融合、双方が模索を始めた瞬間。
折れかけた心を必死の思いでつないでいた、あの日。
中川昭一というヒーローを失った。
無論、現実世界での評価は高い、
のみならず、ネットでは偶像化された、
すでに神格化とされたと言ってもいい英雄であった。
今後のこと、体制の再構築。
ぼろぼろの保守陣営を見るに、誰しもが言葉を失った。
そのような全体のことは、どうでもいいとすら思ってしまった。
ただ、何より悲しかった。
30歳を過ぎて、はじめて泣いた。
[su_heading size=”30″]失ったもの[/su_heading]
麻生選挙は、負けていない、とそれでも言いたい。
結果が全てであるが、実は負けたとばかりも言えないのだ。
それは安倍選挙が「勝った」とは言えない、深刻な状態を示すものでもある。
[su_box title=”喪失した経済政策” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
若者を思い、トリクルダウンとは真逆の舵をきったのが麻生内閣であった。
その経済政策は、財務大臣 中川昭一の手によるものであった。
麻生選挙は惨敗した。
結果、それらの政策的な方針は、国民の手により完全に葬られた。
中川昭一の死と共に。
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[su_box title=”新自由主義の台頭” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
同じ方針を、あれほどの結果を前に、再度、提示する賭けはできない。
結果、経団連に迎合したかのような政策に縛られることとなった。
今後の自民党政権は、(メディアの)スポンサーを、ある程度は喜ばせるような運営しかできないだろう。
長期政権を目指すことが国益と同一視できる以上、残念ながら構造上の問題となってしまっている。
中川昭一が不在であり、構造改革路線の総括ができぬまま今を迎えてしまったためだ。
[/su_box]
[su_box title=”麻生内閣の得票数” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
数字をこの場で調べる余力がないため、詳しくは調べて頂きたい。
恐ろしいことがわかるだろう。
麻生選挙は、負けたとも言えなかった。
一丸となった、リアル保守陣営・ネット保守層の献身的なまでの支援は、確かに数字に結び付いていた。
得票だけで言えば、最高とも言えるほどの得票を得ている。
安倍選挙の得票は、実は、比較すれば低い。
差は、野党が民主党に一本化されていたか、
もしくは少数野党に分断されていたかの差に過ぎない。
麻生内閣も、そして中川さんの経済政策も、数字として確かに支持されていた。
(年表にして数字にすると、実は保守も票を落とし続けていることに気付くと思う。)
[/su_box]
[su_box title=”これからの日本” style=”glass” box_color=”#0000FF”]
安倍内閣の続投を支援します。
しかし、その軌跡は、一部において新自由主義の味がするのだろう。
この舵を切りなおせるのは、次世代の台頭しかないと考えたわけだが、
成功したとは言い難い。
安倍政権の長期化をもって、国内は安定するだろう。
産業なども活発化するだろう、しかし、その先はどうなのか。
あの時、私たちが麻生さんを守り切れなかったことによる「打撃」に対し、これで間に合うのだろうか。
この判断は、私はいまだ持ちえない。
[/su_box]
どうしたらいいんだろう、
もういない方に問うのは間違っているのだろうが、どうしても今日は、中川さんのことを考えてしまう。
これからの日本を、どうしたらいいんだろう。
あの時、真夏の麻生選挙、私は必死に戦った。
皆も必死に戦った、だけど足りなかった。
あの時、あの時、もっと。
悔やんでも悔やみきれない。
[su_heading size=”30″]6年後の今日、触れたニュース[/su_heading]
にくい演出だな、と思う。
平沼先生と中川先生は、昵懇の中であったことは有名。
あの日、郵政選挙において「族議員側」のリーダーとして動いた平沼先生は、以後、在野の将として動く。
自民 平沼氏と園田氏の復党を了承
自民党は2日、党紀委員会を開き、次世代の党を離党し、復党願を提出していた、
平沼赳夫衆議院議員と園田博之衆議院議員の復党を了承しました。
衆議院岡山3区選出の平沼赳夫衆議院議員と、熊本4区選出の園田博之衆議院議員は、
いずれも先月、次世代の党を離党し、自民党に復党願を提出していました。
これを受けて、自民党は2日、党紀委員会を開いて審査した結果、
「政治家としての2人の経験や見識を、今後は自民党の活動で生かして
もらうべきだ」などとして、平沼氏と園田氏の復党を全会一致で了承しました。
このあと党紀委員長を務める山東元参議院副議長は記者会見し、
「平沼、園田両氏には、これまで以上に正論を主張しつつ、党の重鎮として
若い国会議員へアドバイスするなどのサポートをしてもらいたい」と述べました。
また、党紀委員会で谷垣幹事長は、党の若手議員らが開いた勉強会で
報道機関を批判する意見が相次いだことを巡って1年間の役職停止の
処分を受けた木原稔衆議院議員について、深く反省しているなどとして
役職停止の期間を3か月に軽減し、処分を終えたことを報告しました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151002/k10010256481000.html
次世代への打撃は、この際は論じないが、2日は昭一先生の命日の前日。
ボタンの掛け違いと言っては怒られるのだろうが、反小泉の旗を掲げ、新自由主義と戦った平沼先生。
この時、中川さんは小泉内閣の閣僚であった。動けなかったはずだ。
そして、中川さんは、麻生内閣において、新自由主義の傷跡を修正しようとしていたように思う。
2日の発表であれば、命日の今日、ある方はある方に、この復党を報告できるのだろう。
今日でしたか、と。
まったくまとまりのない文章です。
どうまとめたものか。
昨夜から書き始めていたエントリは、いつまで経っても書き終えることはできなかった。
いまだに受け入れることが、できていないのだろう。
あの日から、六年。
日本は、どうなったのか。
そしてあの訃報に接し、涙を流した友たちは、今日をどう過ごしていくのか。
覚えていますか、今日は、中川先生の命日です。
日本のために身体を張った男の、命日です。
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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)
越前谷 知子 読売新聞の記者です。今、まだNYにいると思います。9月中旬ごろの新聞に署名いり記事を書いていました。
【今日は何の日】中川昭一、急逝。【黙祷】 本日、10月3日は中川先生の命日です。 あれから何年が経ったろう、自民惨敗、民主党政権樹立。 迫りくる闇法案、建て直しを図るべく鼓舞するネット保守陣営に、急報とし
小坪先生、新規投稿ありがとうございます
もう、4日になってしまいましたが・・・・
中川昭一先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
敬愛する中川昭一先生
どのような心情の中で息を引き取られたかと思うと今でも辛いです。中川先生のあの屈託のない笑い顔が見たいですね。侍でした。
安保法制が成立してイライラが落ち着いてから中川先生のことを思い出していました。安倍総理、麻生大臣、頑張って下さい。中川さんが共にいらっしゃいます。ゴミを取り除いて日本を皆で取り戻しましょう。
中川先生のご冥福をお祈り申し上げます。
直接の縁者ではなかったネット上の保守にできることは絶対に「彼ら」に殺されないこと。中川昭一先生を死に追いやったやつらが本当に殺したいのは麻生政権、中川大臣が守るこちらにいた1億2千万の、サヨク・媚反日国以外の日本人であり、それは民主党政権が崩壊し再度安倍政権となった今でも続いています。物理的にも社会的にも国際的にも殺されないために活動していくことが今生きている我々にできることと信じて。
別件申し訳ございません。
いつも拝読しております。
■国民による翁長立件手段のお知恵を頂きたい
まとまりなく雑なお願い無礼お許し下さい。
可能であれば、現実的かつ確かな効果を持つ手段についてお知恵を頂きたく、以下お伝え致します。この後、坂東氏にも警察・公安の観点でお聞きしたいと考えております。
人任せにはせず、自身でも考え見出だし行動しようと思います。
国民が、那覇地検、最高検察庁を崩す手段、翁長の問題を一つ一つ確実に立件までもっていく手段、もしくはその他となります。
【動画】青山繁晴暴露!どうやって翁長さんに中国が工作機関が接近したか、
http://stgeoge.ti-da.net/e8001543.html
全文章化版
http://blog.goo.ne.jp/hikarinonakama/e/437408d1d9cf02182ca08ad4c37a8e5d
以上、ご確認の程、宜しくお願い申し上げます。
すごい方だったんですね。
あの頃、ほぼ政治には興味がなくて自民の悪い点ばかりメディアに見せられた結果、民主党に投票した自分がいました。
いい年をしたおっさんが・・・・情けない限りです。
保守に目覚めてから、創価に殺された議員がいると噂を聞いたことがありますが、それが中川先生だったんでしょうか?
安倍首相が米国議会の「性奴隷非難決議」に対して、正面からあまり抗議できず、偏向マスコミからも袋だたきにされていたころ、「中川昭一先生なら、敢然と米国を効果的に批判できるに違いない」と1人の日本人として密かに期待していました。
ぜひ首相になってほしいと切望していましたが、亡くなられたときは非常に落胆して、その夜はろくに眠れませんでした。
中川昭一先生といえば拉致問題でも積極的に発言し行動されました。拉致問題といえば北朝鮮の異常性とセットですが、戦後日本のあちこちに巣食ってきた反日左翼の「すさまじい異常性」はどうしても理解してほしい、日本だけのあまりに特殊な現象です。
先週の関西で放映された「そこまで言って委員会」を本日ネットで早送りで見ましたが、テーマは日中関係でした。昭和60年代以降の日中関係をいろいろ分析していましたが、一番重要な側面が意図的に省略されていると思いました。
あの時代の本質は日本の反日左翼が共産主義衰退のなかで必死に日本のオピニオンリーダーとして生き残るために中国や朝鮮半島の反日を死にものぐるいで扇動して日本への憎しみを煽っていました。
マスコミも教育も狂ったような反日左翼の支配下にありました。
こういう時代に「芯の強い政治家を求めるのは100%無理でした。政治家にとって中国や北朝鮮などに強硬な発言をするということは「即座に政治な抹殺」を意味していました。
あの時代の政治家を弱腰だと非難するのは無意味。それほどの風潮でした。左翼の洗脳はあちこちで完了していました。
だから1980年代にはすでに北朝鮮の拉致がかなり濃厚に疑われていてもほとんど無視されていました。
「すさまじいほどの反日左翼の異常性」が発露されるのは、北朝鮮の金正日が拉致を認めた後です。
しばらく左翼は呆然としていましたが、すぐに「慰安婦騒動で何万人も拉致した日本人が北朝鮮を批判する資格はない」という絶句するようなプロパガンダでいっせいに反撃にでました。
まったく次元の違うものを同列に置く神経の異常性も悪質ですが、普通の国であれば、こんな異常きわまりない発想は変質者でもないかぎり、間違いなく起きないでしょう。
米国での911テロのときに「同じことを米国もやっているのだろうのだから自業自得だろう」とか「イラクやアフガニスタンでも何百人も民間人を誤爆等で殺害していることを忘れるな」などと誰かが発言したら、どうなるでしょう。いくら言論の自由といっても大衆の怒りの抗議がさく裂しますよ。間違いなくヨーロッパの国でもアフリカの国でもふざけるなと怒りが爆発します。
全国から送られた千羽鶴のある部屋で横田めぐみさんの帰りを待ちつづけているご両親の胸中を思うとき本当に切ないですが、もしめぐみさんが北朝鮮の報告どおり、1994年に病院で自殺されていたとすると、当時は朝日新聞等が狂ったように従軍慰安婦騒動をやりつづけて、その衝撃派が朝鮮半島を襲っていたので、めぐみさんは朝鮮人に「お前が拉致されたことを恨むなら日本人を恨め。日本人がこのように何万人もの少女を拉致したのだ」と洗脳されたに違いない。
それでめぐみさんが、あまりに罪悪感で精神的に不安定になり自殺をしてしまったという想像がずっと脳裏から離れません。
なぜ1977年に拉致されて、1990年代まで(おそらくご両親になんとしてでも会いたいと)歯を食いしばって頑張っていたに違いないが、ついにおそろしい日本人悪魔化洗脳が朝鮮をおそってきて最後に力つきてしまったのではないかと思えてならないのです。
あれほど異様な時代に孤軍奮闘して左翼とたたかった中川先生は偉大でした。
しかも東京大学法学部という左翼の巣窟出身にもかかわらず、ほとんど洗脳されたような感じはなかったのです。
朝日新聞も毎日新聞も東京新聞も神奈川新聞も、どの新聞社も本当にひどかった。朝日新聞の論調とウリふたつであったのです。
丸山真男などアホの東大学者(なにもわからない学生や国民を扇動して暴れ狂った日米安保騒動を「日本憲法の血肉化」と絶賛)を毎月のように絶賛して、「天皇制ファシズム」を糾弾して、「日本人は反省しろ」とわめきちらして毎年年収が軽く一千万。北朝鮮の薄汚いスパイに国土を蹂躙されて何の罪もない少女が政治目的で誘拐されたことなど屁でもない。(本当に屁でもなかったのです。)
この異常きわまりない左翼がのさばった日本で中川昭一氏のような政治家が出現したことは奇跡のように思って当時は見ていました。
ちなみに中川先生は保守本流らしかったので、憲法改正は志していたと思いますが、たとえば現時点で「中川昭一氏の遺志をついで憲法改正に突進しよう」という政治家がいたとしたら、あまり信用できません。
日本の政治はそれほど甘くないと思います。
自民党があれほど強い意志で安保法案を成立させたのだから、あと数年はじっくりとこの法案のもとで実績をつんで、それから将来機会があれば憲法改正(9条改正)を提起すればいいと思います。
中川昭一氏はそういった情勢判断もすぐれていたと思います。ほんとにお亡くなり勿体なかったと思います。
できれば日本に生まれ変わって将来の日本のために尽くしてほしいです。
ネットの敗北中は例えばヤフーのコメントなどは、現在は保守だらけですが、当時はサヨクだらけでした。慰安婦問題でも敗北を認める発言も多く、毎日歯がゆい思いをしたものです。
そんな中、余命ブログなどの保守ブログに出会い、その過程で麻生政権や中川氏の業績を知りました。
二度とあのような悲劇を繰り返してはなりません。
辛いことが続いていたころの中川昭一氏に僭越ながら励ましのメールを送らせていただきました。そのあとの突然の訃報でした。悔しくて悲しくて涙が止まりませんでした。
弁護士の北村氏が麻生政権のことを思われて、「マスコミを信じてはいかん!」と大声で叫んでいらした動画、平沼氏が中川氏のことを語っておられた動画、当時のことをいろいろと思い出します。平沼、安倍、中川、麻生の頭文字をとった「HANAの会」のことなども・・・。
あの頃、見ていたアニメの動画があります。「じみんの日び」です。
麻生氏は猫の麻にゃん、中川氏は北海道だからか、背中にファスナーがついたクマのぬいぐるみの昭ちゃん。今日は久しぶりにこれを見ようと思います。
*じみんの日び 第5話「昭ちゃん」
https://www.youtube.com/watch?v=ckTkPF6ItCc
*新!じみんの日び 第7話 「昭ちゃん ありがとう」
https://www.youtube.com/watch?v=db9o5HhlOTg
下記サイト、まだ消さないままでいます。
http://nakagawa-shoichi.jp/
*【遅い!】マスゴミが今更語る麻生政権の功績【IMF改革】
https://www.youtube.com/watch?v=nzcic3oCdlY
あの時から今も、小坪先生と同じ思いでおります。心強く、うれしく思います。ありがとうございます。
(先日うっかりと実名でコメントをお送りし、慌てて非公開をお願いをいたしました者です。あの時は希望を聞いていただきましてありがとうございました。)
中川先生がお亡くなりになり、民主党政権が誕生していく時期は、自分はまだ高校生で政治にまったく興味のないときでした。
しかし政治に興味がなかった時期でしたがあの当時の異様な自民党下げ、民主党上げの偏った報道の数々を今でも覚えています。
今はネットによって情報収集が容易になりマスコミの偏向報道の異常性に気づきやすくなっていますが、国民の多くは政治に無関心なのは当時とあまり変わらないと思います。
国民が少しづつでも政治に関心を持つように自分も何か力になれないか考えて行動していこうと思います。
チャンネル・桜、掲示板ーーー平成6年12月、より。
『チョーニチ!、越年でも、越々年』でも追求するぞ!!
今年、一月十二日、「朝日」、が行った、政治イデオロギー的に自分の気に食わぬ、(=またチョーニチの大好きな北朝鮮、中共にとっても、非常に気に入らぬ)、与党・自民党の幹部、安部晋三、中川昭一、両代議士を貶め、政治生命を失わすべく仕掛けた、捏造記事の酷さは、今まで散々捏造記事を書いてきた、「朝日」、でも極めつけとも言える酷いものでした。
四年も前のこと、NHKが制作した、従軍慰安婦関係の酷い偏向番組の内容に驚いたNHK幹部が、内容を是正するため、非左翼の秦郁彦教授のコメントを取ったりして手直しした事件に対し、今頃になって、「自民党の政治家が圧力をかけて、無理やりHKの自主性を奪うようなことを行った」、と一面にデカデカと書き立てました。
あまりに酷い偏向番組に対して、国民から選ばれた政治家が、意見を言うのは当然です。
日教組や左巻き教授ならいざ知らず、常識的一般国民は、極左・日放労に、左翼偏向の著るしい、番組制作の白紙委任をした覚えは毛頭ありません。
しかし、そのようなことをしておきながら、訂正、謝罪は一切行わず、あたかも、「真っ黒な烏を純白の鷺」、で押し通そうと言うのですから、無茶苦茶です。左巻き人種は別として、常識的国民は呆れ返っています。
「朝日」、は10月1日の記事で、「『NHK報道』、委員会」、の見解とやらを元に、幕引きをしたつもりかも知れませんが、とんでもないというほかありません。
第三者機関?「『NHK報道』、委員会」、とかいうものが実に怪しい代物です。
この委員会は、安部、中川代議士、松尾総局長に会って話しを聞くことすらしていません。
挙句の果てに、
「公共放送のあり方に一石を投じたことは評価していい。それを浮き彫りにした朝日の努力を評価したい」・・・丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長。
「このケースは典型的な、『ー政治的圧力による番組変更』、の例といえる」・・・原寿雄・元共同通信編集主幹。
「そもそも今回の記事の狙いは、公共放送と政治の距離、すなわち、放送番組への、『政治的不干渉』、『番組編集の自主性』、を定めた放送法の精神や憲法で保証された表現・報道の自由が危うくなっていないか、という問題提起があった」・・・本林徹・前日弁連会長。
「当初の取材結果からは、記者が、中川氏と松尾氏と、放送前日会ったと考えたことに相当性があり、初報の書き方に過失はないであろう」・・・長谷部恭男・東大大学院教授。
何のことはない、本田記者の行動と、「朝日」、のやったことを何としても正当化しようとする、最初に結論=朝日無罪、ありきの、「朝日」、ベッタリの言い分です。
こんなもので国民が納得すると思っているのか!、と怒りが湧きます。
私は今回の、「朝日」、対、NHKの事件の結末をつけるのは、実に簡単な事だと思っています。
『まず、何よりも、本田雅和記者、長井暁チーフプロデューサー、松尾総局長、安部、中川代議士が、国民全部が見られる公開の席、オープンな場で、ことの真偽に関して討論することです。
しかし、一体、全体、どうしたことか、本田雅和記者は事件以後一年経った今も、杳としてどこにいるのかわかりません。私は、彼が雑誌等に書いているものも、新聞・雑誌の記者が彼にインタビューしているものも、読んだことがありません。
「朝日新聞」、の権威で、朝でも、夜遅くでも、政治家の家のインターホンを鳴らしまくって強引に取材をした、という本田記者はどこに行ったのか、不思議です。
年が明けたら、是非とも討論を実現してもらいたい、と強く望みます。
今回の事件は、「朝日」、にも随分左翼側の応援団が出てきました。
如何にも、「問題すり替えの朝日」、を応援するグループらしく、東大の教員有志14人が呼びかけ人となって、今回の問題の本質は、「放送に対する政治介入による、学問の自由、思想・信条の自由を侵害する、検閲だ」、と声明を出しています。
昔の名前で出てきました、と、東大、『社会科学研究所』、の大沢真理教授、(男女共同参画法作成の中心人物)、も名を連ねています。日放労も、「長井氏を支援する」、と言っています。
当事者同士のオープンな討論を何より望みますが、この問題はここまで大きくなった以上、双方の支援者、弁護団、応援団も入れて、国民が見ている開かれた場所で、大いに議論してもらいたい、と考えます。と言っても双方あまり数が多くなると、収集がつきませんので、五、六名ぐらいずつ出たら良いと思います。
私が望む、両陣営の顔ぶれの一例を挙げさせていただきます。
「朝日側」:本田雅和記者、長井暁・プロデューサー、本多勝一、大沢真理・教授、日放労委員長、朝日新聞社長。
「NHK側」:安部、中川代議士、松尾総局長、西尾幹二名誉教授、高山正之教授、稲垣武氏、水島総・チャンネル・桜、社長。
「NHK側」、は西尾、高山、稲垣、のうち二人に替えて、私が、「世の中には優秀な人がいるものだ」、とつくづく感じている、インターネット掲示板、「朝叩き板」、や、「史の会板」、に優れた文章を発表される論客、KABUさん、や教科書改善運動で知り合い、その智謀に感心した、平田文昭氏が出ても面白いと考えます。
もう5年経ちましたか・・・
本来なら安倍総理がソフトランデングして、その後中川先生に本格的な事を期態出来たのに、本当に惜しい人を亡くした日本にとってとんでもない損失だった
次の 新藤 義孝先生が育つまであと自民党の党則を変更してでも安倍総理には、後10年は頑張ってもらいたい。
返す返すも惜しい人を、なくした
他の人が言われるように、陰謀説を真剣に考えてしまう
ネットの力が徐々に拡大してる今、マスゴミの偏向報道を監視し氏二度とあの忌まわしい朝鮮民主党に政権を渡してはいけない
一人でも多くの保守の政治家を国政、地方問わず送りこみたい。
100年後の日本の為に
中川昭一氏を国士と認識できる人は、
日本の国士の方だと認識しています。
>>政治は、メディアに敗北した<<
次はメディアをネットが打ち砕く時代です、
そして真の日本の政治を取り戻す日は近い。
私達は知らなかっただけなのです、テレビの悪意を洗脳を、去年も今年も保守とみればどんなことをしても打ち落とすマスコミの残酷さを見てきました。明日が5日です、資金面から凍結させ…沖縄を東京を救ってほしい…どこまでやれるか不安だがやらなければまた政権交代は起こるだろう
瀬戸ブログに東村山市議そうかが書かれています。余命三年生時事日記が封鎖されくらい気持ちでしたが官邸メールを送る…保守本を買う、保守を支援する…パチンコの巨額資金には負けますが
日本人の人口は多い
小さくても保守集結して中川先生のことは忘れません
私たちはただ知らなかっただけなのですテレビを信じきっていただけなのです
あの頃は、マスメディアを疑うことなく日本人は残虐なことをしてきた民族と信じてました。若い頃、テレビの戦争特集をみてて昭和天皇の悪口を言ったら親に売国奴と叱られたのを覚えてます。
中川議員が酔って記者会見で話してるのを見て新聞でもさんざん叩かれその後自殺という報道をみてもそれが原因で亡くなられたくらいにしか思いませんでしたね。
自分が保守側になったのは嫌韓がきっかけですがずいぶん長い間マスメディアに国民は騙され、馬鹿にされてきたんだなと思います。ネットがなければ今回の安保も反対してたと思います。
ネットの時代になってほんとによかったです。
いつもありがとうございます。
正に、同じ気持ちであの頃を動いておりました。
まさか自分が自民党の政策パンフをポスティングして歩くとは、思ってもみませんでしたが、必死でした。
麻生政権が破れて、中川先生を失ったあの日は、呆然自失でした。
亡くなられる少し前に、応援のハガキにお返事を下さったのが、今では宝物です。
振り返ると、涙が出ますね。
ずっと戦ってらっしゃったんですよね、無念だったでしょう。これらの記事を読んで切なくなり、また、彼を侮辱する連中に怒りが湧きました
↓
故中川昭一氏の遺言
ttp://blog.m.livedoor.jp/hoshusokho/article/32358536
【中国】 国家エネルギー局元局長 「中川昭一氏は『中国人は日本側の石油とガスを吸い取っている』とすごい剣幕で食ってかかった」
ttp://blog.m.livedoor.jp/hoshusokho/article/27996138
↓
でも中川氏の件を曖昧??な形にしてる??人々に、実はグル??などと思ったり…それほど不信感ですがね…
↓
【スクープ撮・政界失楽園!】故・中川(酒)の妻郁子(ゆうこ)衆院議員、夫の地盤から弔いで出馬したのに自民・門博文衆院議員と不倫
ttp://blog.m.livedoor.jp/hoshusokho/article/43039916
三橋貴明
真冬の向日葵ひまわり
をお読みください
テレビにだまされていた自分は、買っても読む気にもなかなかなれず…読んでもなかなか意味がわかりませんでした
どんどん知るにつれマスコミ朝日の偏向、NHKがアカまみれ、泣きたい絶望気分
明るい小坪しんやブログを心から応援していますありがとうございます
NH毛の変更報道本を読んだとは呆然としました
チャンネル・桜、掲示板ーーー平成6年12月、より。
↓
2006年12月に訂正させていただきます。
失礼いたしました。
真っ暗闇の世の中。
>中川昭一先生といえば拉致問題でも積極的に発言し行動されました。拉致問題といえば北朝鮮の異常性とセットですが、戦後日本のあちこちに巣食ってきた反日左翼の「すさまじい異常性」はどうしても理解してほしい、日本だけのあまりに特殊な現象です。
島田洋一・福井県立大学教授=救う会・副会長の言葉
「拉致議連会長として、平沼赳夫さんは実に頼りになる人だった。
中川昭一さんも超多忙の中、親身になって尽くしてくれた。
石破さんは表面的だった。」
私のTwitterの宣伝のようになって失礼ですが、
以前中川先生よりいただきましたメッセージカードです。
生きていらしたら、間違いなく内閣にいらしたでしょうし、
総理になってもおかしくない方でした、ご冥福を祈るばかりです。
先生の仰るとおり、あのまま中川昭先生が生きておられれば、現在の安倍政権のように経済政策を上位国民様の好きなようにされなかったでしょう
若い国民が自傷行為のように民主政権への票を担ったことが残念でなりません
自分の周りも民主政権の支持が多く、メディアの下らない工作で自民を見限った声が多かったです
現在の格差も自業自得といったところですね
安倍総理も在日を含む外国人、官僚、新自由主義者、経団連と全ての勢力を同時に相手には出来ませんから、これはもう致し方ないでしょう
財務省の陰謀説もあります、財務省といえば消費税アップ。安部首相ファイト
創価…竹中…抵抗勢力財務省…反日共産党通名前に支配されるテレビ、自民党石破野中二階が健在であり世界情勢もアラブがロシアの支配下になれば再び冷戦の再来。さらに半島中国ロシア対アメリカとなれば未来は暗黒
。とにかく民主党政権が終わってよかった…中川昭一先生の笑顔がみたい
民主党有田ヨシフの本日のツィートです。
有田芳生@aritayoshifu
「天皇と軍隊」映画の最後のシーン。1975年に行われた昭和天皇の最初の記者会見。
広島の原爆投下についての質問にしどろもどろ。
47年に原爆ドームを背景にした天皇巡行に市民の熱狂。貴重な映像は「翼賛体制」=日本型全体主義を示している。
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中川先生が亡くなった当時は小生もメディアにだまされていました。
大失敗の民主党政権のおかげで覚醒しつつある国民も小生も含め増えてきました。
現在の安倍政権も新自由主義の呪縛だけからは抜けていません。
安倍総理も自分が殺されてしまっては日本を取り戻すどころではない、ということを自覚されていて順番を読んでいる段階だと思っています。
他力本願ですが、いずれ近いうちに金融資本主義も共産主義のように崩壊する日が来ると信じています。
中川さんは最高に好きな政治家でした
今も生きていらしたら安倍内閣でも大活躍されていたことでしょう
落選された選挙の時、突然嫌がらせのように幸福の科学が中川さんの陣営に付いて
足を引っ張っていたことが腹立たしくてたまりませんでした
あと、泥酔会見直後の辛坊治郎の暴言も忘れることはできません!
にしても奥さんがもう少しちゃんとした方だったらあのような亡くなりは・・・・・
[…] 古い話になります。 序文 中川昭一、急逝。 ? 民主党政権における、ネット保守の戦い(激闘編)六年前のあの日に始まった、一人の男の物語。 ? 民主党政権における、ネット保 […]
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[…] 六年前のこと、その書き出しは中川先生の命日でした。 【今日は何の日】中川昭一、急逝。【黙祷】 […]
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[…] 古いエントリーになる。6年前に書いたもの。中川昭一先生の訃報について書いた記事の続きになる。 今回もうまくまとめることは、やはりできなかった。 […]