【今日は何の日】阪神淡路大震災から24年。病院で泣きかけていた少年の今。地方議員の戦い

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阪神淡路大震災から24年目を迎えました。
私はあの日のことは今でも鮮明に覚えています。

子供だった私はちょうどインフルエンザ、被害実態のわからぬ中、朝のニュースで衝撃を受けました。
あの日、守られるだけの存在に過ぎず、震えることしかできなかった私は、
いまは未来に備える一人として、最前線に在ります。

地方議員とは、政治とは、自然災害にどのように備えるべきか。
ゆっくりとしか進まぬ現実を、歯噛みしつつ数字に向き合う。
自助・共助・公助のさらなる周知と制度の強化。
危険個所の発見と、古地図の分析、必要に応じて予算折衝。

「100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!」
(釜石市の津波記憶石に刻まれた中学生の言葉)

私たちは、「来ないかも知れない100回」ではなく、
それでも「101回目」を想定し、その責任を負う立場です。

100回を笑えばいい。
私たちをバカにすればいい、それは甘んじて許容します。
その100回を笑ってもらえることこそが、私どもの誇り。

それでも101回目を真剣に見据えることが、私どもの重みであります。
笑って、何もなければ、それで結構。
だけれども、貴方ではなく、貴方の子供の世代になり、孫の世代になり
仮に貴方が天寿を全うし、また私も天寿を全うし、
私の名前など、誰もかれもが忘れた後世であったとしても、

それすらも護ろうとするのが、政治家の責務であると強く訴えさせて頂きます。

 

 

 

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(OGP画像)

 

 

 

 

あの日、私は弱かった。
あの日。
インフルエンザにかかってしまい、病院の混み合う待合室の中、茫然とテレビを見ていたように記憶しております。
(別の災害ではないと思います。)

まるでアニメのような、衝撃的なシーン。
どう言っていいかわからず、言葉にすることもできませんでした。
不謹慎を承知で当時のことを正直に述べると、子供だったからでしょう、最初はそれこそ漫画のワンシーンのようでワクワクもしたのです。

ただし、それは「大人がなんとかしてくれる」前提のワクワクであり、
混乱し、焦りを帯びたアナウンサーの声に恐怖に変化していきました。
現実味のない映像を前に、徐々に不気味さが忍び寄る、
怖くて怖くて、泣きそうになっていました。

高校生にもなって泣きそうになっている(インフルエンザの)私を見て、「なーに半泣きになってるの?注射こわい?」と看護婦さんが優しく声をかけてくれました。
あまりに茫然としているので「僕、大丈夫?」と心配もされました。

看護婦さんやお医者さんから見れば、職場でありますから、ゆっくりテレビなど見ていなかったのでしょう。
(特に初報は大きな扱いではなかったように思います。)

「だって、地震が、、、地震があって、大変なことに」と。
インフルでぐったりしていて、それ以上は言えませんでした。
お医者さんも「そっか、ちょっと揺れて見えるか・・・。」と。

ただただ、不気味で、怖くて。
あそこに人が住んでいて、火の中に人がいて
車があって、建物があって、それが壊れていて
その中に人がいて、、、

そのことが、ただただ怖くて
誰かなんとかして、助けて、と思いました。

病気でぐったりしていたこともあり
(涙こそ出ていないと強弁しますが)
本当に不気味で怖かった、のです。

これが、阪神淡路大震災に
(モニターを通してですが)触れた
あの日、少年であった私の姿です。

あの震災において、多くの方が亡くなりました。
ご冥福をお祈りすると共に、哀悼の誠を捧げます。
ご家族を亡くされた方もおられます。
その悲しみ、孤独、苦しみは察するに余りあります。

 

 

 

阪神淡路大震災・被害
死者    : 6,434名
行方不明者 :     3名
負傷者   : 43,792名

住家被害 : 全壊104,906棟
     半壊144,274棟
  全半壊合計249,180棟(約46万世帯)
   一部損壊390,506棟

火災被害 : 全焼   7,036棟
     焼損棟数 7,574棟
     罹災世帯 8,969世帯

その他被害 : 道路7,245箇所
      橋梁 330箇所
      河川 774箇所
      崖崩れ347箇所

 

 

 

一人の政治家として。
今日、この日ゆえ、振り返ることがございます。
いま、一介の市議会議員ではございますが、
二期目の若輩の身ではございますが
政治家として皆様の前に立たせて頂いております。

私の責務とは、政治家の職務とは。
あの日、ただの子供であった私が感じた恐怖を、そそぐのが私の仕事になります。
人々を導き、安心させ、笑顔を守る。

「自助・共助・公助」と申します。
これは命を長らえる上でのフロー、システムになります。

自助とは、自ら頑張って命を長らえること。
被災直後は、周囲の人も行政(警察力・自衛隊を含む)も手助けができません。
最初の数時間、長ければ一日近くは、自らの力で生き抜いて頂かねばなりません。

共助とは、家族・地域コミュニティの力に頼り、
共同体で身を守って頂くことを指します。
自ら命を永らえたのち、共に力をあわせて九死に一生を得た命を守りあって頂きたい。
長ければ数日かかります。

公助とは、行政サイドによる保護を指します。
できる限り3日以内には、このフローに到達したく思います。
しかし行政力にも限りがあり、万全の体制を整えたとは言え「すぐ」とはいきません。
仮設住宅・継続しての安定した炊き出し、警察力または自衛隊の助力を願い、治安の維持・確保。
残念ながら、大規模災害ともなれば、ここまで数日かかることも想定せねばなりません。

 

 

 

市議会議員の責務
大きな職権は持ちません。
しかし、「眼として」「まるでレーダー」として、
皆様に寄り添い、常に共に在り、
まさに現場において

「市民の生命と財産を守る」ことが責務であることを、自覚して職務に励みます。
来ないかも知れない地震に備え、「想定外」などと言わずに済むように、
数字の積み上げを行い、景気動向も堅調とばかりとは言えぬ中、
それでも長期スパンの計画を策定し続ける。
全ては未来のために。

 

地域を護る防人として。
これは市議の仕事でございます。

?自助
まず九死に一生を得てもらわねばなりません。
火元の確認、防災意識の向上、私が総務委員会に所属した際は消防を所管しますゆえ、救命処置の市民への案内・指導を徹底して参りました。
また、行橋市では遅ればせながら「海抜○m」の表示を市内各所に設置、防災マップを策定し市民に広報。
委員会でも委員らより指摘を受け、配布・周知に工夫を凝らしていっております。

いまは総務委員として、消防を含め直接的に防災関連の部門を所管しております。公共施設等、避難所に供する施設の老朽化対策・増改築を含め委員として、また一般質問においても行政を質しております。単に見た目の利便性のみならず、目立たない上に予算は必要となりますが、防災の観点からも各施設をチェックしていきます。

?共助
・自主防災組織を各校区に設置。
実態としては、区長会(自治会)と組織は似ているのですが、被災後、数日にわたって地域単位で身を守って頂くための組織です。

災害発生時に必要な装備・資材についての説明、また保管場所を説明すると共に、「自助・共助・公助」についての説明を講師を呼び徹底しました。
私も出席させて頂き、不明点については質問すると共に独自で勉強。

市の主導で区長会(他自治体では自治会と称する場合もある。)にて自主防災の講演を開催、各校区に自主防災組織を整備。私も参加し、共に理解を深めます。
防災倉庫も整備し、いざという場合の「自助、及び共助の序盤」を地元で運用できる体制を【完成】させています。

・地域コミュニティの強化
さらに小学校を中心にPTA等、「父兄(及び子弟)」に周知、
区長会を中心に、祖父母の世帯に周知、
これらの連絡網をさらに強化・徹底して頂くと共に、
運動会・祭り・各種アメニティ(いきいきサロン等も広義では含む)
世代を超えたふれあいを通して、コミュニティのシナジーを強化してきました。

・・・単に公務としてのみならず、
できるだけ一緒に参加し、楽しく和気あいあいと過ごす。
こちらも実施済みであり、いまは単に参加のみならず、より俯瞰した目線より行政側の動きと協調し、各種のスポーツイベントの運用において達成しております。

・防災上の危険箇所の点検・整備の提案
防風林の老朽化などもあり、山崩れの危険個所を区長会と共にピックアップ。
なにぶん多額の予算が必要とはなりますが、なんとか事業化を執行部に打診。
長い計画にはなりそうですが、実現を目指す。
先般の議会において、執行部より危険地域の除去という形で満額答弁を得ています。

県予算でございますが、校区の山林について、伐採。
対象が県となる土地があり(防風林など。)苦労はしたのですが、繰り返しの陳情と折衝により数千万単位の予算を獲得。こちらは一昨年度になりますが、すでに実施済み。
今後はさらに急傾斜地について要請活動を地元とともに行動中です。
(特に、国・県予算が絡む要望を主軸に動いています。)

 

併せて、退職自衛官を防災専門官として再任用するよう議場で市に提案し、執行部より確約を得ました。すでに配属されており、絵に描いた餅ではなく現実として、実務にあたって頂いています。

 

 

 

予算処置と保守活動
40年ほど経過し、老朽化した堤防を改修。
複数年度にまたがる計画ですが、着工済みで一期工事を終え、現在は二期工事です。
2事業あり、片方は市の予算も3割つかっておりますが、もう片方は「県 5割 ・ 国 5割」です。

総額は(恐らく最終的には)10億を突破します。防衛予算は、使っていません。行橋市で防衛抜きでこれだけの規模の予算執行はほとんど例を見ません。

国県予算のみで着工しているため、市議会を通す必要がない予算もあります。
地元議会を通すことの、市議としての負荷、また「速度優先」で防災面は動いているため、
「市長に報告」(及び、元・会派代表への報告)とし、独自交渉で片を付けてきました。

これら予算処置が必要な(本来、新人であれば「対応不可」な)案件につきましては、各種保守活動で知り得た先輩議員らの政治力をお貸し頂いた場面も多々あります。
知識面・能力に劣る我々ではありますが、多大なフォローを頂くことで「それでも諦めず」予算獲得、及び事業化を目指して参ります。

これら(人によっては激しく映る)保守活動も、地域の活性化に大きなパワーとなっていることを、地域住民・後援会は一部ではありますが理解してくれています。

ゆえに、ここまで無茶苦茶な、政治活動が許容されております。
特に市内の大手企業は、何をやっているか、どのような交渉(ほとんど政治生命を賭けた規模の予算額)をしているかを、知っています。

ある有権者からは「(保守活動の)危険手当で予算とってきよるようなもんやな」と笑われました。
私は「一枚しかないコイン(命)ですが、倍率の高いところに一点張りしてる博徒に過ぎません。」と笑って返しています。

私の後援会は、最悪の場合、「何かある」ことも覚悟で支援してくれている方もおられます。
だから、こうやって働くことができます。

 

 

 

福祉部と消防の情報連携
私は一期生の際、文教厚生委員会において副委員長を拝命しておりました。
当時の福祉部長らと委員会において協議し、逃げることの難しいお年寄りをサポートするため、地域の情報と福祉情報の一部を連動。

のち総務委員会(消防を所管)に移りましたが、今後は福祉のみならず消防とも統合管理する仕組みに改善。委員会側より、賛成の立場を強く打ち出し支援していきました。

市民の皆様からは「え?」と思われるやも知れませんが、個人情報保護法の兼ね合いやシステムの作成年度が異なるため、行政側にある情報の全てが連結されているわけではありません。(でした。)

今後も完全統合は(法的な兼ね合いもあり)不可能かと思いますが、防災面から必要な情報の統合については、システム面のアップデートも含め、執行部に強く訴えて参ります。

併せて、高齢化により救急出動が増加し、消防官の不足が深刻化する中、長期スパンの計画策定を一般質問において議会で強く主張。執行部より増員について確たる答弁を得ています。

 

 

 

100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!
これは、東日本大震災の被災地・岩手県釜石市唐丹(とうに)町本郷地区で、地元の小中学生95人の後世へのメッセージを刻んだ「津波記憶石」に刻まれた言葉です。

私たちは、こないかも知れない「100回」ではなく、
それでも「101回目」を想定し、その責任を負う立場です。

100回を笑えばいい。
私どもをバカにすればいい、それは甘んじて許容します。
その100回を笑ってもらえることこそが、私どもの誇り。

それでも101回目を真剣に見据えることが、私どもの重みであります。
笑って、何もなければ、それで結構。
だけれども、貴方ではなく、貴方の子供の世代になり、孫の世代になり
仮に貴方が天寿を全うし、また私も天寿を全うし、
私の名前など、誰もかれもが忘れた後世であったとしても、

それすらも護ろうとするのが、政治家の責務であると強く訴えさせて頂きます。

 

 

 

自衛隊について
激甚災害の場合は、自衛隊の出動・助力を仰がねばなりません。
自衛隊は防災組織ではなく、国防力であり、災害救助のため存在しているわけではありません。
しかし、それでも最後は頼らねばならない。

常日頃より、自衛隊の必要性や有難さ。
国防とは何か。
国が亡びれば、行橋も滅ぶのだと訴え続けております。

「少しでも自衛隊が働きやすい」環境づくりを政治面より強力にバックアップさせて頂いております。
ここは「頂きます」という未来形ではなく、「頂いております」という現在完了形・進行形で表現させて頂きます。
地元代議士が防衛政務官・安全保障委員長・防衛副大臣を拝命してきたこともあり、国政においてのご助力を賜ることで、「自衛隊を具体的に支えたい」と全力で邁進してきました。

これからも邁進して参ります。

 

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私は、このような活動に「反論できぬ自衛隊」に、
反論できぬことをわかってこのようなことをすること、許せません。
心を傷つけ、痛めつける以外の目的はあったのでしょうか。
甚だ疑問です。

何が言論の自由か。
ただの人でなしではないか。

日頃、守られる国民として何が恩返しできるだろうか。
許せないと思ったらシェア。
おかしいと思ったらRTしてください。
ひとつひとつの声は小さくとも、積み重ねれば世論を動かす。

物言えぬ自衛官に代わって
物言う政治家として、「おかしい。」と言いたい。

 

 

【守りたいと思ったらシェア】物言えぬ自衛官に代わり(行橋市議会議員・小坪しんや)

 

 

<築城基地>
行橋市が面積の多くを占める築城基地。
我が第八航空団は、朝鮮有事・対CHINAを睨む「日本の矛」であります。
沖縄にF15を送り出しましたが、世界最強の対艦攻撃機ともいわれるF2と15、二種の戦闘機を運用していた唯一の基地です。

制空戦闘機の15と、艦船に強いF2を共に運用、シンプルに言えば「うちからだけは、戦爆混合」であがれるということです。

専守防衛とは、やられっぱなしではなく。
最初に手を出せないだけであって
「撃たれたら、ちょっと考えて、撃ち返す」だと認識しております。

緊迫する東アジア情勢においては、防空の要のみならず「専守防衛」に基づき、「撃ち返す」基地だと認識しております。

ゆえに、旧称コミンテルン日本支部こと、日本共産党からの政治的なアクションも非常に強く、地盤としても左巻きの者も多い自治体です。
これらに対し、正面から対峙し、自衛隊を少しでも活動しやすくする、日本を物理的に守る職務を、気持ちよく行って頂けるよう、、、
私も命を懸けて、戦います。

自助・共助・公助に基づき、市議として職責を果たす。
そして、公助の最後の要である、自衛隊について、気持ちよく仕事に励んで頂けるよう、着実な歩みを進めてまいります。

これが、あの日、病院で半泣きになっていた少年の、いまの姿です。
最後に有名なコピペを掲載して、本稿を締めさせて頂きます。

 

 

 

【女子高生の怒り
?ここの人らは歩いて来てくれはったんや?】
http://kokorodo.net/e1080

2年前旅行先での駐屯地祭で、例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生と思しき少女が向かっていく。

少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で…云々」
少女「で、何しに来たんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる…云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や!!
寒い中ご飯作ってくれて
風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのも…ここの部隊の人や!!
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや!
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が…
ここの人らは歩いてきてくれはったんや…」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった…

団体は撤退・・・

彼女が門をくぐった時に守衛さんが社交辞令の軽い敬礼ではなく、直立不動のまま敬礼していた・・・
=========

地方議員とは、地域の守り神。
土地神のようなものだと思う。
最近では、遠方にばかり出ていっているが、力をつけ故郷を守りたい。

激甚災害ともなれば、死者・負傷者は出てしまうだろう。
しかし、一人も死なせたくはないのだ。
ゆえに、俺はなんでもやってやる。
そう思って、心の底から思って、だからあの日、立候補したんです。

これが、地方議員の矜持。
地域を守り、人を守ることの重み。
だから私は、この町の市議会議員になったのです。
ゆえに戦うのです、守るために。

関連記事
【百戦百勝の極意】一人の議員として。「言っちゃった」責任の果たし方。

 

 

 

阪神淡路大震災より24年。

 

失われた命、流された涙。

 

あの日、震えていた、守られるだけの存在であった子供たちが

 

いまは現場で、地方議員として、未来を祈りつつ皆様の傍にいる。

 

100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて!

 

来なかった100回を笑われることが誇り。

 

101回目に、「想定外」などと言わぬために走ることが

 

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せめて一度は、この「音」を聴いておいてください。

・ミサイル攻撃時の、J-ALERTの音源
・【マニュアル】武力攻撃やテロなどから身を守るために(内閣官房)

 

テロに屈したと全国から批判された決議に賛同した者(敬称略)
桜の会(議長会派):小原義和(公明)、西岡淳輔(公明)、(死没のため略)
市民の会(いわゆる野党会派):藤木巧一、二保茂則、鳥井田幸生、大池啓勝、工藤政宏、瓦川由美、西本国治
共産党会派:?永克子(共産)田中次子(共産)

 

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私なりのケジメ

【爆破予告】テロに屈した議会に討ち入り。忠臣蔵、切腹の美学。地方議員の覚悟【テロに屈しない人はシェア】

 

 

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. 加藤 義浩 より:

    終生,いや,末代まで忘れまじ.
    記憶,忘れまじ.

    東日本大震災の時も.
    そして,この時も,無能な内閣が被害を劇的に拡大させた.

  2. 草莽の団塊です! より:

    小坪先生、情報ありがとうございます

    阪神淡路大震災から24年たちました・・・、亡くなられた方々のご冥福をあらためてお祈りしたいとおもいます。負傷されたおおくの方々は、いまはお元気になられたのでしょうか。

    閑話休題・・・・

    先生は当時、まだ、少年だったのですね。私は、まだ、暗い時間帯に目が覚めたことをおぼえています。マンションの中にいましたが、ヘリコプターの爆音で目が覚めたのです。なにがおこったんや!とおもいました。TVをつけて、神戸で大地震がおきたことをしりました。

    平成の御代がもうすぐおわりますが、平成というのは、日本が大地震、台風、豪雨により大きな被害を受けた時代ということになるのかなともおもいました。

  3. 波那 より:

    今朝、父と母が出てきました。幽霊じゃないですよ。夢にです。相変わらず母の方はよく夢に現れます。夢の中では全く、もう死んでるのに何で?と思わないのが不思議です。私も段々、死んだ両親の年齢に近づいて行きます。

    阪神大震災では街は空爆を受けたように破壊されましたが東日本大震災では破壊されただけでなく、津波で全部さらわれてしまって御遺体の見つからない方もいらして本当に胸が傷みます。

    阪神大震災では自衛隊が被災地に中々入る許可が降りなかったことは、ずっと後で知りました。確かに救助できる態勢の方達は少なすぎて人手は全く足りませんでした。倒壊家屋の中でまだ生きてらした方が居たのにと思います。

    何にも出来ないくせに自衛隊に偉そうに言う恥知らずな卑しい連中には立ち向かいます。国を最前線で守っている方々、災害で命を救って下さる方々を守る為なら、あの連中を蹴散らしに行きますから。

    憲法改正を?自衛隊に名誉と感謝を?与党に居ながら憲法改正反対とか公明党もいい加減にして下さいね。

  4. 5人の孫のジイジ より:

    小坪先生、今日は阪神淡路大震災を取り上げて頂き、有難う御座います。当日の揺れは私自身も初めての経験で上下に放り投げられているような感じでした、揺れの前に何か不気味な音のようなものを感じました。うちは西部の方でしたので建物の被害は壁のひび割れくらいで済みましたが、神戸中心に身内が降りましたのですぐに車で向かいました。阪神高速と国道2号線は無理だと思い、山側から移動しました。街の中に入った時にこれは戦場かと思うほどに道も建物も壊滅状態で唖然としました。義理の妹が圧死で亡くなりました、周りでも今まで生活していた場所が廃墟のようになり茫然と見るしかありませんでした。あの時の政権は自衛隊の出動要請も却下し助かる命を見殺しにしました。東日本大震災の時も立民が政権を握ってましたが何をしたのでしょう。安倍さんになってからの災害時での自衛隊の方々の活動により多くの国民の命が守られるようになりました。これは日本国民の学習によるものだと思います。最近の多発する災害に対して何もしない野党が自衛隊の避難ばかりしているのが非常に腹立たしい。この機にもう一度、半日野党のやってきた行動を検証してはいかがですか。

  5. 5人の孫のジイジ より:

    興奮のあまり誤字が多く、申し訳ありません。年末に宮城と福島に行ってきました。神戸はほぼ復旧されていますが、向こうはまだまだの感が否めません。範囲が広く津波の被害に心が痛みました。国としてしっかりと対応をお願いします。私自身。遅ればせながら国旗の掲揚を正月から始めました、日本人として自覚を持つために。今後ともよろしくお願い致します。

  6. 男子の端くれの端くれ より:

    合掌。
    明日は我が身。
    真剣に考えねば。
    小さな事でも人の役に立つ行動をしたいと思う。
    そう思う。

  7. ゆきち より:

    昨年、陸自ヘリに対してレーザー照射があったようです。
    パイロットが2人乗っていたので墜落せずに済んだようですが、何てことしてくれるんだ!と思いました。
    いたずらなのかテロなのかわかりません。
    自衛隊が嫌い、個人の自由です。日本はほんとに自由の国です。
    でも、やっていいこと悪いことってもんがある。

    落ちたら乗員も、もしかしたら落ちた先の一般人も。
    ホイスト中だったら?
    展示訓練中だったら?

    テロじゃなくて何なんでしょう?

  8. ほとんどもろだしディック より:

    かわいそう

  9. 名無しの案山子 より:

    阪神淡路大震災でお亡くなりになった多くの方々に合掌いたします。

    当時の首相は社会党に村山富市氏でした。実際に言ったかどうかは知りませんが、彼は大混乱の中で何をして良いか分からず「私はどうすりゃええんじゃ」と言ったという話も伝わってます。まあ、彼は経験も無いし無理も無いとは思いますが、そんなら首相に成るなよ、と言いたいです。

    この事は、平時ならともかく非常時においては、リーダーの判断と行動が、そのチームの命運を大きく左右する事を意味しています。例えば戦争などでも、その事が言えると思います。

  10. N.K より:

    24年前、私は大学生でしたが同じくインフルエンザで倒れ、アパートの部屋で
    テレビの中の非現実的な光景を見ていたのを覚えています。
    日本は生きている大地の真上にあり、自然災害と共に生きていかなばならない国だと思います。
    そんな現実から目をそらし「コンクリートから人へ」などと寝言を言う連中は二度と政治に
    関わらせてはならないのは当然ですが、現政権の防災事業への取り組みも予算などを見る限り
    まだまだ不足していると言わざるを得ません。
    これからも確実に起こるであろう災害への早急な対応を望みます。

  11. あかうお より:

    阪神淡路大震災発生時は、社会党の村山総理。
    実務能力が無いどころか、放置したとしか思えない対応をした。
    現地からは自衛隊の救援を望む声があがるも、これまた県知事が放置し、
    実際に要請したのは発生から半日経過してから。
    米国は空母インディペンデンスを派遣しようと提案するも、総理は拒否。
    空母なんて小さな町の規模。どれだけ物資と人を運べると思ってるんだ!
    対応をミスった結果、更に被害が拡大したのは間違いない。
    東日本大震災でも民主党がそうであった様に…。

  12. 反日工作員を落選させたい高槻市民 より:

    【地震の年表(日本)】でググるとwikiに一覧が掲載されています。

    1995年の阪神?淡路大震災から、2018年の大阪北部地震まで、僅か二十数年の間だけを見てみても、全国各地でほぼ毎年、震度6〜7の大地震が発生していました。

    関東大震災や南海トラフ巨大地震などは、頻繁にテレビや新聞で取り上げられますが、日本に住まう以上、地震は逃れられない災害なのだと思います。

    先生の仰る自助、共助、公助。
    国民の一人ひとりが、我が事として真剣に考え、自然災害に対し事前に備えるという事が本当に大切ですね。

  13. 琵琶鯉 より:

    ほんとに皆様がおっしゃる通り。日本は自然災害の多発する国。外敵もそうですが、安全保障について国民はもっと意識すべきです。

    話しはかわりますが、メディアがまたヤラカシタようです。東京五輪招致でフランスの煽りにしっかりと乗り、2年前に既に結論が出ている竹田会長をデスっております。詳しくは虎ノ門ニュースで息子の竹田さんが、解説し、有本香さんが色々聞いてます。
    話しを聞いていくうちに、日本のメディアは調査、確認を自らしない機関である事があらためて証明されました。
    以前、小坪先生がメディアにもPL法に匹敵する法律が必要である事をつくづくと再認識しました。

  14. 異国より より:

    でも基地外に拳銃を突きつけられた自衛隊を守る事はしないんですよね。
    米国との協調なのかもしれませんけど、次に同じ事したら撃沈な?も言ってくれない、自分らを守ってくれない政府と国民を、自衛隊がいつまでも守ってくれるとは思わない方が良いのではありませんか?
    今の対応はお前らだけ犬死にしてね?って言ってるのと同義だと思いますが?

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