【今日は何の日】大和、特攻。坊の岬沖海戦。沖縄を護るため、英霊が戦った日【4月7日】


 

 

無謀とも言われる作戦だが一縷の希望に賭け、米軍の沖縄侵攻を阻止するため水上特攻が敢行された。
天一号作戦、大和轟沈。沖縄を見捨てぬため、一億総特攻の魁とならんがために。
サヨクは、「沖縄を見捨てた」等と述べるが、事実ではない。
ならばなぜ連合艦隊旗艦を務めた、戦艦大和は海上特攻とも言うべき突入戦を強行したのか。

出撃した艦艇は以下。
大和以下、軽巡矢矧、駆逐艦冬月、涼月、磯風、浜風、雪風、朝霜、初霜、霞。
日本海軍による最後の大型水上艦による攻撃となった。

すでに訓練を満足に行えるほどの重油はなく、浮き砲台とされた艦以外、
持てる艦艇のほぼ全てであった。

それでも大和には、戻ってこれるだけの重油が補給されたという。
(片道とする説は誤り。)
ただし、還って来れたのは、極僅か。

実は、この海上特攻(天一号作戦)のみがクローズアップされるが、菊水作戦と相互支援関係にある。
菊水作戦第一号(4月6日~11日)以降、第十号までの大規模航空特攻を伴う反攻作戦である。

海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施。
海軍2,045名、陸軍1,022名が特攻により戦死。

 

先祖を誇ることは重要なことだ。
その名誉を汚すことを許さぬ、明確にスタンスを示しておきたい。

ならば、今を生きる私たちはどうか。
それを問いたい。

軍令部総長が「菊水一号作戦」を昭和天皇に上奏した際、「航空部隊丈の総攻撃なるや」との下問があり、天皇から『飛行機だけか?海軍にはもう船はないのか?沖縄は救えないのか?』と質問をされ「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」と奉答。

大和の第二艦隊司令部長官の伊藤整一中将はなかなか納得しなかったが「一億総特攻の魁となって頂きたい」と言うと、伊藤中将は「そうか、それならわかった」と即座に納得した。

 

戦争も後半ともなれば、機体の性能にも開きがある。
整備や補給も満足に受けられない。
訓練だって完全とは言えず、硫黄島に至っては「ほぼ市民と変わらない練度」だった兵士も多く含まれていた。

かつて我が国では、我が国の未来を守らんがために、
一つしかない命を捧げてまで「産まれ来る子らのため」に身体を張った大人たちがいた。

彼らが命懸けで守った「未来」とは、まさに今を生きる私たちに他ならない。
先祖が偉いかどうかではなく、私たちはできるのか。
それを真剣に考えたい。

大和の画像、及び特攻の映像を紹介する。
実際に見て、それぞれ考えて欲しい。

 

重要
【翁長県政の倒し方】日米外交に直結、沖縄選挙イヤー開戦。最前線へ!沖縄に行ってみた【県政奪還したい人はシェア】

 

重要
せめて一度は、この「音」を聴いておいてください。

・ミサイル攻撃時の、J-ALERTの音源
・【マニュアル】武力攻撃やテロなどから身を守るために(内閣官房)

 

 

 

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(OGP画像)

 

 

 

 

坊ノ岬沖海戦・参加戦力
第2艦隊からなる第1遊撃部隊が編成され、水上特攻を担当する部隊となった。出撃した部隊は以下の編制であった。参加兵力は計4,329名。平均年齢は27歳であったという。

 

第1航空戦隊
戦艦大和
(艦長:有賀幸作大佐、副長:能村次郎大佐、砲術長:黒田吉郎中佐):沈没。
被雷8本以上、直撃弾10発以上。戦死2,740、戦傷117名。

 

第2水雷戦隊(司令官:古村啓蔵少将)
軽巡洋艦矢矧(艦長:原為一大佐):沈没。
被雷7本、直撃弾12発。戦死446、戦傷133名。

※矢矧に座乗していた第2水雷戦隊司令官古村啓蔵少将、矢矧艦長原為一大佐は、ともに生還。

 

第41駆逐隊(司令:吉田正義大佐)
冬月(艦長:山名寛雄中佐):帰還。
中破。直撃弾2発(不発)。戦死12、戦傷12名。

涼月(艦長:平山敏夫中佐):帰還。
大破、艦首部に直撃弾を受け大破。
後進で佐世保に帰還。戦死57、戦傷34名。

 

第17駆逐隊(司令:新谷喜一大佐)
磯風(艦長:前田実穂中佐):至近弾により機関室浸水。航行不能になり処分。
戦死20、戦傷54名。

浜風(艦長:前川万衛中佐):沈没。
被雷1本、直撃弾1発。被弾で航行不能になった後、被雷し轟沈。戦死100、戦傷45名。

雪風(艦長:寺内正道中佐):帰還。
至近弾のみ。損傷無し。
戦死3、戦傷15名。ロケット弾が直撃したものの不発に終わった(帰還後判明)とする説もあるが元乗員らの記録では別の戦闘での損傷とある。

 

第21駆逐隊(司令:小滝久雄大佐)
朝霜(艦長:杉原与四郎中佐):機関故障を起こし艦隊より落伍、正午過ぎに敵機と交戦中との無電を発信後連絡が途絶えた。撃沈されたものと推定。隊司令及び艦長以下326名全員が戦死した。

初霜(艦長:酒匂雅三少佐):帰還。
至近弾のみ。損傷無し。戦傷2名のみ。

(艦長:松本正平少佐):直撃弾2発。
うち1発が機関室を直撃、破壊。航行不能により処分した。
戦死17、戦傷47名。

 

対潜掃討隊(第31戦隊 花月、第43駆逐隊 榧、槇)は瀬戸内海離脱後、命令により反転帰還。

 

 

アメリカ海軍
第58機動部隊(司令官:マーク・ミッチャー中将)
空母7隻
TG58.1-ホーネット(CV-12)、ベニントン、TG58.3-エセックス、バンカーヒル、ハンコック、TG 58.4-イントレピッド、ヨークタウン(CV-10)

軽空母4隻
TG58.1-ベローウッド、サンジャシント、TG58.3-バターン、TG 58.4-ラングレー

戦艦6隻
マサチューセッツ、インディアナ、ニュージャージー、サウスダコタ、ウィスコンシン、ミズーリ

その他の支援艦艇
大型巡洋艦アラスカ、グアムと多数の駆逐艦

空母艦載機 386機(367機)

 

 

 

 

 

坊ノ岬沖海戦・時系列
本日、4月7日、下記の戦闘が行われた。
沖縄を救うため、水上特攻がなされた日である。

 

4月5日
13:59 第1遊撃部隊に出撃準備下令。

4月6日
15:20 第1遊撃部隊が徳山沖を出撃。
19:45 第1警戒航行序列(対潜序列)。
20:20 磯風が敵潜水艦らしきものを発見、第二艦隊、米潜に発見される。

4月7日
06:00 第3警戒航行序列(対空序列)を取る。
06:30 大和が唯一搭載していた零式水上偵察機、本土に帰還。
06:57 朝霜(第21駆逐隊司令座乗)が機関故障のため随伴不能となり艦隊より離脱。
06:30頃-10:00頃 第5航空艦隊所属の零戦部隊による艦隊上空直衛が交代で実施される。
08:15頃 矢矧、水上偵察機を発進、本土に帰還。第1遊撃部隊、アメリカ軍の飛行艇2機に発見される。その後、艦隊は、アメリカ高速空母機動部隊から攻撃隊に先駆けて出撃したF6F戦闘機、F4U戦闘機計10数機の接触を受けながら、偽装航路を中止し、沖縄に向けて南下する。
10:00-10:30 奄美群島近海に展開していたアメリカ海軍第58機動部隊から、作戦機約400機からなる攻撃隊が、第1次攻撃隊と第2次攻撃隊とに分かれて、相次いで出撃する。
11:35頃 大和に搭載された対空電探が、約100キロの距離にいるアメリカ軍艦上機の大編隊の接近を探知する。
12:10 落伍した朝霜より、「ワレ敵機ト交戦中」との無電が入る。
12:15 大和以下の各艦が総員対空戦闘配置を完了する。第二艦隊、大島輸送隊とすれ違う。
12:21 朝霜より「九十度方向ヨリ敵機三十数機ヲ探知ス」との無電連絡が入る。この後、連絡途絶。この直後に沈没した。
12:32 敵攻撃隊の大編隊が雲間から降下し、第1遊撃部隊上空へ殺到し始める。第一次空襲が始まる。
12:34 大和以下の各艦が対空戦闘開始。
12:41 大和の後部に中型爆弾2発命中。電探室および主計課壊滅。
12:45 大和の左舷前部に魚雷1発命中。
12:47 浜風、轟沈。矢矧、航行不能。
13:00 第一次空襲終了。
13:08 涼月、前部砲塔付近に爆弾命中、大破。
13:22 敵機群第二波約50機来襲。
13:25 霞、爆弾2発命中、航行不能。
大和、初霜に通信代行を依頼。
13:33 第二次空襲始まる。
大和の左舷に魚雷3本が命中。大和の副舵が取舵のまま故障。
大和、涼月と衝突しかける[220]。13:45、舵中央で固定。
13:56 磯風、矢矧の救援中に被弾・航行不能。
14:05 矢矧、沈没。
14:20 大和、左舷に傾斜20度、総員最上甲板が命ぜられる。
伊藤長官が長官室に向かう。
14:23 大和、沈没(左舷側へ大傾斜、転覆ののち、前後主砲の弾火薬庫の誘爆による大爆発を起こして爆沈)。
14:23 伊藤中将の戦死により第1遊撃部隊指揮権を先任指揮官の古村少将が承継(この時点で漂流中)。
14:40 アメリカ軍の攻撃が終了。
16:39 作戦中止が下命される。
16:57 霞、沈没(砲雷撃により処分)。
17:42 初霜が古村少将(第2水雷戦隊司令官)を救助。
22:40 磯風、雪風の砲雷撃により処分。

4月8日
冬月、雪風、初霜及び涼月が佐世保軍港に帰投。

 

 

 

実写をベースに、一部をCGで再現した動画。

 

 

 

菊水作戦
米軍の沖縄進攻を阻止する目的で実施された日本軍の特攻作戦。
作戦名の「菊水」は楠木正成の旗印に由来する。

大和を含む水上特攻と相互関係にあり、作戦は第一号(1945年4月6日-11日)から第十号(6月21日-22日)まで実施され、その後も終戦までの間、断続的に特攻が続けられた。

特攻作戦と連動し、艦上攻撃機・天山、陸上爆撃機・銀河、艦爆・彗星などによる夜間雷撃や夜間爆撃も実施された。

 

少し長いため、折り畳もうかとも思ったが、できなかった。
「沖縄の為に」戦ったのだ。

知覧飛行場から出撃する特攻機と、見送る女学生たち。1945年4月12日

(画像諸元)クリックして下さい!
Hayakawa (早川) – http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_036.htm, originally:「毎日グラフ」1965年11月25日臨時増刊号〜続日本の戦歴 米軍が押収した戦場写真集/8月5日の連合艦隊
中島キ43一式戦闘機「隼」三型甲、第二十振武隊穴澤利夫少尉搭乗機、知覧飛行場、昭和二十年四月十二日

日本を法域とするこの写真画像は、(1)1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。または、(2)1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)され且つ起算日から10年以内に公表されなかったものである。これらの二つのいずれかであるため、日本の旧著作権法第23条及び著作権法附則第2条の規定により著作権の保護期間が満了しています。
アップロードする方へ: 画像の出典明記をお願いします。
(根拠: 法文) 旧著作権法 [1] (明治32年3月4日法律第39号、最終改正昭和44年法律第82号)

1899年(明治32年)7月15日施行、1971年(昭和46年)1月1日廃止
第二十三条【保護期間-写真著作物】
写真著作権ハ十年間継続ス
前項ノ期間ハ其ノ著作物ヲ始メテ発行シタル年ノ翌年ヨリ起算ス若シ発行セサルトキハ種版ヲ製作シタル年ノ翌年ヨリ起算ス
写真術ニ依リ適法ニ美術上ノ著作物ヲ複製シタル者ハ原著作物ノ著作権ト同一ノ期間内本法ノ保護ヲ享有ス但シ当事者間ニ契約アルトキハ其ノ契約ノ制限ニ従フ
第五十二条
3. 第二十三条第一項中十年トアルハ当分ノ間十三年トス

 

菊水一号作戦
「菊水一号作戦」・「第一次航空総攻撃」(4月6日 – 11日)

4月6日正午、海軍の作戦機は391機、陸軍は133機が九州と台湾の航空基地を飛び立った。うち特攻機は海軍215機、陸軍82機。

海軍第一制空隊30機が囮となり、さらに陸軍の司偵が東シナ海上にチャフを散布してアメリカ軍の防空網の目をひきつけ、沖縄本島上空に隙を作った。これを衝いて、特攻機がアメリカ艦隊へ突入した。特攻機の未帰還機は海軍162機、陸軍50機に及び、341名が特攻により戦死した。

6日15時、航空作戦と呼応して、大和以下の第2艦隊(司令長官:伊藤整一中将)第1遊撃部隊が徳山沖を出撃。7日、撃沈。

 

菊水二号作戦
「菊水二号作戦」・「第二次航空総攻撃」(4月12日 – 15日)

9日に「菊水二号作戦」と「第二次航空総攻撃」を発令したが、天候悪化により決行は先延ばしとなっていた。12日、作戦の決行が下令され、海軍の作戦機354機、陸軍の作戦機124機、うち特攻機として海軍103機、陸軍72機が出撃した。

12日の出撃には「桜花」8機が参加していた。うち1機は駆逐艦マナート・L・エーブルを撃沈、これは結局、桜花による唯一の軍艦撃沈事例となった。他にも特攻によりアイダホ」と戦艦「テネシーの2戦艦に損傷を与えた。特攻機の未帰還は海軍69機、陸軍49機であった。

 

ザ・コクピット 音速雷撃隊 MAD 「或る夏の一日」
桜花を描いた作品。(ショートバージョン)

 

 

菊水三号作戦
「菊水三号作戦」・「第三次航空総攻撃」(4月16日 – 17日)

16日、「菊水三号作戦」と「第三次航空総攻撃」が発令され、海軍は最大規模の出撃を敢行した。この日海軍は作戦機415機、陸軍は92機を投入。うち特攻機は海軍176機、陸軍52機であった。特攻機の未帰還は海軍106機、陸軍51機。この頃には既に陸軍の特攻機は実用機が不足し、旧式の九七戦や練習機を投入し始めていた。

空母イントレピッド、戦艦ミズーリなどが損傷した。さしものアメリカ軍も執拗な攻撃に悩まされ、サイパンにあったB-29を動員し、21日と22日に南九州の日本軍飛行場を爆撃した。

 

菊水四号作戦
「菊水四号作戦」・「第四次・第五次航空総攻撃」(4月21日 – 29日)

20日から22日にかけ、海軍は作戦機258機、うち特攻機26機を投入。特攻機の未帰還は3機であった。陸軍も作戦機11機を投入した。23日から26日の攻撃は低調に終わったが、27日から30日にかけて海軍は再び全力を動員し、作戦機587機、うち特攻機100機を投入、特攻機59機が未帰還となった。

 

菊水五号作戦
「菊水五号作戦」・「第六次航空総攻撃」(5月3日 – 9日)

5月3日、沖縄本島の第32軍は総攻撃を開始した。大本営がこれを支援する方策は特攻作戦しかなかった。同日、「菊水五号作戦」と「第六次航空総攻撃」が発令された。海軍は1日から4日にかけて、作戦機449機、うち特攻機160機を投入、特攻機の未帰還は65機であった。戦果は大きく、3日に駆逐艦リトルを撃沈、4日の攻撃は大規模なものとなり、リュース、モリソンの2駆逐艦が撃沈され、護衛空母サンガモンが損傷した。また、イギリス海軍の空母フォーミダブルとインドミタブルも損傷した。

 

米軍艦に突っ込む特攻機

 

 

菊水六号作戦
「菊水六号作戦」・「第七次航空総攻撃」(5月11日 – 14日)

11日、「菊水六号作戦」と「第七次航空総攻撃」が発令され、海軍は8日から11日にかけて作戦機345機、うち特攻機86機を投入、12日から15日にかけても作戦機237機、うち特攻機47機を投入した。特攻機の未帰還はあわせて95機であった。陸軍も作戦機80機、うち特攻機35機を投入した。
この最後の力を振り絞ったかのような攻撃によって、11日、第58機動部隊の旗艦である空母「バンカーヒル」に特攻機2機が命中、同艦は大破して戦死402名、戦傷264名という損害を受けた。

ミッチャー中将は旗艦を空母エンタープライズへ移したが、さらにそのエンタープライズも14日に特攻を受けて損傷し、この殊勲艦も終戦まで戦線から離脱させられた。ミッチャー中将はさらに旗艦を空母「ランドルフ」へ移さざるを得なくなった。アメリカ軍は再び南九州の特攻基地へのB-29による爆撃を強化した。

5月11日、空母バンカーヒル大破

 

写真諸元・ライセンス(クリックして下さい!)
English: The U.S. Navy aircraft carrier USS Bunker Hill (CV-17) afire after being hit by two “Kamikaze” suicide planes off Okinawa, 11 May 1945. Photographed from USS Bataan (CVL-29).

 

5月14日、空母エンタープライズ大破

 

写真諸元・ライセンス(クリックして下さい!)
The U.S. Navy aircraft carrier USS Enterprise (CV-6) being hit by a Japanese bomb-laden kamikaze on 21 May 1945. The ship’s forward elevator was blown approximately 400 feet into the air from the force of the explosion six decks below.

U.S. Navy, photograped from USS Bataan (CVL-29). – Official U.S. Navy photo 80-G-323565 from the U.S. Navy Naval History and Heritage Command

 

菊水七号作戦
「菊水七号作戦」・「第八次航空総攻撃」(5月24日 – 25日)

24日、「菊水七号作戦」と「第八次航空総攻撃」が発令された。この頃になると海軍でも実用機が払底し、練習機「白菊」を特攻機として投入する末期的状況を呈していた。

23日から25日にかけて、海軍は作戦機387機、うち特攻機107機を投入。特攻機の未帰還機は32機であった。陸軍は作戦機174機、うち特攻機61機を投入した。

 

菊水八号作戦
「菊水八号作戦」・「第九次航空総攻撃」(5月28日 – 29日)

28日、「菊水八号作戦」と「第九次航空総攻撃」が発令される。26日から28日にかけて、海軍は作戦機217機、うち特攻機51機を投入し、特攻機の未帰還機は26機。陸軍は作戦機71機、うち特攻機57機を投入した。

 

菊水九号作戦
「菊水九号作戦」・「第十次航空総攻撃」(6月3日 – 7日)

6月、沖縄本島では既に第32軍が首里を放棄し、地上戦は最終段階に至っていた。3日、「菊水九号作戦」と「第十次航空総攻撃」が発令されたが、もはや航空戦力も尽きかけていた。1日から7日にかけて、海軍は作戦機367機、うち特攻機23機を投入し、特攻機の未帰還機は5機。陸軍は作戦機71機、うち特攻機31機を投入した。

 

菊水十号作戦
「菊水十号作戦」・「第十一次航空総攻撃」(6月21日 – 22日)

23日、第32軍司令官牛島満中将が自決し、沖縄本島での日本軍の組織的抵抗は終わった。大規模な特攻作戦も、21日に発令された「菊水十号作戦」と「第十一次航空総攻撃」が最後となった。16日から22日にかけて、海軍は作戦機271機、うち特攻機67機を投入し、28機の特攻機が未帰還となった。

 

 

沖縄が、陥落。
これをもって、組織的な大規模特攻は沈静化していく。

 

 

 

特攻の、結果と影響
ここも意外に知られていない真実である。
wikipediaのままで申し訳ないが、お読み頂きたい。

 

沖縄諸島周辺での特攻作戦において、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、海軍では2,045名、陸軍では1,022名が特攻により戦死した。そのうち133機が命中、122機が至近弾となり、アメリカ軍の艦艇36隻を撃沈し、主力艦艇の多数を損傷させた。

菊水作戦によるアメリカ軍とイギリス軍の戦死者は4,907名、負傷者は4,824名に上った。第二次世界大戦におけるアメリカ海軍の艦艇の喪失の7分の1は沖縄諸島周辺海域におけるものであり、その8割は特攻による戦果である。

 

 

>第二次世界大戦におけるアメリカ海軍の艦艇の喪失の7分の1は沖縄諸島周辺海域におけるものであり、その8割は特攻による戦果である。

特攻が無駄だったという説を、左翼もメディアも主張するが、果たしてそうだったのか。

 

以下は、特攻作戦の動画ではないが、当時の我が国の作戦機である。
貴重な、実機の映像資料であり、私も初見のものが多数あった。

この機体の映像を見て、「特攻は無駄だった」と、貴方は言えるのか?

 

 

 

 

祖先の名誉を誇れる生き様
先祖を誇ることは重要なことだ。
その名誉を汚すことを許さぬ、というスタンスである。

ならば、今を生きる私たちはどうか。
それを問いたい。

 

戦争も後半ともなれば、機体の性能にも開きがある。
整備や補給も満足に受けられない。
訓練だって完全とは言えず、硫黄島に至っては「ほぼ市民と変わらない練度」だった兵士も多く含まれていた。

かつて我が国では、我が国の未来を守らんがために、
一つしかない命を捧げてまで「産まれ来る子らのため」に身体を張った大人たちがいた。

彼らが命懸けで守った「未来」とは、まさに今を生きる私たちに他ならない。
先祖が偉いかどうかではなく、私たちはできるのか。
それを真剣に考えたい。

大和の画像、及び特攻の映像を紹介した。
実際に見て、それぞれ考えて欲しい。

 

神風特攻隊員たちの遺書

 

 

 

沖縄を、見捨てはしない。
我が国である沖縄県が他国の侵攻を受けた際、
かつて我が国の祖先らは、死力を尽くして守ろうとした。
歴史的な事実であり、海上特攻、度重なる航空特攻をもって英霊は覚悟を示した。

 

その祖先を私たちが誇りに思うのならば、
沖縄が苦境に陥り、あたかも他国に支配されつつあるならば、
今を生きる私たちも戦うべきだと呼びかけたい。

沖縄市長選
4月22日(日)投開票
自民党候補は、現職の「くわえ朝千夫(さちお)」。

 

 

 

 

沖縄市長選の選対本部長は、沖縄県議の花城大輔先生。
那覇市議選より仲良くなり、熱烈な保守系議員。

実は、機動隊を守るデモにおいても沖縄県議として、非常に踏み込んだ祝電を送ってくださった先生で、「沖縄にもこんな議員がいる」と誇りに思える県議です。

 

私の聞くところによると、
沖縄市長選は、まだ苦しい状況を脱したとは言えず、難しい情勢が継続している。

沖縄県知事選を秋に控え、ここを勝たねば、知事選への挑戦権を保守派は失うことになる。
自民候補には現職の強さはあるが、私から見ても中だるみを感じる。

不可能と言われた名護の勝利、分裂選挙の石垣市長選の勝利が悪い意味での慢心。
現場指揮官である議員らは警鐘を鳴らすが、支持者には危機が伝わりきれていない。

 

沖縄市長選が目前に迫る中、
自民「くわえ朝千夫(さちお)」への、支持を広めていこう。

戦艦大和と乗員は、行ったんだ。

 

 

 

駆逐艦 涼月
私の後援会の名前は、涼月会。

先ほどの沖縄特攻の話において、
個人献金を賜った方には、
聴いたことがある名前が艦名の中にあったと思う。

 

私の後援会の名前は、秋月型駆逐艦の3番艦 涼月から頂いている。

戦艦の名前ではなく、敢えて駆逐艦の名から頂きたかった。
それは地方議員としてのプライドでもある。
装甲こそ薄いものの、凄まじい速力で一気に接近し、必殺の酸素魚雷。

撃沈のリスクを背負いつつ、常に最前線にある。
私のプライドは、そこにある。

 

涼月は、大和とともに沖縄特攻。
冬月とともに第41駆逐隊として、戦う。

この艦名を後援会名にした理由は、沖縄に特攻したからではない。
生きて還ったからだ。

大和が轟沈した坊の岬海戦で致命傷とも言える損傷を受けたが、生還した。
最前線を戦い、満身創痍となりつつも、生きて帰ってきた。

被害は甚大だった。
艦内電源が断たれたため消火活動が遅延、一番砲塔、二番砲塔も大破。
中央部も海面から甲板まで数十cmという状態。
艦首が沈下(前方傾斜10度)しており、前進すると船体が潜ってしまうため、バックで佐世保に帰還開始。

ただし、通信装置を失い、ジャイロコンパスも破損していた。
ほとんどの海図も焼失、地図がない。

帰着が遅く、すでに沈没してしまったと思われていた。
突然の帰還に佐世保海軍工廠はサイレンを鳴らして歓迎、
ここまで粘った涼月だが、入港時に後進から前進に切り換えたことで浸水が進行。
第七船渠内に収容するも、ドックの排水が間に合わずドック内にて着座。

ここまでの被害にも関わらず、沈没しなかった理由。
大破した前方区画のうち、前部弾薬庫は区画内部から防水処置がされていたため、である。
つまり、吹き飛んだ前方区画に「人が行き」「内部から完璧に気密作業」を行った。
内部から防水処置をすれば、完璧な防水はできる。

だが、中に入った者は脱出方法がない上、酸欠で死ぬ。
気密作業を行った3名の乗員は、後に酸欠死している状態で発見された。
うち一名、自決。

 

涼月は、単に戻ってきただけではない。
我が国の、役に立つために戻ってきた。

 

その艦命、その最期は、まさに祖国の礎となること。
ここまでの艦歴を有するも、他国であれば博物館にでも飾っておきたい船なのだが、戦後の日本には物資がなかった。

いま行橋市は、北九州経済圏として、雇用を含め恩恵を受けているが、
北九州の港の整備は、戦後復旧の要でもあった。

 

高い波を避けるため、防波堤が必要であり、若松港には軍艦防波堤というものがある。
涼月を含む3隻の日本軍艦艇は、土砂や岩石を詰め込まれ、沈設したものである。

平成の現在、もっと立派な防波堤も完成しているが、
いまでも駆逐艦柳の艦体をはじめ、実際に見ることができる。

沈まざる月は、いまでも海から私たちを見ている。

 

 

沈まざる月 ~駆逐艦『涼月』~
(ネット小説 5分ほどで読めます。是非ご一読を。)

 

 

実は涼月が致命傷に近い損害を受けたのは、坊の岬海戦だけではない。
瀕死の重傷を何度も受けながら、修復して戦線復帰。
沖縄特攻を敢行し、それでも戻ってきて、死んでも日本の礎となる。

 

 

本日、4月7日。
沖縄を奪還するため、我が国が一縷の希望を賭け海上特攻を敢行した日。
連合艦隊旗艦を務めた戦艦大和が轟沈、そして私が後援会名に頂いている涼月が瀕死の重傷を負った日。

だけれども、戦い続けた日。

 

 

 

 

 

 

いま我が国は国難を迎え、

 

有事に直面する危機が現実味を帯びてきた。

 

本日、4月7日、戦艦大和を含む、大型艦艇による最後の作戦が決行された。

 

水上特攻、天一号作戦。

 

大和、轟沈。

 

作戦に参加した者の平均年齢は27歳であったという。

 

彼らが守ろうとした、我が国の未来には、

 

まだ産まれこぬ子らが含まれていた。

 

いまを生きる、私たちのために戦った。

 

その願いと祈りを託された者として、

 

私たちの生き様は、

 

英霊の血を引く者として、

 

正しい振舞いなのかと振り返る。

 

有事は、起きるかも知れない。

 

貴方も、家族も、死ぬかも知れない。

 

だけどオロオロするばかりで、

 

誰かのせいにしても始まらない。

 

せめて腹は括りたい。

 

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重要
せめて一度は、この「音」を聴いておいてください。

・ミサイル攻撃時の、J-ALERTの音源
・【マニュアル】武力攻撃やテロなどから身を守るために(内閣官房)

 

テロに屈したと全国から批判された決議に賛同した者(敬称略)
桜の会(議長会派):小原義和(公明)、西岡淳輔(公明)、(死没のため略)
市民の会(いわゆる野党会派):藤木巧一、二保茂則、鳥井田幸生、大池啓勝、工藤政宏、瓦川由美、西本国治
共産党会派:德永克子(共産)田中次子(共産)

 

詳しくはこちら。

 

私なりのケジメ

【爆破予告】テロに屈した議会に討ち入り。忠臣蔵、切腹の美学。地方議員の覚悟【テロに屈しない人はシェア】

 

 

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カテゴリー: 国政報告 パーマリンク

【今日は何の日】大和、特攻。坊の岬沖海戦。沖縄を護るため、英霊が戦った日【4月7日】 への20件のフィードバック

  1. 月光仮面 のコメント:

    戦ったんです うちの親父も おじさんも みーーーんな戦いました
    そして おばさんのおばさんの家は二人の息子が戦死して名前が途絶えるので
    おばさん夫婦が養子に入りました みーーーんな戦ったんです おいらの
    友達の親父は軍医で馬に乗って戦っていたと聞きました うちの親父は
    38式歩兵銃で飛行機を打ったそうなぴーーーんと音がした後 機銃で
    打たれたそうな 敵前上陸もしたそうな 狙撃もしたそうな その後
    負傷して日本に帰ったがその部隊は南方で玉砕したそうな みーーーんな
    戦ったんです ハッキリ言いますが 悪人ではありません 国を守るために
    戦い死んだんです 相手の肩を握りしめたまま死んでたり 何日ももがき
    苦しみながら死んだ兵隊やら 皆頭を出すなと叫んだ上官の口から弾が入り
    くびから弾が抜けて行き舌やら歯やら唇やらがのどに詰まり窒息した人やら
    はらわたが飛び出し苦しんで逝った人やら 朝起きたら小隊が首を刺されて
    生きていたのは数人だったとか いろいろ 闘って日本を守ったんです
    だから 左翼の日本壊し 朝鮮人の日本壊し チャイナ人の日本壊しは
    許せないのです 皆さん 日本を守りましょうよ 日本の兵隊さんは
    皆さん 優しかったと思いますよ 日本人だもの 優しい筈です
    親父 敵前上陸もしたと言っていました 場所は言いませんが 闘ったんです
    皆 みんな 闘ったんです 今のマスコミや左翼のような卑怯な事を
    しなかった そうそう 親父が言っていた事に 戦争になったときソ連に
    逃げて行って戦争が終わってから日本に帰ってきて大きな顔してると
    どこぞの知事の悪口を言っていました 闘ったですね おいらの誇りです

    • 月光仮面 のコメント:

      現在の国防 チャイナ首相が北海道に訪問するらしいです
      これ 指加えて見ていいのですか その目的を 国防の観点から
      見るべき
       
      そして 政府 無人島の国有化を終え 離島の私有地の状況を
      調べるらしいですね 調べるだけでは ダメですよ

      そして さらに 米政府、台湾の潜水艦自主建造計画を支援 米企業の参加認め、商談許可 これぞ 現在の国防ではないだろうか 政府の関係者
      の皆様 アメリカ様が通る 後に続いても良いのですよ 皮肉は
      止めて 進言します 台湾をもっと支援しろ 潜水艦をつくれーーー
      そして 台湾で20隻 日本で80隻は潜水艦を作るべき
      ビビッていては トランプ大統領に先を越されるぜ 日本のために
      すすめよ すすめ

  2. ぼりん のコメント:

    数年前、呉の大和ミュージアムを訪ねた時は人目をはばからず
    号泣した私ですが、今日は御稿を拝読して一人PCの前で涙しています。
    ありがとうございました。

  3. 櫻盛居士 のコメント:

    **********************************************************************
    共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
    ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。

     ・『テロを利用する共産党』
     ・『テロリストの味方である共産党』
     ・『テロに屈する共産党』

    **********************************************************************
     
     
    先の大戦に触れてそれを理解するには、経済、軍事、法学、工学、医学、当時の技術レベル、当時の風潮、当時の世情など、兎に角幅広い知識が必要です。
    ぶっちゃけると、小生の最も苦手な事が必要不可欠って事なのですが。

    パヨクが多用する”特攻は無駄だった説”などは、これらの幅広い情報を得ていれば「騙される事の無い」典型例であると言えるでしょう。
    昭和20年8月15日の停戦後に、米軍は対特攻兵器をワザワザ開発して、艦船に搭載したりしてます。
    特攻が無駄なら、ワザワザ多大なコストと労力を投資してまで開発したりしません。
    更に米軍は艦船の甲板を強化したり、レーダーの限界も浮き彫りにされた結果、応急修復技術と操縦技術の重要性が強調され、前進基地における艦船修理技術が目ざましく進歩したりしています。

    スプルーアンス第五艦隊司令長官のニミッツ太平洋艦隊司令長官の報告では・・・

    敵の特攻攻撃は熟練かつ効果的であって、艦艇の損害きわめて大なるため、あらゆる手段をつくして、今後の特攻攻撃の阻止を計らねばならない。よって、第十二空軍をふくむ全航空兵力を動員して、九州および台湾における敵飛行場に、できるかぎりの攻撃を実施するよう進言す

    とあります。

    更に、戦争に触れるのであれば物理的戦果だけを追っても意味がありません。
    我が国も人命を賭した消耗戦であったと同時に、敵も亦た同様でした。
    故に、心理戦での戦果も見て行く必要があります。
    元米海軍中尉で大東亜戦争当時従軍記者であったハドソン・W・ボールドウィンによると・・・

    沖縄では死のうとする意志と生きようとする意志が真っ向から対決し、死のうとする意志が生きようとする意志を敗北させた。日本軍の場合は特攻機は技術以上のものを意味した

    毎日が絶え間ない警報の連続だった。ぶっつづけに四十日間も毎日毎夜、空襲があった。そのあとやっと、悪天候のおかげで、短期間ながらほっとひと息入れられたのである。ぐっすり眠る、これがだれもの憧れになり、夢となった。頭は照準器の上にいつしか垂れ、神経はすりきれ、だれもが怒りっぽくなった。艦長たちの眼はまっ赤になり、恐ろしいほど面やつれした。敵の暗号を解読し、その意図を判断する、海軍の”マジック”班の活躍によって、艦隊は敵の大規模攻撃を正確に予測することができた。時には攻撃の前夜に、乗員たちに戦闘準備の警報がラウドスピーカーで告げられた。しかし、これはやめねばならなかった。待つ間の緊張、予期する恐怖、それが過去の経験によっていっそう生々しく心に迫り、そのためヒステリー状態に陥り、発狂し、あるいは精神耕弱状態におちいったものが何人かあったからである。

    とまで記されているのです。

    亦た劇的な航空機による特攻だけでは無く、日本兵が泳ぎながら押してきた浮きイカダにくくりつけた水中機雷によって撃沈されたりもしています。
     
     
    その結果として停戦後8年も経過した昭和28年4月29日に、天皇誕生日に敬意を表してアメリカ海軍航空基地で掲揚された日本国国旗を見た兵器主任の米海軍大尉は、下記の様な言葉を漏らしています。

    この日の丸をつけた飛行機、カミカゼだ。あれがまっすぐに飛行甲板に向ってダイブしてきて、僕のいた処(ところ)から十米(メートル)ぐらい離れた甲板に突込んだんだ。驚いたね、まったく胆(きも)をつぶしたよ。その時、僕は破片で脚をやられた。それからというものは日の丸を見ると落ちてくるような気がして、ぞっとするんだ

    リアル世界で命を賭した戦いを経験した者にとって、特攻は「もう日本とは戦いたく無い」と焼き付けるには十二分の効果を発揮したと評価しても良いでしょう。
    これは転じて「再び日本を怒らせて、戦争再発に至らせてはならない」と、本能的に理解せざるを得なかった事でしょう。

    兎角、反日勢力は戦争の悲惨さだけを強調し印象操作を行っていますが、『戦争すら出来ずに支配される悲惨さ』を語る事はありません。
    亦た”敗戦の悲惨さ”も触れる事はありません。

    一般的には玉音放送として知られる”大東亜戦争終結ニ関スル詔勅”の一節、「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ(堪え難きを堪え、忍び難きを忍び)」を知らぬ方はいらっしゃらないでしょう。
    テレビ番組ではそこだけをトリミングして使用する為、かなりの確立で戦争中の苦労を語った御詞だと誤認している方がいらっしゃいます。
    実はこの一節は敗戦後に日本に降りかかる、昭和20年8月15日以降の事を仰っているのです。
    少しスコープを広げ、口語訳を記すと以下の通りです。

    思慮するに、帝国が今後受けなくてなたない苦難は当然のこと尋常ではない。汝ら国民の衷心も朕はよく理解している。しかしながら朕は時運がこうなったからには堪えがたきを堪え忍びがたきを忍び、子々孫々のために太平を拓くことを願う

     
     
    そもそも、当時は世界情勢も風潮も現在とは全く異なっているのです。

     1868年(明治元年)-1945年(昭和20年)=77年

    1945年の段階では、かろうじて生年月日が江戸時代の元号である人が生きていた時代です。
    「やっべー、このまま江戸幕府が続いたら日本は欧米に呑まれてしまう!」と頑張った世代の子や孫が生きていた時代です。
    欧米人が「日本は特別だ。日本だけは違う惑星なんだ。俺たちは遅れている」と自虐的な意見が飛び交う現在とは違うのです。

    大東亜戦争に対する危機感は、現在の我々とは比べ物に成らない程に切迫していたでしょうし、戦争すら出来なかった場合の悲惨さは、その目で実際にカチリアル世界で見て来た人間の方が的確に予想出来る事は明白です。

    現在のパヨクの御高説は、四則演算も理解して居無い者が行う、数学の授業の様なもので、何の役にも立ちません。
    繰返し「5-2✕10=30」「5-2=は3で、3✕10=30だから30なんだ!」と声高に叫んでるに過ぎません。(正解は -15)

    その様なアホ情報弱者が垂れ流す誤情報に惑わされるのは、それ自体が問題と言えるでしょう。

    嘗て沖縄戦で勇敢に戦った将兵、官憲、地元の民間人は、誇り讃えられて当然でしょう。
    それらの血を引く者が、名誉を捨てて被害者乞食に成り下がっては、御先祖様に顔向け出来無くなってしまうのではないでしょうか。

    そして情報弱者が垂れ流す誤情報に惑わされ無かった、嘗て勇敢に戦った者と志を同じくする沖縄の方が情報戦で激闘しています。

    あの大戦で散華した英霊に対する供養も、現在では変化せざるを得ない状況と言えるでしょう。

  4. かな のコメント:

    我が国を守るため、戦地に赴き散っていった方々は現在の日本の礎であり英霊として否定することは絶対に許されないと思います。
    小坪市議の書き込みを見て涙が出ました。

    戦中戦後については、コミンテルンの暗躍等について色々思うところはありますが、日本のために殉職した英霊に対して、日本国民がA級だのB,C級だの靖国神社に合祀は出来ないなどと、既に名誉回復がなされている方々に対して余りにも看過できないことが、与党議員にすら存在することに対して有権者として情けなく思います。

    世界中で戦争が起こる中、どの国でも敗戦したとしても、殉職された方々は英霊として祀られているわけで、日本だけそれが許されていないということは、やはり安倍首相の言っている通り、日本は戦後レジームからの脱却が出来ていないという左証なのだと思います。

    それは、戦後70年を経過してなお、日本は軍隊を持てない、集団的自衛権を行使出来ないと言う、国家として当たり前の事が出来ないという現実や、マスコミや官僚が政府を掌握して倒閣運動を仕掛けるなど、日本は実は未だに戦中から抜け出せていないという思いがしてなりません。

    • かな のコメント:

      あと、玉音放送は皆さんが良く知っている「耐え難きを耐え(以下略)」だけではありません。
      現代語訳でも良いですから全文を読んでみて下さい。
      昭和天皇がどのようなお気持ちでポツダム宣言を受諾したのかが詳らかに描かれています。
      あと、本当に日本が詰んでいた事もよくわかります。

      連投スミマセン。。。

  5. 五人の孫のジイジ のコメント:

    うちの親父は予科練から特攻へ行く予定でした。訓練中の事故で負傷し特攻への参加はかなわなかったようですが、復員してからの生活は荒れ果てていました。自分だけが助かったからの自虐なのか、酒を煽り財産も食いつぶして51歳の若さで亡くなりました。
    私は子供の時よりそんな親父が嫌で嫌でただ普通の家庭に生まれたかったとずっと思ってました。親父が酔っぱらって遠くからも聞こえるほどの声で同期の桜を唄いながら帰ってきてはその親父を介抱した事は今でも忘れません。親父が名誉の戦死をしていれば私は今、存在しません。子供の頃は親父の存在をよく思ってませんでしたが、今は国の為に予科練に志願し特攻まで行こうとした親父の心中を思うと生き残ったことで自分を責めて自虐に走ったことを責めることはできません。親父もつらかったと思うのです。戦争の話は聞いたことはありません、ただ酒におぼれ酔った時はいつも予科練の歌をを唄い涙を流してました。それだけは今でもはっきり覚えています。戦争は悲惨です、でも国や家族を守ることは当たり前です。いつまでも憲法9条の亡霊に操られて自分たちの立ち位置を見失ってはいけません、日本を命を賭けて守ってくれた英霊たちに報いる為にも、今の日本を立て直さないとそれが私たちの使命です。
    小坪先生、いつもありがとうございます。

  6. 野良犬 のコメント:

    大和の英霊に黙祷。
    日本は皆様の散華されて以来の最大の国難に直面しております。
    我々は手を縛られた状態で立ち向かおうとしております。
    願わくはもう一度お手をお貸し下さらん事を。

  7. じこく のコメント:

    小坪先生、以前にCHINAの読み方が記された記事について、ツイッターで指摘を頂きました。
    「ドイツ語のChina、正式な読みはヒーナなのに何故かシーナとかキーナみたいな出所不明の読みが蔓延してる。」
    とのことです。
    もしよろしければドイツ語のできる方、確認をお願いいたします。
    ttps://twitter.com/geshtamjump/status/982492043099365377

    • 野良犬 のコメント:

      ch(ツェー ハー)は単語の冒頭では日本語の「は」行の音で、chinaはヒーナになります。但し、これは標準ドイツ語(日本では学校ドイツ語)の話です。ドイツにも方言発音があり、かつ個人でも違いはあり、シーナ、キーナもドイツでは間違いとは云えません。
      日本のシーナ、キーナはchを英語読みにしている可能性がありますが、結果として間違いではないと言えると思います。公的文書ではヒーナと書くべきではありますが。

  8. あかうお のコメント:

    呉の大和ミュージアムへ何度か赴きました。
    初回、ガイドを受けたのですが、台湾人の男性と一緒になりました。
    (日本語は分かるとの事で、一緒に日本語ガイドで)
    軍国主義の象徴的な存在である大和を、統治下であった台湾人は
    どう感じるのだろうか…と心配になりましたが、その方は静かに
    展示を周り、説明を受けていました。
    これが中国人や韓国人だったら、どうなっていたことか…。
    現在は長門と絡めた企画展を開催中なので、また行きたいと思います。

  9. 旧新人類 のコメント:

    沈まざる月~駆逐艦『涼月』~読みました。SF短編小説みたいで面白かったです。主人公は祖国と愛する家族だけでなく船も守ったのですね。乗りものにはいつもロマンを感じます。海洋国家の日本も大洋に浮かぶ巨大な船みたいなものです。日本人もこの船と運命をともにする乗組員ですね。英霊は今も私たちを見守っていて、はらはらしながらも私たちを信じていると感じています。信じてくれる人を裏切られますか?(そういう裏切りが平気なモラルの無い人、たくさんいますけどね。特に嘘つきのマスゴミ・野党・その他内ゲバ大好きな有象無象。)この記事からも伺えますが、日本人の特質として類まれなる集中力があります。こればかりは、はるか古代から綿々と続く国民性なので、他の非文明国などがいくら逆立ちしようが真似できません。日本人は途中で持ち場から逃げるなど卑怯なことはしないで最後までやり抜きます。すでに平時から自衛隊もそれを証明していますし、小坪先生の絶対に譲らないでとことんやる、というのもそこですね。やはり英霊の血は生きてますよ。

  10. 草莽の団塊です! のコメント:

    小坪先生、情報ありがとうございます・・・心から感謝です

    >本日、4月7日、戦艦大和を含む、大型艦艇による最後の作戦が決行された。
    >水上特攻、天一号作戦。大和、轟沈。

    海上特攻(天一号作戦)と相合支援関係にあった菊水作戦(第一号~第十号)に参加されたすべての英霊の方々に対して、心からありがとうございますと心なかで、つぶやきました。また、同時に亡くなられた英霊の方々のご冥福をお祈りしました。

    >第二次世界大戦におけるアメリカ海軍の艦艇の喪失の7分の1は沖縄諸島周辺海域
    >におけるものであり、その8割は特攻による戦果である。

    これが特攻だったんだ!ということ、日本の歴史教育で、中学生、高校生に絶対、おしえるべきです。特攻の戦果がきちんと教育されていれば、わたくしたち団塊の世代の多くが、現在のようなお花畑にはならなかったはずです。

    閑話休題・・・・

    >私の後援会の名前は、秋月型駆逐艦の3番艦 涼月から頂いている。
    >戦艦の名前ではなく、敢えて駆逐艦の名から頂きたかった。
    >それは地方議員としてのプライドでもある。
    >装甲こそ薄いものの、凄まじい速力で一気に接近し、必殺の酸素魚雷。
    >撃沈のリスクを背負いつつ、常に最前線にある。私のプライドは、そこにある。

    涼月の名前をみて、あ、これ、小坪先生の後援会の名前だ!と、ぴんときました。
    で、涼月をググると・・・・「すずつき」となりました。
    あれ、、後援会の名前は、あきづきかい・・・だったよな。ん!?とおもったのです、しかし、小坪先生の上記のコメントをみて、納得いたしました。

  11. 波那 のコメント:

    ✳執拗に迫り来る中国の軍事的脅威への対抗策として自衛隊が水陸機動団を始動させました。安倍政権で本当に良かったと思います。

    🔻「日本版海兵隊」の水陸機動団が始動 広大な南西諸島を防衛 輸送などに課題…
    2018.4.8 06:00
    http://www.sankei.com/smp/politics/news/180408/plt1804080003-s2.html

     「日本版海兵隊」となる陸上自衛隊の離島奪還専門部隊「水陸機動団」が始動した。7日に相浦駐屯地(長崎県佐世保市)で隊旗授与式を開き、訓練を公開した。手本とする米海兵隊も参加した。中国の軍事的脅威が増す中、南西諸島の防衛力強化の要と期待される。ただ、即応体制の整備や輸送力不足など課題は少なくない。

     訓練は離島が占領されたとの想定で実施した。飛来したヘリコプター2機から陸自隊員と米海兵隊員が次々と地上に降下。水陸両用車「AAV7」が砲撃しながら隊員らとともに前進し敵陣地を制圧、奪還に成功した-。

     イラク日報問題の影響で式典出席を見送った小野寺五典防衛相は「水陸機動団の創設により初めて本格的な水陸両用作戦能力を有することになる。団結して困難に立ち向かうことを期待する」と訓示を寄せた。

     3月27日に新設された水陸機動団は2100人態勢で、2個の機動連隊、戦闘上陸大隊、後方支援大隊などで構成している。将来的には3千人規模に拡充し、1個連隊を沖縄に配備する構想もある。

     水陸機動団が守る南西諸島は広大で、鹿児島県の大隅諸島から沖縄県の与那国島まで。全長約1200キロで日本の本州と同じ程度とされる。しかし、自衛隊は主要戦力を南西諸島に配備しておらず「防衛の空白地帯」とされてきた。その間隙(かんげき)を突くように中国は南西諸島周辺の海空域で活動を活発化させている。

     水陸機動団は島嶼(とうしょ)侵攻を許した場合、奪還作戦の先陣を切る役割を担うが、解決すべき課題も横たわる。

     陸自は水陸機動団を運ぶ主要輸送機としてオスプレイ17機を米国から購入し、佐賀空港(佐賀市)への配備計画を進めている。佐賀空港と相浦駐屯地は60キロと近距離で、迅速な有事対応が可能だからだ。だが、今年2月に陸自ヘリが佐賀県内の民家に墜落し、計画は暗礁に乗り上げている。

     このため、防衛省は今秋に納入される最初の5機を、米軍のオスプレイ整備拠点がある木更津駐屯地(千葉県木更津市)に暫定配備する方向だ。ただ、木更津と相浦駐屯地は約1千キロも離れている。佐賀に比べて少なくとも2時間以上のロスが生じ、部隊展開への影響は避けられない。

     米海兵隊は上陸作戦の際、水陸両用車や装甲車を強襲揚陸艦で海上輸送するが、自衛隊には一隻もない。代わりに、海自の「おおすみ」型輸送艦3隻を改修して対応するが、輸送力不足は否定できない。

     AAV7も水陸機動団の発足時に36両を配備する予定だったが、米国の生産体制の都合で12両にとどまった。そもそもAAV7は米軍が1970年代に配備した“年代物”で、水上速度が時速13キロと遅い。陸自内では「敵から狙い撃ちにされる」との批判が根強く、防衛省は国産化を視野に入れた水陸両用車の技術研究を進めている。

     ソフト面の課題も残る。護衛艦からの艦砲射撃や戦闘機による航空攻撃といった援護が島嶼奪還には欠かせない。陸海空3自衛隊の高度な連携を必要とするが、互いの“アレルギー”を完全に克服するには時間もかかる。水陸機動団長の青木伸一陸将補も「まだ能力は完全なものではない」と課題を認める。

     日本では攻撃的要素を含む海兵隊機能の保有について「平和憲法の枠を超える」とタブー視されてきた。ただ、現実的な脅威を前に防衛政策を停滞させる余裕はない。水陸機動団の誕生は、日本の領土を守り抜くという強い意志の表れでもある。(石鍋圭)

  12. ピンバック: SC93高岡さんがフジ韓流ゴリ押し批判したら干されたのでウジテレビ凸

  13. 鳥坂 のコメント:

     ミリタリー系を生業としている者としてひと言。
    「特攻した人は偉かった」
     は分かります。
     十死零生の任務、要は
    「死んでこい」
     と言われて、それに従ったのですから凄いです。
     
     ただ、皆さんに気をつけて欲しいのは、決して
    「特攻作戦は偉かった」
     では無いと言うことです。
     当時から言われているように、
    「特攻は外道の作戦」
     なんです。
     日本人は追い詰められると
    「死ぬ気でやれば、何とかなる」
     と言う思考に陥りがちですが、「何ともならん」のが現実です。
     プロジェクトXの陰には、Xにならなかった無数の屍があるんです。

     あの絶望的な状況でも、訓練と戦術に工夫を凝らし、夜間攻撃をし続けた
    ・芙蓉部隊
    ・634航空隊
     があったことも忘れないで下さい。
     芙蓉部隊の指揮官・美濃部正少佐(当時)は、練習機による特攻を唱える参謀たちを前に
    「そんなに言うならお前たちが練習機に乗ってやってみろ。俺が零戦に乗って単機で全員落としてやる(意訳:練習機で艦隊防空網を突破できるか、馬鹿)」
     と、非合理性を批難しています。
     最後に、大和特攻が決まったせいでなけなしの重油を第2艦隊に横取りされた海上護衛総隊参謀・大井篤中佐(当時)の言葉を書いておきます。
    「国を挙げての戦争に、水上部隊の伝統が何だ。水上部隊の栄光が何だ。馬鹿野郎」

  14. パコリ〜ヌ(髭) のコメント:

    大戦後にアジア各国が欧米の植民地から独立した経緯なんかもフューチャーして欲しいわね

    自由を勝ち取る為に勇気を持って戦い抜く!
    なんかカッコイイわぁ〜

    もちろん日本という国の為、皆んなを護る為に命を懸けて戦った先人の方々が一番尊敬できるけど、、
    悲し過ぎるのよ〜知れば知る程に
    涙チョチョギれちゃうわん💧

    • e2e2 のコメント:

      明治以降日本の対外戦争は基本ほぼ全てが自衛の為の物です。
      日清戦争はイギリスから大枚叩いて軍艦を買った清が浮かれて日本に艦砲外交を仕掛けて隷属を迫ってきたのがそもそもの原因です。シナチクは鶏のように自分自身の悪事を綺麗さっぱり忘れて日本に対する被害妄想を向けているわけです。
      姦酷に至っては自力での国の独立が不可能になってこのままではロシアに食われて朝鮮塵は豚のような扱いになると恐れてこの先朝鮮塵が人間として生きていく為に日本に国を売ったのが事実である。
      (このため本来日本は姦酷や北朝鮮に賠償をする義務も謂れも存在しないのである。)

  15. e2e2 のコメント:

    空襲は使われた爆弾自体が日本家屋の屋根瓦を突き抜けて建物内部から焼くと言うコンセプトの物が使われている面から言ってもどう見たって民間人の殺傷が目的の戦争犯罪である。ちなみに1945/05/25の空襲の際には東京陸軍刑務所に収監されていた米軍パイロットの捕虜も62人が焼け死んだ、戦後この兵士の遺族が米政府を訴えたのかは不明だが、実はこの事件1948年に開催された横浜軍事法廷にて米軍は自身の戦争犯罪を棚に上げて当時の看守長等に米政府が負うべき責任を転嫁した。ちなみに、その後その後マッカーサーによる書類審査の結果、有罪判決を受けた東京陸軍刑務所長の田代敏雄陸軍大尉は懲役40年、看守長の越川は懲役30年、米兵斬殺への関与が問われた大久保・神本・神戸は懲役10年にそれぞれ死刑から減刑(?)された
    なお、米公文書館には多数のガンカメラのフィルムも収蔵されているが機銃掃射の対象が軍事施設ではなく駅や列車橋梁、挙句に海岸を走る子供にすら向けられているさまが収録されているのには呆れるばかりである。
    ちなみに、私の住む街の博物館には米軍機の機銃掃射によって穴が開いた橋の桁が展示されていますし、機銃掃射を受けた旅客用機関車のC56型の写真もあります。
    米軍機は動くものを何でも目標にしたようです。

    • e2e2 のコメント:

      自分は特に反米主義とかではありませんがトランプのようなお愚か者が気安くアメリカの正義とかほざくのには怒りを感じる事があります。アメリカは決して正義の国ではありません。そもそも、先住民族から土地を奪い虐殺し、イギリスと組んでアフリカ人を攫ってきて奴隷として売買し、
      19世紀末にはアメリカに留学していた日本人留学生を騙して奴隷として売った悪逆なアメリカ人すらいたぐらいです。
      (のちに大蔵大臣となった高橋是清が被害者)
      ちなみに、ルーズベルトが1930年代に行ったニューディール政策は高橋是清のアイデアのパクリであった。
      あとアメリカは1940年代には亜米利加の市民権を持ってた日系アメリカ人を不法に拉致して強制収容所送りにした(敵性云々を言うならドイツ系のアメリカ人も同様に強制収容所に入れるべきだが)ドイツ系は白人だった為にそうならなかった。(結局人種差別だった)この人種差別もアメリカの正義なのだそうな。

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