本ブログの読者層は、どちらかと言えば頭の固い保守層、
社会的にも固い立場にある者が多いことはわかっている。
多くの地方議員が閲覧し、国会議員まで巡回しているサイトだ。
その上で、例年この日は「好きに書かせて」頂いてます。
私は、ブログが有名ということもあり、著書も出版している。
各種媒体に出稿していることもあり、全国に人脈を持ち、日本一有名な市議とであることを自覚している。だが、今日だけは「好きに書かせて」頂きたい。
例年、恒例の「行橋市の成人式」をアップする。
私も(かつては)若者であり、そして市議である。
人生を賭けて選挙に挑戦したのは、29歳だった。
いま私が著名な政治家として振る舞うには、忘れ得ぬ原風景というものがある。
理解はされないかも知れない。
眉をひそめる大人もいると思う。
その上で、私は「これも」ありだと言いたい。
「もっと、おごそかに!」と思う新成人もいると思う。
私も当時(自らの成人式の場)、同じように思った。
私は、リクルートスーツを着て行ったタイプなのだから。
着飾る子は聴かざる子なのだろうか。
無論、式典の妨害や進行を妨げる行為については論外だ。
しかしながら、「恰好について」のみはわからなくもない。
今ならば、わからなくもない。
議員として市政を見る、今ならば。
本テーマは例年の恒例。
趣味の問題かもだが、(多分に趣味もあるが、)
ぼちぼち元気なことも認める者がいてもいいのではないか。
批判があることは承知の上で、私は一部においては容認する意思表示を行いたい。
今後、共に街を支える仲間として。
それでは、今年の写真をご覧ください。
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(OGP画像)
着飾って悪いのか、という話です。
正直、私はリクルートスーツで成人式に出席しました。
もう一度やり直すとしても、同じくリクルートスーツで出るのでしょう。
当時、こういう友人を、面倒な格好だなぁと、少し思ったものです。
だけど、いまはちょっとだけ考えを変えました。
私は、いい高校を出て、いい大学を出て、リクルートスーツで成人式に出て
それなりに順風満帆な、成功例みたいな履歴書になりました。
(大学で留年はしましたが。)
いい高校を出て
いい大学を出て
リクルートスーツで成人式に出て
いい企業に就職して、
地元を捨てました。。。
必死に戻ろうとあがき、幸いなことに戻れました。
ふと周りを見渡すと、私が【自分の人生のため】に地元を離れていた間、村の行事やお祭りごと(御輿など)を守り、まさに地域のシナジーを守ってきてくれていたのは。
あの成人式の日、私が少し煙たかった格好をしていた友人ばかりでした。
だから、私は、一概に責めることができません。
責める資格がないからです。
責めていいのは、自分の故郷にて地域を守るため
日夜、校区や地域のミニイベントを支え続けているものだけではないでしょうか。
少なくとも私には、責める資格はありません。
それは、他人の人生に踏み込む、身勝手な行為に思えたからです。
だから、毎年、こうして着飾った子たちと写真を撮り、許可を得てブログに公開させて頂いています。
そして、それは私の思う、保守議員の在り様だと思ったのです。
当然のことですが、本人らの許可をとって撮影しています。
(目線を見ればわかると思いますが。)
併せて、blogやFBでの紹介の許可も頂いております。
後輩と。
奇抜な格好に見えるかも知れませんが、市長に会った瞬間、冗談やおふざけではなく社会人の面構えで
「地元で働かせて頂いております。今後ともよろしくお願いします。」と、きちんと挨拶している姿が印象的でした。
ちなみに、お姉ちゃんは私のBlogの読者だそうです。
(会場で会いました。)
これは、このような仕組みになっています。
本年は私が、やや体調不良ということもあり、写真は以上になります。
また、いわゆる傾奇者風の装いは、多くはありませんでした。
突然、急減してしまったように思います。(見落としているのでなければ。)
彼等のような出で立ちが登場した際には、最初は大変驚きました。
けれども急にいなくなると、それはそれで寂しいというのが来賓席で出ていた声だったりします。
それでは例年の装いを紹介します。
平成26年度(写真あり)
SSL化のためURLが代わりカウントされていないが、凄まじい数のはてなブックマークを頂き、成人式の喧騒をメディアが報じる際、下記のブログ自体が記事になった。
(私もだいぶ若い。)
平成27年度(写真あり)
白い服で統一する等、チーム性が出てきた年。
個人の部としては、甲乙つけがたいのだけれども、
俺的MVPは、顔にチョウチョを描いてる女の子かな。
平成28年度(写真あり)
教育長が一緒に撮影に応じてくれた。
また、メディアにも取り上げられ、私も含め(一瞬ではあるが)
「派手だが、静かに式が進行」ということも含め、テレビ(バカリズム)で取り上げられる。
やはりこの年で有名なのは、雷様だ。
背中にバックパック?を背負っており、LEDで点灯する。
今年は名前を入れている子が多かったですね。
(画像加工するか迷いましたが、それはそれで失礼と思い公開します。)
後ろに背負った雷神?みたいなパネルにも驚きましたが、
着物自体にLEDがついており、ピカピカ光っていました。
同じく、平成28年度
テレビに報じられることになったことを伝えるエントリ、実は教育長も一緒に撮影に応じてくれた。
その理由の部分、それらの背景を人口問題を論じた政策的なエントリ。
写真は少しでありますが、教育長と撮った写真も掲載。
平成29年度(写真大量)
この年は、とくに人数が多く、また独創性に富む恰好が特に多かった。
女性陣も奇抜なものが多く、むしろ撮影を求めてくる者も多数。
(かなり多くの写真に、寸評をつけています。)
金のシャチホコが登場した年。
肩に装備するというもので、外部パーツが初登場した。
この年は、成人代表のスピーチが非常に素晴らしく、その件もニュースになった。
チェックアイテムは、トラメガだろうか。
職業柄かも知れないが、私の年中、車内に乗せている。
戦う男のアイテムであろう。
ぱっと見、まったく異なる格好に思うかも知れない。
だが、「名前を入れた扇子」が同一デザイン。
私の守備範囲は、基本は行橋市のみ。
場合によっては(余りにヤバイと思った際は)日本国内である。
稀に海外も、ほんの少し触るが。
彼らの扇子には何が描かれているか。
私よりも大きな大人になって頂きたい。
さきほどの彼の、頭である。
これは友人に塗ってもらったそうだ。
トレンドとして「頭に絵を描く」のは、静かなブームの模様。
目をひくのは色付きのリーゼント。
星が描かれている。
傘に描かれた、名前も目を引く。
図柄も出世をイメージさせ縁起がいい。
だが、チェックアイテムはそれだけではない。
黄色の袴の新成人の、肩をご覧いただきたい。
おわかりだろうか。
チェックアイテムは、やはり金のシャチホコであろう。
そして、最大のチェックポイントは笑顔。
チェックアイテムは、色だろう。
虹色、である。
(これはチーム名に由来していたと思う。)
当然、名前入りの扇子も装備。
チェックアイテムは、名前のわからない銀色の雷様みたいなヤツ。
この名前はわからないが、それなりの人数が装備していた。
(どこで量産しているのだろうか。)
チェックアイテムは、やはり髪型である。
しかも写真の状態では点灯していないが、これは最上部が光る。
昨年だったと思うが、LED装備型が導入され、今年は頭髪に埋め込まれた。
この造詣は、かなり作るのが大変だったと思う。
自毛じゃないでしょ?と思ったが、行橋の場合はこだわりそうだ。
チェックアイテムは、色の併せ方。
ドレッドというのか、和装とのミックス。
文化を好きに楽しみ、受け入れてきた歴史も、日本が発展してきた美徳であると思う。
(特に元技術者としては。)
チェックアイテムは、シックにまとめた点だろうか。
原色を排すことで、むしろ目を引いた。
VIPカーとラグジュアリーの違い、と言えば伝わる人には伝わる。
チェックポイントは、こちらもカラーコーディネート。
リーゼントと袴が虹色で揃えられている。
ちなみに名前入りの扇子には、「一言メッセージ」が添えられている。
それぞれが思い思いのことを書いており、「揃いのデザイン」ではあるが、一つして同じものはない。
ちなみに、頭の横には、虹色の旭日旗。
ここもカラーコーディネートされている。
芸が細かい。
チェックポイントは、服に名前を入れている点。
このあたりは、実際のところ(発祥としては)武将と同じ考えではないだろうか。
また名前入りの扇子のデザインを見て頂きたい。
名前の「竜」と、図柄の竜がコーディネートされている。
目を引くのは、虎の傘であるが、細部に気が使われていることに気づくだろうか。
相当なこだわりがないと、これはできない。
ちなみに大型の旗も装備。
これは、いわゆる選挙などで使うサイズより明らかに大きい。
規格品としては最大規模だと思う。
発注も楽ではないはずで、手間を考えると相当なこだわりを感じる。
「彼女?」と聞いたところ、
「よ、嫁っす。」と照れくさそうに微笑んでいた。
成人のスピーチについて。
檀上での撮影も礼儀の良いものではない。
その点は事前にお詫びしたい。
他の議員も含め、今年の「登壇者の恰好」に驚き、複数の来賓がカメラを構えた。
そして、そのスピーチが非常に素晴らしかったのである。
録音しているわけではないため、事実誤認があれば申し訳なく思う。
心を打たれた。
スピーチによると、彼女はすでに親なのだと言う。
自らが親になったことで、地域のありがたさ、ぬくもりに気付かされた、と。
そして彼女自身が成人を迎えるにあたり、親への、地域への感謝を述べた。
併せて、成人になった責任と覚悟。
新成人の代表としてスピーチするにあたり、同級生たちに彼女が呼びかけたのは、
社会のルールを守り、礼儀・礼節を大切にしていこう、であった。
他にも多くのことを述べていたが、記者がつめかけていたため、
明日の新聞にスピーチ内容は掲載されると思う。
来賓席を立つ際、取材風景を目にしたが、報じられると感じた。
詳しくは新聞を。
それほどに良い内容であった。
会場は、彼女をスピーチを静かに聴いた。
多くの者が着席し(装備品が多く、物理的に座れない者もいた)
喧騒や罵声、怒号はなかった。
割れんばかりの拍手。
平成30年度
テレビに報じられることになったことを伝えるエントリ、実は教育長も一緒に撮影に応じてくれた。
その理由の部分、それらの背景を人口問題を論じた政策的なエントリ。
写真は少しでありますが、教育長と撮った写真も掲載。
当然のことですが、本人らの許可をとって撮影しています。
(目線を見ればわかると思いますが。)
併せて、blogやFBでの紹介の許可も頂いております。
大型の扇子で名前を表示。
ここ数年の流れですが、地元校区(中学校区)や自らの名前を入れるのが流行している模様。
こちらは、傘に名前が入っています。
扇子を構えた一枚。
マスクが流行しているようです。
黒いマスクがトレンド?
各個人に確認をとったわけではありませんが、例年「地毛」でやっており、カツラではないと思います。
どういう風にセットしているかはわかりませんが、美容室の友人からは「前衛的」と高評価。
美容師らは、これらの(やや非日常的な)カットを模索するそうですが、ショー以外で日常使いする例は多くはないらしく、一部業界からは「先端事例」として良い評価も。
今年は、例年に比較し、かなり落ち着いた服装だったと感じます。
特に、女性陣はオーソドックスな佇まいで、かつ要所要所には成人式らしさ(少し奇抜なパーツも。)はっきり言って、相当にハイレベルな感じになっていました。
ただ、例年のエントリーで触れてきたような、「まさに奇抜!」といういでたちは多くはなく、一気に(お洒落に)昇華した雰囲気です。
平成31年度
この年は、特に「のぼり」が多い年であった。
全員、選挙に出るのか?と思わせるほどに、自らの名前をアピール。
式典が終わり、外でのぼりが目立ち始めました。
(映り込んでいるのは誰でしょう?)
みんな、いい笑顔です。
では、今年の晴れ着を見ていきましょう。
昨年に引き続き、自分の名前を入れるのが流行っているようです。
虎がモチーフになっているようですが、名前に虎が入っているからでしょうか。
私の中でのベストショットと思ったのは、名前入りの扇子を持っているのはお子さんのようです。
かつ、のぼりの上端には、菊の御紋が入っている模様。
確実に保守ですね。(関係ない可能性も。)
こちらも、名前が大きく入っています。
恐らく家紋だと思われますが、型を崩しているようで伝統的なのかもしれません。
新しいですね。
こちらは友人と。
赤い羽織の方ですが、刺繍が非常に美しかったです。背中からも撮らせてもらえばよかったですね。
髪型と衣装、友人と揃えているのでしょうか。
白をベースに、青みがかったシルバー、お洒落です。
そして、名前入りの扇子。
黒と金のコーディネート、なかなか良い組み合わせだなと思いました。
羽織・袴と思うから奇抜だと感じるかも知れませんが、この組み合わせは非常に相性の良いものだと思います。
歴代の、先輩方の写真はいかがだったでしょうか?
私の住む行橋市、そして京築地区の歴史、その地と血である。
行橋市には、村上水軍のゆかりの寺がある。
水軍の基地となっていたのは、蓑島といい(真水が出た)私の母校の小学校がある。
私の、育ったのは蓑島であり、今も住んでいる地域である。
壇ノ浦において源氏に加勢して戦った。
(漁師しながら、弓矢も撃ってた。)
行橋全体を見れば、戦闘集団の地とも言える。
織田信長とも(行橋から大阪まで出張っていき)揉めている。
その際に本願寺の高僧を守りぬき、寺社の資格を得る。
なんと、信長、敗退。
防衛目標を守り抜いている以上、戦略的な勝利を納めている。
もともと強かった地。
凄いぞ行橋人。
山城とも言えるつくりの寺社があり、寺というよりは要塞として使用されたのではないか。
大阪で信長と戦うということは、傭兵家業を地域として行ってきたとも言える。
歴史家ではないため誤りがあっては申し訳ないが、戦うことを稼業としてきた地域だと自覚している。
宮本伊織(武蔵の弟子)の娘をもらい、
維新前後まで「勝手に独立していたような」地域だ。
(興味ない方もいるかと思いますので、折り畳んでおきます。)
「いや、山から下りない。戸籍なんて載せない。」
「俺らは俺らで生きて行く。」
「明治政府?従うもんかよ」と、山から下りずに粘った求菩提山がある。
(最期は、事実上、全滅させられた。)
粘ったと言えば、宇都宮貞房も忘れてはなるまい。
豊臣秀吉が天下統一したのち「こうしなさい」と言われたが
「やだ!」と抵抗、黒田官兵衛ら(主に息子)が攻めてくるが、ゲリラ戦を展開。
圧倒的な兵力の差をものともせず、粘り勝ちをしている。
手打ちとして子供同士を結婚させるのだが、
酒宴と嘘をつかれ卑怯な謀殺により、惨殺。
家臣団は全滅、姫まで処刑される。
必死に一部の親族は落ち延びる、ごく少数であったが。
のち不思議なことがおき、黒田家の男性に不幸が連続。
確か男系の家系が絶えたか、絶えかけたと思う。
正直、私は「暗殺」や「毒殺」だと思う。
この地の人間なら、やりかねない。
相手の規模とか格は考えない、やられたらやり返せ。
死ぬまで戦え、死んでも戦え、抜いたら振り抜け。
負けたら負けたでゲリラ戦、生きてる限り諦めない。
前に立つ者は、死ぬ覚悟をもって前に立て。
始めたら、降参などはない。示談はない、最後まで撃ち抜く。
・・・という、地域なのだろう。
私自身も刀を持っている。
血は吸っていない、文化財としての指定を受けたもので合法。
先輩も刀剣が趣味の人が多く(全員合法)、いまだ戦闘力は高いように思う。
容赦がないことが特徴で、一部の先輩は「みなごろしの文化」とか「滅ぼしの文化」と言っていた。
いまだ村上姓が多数おり、同じく城井姓(宇都宮の流れ)が多数。
先輩は伊織の血を引いているらしい。
こんなことを言っている市民は一部だが、「うちの祖先は」と幼少より習って育った者も多い。
そんなわけで「武将みたいな人間が出てきても仕方ない」と、今日、思っている。
彼等の名乗りのあげ方は、まるで戦国時代の武者たちのようだ。
本来、旗などはそういうものだったように思う。
それは、当市の成人式が(服装のみを取り上げれば)全国的にも奇抜な部類に入るにも関わらず、
式典自体は厳かに行われ、目立った喧騒などもなかったからです。
今年も、特にトラブルというトラブルは目にしていません。
本年は、恰好についても、例年よりは落ち着いたものでありました。
また、式典についても(全国的に見ても)非常に落ち着いたものでした。
実は、さらに激しい恰好が大流行した年も、式典の着席率などは相当に高かった。
この部分は、やはり成人式として堅実に守って頂きたい。
君たちの先輩たちが(恰好で羽目を外そうとも)ある意味では守ってきた部分です。
しかしながら、今年については一点のみ苦言を述べたい。
派手な格好の子は著しく減少したのだけれども、代わりに着席率は低下した。
この点は、非常に残念でした。
後方に立ったまま、楽しくお話ししている層がかなりいる。
久しぶりに会った友人同士ゆえ、気持ちはわかる。
けれども、自分たちの世代の成人代表が前でスピーチをしている間ぐらいは、せめて着席して話を聴いてあげることはできないものか。
成人代表スピーチ。
一生懸命に話す姿が印象的でした。
傾奇者みたいな子が多い年のことですが、後で聞くところによると
彼らが率先して「席につけ」と呼びかけていたそうです。
思えば着席率は高かった、特に成人代表のスピーチ中は。
とは言え、「席につけ」と呼びかける傾奇者は、自分では言うものの、あまり着席していない。
のしのしと歩き回り、巡回というか、番をしているというか。
そもそも背中にバックパックみたいな追加装備を付けているため、着席できない構造の傾奇者もいた。
結論から言えば、牧羊犬みたいな効果を発揮していた可能性が高いと思う。
例年に渡って見ているため、これは私だけが気にする部分かもしれないが、極々短時間のことであるため、せめて成人代表の挨拶については着座して聴いてあげて欲しい。
(以下は、写真も含め当時のものです。)
今日、リクルートスーツで真面目に出た若者たち。
聞き分けがよく、親の手もかからんかった子。
真面目に高校を出て、
いい大学に行き、
そして県外に就職するのだろう。
本人たちも望んでのことではないが、地域に残れはしないのだ。
私がまさにそうだった。
では、なぜこの子たちが歌舞伎みたいな格好で、がんばるのか。
頑張ってるよ?なんか30万ぐらいするそうだ。
写真を見ながら考えて欲しい。
今日、これから何十年先までのヒエラルキーが決まるんだ。
この街で生きていく、その何十年の中での『あの時、俺はさー』という武勇伝ができるんだ。
この子たちが着飾るのは、この街でずっと生きていくから。
この街のコミュニティーで、ずっとやっていくからだ。
誰が街を支え、誰が街を盛り上げていくか。
大人もちゃんと考えてほしい。
立場上、厳粛な式典を、と私は言う。
公の立場としても、保守としても、そう言おう。
だが。
心はこちらにも(今は)理解を示せるようになりました。
共に街を支える、新しい仲間たちだからです。
外の方々、笑いたければ笑うがいい。
無論、騒ぎすぎはよくない。
どの部分で線引きするかは難しい。
が、なんでもかんでも駄目ってのはどうかと思う。
[note]一つ、ある後輩のエピソードを。
彼は成人式にはもう就職していて、できの悪い新人だった。
いつもは(後輩思いだけれど)少し口うるさい上司に頭を下げる日々。
そんな彼が「若者として最後に」格好をつける日が、この日だった。
若い子は、車やバイクが好きな子も多い。
彼もご多分に漏れず。
就職もして、何もかにもを捨てて
そんな彼の「最後のハレの日」が成人式だった。
いまの若い子の給料なんて、どんなものかわかるでしょう?
そして学歴だって、二十歳で就職してる後輩だから、決してよくはない。
当然、大学は出ておりませんでした。
その薄給の中、晴れ着を買って何が悪いのか。
彼が、この街で、ずっと生きていく。
何十年も生きていく。
同級生たちとの、長い長い付き合いの中で語る武勇伝。
その時に「これがいい」って彼が選んだ服は、それが一番最高なんだと私は思いました。
(どうなのか、と思う方がいても、それはそれで否定はしません。)
貴方のセンスなんて知らないよ。そしてどうでもいいんだ。
私のセンスもどうでもいい、私にとって「あり」とか「なし」とか関係ないんだ。
ぶっちゃけ私のセンスでも「なし」だったんだが
後輩が、今日の日のために買った服の何が悪いのか。
そして、それを否定する者を私は許さない。
彼はいまでも立派に仕事を続けています。[/note]
もう何枚か写真を見てやって欲しい。
どう見えるかな?
私も苦笑いしてしまうのだけどね。
だけど、ちょっとだけでいい。
認めろとは言わないが、こういう若者がいるってことも
心強いなって思ってはもらえないだろうか。
いい高校を出て
いい大学を出て
親が自慢する子供は
結局、親と一緒に住めはしない。
遠くの孫に、年に一回会えるかどうかだ。
ただでさえ高い税金を、安い給料から必死に払い
この街の福祉を支え、共に祭りで神輿をかつぎ
校区の世話を少しずつ覚えるのは、誰か。
都会じゃないんだよ、この街は。
これも私が守る街の大事な一部であり、
はねっかえりが好きなのは、それこそ私の神髄だ。
市内(元)最年少の議員として、若手議員として。
書き方は難しいのだが、どうしても言いたかった。
当然のこととして付記しておきます。
公務として出ている以上、式典妨害に関しては断固たる対応を取ります。
式典をぶっ壊したりはしておりませんし、「おごそか」とは言えないものの式典自体はスムーズに進行しています。
ゆえに、他の部分(格好など)にこの場で言及することはできません。
人生に一度しかない成人式において、本人の意思であり、ある意味では保障された権利だからです。
「迷惑だ」「けむたい」という声もあるのでしょう。
私もそうでした。私が成人式を迎えた当時、私自身もそう思ったのです。
だけど、いまはどちらも認めたい。
なぜなら、私は県外就職をしたためで、地元に戻るたびに(街に残れず)支えることができない自分を悔いていたからです。
保守議員 小坪慎也。
私の原風景の1コマです。
笑いたいやつは、笑えばいい。
(撮影、及びブログでのアップの許可はちゃんと頂いています。)
昨年までの過去のエントリ
平成26年度(写真あり)
SSL化のためURLが代わりカウントされていないが、凄まじい数のはてなブックマークを頂き、成人式の喧騒をメディアが報じる際、下記のブログ自体が記事になった。
平成27年度(写真あり)
H28年は一緒に撮影。
平成28年度(写真あり)
教育長が一緒に撮影に応じてくれた。
また、メディアにも取り上げられ、私も含め(一瞬ではあるが)
「派手だが、静かに式が進行」ということも含め、テレビ(バカリズム)で取り上げられる。
平成28年度(写真は少し)
テレビに報じられることになったことを伝えるエントリ、実は教育長も一緒に撮影に応じてくれた。
その理由の部分、それらの背景を人口問題を論じた政策的なエントリ。
写真は少しでありますが、教育長と撮った写真も掲載。
平成29年度(写真大量)
この年は、とくに人数が多く、また独創性に富む恰好が特に多かった。
女性陣も奇抜なものが多く、むしろ撮影を求めてくる者も多数。
(かなり多くの写真に、寸評をつけています。)
平成30年度
テレビに報じられることになったことを伝えるエントリ、実は教育長も一緒に撮影に応じてくれた。
その理由の部分、それらの背景を人口問題を論じた政策的なエントリ。
写真は少しでありますが、教育長と撮った写真も掲載。
平成31年度
この年は、特に「のぼり」が多い年であった。
全員、選挙に出るのか?と思わせるほどに、自らの名前をアピール。
遠くに行って、カッコいい仕事をすることが
どことなく偉いことに思え、目指していた。
上場企業で、技術職に就くが、
郷土を離れて後、本当のことに気付いてしまった。
社会の構造、賃金の問題、
結果的に若者が搾取される、福祉問題の今後。
人生の全てを賭けて、私が選挙に臨み、
いま政治家として皆様の前にあることの、原風景がここにあります。
戦うことをもって、新成人たちへのはなむけの言葉としたい。
「ま、これも、ありっちゃありか」
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・ミサイル攻撃時の、J-ALERTの音源
・【マニュアル】武力攻撃やテロなどから身を守るために(内閣官房)
コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)
おっ恒例のやつだ。
拝読しました。
感動しました。
私は、成人式に出ませんでした。
出られなかったのではなく、自分の意思で出ませんでした。
自分で決めたことなので後悔はしてませんが、
こうした写真の数々を見ると、輝いてるなあ、と感じます。
「蝋燭の火の消えぬうちに、この人生を楽しめよ。」(A.シュニッツラー)
**********************************************************************
共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
**********************************************************************
何れの衣装も、衣装と言う限りは流行り廃りはあります。
特に派手であったり、奇抜であったりするものは、定着し難い傾向があります。
例年に比べ傾奇者ファッションが少なかったのは、単純に廃れの時期に入って来たのかも知れませんし、併せてコスプレイヤー扱いされる様になって来たのかも知れません。
このブログでこのネタを取扱う様になってからかれこれ6年、それ以前も含めると傾奇者ファッションが成人式で出現し始めて約10年程の年月を経過して居ますから、周囲もそれほどインパクトを感じ無くもなって来ているでしょう。
元々は示威行為的な意味合いも込めてのこの衣装でしょうから、周囲が慣れてしまうとその意義を感じられなく成って居るのかも知れません。
特に、このブログで採り上げられ、一種の市民権を得てしまうと周囲の慣れが益々進み、大金を掛けてまで示したかった自らの威厳的な何かを思うように示す事が難しくなったと感じても不思議ではありません。
そして、この傾奇者ファッションを始めた世代は既に30代に突入する頃ですし、その本人達が自らの行いを中二病的な黒歴史と感じて居る者が少なからず存在して居るなら、彼らの経験話がその抑止となって居る可能性も否定は出来ません。
気になるのはこの一節。
ただ単に家庭及び学校での教育が至らず、その結果にこの様な幼児化が進んでいるのか、日本の文化圏外の血筋の者なのかは調査してみるのも悪くは無いと考えます。
若しかすると、瓢箪から駒と言った事もあるかも知れませんし。
尤も、昨今では学校の教員が式と言うものを理解出来きて居らず、式中に自らの我を押し通す為に駄々を捏ねる時代ですから、こういった事があっても何の不思議も感じはしませんが・・・。
小坪先生の恒例の成人式ブログがこないので・・・、これは、よほど体調が悪いなと案じておりました。ですが、きょうは、行橋市の最近の成人式の歴史をアップした内容をみて、体調もどったかな・・・とほっと安心!
>「ま、これも、ありっちゃありか」
ありっちゃありどころか、がんばれ行橋市の成人式を迎えた皆様よ!と、エールをおくりたい!
たしかに、小坪先生のおっしゃるように、先輩がスピーチしているときなどは、着席して静かにスピーチに耳を傾けてもらいたいですね。みてるかな、行橋市の成人式を迎えた皆さん!
来年は、そうしてねb
意外でした。
私は小坪さんのブログの存在は知っていましたが、読ませていただくようになったのは、去年からなので成人式での考え方も写真もへぇ〜っと思いました。
柔軟性があるんですね?
式典の妨害をしなければ、彼らの精一杯の自己表現?自己主張を妨害する事は出来ませんよね?
言論の自由と一緒で…。
今年のブログは妙に心にしみました。
小坪氏の今年の成人式のブログが特別なのではなく、私の感じ方が変わったのかも知れません。
故郷で就職して、故郷で納税して、故郷で生きて、故郷を護る
地元の消防や青年会議所、商工会、お祭りの実行委員などで活躍する方々も多くおられる、またはこれから多くなられることと思います。
このような成年たちが日本を護ってくれる人たちなのだと、小坪氏の当ブログを拝読して私は感じました。
成人式の着飾る新成人と暴走族を同一視する訳ではありませんが
元族さんだった現場さんたちは本当に良く働く、受けた仕事は約束通り完成させてくれる
と良く夫が褒めます。
それはそれで、結局ハードな仕事は元族さんたちが請け負う、と言うことでそれは一種の差別とか搾取とか、しわ寄せとか、良く無いことなのではないか、と言う解釈も出来ると思うのですが
現場を支えて居るのはそのような若者たちであるのは事実だと思います。
優秀な官僚さんたちや、高学歴な技術者や科学者も日本を支えてくれる方々ですが
現場で働く若者たちも日本を支えてくれる方々です。
で、族さんだったり、着飾る若者は、気力だったり、気合だったり、覚悟だったり
何かが少し違う、秀でている部分を持っているようにも感じます。
成人式で着飾る若者たちは、私の偏見かも知れませんが
自分のことを棚に上げて他人を批判したり
綺麗ごとを言って自己正当化したり
自分は優秀な選民なのだと他人を見下したり
野党議員やおパヨク様のような大人にはならないような気がします。
女性の和服のことですが
和服文化は好きですが、あの制服のような無個性な振袖の着方は何とかならないのか、と思います。
私はあの制服のような和装をする気持ちになれず、衣装代ももったいなかったので振袖は着ませんでした(作りませんでした。借りませんでした。)
ファッション、衣装にかけるお金はもったいないとは思いませんが
成人式の制服のような没個性の和装は、お金がもったいないと思う私です。
特に、あのふわふわショール(正確な名称がわかりませんが)が、何故か私は嫌いです。
文責 BLACK
注 文中の「搾取」の意味は、同じ賃金や時給で、不平不満を言わず良く働くからと辛い内容の仕事ばかりを任されるなら、それは一種の「搾取」と解釈することも可能なのかも知れない、と言う意味です。
小坪先生、本日もよい記事をありがとうございました。村上水軍、いいですねぇ。こんなのを敵に回したら大汗をかかねばならない。共産党、並びに公明党はキモに銘ずべし。(もう懲りてるとは思いますが}
また、ハレの日の傾奇者もよいではありませんか。牧羊犬の比喩には笑いましたが、”ちゃんと、座らんかい。”と言って回る様子は、かつての我が母校の番長グループを思い出しました。成人式、あの”あんちゃん”たちの卒業式でもあったように思い出しています。
若い時は大人の決めた基準に反発したり、自分らは、ああはなりたくないと体制批判したりでいいんですよ。必要な成長過程なんです。人を傷つけたり物をぶっ壊したりするのは、ただの暴徒で間違ってますけどね。
行橋の新成人の皆様、自分達には村上水軍の血が流れてると誇りに思い夢を叶えることを大切にして進んで下さいね。
成人、おめでとうございます。(゚∀゚*)(*゚∀゚)
成人式おめでとうございます。私はどうしても欲しいものがあって、親に「振袖も車もいらないから、○○を買ってください。」とお願いをしました。なので、成人式には出席しませんでした。写真もありません。そのかわり、結婚式では着物もドレスも着用しました。成人式は参加しませんでしたが、大人としても権利と義務である選挙は必ず投票しに行っています。どうしても入れる人がいない場合は、大きくバッテンを描いて、(投票する人がいません。)と書くようにすると決心していて、雨が降ろうが雪が降ろうが、きちんと投票は行っております。新成人の皆様、(成人式に参加された方もそうでない方も)本当におめでとうございます。
ダウン手前での式典参加に、体温以上の情熱を感じます。
地域性はそれぞれに有りますから、式典の進行に迷惑をかけなければ個性と云うことで、大人になった証の自己責任な事です。
表現の不自由展に出展しているような大人よりは、成人としてしっかりしていると思えます。
自由と平等の囁きに騙されて、どちらも失う民主主義です。
自由が欲しければ平等は諦め、平等が欲しければ自由を諦める事です。
成人の皆さんはどちらを選びますか?
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新成人の皆さん、遅ればせながらおめでとうございます。楽しそうだし、いいんじゃないでしょうか。行橋市のホール(体育館?)立派ですね。後ろにピカソみたいな壁画がかかってる!非常にモード意識の高い地域ですね。仕事はどこでも大変なんだし、地元で親兄弟や仲間に囲まれて暮らせるのが一番だと思う。
この日だけ仲間に会って嬉しくてはしゃぎ回る単純な若者の多くは明日はキツイ現場に戻って行くのです。
地方ってそんなもんです。
迷惑かけたらイカンけど、祭りだと思って多めに見てやればいいのにといつも思います。
小坪議員様の【後輩】という言葉に暖かみを感じるエントリーでした。
遅ればせながら、
行橋の新成人の皆様、
おめでとうございます。
そう。
『これもあり』だと思います。
このエネルギーに感心しきりです。
みんな凝っているし^^
毎年の成人式のニュースを見て思うことは、
これは些か口語的に過ぎるやもですが、
『この子達はきっといいおっちゃん、いいお母ちゃんになるよ!』
ということ。
綺麗な言葉で言えば、深みのある大人になるでしょう、です。
この日にこの場所を共にした仲間達をずっと大切にして、いい時間を作っていって欲しいと願っています。
[…] 議員として成人式の考え方。着飾る子は聴かざる子? 2020年1月15日https://samurai20.jp/2020/01/seijinshiki-8/ […]
本心をいえば正月ボケもさめやらない時期にこんなことやることも甚だしさすら
感じてしまいますし多忙のため一生に一度のことにいかなかった(いけなかった)
身の上であるので”せ”の字を耳にする度傷つくものすらあるため重ね重ね云えば
将来有望な彼等に非リアの陰*ャなどと小馬鹿にされるだけでしかないような産業
廃棄物にすら謝れといわれる程に人間的に劣るような僕にとって12/24と変わら
ないくらいに人生辞めたくなるくらいの最悪な心境にすらなるものです。(汗
同級生や同僚にいじられるようなことすらあり見返してやりたいと思っていても
リア充で繁栄と栄華を謳歌している以上は一生追いつけないものすらある一方で
オールドメディアに扇動されているような側面すらあるわけで彼等が有権者と
なっていることで反日議員等に票を投じることに危惧するものすらあるため
この国の行く末に軽く失望するものすらあります。
あと個人的には飲む打つ買うなどでガス抜きしてウェイっているようなあほで
下品な低俗たるものを好まないっていうのもありますが…
実は自分も12年前の行橋市成人式で着席せず、後ろに立っていました。その当時、後ろに立っていたのは自分一人だけだったと思います。というのも、成人式の席は中学校校区別に準備されていて、中学から市外に出た自分には着席する場所がありませんでした。折角、生まれ育った行橋で成人式に参加したのに少し寂しかったですね。今はどのようになっているかわかりませんが、その他席とか少数でも用意されていれば嬉しいですね。