日の丸の数と、クリスマスツリーの数を比べる日【海外に置き換えて考える。】

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【今日は何の日】というタグは、敢えてつけない。これは日本として重要だと思った日のエントリにつけてきたタグだからだ。キリスト教徒を揶揄する目的はないが、私はクリスマスイブに対しこのタグをつける気になれないのだ。

クリスマスツリーの数を見るに、
その日の丸の数の少なさを憂う。

クリマスソングばかりは街にあふれ、天長節の歌など街では聴かなかった。
お正月の、古来からの音楽(雅楽などのアレンジ)に期待するばかり。
そのような日だ。

 

 

 

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(OGP画像)
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日の丸の数
圧倒的に少ない。
事実であり、現実を直視する。

目の前の現実を正しく受け入れた上で、
すべての議論はそこから始めるべきだろう。

受け入れるというのは、「そのままでいい」というわけではない。
変えるため、是正するため、取り戻すために「現状を正しく把握する」と言った方が適切だ。

また、「クリスマスが悪い」というつもりもないし、
昨日も書かせて頂いたが、「GHQが」とか「日教組が」と言っても始まらないのだ。
それをしたり顔で連呼するのは、やめて頂きたい。

事実、遠因としてあるのは否定しない。
私もそう思う、その側面は確かに在る。
・・・だから、どうしたというのだ?

「GHQ!」「日教組!」と叫んだとして、国旗の数は増えるのか。
あいつが悪い、こいつが悪いと指をさしたところで、貴方だけに免罪符が与えられるわけではない。
まずは、国旗を立てよう。

お正月から、でどうだろうか。
いまの異常性については、昨日同様であるが、ある例え話を再掲したい。

 

 

 

置き換えて考える。
先ほどは、日本人がクリスマスで大騒ぎする構図を論じたが、もしこれが逆であったらどうか。
異常性がよくわかると思う。

クリスチャンが天長節を祝った場合、キリスト教徒が、天長節を祝った場合、それは何か不思議な気がする。
悪いことではないしありがたい話なのだが、置き換えてみると大層ヘンテコなことになっている。

イメージして欲しい。
お洒落なニューヨーカーたちが、デパートで【奉祝】と書いた板を買い漁る。
CNNにて「とぅでぃ、TENCHOUSETU!!!OH!」とか言っている感じである。

白人カップルを想定してみよう。
恋人たちが、天長節デートを行い、ディナーの予約をする。
菊の花と菊花紋章を前に、「KI-MI-GA-YAHHHH!」とか歌って愛を語らうのだ。

海外のおまいらの場合、ネットユーザーたちの動向を考えてみる。
素晴らしいデザインスキルを無駄に投下し「天長節、中止のお知らせ」が毎年作成される。
そしてリア充、爆発しろ!と叫ぶのだ。

家族の場合を考えてみたい。
良い子にしてたら、陛下が玩具を持ってきてくれるのよ?と。
親が子供に諭すのである。
陛下に行ってもらうと、ちょっと構図が崩れるか。。。

じゃ、こうだ。
「いい子にしてたら、ヤタガラスが玩具を持ってきてくれるのよ。」

子供は不安そうな顔で言うのだ。
「ちゃんとヤタガラス、迷子にならずに来てくれるかなぁ」と。

もうちょっと年をとって生意気盛りになった頃。
「本当は八咫烏って、親が買ってきてるんだよ!」と叫ぶ、空気を読めない子が出てくるのだ。

そして
「いるもん!八咫烏はいるもん!」
「私、見たもん!ちゃんと足が三本あったもん!」
って泣き出す子が出てくるのだ。

不毛なる、八咫烏、実在論争を繰り返す子供を横目に。
オモチャメーカーは・・・。
「ここで一年の売上を絶対に立てるのだ!!」
「我が社の荒廃、この一戦にあり!!!」である。

スポンサーについているアニメにおいては、
ここぞとばかりに新キャラ、新メカが登場。
工場も生産拡大で、掻き入れ時である。
経済波及効果もバカにならない。

九州ウォーカー(本州の方はわかるのかな)などの場合。
いわゆる外戸本みたいな、地域版の雑誌である。
「天長節にお勧めの夜景デート特集」とか組むのである。

デパートでは、
「今年の天長節は、肉じゃがでお祝い!」
「日本本国、直輸入!高野豆腐!」とかポップが躍る。

コンビニでバイトしている人なんかは
「あー、今年の天長節、ケーキのノルマがきっついわー」とか言ってるのである。

疲れたサラリーマンたちは
「あぁ、今年の天長節も仕事だったな」とか、
駅のホームで舞う雪を見て「ホワイト天長節か」などと、しみじみとつぶやくのだ。
そしてそれが、なんとも言えぬ風情をもって、しみじみと疲れた大人の共感を呼ぶ。

これが外国人が、天長節を(日本のクリスマスと同様の)祝った場合のイメージ図である。
クリスマスを祝う日本人を、(敬虔なるクリスチャンをはじめ)海外はこのように見ているのではないだろうか。

 

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それでもクリスマスも楽しむ。
冒頭に述べたように「クリスマスを否定」しても何も生まれない。
大切なのは、自らがどうあるべきか、である。

「GHQが!」とか「日教組が!」と、悪玉論争のみに終始することは
自らには責任がないと、はっきり言えば【なすべきことなどない】と宣言しているかのようにすら見える。

私のエントリを読んで、クリスマスを中止して欲しくなどないし
それはそれで楽しんで頂きたい。

私はそもそも甘党であるし、ケーキが食べれる日と楽しみにもしてきた。
うちは漁村で、普段は魚ばかり。子供の頃は、肉が食べたくて仕方なかった。
最近は、魚の美味しさにも気づけるようになったが。

プレゼントを楽しみにする子供がいても、いいではないか。
恋人たちが楽しくデートすることも否定したくない。
勇気を出して、今夜告白する者もいるのだろう。
ほんのり甘く、素晴らしいことだと思う。
(私は最近は告発ばかりしている気がするが、それに比べればどれほど素晴らしいか。)

日本人の寛容性は、素晴らしいと思う。
ただし、それが良い方向ばかりに向いてきたわけでもない。
それも事実だ。

だけれども、「楽しんでいる人」に向かって、
「楽しむんじゃない!」と言ったところで、何が生まれるだろうか。

私たちがなすべきは、クリスマスの批判でも否定でもない。
GHQや日教組の責任論のみに終始することでもない。

お正月に、国旗を掲げることだ。
他になすべきことはない。

さて、今夜はクリスマスチキンを食べて
(実際は近所の唐揚げ屋さんの唐揚げ)
ケーキでも食べて
(付き合いで回ってきたものだが。)

「そういや、この日って何なんだろ。」
「俺がキリストだったら、多分、怒ってるわ・・・。」
などと漠然と考え、

「告ったり、告られたり」
「ふったり、ふられたり」
「まぁ、みんな忙しいことですなぁ。」
「少子高齢化の話もありますし、ほどほどに頑張って頂きたい。」などと。

また、
「たぶん、あいつは今年も一人やろうな」と男の後輩のことを思いだし
「どうせ夜に『なんしよっすか?』って電話してくるんだろう。」などと考え
例年、果たしてそのようになり。
そんなこんなでクリスマスの夜はふけていくのでありましょう。

そして。
「さて、正月には日の丸をあげにゃね。」と小さな勇気を確認する日でありたい。

 

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. 103 より:

    あの、仕事中にかなり笑いましたよw

  2. 草莽の団塊です! より:

    小坪先生、まずは、メリー・クリスマス(ポリコレで、メリー・クリスマスといわないところが米国で増えているらしいですが・・・なげかわしい)かな、ケーキまたは蜂蜜でもいかがですか!

    扨て、そのうえで・・・
    >そんなこんなでクリスマスの夜はふけていくのでありましょう。そして。
    >「さて、正月には日の丸をあげにゃね。」と小さな勇気を確認する日でありたい。

    上記、おっしゃるとおりですね。
    ま、小生は、もう、祝祭日には、マンションの扉に小ぶりの日の丸を掲揚しておりますので、、どこかのタイミングで、天皇陛下 皇后陛下 (/・ω・)/ (/・ω・)/ (/・ω・)/・・・と、やりたいなとおもっていますが、、気が小さい年寄りなので、、いまは、室内で・・・・(*´ω`)

  3. suetsugu より:

    小坪先生、ちょっとブログ内容と違う話で大変申し訳ないのですけど、先日の火器管制レーダーを照射した韓国軍艦ですけど、写真を見ると船尾に韓国の国旗が無いようですが、あの状態では海賊船扱いになるのではありませんか?日本のEEZ内で北朝鮮船を探していたというのも変だし、国旗を下げていたのも違和感あるし。

  4. 名無しの案山子 より:

    いやー、面白い記事ですね。楽しく読ませていただきました。で、モミの木に比べて日の丸が少ないとの事ですけど、ま、今はそんなもんじゃないでしょうか。

    だって、民主党政権を倒してから未だ6年なんですから。日本は6年前には、日の丸どころか韓国や北朝鮮の旗が日本中に翻る一歩手前だったんですからね。それを思えば、日の丸を増やすのはこれからだと思います。

  5. 来世も日本人 より:

    いつ頃から日の丸の旗を個人の家で見かけなくなったのかな。私たちの小さい頃は祝日に各家の玄関や門に日の丸を見かけたものですが…。私は祝日に家の門に日の丸を掲げていますが、私の住む団地ではほとんど見かけることがありません。日本に生まれ育ったことへの感謝の気持ちが薄いのでしょうね。

  6. 名無しの案山子 より:

    あれ?、
    なんか今回はコメが少ないですねー。
    もしかして、表題の絵が昨日と同じなんで、更新されて無いと勘違いしてしまったのかもです。
    それか、話題が昨日とダブってるせいかな?

  7. くり より:

    数年前ツリーを処分しました。保管する必要もなくすっきり、本場ではモミの生木を立てて、森の香りに包まれて聖夜を過ごすそうで、ヒバや松などの針葉樹を南天、千両などと生け花にした方が、フィトンチッド効果でよりよく過ごせそうです。しめ縄のリースアレンジもあるし、ツリーの代わりに門松を置きたくもなります。卓上サイズではありますが、国旗を玄関の窓辺に置いています。欧米を真似てスポーツチームの旗を一緒に飾る事もあります。各戸での国旗掲揚は、西洋の影響で始まった事なのでしょうか。

    楽器を弾くので、クリスマス会の演奏を頼まれますが、ジングルベルも神鈴の事、赤鼻のトナカイも赤い鼻を日の丸、神鹿の事と解釈すれば、神道行事へ繋がりますね。陛下のお言葉を23日に拝聴し、お正月前にすっかり清められた心地がします。西洋のクリスマスの過ごし方は日本のお正月そっくりですね。家族水入らずで美味しい料理を食べ、お年玉の代わりにプレゼント交換。冬至祭として太陽の復活を祈るのもありでしょうし、カボチャや冬至粥を食べゆず風呂に入る。聖書の預言と国際情勢を再考するきっかけにもなるし、西洋の文化を無理せず楽しみたいですね。

  8. ミカンの実 より:

    小坪議員、記事アップを有難うございます。
    私今年の天皇誕生日には国旗を掲げたいと用意しておりましたが、こちら雨が降っておりましたので、掲げるのは中止しました。その分しっかりとご馳走を作って家ではお祝いしましたよ。
    24日と25日はケーキを食べますので、23日はどら焼きや柿をいただきました。
    美味しゅうございました。クリスマスツリーは雨の中ほったらかしで飾っておきました。別に汚れてもどうということないですから。

  9. ぺろりー元帥 より:

    お正月ならクリスマスに勝ってると思いますよ!
    息子はクリスマスの日付すら覚えてなくてwお正月のほうが大好きです。
    お正月以外の祝日はたしかに惨敗かな、、
    なんというか、クリスマスの楽しさ、美味しいケーキ、きらびやかなツリー、素敵なクリスマスソングはなかなか強敵だと思いますよ。
    私の小さいころは建国記念の日に、紅白のお饅頭を支給されまして、こども心に、一番楽しみな日として記憶に刻まれています。嬉しかったなあ。
    今はないですもんね。祝日の意義を説くこともないのではないでしょうか?ただ連休でーす、って。

    やはり、もう少し、教育が必要だと感じます。

    良いお年を!

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