夜神楽。
小さい頃は、やっぱり鬼が怖かった。
不思議だな、と思う。
小さな子らが泣きわめいていたことを思い出す。
微笑ましい。今年は鬼ではなく、舞。
守りたいものは、ありますか?
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こういうと怒られそうだけれども
比較するのも変だけども
国旗より、保守などのイデオロギーより
何よりも。
壊れゆく『いま』と
過疎化の進む小さな漁村のため、
私は立ったんだよ。
本当はそれだけだった。
行橋市が沈めば、地元も滅ぶ。
福岡県が沈めば、行橋市もただでは済まない。
日本が弱れば、地元を守れない。
だから、ここにいます。
私は大層えらい国会議員ではないし、政治力に溢れたベテランでもない。
滅びゆく地元と、
(嫌な響きだが、事実は直視せねば。)
壊れゆく同世代を見て
『なんとかしたい!』と思って
だから人生も何もかも
親兄弟に迷惑かけて、
地元のおいちゃん・おばちゃんに無理を言って
だから、、、
だから、こうして、ここにいるんです。
ネットで保守活動もしますが、そもそもの中心軸は地元愛。
そして世代間格差でした。怒り、悲しみ、悲哀。様々な負の感情を、建設的に転換する方法がこの道だった。人生のすべてを賭けて。。
今日は、夜神楽。
小さな頃は、鬼が怖かった。
いまは別のものが怖い。
神楽も、いつまでやれるか。。。
この地域の子らが大人になる頃まで、残せるだろうか。
その責任は、私にかかっている。
皆で背負うべきものだが、私の責任は重い。
口で『伝統は大事!』と言うだけなら楽だ。
保守!とテキストで入力するだけなら楽だ。
夜神楽の鬼が怖かった幼き日を思い出す。
いまは別のものが怖い。
泣く子らを見て、
子らを見て微笑むおいちゃんたちを見て
きっと当時は私もそうだったのだろうと思い、
そして私は笑えない。うまく笑えない。
こういうものを守りたい。
だから地方議員になった。そして地方議員から上を目指さない理由。 pic.twitter.com/q2MTqMiHMP— 小坪慎也🎌行橋市議(トレンド1位) (@kotsubo48) September 30, 2023
本当はとても怖い。
その責任と、職権を持つのは、ただ私のみだ。
双肩にのしかかる、重み。
俺は、ただの若い、あんちゃんだった。
実はさ、ただの、普通の人だよ。
背負いきれるものではない。
若い議員をチヤホヤしすぎるのも、どうかと思う。
(自らを否定するわけではないけれど。)
本当に、この若い俺で、足りてるのかな、
社会経験だって浅い、もっと、もっと俺が、、、
そう思う夜を何度も越えて、悩んで苦しんで、いまがある。
本当は怖い、重たい。
だけど、俺がやるんだ。
やるって言って、信じてくれと言って
バッチを預かったんだ。
逃げることは、絶対にない。
理系出身の議員はごく僅か。
地方議員(実は国会議員にも)にもカテゴリ分けがあり、保守業界だけではない。医療系や宅建関係、農政一本の方もおられる。保守系では実務型が育ちにくい風土があり、私の後継者は現時点ではいない。責任重大だと思う。保守派は、制度設計や予算に対して極めて弱いというのが残念ながら実情です。政界全体で見れば多数いる実務型が、この戦線には極端に少ない。私の負担は重たい、責任も。
夜神楽。
泣きわめく子らを見て
微笑ましいな、と思う。
うまく笑えないや。
政治に向き合うことは、とても重い。
とても怖い。
そういう夜だって、ある。
皆が笑う笑顔が、怖く恐ろしく、重たい夜もある。
(2014年の記事を再構成して紹介。実は古い記事です。今年は鬼じゃなかったので・・・。)
一歩、前に出る勇気。
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しんぶん白旗を検索したついでに、自分がいつ頃からコメントを始めたのか、ざっと調べましたら 2017年の7月頃?のようです。
それよりも過去のコメント欄を見ますと、今でも拝見するお名前、余命三年さんで知るお名前、レベルの高い方々等、当時を懐かしく思いました。
当時の拙コメントを読みますと、稚拙な内容でお恥ずかしい限りでした。(^_^;)
(少しは成長出来たのか?)
”神楽”をねずさんで検索しましたところ、下記のエントリーが女性には!
一旦緩󠄁急󠄁あれば義勇󠄁公󠄁に奉しもって天壤無窮󠄁の皇運󠄁を扶翼󠄂すべし – ねずさんのひとりごと
https://nezu3344.com/blog-entry-5558.html
さても、西洋の云う男女平等って、日本に当てはめますと女性の地位を下げる?
(男のように働け?)
.
出生数を男女比で見ますと、男の子の方が少し多く生まれるんですね。
ねずさん的には、女の子は強いので多くが成人出来るが、男の子は弱いので成人まで生きるのは少ないからと。
故に、男性が少ないので”一夫多妻”が普通の社会だったと。
現在は衛生、栄養、医療の充実で、弱い男の子も成人出来るようになり、一夫一婦制になったと。
私の生活の経験でも、女性は強いですね。
一度、ご近所の日帰り旅行で、昼食を牡蠣の食べ放題で食べました。
その時に参加した男性陣の殆どが牡蠣にアタリ、お腹が大変な事に!
ところが、女性陣は殆どが平気だったんですよ。
まあ、平均寿命を見るだけでも、女性の方が強い事は証明されているのですね。
DV等の被害に合う女性もいますが、逞しく掌で亭主をコントロールしている女性が多いと感じています。
.
父の遺言…『お前、評論家にはなるなよ。』
口だけの人間にはなるな、と…
そう、何か問題が起こった時、往々に無視されるのは『その解決策とやらを、どう実行するのか?』です。
建前、綺麗事は百万遍も言い募るのに、いざ『どうやって解決するか?』になると、何も解決策出来ない…
言い換えれば、『お前、口先人間にはなるな。』と言われたのが、今でも心に焼き付いています。
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共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
**********************************************************************
行橋市全体で見た場合、人口は増加傾向にあるのは喜ばしい事です。
とは言え、市内の地区ごとで見た場合、減少傾向にある所もあるでしょうから、一概に安堵出来無いのも現実でしょう。
人口は増えて居るのに、町内会となると何故か衰退してると言った所もあるのかも知れません。
まぁ普通、町内会ってデカデカと看板を出して営業して居る訳でも無いので、興味がある人でも接触を持つ事が出来なかったりしがちです。
土地ごと購入して転入して来る人は少し異なるのでしょうが、借家住まいですと全く接触出来なかったりします。
そんな中でも各町会は、年末年始の防犯パトロール等の活動を続けて居たりする訳ですが、若い世代の場合はユニフォームがダサくて、興味を唆らないと言った部分もあるのかも知れません。
大概、蛍光色のウィンドブレーカーで、背中に◯◯町会防犯パトロールとプリントしてあるものを着て、じいちゃん、ばあちゃんが不慣れな誘導灯をぶら下げて散歩する様な状態ですし。
神社の祭礼となると、地区の区分けが町会の区分けと違って居たりして、更に敷居が高かったりします。
何より、町会にしろ氏神神社にしろ情報が圧倒的に少ないので、中々参加したい人を取り込めて居無いのが実態なのではないでしょうか。
恐らく、日本全国で同じ様な問題があり、その原因も様々でしょう。
ですので、ケースバイケースで対応出来るのは地方議員と成るのでしょうが、そこにも目を向けて下さる議員を抱える行橋市は幸せと言うか、当選させた行橋市民は良い仕事をしたのだと判断します。
この良い仕事を、行橋市民の皆様には是非共継続して頂きたいと思います。
射干玉の夜。
日本にある闇への畏怖こそが、神道も、産土の神も、
八百万の神を生み出した日本人の感性です。
日本を取り巻く海の闇に対する畏怖もそうです。
もしかするとそれは全世界の子供達と同じなのかもしれません(笑。
傍の大人に、怖い…と庇護を求め、訴えられる事が如何に尊いか。
後になって神楽が、神に捧げられ、人を守っている守護舞だと分かるのです。
勿論中には、歯を食いしばる子、唇を引き締める子、又、それも感じなくなってしまった子等、
今も一人、闇に耐え立ち向かっている子がいると思います。
そこ迄討論を向く様な日本語を持たない日本人は、
根本は書き言葉を中心に祝詞や祈詞を中心に、節を生み、うねりをつくり、謡いに発展しました。
謡は主に男性が、それによって女性は巫女舞で。神楽の伝承や、祭りの囃しには、
日本人が現在かなり邦楽に距離が出来てしまっているにも関わらず、
一番身近な体によって継承される日本音楽史の具象です。
そして地域ごとに耐えて継承された技術がいま、海外からも日本の特色として様々な形で、
その魅力や潜在力や神秘を認められ、多くの方々を魅了しています。
神楽や能、巫女舞、日舞の静の動きは今、バレエや現代舞踊を踊る日本人に至っても、
日本人は内的で抒情的な静の踊りを踊ると言われる傾向があります。言語性もあるので。
キリスト教的ではない原点回帰、喜怒哀楽人間肯定のギリシャ多神教神話に近く
しかし日本人の身体性から内的に現れ、土着の物を肯定する文化は今も細々と受け継がれています。
「政治家が政策をせずに祭り如きに」という評論家や言論人には、その大事な何かの継承が多分、
見えていないのです。勿論時々にお仕事の優先順位はあると思いますが、
政治家の仕事を敬意なく、寧ろ軽蔑侮蔑している人が、
政治に関わってこれらの文化の継承に力を尽せるとは思えません。
明治に芸事に疎いまま江戸入りした薩長の為政代表者は、仏閣弾圧もしましたし、
それは芸事も同じ、優位をアピールするかのように、一気に西洋音楽の楽譜、
技巧を取り入れてそれを誇り今に至ります。ただ、技術として伝わった楽譜(記譜法)は、
ちょうど24音階が発展し切るか否か辺り、その後西洋で壊れるラストに当たる頃でした。
西洋楽譜の発展成立の長い道のりを、日本人は無視してスキルを受け入れました。(今も)
これはキリスト教の中身を全く学ばずに形だけを取り入れたのと今に続くとても似ている現象なのです。
西洋音楽はギリシャの初めから数学の兄弟として生まれ、弦を半分にすると
1ottavaで響く同じ音になると数学者が見つけた所からはじまっている理系の産物。
それは文字から節を立ち上げる日本人には思考に全くない感覚でした。それでもまだ
明治の作曲家の多くはその文化の距離感を肌で感じる感性がまだ色濃くあり、移行に苦悩しました。
一般には日本で、神楽の様に身近にミサを聴くことも少ないですから、建築も気候も言語も違う中で
西洋音楽史の過去から乖離したまま、専門家でさえ捉え方の偏りと短絡さに、
上澄みだけでただのスキルと楽譜に起こすので曲が幼くなりやすく。
または多くを聴いた知識欲の数を驕るコレクターになったり、敬意が有ろうと、
楽譜から立ち上げられない、オケの目を見られない即席指揮など。
記譜技術だけを今に至ってもはめ、形だけ真似てつもり理解でブルジョワ的に受け止めるので
実は日本的な感性で聴きとっているのに、自身の脚をつけている足元の地域と土が見えておらず
悲しいほど、本来他国の地域性が育てた土着的に発展した本来の西洋Classicと
実質が大きく乖離するのです。身体性もありますが、またそれに気が付かないのです。
相手の本当の良さも底力も理解しようとしなければ、だから日本の古来の良さも見えてこない。
日本古来の継承を失えば、同時に西洋や他の文化の深さを理解する術を失う。
その中途半端さが、より正確な区別に至らない元凶として混乱を招いて燻ぶるのです。
存在への理解が出来れば両方が認識されて残り、中身がなければ両方が滅びます。
つもりイベントで飾ったものではなく、本物を見れば人はその前に沈黙するしかなく、
瞬時に本能で魅入られ恐怖し理解して継承されるにも関わらず。
明治の変化はそれはそれで時代の采配だったのでしょうが、私の地元には徳川方の技術者が多く、
その芸人の維持とプライドにかけて、お上から押し付けられる文化に
抵抗し、技術を守り続け、西欧と江戸っ子の両を持つ傑出したバランスの
榎本武揚公を間近なリーダーとして明治を受け入れて来ました。
同時に大きな西洋化の波を早くに受け、芸人職人気質と技は変わらないまま、
時間をかけて、融合していったのです。それが後に力となって今、海外から人を呼び込み、
今も土地の気質なのか、突発的に個人の強い技術人や芸人が生まれます。
神を鎮める為に。寄り添う為に。
先を見通し、更に人全員の涙を理解する神も笑えていないのかもしれません。
でも中にはその怖がる神の為に泣く人間も。
人が恐怖を忘れる瞬間を創るために。
人のささやかな抵抗として技があり芸がある。
体で証明するために、毎日の破壊と再生が続く。
P.S 先日南千住の線路工事の際に、江戸の刑場の後と思われる所から
処刑されたとされる数多くの人骨が出土しました。
新選組の最後があった場所でもありますから。ご報告までに。