政治とは関係ない話だ。
と言いつつも根源的には関係あるのかも知れない。
祖母が亡くなった。
昨夜遅く、日付けが変わる寸前だった。
私が知ったのは早朝のことだった。
昨晩、危篤との知らせを受けた。
可能な限りの予定を調整。
随分とキャンセルさせて頂き、関係各所にはご迷惑をおかけしました。
亡くなる前に、少しだけ会うことができました。
寂しいという思いは、ある。
だけど悲しんでばかりもいられない。
喜ぶのはおかしいのだけど、
享年96歳、まさに大往生。
この長寿に感謝こそすれ、悲しむような話ではない。
「ではない」のだが、やはり寂しい。
長生きだからと言って楽しいことばかりではなかったし
むしろ楽な人生ではなかったように思う。
戦中、戦後の激動、日本の復興、
高度成長期を生き抜いた。
様々なことがあったのだろう。
私が知るのは、母が妊娠した際に預けられたこと。
兄弟が5人もいるため、かなりの頻度でお世話になった。
第二の実家のようなもので、随所に思い出がある。
レンゲの花の、密の味。
子供心に美味しくて、いっぱい吸ううちに、それは祖母の畑を乗り越えてよそのレンゲを貪っていたこと。
少し怒られて不服だったが、のち祖母が近所に謝る姿を見て子供ながらに思うことがあった。
母がいない寂しさからか、家出というか放浪。
といっても幼稚園ぐらいの年齢である、歩ける距離には限界はある。
それでも校区の境ぐらいまで歩いており、凄い人数の大人に迷惑をかけた。
近所の駄菓子屋。
握りしめた、100円玉。
足し算、引き算、変える数には限りがある。
あのチョコを買おうか、それともこっちのクジを引こうか。
近所の川。
降りてみたくて、降りてみたはいいけれども、登る階段はない。
子供同士で知恵を使い、一人を肩車で上に押し上げて祖母を呼びにいく。
あの時も怒られた。
けれども、やっぱり優しかった。
ゲートボール。
近所のお宮、いまはもう訪ねる人も僅かとなった。
子供のころは広くて、本当に広くて、大きく見えた境内。
大人になった今は、こんなにも小さかったか、と。
祭囃子。
屋台にならんだ綿菓子、水あめ、金魚すくい。
金魚は飼えないからしちゃ駄目と親に怒られるが、祖母が許してくれた。
結局、子供は誰も面倒を見なかった。
随分と、迷惑をかけた。
そして衝撃をもって、現実を目のあたりにした。
人は老いる。
そして、やがて死ぬ。
だからどうした、という声も聞こえそうだ。
この実感、体感というべきか、私は衝撃を受けた。
通夜において、古い写真が並ぶ。
写真の中の祖母は、もちろんおばあちゃんなのだが、いくぶん若い。
小学生のころの私も、その中にはいた。
父も、母も、いた。
おばあちゃんは、おばあちゃんだ。
私が生まれたときから、おばあちゃんだった。
だけれども、
写真の中の父であったり、母であったり、
親戚の叔父さんだったり、叔母さんだったり、
彼ら彼女らの年齢は、恐らく今の私に近い。
そして、周囲を見渡すに、
写真の中では私と同じ年齢の叔父さんや叔母さんは、
確実に、私が子供のころのおじいちゃんやおばあちゃんの年齢であった。
そっか、と。
そうなのか、と。
それを思ったら、なんとなく涙が出てきた。
祖母のこと、懐かしかっただけ、ではない。
写真の中の、若い若いと思っていた父母の世代の年に私が追い付いていた事実。
そして写真の中の父母の世代は、写真の中の祖父母の年齢になっていた現実。
人は老いて、やがて死ぬ。
父も、母も、いつか死ぬ。
叔父も叔母も、やがて死ぬ。
私も老いていく。
やがては死ぬのだ。
そう考えると人生は、それなりに短い。
別に宗教論をぶつつもりはないが、
これに近い言葉は諸行無常、だろうか。
細かい意味合いや、その言葉の出典は知らない。
だけど、なんとも言えない思いが去来した。
私はこれからどう生きていくべきか。
何を残していけるのか。
そして、「責任世代」という言葉が重くのしかかる私たちの世代は、どう振る舞うべきなのか。
ただただ感謝、という言葉がある。
口にはするが、その本当のところを私は未だ理解しきれてはいないのだろう。
「ありがたい」とは、有り難い。
漢字で書くと、滅多にないという意味になる。
有り難し、である。
祖母は色んなことを教えてくれた。
最後に教えてくれたのは、春の彼岸の中、暖かい日差しの中。
人は老いて、やがて死ぬのだということ。
そして私も意外に年をとっているのだということを、
言い換えれば周囲はもっと年をとってきたのだということを、
教えてくれた。
そのことを有り難いと思う。
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諸行無常。人は老い、やがて死ぬ行くという現実。 政治とは関係ない話だ。 と言いつつも根源的には関係あるのかも知れない。 祖母が亡くなった。 昨夜遅く、日付けが変わる寸前だった。 私が知ったのは早朝のことだっ
お悔やみ申し上げます。
市議はおばあちゃん子だったのですね。
私は父方母方両方の祖父母が大好きですが、4人中3人が故人です。
夢に出てくれた事もありますし、他の家族親戚の夢にも出てるようです。
仮に幽霊でも会えたからいいや、と思っています。
市議のおばあ様もそのへんにいて見守ってらっしゃいますよ。
FBのシェア致します。
お悔やみ申し上げます…。
私も「お婆ちゃんっ子」でして、
今の自分の「性格・性質」に
大きく影響を与えた祖母でした。
亡くなったのは、幼少の頃でしたが、
その時の感情としては、
「悲しい」…というよりも、
「ボーゼン」という感じで、
最後のお棺に入った祖母の顔に触れた時の、
人肌の温かさが無く、ヒンヤリした感覚に、
何とも言えない感情が、湧き上がっていました。
これが私の
「人の死」を初めて体験した瞬間でした。
小坪先生とは、少々違うかもしれませんが、
影響を受けた方が亡くなった時の感情は、
もしかしたら、
近いかもしれませんね。
?????????????????????
ここからは、私の勝手な持論で、
申し訳ありませんが…
前の世代を
自分の時代に「学び・成長」させ、
次の世代に「繋げて行く」事で、
自分・家族・地域・国・種…と繋がって、
それを行った「自分自身」も、
??????????????
その歴史に残っていく
??????????????
…と、いう事と考えています。
前の世代も踏襲…繋げて残す事で、
自分も、
前の世代も、
次世代へ残っていく
肉体は、老いて・死ぬ…なのですが、
次世代に繋げる事で、
????????????????????
その「何かしら」のモノ・事は
「永遠に生き続ける」事に成る
????????????????????
…この様に、
思っております。
少々、宗教っぽくなりましたが、
要は、簡単に言うと…
???????????????????????
今を「一所(一生)懸命」に考えて生きろ!
???????????????????????
…と、いう事ですね。
駄文、失礼致しました。(笑
小坪先生、お悔やみもうしあげます
閑話休題・・・
きょうは、ここで失礼します。
心よりお悔やみ申し上げます。
実は三月六日に私の最愛の父も亡くなりました。
重度の糖尿病に加え、心臓と脳梗塞も発症したのですが、最後まで諦めることなく一生懸命生きる努力をみせてくれました。
心から尊敬できる父親でした。
亡くなってから頭に思い浮かぶのは楽しかった思い出とかではなく後悔ばかりです。
あの時、ああすれば良かった・・・
もう涙が枯れるほど泣いたので、少しずつ前に進もうと思っています。
私が、そして大好きな父が生まれたこの神国〜日本のためにも。
かける言葉も見つかりませんがどうぞお身体、お心を大事に立ち直られることを願っています。
小坪市議、この度は謹んでお悔やみ申し上げます。
お寺さんの話では、残った人たちにたくさん思い出されるほど、ご供養になるそうです。
どうぞたくさん思い出してあげてください。
ご祖母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。我々は活(生)かされている今、世代の思いを孫子に伝えるのが大切とおもいます。
ご活躍を期待いたします。
うまく言葉がみつかりませんが、激動の時代を生き抜き市議の命をこの世に繋いでくれたおばあ様に、尊敬と感謝の念を・・・。お悔やみ申し上げます。
心よりお悔やみ申し上げます。
ちょうどお彼岸でしたね。私もご先祖様のお墓参りに行きました。
亡くなると「失う」のではなく、仏様となられて生前と同じく私たちを見守ってくださるありがたい存在になられると思っています。
小坪さんのおばあさまもきっと見守ってくださっていると思います。
4月にはよいご報告ができますよう、がんばってくださいね。
お悔み申し上げます。
おばあさんは、普通の人では味わえない孫が議員になり日本のために働いてるのを
見ることができたのは、幸福だったに違いないと思います。
選挙後によい報告ができるように応援しています。
謹んで、お悔やみ申し上げます。
記す言葉も思い浮かびませんが、せめてこの度出版される本を手に取って貰えたならな・・・っと、ふっと感じました。
心よりお悔やみ申し上げます。
私事で恐縮ですが、私の祖母も95歳か96歳で(8年ほど前に)亡くなりました。
孫やひ孫など、ほとんど全員が病院に駆けつけて、ベットの周囲に集まり「おばあちゃーん、ありがとうーー」と叫びつづけるなかで静かに息を引き取りました。
最後の日近くまで家事や仕事をやりつづけていたとのことで、いわば大往生でした。
その際に感じたのは、亡くなった後のほうが、亡くなる前よりも、むしろ身近に存在を感じる不思議さでした。
あの世に行ったら、もっとも再会したい人のひとりです。
お婆様ご逝去の報を聞き謹んでお悔やみ申し上げます。
でも、お婆様の思い出はいつまでも小坪先生の心の中で生きる。
それこそお婆様が生きられた証だと思います。
私も人の心の中に生きられるように死にたいと思います。
日本を日本のままで守ってほしいという思いは先人たちの思い。
小坪先生、これからもがんばってください!
私もがんばります!
お悔み申し上げます。
私の父も先月亡くなりました。75歳でした。
最後の言葉の一つも交わせぬまま突然逝ってしまいました。
妹に、人が死んで何もなくなってしまうなら生きてる意味ってあるの。というような事を言われました。
人の命は短いからこそ、亡くなった人の思いを後の人が受け継ぐ事に意味があるんじゃないのかなと。
父もよく日本の将来を憂いていました。生前はよく二人で語り合ったものです。
小坪先生の事も教えましたよ。私の同世代が頑張っていると。
これからも陰ながら応援しています。
お彼岸で色々なことを考えていました。
諸行無常という思いがわいてきた中で、目に留まった題名でした。
日記が、心にとてもやさしく伝わってきて・・・癒されました。
私もおばあちゃん子でした。
昨日、お墓参りにいってきました。
生きてると、どうしても足りないことにばかりに、心が行ってしまい苦しみますが (lll・ω・`)
亡くなることで、この世界の悩みは止まるのだなと思う。
肉体人生は、永遠ではない、という現実を受け入れて…
今、生かされてることに感謝ですね、・・
それも、この激動の時代の日本に生きていることは、奇跡・・・。
学ぶぞ。。
そして、持てるだけ持って帰るぞ、悟りという土産話・・
いつかまた、涅槃で会いましょう、と、お彼岸の最後の日に思った・
心よりお悔やみ申し上げます
私事で恐縮ですが、私の祖母も5年前に他界し、その時身に沁みて思ったのは
当たり前と思っている事ほど、失うとこれほど辛い事は無いんだな、と
小坪先生の想いを拝読して、当時を思い出しました。
お力をお落としのことと存じますが、くれぐれもご自愛下さいませ
お悔み申し上げます。
うちの祖父母はまだ3人生きていますが、果たして自分はその教えというか背中からきちんと学んでいるのか、世に返しているのか。よく考え直して4月、いや、今日寝て起きたらやれることから始めようと思います。