今夏には、沖縄県知事選がある。ネット保守論壇ではデニー知事を批判する声も大きい。言うは易し、現職を相手に戦おうとした場合、激戦が想定される。
知事奪還を考える上で絶対に外せない人物の一人、その名は、古謝(コザ)景春。いま南城市長選を戦っている。
沖縄の保守で、この名を知らない者はいない。オール沖縄に対抗する勢力として”チーム沖縄”がある。これは保守系市長らの集合体であり、知事選を戦う上で重要な勢力だ。じつは、沖縄県知事・那覇市長以外は、ほぼ保守系首長が抑えている。チーム沖縄こそは、オール沖縄と戦ってきた勢力のひとつ。
古謝市長候補の経歴だが、南城市長を3期、知念(のちの南城市)村長を1期。沖縄の首長でも圧倒的なキャリアを持ち、首長らと長年の付き合いがある。チーム沖縄の盟主にして、沖縄保守を率いてきた指揮官の一人だ。市長連合の指揮官と言ってもいい。
当然、オール沖縄も目を付ける。
4年前の市長選において、オール沖縄は元衆議院議員(民主)の候補を擁立、推薦は、社民党、日本共産党、自由党、沖縄社会大衆党等だった。激戦となり、僅か65票差、惜敗率は99.43%で惜敗。
古謝さんを市長に復帰させねば、県知事奪還は遠のく。
いま、まさに選挙戦。またしても激戦。元衆議員の現職市長を相手に戦う、厳しい報告も飛び交う、勝敗は分からない。
実は、復帰のタイミングの関係で、沖縄は選挙イヤー。辺野古をかかえる名護市においても市長選の真っただ中。八重瀬町、2月は読谷村、石垣市長選、4月に金武町長、与那原町長、南風原町長、沖縄市長選、久米島市長選と続く。大部分の自治体で選挙があるのだが、「沖縄知事選は、県内各地の選挙」を戦いつつ、組織を形作っていく。
チャレンジャーの立場になってはおりますが、その実績を伝えたい。
南城市役所は、駐車場は2000台。人口4万5千人の自治体にしては、広大だ。その指摘は建設当時からあった。その理由は何か?実は高台にある、と聞けばピンとくるだろうか。四方を海に囲まれた沖縄は、実は津波に弱い。
防災を念頭に、避難所としての機能を持たせて建設されたもの。
自由民主党沖縄県支部連合会 島袋大幹事長が、出陣式でも触れていました。実際の動画を紹介します。
古謝(コザ)景春市長候補の出陣式に参加してきました。
(応援候補)
古謝(コザ)景春・南城市長選(沖縄県)
告示 1月16日 投開票 1月23日
渡具知(とぐち)武豊・名護市長選(沖縄県)
告示 1月16日 投開票 1月23日
田中がく・貝塚市長選(大阪府)
告示 1月23日 投開票 1月30日
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(OGP画像)
その時間、僅かに2分30秒。
なぜ市役所が高台にあるのか、そして駐車場が2000台もあるのか。
出陣式の前日、津波警報で皆が眠れぬ夜を過ごした中、翌日にこの挨拶。
ここまでコンパクトに収めることは、もはや天才的な能力です。
(内容もですが、島袋幹事長の演説能力にも着目して聴いてみてください。)
この市役所に、古謝さんに戻ってもらわねばならない!と締める。美しい。
この一瞬だけマスクを外して撮影。
胸を打つ挨拶は続きます。
西銘大臣の挨拶は、心にきました。
かつて約四年の浪人時代が大臣にもあったのですが、やはり選挙で結果が残せていないと(様々な舞台で)ついつい端っこに行ってしまう。そのとき、いつも「こっちにおいでよ!」と呼びかけてくれたのが古謝市長だった、という逸話。
どれほどの信頼関係かを伺わせるスピーチでした。
島袋大・沖縄県議と。
西銘啓史郎 県議。
ブルーリボンバッジを着用。
(西銘大臣の弟さんになります。)
そして、友人の安里享英 社長。
私と古謝さんの出会いは、ここに遡ります。
政治的には非常に混乱した中での出会いでした。
自民党は、最終的には佐喜眞淳候補に一本化、ネット上では知事選は負けたという印象だけかもしれません。
しかし、30万票を超える得票を得ており、これは当選ラインを超えていたのです。必死にかき集めた票でした。
勝てるだけの選挙戦をしたのだと思います。
不思議な話ですが、私も県知事選の役員に近い立場で参加していました。
当時、混迷を極めていたのは、知事選の候補者選定。
これがなかなか決まらない。その中で、手挙げがあり、「保守系は3名の知事候補」が乱立する状態となってしまいました。
その一つの陣営が、古謝市長でした。
もう一つが、安里重信陣営。
私は安里陣営において、後援会組織の”幹事長特別補佐”を拝命、実際に名刺も作り沖縄では使っていました。公式のものです。
幹事長はいないのですが、幹事長特別補佐という役職になりました。
少し冗談みたいな理由になりますが、地元の武田良太先生が(自民党の)幹事長特別補佐であり、なんか恰好いいなぁぐらいの理由で「幹事長特別補佐」になりました。繰り返しますが、幹事長がいないのにこれになりました。
ここだけ見れば、ジョークだとかふざけていると言われるのかもしれませんが、大変な覚悟が必要でした。当時、自民系は別の候補に集約されつつあり、私が役職を受けたタイミングとは「ほぼ、引きずり降ろされる」ような、逆風の中での拝命でした。政治的には、政治生命を懸けた特攻と言ってもいい。
(じゃないと、こんな役職が通るわけもない。)
幹事長がおりませんから、選対役員の中では4役に相当する肩書き。
安里陣営であれ、古謝陣営であれ、それぞれに膨大な支持者を抱える。
「引きずりおろす」ような形になれば、それぞれの支援者が統一候補の応援はしない、できない。空気は最悪なことになる。
「調整を」と訴え続けました。
凄まじいプレッシャーの中、「私は退かない、ここをどかない」という宣言として、削り取られて行く陣営の、暴風の中の就任でした。
安里陣営も、古謝陣営も、自ら降りることは不可能な状況に陥っていく。
当時は両陣営を責め立てる声もありました。しかし、そんなことをしても意味がないことは冷静になれば誰もが理解できることです。
県知事選以降も選挙はあるのです。
県議選もある、衆院選もある、いずれも保守系であり多大な集票力を有する。
「花道」が必要だった。
調整が必要だった、和解が、少なくとも有権者が「よかった」と思える絵が必要だった。
私は、安里陣営の幹部として、古謝さんを訪問しました。
以下のFBの投稿は、古謝さんにタグ付けし、承認されている投稿です。
その際に「どのような政策を考えていたのか?」と、一般質問形式で問うています。
再生数は3000回ほどですが、当時、誰もが聴きたかった声だと思います。
同タイミングで、安里さんと会ったことの報告です。
非常にピリピリした状況下でしたから、「会う」だけで大変な時期です。
古謝さんは、私に会うことの意味、その覚悟も相当なものだったと思う。
いずれの陣営も正面衝突寸前であり、そして、いずれの陣営も、その計り知れないダメージを認識していたからです。
最終的には、二階幹事長が、そして菅官房長官が沖縄に入り、安里陣営・古謝陣営に公益のため退いて頂く要請をする形で花道を用意。
(ネット上で好き嫌いはあるかと思いますが)幹事長も官房長官も立派だったと思います。
二階幹事長を動かしたと言われる人物が、私の小選挙区の武田良太先生、当時、幹事長特別補佐。
菅官房長官に直訴したと言われる人物が、和田政宗先生。
武田事務所に報告を続けた伝令が私と言われています。
そして和田先生に報告を続けた一人が、Uさんというベテラン秘書です。
この調整は、失敗すれば、私の政治生命・またはUさんの政治生命が断たれるという激しいものであり、もはやどちらかが飛ぶだろうとすら言われていました。いまも両名が政治の現場を切り盛りしているのは、思い返せば感慨深い。
私は、安里陣営の幹部として、最後まで保守統一候補の旗を振り続けました。
私たちは引きずり降ろされたわけではない。
古謝さんも、保守統一候補の旗を振り続けました。
ともに両陣営が、統一陣営に揃った。単に揃っただけではない、調整を乗り越えて心から支援した。
県知事選の結果はご存知の通りですが、(本来であれば)当選ラインである30万票以上を統一候補は獲得。
しかしながら、弔い合戦の声に押され、想定外の大量得票により結果には結ばず、、、
その上で、別の結果も触れておきましょう。
私と古謝さんが話した内容は(当時は改憲の国民投票がある可能性が指摘されていた時期でした)、「これからも沖縄では激戦の選挙が続く」ことでした。
先の衆院選において、沖縄県の4つの小選挙区では、2人が小選挙区で勝利。
保守が、力を合わせはじめ、そして一枚岩になりつつあるのです。
もしも、もしも、ですね、
あのとき「それぞれの指揮官が、ギリギリの回避に失敗」し、正面衝突をしていたならば、この結果は得られなかったことでしょう。
古謝さんの、今まで積み重ねた人徳、人間関係。
そのネットワークは、各選挙で大きなプラスになったことは疑いありません。万万が一にも激突していたならば、もう沖縄の保守には活路はなかった。
それだけの人物です。
私自身、懐かしく降り返った当時の記事。
2018年8月12日
沖縄の未来と、県知事選について。当事者と会う。調整の本質とは
2018年9月2日
沖縄県知事選、勝利の方程式。菅官房長官、幹事長室が安里後援会を慰労(現地レポート)
コロナ禍もあり、あれからやっと会えた、という印象。
じつはきよひで社長は、行橋市議選に応援に駆け付けてくれています。
この写真は、南城市長選に応援に駆け付けた、”新しい沖縄を創る会”つまり、安里後援会の幹部との写真。
右より、新垣てつじさん。
いつも、てつじさんと呼んでいます。元県連会長、沖縄南部の重鎮。県議会で引退する際に「天皇陛下万歳」と言って、削除を求める左派と対立、議会がストップして新聞に載った人です。本当は県外の、一般市の市議に過ぎない私なんかが気軽に話しかけてはいけないのですが、激闘の中、凄く仲良くなってしまいました。
見つけたら「てつじさん、ばんざいっ!」っていうと、一緒に万歳してくれます。
安次富(あしとみ)修さん
宜野湾市議(3期)、沖縄県議(4期)、元衆議院議員(自民)という大ベテランです。だいぶ偉いです。このポーズで撮りたい!とおねだりして、撮ってくれました。先ほど出てきた、Uさんとも仲良しです。
儀武(ぎぶ)剛さん
元金武町長(3期)。町長在任中に北部市町村会長を4期。
いとみね会館で、あの事務所で、いつも一緒にいたメンバーです。コロナ禍の前でしたが、近所の居酒屋で様々な情報交換をしてきました。
(だいぶ偉い人です。)
安里きよひで社長
しげのぶさんの弟にして、シンバホールディングスの社長です。今回は、南城市長選の役員として参加。
写真のポーズですが、私が勝手に「きよひでコーン」と名付けているポーズです。
シンバホールディングスの安里きよひで社長は、いっつもキツネピースで写真。
そして、知事候補として戦った安里しげのぶ会長は、「しげのぶピース」で写っています。
もしも分からない人がいたら、下記エントリーをご覧ください。
2018年10月3日
新しい沖縄を創る会 幹事長特別補佐として(県知事選における象徴的な一枚)
古謝陣営は、防災を掲げてきた政治家として、コロナ禍により出陣式を四か所で分散開催。
一か所目は事務所でしたが、二か所目は港でした。前日において津波のアラート。翌日にあたる出陣式では、急遽、場所を変更。簡単にできることではありません。
万が一、場所を間違えてきてしまった人たちのため、港で待機してくれていたのが安里さんたち、創る会のメンバーです。
あの県知事選を経て、それぞれの縁故が広がっていった。
きつい思いを一緒にした、苦難もあった。
だから、このメンバーがここにいる。
私は、その一助を担えたとしたら、心から誇りに思う。
安里陣営として、古謝さんに面会に行ったのは私が一番最初だったと思います。だから、この一枚は本当に特別な思いがあります。
この一瞬だけマスクを外して撮影。
ずっとコロナ禍で会えなかった、ある意味では強硬しての沖縄入り。
私は、この一枚には色んな思いが込められたものだと思っています。
1月11日 福岡⇒大阪 小坪しんや市政報告会(多数の国会議員、府議、市議が参加)
1月12日 (大阪) 府連幹部と協議、堺市議同席。夜は府議と会議。
1月13日 大阪⇒東京 東京で活動。
1月14日 (東京) 意見書採択を報告する記者会見 、国会議員連盟事務局長に挨拶
1月15日 (東京) 櫻井よしこ先生の講演、櫻井先生と会議。(そのまま羽田⇒那覇空港)
1月16日 (沖縄) 南城市長選出陣式、名護市長選事務所訪問
1月17日 (沖縄) ネットメディア収録(那覇空港 ⇒ 福岡空港)
1月18日 未明 事務所に到着、事務処理開始
(のち3日間、事務所に泊まり込みで自主隔離。)
【沖縄の声】ウイグル問題を考える集会・街宣活動 in 沖縄 / 沖縄選挙戦2022~南城・名護市長選挙始まる~[桜R4/1/17]
(オマケ)
たったの、二泊三日。
実稼働は、僅かに48時間ほど。しかし、どうしても行きたかった。
入るか入らないか、それも含めて選対役員と協議しました。
いまは沖縄のほうがリスクがあるゆえ、入ることはむしろ私側のリスクも心配してくれました。ですが、結論としては「できれば来て欲しい」という声でした。
行って何になるというわけではありませんが、私にも声がけできる箇所はありました。無駄じゃないことは分かっていました、どちらも。
ネットへのアップは、沖縄より戻り、(大量不良がなくとも)自主隔離3日を経て、それからやりますと伝えて、今日この記事を書いています。
私は、戦艦クラスの人間ではありません。
けれども、あのとき沖縄には戦艦大和は行きました。
駆逐艦涼月も沖縄に行き、満身創痍ではありますが、ちゃんと戻りました。涼月は、私の後援会の名称になっています。
だから、行く。
激戦だから、行く。
厳しい戦いだから、やる。
逆風だからこそ、旗を掲げる。
こういうのは勝ちそうだからやるとか、負けそうだからやらないとかじゃないんだ。
やらないといけないとき、絶対に戦わないといけないんだ。そこで逃げたら、一生を後悔するから。
義理と人情、その言葉だけで言い表すことはできないけれども、これが気持ち良い戦い、沖縄の同志が見たい姿だと私は思っている。
ウイグル応援グッズ
特に、新しい沖縄を創る会として、一緒に駆け抜けてくれた友人たちへ。
この役職で話すことは少し面はゆいのですが、幹事長特別補佐という役を預かった者としてお願いします。あの時の古謝さんは、私たちにとっても心強かった。
全てを乗り越えて、古謝陣営・安里陣営は一緒に戦いました。誇りに思っています。
私は、古謝さんに恩があります。いましか返せません。
あの時の、暖かい気持ちを覚えている人は、あの時、共に戦線を構築した仲間たちは、きっと私と同じ思いだと信じています。
私は、古謝景春に、恩を返したい。皆も同じだと思う。
だから、一緒に恩返しをしよう。
共に、前に。
南城の友人を探してくれ、声をかけてくれ。
コロナ禍ゆえ、情勢はまったく予断を許さない。
やはり現職は強力だ、まだまだ苦戦という情報もある。
情報なんてどうでもいいんだ、やることは同じなのだから。
その旗を掲げた者よ、その旗を降ろすことなかれ。
逆風でも旗を掲げ続けた者よ、もう一度、その旗を振っておくれ。
誇りをもって、ただ前に。
「 共に、在る 」
その一言を行動で示すためだけに、私は沖縄の地を踏みました。
皆に、戻ってきたと示すにために。応えてくれる同志が続くことを信じる。
さあ三日戦争だ、やろう。
古謝さんは、沖縄にとって絶対に必要な人だ。
誰よりも南城市民を愛し、備えとしての防災を説いてきた政治家だ。
オール沖縄を追いつめ、その指揮をとってきたリーダーだ。
もっとも相手からマークされ、集中砲火を浴びてきた市長の一人。
どれほど南城市を大切に運営してきたか、その実績が物語る。
沖縄を愛してきたか、誰もが分かっている。
相手は現職、しかも元国会議員、
楽な戦いではない、いずれの選挙も楽なものなんてない。
南城の未来のため、沖縄の未来のため、日本の未来のため、
そして来たる沖縄県知事選のため、
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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)
あれから4年も経ったのですね。思い出しました。あの時、古謝さんにメールを差し上げ、御丁寧な御返信を頂いた事を。
国会開会前、在日米軍も一因と言われてしまったオミクロン株の沖縄大爆発ですが、維新国民含めた野党は日米地位協定改定を国会論戦のオカズにしています。
オール沖縄は名護市長選であからさまにやってますね。
私自身は、日米地位協定改定はコロナ禍が過ぎ去って平時に議論してくれよって感じです。
そこで自民党沖縄県連と地方議員沖縄保守の方々の意識と云うか本音の所はどう思ってるのでしょう。
沖縄選出国会議員や、沖縄県連議員、保守系地方議員の方々達の本音、予定候補者の本音。
沖縄県民の政治家の、保守層県民を代弁する政治家の本音。
『政治家として、日米同盟 日米地位協定 基地問題 』を。
沖縄の保守系政治家の声と云うかそういった主張、あんまり九州~本土~北海道迄、届いてないと思うのです。
オール沖縄と闘う上で、主張するべきは主張しないと本土のアイツらが好き勝手に声闘するでしょう。
在日沖縄米軍や自衛隊を日本共産党達から守る為にもある程度は地位協定改定は必要かなとは思う。
コロナ禍の今やる事ではないけども。
小坪さんは地位協定改定についてどう意識してますか?
1/22 文責 維新は裸の王様