誕生日を祝える幸せ


 

 

六月議会も終盤、改選後、初めての議会が終わろうとしている。
会期中は気ぜわしいものだが、実際に忙しい。

本定例会前に臨時会が開かれたが、時間延長は23:59まで。
そこまでは審議しなかったが、帰宅できたのは23時を回っていたように思う。

当然のこととして、議会での審査は予断を許さない。
国会に比較すれば小さな話と思う方も多いだろうが、市民生活に直接的に関わる話が多く、真剣そのものだ。

ゆえに難航する際は、難航する。
それなりに紛糾する際は紛糾し、場合によっては国会どころの騒ぎではない諍いも生じる。

子供が、5歳になった。
誕生日の夜、なんとか会うことができた。
それを幸せに思う。

 

 

 

パパと呼んだ数
毎年のことだが、6月議会の真っ最中だ。
娘を授かったのは、私が議員にさせて頂く少し前のこと。

一歳を迎え、まだ言葉も話せぬ子供だった。
我が子が大きくなるにつれ、少しずつ言葉も覚える。

私には、家族というものがいまいちわからぬ。
ただ、パパという単語を、我が子は何度、口にしたろう。
「理系すぎる」と苦笑いされる日々だが、子を持つという実感がなかなかわからなかった。

会うと、笑ってくれる。
恐らくペットと妹の中間という認識であり、私を親とは知覚していない気がする。
ソフトバンクのCFを、保守派は様々な理由で責めるが、私がイラつくのはすでにあんな感じだからである。
まぁ、その責任は多分にして私にある。

父の日、帰れなかった。
何か、準備をしていたようだ。
次の日、かなり不機嫌であった。
私の絵を描いたらしい。
どこかで表彰されたと聞く、見に行けなかった。

六月定例会、真っ最中。
昨年はたまたま会うことができたが、決して、いつも一緒にいれるわけではない。
それは自衛官、警察官、消防官、海上保安官、いずれの職務であれ同じ状況であろう。

嘆くことは、許されない。
それが公というものだと解している。

ただ、私の子は、何度、パパと言ったろうか、と。
それは母に比較し、限りなく少なく、祖父・祖母に比較しても極めて少ないのだろう。

 

 

 

捧げるもの
私たちは、市民のため、それはつまり公益のため、多くのものを捧げる。
例えば友人だ。

一般に言う友人、いつでも遊んできた悪友たち。
縁を切ることはないが、遊ぶ時間は本当に少ない。
少なくなって、しまう。
または委縮させてしまい、距離ができた者もいる。

気軽に連絡など、くれぬ。
たまにもらった連絡は得も言われぬほど嬉しいが、スケジュールはそれを許さない。

 

捧げるもの、趣味。
いまだ車高の低い車を愛する私だが、せめてそれだけは、と。
維持はするし、たまには乗れるけれども、なんでもとは行かない。
我慢することも増える。

 

犠牲にするもの、家族。
もっとも被害を被るのは、家族だろう。
共に過ごせる時間は、限りなく少ない。
日付けを跨いで帰宅する場合も多く、そののち事務仕事にかかる。

政治家を自由業と呼ぶ方もいる。
確かにある程度は自由に予定を組めるが、そもそも数が膨大。
処理する案件も非常に多く、普通に埋めていくだけで「私」の部分は残らない。

せめてこの日だけは、と願う。
だが、「緊急」というものは、往々にしてそのような日にやってくる。
緊急事態や急ぎの案件は、私の、残された少しの「私」の部分を許さない。

 

 

 

殺すもの、心。
法曹関係の職業ではないが、法を尊ぶ立場だと認識している。
少し言い回しにこだわっているが、私たち政治分野の人間は、法であったり条例であったり、ルールを作る側だ。
ルールに基づき判断する、司法の分野とは少しニュアンスが違う。

駆け込み寺として、「いよいよ」となっての市民相談も多い。
目に余るひどい事態ばかり、壊れかけた人生ばかりを見つめる。
「なんとかしたい」という思いと「なんともならぬ」という現実の狭間、ドライに、クールに、処理していく。

やがて、心にはかさぶた。
重ね重ねて、痛覚が麻痺していく。
痛みを感じぬ心、いやそれは恐らく嘘だ。
受け止めることをやめ、心を殺しつつ現実に対峙する。

国会議員の仕事は、確かに大きい。
地方議員の抱える案件など、本当に小さなものと、そのように笑う方も多かろう。

だが、「ゼロ距離」で生身に触れるかのような案件を目のあたりにする。
それはまるで、戦艦や空母のアウトレンジでの戦いと、駆逐艦の水雷戦のようなもの。

 

ままならぬことも、ある。
助けれぬ者も、いる。
政治家は万能ではない。

備えられたルールの中、使いうる制度の中で提示する以上のことは、行政に対してはできない。
限界を感じることもある。
それでも諦めず、対応を試みる。

その苦悶の中より、新たなルール、法や条例は誕生するのだと、
つまりは、私たちが陳情者の前で流せぬ心の涙を、かきあつめて、
あげれぬ悲鳴を、堪えた吐き出したい思いを集めて
それが法として機能するのだと確信したい。

 

殺した心、
見えぬ心の血が、ルールに反映されますよう。
そのために全てを捧げることが、私たちには求められている。
最前線の一人として。

 

 

 

笑顔
誕生日、久々に私を見る娘。
週に多くても三日だ、四日は会えぬ。
戻れば寝ている日ばかり、いや日付けが変わっている。
朝、少し、一言二言の声を交わす程度で、いわゆる同居人と何が違うのか。
それは自己批判と、恐らく何か、きっと自らを責めたいのだと思うけれど
私にはこういう、なんというか家族という言葉であったり、例えば自分の中の感情であったり、そういうものを的確に、上手にアウトプットできる能力が欠けている。

このくだりは、もしかしたら贖罪なのかも知れない。
しかし何に対する罪であるかが把握できていないゆえ、罰をもって雪ぐこともできぬ。
恐らく咎人という意識のみが、そこには在る。

 

とても、笑っていた。
誕生日、恐らく会いたがっていたであろう、「パパ」に。
いや、会いたかったのだろうと私が思っているだけかも知れないが、
感情の起伏のようなものに慣れぬ私には、なんというか上手く表現できない、だけど、どこか勿体無いほどの笑顔。
笑っていた。

殺したはずの、殺しきれていなかった心の残滓。
除去したはずの神経が、心に沁みるかのようだ。
それは、私の心を抉る。

 

最近は、面白いアニメもある。
「ここたま」というもので、物を大事にすると妖精?が生じるそうだ。
私は妖精ではなく、要請ならよく見る。
これが好きだそうで、なんという保守的なアニメと思い、仕事を切り上げて、実は必死に探した。

とても喜んでいた。

 

今日はパパと一緒に寝るという。
先ほどは「切り上げて」と述べたが、それはやや誤った表現で、「仕事を調整して」だ。

月に何度あるかわからぬが、「今日はパパいるの?」「今日は、もうどこにも行かない?」という問いに対して、「今日はずっといる」と私は虚偽答弁を繰り返し、少しだけ頭をなでて、仕事に戻る。

いつもの政治的なBlogは、調査や精査に時間を要す。
今夜は思ったままに。
これが法などに基づいた議論であれば得意なのだが、不慣れな分野の言葉を綴る。

ハッピーバースデー。
何がハッピーなものか、私は例年のこととして、罪の意識に苦しむばかり。
目の前の、非常に厳しい市民相談を前に、自らのみが幸せを享受する申し訳なさであったり。
何かへの、罪の意識であったり。

 

さて。
今夜も仕事だ。

忘れられぬ悪夢であったり、
救いたくて救えなくて、手のひらから零れ落ちて行った悲哀を。
そこにある怨嗟を苦しみを正面から受け止め、心殺して、かき集め。

一つずつ、一行ずつ、
記していこう。

捧げた物の対価に見合うだけの、成果は残さねばならぬ。
恐らくは、これをもってのみ雪がれるのだろう、私の罪は。

込めた思いに比例して、
私の踏み込み速度は、
さらに速く、もっと鋭く。

 

 

他の公職であれば、味わえていないやも知れぬ、
少しだけのパパの時間を頂いたため、これより業務に復帰します。
さて、行きますか。今夜も長い。

 

 

昨年のエントリ
今日のブログは、お休みします。(と言いつつ、長く書いてしまいました汗)

 

 

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誕生日を祝える幸せ への11件のフィードバック

  1. medakanoon のコメント:

    誕生日を祝える幸せ 六月議会も終盤、改選後、初めての議会が終わろうとしている。 会期中は気ぜわしいものだが、実際に忙しい。 本定例会前に臨時会が開かれたが、時間延長は23:59まで。 そこまでは審議しなか

  2. 名ナシ のコメント:

    仕事柄、夜勤の週は最悪1週間妻子の顔を見ずに過ごすこともあります。
    思えば昔、朝から煙草の臭いがする月曜日は「あ、会社が今日は休みか」
    と気が重かった記憶があります・・・。
    父親として今の自分が子供達からどう見られているんでしょうかね?
    媚びを売る気は全くありませんが、一緒にいられる存在ではありたいな
    と思います。
    距離の取り方は難しいですけどね。

  3. まよねーず のコメント:

    スレを見たとき、英国のことかと思いました。そして日本はいつなのかなと。
    こちらは個人の生活に直結。頑張れ日本のお父さん。

  4. ゆきねこ のコメント:

    いるだけで嬉しいと笑顔を向けて貰えることに罪の意識を持たなくていいと思います。
    少ししか会えなくても、子供は自分が大切に思われているか、感じていると思います。
    仕事に出かけるお父さんに頭を撫でて貰えるなんて、幸せな娘さんですね。

  5. 異国より のコメント:

    浮気も虐待もしてなくて仕事を頑張っているなら、充分良い父親だと思うんですけど…

    お嬢さんが理解するのはご結婚されて自身の子供を持ってからでしょうけど。

    否、それでも駄目かも分かりませんが(東京物語なんか見てしまうと)。

    ご自愛下さい。

  6. 鳥海山たろう のコメント:

    父親と子どもの距離は(特に女の子の場合は)、あまりに日常的にいつもベタベタするよりも、ある程度の距離感があったほうが良いのかもしれないと思います。

    あまり子どもに会う機会がない場合は、おもちゃなどプレゼントを与えるのもよいのでしょうが、子どもに本を読んで聞かせる、または子どもがよく喋りかけるようであれば、じっくり話を聞いてあげて、話のなかの良い点を見つけてほめてあげるなどしたほうが良いと思います。

    話題は、幼稚園や学校(に行くようになれば)の先生にどんなことを教わっているかなどを聞いてあげればよいと思います。基本的には奥さんや先生を信頼してまかせるのが良いと思います。

    親子のふれあいは時間の長さではないと思います。わずかの時間でも、何かをしてあげたり、一緒にどこかに出かけて何かをすると、良い思い出になって残ります。

    私事で誠に恐縮ですが、以下は何かの参考になるかもしれないと思って経験談。

    私の幼稚園や小学生のころ、親はあまり一緒にはいなかったですが、家族でときどき食事や名所に行きました。
    名所は神社仏閣や美術館やコンサートなどがおすすめです。アニメが好きなら映画館もよいですね。

    神社仏閣は静かで暗い森のなかで、なんか寂しさを感じますが、何か畏れのある不思議な空間に落ち着きを感じました。
    子どもにはなんにもわからなくても畏敬をしなければならないものが世の中にあることを直感で感じさせます。

    成長してくると、親が身近にいなくても全然不自然とも寂しいとも感じなくなります。10代から20代のころですね。
    そのころに親孝行をできる若者はほんとうに立派であると断言できます。将来、社会をささえる人たちです。
    (私はたいして親孝行しなかったので、会社でもたいして出世しませんでした。逆に子どもに親孝行をしてもらおうとは思いません)

    (脱線しますが)若いころは、ユーミンの音楽が青春でした。夜中のシーンとした雪のつもった山道を彼女を助手席にのせ車でスキー場に向かうとき、ユーミンの音楽が流れてました。楽しくお喋りをしていると「この瞬間が永遠であってほしい」と思いました。

    けれども、それ以上に幸福な瞬間が、我が子が生まれたときでした。神様はいるのだと、そのとき実感しました。その後は無我夢中で夫婦一緒に子どもを育ててきました。
    そして人生の半ばを過ぎて、これからは中年から初老に入ろうかという時期。

    子どものころ連れていってもらった神社やお寺に自分で参ります。
    そして、その静かな空間のなかで、「なんと自分はいろんな多くの人のお世話になっただろう。その恩をこれからは少しでも社会に返していきたい」としみじみと感じます。

    親子のきずなは一緒にいる時間だけではないと思います。

  7. sinobu hattori のコメント:

    FBのシェアをさせて頂きますね。

    私も、
    お子様のお誕生日を祝わせて下さい。
    ————————————————————

    お誕生日、おめでとう御座います!

    丈夫で聡明な人物で有ります様に
    心から期待を致しております。

    ————————————————————

    日程がギリギリでも、日をまたいでも、

    「お誕生日を きちんと心から祝ってくれた」

    …と、いう事は、
    凄く嬉しい事なのだと思いますよ。

    自分的な事で、申し訳有りませんが、
    私の両親なンぞは、
    年末が誕生日である事を理由に、

    ・年末で仕事が忙しい
    ・プレゼント買うのが惜しい
    ・クリスマス、年始、と混ぜる
    ・きっと子供は理解してくれるだろう
    ・結果として「本当」に誕生日を忘れてしまう

    …という、流れによって、
    小学生の時代から、
    祝って貰った事が無いです。(笑

    誕生日の数日後に、自分から
    「誕生日なの、知ってた?」…と、言ったら、

    「…そうだっけ? お前、プレゼント欲しかったのか?
    ウチは金が無ぇから、無理なの解るだろ?」

    これで、私は、
    両親に対する信頼を失くしたりしました。(笑

    当時の私としては、
    「忘れずに祝ってくれた」
    …という事が重要だったのですけど…。

    ———————————————————————
    形や状況…どうであれ、

    ・覚えてくれている
    ・気にかけてくれている

    小坪先生のお子様も、
    心から祝ってくれた事を
    理解してくれると思いますよ。

  8. スレチキジコピ@失礼します のコメント:

    遅いですが、お子様誕生日おめでとうございます!!

    私は幼い頃、市議のお嬢さんと一緒で仕事が忙しい父に中々会えませんでしたが、母の影響で(「お父さんは私たちの為に頑張ってる」「お父さんがいなくなったらあんたも私も生きていけないんだからね」などよく言われた記憶があります)
    父が大好きで、離れるのが嫌で、朝出かける父に玄関で「行かないでー!」と号泣&絶叫&しがみつくので母が毎度引き剥がしていたそうです。(笑)

    父である市議を見て、お嬢さんが喜ぶのは、奥様や周りの祖父母さん??がとても上手に言い聞かせてくれてるのではないですか。

    市議はお嬢さんと会う時間が少ない事を気に病まれてるようですが、周りのフォロー(言い聞かせ)で案外なんとかなるものですよ★
    もう少し大きくなった時にこのブログを見つけるかもしれませんし、ご家族の事を気にかけている痕跡を随所に見つけて、感動されると思いますよ。

  9. 月光仮面 のコメント:

    次の世代にいい日本を残してあげたいと思っています。
    それは 左翼から中国韓国朝鮮から 日本を守る必要が
    あると思うのです そして 安倍総理の任期の延長を
    今から考えないといけないと 思います 
    少子化問題 経済 中国問題 拉致問題 などなど
    憲法も改正して 次への日本を歩けたらいいなと
    思います。

    お誕生日おめでとうございます

  10. のコメント:

    守る者が居る幸せ、いいですね。
    幸せのおすそ分け、ありがとうございました。

    ところで、こんなtwitter見つけました。
    【拡散希望】
    6月27日(月)午前10時より
    「公人のヘイトスピーチを許さない会」が、熊本震災における差別デマを容認・助長した福岡県行橋市議小坪慎也氏の問題で、行橋市議会への公開質問状、小坪市議への抗議文を提出予定です!!
    https://twitter.com/punml1983/status/746230415485079552

    午後1時からご丁寧に記者会見とのこと。
    青林堂に在特会の人が居たとかで騒いでますが、それも関係してるのでしょうか。
    またお時間取られますね(涙)大事になりませんように。
    全力で乗り切って下さい!応援しています。

    (ご参考)
    http://antiracism-info.sblo.jp/article/175798559.html
    反レイシズム情報センター(ARIC) Member’s Blog

  11. 鳥海山たろう のコメント:

    大変おせっかいですが、、。
    まだ、例の掲載記事がそのまま残っているようです。
    改めて読みましたが、あの文章は、ふだんの小坪先生の文章とくらべて違和感のある論調になっています。(「保守」とは、国益と同時に人道や正義を守るという立場であると思っています。その観点からいうと、これは誤解を与える可能性があるので、今後ダメージを与え続けられる懸念があります)
    「悪質なデマを容認するつもりは無かったが、誤解をあたえるのであれば訂正か削除」を編集者に依頼するのではだめでしょうか。
    小坪先生が新聞社との釈明会見の席で、まったく激昂せずに冷静に紳士的に対応されたのは実に良かったと思います。
    (チンピラやゴロツキのような極左メディアであっても、もし政治家がチンピラのような態度をとったら間違いなく支持者の支持率は急降下します。主義主張の以前に、怒りで我れを失う政治家は危険だと評価されるからです。その点、石原氏や橋下氏などは怒り方というか怒りの発散の仕方が比較的うまかったと思います)

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