本日、福岡では筥崎宮において「憂国忌」が挙行され私も参列させて頂きました。
主催団体は福岡黎明舎、先輩らに可愛がって頂くと共に、私も名を連ねております。
私の、毎年の恒例になっております。
宮中祭祀のひとつで収穫祭にあたります。
陛下が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に進め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する日です。
今回で第四十七回。
楯の會隊長、三島由紀夫先生は、昭和45年11月25日、東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で国を憂いて割腹されました。
敗戦の大きな十字架のひとつとして、政治的にも中途半端、違憲状態に置かれた「自衛隊」の存在がありました。
”檄”という、凄まじい名文を残している。
毎年、この文章に触れる度、様々なことを考えてしまう。
是非、皆様にもお読み頂きたい。
日本政策センターの伊藤代表から講話を頂きました。
いまの「自衛隊の憲法への明記」を、安倍政権に提案した当事者だと”共産党が”言っております。(事実かどうか等は、私は書きません。)
生前の三島烈士に、実際にお会いしたこともある。
個人的なエピソードなどの紹介もあった。
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(OGP画像)
憂国忌
非常に乱暴な言い方をすれば「三島由紀夫先生の法事」になります。
福岡の憂国忌は非常に大きな規模であり、筥崎宮で挙行されます。
今年の講師は、日本政策センターの伊藤代表です。
福岡市議、大野城などの近隣市議なども参加しました。
楯の會隊長、三島由紀夫先生は、昭和45年11月25日、東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で国を憂いて割腹されました。
敗戦の大きな十字架のひとつとして、政治的にも中途半端、違憲状態に置かれた「自衛隊」の存在がありました。
講演中の伊藤先生。
テーマは、憲法改正。
講師の伊藤先生と。
これを、軍という適法な状態に戻すための動き、つまり憲法改正の契機として注目されたのは、左翼デモ隊に対しての治安出動、つまり警察力をもって鎮圧不可な状況に陥って自衛隊が出動することでありました。
「檄」のすべてが秀逸な言葉でありますが、その中において「国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。」とります。
三島先生は、続けて「政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。」と述べられています。
その「憲法改正の機運、チャンス」は失われてしまう。
自衛隊の、いや存在せぬ幻の日本軍、その名誉のため割腹されたのだと思う。
三島由紀夫先生の遺志を学ぶと共に、森田必勝烈士ともどもに魂を鎮めるのが憂国忌である。
いまの世においても、しっかり通用する問題を強く指摘されておられます。
もし読んだことのない方がおられたら、是非、じっくりと読み込んでください。
非常に重要なこと、失われつつある日本が、そして日本への愛が語られています。
われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。
かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑いもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。
しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。
銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。
われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。
われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかった。
沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
三島由紀夫
三島由紀夫先生の最後の演説
三島先生、森田烈士の辞世の句を紹介します。
意味についてはここでは解説いたしません。
まずご自身でお読み頂き、その意味を知ろうとしてみてください。
それが国を思うこと、憂うことを知ることになると思います。
三島由紀夫・辞世の句
益荒男が たばさむ 太刀の 鞘鳴りに
幾とせ耐えて 今日の初霜
散るをいとふ 世にも人にも さきがけて
散るこそ花と 吹く 小夜嵐
森田必勝・辞世の句
今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の
思ひを知るは 野分のみかは
昭和5年の作曲です。
青年日本の歌 映画 『2・26』 より
皆様は、この歌を聴いてどのように感じますか?
古臭い過去の出来事でしょうか。私はそうは思いません。
作詞・作曲:三上 卓
著作権:無信託
一、
汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ
巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁(こんだく)の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く
二、
権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷(しゃしょく)を思う心なし
三、
ああ人栄え国亡ぶ
盲(めしい)たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり
四、
昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
胸裡(きょうり)百万兵足りて
散るや万朶(ばんだ)の桜花
五、
古びし死骸(むくろ)乗り越えて
雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ
国を憂いて立つからは
丈夫の歌なからめや
六、
天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
民永劫(えいごう)の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ
七、
見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫(おたけ)びて
革新の機(とき)到りぬと
吹くや日本の夕嵐
八、
ああうらぶれし天地(あめつち)の
迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に
誰(た)が高楼の眺めぞや
九、
功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらう
十、
やめよ離騒(りそう)の一悲曲
悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ
われらが剣(つるぎ)今こそは
廓清(かくせい)の血に躍るかな
昭和五年
……作詞者の三上卓は海軍少尉で、昭和5年5月24才の時佐世保でこの歌を発表した。以来、昭和7年の5.15事件、昭和11年の2.26事件に連座した青年将校などが歌い継いだ。
紀元前3?4世紀頃、中国は戦国時代にあった。当時揚子江流域一体を領土としていた楚に、屈原という人物がいた。詩人であり政治家でもあった屈原は、王への進言をことごとく側近に邪魔され、遂には失脚させられて追放される。しかし屈原は他の国に仕えることをせず、祖国の滅亡の危機を憂いながら洞庭湖畔汨羅の川に身を投げた。楚はやがて秦に滅ぼされ、以来屈原は「不運の愛国者」の代名詞となった。
この歌はこの故事を冒頭に引いている。ちなみに、端午の節句の「ちまき」は彼に由来する。
請願を主軸とした、保守系ロビイスト集団の長として戦った過去。
ネットでは異色とされた、行政手段を連打する手法は、
左派の手段を研究し尽くした結果であるとともに、
古くからの「リアル保守」が得意とした手法です。
その原風景は、保守王国福岡県において、
最も激しく(私の知る限りでは)歴史の長い、福岡黎明社の先輩方の教育によるものです。
もっと言えば、三年前に、亡くなった辻幸男先生の後姿。
名前を出して良いかはわかりませんが、藤井守人さんの生き様にある。
同期の本山くん、大島くん。
それぞれが保守団体の幹部として活躍しております。
藤井さんは、いまは救う会福岡の代表に。
そして、黎明社の代表代行。
時代の変化を感じます。
なおらいの挨拶は、
郷勇連盟の吉田会長。
外に出ると、愛国党の街宣車。
I会長にご挨拶させて頂き、同士のO氏と記念の一枚。
私の、議員としての手法は、実は”非常に古臭い”と言われることもある。
若さに力点を置いた”速さ”ではなく、緻密さや段取りなどについては「まるで古参」という評価。
昨今では絶えた、いわゆる議会での「筋」の話、通し方などが、まるで「年配の議員と接しているよう」というもの。
理由はシンプルだ。
私を政治家として形作った者たちは、ネットを発祥とした者ではない。
あまたの鞍馬天狗たちが、相当に名のある活動家たちが、
共に戦線を駆け抜ける中、後姿をもって、
結果的には「英才教育を施し続けてきた」ようなもの、だからだ。
私の喧嘩は、決して新しくはない。
だが、それが弱いとは思わない。
ほぼ絶えてしまった、古き時代の保守の”覚悟”を伴う斬り結び方。
今でも、通用するものだと証明してみせたい。
私たちは、基本的に「乗り込む」し、リスクを背負って前線に立つ。
こちらもリスクは背負うが、目の前に立った者には「同じリスク」を背負って頂く。
自爆覚悟で、常に、前に。
居合いの速さで正面突破、
撃った者は、決して無事では済ませない。
これが先人たちの後姿より学んだこと。
GHQが悪い、戦後教育が悪い。
それはそうなのだろう、私も同意する。
けれども少し厳しいことも言わせて頂く。
などと言って、何もせぬ日本人が悪いと思います。
憲法が悪い?
家族を拉致された、被害者である家族会が憲法改正までせねばならないのか?
教育が悪い?
家族を拉致された、被害者である家族会が教育改革までせねばならないのか?
貴方は、あれが悪い、これが悪いと言うだけなのか。
悪いものを指摘するだけでは、それでは不信をもたれる政治と同じなのだと、
それがどうしてわからないのか。
政治は民意の集合体であるならば、
どうしても自分も悪いと思えないのか。
どことなく他人行儀の、そんな日本人が一番悪いと思う。
この言葉は、私自身に、自らに返ってくるとわかって書いている。
そう、力もなく、何の動きもできぬ私が悪い。
皆様は、市議になって以降の私しか知らないと思います。
政治活動・戦い方の原型は、活動家として鍛えて頂いた結果です。
ネットや在特会や発祥する以前より、数十年スパンで動いてきた保守団体。
雨の日も風の日も、拉致被害者と共に立ち続けてきた先輩方に育てて頂きました。
(福岡県を相手取り、朝鮮学校の支出金に対して最高裁まで戦い抜いた方々と言ったほうが伝わるかも知れません。)
今日は、今日だけは、元活動家としてBlogを書かせて頂きたかった。
拉致被害者の全員奪還を。
この国が、国家としての責務を果たし、
我が国が国家である矜持を持つために。
何よりも離れ離れにされた家族が、ひとつに戻れるように。
三島由紀夫烈士の言葉を、今日、振り返りたい。
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桜の会(議長会派):小原義和(公明)、西岡淳輔(公明)、(死没のため略)
市民の会(いわゆる野党会派):藤木巧一、二保茂則、鳥井田幸生、大池啓勝、工藤政宏、瓦川由美、西本国治
共産党会派:?永克子(共産)田中次子(共産)
詳しくはこちら。
私なりのケジメ
【爆破予告】テロに屈した議会に討ち入り。忠臣蔵、切腹の美学。地方議員の覚悟【テロに屈しない人はシェア】
最後に。
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記事を書くたび、こちらでも投下します。
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【憂国忌】新嘗祭、今日この日に国を憂う。三島由紀夫烈士の言葉を振り返る。 本日、福岡では筥崎宮において「憂国忌」が挙行され私も参列させて頂きました。 主催団体は福岡黎明舎、先輩らに可愛がって頂くと共に、
考えようとしない日本人というか、事なかれ主義というか。
臭いものには蓋、といったところですか。
高校まで現代社会や日本史を齧りましたが
昭和初期から、いきなり戦後に授業が飛ぶか
昭和初期までしか、カリキュラムになかったかのような授業。
私の不思議に思う人は、殆どいませんでしたね。
周りとのギャップを中学生の頃から感じてましたが
周りからは多分、変人扱いではなかったかと。
下手をすると『戦争好きなんだね』といった感じで
実際に就職した際に、先輩社員から言われた事があります。
知れば知るほど、戦争自体は大嫌いになるんですが?
兵器や装備品などの機能美や、従軍された方々のちょっとした逸話など
苦しい時代にもちょっとした笑い話などありますし
そういうのを知るのは大好きです。
でもガス壊疽とか、塹壕足とかの話しなど非常に辛いものがあります。
楽天的というか、喉元過ぎれば云々と。
本当に周りが何も考えていないように見えてました。
実際、考えてなかったとしか思えません。
教育とは何か?悪い言い方をすれば国に因る洗脳です。
再教育キャンプとかいった方がいいのでしょうか?
あれも洗脳=教育なのですが。
こんな日本にした片棒を担がせられてるのは不本意ですね。
欧州なら、第三空軍捕虜収容所の話しとか実話であり書籍化、
映画化されましたが、大半の人はフィクションとしか
考えてないようにも見えます。
同じところからは同じものしか見えない。
当たり前の事に気付くのはいつになるやら。
明治以来、先人の積み上げてきた戦前遺産を
食い潰しているようにしか見えないし
日本人自体の質が、私も含めてですが下がっていると
考えています。
マスメディアの方々はどんな教育を受けてきたのやら。
鵜呑みにしたから、他人にも鵜呑みにするように
押し付けて甘い汁吸ってるようにしか思えない。
エリア88、読み直したくなってきたな?。
皆様
アメリカ ロサンゼルスだったでしょうか 大阪が姉妹都市解消しますね
当然ですね これは なにか
チャイナ人が ロサンゼルスを乗っ取ったという事です
もはや 今回の違法を正すことも出来ない始末
それを 大阪自民は見抜けない いいえ 判っているけど
反対する これは 何かの陰謀かも知れませんね
こうして アメリカは乗っ取られていくと思います
警戒するべきですね。すべてに
サンフランシスコ市です。
多くの方が閲覧しているフログですのでコメントを残す時はちゃんと調べてから書いた方がいいと思います。
ちょっとした事が大きい問題になる可能性があるのがネットの世界だと思いますよ。
ノーベル財団では所蔵する日本文学作家の本で一番多いのは三島由紀夫氏の作品だそうですね。やはり生きていて頂きたかったですね。余りにも重要で、余りにも際立った才能で、多くの日本人の心を捕らえることの出来る存在でしたから。日本人でなければ持ち得ない独特の美意識とは、どのようなものであるかを示し眠っていた魂を奮い立たせハッとして身を正させる、そんな方はいつの時代にも稀有な存在です。
フランス文学にラファイエット夫人と称する女性の書いた「クレーヴの奥方」という本があり、この本に影響された小説で三島由紀夫を魅了した20才の若さで逝ってしまったレイモン・ラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」、そして三島の書いたドルジェル伯の舞踏会を思わせる「美徳のよろめき」を見つけた時の喜び。三島の精緻で美麗な文章に心酔しきっていた頃がありました。
三島由紀夫が「豊饒の海」を書き終えたのは昭和45年11月25日だそうで、ですから、それから市ヶ谷に向かい切腹したことになります。死ぬ日を確定させていたのですね。「豊饒の海」をまだ読んでないので、またいつか読みたいです。
三島由紀夫が死んだ日 という書籍が出ている。
ISBN 978-4-408-53472-5
当時の空気感を感じられるので、興味のある方は是非読んで欲しい。
三島由紀夫の文章を初めて見ました。すごい切れ味ですね。
自衛隊が「憲法の私生児」…。心に刺さりました。
日本国憲法が「日本人による日本人のためのもの」として、国民の総意たる国民投票を経て
公正に選択され、日本の新たな時代の出発点となるよう願っています。
生命より大切なものがある。確かにその通りですね。
ちょっと違いますが、医療では無理やり生き続けさせることが未だに続いていますからね。生への執着は確かに生物としての本能なのでしょうが、生かされることでその人の尊厳が踏みにじられることもあります。
自衛能力の無い現在の日本は、寝たきりで延命処置されている状態とあまり変わらないように感じます。お金(経済力)目当ての延命処置なのでしょうかね。
12月1日(金曜日)、福岡市内のレソラ天神ホールにて、「めぐみ」が上映されます。15時、18時30分の2回です。申し込みは不要で、入場無料です。福岡市周辺の方はぜひお出かけください。(今日知ったので書き込ませていただきました。すみません)
[…] 嘗祭、今日この日に国を憂う。三島由紀夫烈士の言葉を振り返る。 https://samurai20.jp/2017/11/yuukoku-h29/ […]
わたしの産まれる前の事件でしたので、「作家である三島がクーデターを自衛隊の基地内でクーデターを呼びかけたけれどpgrされて自決した」くらいの認識しかなかったので昨日wikiの「三島事件」を読んで身につまされました。
『私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。』
これなんか、今もとても当てはまっているというか、先見の明があった人だなと思います。お金持ちにはなったけれど魂と存在感と民族の誇りを共に失っている感じ。
軍医の娘である森茉莉さんが「気ちがいはどっち?」と発言しておられたのが少し救いでした。
エセ保守、ファッション保守さんはこういう一命を賭けた方への敬意とか、ないんだろうなあ、と思いました。