【時代の動く音】印首相「パール判事に言及」安倍首相に夕食会で。


時代が動いた。
なんと表現していいのかわからない、時代が動く音が聞こえた。
このインパクトは凄まじい、恐らく日本の報道はまたも黙殺するのだろう。
少しでも、一人でも多くの方に、この歴史的事実を伝えて欲しい。

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「東京裁判で果たしたパール判事の役割忘れない」 モディ首相

2014.9.2 11:22

 インドのモディ首相は1日夜の安倍晋三首相との夕食会で、極東国際軍事裁判(東京裁判)で判事を務め、被告全員の無罪を訴えたパール判事の話題に触れ、その功績をたたえた。

モディ氏はスピーチで「インド人が日本に来てパール判事の話をすると尊敬される。自慢できることだ。パール判事が東京裁判で果たした役割はわれわれも忘れていない」と述べた。

首相は第1次政権時代の平成19年8月にインドを訪問した際、パール判事の長男、プロシャント・パール氏と面会している。首相の判事への思い入れは強く、両首脳は「歴史」を通じてさらに友情を深めた。

インドのパール判事は東京裁判に対する意見書で、戦勝国が事後法により敗戦国を裁くことに疑問を提起し、原爆投下を批判した人物として知られる。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140902/plc14090211220011-n1.htm

パール判事について掘り下げてみたいと思います。
と言ってもwikipediaの抜粋と、それに所感をつける程度のものであります。

まず有名なところから。
靖国神社には、顕彰碑があり有名な碑文が刻まれております。

時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には

その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら 過去の賞罰の多くに

そのところを変えることを要求するであろう

じーんと来る、本当に胸に来る言葉です。
この背景や周辺情報を補足するとさらに重みが増します。
少しエピソードに触れていきます。

原爆投下への批判
1952年11月3日より4日間、「世界連邦アジア会議」の講演のため広島市を訪問した。4日の講演「世界に告ぐ」では「広島、長崎に原爆が投ぜられたとき、どのようないいわけがされたか、何のために投ぜられなければならなかったか」と強く批判した。

講演では、「いったいあの場合、アメリカは原子爆弾を投ずべき何の理由があっただろうか。日本はすでに降伏すべき用意ができておった」「これを投下したところの国(アメリカ)から、真実味のある、心からの懺悔の言葉をいまだに聞いたことがない」連合国側の「幾千人かの白人の軍隊を犠牲にしないため」という言い分に対しては「その代償として、罪のないところの老人や、子供や、婦人を、あるいは一般の平和的生活をいとなむ市民を、幾万人、幾十万人、殺してもいいというのだろうか」「われわれはこうした手合と、ふたたび人道や平和について語り合いたくはない」として、極めて強く原爆投下を批判した。

広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑の碑文にある「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」を通訳を通して読んだ後、日本人が日本人に謝っていると判断「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」との主旨の発言をおこなった。

「ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落したものは日本人でないことは明瞭である。落としたものの責任の所在を明かにして、”わたくしはふたたびこの過ちは犯さぬ”というのなら肯ける。しかし、この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。」「ただし、過ちをくり返さぬということが、将来再軍備はしない、戦争は放棄したという誓いであるならば、非常にりっぱな決意である。それなら賛成だ。しかし、それならばなぜそのようにはっきりした表現をもちいないのか」「原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような、この碑文が示すような不明瞭な表現のなかには、民族の再起もなければまた犠牲者の霊もなぐさめられない

東京裁判において。
パール判事は、「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであった。戦争責任を否定したものではない。

パールの長男も「(パールは)国際法の専門家として東京裁判を批判しただけであり、日本を擁護することを考えていたわけではない」と語っている。

パールは『パール判決書』の中で、
「戦争に勝ち負けは腕力の強弱であり、正義とは関係ない。」
と記述している、また
「現代の歴史家でさえも、つぎのように考えることができたのである。すなわち『ハル・ノートのようなものをつきつけられれば、モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう』。」
とA.J.ノックの言葉を引用して弁護したベン・ブルース・ブレイクニーの言葉をそのまま判決書に紹介している。

パールの意見書に接し、裁かれた被告が歌を遺している。
東條英機
「百年の 後の世かとぞ 思いしに 今このふみを 眼のあたりに見る」
板垣征四郎
「ふたとせに あまるさばきの 庭のうち このひとふみを 見るぞとうとき」
「すぐれたる 人のふみ見て 思うかな やみ夜を照らす ともしびのごと」
木村兵太郎
「闇の夜を 照らすひかりの ふみ仰ぎ こころ安けく 逝くぞうれ志き」
上記で「ふみ」と詠まれているのがパールの意見書のこと。

さて、現在の我が国を見て欲しい。
「テレビばかり見てたらバカになるよ」と言っていた大人たちは
実際に「テレビばかり見てバカ」になってしまった。
あれは本当のことだったんだなぁとしみじみ思う。

有権者の質は下がり、選挙のたびに国家の存在は薄れ
歴史も伝統も、こんな大事な、本来なら知っていて当たり前のこともわからなくなってしまった。

左翼が、歴史を削り取っていったからだ。
だけど次の世代、私たちはそれを読み取ることができる。
テレビしか見ずに調べもしなかった大人たちと違い、山のような専門書に埋もれ、凄まじい量のデータを処理し、必死の努力で「歴史を奪い返して」いる。

転向せねば、そのまま押し切るし
結果的に地域でのポジション、立ち位置も壊滅的に低下する。
俺は、そこまでやるし、叩き潰す気で戦線に出ている。
回避するのは自由だが、来るなら、やる。

我々にはバブルの残滓を未だなめ続ける、一部のおっさん(経団連等)の利権も関係ないし、好きにやらせてもらおう。
俺たち、責任世代は、一部のおっさんらの「餌」ではないし、どんなにお金がもらえたとしても、それに加担したいとは思わない。
よって、その一部のおっさんらに洗脳され、バカにされてしまった大人の主張に耳を傾けることもない。

ただただ、史実を紙と文書で紐解くのみだ。
本来なら三世帯住宅等で祖父母が伝えたことなのだが、核家族ではそれも難しいだろう。

左翼としては、日本の歴史が面白くないのだ。
だから削り取っていった、
(政治を用いて)教科書から、
(抗議を用いて)報道から。

外国人はみんな「日本の戦争を強く非難」しているという「謎の妄想」を広めたかった。
靖国もパール判事も邪魔だったのでしょう。

左翼が悪魔に仕立て上げたかった、A級戦犯無罪が主張された事実も。
それが国際法に基づいていたことも。

だったら何か別の理由をつけてでも、
なんとかして潰してやろう、
そう思っているように見えてなりません。

いわゆる東京裁判において、日本を擁護し
「被告人全員を無罪」と主張した事実は、
A級戦犯がどうのこうのと言いたい左翼には邪魔で仕方なかった。

そもそもA級とは、カテゴリAの意味であって
ひどいとかひどくないという意味でもない。
メディアもわざと混同して報道しているあたり
不勉強なのか悪意なのかわからないが
作為的なものを感じる。

では、
東京裁判を終えてのパール判事の軌跡はどうだったのか。
戦勝国らによる事後法に異議を唱えて干されたのか。
そうではなかった。
だから左翼が消し去りたいのだ。

東京裁判以降、国際連合国際法委員長や仲裁裁判所裁判官として国際法に関与した。
つまり、パール判事の国際法への認識、アプローチは正しかったと歴史が証明していることに他ならない。

そもそも我が国は、戦時下においても特に厳しく国際法を順守したことで有名な国家なのだ。

ラダ・ビノード・パール(wikipedia)

では、お待ちかね。
日本共産党はどうしたのか。

[warning]日本共産党によれば、平和に対する罪、人道に対する罪を事後法だと位置づけたパールの主張は、第一次世界大戦後に生まれた国際連盟規約や不戦条約等の存在を矮小化していると主張しているが、パールは意見書の中で、これらの条約も日本の戦争を違法とする根拠にならず、まして個人を裁くことは不可能だと判示している。[/warning]

もう少し掘り下げてみましょう。
具体的には、しんぶん赤旗2007年8月22日(水)の記事です。

「インド訪問の安倍首相 パール判事遺族と面会 なぜ」と題された記事。
これは2007年の記事です。
そう、第一次安倍内閣において、安倍首相は判事の遺族と会っていました。

それに対し
「今なぜパール判事か、疑問の声が起こっています。」
と書いておりますが、疑問の声は、共産主義者・国家解体主義者から挙げられただけではありませんか?

記事を続けます。

批判したのは裁判の進め方

 日本の侵略戦争を肯定する「靖国」派などは、パール判事の立場を、日本に戦争責任がないことを国際的に証明するものであるかのように利用してきました。安倍氏も首相就任直前に発表した『美しい国へ』で、東京裁判に関しては「事後法によって裁いた裁判は無効だ」との議論があると言及。昨年十月六日の衆院予算委の答弁でも「事後法」論を展開し、同裁判に疑問を表明しました。

 しかしパール氏は、先の戦争での日本の行動を正当化したわけではありません。裁判の法的な進め方を批判したのです。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-22/2007082202_05_0.html

そう、正解です。
「国際法」という苦手な分野が出てきて苦慮しているようですね。

実は、すべからくの左翼の主張は
「あくまで日本国内」でのローカルなものであって。

言い換えれば
「テレビばかり見てバカになってしまった大人たち」にしか通用しないものであって

真の意味でグローバル、国際法と国際感覚に基づけば
「ほとんど意味がわからない。」のです。

そもそも国旗を否定し、国家を否定する左翼は、世界にはおりません。
右であれ左であれ、まず第一に国を愛します。
それが世界の左翼です。

国旗も国家も否定する。
それは国家解体主義者であり、治安を乱す悪者として排除されるのが通常なのです。
それが世界の常識です。

最後に、同じ記事をもう一度掲載。
この記事にどれほどのインパクトがあるか伝わったでしょうか。
歴史が動く音が、貴方にも聞こえたのではありませんか?

「東京裁判で果たしたパール判事の役割忘れない」 モディ首相

2014.9.2 11:22

 インドのモディ首相は1日夜の安倍晋三首相との夕食会で、極東国際軍事裁判(東京裁判)で判事を務め、被告全員の無罪を訴えたパール判事の話題に触れ、その功績をたたえた。

モディ氏はスピーチで「インド人が日本に来てパール判事の話をすると尊敬される。自慢できることだ。パール判事が東京裁判で果たした役割はわれわれも忘れていない」と述べた。

首相は第1次政権時代の平成19年8月にインドを訪問した際、パール判事の長男、プロシャント・パール氏と面会している。首相の判事への思い入れは強く、両首脳は「歴史」を通じてさらに友情を深めた。

インドのパール判事は東京裁判に対する意見書で、戦勝国が事後法により敗戦国を裁くことに疑問を提起し、原爆投下を批判した人物として知られる。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140902/plc14090211220011-n1.htm

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4 Responses to 【時代の動く音】印首相「パール判事に言及」安倍首相に夕食会で。

  1. はっちー のコメント:

    こんばんは。連投失礼いたします。

    安倍さんがモディ首相を京都でおもてなしされているとニュースで視て、京都の護国神社にあるパール判事の顕彰碑のお話でも出ればなぁと夢想しておりました。(靖国神社より先に京都の護国神社にパール判事の顕彰碑が建てられ、除幕式にはご長男ご夫妻で参列されています。)でも、無理だろうなぁ、なまじ出たとしても報道はされないだろうと勝手に判断してました。

    それをヤフーニュースで見つけた時の驚きといったら・・・。

    本当に少しずつ、しかし確実に変化は始まっていますね。
    それにしても、産経新聞があって良かった。
    他紙はこの事実を「報道しない自由」がほとんど全部でしょうか。

  2. 小坪しんや のコメント:

    はっちー様

    コメントありがとうございます。
    >それをヤフーニュースで見つけた時の驚きといったら・・・。

    夢が現実に。。。
    何かが大きな音をたてて動いています、耳には聞こえないけれど。
    音と言っては変でしょうか。

    時代が変わるとき、それは
    あっさりと、一瞬の出来事なのかもしれません。

  3. ピンバック: 【戦う政治家】特攻隊の隊員らを「犠牲者」なのか、という問いに対して。 | 小坪しんやのHP?行橋市議会議員

  4. あかさ のコメント:

    しかし未だ日本は変わらず

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