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ドタバタと大阪からの出張を終え、翌朝には初盆。
なんだろう、少し移動疲れもあるのかな、テンションが低い自分に気づかされた。
叔父には本当にお世話になったし、実は後援会長もしてもらっておりました。
私の生き方に強く影響を与えた人物で、令和の時代だと珍しいタイプだったと思う。
九州のみならず西日本でも名の通った経営者であり、その人生は子どもながらに興味を惹かれるものでした。
隠さずに述べておきますが、県内有数の建設業を一代で起こした人物です。
特定の大企業のグループ企業(例えば鉄道関係など)を除けば、県内トップに躍り出るレベルです。
その時代の方からは、風雲児のように語られることもあるし、敬意を込めて侠客のカテゴリとして論じられることもある人でした。
冒険譚のように聞かされたものですから、完全に正確かは分かりませんが、私の記憶している範囲で。
叔父は高卒でした。そのことへのコンプレックスも隠さなかったし、何より勉強熱心でした。
中学では成績は良かったものの、高校受験では希望校には合格できず。しかし高校で必死に勉強し、校内でもトップクラスに。
当然ながら大学進学を希望しており、その希望は叶うはずでした。
しかし、受験すら断念せざるを得ない状態に陥ります。
父母(私から見て祖父母)が結核だったと思いますが、重い病におかされたのです。
祖父は軍人で、徴兵される前からだったと思うのですが(祖父はこのあたりは詳しく述べてくれませんでした)、家もしっかりしておりました。祖母は庄屋の産まれでした。
叔父には妹がおりました。多数の兄妹がいたのです。
祖父は、田畑を売ってでもと叔父に勉学を進めたのですが、叔父は大学進学を断念し就職。
当時の大学進学は珍しいものですから、高校からも非常に惜しまれ、高校の先生からも進学させるべきという激論があったそうです。
のち、私の母を含む叔父の兄妹は、すべて大学に入学。
叔父が生活の面倒や学費を工面したのです、自分は働いて。
それでも楽ではなく、どれだけ真面目に働いても大学を卒業して入社してきた人たちにどんどん追い越されて行く。
結果、離職して企業。
当初は行橋市内での仕事もしていたようですが、市内では「不誠実な企業取引」の被害にもあい、様々な苦悩を抱えつつ、拠点を博多に移していく。ツルハシひとつから都会に飛び込むのですが、やがては東京にも支社を置く大企業に成長していきました。
その間には様々なことがあったそうです。
ここから冒険譚は始まるのですが、そのあたりは初盆の中で自分で振り返っていきましょう。
今日、まとめる自信はございませんし、なんとなくここまでしか書く気になれないのです。
(書いて行くと本一冊ぐらいにはなる。九州の政治の歴史の1頁とも言える人ですし。)
鳥栖ジャンクションという大きな高速道路のジャンクションがあります。物流網のコアでもあり、日本最大級だったと思いますが、ここの元請けとかもしていました。場所が場所ですから、工事は難航。かつての時代だと、すぐに「調整費をもってこい」(ようはお金を出せ)などと工事妨害も横行し、公共事業であっても、いや公共事業であればこそ遅延させられる時代。
激しい人でしたから、そういう時に頼られる経営者でもあったのでしょう。
様々な団体とも揉めていたのだと思いますし、母型の男性親族としては私が一番の年長者でしたから影響はありました。
大学生のころだったと思いますが、いまでいう、いわゆる反社、または建設業などから誘拐未遂もありましたし(しかも何回も。)「あー、いま危ないなぁ」という思いは何度もしまして、のちVシネとか見ると「あーあー、こんな感じ」ってこともありました。
あ、ちなみに私は単にやられるほう。
叔父が喧嘩するものですから、親族とかのほうが狙われるというね。当時は意味も分かりませんでしたが、とりあえず叔父は楽しそうでした。私はわけもわからぬ奔流に叩きこまれるような感じだったのですが、思えばこのあたりの原風景が私を育てた気もします。
ここで明確に述べておきます。母方の旧姓は「松本」でありますが、某同和団体のトップの方とは単に苗字が同じだけで血縁関係などは一切ありません。ネット上では解放同盟の血族だという謎の批判までされましたが、単なる松本違い。本当に謎の状況です。
とはいえ同和関係にも顔が効いた人物であることは間違いではなく、叔父の懇意にしていた同志がおりました。そちらは解放同盟とは対立する、自民系の同和団体であり、そもそも叔父自身は(出身者ではないという意味で)部落問題とは直接の関係はありません。激しい時代でしたから、叔父の性格からして気があったのだろうと思います。楽しそうに話してはおりました。
そんなわけで、私も同和団体の血統ではございません。名乗り方によっては、一部には影響がある方も(高齢の方には)ご存命かもしれませんが、私自身は無関係です。
松本違いで謎のレッテルを貼られたことについては、私は結構ムカついています。
それは叔父さんの名誉のために。事実ならば何も言いませんが、それは正反対のことですから。真逆です、真逆。
グレたわけではありませんが、そういう青春時代。
高校は進学校だったので、まぁ、本当に大人しい世界を生きていました。しかし、大学に行き一人暮らしをはじめて以降。
「はぁ??」という、ゲームとか映画の世界に叩きこまれて行った、ちょっとかわいそうな男の子がおりました。それが私です。
なぜかヤクザ的な方、またはヤクザそのもの(と思われる)に追っかけられる(自分が何かしたわけでもないのに。)時期もありました。特にやさぐれたことはありませんが、人間とは不思議なもので、やがて環境に順応していきます。反撃まではしないものの、堅実な防御であったり、または回避であったり、話の付け方、揉め方を覚えていってしまいます。いわれなき暴力、暴風に耐性がついていく。
いわれなき暴力に晒されるというのは、意外に恐怖も感じました。
わけが分からないと最初は思っていましたし、皆さまもそうでしょう、わけが分からない。
別に悪いことをしていなくても、規模の大きな工事を請け負えば、やっかみなどを生じて巻き込まれる。本当にわけが分からない。元請けだとして、下請けのAがとればBがとれないとか。どっちを選んでも誰かから恨まれるもので、それは親族にも及ぶものなのです。
いまでも理解はできませんが、一定額以上が(どういう業界であれ)動けば、単純に命が失われるものだとは、体感せざるを得ませんでした。
その中には、政治家もおりました。
のち大成していった議員もおりますし、いま二世として活動する先生もおられます。
色々とご迷惑をおかけすると思いますから、私から言及することは控えますが、政治にはあまり良い印象も持っておりませんでした。
本来であれば私は政治を目指す家系ではありません。
それだけの規模の経営者でしたから、むしろ政治家が寄ってくるのであり、議員になるというよりはキングメーカーの血統だったと思います。実際に、一部からは(政界からも)フィクサーとして扱われていた人でした。
あと、叔父自身は政治も政治家も嫌いだったと思います。その影響だけではありませんが、私も政治に良いイメージは持っていませんでした。
まさか自分が議員を目指すことになるとはねぇ。
もう一度繰り返しておきますが、私の叔父は解放同盟の松本氏とは一切、無関係です。ガチンコでもめたことはあったと思いますけれど、血族どころかそもそも敵対陣営であったことは、叔父の名誉のためにも強く述べておきます。というか、揉めたことも含めて古い政治の史実として知ってる人は知ってるレベル。
ちょっと苦言は呈しておきます。裏取りもしない匿名ネットユーザーに諭しても無意味なのでしょうが、そういう発信をしていた人のことは信頼しないほうがいいですよ。不確かな情報をしたり顔で言ってただけ、調査能力もない似非情報通ですから。リアルだと一番嫌われるタイプですし、のちの発信も含めてね。二度と信用しないほうがいい。
叔父の「友人」だった方ですが、城を建ててました。
このあたりで分かる人には分かると思いますが、勝手に城を建てて戦ってた人なんて福岡では一人しかおりませんから。ここと解放同盟を取り違えるなんて、ほんと、意味不明。少しでも現実の情報にアクセスできれば、絶対にしないミスです。
こう、川のほとりに、高速道路からも見える「城」がありまして。
叔父は楽しそうに、その城主とともにいろんな喧嘩をしていました。
随分と大人になってからですが、私も見学に行ったことがあります。
時代が落ち着いてから、「ああいう時代もあったのだなぁ」というタイミングで。
※ 叔父として経営者としての話は冒険譚のように聴いてはおりましたが、会社のことは私には分かりません。ただし、叔父自身は同和利権でのしたわけではないことも述べておきます。ここは本人の自慢だったようで、あの時代には珍しいことに大卒新人を採用しまくって、丁寧な積算と、あとは叔父の度胸で伸びてきたのが経営哲学だと思います。
むしろ、このあたりは行橋市内で飲まされた煮え湯のほうを聴いてきましたので、叔父自身は同和利権の被害者という側面もありました。戦いまくった人生だったと思います。
私は、議員となってのち、水利権を始めとする、いわゆる同和利権にメスを入れまくっていきます。
当時(若いころ)は何が何やら分からなかったのですが、まったく状況が分からないわけではないので、えせ同和行為については対峙するスタンスを初期からとっています。
ほんとはね、「見えない利権」と手を組んでしまったら「楽」だったと思います。最初の選挙は私は落選しています。
次からだって厳しい戦いを強いられきました。市内で最小の校区から出馬しており、校区の総人口が市議当選ラインよりも少ないという、本来なら市議が誕生しえない地盤から出馬しましたから。
立場的には、利権側に迎合することもできたとは思うんですが、私はそうはしたくなかった。
フリーハンドに政策を書けることが、何よりもの価値だと思いました。
自由を買うためならば、どれだけのコストを払っても構わない。
余談になりますが、父方は市内の名士。
暴れん坊の叔父のイメージではなく、本当に温厚な接客業(市内有数の歴史を誇る旅館)でした。
よって、私には父方の苗字である「良い子」「優等生」という属性と。
あまり表には出さない母方(叔父)に鍛えられた激しい一面の二つの属性があります。
先ほど叔父(母方)の影響だけで政治が嫌いというわけではないというのは、ここです。
旅館業などをしていると、子供ながらに様々なことを見聞きします。様々な議員がおりました、面白い人もおりました。楽しそうに話もしておりました。まったく楽しくありませんでした。
私は笑って聴いていました、心の底から笑っていたわけではありません。
市内の古参旅館、ゆえに温厚に振る舞うことを求められる立場でもありましたが、私はどんどん政治が嫌いになっていた青春でした。
変わったタイプだとは思います、理系技術者としてのホワイトカラー的な緻密さ。
そして、ある程度の荒事を恐れない、胆力ある交渉スキル。普通は両者が混在する政治家は誕生しえない。
また政治の世界を目指すことは、いずれの家系を見ても考えにくいのですが、両方の血統があったがゆえに私は政治家になったのでしょう。
その私の「激しさ」の部分が、母方の血、もっと言えば叔父になります。
転機。
あのとき、自民党政権が倒れようとしたとき。
麻生解散、そして民主党政権の爆誕。
やはり思うことがありました。
若いころ。
とくに誰それがというわけではありませんが、別れもありました。
つまり死別です。あぁ、交渉事や”仕事”で失敗すると生命を失うのだというのを理解せざるを得なかった。そんな私は、政治の世界を嫌ってはおりましたが、逆に自信だって持っていました。私ならやれる、と。
実際に戦争に行った祖父らを思えば、この言葉は使うべきではないのでしょうが、死線をかいくぐってきたのです。
民間人であっても、普通よりは強い。交渉ごと、政治にも自信がありました、はっきり言えば通常の議員よりも「私の方が」と思ってしまったのです。
だから、民主党政権が誕生する前夜、もぞもぞと「・・・俺だったら、少しは戦力になれる、ある程度はやれる」と思ってしまったし、民主党が与党の酷い時代において、「本当に美しい、野党自民」の姿を見せられてしまったら、やるしかないじゃないか。
だから、私は野党自民の時代、
まだ民主党政権下で初当選を飾ったのです。
野党自民の姿を見て、あぁ政治も綺麗な部分があるのだなぁと思った。
叔父は最初は複雑な思いもあったのでしょうが、のち後援会長に就任してくれました。
私が当時(若いころ)、どんな思いをしたとか、何があったかというのは、実は叔父にも全ては言っておりません。
言うべきことでもないと思いました。色々と言っていないことがあるままに、でした。そして、色糸なことを感じ、色々な経験をさせて頂きました。
私はその冒険譚が、叔父のある意味では自慢話が結構好きでした。
もっと書きたいけれども具体的に書いていくと、どの事業の何があったときに、この人がこうでああなったから、今ここがこう、と。そういう話をすると、いまでも吹っ飛ぶ人(政治家含む)がおりますから、影響規模が福岡県内だけではなく西日本にも波及しますので、まぁ、このあたりで。
急にね、お別れでした。
初盆。
この季節は物悲しい、今年は特に。
議員になる前から、そして議員になってからを見てくれていた叔父が亡くなりました。
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慎みて叔父上様の御冥福を祈念致します。
今年は【安倍晋三総理暗殺事件】と重なって、よりやりきれない心持ちやも知れませぬ…
小坪市議の穏やかで居ながらピリッとした感じは、叔父上様から来ているのですね。
特に『写真・画像】の場合は、直接お会いしたのとは違い、『殆ど目が笑っていません。』←これは恐ろしいですよ。
直にお会いしてお話しする【常識的で、腰の低い、気遣いをされる穏やかさ】に接して驚き、【別人?!】と勘違いする位です。
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共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
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実に立派な精霊棚で盂蘭盆を迎えられて、きっと故人様も満足なのではないでしょうか。
親族に対する愛情とか敬意とかが感じられる、良い一幕だと思います。
昨今は何でもかんでも効率化し過ぎて居て、こう言う伝統も廃れつつあります。
こう言った伝統も大切にしたいものです。
故人様が創業された会社の社是「過去を反省し現在をしっかり見つめ 将来に夢を持って生きる」を見れば、小坪先生の政治的信念と通じるものを感じますね。
扨て、あらぬデマを飛ばした連中ですが、正直言って阿呆扱いされても必然としか言いようもありません。
先ず同和どうこう言う以前に、松本と言う氏は日本全国津々浦々に散見される苗字で、それだけに系譜も様々あり、その氏だけでどの系譜かを追うのは至難の業です。
これだけで、如何に浅はかな行いかと言う事に気付く必要があるのですが、そんな初歩的な事も感覚的に理解出来無いと言うのは、頭の中に欠落があるとしか言えません。
尤も氏では無く、姓や併せて本貫などを用いて居る民族であれば、そもそもの苗字の絶対数が少ない為、そう言った感覚に陥る事も考えられるでしょう。
而も解同と言えば全国水平社の流れで、水平社の解放運動自体が赤化の一環と言っても過言では無いものでした。
今でこそ共産党は解同を目の敵にして居ますが、部落解放を利用して赤化工作を図ったものの、同和利権重視の輩と共産主義重視の輩との間で内ケバが発生し、共産党が解同から叩き出されたのが原因で、謂わば同業他社状態にあるからです。
この様な流れを知って居れば、こんなデマなど飛ばせる筈も無いのですが、その辺りは毎度の至らない頭で、至らない事をやらかしたと言う事なのでしょう。
同和運動も戦中と戦後暫くはメッキリ下火だったのですが、1960年代頃から再び再燃します。
はい、過激派とかのアカの連中が頻繁に暴れまわって居た時代ですね。
この時代、解同は日中友好協会との関連が少なからずあり、やはりアカの巣窟みたいな状態でした。
ここに危機感を覚えた保守勢が、遅まきながら1980年代に入ってから立ち上げたのが自由同和会です。
とは言いつつも同和利権と言うのは非常に美味しいものらしく、どこもかしこも利権追求の圧力団体に陥ってますが。
大体、解同の構成員自体が穢多や非人の末裔だけで構成されて居らず、戦後50年以上活動して、彼らの言い分によると「まだ部落差別は存在する」らしいですから、どれだけ無意味な団体かは推して知るべしです。
戦前を含めれば100年活動して、この体たらくですから。
尤も、ガチの穢多や非人の末裔自体がその事を知らないなんてのはザラですし、故にそう言った方の大半は解同などとは無縁です。
そもそも、この活動をちゃんとするなら、個人単位で国家が正真正銘の穢多や非人の末裔だと認定する必要があります。
つまり、国家が差別を助長する所から始めなければならないのですが、これをすると差別助長だけでは無く、地域単位で同和地区指定を行った前提自体が覆ると言う、皮肉な状態にあります。
まぁ、戦後の同和行政で同和地区された場所はかなりいい加減で、江戸期に穢多村とされて居た地域は指定されて居無かったり、明治以降に都市部で形成された穢多村とは全く関係の無い、単なる貧民窟が同和地区指定されて居たりと、利権ありきで行われて来たのが同和行政の実体です。
この同和利権に小坪先生がメスを入れた時点で、故人様がどう言う存在かを理解出来そうなものですが、ここも流石にあの連中ですから、至らなかった様ですね。
余談ですが鳥栖ジャンクションと言えば、日本で数少ないクローバー型ジャンクションで、その形状の美しさは有名ですね。
”場所が場所”と記載されて居る通り、確かに場所が場所ですね。
建設工事当時は同和以外にも、あのウザったい密入国者関連とも戦ったのではないでしょうか。
小坪家に縁にし有る皆々様を始め
私達の天命が完うされますように
小坪しんやという政治家の元をたどれば、常人と異なる世界が広がっているのですね。
後援会長でもあった叔父様の初盆ですが、自慢の甥っ子だと思います。
叔父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
何故小坪氏が他の多くの方々とちょっと違うのか(もちろん良い意味で、です)
何故私が小坪氏の個性に惹かれるのか
少しわかった気がします。
私が知っている狭い範囲のことですが
小坪氏に対して執拗にデマを発信している某ブログは
安倍(元)総理に対しても悪質な発信を、暗殺前も暗殺後も続けています。
捜査が入らないのが私には不思議です。
(それ程の内容だと私は思っています)
以上 文責 BLACK
初盆、ではなく先日実家の実父も帰らぬ人となった身の上でもありますが公安所属であったところで厳格なところはあったものの肩書きその他はないにしろ人脈もそこそこにあり自宅のことに関してもうまく執り行うところもある強い存在だっただけに急に斃れたものに関しては思うこととして被るところすらあります。
とはいえ貴方の叔父に対する経歴には驚かされるものしかありません。