かつて味わった巨大台風の怖さ~堤防が吹っ飛んで、瓦が民家に突き刺さる。多くの電柱がなぎ倒された中での朝


 

 

私が子供の頃の記憶ゆえ、時系列的に誤りもあるかもしれない。
人の記憶とはあやふやな部分もあるのだろう、その上で鮮烈なイメージであったことは付しておく。

実家は旅館で、建築当時は最先端であったはずのコンクリ造の3階建てだった。”であったはずの”というのは、私が産まれる前から祖父が営んでいたものであるため。海っぺたに建っており、まさに堤防上。旅館としては市内で2番目の老舗。

台風なんて”へっちゃら”とは言わないが、建物に対する全幅の信頼みたいなものは子供心にあった。公民館よりもでかい、そして孫が一般に祖父に抱く憧れにおいて「じいちゃんの建物」だという威厳みたいなものがあった。

結論から言うとぶっ壊れた。
岸壁に面した旅館、堤防というのは1m50cm以上の高さはある。これが基部から折れ、建物内に突入したきたのだ。親族や近隣の方も非難していたと思うけれども、危ないということで2階や3階の宴会場や宿泊用の部屋に退避していた。

朝になって見た光景は驚くべきものだった。
破損して吹き飛んだ堤防の残骸、その一つ一つは何百キロもの重量があると思うが、大小の破片(当たれば死ぬサイズ)となって旅館のフロント部分、一階部分を海側から貫通していた。

当然、室内は滅茶苦茶だった。
自動ドアがあったのだけれど、海側から玄関まで、建物内を端から端まで貫通。何もかもが無茶苦茶だった。子供が勝手に思っていただけなのだけど、無敵だと思っていた、全幅の安心感をもっていた建物が吹き飛ぶ状況を前に声がなかった。
当時の感情を思い返すと「なんで??」という、そういう気分。

少し視点を広げて見る。
外に出る、さらに酷い状況だった。小学生が中学生だったか定かでないが、行動半径は広くはない。

小学校までの通学路に三叉路があるのですが、このあたりは旅館が多く密集しており、瓦の建物も多かった。(コンクリ造で瓦がない旅館はうちぐらいだったと思う。)民家の多くも時代背景的には瓦屋根ばかり。

そこでは恐らく竜巻みたいなものが生じていたのでしょう。瓦が吹き飛んで、空中で衝突したのだと思う。吹き飛んで破損した瓦が、暴風にのって様々なものに命中している。もはやガラスがどうとかではなくて、(家ではなく小屋などだったと思いますが)外壁を貫通しまくっていて、穴だらけになっていた。まるで爆撃でも受けたかのように、または重機関銃で撃ちこんだかのような状況。

私に戦争経験はないけれど、それは(火がないことを除けば)ニュースで見た戦火の跡と変わらなかった。バラバラになった破片が近隣の建物に降り注いでおり、命中していたら人は生きてはいなかったんだろうというのは、子供心ながらに分かった。

さらに視点を広げる。
親の車で見た光景、電柱が倒れまくっている。一本二本ではなかったと思う。バッキバキに折れている区間もあった。目の前の日常というか、常識が壊れるというのはこういうことを指すのだと思う。

どの台風だったか記憶はない。どの台風でもここまでになるというわけではないし、直撃は直撃でも、濃淡というのはある。風が凄い台風もあるし、雨がやばくて河川や土砂災害が激しい台風もあるし、巨大であったはずなのに(自分の住んでいるところは)そうでもなかったり等。

私が経験した、超巨大台風は二度のみ。地元にも大被害があった。
いずれも子供のころの記憶であり、大人になってから、議員になってからというのは経験がない。

言いたいことは「危ない」と思ってから避難しても遅い。
避難経路の安全確保ができないからだ。けれども、「あぁ、これは土砂災害で裏山が」とか「河川が確実にもたない」と思ったならば、一刻も早く避難して欲しい。

災害の恐ろしいのは、『慣れてしまう』ことと、『忘れてしまう』ことです。
夕刻の写真や動画になりますが、現在の状況を報告します。

 

 

 

 

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(OGP画像)

 

 

 

 

コンビニは閉まっています。

19時時点で一部のコンビニは閉まっていました。
あけている店舗もありましたが、ガラスに段ボールを貼り付けていました。

 

極めて潮位が高い時間帯で直撃する危険性があります。

風水害が気になって仕方がありません。

 

 

 

 

早めの避難を。
下記は、行橋市の公式LINEで配信された情報です。
保守層からはLINEに対して様々なご意見がありましょうし、私も言いたいことはございますが、シェアを持っているSNSという意味では背に腹は代えられぬ状況でもございます。

 

防災情報
避難所の開設について
台風14号による、暴風、高潮、大雨のため、本日、18日(日)午後12時に、「高齢者避難」を発令し、市内14カ所の避難所(1次避難所)を開設しています。
《開設場所》
1.行橋公民館
2.行橋市中央公民館
3.行橋南公民館
4.行橋北公民館
5.サンワークゆくはし
6.今元公民館
7.地域ケア複合センター
8.仲津公民館
9.泉公民館
10.今川公民館
11.稗田公民館
12.延永公民館
13.ウィズゆくはし
14.椿市地域交流センター

 

防災情報
行橋市からのお知らせです。
台風14号の接近により、行橋市に暴風、洪水、高潮、波浪警報が発令されています。これから夜間に入りますので、不必要な外出や屋外での作業を控えるともに、海や川へは近づかないでください。また、台風が去った後も強い吹き返しが予想されるため、風が止んでも、しばらくは外出を控えてください。

「分からない」は不安なこと。
もしも情報が届かない、聴こえないということがありましたら、以下の番号より。

 

 

 

 

少しだけ言いたい事。発災後の対応、防災復旧の難しさ
行橋市において100条委員会が設置されました。
これは”行橋市の市職員の、公有地の管理が適切だったのか”という、市行政に対する100条です。

そして、その土地は、私の父が所有する土地であり、祖父が起こした旅館の土地です。
堤防が大きく破損し、旅館そのものが大打撃を受けた際、堤防の補修工事を行っています。

 

これは自然災害なのですから、いまの私の感覚からすれば(議員当選後の感覚からすれば)税金で復旧されるべきものと感じます。

しかし、旅館でも保険に入っていたようでして、堤防も含む補修工事は民間のお金(たぶん祖父)で実施されました。早く営業したいという思いもあったのでしょう、当時の市長も現地視察に来たと聞いています。

破損した堤防というのは、そのまま盛っても強度が低下するため、海に張り出す場合がございます。工事としては一般的なことと聞いています。また法においても堤防に面した土地の所有者が、安全確保のために張り出すことは許されると私は解釈し認識しています。(のち勉強しました。)

 

問題とされたのは、その土地が登記されていなかったというもの。方法は二つあり、海面のまま地番なしとして扱うのか、または新たに土地として登記しなおして払い下げ扱いするのかというものだと思います。いずれにせよ国や県の判断になります。

ただ、別の角度の問題として言われたのは、防災復旧工事を民間の資金でやらせておいて(かつ当時の市長らも視察に行っておいて)いまになって祖父の代のことを「創業者の孫が(または土地所有者の)息子が、議員だから」と言われていた点です。

無論、私の当選する遥か前のことであり、議員としての職権を行使しうる立場にはありませんでした。
当時のことは私も資料を調べないと(子供だったので)分からないのですが、少し情報を精査して出してみようと思います。

 

(相手方は海の)公有地の越境とされる箇所は二か所あるのですが、片方は1坪以下です。結論的に言えば、1坪で100条に至ったという事例はどうやら西日本では存在していないようで、議員イジメとしての懲罰的な100条ならば別の問題も生じるだろうというのが他県からの意見でした。

このあたりは実際に国の官僚などに問うてみてもいいかもしれません。
今日この話を書くつもりはなかったのですが、土地の取引が行われた際に、または堤防補修で面積が増えたとされた際に、私は議員ではありませんでした。というか、おそらく有権者ですらありませんでした。そして祖父は既に亡くなっています。

議員として何がしかの力を行使することは不可能で、あたかも「私が100条にかけられた」等の言説を流すことに対する怒りです。あまり自分のことを書くことは控えているのですが、他の議員からすると「民間人(父)を100条にかけたような恰好であり、立付けとしては市職員の業務を取り上げてはいるけれども、物が防災復旧工事であったことも含め、100条の在り方としては異常な方法」という声はございます。

※ 当時、他県の議員(市長会や議長会関係)に相談したため、知っている人は知っている事例。

 

今日、この話をするつもりはなかったのですが、自然災害というのは「起きた後」の復旧も処理手続きが非常に大変です。

防災復旧は本当に急がなければなりません。あのとき、家々はブルーシートまみれで瓦も何も、なかなか手に入りませんでした。急げ急げとやるわけですが、現実の制度設計というものもある。(議員としては関わりはないものの)防災復旧の難しさ、その意味で触れさせて頂きました。そのうち明確に何かを発信することになろうかと思います。

 

今日、言いたいこと。
まずは生き残ること、怪我をしないことが大切です。
身を守ってください。

 

そして、残念ながら被災してしまった方は、私たち市議を含め政治家に頼ってください。
私たちの主たる業務は、(台風が来てしまった後は)残念ながら「起きた後のフォロー」になります。

発災後の補助メニュー等は複数あり、既存制度の中でしかご紹介はできませんが、市政にある程度の見識があれば「こことここは、このメニューで対応できるはず」等のアドバイスができます。市議そのものが予算を持っているわけではありませんが、共に解決方法を模索する方法はありますし、県行政に県議経由でつなぐこともございます。
(県のメニューのほうが良い場合もある。)

 

 

 

不安な夜

弱気になっているわけではありませんが、正直、不安もございます。

「やれる限りの対処」と言っても限界がある。
今日できること、今やれたことは思えば僅かでした。

 

大切なのは「いままで」です。

例えば公民館の防災工事、裏山の修復。
木々の伐採、本当に小さなことの積み重ねです。

避難所たる公民館の備蓄や、それに要する資材の調達。
誰も注目しない、まったく目立たない「準備」が重要です。

これが今までの「備え」です。

 

私は、防災問題を市議として議場でも多く取り上げてきた政治家です。
委員会においても、様々な委員会において防災面からの提案を行ってきました。一部は事業として実現しております。細かいものも含めれば多数ある。

それでも万全とは言えないだろう。
予算上の制約だってある。

 

いま公共工事の話を混ぜて行うのは卑怯だとは思いますが、かつて「無駄な公共事業」と叩かれまくった際にも、道路の重要性、橋梁の老朽化、河川の浚渫、避難所の備蓄、地域住民による自主防災組織の構築等々。

何をやるにしても予算は必要であり、やれたこと、やれなかったこともある。
その制約下で、やれる限りのことはやったはずだ。

はずだ、と信じたい。

 

かつて小学生か中学生のころ、呆然とした私を思い出す。
今度は試されるのは、いまの私なのだ。
あの日の私は、いまの私をどう見るのだろう。

あの時よりも大きな台風なのだという。

 

被害は、奇跡でも起きない限りはゼロとはなるまい。
これは行橋市だけではなく、九州各県を見れば絶対にゼロにはならない。

備えは充分だったか、
そして、その後の災害復旧は円滑にできるだろうか、
自身に課せられた職責を噛み締める。

 

私自身も不安はある、
あそこの裏山はどうだろう、要望を受けていた用水路を工事は終わっていたはずだ、設計値で持つだろうか。海の浚渫は着工していたが、河川の浚渫で完了していなかったポイントがある。市内の中央を川が走っているが、果たして堤防水位は大丈夫か。避難は円滑に行われているだろうか。

考えればキリがない。

 

市職員たちは、厳戒態勢で市役所に詰める。
かつては(特に所管する総務委員会時代は)お邪魔になるかもしれないと思いつつも、私も登庁していた時代もある。当時は市の公式LINEなどもなく(FBのページもなかったと思う)、市の情報発信がなかったため、(少なくとも当時の私は)そうすべきと思ったのです。

 

今夜は防災服を枕元に、眠れぬ夜を過ごすとしたい。
明日以降の、台風後の事務仕事に備えたいと思う。

 

 

※ 気になっているのは太陽光パネル。(建築基準法上野)構造物ではないため、基礎などの強度がそれぞれでバラバラです。少し前の台風でもパネルが飛散し、紛失したことがある。実際に一般質問でも取り上げました。この規模の台風であれば、どうなるかは分からない。

あれは、そのままは廃棄できない(すべきではない)ため、大量の廃棄物が出た際の処理方法についてはスキームがないと思う。平時であれば問題なかろうけれども、破損後も太陽を浴びれば発電してしまうし、迂闊に置いておくわけにもいかない。東日本大震災の際には火災の要因としても指摘されていました。かと言って民間の方に触らせるわけにもいかないし、特にメガソーラーの場合は危険もある。

あぁ、やはり様々なものが気になって仕方がない。

 

 

 

眠れぬ夜を過ごす方も多々おられると思います。

 

どうかご無事で。

 

政治は決して万能ではありませんが、やれる限りのことを背負わねばと覚悟します。

 

行政側の備えは充分だったか、私たちの質疑は足りていたか。

 

設計された各種のメニューは、ちゃんと機能するだろうか。

 

私たち政治家は、本当に人を守り切れるだろうか。

 

奇跡でも起きない限りは、災害における被害はゼロにはならない。

 

運や天に任せるのは、政治家としては失格だとも思う。

 

ゼロにはならないのだろう、しかしゼロにする努力を私たちが怠るわけにはいかない。

 

どうか、ご安全に。

 

いまは祈るよりない、今までの自分たちの事業を信じるよりない。

 

言いたいのは、”いま祈る”よりも「これからも、備えていく」重要性を広めていきたい。

 

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3 Responses to かつて味わった巨大台風の怖さ~堤防が吹っ飛んで、瓦が民家に突き刺さる。多くの電柱がなぎ倒された中での朝

  1. 大保守(おおほのかみ) より:

    防災の観点もあるためWNIのほうでそういったところは常々確認しているところはあるとして朝方は不気味な静けさすらあるようなものすらありました。

    そんな最中で計画運休も実施されたものもあり自家用を保有していない身の上としては私事で云えば現在転居作業を進めており所用も含め捗らないこともあるため難儀するものすらあります。

    自治体のことで云えばごみ回収に関しても月曜の地域となっているものの飛散防止だけでなく作業者の安全確保上とりやめを余儀なくされたのはあるとはいえこのあたりもうまく周知されているのか疑問になる次第ですけどね…

    そうでなくてもそういったところを調べたり考えたりしないアナログなところすらあろうものなら呆れるくらいでしかありません。

  2. 大保守(おおほのかみ) より:

    (手動でのコメント移設)

    2022年9月19日 7:55 AM (編集)
    防災の観点もあるためWNIのほうでそういったところは常々確認しているところはあるとして朝方は不気味な静けさすらあるようなものすらありました。

    そんな最中で計画運休も実施されたものもあり自家用を保有していない身の上としては私事で云えば現在転居作業を進めており所用も含め捗らないこともあるため難儀するものすらあります。

    自治体のことで云えばごみ回収に関しても月曜の地域となっているものの飛散防止だけでなく作業者の安全確保上とりやめを余儀なくされたのはあるとはいえこのあたりもうまく周知されているのか疑問になる次第ですけどね…

    そうでなくてもそういったところを調べたり考えたりしないアナログなところすらあろうものなら呆れるくらいでしかありません。

  3. ロード より:

    (手動でのコメント移設)

    2022年9月19日 7:13 PM (編集)
    100条委員会? 無理筋でも行橋テロ予告事件のように数の暴力で押し切るつもりでしょうか?
    氏の活動を制限したい勢力が手下を使って暗躍してるようですね。
    手下はいつもの人でしょうか?

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