色々なことがあった。
さよなら平成というタイトルではなく、ありがとうと述べたい。
自分の半生を振り返ると、この元号で生きた期間の長さに気づかされる。昭和に産まれ、子供のときに世はバブル。なんとなく、「未来とは明るい」と感じていた。
小学生のときに、平成を迎える。
漁村の小さな小学校、同級生は20名ほどの1クラス。のびのびと生きた。
中学になり、突然の4クラス。おや?世界は広いぞと知った。
がむしゃらに勉強した、高校時代。
大学になり、車で遊んで留年、このころも世の中のことなんて興味はなかった。
卒業を迎え、就職氷河期を目の当たりにする。
なんだかんだで上場企業の技術職におさまり、”私だけは”今でいう「勝ち組」にはなった。
製造派遣が解禁。
私の趣味の友達たちは、嵐の海に突き落とされる雛鳥みたいに思えた。
社会は、私たちに対し「自己責任」と言い放った。なんとも言えない口惜しさ、怒りがあった。
忘れられない言葉は、後輩の女の子が「しんちゃん、私、派遣社員になれたんだよ!」と明るく言ったこと。特定分野にしか許されていなかった派遣社員は、かなりのエリートコースであったのだ、そもそもは。
彼女が喜びの声をあげたのも頷ける。
私は、ホワイトカラーとして、幹部候補の本社採用組の正社員として、
自分たちの世代がどうなっていくのかを知ることができる立場にあった。
株価、景気。
様々な指標をもとに、数字を睨み付ける日々。
そして、リーマンショック。
いよいよ、私たちの世代が大打撃を受けている中、団塊世代の賃率維持のためだろう、「リストラクチャー」が、首切りと同義のリストラという横文字にばけた。リストラクチャーとは、希望退職や解雇を示す言葉ではなく、組織の再構成という意味。
本来の意味である、組織の再構成はなされず、ただ若い子がきられただけだった。
それが「組織の為」であり「社会のため」であるのだと、当時の大人は私に説明したように思う。
”それはさ、違うよ”という思いもあってだろう、退職のち市議選に出馬。
29歳での初めての選挙。
当選していれば、県内最年少だったと思う。
若い議員なんて流行る前のことで、50代でも甘いと言われた時代。
馬鹿だ、ふざけてる、もっと社会経験を積み、修行してこいと市民にも笑われた。
思いと願いを込めた戦いは、100票以上がたりず惜敗。
状況によっては当選圏の得票を付託されるも、死に票を生み出したことに責任を感じる。
落選後、政治活動に特化。
いまの国政との人間関係は、市議に当選するまえ、私が浪人中に得たコネクションが多い。自民党は、野党。いま閣僚名簿に名を連ねる偉い国会議員たちも、当時は無職のおっさんたちだった。一緒にラーメン食べたり、ファミレスで政治談議したり。
思えば、自由な時代だった。
小坪慎也、33歳で初当選。
その年のこと、自民党が政権を奪還。翌夏において、参院選でも奪還。
予算が普通に通るようになる。
あのときの、色んな口惜しさ、悲しみをバネにしての、本当に必死に駆け抜けた日々。
二期目の当選をさせて頂いた、37歳。
私自身が、すでに「若者」ではなくなっていることに気づきはじめた。
そして、いまは40歳。
もう、二十歳から、さらに20年の歳月を重ねた。
いまや私は、ただ若い世代の代表としては、発言すべきではない。
思えば、さらに若い議員も多数が当選している。県議においても、年下の議員もいる。
そして、平成が終わる。
新しい元号が出されれば、世は沸き立つのだろう。
私が、「いまの私」になるまでの、この平成がゆっくりと閉じて行く。
様々なことがあった。
楽しいこともあった、悔しいこともあった。
鍛えていただいた、それも平成だった。
(重要)
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(OGP画像)
たぶん、出世もした。政治家として。
それなりに実績もついてきた。
赤旗問題は今も共産党を苦しめつづけ、財政的に打撃を与え続けている。
外国人の国保の不正受給は、法改正まで行った。扶養控除の問題では、財務省に会計検査院が入り、各種の通達が出た。
特に、市議を辞職せよと爆破予告というテロを受けてのち、さらに名声はとどろいた。(行橋市議会の外交は完全に終わったけれど。特に、対県議会は、決議に賛同した議員を”共産党の仲間”として扱っているように思う。私がリスト作ってばら撒いたからだけど。)
拉致事件においては、一般質問ベースに大臣連名の通達、全国初の100%実施。
沖縄をはじめ、難航する厳しい選挙の場合には「支援要請」が正式に出ることも増えてきた。
今回も、統一地方選においては勝手連的に動いている。実は4年前にも同じことをやっているのだが、ネットに影響を受ける票数が激増したという社会情勢の変化もあり、期待も余波も非常に多くなった。
与えて頂いた発信力は、そのまま政治力に転嫁される。
特に衆院選や都心部の選挙では、当落に影響を与える規模の集票能力と同義。
自分に求められることがあるならば、「振舞い一つ一つ」で、政策実現が叶うよう、上手く踊るのも道。
この力は、皆様にお借りしたものなのだから。
かと言って、自分自身を中堅とは思えないのだけれど、
知名度ばかりはあがり、発言力としてはかなりのレベルになってきた。
私の中身は、ただの「二期目の市議」であり、本来ならば初心者マークであるべきポジションだ。
発言力の大きさ、動く人たちの規模や層を見ると、時には胃が痛くなる夜もある。
だが、与えられた責任から逃げるわけにはいかない。
私にしかできないことがあるならば、ただ淡々と目の前のタスクを処理していくだけだ。
いまや、スーパー市議みたいな、謎の立ち位置になったけれども、私は自分のことを特別な人材だとは思っていない。民間では、上場企業にいたのだけれど、一般的なレベルだと思っている。当時、正規雇用がほとんどなかった中で、一握りの新入社員に求めらえたSPECは異常なレベルであり、最後の昭和世代のサラリーマンは、これは通常レベルだと思う。
「おかしい」とバグに気付き、システムの不備に対して改善を実施する。
変だときづきながら修正しないことこそ、おかしなこと。
手法は、現実的に改善しうる方法を選択するのは当然のことで、ただの理系技術職が普通に仕事をしているだけという認識だ。
なんで出世?し、評価されているのか、実は私自身にもわからない。
ちょっとばかりは勇気はある。
かつて走り屋であった過去を隠していないけれど、走り屋はツッコミ命。
コーナリング性能に特化した、ロータリー使いとしては、侵入速度で負けるわけにはいかない。
誰よりも速く、身をしならせボディを削るように走るのは、スポーツカーの宿命だとも思う。
そして、平成が終わる。
新しい元号が出されれば、世は沸き立つのだろう。
私が、「いまの私」になるまでの、この平成がゆっくりと閉じて行く。
様々なことがあった。
楽しいこともあった、悔しいこともあった。
鍛えていただいた、それが”私が、私になった平成”なんだろう。
新しい元号、新しい御代。
私は、どのような政治家になっていくのだろう。
世情は、恐らく混乱の様相も呈す。
真っ暗な中でも、一筋の光を示してみせたい。
誰もが、もうダメだ、方法がないと思ったとき、そう思った時からスタート!と、最後の最後まで戦線を支えるストッパーでありたい。
『闇を語り、光を示す。』
厳しい現状を説き、それでも政策を示すという意味で、私が自らに課している言葉。
かなり面倒なときも、恐らくは出てくるだろう、
その中で、着実な判断を重ねていきたい。
平成には、いろんな思いがある、
ここで「さよなら平成」ではなく、「ありがとう平成」と言える政治家でありたい。
(業務連絡)
福岡県内の、県知事選・県議選で飛び回っています。
昨日は、無断でBlogの更新を止めてしまいご心配をおかけしました。
書きたいことや、伝えたい選挙区事情は多々あります。後日、複数本をアップしていきます。
一歩、前に出る勇気。
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【支援要請】戦うための、武器をください。
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特にFacebookから閲覧してくださっている方にお願いなのですが、一週間の停止を受けました。
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せめて一度は、この「音」を聴いておいてください。
・ミサイル攻撃時の、J-ALERTの音源
・【マニュアル】武力攻撃やテロなどから身を守るために(内閣官房)
桜の会(議長会派):小原義和(公明)、西岡淳輔(公明)、(死没のため略)
市民の会(いわゆる野党会派):藤木巧一、二保茂則、鳥井田幸生、大池啓勝、工藤政宏、瓦川由美、西本国治
共産党会派:?永克子(共産)田中次子(共産)
詳しくはこちら。
私なりのケジメ
【爆破予告】テロに屈した議会に討ち入り。忠臣蔵、切腹の美学。地方議員の覚悟【テロに屈しない人はシェア】
最後に。
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記事を書くたび、こちらでも投下します。
FB個人アカウントは5000名の上限となってしまいました。実際の知人、議員の方のみの承認とさせて頂きます。
ファンページでコミュニケーションをとらせて頂けますと幸いです。
FB個人アカウント 小坪慎也
FBファンページ 行橋市議会議員 小坪慎也
Twitterアカウント 行橋市議会議員 小坪慎也
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共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
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元号の長さ上位ランキングを調べてみました。
01位 昭和(1926年?1989年)62年014日間
02位 明治(1868年?1912年)44年187日間
03位 応永(1394年?1428年)35年
04位 平成(1989年?2019年)30年083日間
05位 延暦(0782年?0806年)25年
06位 正平(1347年?1370年)24年
07位 天文(1532年?1555年)24年
08位 延喜(0901年?0923年)23年
09位 天平(0729年?0749年)21年
10位 享保(1716年?1736年)21年
11位 慶長(1596年?1615年)20年
平成の御代が30年続いた事で、この度慶長が11位にランクダウンします。
明治以前は一世一元の制では無く、縁起担ぎ的な改元も行われていた為、一概に長さで問える訳ではありませんが、随分と長くお世話になった元号である事には違いありません。
余談ですが、最短の元号は暦仁(1238年?1239年)の74日です。
1945年にベトナムが元号を廃止した事によって、現代では、日本だけが元号を伝承している事も特記に値すべきかと考えています。
因みに、そもそもの元号は言うまでも無く支那が起源であり、歴代支那王朝が定めた元号を用いると言うのが朝貢国の定めでした。
我が国の場合は早々に独自の元号を制定し始めてますので、古くから独立を実現して居た国である事が分かります。
改元はシステム関係や事務関係の仕事に就かれて居る方にとっては面倒と感じるかも知れませんが、皇紀と併せて「我が国は他国に屈しない」と言う意思表示の一つでもありますので、誇りを持って受止めると良いのではないでしょうか。
ようやく気がついた。
当時、平成を選ばせるために動いた大元は、悪意を込めて日本に呪詛をかけましたね?
しかし、日本の言霊を誤解していた。
それぞれのコミュニティで言葉が持つイメージは異なるのです。
だから日本は平和を成就する。
私が覚醒したから…だから今、そう感じるだけなのかも知れませんが、(もっとおかしな時代が沢山あっただろう…という意味です)
世の中が明らかにおかしな方向に動き出した、と思ったのは「都庁の移転」でした。
都心にあるべき!都庁を何故?新宿に持ってくる??
これが私の率直な感想でした。
新宿から電車で10分かかるかどうかの所に住む私としては、我が家の窓から都庁が見える…そんな事はあってはならないと思いました。
物凄く不必要な移転
しかも、新宿西口と言えば、元々沼地?
江戸っ子だった父は「新宿なんか、東京の外れだった、人なんか住んでいなかった、あそこに高層ビルなんてやめた方がいい…」そんな事を言っていました。
そして始まった【地上げ】
それからのバブル…。
おかしなことばかり続いて、訳も分からないまま月日が過ぎて行きました。
昔気質の父の『踊らされるな』の一言で、必死で巻き込まれないように踏ん張った日々。
父の言った通り、過ぎてみれば、踊らされた中の【要領の悪い人達?】のその後の人生は悲惨な事になりました。
友人知人にも少なからず犠牲者が出ました。
そして、小坪議員のおっしゃる通り、多くの若者の未来迄歪めてしまいました。
うちの娘達も、諸に影響を受けた世代です。
私にとって平成とは、価値観が根底から覆された時代でした。
その始まり、切っ掛けが、昭和の終わり頃の都庁の移転でした。
間違っているかも知れませんが、私の体感的にはそうでした。
あれからみーんなおかしくなった…。
そのお陰で、私は覚醒出来たのだろうと思うので、そんな時代に感謝ですかね?
ありがとう平成
と言っておきます。
振り返れば、平成の時代は自分にとって覚醒の時代だったと思います。と言っても未だ覚醒率30%くらいですけど・・。
平成が終わるのは本当に寂しいです。でも、昭和から平成になる時のような大きな混乱を避けるためには、これが一番良い選択であったと今現在の時点では思っております。
個人的には、畏れ多いのですが、本当に心から今上陛下には感謝を申し上げたいです。
東北の大地震の時に、子供たちが大きな恐怖の中に放り出され、親からひと時も離れられないほど不安の中にいた時、陛下のお言葉が全国に放送されました。我が子は、この放送をお聞きした直後
から心が落ち着き、「もう一人で夜も寝れる。」と、しっかりと寝るようになりました。
親でさえも子供の不安を取り除くことができなかったのに、陛下はお言葉で一瞬のうちに子供の不安を取り除かれました。もちろん、放映した各マスコミおよび関係者の方々にも感謝いたします。日本国に感謝しています。そして支援と援助をしていただいた他国にもです。
今上陛下に万が一のことがあり、そこに日本の経済的な大不況が重なったりしたら、東北の大地震の恐怖以上のことが起きる場合もあるわけで、それを回避する事にもなっているのではないか?と個人的には思ったりもしています。大きく時代が動いていますね。心静かに新しい時代をおむかえしたい。まだ一ヶ月は平成はありますから。
西洋の悪神が世界を支配して2000年余り、日本の平成の御代は、日本人の覚醒に必要だった時代だったのだと私は確信しております。
平成30年は日本の転換期、そして新しい御代は世界の変革の世となり日本人が、世界を救っていく時代なのだと思います。
その為にも、日本人は観音様の優しさと不動明王の心、そして韋駄天の行動力を求められる事でしょうね。
お子様のお話、感動致しました。有り難う御座います。陛下の御心はあまねく天照大神の光のように小さな子供達の心にも届いたのですね。皇室を貶めたいと邪悪な言葉を吐くパヨやザイ、つい1世紀ほど前まで未開の極貧国していただけの隣の民族を心底憎みます。
すいません。返信ボタンを押さずに投稿しました。ミカンの実様へのコメントです。
了解です。ありがとうございます。
皇紀と併せて「我が国は他国に屈しない」と言う意思表示の一つ
そう。まさにそこが重要なんですよね。暦の制定は自主独立の大きな目安。和して同ぜず・・・これが重要です。無意識のうちに浸蝕してくるキリスト教文化をハッキリと意識していないといつのまにか迎合させられてしまいます。
令和。
万葉集からの元号、良いですね。
春。
梅薫る爽やかな風を吹かせ。邪気を払う。
日本から世界に向けて、そして日本人としての心意気と覚悟。良い元号ですね。
本当に!
令和、良い時代にしたいです。
元号に計算上の手間はあるものの時代を表す単語としての
有用さはあるように感じられました。
平成でこそ30年近くあったわけですが昭和ともなれば60年
以上もあり長すぎるがために激動といわざるを得ない
ところはありますが…
既知の方や既に訪れた方もあるかも知れませんが大野城
市で平成の元号を選定された目加田氏の展示が行われて
おり元号の記載されたファイルも販売されているそうです。
参考:↓
http://www.onojo-occm.jp/li/141/20190217145408.html
行橋市議会議員 小坪しんや様
今は平成の御代です。このような記事は書くべきでないと思います。これでは、マスゴミと同じです。