【今日は何の日】阪神淡路大震災から25年。病院で泣きかけていた少年の今。地方議員の戦い

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阪神淡路大震災から25年目を迎えました。
私はあの日のことは今でも鮮明に覚えています。

子供だった私はちょうどインフルエンザ、被害実態のわからぬ中、朝のニュースで衝撃を受けました。
あの日、守られるだけの存在に過ぎず、震えることしかできなかった私は、
いまは未来に備える一人として、最前線に在ります。

地方議員とは、政治とは、自然災害にどのように備えるべきか。
ゆっくりとしか進まぬ現実を、歯噛みしつつ数字に向き合う。
自助・共助・公助のさらなる周知と制度の強化。
危険個所の発見と、古地図の分析、必要に応じて予算折衝。

「100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!」
(釜石市の津波記憶石に刻まれた中学生の言葉)

私たちは、「来ないかも知れない100回」ではなく、
それでも「101回目」を想定し、その責任を負う立場です。

100回を笑えばいい。
私たちをバカにすればいい、それは甘んじて許容します。
その100回を笑ってもらえることこそが、私どもの誇り。

それでも101回目を真剣に見据えることが、私どもの重みであります。
笑って、何もなければ、それで結構。
だけれども、貴方ではなく、貴方の子供の世代になり、孫の世代になり
仮に貴方が天寿を全うし、また私も天寿を全うし、
私の名前など、誰もかれもが忘れた後世であったとしても、

それすらも護ろうとするのが、政治家の責務であると強く訴えさせて頂きます。

 

 

 

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(OGP画像)

 

 

 

 

あの日、私は弱かった。
あの日。
インフルエンザにかかってしまい、病院の混み合う待合室の中、茫然とテレビを見ていたように記憶しております。
(別の災害ではないと思います。)

まるでアニメのような、衝撃的なシーン。
どう言っていいかわからず、言葉にすることもできませんでした。
不謹慎を承知で当時のことを正直に述べると、子供だったからでしょう、最初はそれこそ漫画のワンシーンのようでワクワクもしたのです。

ただし、それは「大人がなんとかしてくれる」前提のワクワクであり、
混乱し、焦りを帯びたアナウンサーの声に恐怖に変化していきました。
現実味のない映像を前に、徐々に不気味さが忍び寄る、
怖くて怖くて、泣きそうになっていました。

高校生にもなって泣きそうになっている(インフルエンザの)私を見て、「なーに半泣きになってるの?注射こわい?」と看護婦さんが優しく声をかけてくれました。
あまりに茫然としているので「僕、大丈夫?」と心配もされました。

看護婦さんやお医者さんから見れば、職場でありますから、ゆっくりテレビなど見ていなかったのでしょう。
(特に初報は大きな扱いではなかったように思います。)

「だって、地震が、、、地震があって、大変なことに」と。
インフルでぐったりしていて、それ以上は言えませんでした。
お医者さんも「そっか、ちょっと揺れて見えるか・・・。」と。

ただただ、不気味で、怖くて。
あそこに人が住んでいて、火の中に人がいて
車があって、建物があって、それが壊れていて
その中に人がいて、、、

そのことが、ただただ怖くて
誰かなんとかして、助けて、と思いました。

病気でぐったりしていたこともあり
(涙こそ出ていないと強弁しますが)
本当に不気味で怖かった、のです。

これが、阪神淡路大震災に
(モニターを通してですが)触れた
あの日、少年であった私の姿です。

あの震災において、多くの方が亡くなりました。
ご冥福をお祈りすると共に、哀悼の誠を捧げます。
ご家族を亡くされた方もおられます。
その悲しみ、孤独、苦しみは察するに余りあります。

 

 

 

阪神淡路大震災・被害
死者    : 6,434名
行方不明者 :     3名
負傷者   : 43,792名

住家被害 : 全壊104,906棟
     半壊144,274棟
  全半壊合計249,180棟(約46万世帯)
   一部損壊390,506棟

火災被害 : 全焼   7,036棟
     焼損棟数 7,574棟
     罹災世帯 8,969世帯

その他被害 : 道路7,245箇所
      橋梁 330箇所
      河川 774箇所
      崖崩れ347箇所

 

 

 

一人の政治家として。
今日、この日ゆえ、振り返ることがございます。
いま、一介の市議会議員ではございますが、
二期目の若輩の身ではございますが
政治家として皆様の前に立たせて頂いております。

私の責務とは、政治家の職務とは。
あの日、ただの子供であった私が感じた恐怖を、そそぐのが私の仕事になります。
人々を導き、安心させ、笑顔を守る。

「自助・共助・公助」と申します。
これは命を長らえる上でのフロー、システムになります。

自助とは、自ら頑張って命を長らえること。
被災直後は、周囲の人も行政(警察力・自衛隊を含む)も手助けができません。
最初の数時間、長ければ一日近くは、自らの力で生き抜いて頂かねばなりません。

共助とは、家族・地域コミュニティの力に頼り、
共同体で身を守って頂くことを指します。
自ら命を永らえたのち、共に力をあわせて九死に一生を得た命を守りあって頂きたい。
長ければ数日かかります。

公助とは、行政サイドによる保護を指します。
できる限り3日以内には、このフローに到達したく思います。
しかし行政力にも限りがあり、万全の体制を整えたとは言え「すぐ」とはいきません。
仮設住宅・継続しての安定した炊き出し、警察力または自衛隊の助力を願い、治安の維持・確保。
残念ながら、大規模災害ともなれば、ここまで数日かかることも想定せねばなりません。

 

 

 

市議会議員の責務
大きな職権は持ちません。
しかし、「眼として」「まるでレーダー」として、
皆様に寄り添い、常に共に在り、
まさに現場において

「市民の生命と財産を守る」ことが責務であることを、自覚して職務に励みます。
来ないかも知れない地震に備え、「想定外」などと言わずに済むように、
数字の積み上げを行い、景気動向も堅調とばかりとは言えぬ中、
それでも長期スパンの計画を策定し続ける。
全ては未来のために。

 

地域を護る防人として。
これは市議の仕事でございます。

?自助
まず九死に一生を得てもらわねばなりません。
火元の確認、防災意識の向上、私が総務委員会に所属した際は消防を所管しますゆえ、救命処置の市民への案内・指導を徹底して参りました。
また、行橋市では遅ればせながら「海抜○m」の表示を市内各所に設置、防災マップを策定し市民に広報。
委員会でも委員らより指摘を受け、配布・周知に工夫を凝らしていっております。

いまは総務委員として、消防を含め直接的に防災関連の部門を所管しております。公共施設等、避難所に供する施設の老朽化対策・増改築を含め委員として、また一般質問においても行政を質しております。単に見た目の利便性のみならず、目立たない上に予算は必要となりますが、防災の観点からも各施設をチェックしていきます。

?共助
・自主防災組織を各校区に設置。
実態としては、区長会(自治会)と組織は似ているのですが、被災後、数日にわたって地域単位で身を守って頂くための組織です。

災害発生時に必要な装備・資材についての説明、また保管場所を説明すると共に、「自助・共助・公助」についての説明を講師を呼び徹底しました。
私も出席させて頂き、不明点については質問すると共に独自で勉強。

市の主導で区長会(他自治体では自治会と称する場合もある。)にて自主防災の講演を開催、各校区に自主防災組織を整備。私も参加し、共に理解を深めます。
防災倉庫も整備し、いざという場合の「自助、及び共助の序盤」を地元で運用できる体制を【完成】させています。

・地域コミュニティの強化
さらに小学校を中心にPTA等、「父兄(及び子弟)」に周知、
区長会を中心に、祖父母の世帯に周知、
これらの連絡網をさらに強化・徹底して頂くと共に、
運動会・祭り・各種アメニティ(いきいきサロン等も広義では含む)
世代を超えたふれあいを通して、コミュニティのシナジーを強化してきました。

・・・単に公務としてのみならず、
できるだけ一緒に参加し、楽しく和気あいあいと過ごす。
こちらも実施済みであり、いまは単に参加のみならず、より俯瞰した目線より行政側の動きと協調し、各種のスポーツイベントの運用において達成しております。

・防災上の危険箇所の点検・整備の提案
防風林の老朽化などもあり、山崩れの危険個所を区長会と共にピックアップ。
なにぶん多額の予算が必要とはなりますが、なんとか事業化を執行部に打診。
長い計画にはなりそうですが、実現を目指す。
先般の議会において、執行部より危険地域の除去という形で満額答弁を得ています。

県予算でございますが、校区の山林について、伐採。
対象が県となる土地があり(防風林など。)苦労はしたのですが、繰り返しの陳情と折衝により数千万単位の予算を獲得。こちらは一昨年度になりますが、すでに実施済み。
今後はさらに急傾斜地について要請活動を地元とともに行動中です。
(特に、国・県予算が絡む要望を主軸に動いています。)

 

併せて、退職自衛官を防災専門官として再任用するよう議場で市に提案し、執行部より確約を得ました。すでに配属されており、絵に描いた餅ではなく現実として、実務にあたって頂いています。

 

 

 

予算処置と保守活動
40年ほど経過し、老朽化した堤防を改修。
複数年度にまたがる計画ですが、着工済みで一期工事を終え、現在は二期工事です。
2事業あり、片方は市の予算も3割つかっておりますが、もう片方は「県 5割 ・ 国 5割」です。

総額は(恐らく最終的には)10億を突破します。防衛予算は、使っていません。行橋市で防衛抜きでこれだけの規模の予算執行はほとんど例を見ません。

国県予算のみで着工しているため、市議会を通す必要がない予算もあります。
地元議会を通すことの、市議としての負荷、また「速度優先」で防災面は動いているため、
「市長に報告」(及び、元・会派代表への報告)とし、独自交渉で片を付けてきました。

これら予算処置が必要な(本来、新人であれば「対応不可」な)案件につきましては、各種保守活動で知り得た先輩議員らの政治力をお貸し頂いた場面も多々あります。
知識面・能力に劣る我々ではありますが、多大なフォローを頂くことで「それでも諦めず」予算獲得、及び事業化を目指して参ります。

これら(人によっては激しく映る)保守活動も、地域の活性化に大きなパワーとなっていることを、地域住民・後援会は一部ではありますが理解してくれています。

ゆえに、ここまで無茶苦茶な、政治活動が許容されております。
特に市内の大手企業は、何をやっているか、どのような交渉(ほとんど政治生命を賭けた規模の予算額)をしているかを、知っています。

ある有権者からは「(保守活動の)危険手当で予算とってきよるようなもんやな」と笑われました。
私は「一枚しかないコイン(命)ですが、倍率の高いところに一点張りしてる博徒に過ぎません。」と笑って返しています。

私の後援会は、最悪の場合、「何かある」ことも覚悟で支援してくれている方もおられます。
だから、こうやって働くことができます。

 

 

 

福祉部と消防の情報連携
私は一期生の際、文教厚生委員会において副委員長を拝命しておりました。
当時の福祉部長らと委員会において協議し、逃げることの難しいお年寄りをサポートするため、地域の情報と福祉情報の一部を連動。

のち総務委員会(消防を所管)に移りましたが、今後は福祉のみならず消防とも統合管理する仕組みに改善。委員会側より、賛成の立場を強く打ち出し支援していきました。

市民の皆様からは「え?」と思われるやも知れませんが、個人情報保護法の兼ね合いやシステムの作成年度が異なるため、行政側にある情報の全てが連結されているわけではありません。(でした。)

今後も完全統合は(法的な兼ね合いもあり)不可能かと思いますが、防災面から必要な情報の統合については、システム面のアップデートも含め、執行部に強く訴えて参ります。

併せて、高齢化により救急出動が増加し、消防官の不足が深刻化する中、長期スパンの計画策定を一般質問において議会で強く主張。執行部より増員について確たる答弁を得ています。

 

 

 

100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!
これは、東日本大震災の被災地・岩手県釜石市唐丹(とうに)町本郷地区で、地元の小中学生95人の後世へのメッセージを刻んだ「津波記憶石」に刻まれた言葉です。

私たちは、こないかも知れない「100回」ではなく、
それでも「101回目」を想定し、その責任を負う立場です。

100回を笑えばいい。
私どもをバカにすればいい、それは甘んじて許容します。
その100回を笑ってもらえることこそが、私どもの誇り。

それでも101回目を真剣に見据えることが、私どもの重みであります。
笑って、何もなければ、それで結構。
だけれども、貴方ではなく、貴方の子供の世代になり、孫の世代になり
仮に貴方が天寿を全うし、また私も天寿を全うし、
私の名前など、誰もかれもが忘れた後世であったとしても、

それすらも護ろうとするのが、政治家の責務であると強く訴えさせて頂きます。

 

 

 

自衛隊について
激甚災害の場合は、自衛隊の出動・助力を仰がねばなりません。
自衛隊は防災組織ではなく、国防力であり、災害救助のため存在しているわけではありません。
しかし、それでも最後は頼らねばならない。

常日頃より、自衛隊の必要性や有難さ。
国防とは何か。
国が亡びれば、行橋も滅ぶのだと訴え続けております。

「少しでも自衛隊が働きやすい」環境づくりを政治面より強力にバックアップさせて頂いております。
ここは「頂きます」という未来形ではなく、「頂いております」という現在完了形・進行形で表現させて頂きます。
地元代議士が防衛政務官・安全保障委員長・防衛副大臣を拝命してきたこともあり、国政においてのご助力を賜ることで、「自衛隊を具体的に支えたい」と全力で邁進してきました。

これからも邁進して参ります。

 

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私は、このような活動に「反論できぬ自衛隊」に、
反論できぬことをわかってこのようなことをすること、許せません。
心を傷つけ、痛めつける以外の目的はあったのでしょうか。
甚だ疑問です。

何が言論の自由か。
ただの人でなしではないか。

日頃、守られる国民として何が恩返しできるだろうか。
許せないと思ったらシェア。
おかしいと思ったらRTしてください。
ひとつひとつの声は小さくとも、積み重ねれば世論を動かす。

物言えぬ自衛官に代わって
物言う政治家として、「おかしい。」と言いたい。

 

 

【守りたいと思ったらシェア】物言えぬ自衛官に代わり(行橋市議会議員・小坪しんや)

 

 

<築城基地>
行橋市が面積の多くを占める築城基地。
我が第八航空団は、朝鮮有事・対CHINAを睨む「日本の矛」であります。
沖縄にF15を送り出しましたが、世界最強の対艦攻撃機ともいわれるF2と15、二種の戦闘機を運用していた唯一の基地です。

制空戦闘機の15と、艦船に強いF2を共に運用、シンプルに言えば「うちからだけは、戦爆混合」であがれるということです。

専守防衛とは、やられっぱなしではなく。
最初に手を出せないだけであって
「撃たれたら、ちょっと考えて、撃ち返す」だと認識しております。

緊迫する東アジア情勢においては、防空の要のみならず「専守防衛」に基づき、「撃ち返す」基地だと認識しております。

ゆえに、旧称コミンテルン日本支部こと、日本共産党からの政治的なアクションも非常に強く、地盤としても左巻きの者も多い自治体です。
これらに対し、正面から対峙し、自衛隊を少しでも活動しやすくする、日本を物理的に守る職務を、気持ちよく行って頂けるよう、、、
私も命を懸けて、戦います。

自助・共助・公助に基づき、市議として職責を果たす。
そして、公助の最後の要である、自衛隊について、気持ちよく仕事に励んで頂けるよう、着実な歩みを進めてまいります。

これが、あの日、病院で半泣きになっていた少年の、いまの姿です。
最後に有名なコピペを掲載して、本稿を締めさせて頂きます。

 

 

 

【女子高生の怒り
?ここの人らは歩いて来てくれはったんや?】
http://kokorodo.net/e1080

2年前旅行先での駐屯地祭で、例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生と思しき少女が向かっていく。

少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で…云々」
少女「で、何しに来たんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる…云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や!!
寒い中ご飯作ってくれて
風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのも…ここの部隊の人や!!
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや!
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が…
ここの人らは歩いてきてくれはったんや…」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった…

団体は撤退・・・

彼女が門をくぐった時に守衛さんが社交辞令の軽い敬礼ではなく、直立不動のまま敬礼していた・・・
=========

地方議員とは、地域の守り神。
土地神のようなものだと思う。
最近では、遠方にばかり出ていっているが、力をつけ故郷を守りたい。

激甚災害ともなれば、死者・負傷者は出てしまうだろう。
しかし、一人も死なせたくはないのだ。
ゆえに、俺はなんでもやってやる。
そう思って、心の底から思って、だからあの日、立候補したんです。

これが、地方議員の矜持。
地域を守り、人を守ることの重み。
だから私は、この町の市議会議員になったのです。
ゆえに戦うのです、守るために。

関連記事
【百戦百勝の極意】一人の議員として。「言っちゃった」責任の果たし方。

 

 

 

阪神淡路大震災より25年。

 

失われた命、流された涙。

 

あの日、震えていた、守られるだけの存在であった子供たちが

 

いまは現場で、地方議員として、未来を祈りつつ皆様の傍にいる。

 

100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!

 

来なかった100回を笑われることが誇り。

 

101回目に、「想定外」などと言わぬために走ることが

 

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. 常磐本線 より:

    パヨ爺が総理であった為、自衛隊の災害派遣が大幅に遅れ、犠牲者が増えてしまいましたね。
    スレチですが、今日も、汚鮮司法が大暴れしたようで、大阪国条例は「合憲」だと・・・・・
    流石、痴呆裁判所ですね。
    当該裁判の面子は、外患誘致適用リスト入り確実ではないですかね。

  2. 草莽の団塊です! より:

    阪神淡路大震災で亡くなられた多くの方々のご冥福を今年も心からお祈りいたします!合掌

    閑話休題・・・・

    常磐本線さんが、大阪条例を合憲とした汚鮮司法のことに触れておられましたが、広島高裁が四国電力伊方原発3号機の運転差し止めを命じる判決をだしましたね。ほんと、やれやれです。

    広島の裁判所も、痴呆裁判所ですよ!まったく、汚鮮司法!日本を取り戻すのは、なかなか、大変ですね!

    • 安芸の鯉 より:

      裁判所がおかしいのはその通りですが
      伊方原発に関しては立地が悪すぎて気持ち悪さが先に立ちます。

      まず中央構造帯のほぼ真上であること
      そして瀬戸内海に面していること・・・瀬戸内海の潮は、地形的に外海との入れ替わりが殆どないといわれており、一度汚染すると長期間にわたり浄化されない状態が続くと予想されます。最悪の場合、瀬戸内沿岸がまさに「死の海」と化し住めなくなる可能性も。

      今回の判決以前に、そもそもなぜこんな場所に造ったのか!と、そのことに怒りを覚えます。

  3. パラダイムシフト より:

    今、多くの大人、特に東京にいる政治家や官僚を含めた大人たちは101回目どころか2回目、3回目、それどころか場合によってはあるかもしれないこと自体を想定することを怠っています。

    考え、可能性があれば備えればいい。
    だけど、ありもしない財政破綻という嘘や、財政健全化のために、国民の命、安全の確保を蔑ろにしています。

    いつまでもこんな状況を許すわけにはいきません。
    将来の世代のために。

    だからこそ、わたしにもできることをやるしかないと思っています。

    国の政治家がダメなら、小坪議員のように問題の本質を理解し、さらに影響力を持っている政治家に期待するしかありません。

    そして我々は、そういう政治家をしっかり支えていく必要がある。
    覚悟を決める時期に来ていると考えています。

    救える命は救わなければいけない。
    お金のために人の命を蔑ろにすることなんて許されるはずがありません。

  4. 60代主婦 より:

    1995年は私にとって忘れられない、決して忘れることなんか出来ない年です。
    あの年を境に、価値観や人生観、生き方全てが変わった位の衝撃の年でした。

    朝目覚まし時計が鳴るのとほぼ同時に、タイマーセットしていたラジオのニュースが何やら不穏な雰囲気で…何事???と不安になったのをはっきり覚えています。
    友人知人も多かった関西、皆の無事を確認するまでの永かったこと…。
    恐ろしかった…。心配だった…。

    やっと落ち着きを取り戻しかけた3月、東京では地下鉄サリン事件が起こりました。
    これはもろ知り合いが沢山巻き込まれました。
    友人の旦那様は、今でも少し目の調子が悪いようです。
    娘の同級生も、たまたま丸の内線に乗っていて、ランドセルから制服まで、全部没収されたそうです。
    ショックだったのは、アジトの一部のアパートが、娘の小学校の目の前にあったことでした。そう言えば、いつもパトカーが止まっていたよね…と…。
    恐ろしくて、恐ろしくて、泣きそうでした。

    そして、5月、お世話になった先輩の突然の死…。
    まだ45歳の若さでした。癌が見付かった時には、もう全身に転移していて、余りの速さに無力感しかありませんでした。
    私もまだ30代…虚しくて、怖くて、寂しくて、やりきれない思いでした。

    こんなにも悪いことばかり続くものなのか…。

    その後も、個人的に、とても悲しい別れや寂しい出来事等…この年は続きまくりました。

    95年…忘れることなんか絶対に出来ない…。

    今、あれ以上の恐ろしい事が起こるかも知れない胸騒ぎの中で必死で生きています。

    無駄に歳をとりましたが、30代の私よりは、少しは役に立つように、まだまだ頑張らないといけないと、想いは強くなっています。

  5. 宮崎マンゴー より:

    震災で犠牲になられた方々の御霊が安らかにと、お祈り申し上げます。
    本日、遺族代表追悼の言葉で「震災の辛い経験を語る事が、生き残った者が出来ること」と語られ、災害への備えに生かして欲しいとも。心に刻みたく存じました。
    我が島国日本は、自然災害大国ともいわれております。その日本で生きる者として、厳しい年月の重さ、尊き人命の重さの真実を風化することなく教訓として受け継いで語っていかねばならないのでしょう…
    瓦礫となった家の前で途方に暮れる人達。
    焚き火で寒さをしのぐ被災者。
    給水者を待って並ぶ被災住民。
    倒壊した民家の下敷きになった人を救出する住民達。
    バケツリレーで消火する住民達。
    沢山の当時の写真を拝見致し、凄まじく恐ろしい災害に遭われた方々であられるのに、その過酷で厳しい事態を前に於いても躊躇することなく持てる力を合わせて協力される御姿に、人間として何より日本人としての危機なる時でも毅然と対応され行動される強き美しいお一人お一人の御姿に素晴らしさに、泣けてしかたありませんでした。誇れる日本人の方々だと…忘れてはなりません。
    そして、病院で泣きかけていた少年は今!
    今こうして、日本の正義の為に立ち上がられ民の声に耳を傾け、弱者の心に寄り添う誠実なる政治家となられておられます!その存在は、本当にありがたく存じます。
    *1/16[超スゴ、全部見せちゃいます自衛隊の裏側]という番組にて陸海空自衛隊の活躍が紹介されておりました。
    陸…
    ○防衛医科大学、自衛隊看護師
    実弾射撃訓練においては、若き女性看護師の方々が的に向かって真剣に射撃されておられました。又、38℃炎天下の野外訓練ではほふく前進第1〜5迄を虫だらけ、泥砂だらけを這いずりで痣だらけという過酷さ。全ては、国民の命を守る為として当然との応えに感動でございました。
    ○特別儀仗隊(選び抜かれたイケメン部隊)も、鍛え抜かれた身体、容姿端麗な方々でした。世界の要人の方々をお迎えの時にも活躍。
    ○水陸機動団
    22万の内僅か100人という今年新設されたスーパーエリート部隊。島奪還を目指す!という。想定外の出来事を前に迅速に対応される訓練の御姿は有事に備えての命がけでした。
    海…
    ○幹部自衛官の新人研修世界一周
    半年間の洋上訓練では、12畳に8人の海上自衛隊員が生活。
    一発、60万の射撃訓練の模様は驚きの威力に皆様呆然でした。
    船上では真水一滴は血の一滴!(浴水は海水)
    家族との連絡は一日一往復のみ。ここでも厳しい訓練に次ぐ訓練の様子でありました。
    空…
    ○Cー2輸送機
    大規模災害、PKO等の海外派遣で多くの人員や乗物を運べる自衛隊最大級の最新輸送機。
    ○空中給油
    正確に常に危険を伴う空中での2機の息が合った如くの様子は、訓練の賜物だと!
    ○ブルーインパルスのアクロバットを披露に素晴らしい航空技術に目を見張りました。
    パイロット養成施設として、国内1台巨大マシンで、Gに耐える訓練として、7G10秒に耐えられないと空自パイロットになれない。
    …以上、わたくしのつたない説明出来る全てでございます。どの自衛隊員の方々も、日本の国防を担う責任感に溢れ、命に関わる事態であっても男性女性に関わらず、先ずは国民の人命第一として迅速に向かわれる毅然とされた御姿には目頭が熱くなりました。自衛隊の皆様は、とかく一部による誹謗中傷なる批判をうけながらも寡黙に耐え忍ばれねばならない現実もございますが、多くの国民は、皆様の御活躍を目の当たりに致し、厳しい訓練も存じ、日本の誇り、日本の宝として尊く存じております。時として、不祥事を行う愚かなる未熟者がおりますが…多くの方々はしっかりと任務を遂行を果たされる素晴らしい立派な自衛隊員の方々であられます。隊員不足の現状、若き方々の入隊を切にお願い申し上げます。自衛隊員の皆様の背中を送り出される御家族の心配と御苦労は計り知れない重さだということも、我々は忘れてはならないと存じます。本当にいつもお疲れ様でございます。感謝の念を込めて…祈

  6. 櫻盛居士 より:

    **********************************************************************
    共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
    ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。

     ・『テロを利用する共産党』
     ・『テロリストの味方である共産党』
     ・『テロに屈する共産党』

    **********************************************************************
     
     
    陸上自衛隊第101建設隊-
    この聞き慣れない部隊は、嘗て陸上自衛隊に存在した鉄道部隊です。
    1960(昭和35)年に編成され、1966(昭和41)年に解散した部隊で、主務は災害等で被害を受けた鉄道の復旧、自衛隊の補給任務、日本領土内が戦場となった際の国民への食料輸送で、併せて当時激化していた国鉄のストライキ時の輸送の確保なども含まれて居ました。

    この時代背景として現在と比較し国鉄の路線網が充実しており、逆に道路網は未発達と言う状態でしたので、非常時に於いての人員及び物資の輸送手段としては鉄道が主力であった為です。
    その中で編成を決定付けたのは、激化していた国鉄のストライキの最中に非常事態が発生したらと言う、憂慮からだと言われて居ます。

    保有した主力鉄道車輌は蒸気機関車1輌で、これは電化区間であっても電力供給が途絶える事態に配慮したのと、当時は現在以上に非電化区間が多かった為です。

    実績としては、実際に災害派遣でその能力を発揮したと言って良いでしょう。

    解散となった理由は道路交通網が充実して来た事と、モータリゼーションが進んだ事、鉄道部隊の所有する設備、機材の維持コストが高額であった事でした。
     
     
    扨て、災害を含めあらゆる事態に備えるのであれば、以前あった施策を見直してみる事も検討してみてはどうかと考えます。
    勿論、時代時代で環境は変わってますのでそのままとは行きませんが、その目的とする本質は変わらない部分と言えます。

    現在多くの人が記憶に残し、且つ多くの記録が手軽に閲覧出来る事が可能な大規模災害の一つが、この阪神淡路大震災でしょう。
    当時はまだ携帯電話も登録電話番号が10件程度で、メール機能も無ければ、静止画カメラすら搭載されていませんでしたので、その殆どは動画ではありませんが、それでも伝わるものは決して少なくは無い筈です。

    それらを検証し、現在の体制が整備されて居るのですが、それらが本当に十分なものであるかも、今一度問い直して見るのも必要であると考えます。

  7. ミカンの実 より:

    阪神淡路大震災は、本当に酷かった。何がひどいって、地震の数日後にはパチンコ屋がシッカリと営業していたこと。しかも満席!いやぁ驚きましたよ。すぐ隣は倒壊したビルがあるというのに。
    本当に異様な光景でした。それから数日後には、首から白い布に包まれた御遺骨を下げて抱えた方々が駅から何人も何人も到着してこられたこと。ご親戚のどなたかがお亡くなりになったのでしょう。大阪のどこの駅でもしばらくの間は、そういう御遺骨を抱えた方々が何人か駅にいらっしゃるのを見かけました。南海トラフ地震も近いうちに起こるかもしれません。なので、今のうちにできることをやっておきましょうかね。会える人には会っておく。本当に好きな事を我慢しているのなら、勇気を出して少しやってみよう。本当に好きな人がいるのなら、義理チョコでもいいから気持ちを伝えてみようとかね。それから、若い人たちに、選挙に行く事と防災の準備をすることをお願いしています。有事の時はたった一つの何でもないことが、生死を分けます。生き残りましょう。

  8. BLACK より:

    阪神大震災から25年、東日本大震災から3月で9年。
    「生きて来た」と言うよりも私は「生き残っている」と言う意識です。
    それは「死に遅れている」と言う意味の方が強い「生き残っている」です。

    阪神大震災の様子をニュースで知った時「神様なんていないんだな」と思いました。
    以後、神様だとか、綺麗ごととか、偽善を言う人たちが嫌いになりました。
    私にとって阪神大震災は、人生観や価値観の転機になりました。
    多分、現在の私の考え方の基本・出発点になっているのは阪神大震災です。
    (注・私は半歳大震災の被災者・経験者ではありません。ニュース映像でしか知りません。)

    私たち生き残った人間は、あれから少しは進歩出来たでしょうか。
    災害に対しても、自衛隊に対しても、政府も社会全般も。

    決して嫌味や、亡くなられた方々に対して揶揄やる意味ではなく、「でも失礼になってしまうのかな」と申し訳なく思いながら
    今が自民党政権で、安倍政権であることの安心感を思います。
    自衛隊がいて下さることの安心感を思います。
    (と言っても実際には被災規模と世界情勢によっては手が回らないことも覚悟しています。)

    日本全国、災害はひとごとではありません。
    私たち生き残っている人間にも、今日かも、明日かも知れないです。
    心構えと覚悟を持って日々神様では無い様々な何かに感謝して暮らしたい、と思っています。

  9. 琵琶鯉 より:

    二つの震災を経て日本人の価値観は大きく変わりましたね。そして政治の大切さを民主政権で思い知らされた。「政治なんて誰がしても同じではない。」当たり前の危うさ、難しさを身を持って知った方々も多かった事でしょう。国民が目覚め、闘わねばならない。支えねばならない。そして日本の為に沢山の方々が戦っておられます。ほんとに有難い事です。

    さて、YuoTubeを観ていてまた、面白い動画を発見致しました。朝鮮半島を日本が植民地にしていた頃を経験した韓国人のおばあちゃんが孫のインタビューに応えている動画です。徴用工問題、強制慰安問題の真実を語っておられます。外務省はこの動画に英語訳と関連資料を張り付けホームページに掲載する事を要望します。これによりジャパンディスカウントキャンペーンに多大にダメージを与える事となります。(朝日新聞のお詫び記事も訳して掲載してくださいね。)このYuoTuberさんにも了解とって下さいね。
    あと、文部科学省でも教育指針において、この事実を捏造する指導する学校には補助金の減額を課して頂きたいですね。今だ韓国へ修学旅行して慰安婆さんや慰安婦像に学生を謝罪させる行為をさせている高校ありましたよね。
    とりあえず動画張り付けます。日本の保守の間では当たり前の常識ですが、韓国人の普通の人が語っている事実が重要かと思います。
    https://youtu.be/AQWpv7pnmJ4

  10. 旧新人類 より:

    あの時からはや25年。改めて犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。日本に住んでいれば、いつどこで震災に遭遇するかわかりません。都市部でこわいことのひとつは、高層ビルの窓ガラスが割れて降ってくることです。レジャー用のヘルメット等はかさばるので、ガラス破片防御用の頭巾などを持ち歩くとよいかも。面倒だとは思いますが。。。(以下また長いですが、ご容赦ください。ソースを引用すると、いきおい長くなるので。。。

    メレディス 無知性主義
    ‏ @jmeredith1987

    多くの皆様のリツイートに感謝
    国立大学の自衛官入学拒否問題に取り組んできた者です
    2014年 故三宅博議員に国会で取り上げて頂き、入学拒否は憲法違反であると各大学から回答を得ました。完全勝利ですがメディアは報道しませんでした
    国民が知れば、違憲行為を行なってきた憲法学会の権威は崩壊します
    3:54 – 2020年1月16日

    この方は「名古屋大学平和憲章」を議論するアカウントだとのことで、この件の関連資料を少し見に行ってきました。「名古屋大学平和憲章」は名古屋大学消費生活協同組合が制定したもので、以下を謳っています「わが国は、軍国主義とファシズムによる侵略戦争への反省と、ヒロシマ・ナガサキの原爆被害をはじめとする悲惨な体験から、戦争と戦力を放棄し、平和のうちに生存する権利を確認して、日本国憲法を制定した。。。。大学は、戦争に加担するというあやまちを二度とくりかえしてはならない。 われわれは、いかなる理由であれ、戦争を目的とする学問研究と教育には従わない。
     そのために、国の内外を間わず、軍関係機関およびこれら機関に所属する者との共同研究をおこなわず、これら機関からの研究資金を受け入れない。また軍関係機関に所属する者の教育はおこなわない。 」
    (引用終わり。「教育は行わない」だって、エラソーに。何様なんでしょうか。誰かに教育を否定すること自体が憲法違反じゃないの?「日本国憲法 第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」)

    それに対して:

    メレディス 無知性主義
    ‏ @jmeredith1987
    返信先: @Pirok16さん、@gerogeroRさん

    この問題は2014年に故三宅博議員に国会で取り上げて頂き、大学側に自衛官入学拒否を憲法違反と認めさせて完全に勝利しました。

    もはや東大も京大も名大も、表立っては入学拒否出来なくなりました。

    問題は国民が知らない事。
    国民が知れば、自ら違憲行為を行なってきた憲法学会の権威が失墜します。
    0:54 – 2020年1月17日

    故三宅博議員(在りし日のご活躍を称えると同時にご冥福をお祈りします )による国会質疑を含むまとめがこちら。
    https://togetter.com/li/1081971
    動画はこちらです。
    https://www.youtube.com/watch?v=yN_XkOX3rMg

    昭和62年に故井上計参議が「名古屋大学の「平和憲章」に関する質問」をされていて、その答えがこちらです:

    「御指摘の「平和憲章」については、名古屋大学が発表したものではなく、同大学の教職員、学生、名古屋大学消費生活協同組合の職員等の一部の者が集まり、私的立場で発表したものと聞いており、その経緯の詳細等は承知していない。

    三について

     名古屋大学の教育研究組織、教職員人事等に関する事項については従来から把握しているところであるが、御質問にある調査は行つていない。

    四及び五について

     御指摘の「平和憲章」の性格は、一及び二についてにおいて述べたとおりであり、「戦争を目的とする学問研究と教育には従わない」ことの具体的な内容は承知していない。」
    (以下割愛。逃げ腰ですね)

    だけど、故三宅議員いわく:

    「 私の知り合いのある方が、おととし、今一般の企業に勤められている、この方は京都大学を出られた方なんですね、それで、名古屋大学の大学院に入ろうとしたんです。そのときに、名古屋大学の大学院に入るとともに、予備自衛官にも自分は応募したいというふうな思いを大学当局に伝えたんです。名古屋大学の平和憲章があるのでこれに抵触をして入れてもらえないんじゃないかなというふうな御心配をされて、名古屋大学に問い合わせされた。
     それは学部によって対応はまちまち、いろいろなんですけれども(略)文学部はどうだったか。文学部に対してこういうふうに、予備自衛官も現役自衛官も入学に問題ないと回答する旨は監査室から出ていると。ところが文学部の方は、名古屋大学平和憲章に名古屋大学は拘束されるんだとか、あるいは、経済学部は、私は予備自衛官にも応募する、しかし名古屋大学の大学院に入りたいけれどもどうしたらいいんですかと言ったら、やはり事前に調べる必要があるので、ちょっと書類を送ってくれと、事前審査みたいなことをやっているんですな。そういう学部もある。だから、学部によってばらばらなんですね。
     さっき言いましたように、私的な取り決めだから大学は全くこれによって左右されない、影響されないとおっしゃっているけれども、実態はそうじゃないんですよ。」(以下割愛)

    要するに、大学当局は生協が怖いんでしょ?違いますか?納税者は生協が好き放題にしてあれこれ応募資格に裁量をふるう大学に税金を払いたくありませんね。その分は自衛隊の人件費に回してもらいたい。頭に来たので、その旨官邸メールします。大多数の納税者は自衛隊に守られて世話になっているけど、名古屋大学の生協とやらに世話になった覚えはありませんからね。あ、それより防衛大学を充実させるよう予算増額をお願いした方がいいのかな。防衛大学に一流の学者が研究できる最高の環境を整備させたらいいですね。

  11. 柏城"大保守"耕介 より:

    あのときは僕自身としても学生だった身の上だけに今以上に非力で何も出来ない
    思いすら抱いていたものがありあまりいい表現ではありませんが数年前の熊本の
    ことがあって果たせなかった思いを果たせたようなものすらありました。

    一方で震災に限らず災害も相次ぐわけですが防災に対することに無頓着な者すら
    多く災害の事実すら鳥のように数日で忘れてしまうような状況に対し危機意識の
    欠如したお花畑じみた者すら多くいるように思えてなりません。

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