安倍元総理、追悼演説。東京は、本日くもり時々、雨。さらさらと優しい雨、頬をつたうものを隠すかのように。

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ブルーリボン関連の調整および交渉のため、上京しておりました。
本日の東京の天気は曇り。ちょうど演説がなされていたタイミングあたりでしょうか、小雨がぱらつきました。誰かの涙のように感じました。

調整は、うまく進みました。
ミッションコンプリート、です。

きっと誰かが見ていてくださったのでしょう。

 

 

 

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[su_heading size=”30″]追悼演説(全文)[/su_heading]

 

【全文】「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん」野田元首相が追悼演説

 

衆院本会議で25日、安倍元首相の追悼演説が行われ、立憲民主党の野田佳彦元首相が、「仇のような政敵」安倍氏との知られざる温かな思い出話も語り、死を悼んだ。

午後1時からの本会議で、安倍氏の遺族も見守る中、野田氏は演説を行った。以下、全文。

 

本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る七月八日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃擊されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。

享年六十七歲。あまりにも突然の悲劇でした。

政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった想い。そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずだった穏やかな日々。

すべては、一瞬にして奪われました。

政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。

我が国の憲政史には、百一代 六十四名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」を我が身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠を捧げたい。

そうした一念のもとに、ここに、皆様のご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

安倍晋三さん。あなたは、昭和二十九年九月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様ご夫妻の二男として、東京都に生まれました。

父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。

成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。そして、父 晋太郎氏の急逝後、平成五年、当時の山口一区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。三十八歲の青年政治家の誕生であります。

私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。そこには、フラッシュの関光を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。

その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。

内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成十八年九月、第九十代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齡五十二、最年少でした。

大きな期待を受けて船出した第一次安倍政権でしたが、翌年九月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、一年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。

しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆様の温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土重来を期します。挫折から学ぶ力とどん底から這い上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。

かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

五年の雌伏を経て平成二十四年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時 内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成二十四年十一月十四日の党首討論でした。

私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるものすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。

安倍さん。あなたは、いつの時も、手強い論敵でした。いや、私にとっては、仇のような政敵でした。

攻守を代えて、第九十六代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。

少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懷かしく思い起こされます。

残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたび兜を脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。

それは、忘れもしない、平成二十四年十二月二十六日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。

同じ党内での引継であれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の二人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れ様でした」と明るい声で話しかけてこられたのです。

「野田さんは安定感がありましたよ」

「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」

「自分は五年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」

温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。

その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。

残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。

第一次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさに鞭打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。わずか一年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控え室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。

あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。

それは、平成二十四年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でお腹が痛くなってはダメだ」

私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。

謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くお詫びを申し上げます。

私からバトンを引き継いだあなたは、七年八ヶ月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。

あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。

第一次政権から数え、通算在職日数三千百八十八日。延べ百九十六の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は千百八十七回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

首脳外交の主役として特筆すベきは、あなたが全くタイプの異なる二人の米国大統領と親密関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド·トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。

あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、密かにお会いしたことがありましたね。平成二十九年一月二十日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。

前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。

二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、一時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。

そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。

私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。

あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見出せるのではないか。

以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。

「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」

安倍さん。

あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。

再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。

耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。

この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。

その上で、申し上げたい。

長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは、歷史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。

安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。

その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。

国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。

問い続けなければならないのです。

問い続けなければならないのです。

なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。

暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。

あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。

最後に、議員各位に訴えます。

政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。

暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。

民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。

真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。

こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弹に斃れた故人へ、私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。

私はそう信じます。

この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三 元内閣総理大臣。

闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。

安倍さん、どうか安らかにお眠りください。

 

 

私も、生で聴きたかったな。

 

 

 

[su_heading size=”30″]折衝を急ぐ[/su_heading]
安倍さんの掲げた政策です、拉致問題は風化させない。

本日、東京におりました、国会周辺です。議員会館を飛び回っておりました。
事務所から事務所に、秘書から秘書に。

傍聴席で聴くこともできた。
行きたいな、と思いました。

 

交通費も宿泊費もかかる・・・。

東京で活動できる時間は僅か。

 

見学の形をとれば、傍聴自体はできるようだ。

提案しようとしてくれた人もいた、そういう意味では特別な日でもあったのだろう、
各地の有力者(自民支援者)の上京も相次いでいた。各事務所の秘書の忙しそうにしていた。

 

逆に、各事務所には留守を預かる秘書は常駐になるし、
流石にこの日は(追悼演説が終われば)当番ではない先生は、基本的に事務所にいる。

アポイントをとるならば、この日しかない。
本来なら私にはとれないアポをとるなら、ここを外すわけにはいかない。

国会が開かれている間に、すべきと思われる準備があった。

 

会館から会館を移動中、「あぁ、ちょうど演説中なんだろうな」と思ったとき、
曇天から、さらさらと小雨が舞った。

少しだけ濡れる肩、私はぬぐわなかった。
それはとても優しい雨で。

 

 

 

不思議と。

(流石に厳しいか)と懸念していた調整は、ほぼ上手く行く。

間に合うか?と不安に思っていた箇所は、他の事務所が先手を打って連絡をいれていってくれていた、

時間にすると極僅か、あうんの呼吸とでもいうのか、
誰しもが、なんとなくそんな気分だったのだろう、

 

果たして、最大の難易度と思われていた交渉は、なんなく完了してしまった。
終わってしまえばあっけないもので、想定以上の満額回答となった。

 

その日、国家が動いた。

恐らく報道にも乗らないような小さな話、
けれど私にとっては大きな話、
保守にとっては衝撃の、ただ、ほとんどの日本人にとっては興味すらもたれないであろう調整が完了した。

さらさらとした、優しい雨が降っていた。
全てが終わったあと、私の頬の一筋を隠すかのように。

 

 

 

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. 櫻盛居士 より:

    **********************************************************************
    共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
    ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。

     ・『テロを利用する共産党』
     ・『テロリストの味方である共産党』
     ・『テロに屈する共産党』

    **********************************************************************
     
     
    地方議会の議員先生の動きは、基本的にマスコミが殆どマークして居無い為、先生方自身がアウトプットしない限り、一般人が知る事も亦た殆どありません。

    最近はブログで広報して居る先生もも増えては居るのですが、基本的に差障り無さ過ぎる内容ばかりで、何のミッションに携わって、どの様な戦略を立案し、どんな戦術を用いて、どう展開して居るのかが伝わらぬものが大半です。
    故に、その先生の身近な人と、議会関係者以外は、イマイチ何をしてるのか分からないですし、議会は小学校の学級会に毛の生えた程度と言った誤認識すら罷り通る状態で、それが結果的に「誰がやっても同じ」と言う風潮を醸し出し、投票率の低下に繋がって居るものと推察して居ます。

    その意味から言って、小坪先生の場合は現状がどの様な状況で、それをどう解析し、どう考え、目標を明確に表明し、それに対する戦略はどうで、どの様な戦術を用いて、どう展開するのかを、伝わり易い形でアウトプットして居るのは、かなり稀有な存在と言えます。

    基本的にアウトプットのタイミングは、有利性を確保する為に事後と成る事も常ではありますが、それでも一般人にとっては一番新鮮な情報である事が多いのも事実です。

    それに輪をかけて、政令指定都市や都道府県を凌駕する国とのコネクションは、異例中の異例とも言える訳で、このブログの醍醐味と断言しても良いでしょう。
    恐らく、シナリオを組立てる分野の作家さんは、このブログを読込んでその時の状況を調べれば、作家活動の大きな肥やしに成る事でしょう。

    扨て、今回ミッションコンプリートとの事ですから、今後は何年先に成るかは分かりませんが、ミッションクリアに向けての展開に成るのでしょう。

  2. azumaebisu より:

     小坪市議、【任務完了】おめでとう御座います。

  3. 波那 より:

    野田さん、敵将に対しての溢れる温かい言葉を語って頂いて有難う御座いました。大和心の武士の精神を持つ数少ない政治家の姿を垣間見させて頂きました。安倍さんが居るから自民党を支えていた岩盤支持層だった者として御礼を申し上げます。

  4. 波那 より:

    🔻防衛省と自衛隊大きく変えた安倍元首相 島田和久・前防衛事務次官
    https://www.sankei.com/article/20220828-JT3GTLI5HVO7RDJAW3ISDMUFBQ/
    2022/8/28 19:09 市岡 豊大

    島田和久前防衛事務次官=8月5日、防衛省(市岡豊大撮影)

    安倍晋三元首相が銃撃されたとの一報が入った時、大臣室で当時の岸信夫防衛相と打ち合わせを行っていた。「テレビ、付けて」と急いで指示すると信じ難いニュースに言葉を失った。

    第2次安倍政権で首相秘書官として6年半余り安倍元首相に仕え、5回の国政選挙で街頭演説に同行し、非常に厳格な警備を見てきた。市街地なら救急搬送も速いし、今は医療も発達している。大丈夫、一命は取り留める。そう信じていただけに死去の知らせは何重もの意味でショックだった。振り返ってみても、いまだに言葉にならない。

    日本を守り抜くという強い決意を持った人だった。第2次安倍政権発足直後の平成25年1月、防衛省幹部を首相官邸に呼び、前政権での尖閣諸島(沖縄県石垣市)の警戒警備状況について報告を受けた。安倍元首相は「それは通常のやり方なのか」と問い、「違います」と聞くや、間髪を入れずに「直ちに本来のやり方に戻せ」と言った。

    以下有料記事

    🔻【寄稿】島田前次官 海保防衛費上乗せ「安倍政権で決定」ない
    2022/10/21

    島田前次官 海保防衛費上乗せ「安倍政権で決定」ない 政府方針は「国家安全保障の最終的な担保となる防衛力の抜本的強化」であり、「その裏付けとなる防衛費の相当な増額を確保する」ことだ。岸田首相は明確にそう述べている。議論をすり替えてはならない。

    島田和久前防衛事務次官(内閣官房参与)は岸田文雄政権が掲げる5年以内の防衛力の抜本的強化について寄稿した。海上保安庁の経費を安全保障関連費に算入する考えに慎重姿勢を示した。 □ 先進民主主義諸国30カ国で構成する北大西洋条約機構(NATO)は、全ての加盟国がGDP(国内総生産)の2%以上の防衛費を支出すると合意しており、日本政府は、これも念頭に、5年以内に防衛力の抜本的強化を図る方針だ。自民党は選挙で公約し、6月に政府も閣議決定している。NATOと異なり、日本はロシアだけでなく、北朝鮮、中国の3正面と向き合う。同盟国は米国だけだ。環境は比較にならないほど厳しい。 .――筆者のベンヤミン・ネタニヤフ氏は、1996~99年、2009~2021年にイスラエルの首相を務めた。現在は野党リクードの党首。著書に「Bibi: My Story」などがある。 *** 世界は危機にひんしている。ウクライナでの戦争は制御不能に陥り、世界に不吉な結果をもたらす可能性がある。イランでは、宗教指導者たちが核兵器製造を急ぐ一方で、政権の残虐行為に対する国内の反対勢力を抑圧している。パキスタンやアフガニスタンからイエメンやシリアに至るまで、テロや理不尽な暴力がはびこっている。歴史の弧は平和と正義に向かっているかもしれないが、容易に危険な方向に進む可能性もある。 一部の政策立案者は、歴史を望ましい軌道にとどめる方法はソフトパワーを利用することだと主張している。民主的な価値観と文化の優位性は、暴力と侵略の力に打ち勝つと彼らは主張する。しかし、そのような考え方は歴史の精査に耐えるものではない。悪の勢力が圧倒的な軍事力と経済力を持っている場合、彼らはわれわれの最善の意図を打ち負かすことができるし、またそうするだろう。エイブラハム・リンカーン元米大統領でさえ、「人間の本性の中にあるより良い天使」が勝者となる前に、米史上最も血なまぐさい戦争で決定的な勝利を得る必要があった。 続きを読むには会員登録が必要です。.ロシアのプーチン大統領は、訪問先のカザフスタンで行った会見で、ウクライナ侵攻について「後悔はないか」と尋ねられたのに対し、「ない」と応じました。その上で「私の行動は正しい」としました。 一方、来月のG20首脳会議にあわせた米露首脳会談については、「必要性を感じていない」と述べ、否定的な考え方を示しました。

    https://headtopics.com/jp/123042349231295625416-30956236#amp_tf=%251%24s%20%E3%82%88%E3%82%8A&aoh=16665262219808&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&ampshare=https%3A%2F%2Fheadtopics.com%2Fjp%2F123042349231295625416-30956236

  5. 加藤 義浩 より:

    野駄元総理の演説、
    菅元総理の弔辞に匹敵するような、すばらしい追悼演説でした。

    涙が出てきました。

    人物が滲み出ます。
    なんでこれほどの人物が、こんな野党におられるのか!
    本当に、本当に、もったいない!!

  6. 草莽の団塊です! より:

    小坪先生、野田佳彦元総理の演説の全文を掲載していただきありがとうございました。

    70過ぎの爺は、さきほど、Youtubeで野田佳彦元総理閣下の追悼演説を視聴いたしました。素晴らしい、そして、本当に心の籠った追悼演説でございました。爺は最近、涙もろくなってきたせいもありますが、演説を視聴しながら泣けました。演説がおわったときには、モニターのまえで拍手をしておりました。

    さて、小坪先生は東京におられて、一見、ミッションインポッシブルと思われるミッションを無事に完了とのこと、こちらも、見事でございますね!拍手です!

  7. ロード より:

    国家が動いた。あの政権与党の賛意でしょうか?
    安倍さんも喜ばれていることと思います。
    そして安倍さんの政策を非常に多くの方が望んだ結果だと思います。

  8. 大保守(おおほのかみ) より:

    転居のことだけでなく実家での不幸事に対する区切りもあったため国葬に関してもいきたかったものの断念を余儀なくされたとして野田首相も首相の座を明け渡したという意味で云えば至極当然の演説だったと云えますし立民なんかに居座るのも疑問視せざるを得ません。

    極論を言えば石破某もしくは河野某あたりとトレードでもいいくらいですらあります。(苦笑)

    でなければタマキンもある程度まともなことを云うようになったため国民民主あたりに移籍してもいいくらいだと取れる限りです、何せ高橋先生としてもタマキンのことはある程度評価しているものはありますので…

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