「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という格言がある。
いま有事すら警戒せざるを得ない情勢下において、私たちがなすべきは過去に学ぶことではないだろうか。
日本人なら知っておくべき、戦後動乱時の状況です。
朝鮮半島からの引上げにおいて、どのような悲劇を日本人は受けたのか。
有事勃発のリスクが高まる昨今、紙媒体で綴られた当時の情勢を振り返りたい。
これは令和の世の私たちに託された、
先人たちの、戦中戦後世代からの贈り物です。
お恥ずかしながら、web上の拾い物から、、、となります。
当方において全ての書籍を購入し、それぞれ確認したわけではありません。
引用時における誤字脱字等、チェックしきれておりませんので、その点はご容赦を。
代わりに、検索できる限りの書籍情報を調査し、
存在が確認できるものはamazonのリンクを付すと共に、ISBN等の書籍情報を掲示しております。
実際にソースを確認したい方は、ISBNを元に図書館を利用するか、購入のちご自身でご確認をお願いいたします。
※ 本記事は2015年3月28日が初出、2017年4月17日に再掲したものの再投稿になります。
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(OGP画像)
朝鮮戦争の真実―元人民軍工兵将校の手記
朱 栄福著
そもそも朝鮮は、朝鮮側からの要望もあり日本統治され、
発展し、朝鮮人の寿命が伸びた事実があります。
戦時中は、共に戦いましたが、
日本が負けた事を知るとソ連の戦争参入に便乗して日本人を虐/殺したり、
日本人女性が強/姦されたりした事は、紛れもない史実です
台湾 にいた日本人は、台湾 人と涙ながらに別れて引き揚げて来ました。
しかし、朝鮮半島からは、「命からがら」逃げて来たのです。
終戦1週間前の1945年8月8日、
ソ連が日ソ中立条約 を破って対日宣戦を布告して満州と朝鮮に侵攻して来ました。
窓も門も開け放しのまま去った
日本人の空き住宅、商店、倉庫等にアリのように人間が群がった。
家財、衣類、食器、装飾物、楽器、娯楽品、靴、傘、書籍、自転車、
あらゆるものをかっさらい運び出すのに忙しかった。
町全体が怒鳴り合い、奪い合い、誰もが目を皿のようにして走っていた。
ある人はトランクを担いで逃げる。
皆走る、ぶつかる、ののしる、宝物を求めて、より大きい高級住宅に入る。
引揚げの惨事は北朝鮮 だけに起こったのではない。
南朝鮮(韓国 )においても、日本人に対し朝鮮人はあらゆる悪事を働いた。
北と南に民族性の違いはないのである。同じ朝鮮人、当然でしょう。
(書籍情報)
朝鮮戦争の真実―元人民軍工兵将校の手記
朱 栄福著
単行本: 454ページ
出版社: 悠思社 (1992/10)
言語: 日本語
ISBN-10: 4946424350
ISBN-13: 978-4946424359
発売日: 1992/10
正論 2005 年 11 月号
引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐
北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、
辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
そこで見たものは、日本人の娘が次々にまずソ連兵に犯され、
ついで、韓国の保安部隊に引き渡されて、更に散散にいじめられたうえ、
虐殺される光景であった。
朝鮮保安部隊の略奪と暴行は、残虐を極めた。
夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、
17 になる娘を父親からひったくるように連行。
娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
皆、ソ連兵を韓国人が案内したのだった。
部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、
金や着物や米などが取り上げられた。
一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。
城津での惨状は言語に絶した。韓国 人の男女が数十名の団体で押しかけ、
干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、
あげくは婦人の「提供」を要求した。
(書籍情報)
正論 2005 年 11 月号
ASIN: B008X42I4Q
発売日: 2005
寸法: 21.4 x 14.6 x 1.8 cm
生きて祖国へ〈5(朝鮮篇)〉死の三十八度線
引揚体験集編集委員会編
日本敗戦後一年が過ぎても北朝鮮 内の日本人の移動は禁じられていた。
筆者のグループは賄賂を使ってトラックを雇い南朝鮮への脱出を決行する事になった。
昭和21年9月中旬、朝鮮警察のトラックを使用する。
料金は一人千円ということで、赤ん坊も含めて、私は六千円を支払った。
市辺里で全員トラックから下ろされ、後は徒歩になったのだが、
牛車が2台待っていて使用を強制され、荷物を載せて身軽で歩いた。
牛車代は多額が要求され、次の部落では次の牛車に載せ替えられて
また金を巻き上げられる。山の中腹に煙が見えた。
そこはチゲ部隊の交替地であった。
もうこの頃には、醵出する金は無くなっていたが、物でもいいと言われ、せっかく、
わざわざここまで運んできた物を大部分取上げられてしまう。
稜線まできたチゲ部隊に、
「こんな少しばかりで、お前ら、日本へ帰れると思うのか。もっと出せ出せ!!」
と威かくされ、残りの物まで投げ出し、疲労困憊の老幼男女は、狂気のように
この38度線の山稜を駆け下る。
(書籍情報)
生きて祖国へ〈5(朝鮮篇)〉死の三十八度線
出版社: 国書刊行会 (1981/06)
ASIN: B000J7X8U8
発売日: 1981/06
寸法: 20.4 x 14.2 x 3.6 cm
私の三十八度線突破記録
梶山緑
文坪の町も日に日に治安が悪くなっていた。
しばらく鳴りを潜めていた朝鮮過激分子の跳梁が始まってきた。
元山でも朝鮮人が暴徒と化して、日本人経営の店や住宅にまで押しかけて
暴行、略奪を始めたという噂が入ってきた。
ソ連兵は保安隊員の先導で日本人の住宅地区にやってきて、
家中を物色しありとあらゆる家財道具を略奪し始めた。
その内のめぼしい物がなくなってくると今度は、
「女!女!」と言って若い女性を連れ出すようになってきた。
私達若い女性は、頭髪をぷっつり切り落とし丸坊主になり、
貧しい男の子のように薄汚れた服を着るようにした。
ソ連兵や保安隊員が来ると、いち早く床下に隠れたり、
前もって準備して掘った穴に身を潜めた。
・・・私の三十八度線突破記録 梶山緑
(書籍情報)
こちらは書籍としては刊行されているかは不明。
平和記念展示資料館(総務省委託)において、以下のようにpdfで公開されていた。
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/12hikiage/H_12_356_1.pdf
韓国・朝鮮と日本人
―韓国・朝鮮人の嫌いな日本人 日本人の嫌いな韓国・朝鮮人
北鮮に入って来たソ連軍は、満州におけると同様、
略奪、放火、殺人、暴行、強/姦をほしいままにし、
在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられる事になった。
白昼、妻は夫の前で犯され、
泣き叫ぶセーラー服の女学生はソ連軍のトラックで集団的にら致された。
反抗したもの、暴行を阻止しようとした者は容赦なく射殺された。
ソ連兵に触発された朝鮮人の暴行も多かった。
富坪の避難民3000名中、その半数が死/亡した。
一日も早く引揚げさせてくれという要望はソ連軍当局によって無視され、
日本人はただただ餓死を待つよりほかない状況に追い込まれた。
在留日本人社会では「38度線さえ越えれば」というのが唯一の悲願となった。
やせこけた身体に乞食のようなボロ をまとい、
山を越え谷を歩き強盗にささやかな所持品を奪われ、歩哨の銃弾に倒れ、
人々は南に辿り着いた。
(書籍情報)
韓国・朝鮮と日本人
―韓国・朝鮮人の嫌いな日本人 日本人の嫌いな韓国・朝鮮人
若槻泰雄(著)
単行本: 347ページ
出版社: 原書房 (1989/10)
言語: 日本語
ISBN-10: 4562020733
ISBN-13: 978-4562020737
発売日: 1989/10
商品パッケージの寸法: 19.2 x 13.2 x 3.2 cm
「大東亜戦史 8 朝鮮編」
池田佑編 富士書苑
悪夢のような数日の怒りがこみ上げてくるのであろう、
「畜生、ロ*ケのやつ」「山賊朝鮮人め!」髪を振るわして、
朝鮮人の顔役がズラリ顔をそろえてやって来て、打つ、蹴る、殴るの「見せしめ」が始まる。
この日も悪い奴がやって来た! と思ったが、炊事当番の人々が知らぬ顔をしていると、
「負けたくせに生意気だ」と食って掛かって来た。
あまりの雑言にきっと目をすえると、「これでも食え!」と言いざま、
足もとの土砂をすくって、パッと味噌汁の鍋にたたきこんで逃げていった。
久しぶりのご馳走というので、窓、窓には笑顔が並んでいたが、
この光景に、窓の表情はたちまち青ざめた憤りに変わった。
今日もまた「命令」と称して朝鮮人のトラックが乗りつけて来た。
カーキー色のものは服といわず靴といわず、一物も余さずかっさらって行く。
これらは軍需品だから没収するというのである。
これから寒さに向かうというのにシャツ1枚でも無駄にはできない、
その貴重品をトラックに山積みにして今日も引揚げていく。
避難の人々は、最後の1枚を没収されないためにチエを絞り出した。
明日もまた現れるであろう没収団の為、有り合わせの染料で他の色に染め変えてしまった。
その翌日、朝鮮側の命令は例のとおりやってきた。
一同は一夜で変わった黒や青色の服で列を作ったが、
予想に反して今度は服装には目もくれず、意外な命令が言い渡された。
「今度は一切の所持金を提出しなければならない。
もし、この命に違反し、一銭といえども所持していることが後で分った場合は銃殺される。
では、本日ただちに提出するように」有無を言わせない強制処置である。
今後何か月かかるか分らない長い苦難を前に、金こそは命の綱である。
その命の綱を一銭残らず供出したら
――今までに子供がおなかをすかせれば芋の一つも買ってやれたのに、
無一文は死の宣告も同然である。
しかし、銃殺で脅かされた一同は、泣く泣く最後の一銭までも提出してしまった。
その夜、カユをすすった避難民一同は絶望の中に寝られぬ夜明けを迎えた。
その朝も、恐怖の的である命令が来た。
1日1日この命令で心臓を締め付けられてきた一同は、
伝令の姿が現れると、もうそれだけで体が震え出した。
「命令」冷厳な、その命令は疎開本部代表に針のような鋭さで伝達された。
「17歳以上、50歳までの男子は、ひとり残らず軽装で集合せよ」
十分の猶予が与えられて男子は校庭に集合した。
この部隊はそのまま朝鮮保安署に連行された。
残された婦人たちは「いつもの使役だとよいが…」と冷たい雨の中を去っていく
男子部隊をいつまでもいつまでも見送っていた。
この雨中の別れが、長い長い別れとなった。
この男子部隊はその夜、移駐を命じられ、遠くシベリア送りとなったのである。
(書籍情報)
大東亜戦史〈第8〉朝鮮編 (1969年)
池田佑編 富士書苑
417ページ
出版社: 富士書苑 (1969)
ASIN: B000J9E2V0
発売日: 1969
商品パッケージの寸法: 19.6 x 16 x 3.4 cm
<紙の力>
ネット全盛の現代でありますが、紙には紙の力がある。
書籍として刊行されれば国会図書館に収蔵され、かつISBNを始め付番が振られます。
いまでは入手困難になった物も多数あるかと思いますが、
それでも、困難であったとしても、それでも。
どこかの屋根裏、倉庫に眠っているのです。
少なくとも国会図書館には、一冊は存在する。
一度、発刊された書籍。
「紙」を全てなかったことにすることは、極めて難しい。
かつて独裁者ら、また近代においては共産主義者らが「焚書」を行いました。
それほどに紙には紙の力があるのです。
<紙の優位性>
スマホと異なり、電池がなくとも機能を満たせます。
パソコンより軽く、携帯性に優れ
パソコンより衝撃に強く、頑強な情報メディアであり
発火しない限りは熱への耐性も強く、「機能」を満たす。
冗談で言っているのではありません。
これは本気で言っております。
理系の、元技術屋として、事実として本心から述べております。
特に、ソースとする場合は優位である。
ブログ等の電子媒体と異なり、「誤字修正」すら受け付けぬ。
出版社・著者ともに法的責任を負う。
出所が確かで、追跡可能であり、
かつ、確認の手段は(ネットメディアに比較し)煩雑とは言え、誰しも確認が可能。
紙には紙の、優位性がある。
<先人からの贈り物>
日本人なら知っておくべき、
戦後動乱時の状況です。
書籍情報をご覧ください、どれほど古い本をソースとしているかを。
カテゴリが古書となっているものもある。
これは令和の世の私たちに託された、
先人たちの、戦中戦後世代からの、贈り物です。
我が国には、祖先がおります。
誇るべき祖先がおります。
いまの世を生きる者として、
多くは鬼籍に入ったやも知れませんが
先人らの思いを、託された物としてしっかりと受け取りたく思う。
<孤独な戦いであったと思います。>
左派メディアが全盛、ネットの援護もない時代。
見向きもされずとも、記した先人たちがいる、著者の意地。
多くは採算を度外視して刊行されたのであろう、出版社の意地。
戦場に倒れた戦友を思ってだろうか。
戦火に焼かれた家族を思ってか。
孤独な戦いであったと思う。
それら出版社の意地、執筆陣の意地。
報いるため、いま私たちができることやろう。
それぞれの立場で為すべきことを為そう。
為すべきことを必死に行った先人らが、私たちにはいるのだから。
時代を超えて、一人じゃない、と。
孤独じゃないと、ありがとうと、思いを込めて。
一人でも多くの方に、血の滲むこれらのテキストを伝えるべきだと感じた人は、それぞれの思いをもって拡散をお願いします。
一歩、前に出る勇気。
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共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
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先日の話ですが、九州地方では豪雨災害が発生し、亡くなられた方も出てしまいました。
この九州地方の豪雨災害のニュースは韓国でも報じられ、その反応は「嬉しい」「喜ばしい」「天罰だ」「反省しろ」と言った心無いものが大半でした。
まぁ、その直後に韓国でも豪雨災害が発生し、九州以上の被害を齎していましたが。
この韓国での豪雨災害の韓国国内での反応と言えば、「嬉しい」「喜ばしい」「天罰だ」「反省しろ」と言ったものとは、全く真逆のものばかりでした。
上記を鑑みるに、本文中で紹介されて居るアノ民族の残虐性は今も受継がれ、いつそれが現れるかと言った状況にあると見ても良いでしょう。
いくら此等を紹介し学ぶ機会を作っても、学ばない人は学ばないでしょうし、聞く耳も持たないでしょう。
実際の所「警告はしたからね」としか言えない現実問題もあります。
突き離す様で忍びないですが、運悪く牙が食い込んだ人は自己責任として受入れて諦めるしか仕方が無いのでしょう・・・。
本当にね…。終戦後にGHQが教育の現場や役人などに戦前は排除されていた左翼を送り込んだが為に日本はアジアに悪い事をしたと自虐史観を植え込まれ本当は何が有ったのか、何をされたのかは戦後長い長い間伏せられて来たままでした。もしまだネットが普及してなければ日本人は何も知らないまま、そんな本があることも知られずにいたでしょう。
≫上記を鑑みるに、本文中で紹介されて居るアノ民族の残虐性は今も受継がれ、いつそれが現れるかと言った状況にあると見ても良いでしょう。
私もそれはずうっと思っています。よく言われる事ですが中国には残留孤児が居たけれど、半島には一人も居なかった…という事は推して測るべしの事ではないですか。だって台湾からの引き揚げ者は皆、無事に帰って来てるんですよ。朝鮮からの引き揚げ者で朝鮮人やロシア人に強姦された女性達の墮胎手術を施していた『二日市保養所』の事も日本人は知らずに来たでしょう。やっと釜山に辿り着き引き揚げの船に乗ったものの本土の陸地が見えて来たら汚された体で日本の地は踏めないと海に身を投げた女性達も居るんです。
口を開いたら差別が〜!人権が〜!と被害者ぶるあの人達ですが、いやそんな酷い目に合わせられてるんなら日本から逃げて帰るでしょ!としか言えない。拉致されて連れて来られたわけではない、止めた事も一度もない。実際、朝鮮戦争勃発で中断していたGHQの帰国事業を再開させようとしたら李承晩が自国民を棄民にして引き取りを拒否したからで、本来なら吉本茂首相の嘆願でGHQが一人残らず半島に帰してやっていた民族です。李承晩は竹島漁民を返してやるからと引き換えに刑務所の朝鮮人重犯罪凶悪犯罪者まで野に放てと要求し、日本政府は従いました。凶悪犯罪者もそのまま送還も囚えられもせずに、その数百人が日本社会に紛れ込んだままにされました。帰れ〜のどこが差別なんでしょうね?差別だ、人権だと口に出す事もなく嬲り者にされた日本人は逃げ出しましたけどね。
名無しさん
★大阪には【戦争屋敷】ってのが沢山ある。
戦後のドサクサで日本人を次々と大虐サツをし、その土地(駅前の土地)を乗っ取って来たのが全ての在日韓国・朝鮮人だ。
戸籍と土地を丸々盗んで居付いたのが全ての在日韓国・朝鮮人だ。丁度、戦後竹島を武力でそこに住んで居る日本人を大虐サツして不法に奪ったのと100%同じ凶悪な事をしてきた。
こんな悪質なテロリストを受け入れる理由は無い! 被害者である日本人がもっと声を大きくして加害者である全ての在日韓国朝鮮人に対して毎日抗議すべきだ!
ところで、ネット情報によると「在外同胞庁」なるものをユン政権が設立したとか…。当然、海外の同胞の為の機関で兵役に呼び戻すのか、何をしようとしてるのか知りませんが、韓国は世界最速のスピードで人口を減らしている国らしく兵隊の数も足りないのかなと思います。移民として受け入れてはいないのに、何で勝手に自分らで入り込んで来て居座ってるのか、日本人からすれば丸っきり理由が不明の人達です。国交回復の1965年の日韓基本条約内の在日の地位協定では、永住許可されてるのは二世までの筈。日本が無理矢理に連れて来てはいないのだから日本側には保護してやる義務は無いのに三世以下に特永を与えてやり、その上、外国人に与えてやってる生活保護費、年間1200億円の内800億円もこの民族に与えられているのが、国民からすれば理解し難いおかしな話。「在外同胞庁」なるものに交渉して引き取って貰うべきでは?朝から晩までネットに張り付いてネトウヨ〜ネトウヨ〜と口汚く日本と日本人、皇室を罵り害為す以外何もせず、生まれた時から死ぬまで生活保護ですよ、この民族。
🔻”引き揚げ後、父が働いていた二日市保養所。ソ連兵に暴行された女性の中絶手術が秘密裏に。「4、5百件」と医師の証言。国も黙認していたようだ〈証言 語り継ぐ戦争〉
https://373news.com/_news/storyid/144146/
2021/09/27 11:00″
戦中、朝鮮半島で撮影した山本幸子さん(右)の家族写真
■山本幸子さん(96)
1946(昭和21)年9月、引き揚げ船は長崎県・佐世保に到着した。検疫のため港外で1週間停泊後、やっと下船すると、いきなり頭から白い粉を吹きかけられた。シラミを駆除する殺虫剤DDT。息もできず、ひどい仕打ちだと思った。
女性だけ集められ、「何らかの不幸な目に遭った方は、国が責任を持って秘密を厳守の上、治療して元気な体になって故郷へ帰します。遠慮なく申し出てください」と告げられた。この言葉に救われた人もいただろう。
父の知人と偶然会い、両親が二日市(現福岡県筑紫野市)で待っていることが分かった。大きな梨を買い、貨車内できょうだい3人、流れる果汁と涙を拭いながらほお張った。未明に着いた博多駅には大勢の人が床やベンチで寝ていた。街も空襲で破壊された建物があちこちに放置されたままだった。
1年2カ月ぶりに両親と再会。無事に妹と弟を連れ帰り、重い役目が終わったとほっとした。涙も出なかった。
父は二日市保養所で働いていた。引き揚げ時に旧ソ連兵らに暴行され、妊娠した女性の中絶手術が秘密裏に行われていた。国も黙認していたようだ。
「戦後50年 引揚げを憶う(続)証言・二日市保養所」(引揚げ港・博多を考える集い発行)という冊子がある。手術に当たった医師や看護師らの思いや写真が掲載されている。医師は「中絶数は4、5百件」と証言する。
「吸入麻酔薬も入手できず、中絶手術を無麻酔で行った。患者さんは皆、よくぞ苦痛に耐えた」「赤ん坊の泣き声を聞くと母性本能が目覚めるので、声を聞かせないよう幼い命を始末したがバケツの中で息を吹きかえし泣き声を挙げることも」とも記されている。
保養所にはトラックで女性が運ばれてきて、中には子連れもいた。父は医療用の物資集めや畑作業の加勢をしていたようだ。私たちは木造2階建ての一室に暮らしており、なるべく患者さんに会わないよう、邪魔しないようにしていた。敗戦でつらい目に遭うのは女性。最近のアフガニスタンのニュースを見ても気の毒でならない。
2004年に86歳で亡くなった夫の実は戦後、旧ソ連のジョージア(グルジア)に抑留された。日本人捕虜の中にも新しい力関係が生じ、食べ物を巡って本性をあらわにする人もいたという。わずかな食事と過酷な苦役で栄養失調となり、2年で送還。鉄路で運ばれる途中、命を落とした同胞は原野に投げ捨てられていったそうだ。現地では「昔日本人に親切にされた」という住民から夕食に招待されたこともあり、人の真心は国境を超えて通い合うと語っていた。
夫とは朝鮮半島で家族ぐるみの交流があり、引き揚げの道のりはそれぞれだった。二日市保養所の閉鎖後、父の古里大分県で教員をしていた時、共通の知人から鹿児島に戻って入院していると聞き、見舞いへ。縁あって結婚した。穏やかに過ごせるありがたみを感じる。
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北朝鮮からの引き揚げが始まった。女性と子どもばかりの一行は徒歩で進む。村落には関門。腕時計など“貢ぎ物”を差し出し通してもらった〈証言 語り継ぐ戦争〉
…………………
あのね、この恩知らずな民族にホワイト国復帰とか、ドルスワップしてやるとか。自虐史観まみれの戦後レジームを継承して行きたい宏池会政権が本当に嫌なんですよ。ネットで何もかも真実の歴史を知ってしまった、だから安倍政権の支持者だった岩盤支持層が離れてしまうのは当たり前なんですよ。旧来型の政治家にしろ、官僚にしろ学ばないにも程があるでしょう。
恥ずかしい間違いを診つけました。
吉本茂首相の嘆願で→吉田茂首相
こういう憎悪を煽る記事ってどうなんでしょうか…?未来志向の記事を読みたいですね
戦前から現在に至る迄、日本に対する憎悪を一部が煽りまくった結果、日本サイドが被った被害の実例を紹介しただけですから、日本としての自衛策を策定するにあたり、非常に有用な記事です。
これ程、未来志向な記事もないでしょう。