今日は、文化の日です。
この名は、法で定められたものではあるが、私は気に入らない。
正しくは明治節。
私はその名で呼びたいし、「明治の日」に改名したい。
明治天皇の誕生日、かつては天長節でもありました。
今日、どうしても述べておきたいことがあります。
伝統文化の破壊と、GHQの影。
本当に、現代日本において「魂」は潰えたのか。
重要な訂正)
本エントリは、過去記事(2015年)の再掲になります。
本稿公開時において『今日から入院だ、明日から何も食べれない。お肉もお菓子もダメなのだ。』という個所まで転載してしまいましたが、当時のことであり、令和5年のことではありませんでした。多方面に対して多大なご心配をおかけしてしまい大変申し訳ございませんでした。ここに謹んで訂正させて頂きます。
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クリスマスケーキを買おうとは言わないが、
よその国のキリストなる方の誕生日は、没後もあれほどに祝うのに、この差はなんなんだ。
天長節イブ、明治節イブがあってもいいではないか。
私は甘党だ。
よって、ケーキ食べたい。
お菓子メーカーもですね、
是非、天長節や明治節にあわせてケーキを売り出して頂きたい。
私は、なんであれ、甘い物が食べたいのだ。
キリストばっかり、ずるい。
子供は、玩具をもらえるから嬉しいのだろう。
隠すまでもないが、かく言う私もその一人であった。
「クリスマス」なるシステムは、本当によく出てきている。
子供を巻き込むことで、全年齢対応である。
幼児期 ← 玩具とケーキ
小学生 ← クリスマスパーティー ※1
中高生 ← 甘酸っぱい恋 ※2
大学以降← 一部は性なる夜 ※3
親の世代← 玩具を買わされる日
祖父母 ← 孫をニヤニヤする日
特記:
※1 どら焼きとコーラ等。いつもの小学校の同級生で、クリスマスらしさなどはなかった。
※2 個人差がございます。俺にはなかった。
※3 個人差がございます。俺にはなかった。
商業など)
メーカー← ケーキと玩具の生産
店舗 ← 各種の販売、ブランド等も。
バイト ← 休めなくて大変。時給アップ。
イエスキリストばかり、ずるいではないか。
明治天皇ご自身の心のうちをおもんばかることはあってはならないし、不服である!等は思われないだろう。
ただし、キリスト教の、あのイエスさんの誕生日はこれほどに祝うのに、
我が国の国民としては、明治大帝の誕生日を盛大に祝えないのは、寂しい。
ならば!
「明治の日」にも玩具のセールをしよう。
包装紙には、宮内庁と書けるよう、菊の御紋(さすがに一重のほう)を入れれるよう、玩具業界はロビー活動を展開してはどうか。
私は、そんな動きがあれば協力したい。
(多事争論あるだろうが、本当に手伝うと思う。)
菊の御紋のはいった、少しハイカラなどら焼きなどどうか。
漁村そだちの私には、洋風の菓子が与えられることは、多くはなかった。
和菓子でもなんでも、子供には関係ない。
甘ければいいのだ、私は今でもそうだ。
爆発的な影響をもつのが、大学生ぐらいの世代だ。
ネットでリア充と言われる層が「お洒落!」と思うと、それは一気に浸透していく。
ファッションリーダーというか、あの人の真似したいな、って感じの。
そういう人たちが「お洒落に明治節」「お洒落に天長節」を楽しむ風土。
ドラマでも格好のよい日として放映しよう。
女性「今日はクリスマスなのよ!」とか、
女性「今夜はクリスマスなのに!」とか、
悲しそうな音楽かけて、雪とか舞ってれば、だいたいいい感じなのではないか、よくわからんが。
女性「今日は明治節なのよ!」とか、「今夜は明治節なのに!」とか。
そんな感じで、ドラマにも採用していって、こう、いい感じの音楽かけて
雪とかふって、「駄目だよ」とか「待って」とか「ぎゅっ」とかすると、それでOKな気がする。
以下は、私のドラマに対する扱い。
正直、こういう感動系?は、よくわかってない。
甘党の政治家が語る、ドラマ論
とは言え、中高生以降、大学生程度の年代に訴求した場合、注意も必要だ。
性なる夜にされては、たまったものではない。
このあたりはさじ加減が難しい。
まずは、どら焼きと、玩具で行くしかないだろう。
イエスキリストばっかりずるい。
幕末の動乱から、日本の近代を築き上げた明治天皇。
私たちは、イエスキリストよりは、だいぶ世話になっている。
もっと祝ったほうがいいし、クリスマスに負けているのは気に食わない。
そして、文化の日という名であることが気に入らない。
それが法で定められた名であることは承知の上で、
だったら「変えるべきだ」と言いたい。
今日は明治節で、明治の日に法改正すべきだ。
ルールを変えたいって原動力がさ、
政治家の原風景にはあると思うんだ。
だから堂々と言わせて頂く、
今日は「明治の日」でありたい日だ、と。
ここからは同様の内容を、硬派に書いてみます。
崩御後は明治節となり、四大節の一つ、明治から続く重要な祝祭日でした。
それぞれに意義があり、歴史的な背景を国民は共有していたそうです。
それは、
国家が国家としてあるため、
我が国が我が国であるための、
日本が日本であるための、
必要な記憶であったと考えます。
「あったと考えます。」
と書かざるを得ないことが悲しい。
私には、その記憶はなく、その思いを共有できてはいないからだ。
知識として触れるのみで、思い出として身体に刻まれてはいないのだ。
そこにあるのは、伝統を文化を失った悲しみ、寂しさである。
「国民の祝日に関する法律、通称:祝日法。
昭和23(1948)年7月に制定された法律です。
新年・紀元節・天長節・明治節の四大節のうち、
新年と天皇誕生日は残されました。
しかし紀元節はなくなりました。
明治節は現行憲法公布の日とされ、意義を変えて残されたのでした。
これが文化の日です。
もしくは「みどりの日」を覚えておいででしょうか?
かつてあった祝日の名です。
最近は聞きませんよね、それはなぜでしょうか。
昭和天皇の生誕祭であった4月29日は、「みどりの日」という祝日として残ります。
その後、昭和天皇誕生日の由来を残す意味から、みどりの日を「昭和の日」に改称しようという動きが出てきました。
平成17年 祝日法改正。
平成19年 から施行されています。
昭和天皇誕生日は、みどりの日と名を変えるも、昭和の日とすることができたのです。
では、文化の日は、明治の日とすべきではないでしょうか。
「正しい形に戻す」のです。
明治天皇誕生日は、現行法では文化の日とされていますが、
「明治の日」というあるべき名に戻す。
魂を取り戻すために、名を取り戻す。
日本の心を、少しずつ取り戻す。
明治時代に思いをはせる。
明治維新、無血開城。日本の近代を論じる上ではずせない時代であります。
私は佐幕派で、新撰組のファンでありますが、どっちも頑張った。
ユダヤがどうとか、実はこっちが、とか。色々と言う人はおりますが、どっちも頑張ったでいいじゃないか。
国際情勢は激動の時代。
その中で国家国民を護り、近代国家としての礎を築く。これほど、我が国にとって意義深い年号です。
明治維新から150年が経過しました。
政治の動きが弱いことを情けなく思う。
国民世論にも期待したい。
ただし、私はやはり理系であり、この分野においても定量化された数字を求めたい。
シェアにおいて、知名度において、負けることがあってはならない。
・具体的には、イエスキリスト氏の生誕祭。
この日は前日までイブとして祝われるが、やはりライバル視せざるを得ない。
祝わないだけで彼女はキレ、帰宅が遅れるだけで怒られる。
しかもヒゲとかつけて、赤い服まで毎年切る羽目になる。
還暦の赤いちゃんちゃんこだって人生で一度なのに、毎年だ。
・イエスが強敵
そう考えると、キリスト氏の影響力というのは馬鹿にならない。
なぜ日本人がここまで感化されているのか理解に苦しむが、
そんなことを女性に言えば、確実に怒られるだろう。
なにがロマンチックなのか、まったくわからない。
・お勧めしない。
同様のことを「言ってやる」と強く思った方は、たぶん彼女ができない。
少子高齢化に立ち向かうため、どうか譲歩して頂きたい。
世の中には奇跡も起こるのだろうが、そこは譲ったほうが双方にハッピーだ。
・クリスマスに勝つために!
さて、クリスマスとの対抗であるが、ここでシェアを盛り返すためには
単に明治の日とするのみでは足りない。
特にクリスマスという制度は極めて重厚に構築されており
全年齢型で、各年代ごとに利益を目の前につるし、かつ楽しませることに成功している。
そして生産部門(メーカー)にせよ、販売部門(店舗)にせよ、ドラマなどの広報関係にせよ、各業界を潤わせている。
クリスマスにバイトに駆り出されることは、喜んでいいかは判断に迷うが、
時給もなんぼかあがるだろう。
気合では勝てない。
ここに「明治の日は大事」と、新興宗教の念仏よろしく唱えたところで勝てはしない。
保守の自己満足に過ぎず、影響を与えることはできない。
目的が「日本のことをこんなに考えています!」とアピールし
自身のプライドを満たすだけの方はそれで良い。
そのまま行ってください、否定もしませんし、それはそれで助かります。
しかし。
私は、本当に「明治の日」を国民の心に広めたいと思う。
よその国の宗教の、ひどく昔の誕生日を全力で祝う、謎の国。
日本人が明治天皇の誕生日を、日本で祝う。
本来、負けるはずもないのだが、クリスマスに勝つためには手段も考える必要がある。
イエスキリストの誕生日であるクリスマスよりも、
明治大帝の誕生日を祝いたいじゃないか。
本気でやるなら、理念を念仏のように繰り返しただけではダメだ。
現実は、本当に厳しい。
冒頭、ラフに書いた部分。
菊の御紋をいれたどら焼きであるとか、
玩具のセールの包装紙に「宮内庁」と印字するとか。
それはまぁ、冗談であるが、そうでもしないと「難しい」という現実も認識しておきたい。
※冗談とした理由
この路線で論を進めて行くと、サンタの代わりに明治大帝のコスプレが必要となる。
ヒゲの販売についても言及せざるを得なくなるが、流石に不敬だろう。
また、明治大帝コスプレセットがコンビニで売られる世界を、私は目指しているわけではないためだ。
問題は、クリスマス的なイベントを目指した場合、
その存在が「軽くなりすぎる」危険性である。
・キリストも困っているはず。
このエントリは、別にイエスさんを悪く言っているわけではない。
キリストも、困っているはずだ。現在の状況は不服なのではないか、私は知らないが。
・私なら、困る。
少なくとも、私は困る。
私は自分の誕生日を、まったく関係ない国の国民に、全国的に祝われても反応に困る。
どんな顔をしていいかわからない。
苦笑いしながら、ありがとう、と言うかもしれない。
「小坪誕生日おめでとう!」と言って、子供に玩具を配ってみたり。
私は、(なぜ俺ではなく)子供に玩具を与えたのか?という疑問を、私ならば持つだろう。
ヒゲつけて、赤い服のコスプレして。小学生がパーティーしてみたり。
いやいや、ちょっと待てよ、と思う。
さらに!
「小坪さんの誕生日だから!」とか「小坪議員の誕生日の前日だから!」と、女性を口説いてみたり、、、
「小坪議員誕生日に彼氏がいないとかありえない」と言われる。
さらには性なる夜などと言われても、「俺は関係ない」と言いたくなるだろう。
キリストもいい迷惑である。
シェア拡大を目指し、国民への浸透を目指した場合、
保守のいままで通りのやり方では無理だと考えているのだが、
イベント化することは効果的であってとしても、
それは両刃の剣であること、デメリットや危険性も内包していること、
忘れずに生きて行きたい。
カンの良い人は、お気づきのことかと思います。
ラフに書いてみたり、冗談交じりに書いてみたり、硬軟あわせて書いたのは
「まさに、そういうこと」であります。
伝統を堅苦しく論じるだけでは、誰にも伝わらぬし
保守同士が「なるほど!」「なるほど!」と言い合っても、クリスマスには勝てないのだ。
ならば。
ならば、どうするか、というさじ加減。
少しラフしてみたり、ラフにし過ぎると不敬かな、と思って見たり。
そのさじ加減を、まらにエントリで表現してみた、という記事です。
答えは、結果的には教育となるのでありましょう。
ただし、それは長期的な目線であり、短期・中期の手段は、検討がつかない。
さじ加減も難しい。
文化の日を、明治の日に。
我が国の戦後を終わらせ、我が国が我が国であるために。
日本を取り戻すために。
そして、それは名を変えることのみでは済まぬということ。
身のあるものとしていきたいが、教育がこのざまでは、イベント化も視野にいれる必要がある。
クリスマスに負けていることを、本気で悔しがれ!
受け入れている場合ではない、ケーキは食べるけど。
一歩、前に出る勇気。
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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)
賛成します。そればかりでは有りません。
敗戦後のGHQにメチャクチャにされる以前の【伝統的呼称】に回復すべきだと考えます。
【新年】は流石に潰せなかったが、【天皇誕生日】は【天長節】、【文化の日】は【明治節】
、改称なった【昭和の日】も【昭和節】に再改称すべきですし、【勤労感謝の日】等は【新嘗祭】で有る事すら戦後世代は、知らない有様…西洋で言う所の【収穫祭】で有り、『米を主な糧として生き抜いて来た【神武朝日本國と大和民族】の最重要祝日と言っても過言ではない。』祭事すらGHQの故に…←こう言わねばならないのは、本当に悔しいですが…忘れ去られて仕舞っている。
先ずは、我々自身が、その日の前日にニュース等の報道で『明日は〜節・〜祭の日です。』当日は、『お早う御座います。今日は〜節・〜祭の日です。』と挨拶代わりにして【我國の伝統文化】を再認識する事から始めたいな。と思いますね。
左翼的な【ドロドロしたイデオロギー的非難】から、我々自身が脱却したいです。
同じ敗戦国のドイツは確か60回以上も憲法改正して時代の変化に合わせてるのに「日本人は座して死を待て」の憲法九条を変えずに天下泰平を決め込んでる人達。いっそ「明治の日、明治節」にするのを国が転覆するみたいに騒ぐあの人達を「嗤ってやる日」にするのはどうでしょう?パヨクとか❛市民❜と言ってる人達の反対の事をするのが日本にとっては正しいのだと、いつになれば日本政府は学べるんだろか。
明治天皇は大帝と仰がれた尊い御方でした。冷厳で卓越した眼識と理性、天照大御神の遍く光で民を慈しまれ、長い眠りから醒めて開国と言う一大事で揺らぐ混乱の時代に国の行く末を見定め率いられた、知れば知るほど現人神の顕現かと見紛うばかりの陛下でした。あの時代にあのような御方が我々の国に居られたのは何万分の一の奇跡かと思える程です。日清戦争の時は遠くで戦う兵士を思い、東京ではなく兵の近くにと広島の粗末な木造の二階建ての住居を御座所とされ、冬は暖炉を勧める臣下に「戦地に斯くのごときもの有るや」と反問され、建物の増築を勧められても「出征将卒の労苦を思わば不便何かあらん」と御自分が楽をする為に建物を増築する事は望まないと断られ、遠くで戦う兵士を思われ戦時を過ごされた陛下でした。(ドナルド・キーン著「明治天皇」第四十五章「旅順虐殺」ヲ目撃ス)
教育勅語にも陛下の御優しさが溢れています。
教育勅語は鎖国を解いた日本が急激な変化で外国の影響を受け過ぎている事を嘆かれた明治天皇の日本人の在り方への思いを託された御言葉なのです。陛下は全国津々浦々、御行幸の際に必ず各地で学校訪問をされ熱心に視察をなさっていました。(ドナルド・キーン著「明治天皇」第三十二章「教育勅語」前夜)
萬世(よろずよ)にうごかぬものはいにしへの
聖(ひじり)のみよのおきてなりけり
【現代語訳】
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。
そして、国民は忠孝両全の道をまっとうして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげてきましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟は仲良く、夫婦は仲むつまじく、友人とは信じあい、そして自分の言動を慎み、人々には博愛の心で親切にし、学問に励み、職業に専念し、さらに知識を広め、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また憲法を大事にし、法律を守り、非常事態の発生の場合には、真心をささげて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。
そして、それらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が遺された伝統的な優れた点を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、皇室の子孫も臣民もともに守るべきものであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国でも、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、このことを自分自身によく言い聞かせ、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
【原文】
朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心を一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育の淵源亦実ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
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十一月三日は大帝陛下が日本へと降りて来られた御生誕の日、民と共に在ろうとされた明治天皇の御代に思いを馳せる日です。
昭和天皇までが、そうだったように天皇陛下には国民の皆さん、ではなく汝ら臣民と呼んで頂きたいです…😭。日本に日本人として生まれたのは特別な事だと思わせて下さるのは日本が天皇陛下の居られる国だからです。
天皇陛下万歳!!
表題からズレてしまいますが…
和田先生がかなり叩かれていて
見ていて辛く感じています…
何と無く?ですが
和田先生が議員で居ると
都合の悪い勢力が居るのでしょうか?