聖徳太子が抹殺されようとしている。なんと学習指導要領改定案で聖徳太子の呼称を「厩戸王」に変えようとしているのだ。
この論争はすでに決着のついている件で、特定のイデオロギーによる「歴史改竄」の可能性が指摘されている。
本エントリは、パブコメの送信方法を詳述したものです。
聖徳太子を守れるとすればパブコメが可能性の高い手段だ。
(リスクもないし、難しいものでもないが)手続きが少し煩雑である。
指南書として書いたため、本件に問題意識をもつ方はまずもってtweetもしくはシェアをお願いしたい。
実は、3月15日締切でパブリックコメントが募集されている。
声の数が多ければ、まだどうにかなる可能性が残されているのだ。
本稿では、パブコメの送り方を詳細に解説すると共に、藤岡先生の呼びかけを転載する。
新しい歴史教科書をつくる会からは緊急声明が出されており、同じく声明も掲載した。
併せて、私が実際に送ったパブコメを紹介する。
以下、藤岡先生より。
学習指導要領改定案で聖徳太子の呼称を「厩戸王」に変えた問題で、つくる会が正式の見解表明を行いました。以下、「FAX通信」の文字データを採録します。長文ですが、関心のあるかたは、ぜひお読みいただきたく存じます。歴史教育に重大な危機が迫っています。(藤岡信勝)
聖徳太子の名前を「厩戸王」に変えるな!
次期学習指導要領改訂案に対する緊急声明
文部科学省へパブリック・コメントを届けてください!
新しい歴史教科書をつくる会は、2月14日に文部科学省から発表された次期学習指導要領改訂案に対し、21日、下記の緊急声明を発表しました。そして同日、本声明は文部科学省が現在募集中のパブリック・コメントとして、同省に送付されました。
この案件は是が非でも阻止しなければなりません。会員ならびに支援者の皆様には、声明についてご理解の上、文部科学省へパブリック・コメントをお送りいただきますよう、何卒、ご協力をお願いいたします(パブリックコメントへの宛先は声明の最後をご覧ください)。
なお、今回の緊急声明は、改訂案の歴史的分野で「聖徳太子」の一点について指摘しておりますが、他にも歴史・公民それぞれに、懸念される部分があります。これらにつきましては、今後内容を精査し、会として改めて問題点を指摘いたします。
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(OGP画像)
2月14日は、女性が男性にチョコレートをプレゼントするバレンタイン・デーであった。同時に、大東亜戦争中、日本がインドネシアのスマトラ島パレンバンを落下傘降下して占領し、大戦果を上げた記念日であった。この史実を書いた本の出版記念会が憲政会館であり、私も参加した。
奇しくもこの日、文科省は学習指導要領を発表したが、これはとんでもない毒入りまんじゅうを国民にプレゼントしたものであった。日本人が自国のアイデンティティの大切なよりどころの一つとしてきた聖徳太子が、厩戸王(うまやどのおう)と表記をかえられることになった。細かいことは別にして、ざっくり言えば、反日左翼学者の「聖徳太子不在論」に文科省が舵を切ったことを意味する。誠に驚くべきことだ。信じられないことだ。
教育基本法を改正したあとは、自民党の文教行政にたいするマークはすっかり減退していた。そのスキをついて、反日学者の聖徳太子不在論を強制するまでになった。これは大がかりな国家解体事業の始まりである。また、歴史教育を正常化しようとする「新しい歴史教科書をつくる会」の20年にわたる努力の蓄積を一挙に崩壊させようとする悪辣な攻撃でもある。
聖徳太子不在論に関する学問的論争は、すでに決着がついている。高森明勅氏は、実証的な資料をあげて、聖徳太子の称号が古くから使われていたことを論証した。こういうことを無視して、論争に敗れた左翼学者の、国家解体のための珍説を学界の定説扱いすることは断じて許されない。真理は声の大きさや多数決では決めてはならない。
さらに言えば、仮に「聖徳太子」が100年以上あとにつくられた呼称であるということを認めるとしても、だからといって「聖徳太子」の呼称を教科書で廃止する理由にはならない。八幡和郎氏はFBで次のように書いている。
《当時、使われてなかったといいだしたら、江戸時代の大名領国を「藩」といっていなかったのだから廃止すれば良いし、幕府もほぼ同様だ。イエスとかブッダとかいうのもやめればいいし、昭和天皇を生前昭和天皇とは呼んでなかったのだから同様だろう。邪馬台国とか卑弥呼とかいうのも中国人がそういっていただけだ。要するに、日本書紀に書いてあることは排除したいとか、明治維新の意義を小さくみせるためには、歴史学者は何でもやる人たちだというだけのことだ。》
聖徳太子の呼称は、日本人だけでなく、きょう聞いた話だが、ブータンの憲法をつくるときに、「聖徳太子の17条憲法」を参照したという。日本人はこれからは、ブータンの人達に、「聖徳太子という人物はいなかった。いたのは厩戸王だから、その言い方はやめてくれ」といわなければならないのだろうか。
ともかく、これは異常事態である。聖徳太子について語ったことのあるすべての人は、もはや天下りだけではない売国官庁と化した文科省のこの暴挙を、3月末の学習指導要領の最終確定までに、あらゆる手段を使って粉砕しなければならない。
思えば、前回の検定で、学び舎のトンデモ教科書が合格したという事態に十分な批判を展開できなかったことが大きく響いている。敵は、こちら側からの反撃が少ないことを瀬踏みし、一気に攻勢に出たのである。
つくる会は直ちに緊急理事会を招集し、非常事態を宣言すべきである。これは国民に対する責任である。こんな重大なことをやり過ごしておいて、今度はその指導要領に合わせて教科書をつくったところで、そんなものに価値はない。一挙に、正念場がやってきた。
次項において、つくる会の緊急声明を紹介します。
?次期学習指導要領改訂案への「つくる会」のパブリック・コメント 平成29年2月21日
新しい歴史教科書をつくる会
文部科学省は2月14日、次期学習指導要領の改訂案を公表しました。その中で、小中学校の歴史教育に関し、日本国民として決して見逃すことのできない重大な記述が含まれていることがわかりました。日本史上もっとも大切な人物として長年位置づけられてきた聖徳太子のその呼称を否定し、「厩戸王(うまやどのおう)」と呼ばせるという方針が書かれています。当会は文科省のこの改訂案に絶対反対であり、改訂案に対するパブリック・コメントとして、ここに当会の見解を発表します。
しかも、その影響は古代史のみにとどまりません。明治以降発行された紙幣の人物像として最も多く登場したのは聖徳太子です。このことが象徴するように、聖徳太子は日本人の精神の支えとなる人物であり、聖徳太子を日本史上最も重要な人物の一人と見ることは、近代日本の国民的合意でもあったのです。
中学校の場合について聖徳太子の扱いの変化を確認すると、次のようになっています。いずれも、「3 内容の取扱い」という項目で記載されているものです。(以下、引用文中の下線は引用者による)
◇現行学習指導要領(平成20年)の記述
<「律令国家の確立に至るまでの過程」については、聖徳太子の政治、大化の改新から律令国家の確立に至るまでの過程を、小学校での学習内容を活用して大きくとらえさせるようにすること>
◇改定学習指導要領(平成29年)の記述
<「律令国家の確立に至るまでの過程」については、厩戸王(聖徳太子)の政治、大化の改新から律令国家の確立に至るまでの過程を、小学校での学習内容を活用して大きく捉えさせるようにすること>
このように、現行版と改訂案ではほぼ同文であるのに、唐突にも、「聖徳太子」だけが「厩戸王(聖徳太子)」と変えられています。
そもそも、死後に使われた呼称だから使えないとすれば、教科書の人名の多くを書き換えなければならなくなります。そのことを無視して、聖徳太子の呼称だけを「厩戸王」にしようとするのは、聖徳太子がまさに日本国家のアイデンティティの基礎となってきたからこそ、それを否定しようとする動機が隠されていると推測せざるを得ません。聖徳太子虚構説が全く省みられなくなっている今日、突如として、学習指導要領によって全国の小中学生の歴史教育の現場に押しつけるとは、誠に驚くべきことと言わざるを得ません。
聖徳太子の偉業はその名前と深く結びついてきたのであり、名前の否定は人物の否定に行き着きます。もし、この度の学習指導要領の改訂で「厩戸王」を強制することに成功すれば、文科省は10年後の改訂では人物そのものを抹殺するであろうとも予想されます。
学習指導要領では、歴史教育の目標として、「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」(中学社会の場合)と書かれています。聖徳太子を抹殺しようとする今回の改訂案は、この「目標」にも違反していると言わなければなりません。
私達の主張は以上のとおりですが、この声明をお読みいただいたあなたに訴えます。どうか、3月15日まで行われる文科省募集のパブリック・コメントに応募して下さい。そして、<学習指導要領から日本史上の最も重要な人物である聖徳太子の名前を消さないでほしい。「厩戸王」の呼称の強制をやめ、現行の学習指導要領の記述に戻してほしい>という趣旨の明確なメッセージを届けて下さるようお願いいたします。
*上記アドレスのページに「意見公募要領」がありますので、必ずその要領に従って意見をお送りください。要領に沿っていない場合、無効になる恐れがあります。ご注意ください。
次項において、パブリックコメントとは何かを解説します。
国を含む行政機関は、なにがしかのアクションを起こした際、国民に広く意見を求める。
それがパブリックコメントだ。
市政においてもパブコメを募集することは多々あり、意見は集約され、
議員で構成される委員会に対し、集約された資料として配布される。
多くの場合、「やや左巻き」の意見が大勢を占めており、
私たち保守系議員は劣勢に立たされることもしばしば。
賛否を伴う決など、決定打にはならない。
しかし、パブコメにおいて「反対が多い」とお蔵入りする場合もよくある。
推進しようとしていた公務員が再検討に入ったり、
委員会に参加している議員が「なんだこれは!」「こんなに反対の声があるじゃないか!」と指摘するためだ。
今回の件も、諦めるのはまだ早い。
とにもかくにも、パブコメの数がなければどうしようもない。
次項において、パブリックコメントの手順を説明していきます。
個人情報が漏れる等、危険なことでもありません。
相手は国であり、万が一漏れたら、それこそ国会で問題になる。
安心して送って頂きたい。
難しいものではないし、リスクを伴うものではない。
しかし、少し煩雑であるため、実際の送信画面を示しながら手順を解説したい。
件名は「学校教育法施行規則の一部を改正する省令案並びに幼稚園教育要領案、小学校学習指導要領案及び中学校学習指導要領案に対する意見公募手続(パブリック・コメント)の実施について」です。
直接リンクは、こちらです。
もしジャンプできない方がいた場合は、電子政府の窓口・パブリックコメントより、上記件名の案件を探してください。最上部に検索ボックスがあるため、そちらを活用すると簡単です。
E-GOV以外の方法では、件名に「学校教育法施行規則の一部を改正する省令案について」を加えてください。
判別のためと明記されており、せっかく送ってもカウントされない可能性があります。
今回、解説しているのはweb上から送信する手法ですが、郵送・FAX・電子メールでも可能です。
【2.意見の提出方法】
(1)提出手段郵送・FAX・電子メール・電子政府の総合窓口の意見提出フォームから
(電話による意見の受付はいたしかねますので、御了承ください)
(2)提出期限平成29年3月15日(水)必着(郵便についても期限内必着)
(3)宛先
住所:〒100?8959 東京都千代田区霞が関3?2?2
文部科学省初等中等教育局教育課程課宛
FAX番号:03?6734?4900
電子メールアドレス:(筆者により削除)@mext.go.jp
(判別のため、件名は「学校教育法施行規則の一部を改正する省令案等について」、「幼稚園教育要領案について」、「小学校学習指導要領案について」、「中学校学習指導要領案ついて」のいずれかとしてください。また、コンピュータウィルス対策のため、添付ファイルは開くことができません。必ずメール本文に御意見を御記入ください。)
【3.意見提出様式】
・件名:「学校教育法施行規則の一部を改正する省令案について」、「幼稚園教育要領案について」、「小学校学習指導要領案について」、「中学校学習指導要領案ついて」のいずれかを明記して下さい。
・氏名:法人又は団体の場合はその名称。
・性別、年齢:法人又は団体の場合は記入不要。
・職業:在学中の場合は「高校生」「大学生」など在学する学校段階を記入。法人又は団
体の場合は「団体」と記入。
・住所:法人又は団体の場合は主たる事務所の所在地を記入。
・電話番号
・意見:御意見が1000字を超える場合、その要旨を記載してください。
※ 複数の論点について御意見をお寄せいただく場合には、とりまとめの都合上、論点ご
とに別様としてください。(1枚1意見、1メール1意見としてください。)
必要事項の入力を終えたのち、さらに下部に意見を入力する欄があります。
※ 個人情報について
同画面には個人情報の取扱いについても明記されています。
個人情報を掲載することに抵抗のある方もいるかと思いますが、流石にハンドルネームで送るようなものではありません。
嘘を書いてもバレないかも知れませんが、議員として推奨できません。
文字数には制限があり、E-GOVの場合は2000文字まで。
(メール等の場合は1000文字のようです。)
「中学校学習指導要領(案)について」を明記したほうが適切でしょう。
(私は盛り込み損ねました。)
(送った文案は、後述しています。)
本ページにおいて個人情報を記載したと思いますが「個人情報の取扱いについて」が掲載されています。国が約束しているため、安心感があります。
ページ下部に、「確認画面へ進む」がありますので、入力を終えてクリック。
間違いないか確認のち、下にスクロール。
先ほど入力した「提出意見」が示されていると思うので、誤字脱字をチェックしてください。
私は数字を入力しました。
受付番号が明記されており、「提出内容を保存する」をクリックすると、送ったパブコメがデータ化されダウンロードされます。
昨今、ソフトウェア(いわゆるツール)が流行したため、【認証】がない意見募集ツールは事実上、窓口として使えないと聞いています。
数の集計ぐらいはされると思いますが、同一文面の大量送信に埋もれてしまい、意見を読むことが物理的にできないということでしょう。
ここまで必要なの?と思う方もいると思いますが、webツールを活用して意見を求める際には、
最低限のこととして、この程度は必要であろうかと思います。
例えば同一文面を大量送信された場合、必死に意見を書いたとしても埋没してしまいます。
数が数万ともなれば、掘り起こすことが(人的負荷の問題から物理的に)不可能です。
かつては特定の窓口の場合は、国会議員などが直接読む場合もあったと聞きますが、いまは難しいように思います。
コピペ・テンプレ系の送信は、かなり悪印象を与えてしまい、例えば背景に組織的なものを疑わせたり等。
特に数が膨大である場合は、逆効果しか生じません。
(少なくとも私が資料化されたパブコメを目にする立場であれば、そう感じます。)
今回も意見公募要領にはメールアドレスが示されていますが、パブコメを送る際にコピペの一斉送信は本当にやめてください。
(本当はメールのほうが簡単なのですが、本エントリではアドレスを削除させて頂きました。)
送られた意見は、官僚の手により資料として集約されるかと思いますが、一つ一つの声が「弾」となり、
間接的にではありますが、議員による審議に影響を与えていきます。
まずは数を送って頂きたい。
かつ、「自分の言葉」で送って頂きたいのです。
案文を参考にするのは一向に構いません。
少し敷居が高いと感じる方もいるかもしれませんが、どうか頑張って自分の意見を書いてください。
左翼はやっています、保守はできておりません。
議席上は保守優勢であっても、審議の現場においては苦しい局面もでてきます。
「サイレントマジョリティ」では通用しません。
どうか、声を挙げて下さい。
意味は通じると思いますが、他案件もあるため明記したほうがより適切だと思います。
末尾に肩書と氏名を記載していますが、これは特に求められているわけではありません。
恐らく資料化の際に削除されると思いますが、「官僚に対しての苦言」を述べるにあたり、意見の中に盛り込みたく思い、書きました。
すでに決着のついている古い話がなぜ今、持ち出されたのか。
そもそも特定のイデオロギーに基づいた論争であったと記憶しているが、再燃した理由についても調査をお願いしたい。
極めて残念なことではあるが、官僚の中に特定の勢力と結託している人物がいる可能性を疑わざるを得ない。誰の手により推進されたのか、その点を含め徹底した調査をお願いする。
万が一、「たまたま」と申されるのであれば、それは大いなる判断ミス、知識不足であると断じたい。多くの意見が出されていると資料するが、学会ではすでに決着のついている話である。そのことすら知らず推進したことは極めて不見識だ。
選挙により政権は形作られているが、政権の方針とも大きく乖離している。示された民意を、特定の思想に基づき捻じ曲げているのであれば、それは民主主義への挑戦と言わざるを得ない。官僚の職権を大きく逸脱していると指摘する。
行橋市議会議員 小坪慎也
書式が厳格に決まっているわけではないので、パブコメの書き方はかなり自由です。
ただし「人が読むもの」であり「読んでもらうために送るもの」です。
丁寧な言葉使いを心がけてください。
多くの場合、(官僚が集約して資料化したのち)議員が閲覧します。
ですから「読んだ議員」が、【よし!これはよくないぞ】と思ってもらえる書き方がモアベターかと思います。
(官僚どまりの案件もあるとは思います。国の手続きは、詳細はわからない。)
抹殺されようとしている聖徳太子。
知らぬ間に改竄されていく歴史。
祖先が私たちに伝えてくれた歴史を
次の世代に繋げていく責務は、
今を生きる私たちが果たさねばならない。
それぞれの者が、それぞれの立場で、なすべきことをなせ!
「教育を歪めることは許せない!」と思った方は、FBでのイイネ・シェア、Twitterでの拡散をお願いします。
一歩、前に出る勇気。
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【支援要請】戦うための、武器をください。
最後に。
Facebookのアカウントと、FBのファンページを紹介させてください。
記事を書くたび、こちらでも投下します。
FB個人アカウントは5000名の上限となってしまいました。実際の知人、議員の方のみの承認とさせて頂きます。
ファンページでコミュニケーションをとらせて頂けますと幸いです。
FB個人アカウント 小坪慎也
FBファンページ 行橋市議会議員 小坪慎也
Twitterアカウント 行橋市議会議員 小坪慎也
祝・書籍化!
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抹殺される聖徳太子!パブコメの送り方・詳細【伝えるためにシェア】 聖徳太子が抹殺されようとしている。なんと学習指導要領改定案で聖徳太子の呼称を「厩戸王」に変えようとしているのだ。 この論争はすでに決着の
大変重要な働きかけを有難うございます。心から感謝します。
下記コメントを提出しました。
学習指導要領の改定案で、聖徳太子が「厩戸王」に変えられているという情報を知り、大変憂慮しています。政治家の方々にも阻止を働きかけるべきと思われるような危機感を感じます。
聖徳太子が「厩戸王」または「厩戸皇子」とも呼ばれるというのは50年前の歴史参考書にも記載されています(例:山川出版の「日本史研究」)。
本名が厩戸で、尊称という名前が聖徳太子であることは歴史通には昔から比較的知られていたと思われます。
何をいまさら歴史的な新発見があったかのように作為的な変更を行っているのでしょうか。
聖徳太子という名前は、ご本人が亡くなった100年後に、聖徳太子の偉業を尊ぶ意味で名づけられましたが、近代および現代においても多くの日本人が愛着をもって、この名を呼んでおり、この名前は継承し尊重すべき日本人の文化的慣習の一部になっております。
歴史的人物で人気投票をすると、大抵は「ベスト3」に入るほどの「ビッグネーム」です。それを安易な価値基準で葬りさろうというのは言語道断です。
そういえば、何年も前から、一部で「厩戸王(聖徳太子)」という不思議な記述が見られました。これは記載の順序が間違っています。本来なら「聖徳太子(厩戸王)」と記載すべきです。
今から考えると、この風潮は、聖徳太子という用語を日本人の記憶から抹殺するための前段階または準備段階として、仕組まれたものとさえ考えます。
歴史学者や教育者が自由に思想を発表するのは勝手です。
でも義務教育で子どもたちに教えられるべきは、一部の歴史学者の最新研究などではなく、日本人の健全なアイデンティティを養い、精神を陶冶するための歴史的記憶の結晶です。
そして、それは象牙の塔に閉じこもった一部の学者や官僚だけではなく、広く国民的議論の上で選別し洗練されていくべきものと考えます。
機種変したため改めて初めましてを名乗らせていただきます。実は移民関係でパブコメを送ろうとしたらセキュリティが作動してアクセス出来なくなってます。私はセキュリティ機能の高いアプリをスマホに入れているためなのかわかりませんが何回やっても個人情報やクレカ情報を抜き取ろうとしてると表示されて困っています。パブコメ送れる方はやはりパソコン所有者なのでしょうか?スマホがダメだとしたらパブコメが送れないので正直歯がゆいです。
>【2.意見の提出方法】
(1)提出手段郵送・FAX・電子メール・電子政府の総合窓口の意見提出フォームから
郵送かFAXで送られては如何でしょうか?
15日必着なので郵送でも十分間に合うと思います。
FAXはもしご自宅になければコンビニからも送信できたと思います。
小坪議員もおっしゃっている通り、パブコメは数が勝負です。
是非、貴重なご意見を送っていただきたいと思います。
何十年か前は、政治家はひどかったが、文部官僚のなかに骨のある人がいたような気がします。
最近になって、政治家は(むかしにくらべると)総体的には随分マシになったと思います。
ところが、逆に文部官僚がダメになってしまったかもしれません。
愛国心のある文部官僚が集中砲火を浴びた時代があったので、愛国的な官僚が淘汰され左翼的な人間が抜擢されている可能性もあります。
たとえば「ゆとり教育」とやらで批判を浴びた寺脇研などは最悪です。
わざわざ坂口安吾の「戦争と一人の女」の映画化を企画した際には昭和天皇の戦争責任論を訴えたかったようです。
後継者にも自分と同じ同類を引き入れている恐れがあります。
左翼の文部官僚と左翼学者が示し合わせたように何か悪だくらみを画策しているなら憂慮すべきことで、絶対に阻止して欲しいです。
パブコメしました。
心中の怒りとはうらはらに、文面は「寂しい、悲しい」が前面に出てしまって、結果として諭すようなマイルドな口調になってしまいましたが、それはそれでよかったと思っています。
自分の言葉で伝えようとすると、みんなそれぞれ個性が出て(いや、私がマイルドな人間というわけではないんですが・・・)、結果的に多様なコメントが集まり、大きな力になるんじゃないかと思います。
連続投稿をお許しください。
「共産主義社会を実現した中国は『人類の歴史の頂点』にある。歴史家はこの中国を守る使命がある」などと豪語した共産主義者の井上清、あるいは捏造魔の在日朝鮮人の証言を丸のみして拡散した羽仁五郎などを「歴史学界の重鎮」とするなど、戦後の日本の歴史学者の集団的異様性は限度を超えてます。
「歴史学研究会」の歴代委員長
1960年?1962年:江口朴郎 ※典型的なマルクス主義歴史学者<歴史学とマルクス主義 (1972年) >
1963年?1965年:遠山茂樹 ※マルクス主義歴史学者。羽仁五郎の弟子。共産党が評価した。
1965年?1969年:太田秀通 ※古代ギリシャ専門だが、典型的なマルクス主義歴史学者
1969年?1970年:藤原彰 ※井上清(マルクス主義者)の弟子。日本軍毒ガス写真報道で捏造
1970年?1973年:永原慶二 ※典型的なマルクス主義歴史学者
1973年?1976年:稲垣泰彦 ※日本の戦争責任資料センター共同代表
1976年?1979年:野沢豊 ※(おそらく)典型的なマルクス主義歴史学者
1982年?1986年:荒井信一 ※日本の戦争責任資料センター共同代表
1986年?1989年:中村平治 ※インド専門だが、左翼シンパ
1989年?1993年:西川正雄 ※日本と韓国の歴史学の交流。社会主義を美化。
1993年?1996年:中村政則 ※マルクス主義歴史学者。「最後の講座派」と呼ばれた。
1996年?1999年:峰岸純夫 ※「九条科学者の会」呼びかけ人
1999年?2002年:小谷汪之 ※インド専門だが、左翼シンパ。
2004年?2007年:木畑洋一 ※イギリス専門。戦争捕虜に関心
2010年?2013年:池享 ※永原慶二(マルクス主義歴史学者)の弟子
2013年? :久保亨 ※朝日新聞の「強制連行」捏造報道を擁護
(以上)
1980年代以降も、繰り返して「南京大虐殺、南京大虐殺」と朝日新聞などメディアと大合唱するので、「なんでこいつらは、そんなに南京大虐殺が好きなんだろう」と冷ややかな目で見ていましたが、その心の底に隠れた動機を知って愕然としました。
この共産主義者またはその後継者たちは、日本で共産主義社会を実現させたかった。
ところがそれがマボロシとなったときに、その腹いせに目標としたのは、日本の天皇制打倒だったのです。
なぜ天皇制打倒と「南京大虐殺」がつながるか。
左翼学者の発想と心理はこうです。
まず南京大虐殺を誇張して宣伝して、いかに日本兵が残虐の限りを犯したかを(日本だけでなく世界中に)メディアを手下にしてまき散らす。
そうすると、「なぜ日本兵はそんなに残虐だったのだろう?」と誰も疑問に思うわけです。そこで「当時の天皇制が日本兵を残虐非道にした」と答えたくて、しょうがないのです。
これにより天皇制を諸悪の根源として広めることができる。これが反日左翼の一致した心理でした。それは従軍慰安婦騒動でもまったく同一です。
南京大虐殺を主張する学者で元歴史学研究会委員長の藤原彰、中国国民政府の軍事委員会の捏造した写真(実際はのどかな朝日グラフ写真)を「日本兵に拉致される中国人女性たち」とメディアに拡散した南京大虐殺派の中心学者の笠原十九司。
これらは完全に天皇制を打倒するために南京大虐殺をでっちあげて宣伝しました。
(もうひとつ憲法9条の非武装平和も目的でしたが)
井上清も、たしか南京大虐殺の宣伝委員会の委員長です。
南京大虐殺が広まるにつれて、「日本民族は残虐な国民性」という偏見が広まりますが、そんなものは全くお構いなしという異常者たちです。
考えようによっては、はるか上空から原爆を落として何十万人も虐殺するよりも、「100人の日本兵のうち半分くらいが中国人を片っぱしから殺して女は強姦。大虐殺をやりまくった」というほうが身震いほど残虐的で生々しいですが、この連中は本当にその映像を世界中の人々に焼き付けることを狙ってました。
学者を名乗りながら、ここまで無慈悲に自国民を奈落の底までおとしめることに熱狂した人種をつくりだしたのは、まぎれもなく戦後の共産主義者の冷酷なイデオロギーです。
こういう連中または、こういう思想心理のなかで育った人間にとっては、聖徳太子という用語を抹殺するくらいは、口笛をふきながらでも気軽にやれることです。
これを打倒できるのは国民の常識だけです。
僕も僕なりにパブリックコメントで送りました。
「学校教育法施行規則の一部を改正する省令案についてですが、歴史の中で必ず出されるであろう、聖徳太子を厩戸王(うまやどのおう)に変えようとしているらしいですね。
僕はこれには反対です。まだまだ早すぎると思うんです。十分な検証がされていませんよね。検証もしていないうちに変えようとするのは絶対に良くないとしか言いようがありません。
何としてでも考え直していただきたいものです。」
聖徳太子がダメというなら
日中戦争は支那事変に戻しましょう
太平洋戦争は大東亜戦争と呼ばなければダメでしょう
もちろんこれからは中国は支那と呼ばなければいけませんね
こんな整合性の取れない歴史の修正など
日本の歴史を貶めたい輩の静かな侵略に決まってます
**********************************************************************
暫く、小生のコメントには下記のフレーズを、継続的にTOPに書き込ませて頂きます。
皆様に於かれましても、下記のフレーズを拡散されては如何でしょうか。
何分、実績であり事実ですから、異存は無いでしょう。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
**********************************************************************
聖徳太子が厩戸皇子、或いは厩戸王と呼ばれていた事は既に検証済で、聖徳太子と言う尊称も古くから実在した訳です。
聖徳太子と言えば『聖徳太子流』と言う、軍学と武術の流派も存在しました。
この『聖徳太子流』は、佐幕の雄である会津藩の主流剣法で溝口派一刀流、真天流、安光流、神道精武流と共に会津五流と呼ばれていました。
この『聖徳太子流』は、白虎隊の隊士なども学んだ様ですね。
聖徳太子と言う名は剣術の流派として用いられる程、メジャーだった訳です。
『聖徳太子流』と縁のある者としては、新撰組の斎藤一が挙げられます。
斎藤一は、聖徳太子流吉田道場の師範代を務めた経歴もあります。
そう言えば、この斎藤一と言う名は、京都に移ってから新選組全盛期にかけてのもので、当初は「山口一」、後に「山口二郎」と改名し、更に「藤田五郎」と改名しています。
因みに、明治期の戸籍を根拠に法的に正式な名前としては、「藤田五郎」が正しい様です。
でも、『斎藤一』で通ってますね。
斎藤一と西南戦争で刃を交えた者として西??盛が存在しますが、幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と名前を変えてますね。
知識として「こう言う名前も在ったんだよ」程度の、プラスαを目的としたものなら問題は無いでしょうが、この記述方法を見ると明らかに別の意図を感じますね。
こう考えれば、わざわざ変える必要の無い名称をここに来て変えようとするのは、変えたいと言う願望の為に、変える為の理屈を後付しているからに他ならないでしょう。
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
もう、随分と古い時代の話ですし、日本とは異なり既に滅亡した国への外交文書ですので、ここをとやかく言う筈は無いと考えるのは日本人的感覚なのでしょう。
特亜、特に実の無い中共や、見栄っ張りのクセにスッカラカンの朝鮮的には、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」で有名な聖徳太子は、如何にしても矮小化したい対象でしょう。
実の無い中共や、見栄っ張りのクセにスッカラカンの朝鮮の手先である、実の無い中共や、スッカラカンの朝鮮以下のパヨクが、聖徳太子矮小化の尖兵になるのは、とても自然な流れでしょう。
例えそれがパヨチン学者様とは言え、所詮実の無い中共や、スッカラカンの朝鮮以下の連中ですから、これらの非常に恥知らずな行為にも腑に落ちるってもんです。
もう、パヨチン様方は社会的にも国際的にも、村八分になる様に追込む必要がありそうですね。
読売かな、記事が出た時(鎖国という言葉も使わないとか)おかしい、と思ったんで、すぐ、意見書いたんですが、やっぱり皆さん異常だと思いますよね。 本当に最近の教育関係者変な人ばっかり・作為的にやられてる、日本人はもっと危機感持った方がいいです。 カエルの楽園?でしたか、本当に茹で上がっちゃいますよ。
>ブータンの憲法をつくるときに、「聖徳太子の17条憲法」を参照したという。
要するに、すでに国内だけの呼称ではない、
「グローバルな呼称」であるということ。
それを知らない日本人を育てるは好ましくない。
これを切り口に、
さきほど、コメント投稿を完了しました。
小坪さんの指南書のおかげで、
スムースなコメント投稿ができました。
ありがとうございました。
パブリックコメント、勇気を出して送信してみようと思います。
この件に関しては、心中本当に悔しいと思いながらも、「意見を送っても、歴史など知らない無学な一国民がとせせら笑われて無視されるのだろう。」と、言葉にまとめることさえ躊躇していました。
小坪先生の言葉で、もやもやしていた不快な違和感が目に見える形をとり始めた気がします。マイナスの思いを言葉に出すのは勇気がいる事ですが、今回は丸く収めるのではなくしっかり表明するのが子供や孫のためです。心のあるどなたかに伝わる事を信じてみます。
先生が、この案を出したのは誰なのか糺しておられるのも素晴らしいですね。
大切に育てた子供たちが最後の最後でおかしな事にならないよう、今明らかにしていただいて将来進学先を検討する時には是非参考にしたいと思います。
聖徳太子という名前で呼ばれていた時代が長くあった とか 記述も
ないのでしょうか 上でしりうすさんが言われているように
シナ事変や大東亜戦争と呼ぶようになれば 日本がまともになった
証拠でしょうね 愛国=右翼という事は 左翼は愛国さえないという事ですよね
でもでも 左翼は聖徳太子をどう思うのでしょうか ね
家にお子さんのおられる方々は、学校で使われる歴史教科書(日本史・世界史)を重箱の隅をつつようによく読まれたら良いです。稚拙な間違いも含めて突っ込みどころ満載どころか、意図的な毀日的記述にあふれています。これが有名大学の専門分野の教授等が執筆・監修なんだから笑っちゃいますよ。これらの先生方とやらは学問を舐めています。こんな恥ずべき所業をしていて、よくも枕を高くして寝られると呆れるほどです。とにかく、人任せではダメなので、各ご家庭で学校が子供に何を教えているか、目を光らせてください。巷で働いている一般社会人の方がよほど知識や見識があります。もう、文系への助成金は廃止すればよい。文科省やエセ専門家など怖くもなんともありません。日本国民みんなで歴史をしっかり学び、ぱよくをこてんぱんに論破したらよいでしょう。官邸にも何度も意見を送りました、これからパブコメももちろん送ります。
厩戸王が史実に忠実な名称でないのにまず驚きます。歴代天皇陛下も、日本書紀に書かれた非常に長い名称を並列記載するというのでしょうか。仁徳天皇陵にしても世界最大の墳墓の名称を変更する意義がいまだに見いだせません。
非常に狭い学会内部の、世間的に認知される事のない意見に左右され、史実だけでなく伝統そのものを解体否定しようとする文部省の方向性には、ただ違和感しか感じません。
鎖国にしても、海外でも一般的に徳川幕府の鎖国政策として認知されていますが、その政策の意義が正しく伝えられていない事が問題であって、名称変更等どうでもいいというのが率直な意見です。
歴史教科書において、聖徳大使の呼称を、厩戸王に変えると聞きましたが、言語道断です。娘と歴史の話しすら出来なくなる。なんで、捏造の歴史は平気で載せてなかなか変えなかったくせに、意味不明の呼称変更をするかはなはだ疑問です!
自民党や官邸に意見を送るのは簡単ですが、パブコメは案件を探すのに苦労するので
こうして誘導してくれる方が居る時は楽で助かります。
皆様いろいろな切り口で投稿されていらっしゃいますね
私は紙幣にもなった点、マンガやアニメなどにも逸話が多々引用され、
すでに日本文化として長きにわたって密接な存在であるという面から
意見を述べさせていただきました
どうか撤回されますように
[…] 抹殺される聖徳太子!パブコメの送り方・詳細【伝えるためにシェア】 https://samurai20.jp/2017/02/syoutokutaishi/ … […]
この件、私はすこし違った思いで見ています。
私は聖徳太子はいなかった説に、原則賛成だからです。その理由、というか
その説について、素人なりにまとめて見ましたので、読んでいただければ幸いです。
まずは、確認事項
1.天智天皇(中大兄皇子)と天武天皇(大海人皇子)は兄弟。
2.古事記成立は712年。日本最古の「歴史書」。天武派(渡来人の秦氏支援)の作成。新羅に好意的。
3.日本書紀は日本最古の「正史」。舎人親王らの選。720年とされる。藤原不比等(鎌足の子)が作らせた。天智派が作成。百済に好意的。
4.蘇我入鹿を暗殺して政権奪取したのが、中大兄皇子(天智天皇)と藤原鎌足(百済王子・豊璋)。→大化の改新646年。天智派が蘇我氏から政権奪取。
5.天智派が好意的だった百済が新羅・唐に攻められ滅亡。百済再興の軍を派遣したがボロ負け。663年白村江の戦い。
6.天智天皇の死後、壬申の乱勃発672年。大海人皇子が即位して、天武天皇673年となる。
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以上を踏まえて、聖徳太子はいなかった説、です。
蘇我氏は改革を進めていた。それは遣隋使によってもたらされた隋の情報(優れた内政・軍政)に驚いたからである。冠位十二階や憲法十七条などはこのとき制定された。
それを好ましく思わない勢力があった。百済王・豊璋(中臣鎌足)である。鎌足は中大兄皇子を説得(そそのか?)し、蘇我入鹿を暗殺し政権をとった。
新政権がは、暗殺した事実を正当化するために、蘇我氏を徹底的に悪者にした。蘇我氏が始めた改革(冠位十二階や憲法十七条など)を自分達の手柄にし、白村江の戦いで負けたことなど悪いことは蘇我氏の責任にした。
それにしても天智政権が改革をやったことにはできなかった。改革反対の軍を上げたのだから。
そこで白羽の矢を立ったのが、厩戸皇子である。
「そうだ、あいつがやったことにしよう」
「しかし、あいつはただのぼんくら……」
「じゃ、新しい名前を作って、名前が変わったとたんに覚醒したことにすれいいじゃん?」
「なるほど、そうだな。聖徳太子、とでもするか」
そして聖徳太子は本人も知らぬまにでっちあげられ、改革者として「日本書紀」に名前が記されることになった。
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以上が、聖徳太子はいなかった説のざっくり紹介です。詳細は
『古事記と壬申の乱』著者: 関裕二を参照してください。
またそれを題材にして、面白おかしく腐的に? 描いた漫画もあります。
『天智と天武』 著者:岡村昌弘
ちなみに、中臣鎌足の末裔・藤原氏が一貫して、反新羅政策を取り続けたのは百済王族の系統だからです。
また、聖徳太子は「冠位十二階」や「憲法十七条」を定める事で、日本の律令国家としての歩みを決定づけた人物なのに、「古事記」には一切記述されていません。推古天皇のことは詳しく書いてあるのに、その摂政であったはずの聖徳太子の記述が全くないのです。
ここまで書けばおわかりでしょう。古事記は天武派(というか反天智派)の編纂であり、聖徳太子が作られる前だった。
その後天智派はそれを否定すべく「日本書紀」を作ったのです。日本書紀編纂を推進したのが、中臣鎌足の血を引く藤原不比等と、怖いぐらいに辻褄があってますね。
これを受けての今回の改訂ではないかと私は思います。しかし、まだこの説を完全に受け止めるだけの度量が国にはないようです。だからこんな中途半端な記述になったのではないでしょうか。
なにしろ、今の天皇陛下は「天智派」なのですから。
以前よりこちらのサイトを拝見させていただいておりましたが、今回初めて投稿をさせていただきます。
>cat さま
浅学な私の意見で恐縮ですが、ご意見申し上げます。
cat さまの説はひとつの説として、面白く拝聴いたしました。
面白くと申しましたのは、それは歴史の考察としてではなく、空想小説を読んだような感覚になったからです。
これと同じようなものに、どこかで触れた記憶が…
思い出しました。
「源義経 チンギス・ハーン説」です。
推理推論を重ねて、「こうではないか」という説を、「このほうが論理的である」と切り替え・すり替えていかれる文章は、お見事という感じでございました。
ですが教科書に載せる、子供達に伝える歴史は、推論で語ってはいけないものだと思うのです。
もし歴史を「聖徳太子はいなかった説」へと改定するとしたら、はっきりとした「聖徳太子はいなかった」という証拠がないとならないでしょう。
cat さまのご説ですと、裁判で例えますれば「推定有罪」判決となっておりませんか?
有罪(聖徳太子はいなかった)とするには、
「誰々が歴史改ざんをしたという確定的な証拠」
「聖徳太子は私が作り出した想像上の人物であるとの証言(あるとしたら手紙?)」
など、証拠を提示しなければならないでしょう。
それら確定的な証拠が無い現状では、通説を変えず現状のままとするか、あるいは譲歩しても「少数意見として聖徳太子(厩戸王)はいなかったという説を唱えている学者もいる」との両論併記をするくらいではないでしょうか。
他の方々のお考えも拝聴したいので、引き続いてのコメントを期待しております!
うさぎ
チンギスハーンと一緒にされては……
こういう説がある、という話です。最後は舌足らずでしたが
だから「改変するのであれば、こういう説があるといことをきちんと書け」
という結論です。
パブコメにはそう書いて私は投稿しました。今回の改訂はとても中途半端なのですよ。それは間違っていると思います。だけど、「聖徳太子がいなかった」説は
現在だれも反論できないほど魅力的な説でもあるのです。日本史愛好家としては、とても見過ごせないほどに。
>「少数意見として聖徳太子(厩戸王)はいなかったという説を唱えている学者もいる」との両論併記をするくらいではないでしょうか。
はい、その通りです。
日本史だってねつ造の連続です。古事記も日本書紀も正史などとは口幅ったい
ほどのことが公然とされてます。そういう時代のことだから、それを非難するつもりなど
ありませんが、半島の連中をねつ造するな、と非難するのであれば、日本人
だって、過去の歴史に異論が出てきたら、それを真摯に検討するぐらいの
ことは必要です。それをやらないから、あんな中途半端な改訂をするはめに
なったのでしょう。
追記させてください
>有罪(聖徳太子はいなかった)とするには、
「誰々が歴史改ざんをしたという確定的な証拠」
「聖徳太子は私が作り出した想像上の人物であるとの証言(あるとしたら手紙?)」
など、証拠を提示しなければならないでしょう。
これを関氏はずっとやり続けているのです。著書を参考にしてください。
彼の歴史への対応の仕方はとても真摯なものですよ、読めばわかります。
私は、「厩戸王」と聖徳太子が人格の同一性があり、かつ、「厩戸皇子」と聖徳太子の人格の同一性がない場合にのみ、「聖徳太子(厩戸王)」という表記が正統性を有する(「厩戸王(聖徳太子)」ではない)とする趣旨のパブリックコメントをしました。
僭越ながら、「作る会」の主張は、「厩戸王」という呼称の根拠を、「聖徳太子虚構説」とする前提ですが、この論理には抜け穴があります。聖徳太子が存在していても、「厩戸王」の呼称を採用する余地が論理的にはあり得るのであり、この点からの改訂の趣旨であるなら、「作る会」の主張は的外れということになります。
その上で、日本書記においては「厩戸豊耳皇子」の表記があることは明らかであり、この者が重要な政治的役割を果たしたことは確定しています。しかし、「厩戸王」という表記が、何らかの書物において記載があるということは、寡聞にして聞きません。解釈によってその表記が正統であるとしているのであれば、それは歴史学者の傲慢そのものです。
仮に、そのような記述が何らかの書物にあるという前提をとってみましょう(私はこの前提に立って、パブリックコメントにおいて「厩戸王」の正当性の欠如を指摘しました)。その上でも、「厩戸王」という表記を第一義的にしてはならないのです。
論理構造は、1:必然性の欠如、2:「厩戸王」としてはいけない理由の存在、です。
1については、「作る会」のおっしゃる論理がそのまま適用できます。
2については、支那共産党政府による、使用する言葉の改変という手段を用いた、支那視点の歴史認識の強要です。聖徳太子を「王」とするのは、皇帝、天子という称号を関していた支那の最高権力者からの、侮蔑の表現です。「王」は、「皇帝」「天子」より格下という意味があります。
実際、ネット上で「厩戸王」を容認するような記事、ブログを見ると、その中で論理破綻をしているか、「厩戸王」という表記に正当性があるという主張は、全くありません。しかも、媒体は朝日新聞系列など、信用性が無い者と利益を共通にする者からの発信を多く目にします。
以上の理由により、「厩戸王」は指導要領に定めてはなりませんし、他にも、今回の指導要領案には、支那共産党政府による歴史認識の強要を示唆する変更があります。
遅ればせながら先程パブコメを送りました。
今日を入れて後4日です、ラストスパートと行きましょう!
「中学校学習指導要領案 PDF (P40)」が該当部分です。
昭和40年代、中学生当時に、左巻き社会科教員(今の印象です)から「厩戸王とも呼ばれている」と聞いた記憶があります。
他にも「日中国交樹立」のはずなのに、「日中国交正常化」だったり(報道でも米中は国交樹立で、日本も同じはずです)、「日清戦争」と書いてあるのに、「オランダ、中国との交易」(同ページ)となっていたり、ツッコミどころ満載ですね。
ついでに、「伸縮自在・鵺の如き『中国』表記は中華人民共和国人民の尊厳を汚すものだからやめてください」、とコメしました。
尚、ブラウザのファイヤーフォックスでは、「安全な接続ではありません」となりますが、エクスプローラーでは接続できました。
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