本日、視察研修より戻った。
公務出張と言っても良いかも知れない。
私の所属する総務常任委員会において、防災に関連した自治体の視察を行った。
当該自治体の担当職員より、素晴らしい説明を受けると共に質疑応答をもって知見を広げることができた。
その過程において、イデオロギーこそ真逆であるものの、同じ議会に所属する者としては、極めて恥ずかしい状況があった。
果たして、議会のルールや民主主義を理解しているのだろうか?という振る舞いである。
私のような新人や、期数の浅い議員ではなく。
九期生の共産党市議の振る舞いである。
情けないにも程がある。
※ 扁桃腺を腫らせており、熱がある。
視察の疲労もあり、文章の校正が甘いことをご了承ください。
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(OGP画像)
シリーズ物として5編構成として触れるほどの量であり、結果的には専門用語も多用せざるを得なくなるだろう。
理解できる読者も少ないと思うし、理解できるレベルまで書き下す負荷は今の私にはない。
私自身も否定する立場にはないし、かつて市民として論じていた時期は「削減すべき無駄」と認識していた。
今のそのスタンスは、大きくは変わっていない。
つまりこういうことだ。
公費を用いて、議員たちが「旅行」を行い、さしたる研修などせず、
観光にいそしみ、名産品などで贅沢な酒席を設ける・・・。
このような批判が市民にあることは承知しているし、一面においては正しいと今でも考えている。
実際、議員当選後、それらの視察研修の実態を見るに、その側面も確かにあったと感じた。
ただし、いまは少し考え方を変えている。
それ以上に、様々な自治体をまわるうち、楽しくなってきたのだ。
それは遊びほうけることが楽しいという意味ではない。
各自治体の動向、様々な先進事例を知ることが、本当に楽しいと感じた。
知ることは、楽しい。
であるならば、やることは簡単だ。
委員会研修の目的を明確化し、我々がモチベーションを高く持てばよいだけである。
今回は、防災であったが、「何を目的とした研修か」を、当方の立場で明確化することから始めた。
他、視察前に委員会においてレベリングが行われている。
事前学習と言ったほうが、一般の方には分かりやすいかもしれない。
さらに、受入れ先の自治体に対し「このような理由で、この件が伺いたい」と事前に要請している。
また、発言内容(質問したいこと)がレベリングの時点で明らかになっている場合は、より詳しい回答を得られるよう、事前に受け入れ先自治体に伝えている。
(一般質問の発言通告に似ている。)
行橋市議会側も詳しく知っている前提で、受入れ先自治体は説明を行うため、専門用語も用いつつ、かなり深いレベルの資料を用意。
また、行橋側の所属議員もそれにあわせ(個別でも)事前学習を行い、踏み込んだ質問を行う。
単なる恰好だけの質疑応答ではなく、実務者同士の議論が交わせるようになった。
結論になるが、凄まじく疲れる。
疲弊する。
新しい知識の吸収や調べものの速さには自信があるつもりだったが。。。
それぞれ各分野を専門とし、数年がかりでプロジェクトを組んできた公務員が相手である。
別に競争ではないが、数日程度の付け焼刃では、踏み込める深さにも限界がある。
公費で行う研修。
移動費だけでもバカにならない。
だからこそ、必死に事前学習を行い、資料のはしばし、説明のひとつひとつを大事なものとして伺う。
これは、本当に疲れる。
私にとっては、楽しい楽しい委員会研修ではない。
年に一度の、しんどいイベント、言うなれば受験と同じようなイメージである。
※ 今回は、防災関連(特に河川の治水、その中でも内水)を主として伺った。
また危機管理室の在り方、各自治体の取組について学んだ。
併せて、防災全般に関する(立地上の地理的特性からくる)防災への考え方の差異を知ることができた。
(他、何件か、防災以外の、特色ある政策があるものも伺っている。)
具体的には、委員会として行った研修において、自己都合によりご飯を一人で食べるというもの。
視察前に書くことは憚られたため、視察より戻った今日、書かせて頂く。
(せっかくの視察をぶち壊すことは避けたかったゆえ。)
同じ日本とは言え、慣れ親しんだ地元とは異なり、ちょっと困って電話一本で友人が助けに来るわけではない。
なにがしかの事件・事故の可能性もある。
また、公務災害を避ける目的、視察を円滑に行うべく、
議会事務局より職員が随行している。
この集団行動を、自己都合により守らなかった議員がいる。
「ぼっち飯」と揶揄した書き方をさせて頂いた。
そう、こればバカにしているのである。
撤回も謝罪もしない、バカにされて当然の行為だと考えるからだ。
私は、怒っている。
「一緒にご飯が食べたくないので、一人で食べる」である。。。
もし万が一があったら、どうするのだろう、
無責任にも程がある。
当然、議事録などには残らないが、私はここが許せない。
「個別でご飯は食べるべき!」と委員個人としての意見を開陳する。
これは問題ないだろう。そう思うならば、述べる自由が彼女にはある。
しかし、委員長が「バラバラで食べましょう」と決めたわけでもないし
委員長より他の委員に賛否が求められ、委員会としての意思を決したわけでもない。
「「「私はこうしたい!!!」」」と身勝手な主張をわめき、
誰の許可もないままに、それを押し通す。
だったら研修自体、来なければいいではないか。
構図が真逆であった。
その場合、私たちは、責任をとっている。
当選より一年ちょっとの時期であったと思うが、責任がないとは言えない。
視察研修において、自民党の国会議員が協力してくださり、
少し特殊な場所で視察を行う手筈となった。
具体的には、普天間でオスプレイを見ようとした。
通常、このような許可は、市議会に対しては降りない。
尽力くださった議員に挨拶に伺う手筈になっていた。
しかし、天候の問題もあり(台風が接近していた)視察スケジュールはスタートより荒れ気味。
また多くの研修を詰め込んだのだが、徐々に時間が遅ていた。
最後の研修に参加したのち、その最後の研修が終える前に、どうしても場を離れねば、骨を折ってくれた国会議員を待たせることになる。
迷いと葛藤はあったが、正副委員長にてその場を後にし、他委員のみで研修が続行された。
これは他の委員にも失礼なことで、私はその日のうちに陳謝している。
最終的にはオスプレイは見れなかったのだが(最後の一機が飛ぶ日となり限界体制が敷かれた)、このような許可を国会議員がわざわざ動いてくれたことに対し、謝辞を伝えることは常識であるからだ。
しかし、共産党はこれを許さず。
本会議において、これを攻撃。
さらに(彼女は委員会に所属していないのだが)、特別委員会にて発言。
委員長の許可を受ければ、委員外の議員発言は許される。
この際、いくつかのエピソードがあった。
委員として副議長も参加していたのだが、これで委員を罷免ということになれば、その場にいた(特別委員会の副委員長よりも職責の重い)、副議長である私がその職を辞す。。。
共産党は、保守への攻撃が主であったからか、「撤回」を再三求めたが、副議長は頑としてこれをきかなかった。
また、委員長は、副委員長であった私に「委員長である私が、自らの意思でお礼を伝えるべきだと判断し、自らの意思で動いた結果である。」と発言。
共産党はこれを受け入れない。
受け入れるも受け入れないも、そもそも委員ではないため、「本来はどうでもいい」のだが。
これが九期生を傘ににきた驕りと横暴だろう。
市議たちには、各種の支援スケジュールがあり、私が反撃に転じた場合、その支援体制には穴があく。
議長も苦しかったと思う。
結果。
委員長は、委員長職を辞任。
私は、会派離脱(諸派になる、国会でいう離党)をもって委員会を特別委員会を自動失職。
共産党1議席が騒いだ結果、委員を辞めるという前例を残したくなかったため、より重たい選択を自ら選んだ。
副議長には、私個人で責任を取りたい、留任して欲しいと依頼。
また本会議において、私は謝罪文を読み上げた。
具体的には手登根さんである。
フェンスクリーンの存在が面白くなかったのだろう。
かといって、県外の民間人の名を議会で公開する権利など、彼女は有しない。
のち、徳永克子(共産党・行橋市議)の横暴に呆れ果て、手登根さんは保守活動家として思いっきり前に出るようになる。
それまでも名を明かして動いてはいたが、ここまで過激に動き始めたのは、議会という公開の場で徳永克子(共産党・行橋市議)が名を明かしたからである。
このBlogの、一番最初の記事は、手登根さんが行橋市議会に送った抗議文と、それに連なる私の言葉で始まっている。
人権侵害どころか、人権の蹂躙である。
今回、委員会の許可を得ず「言ったもん勝ち」のような形で個別行動をとった。
これは民主主義の否定である。委員の承認により委員長は選出されている。
民主的に選ばれた委員長を愚弄。
私は、これが許せない。
総務委員には、私をかばい特別委員会の委員長を辞した議員が委員として参加している。
「かばい」と言うと「俺の意思だ」と怒るため、私と共に委員長を降りた議員と訂正するが、共産党がその際に責めた先輩議員が委員として参加している。今回の研修にも、だ。
ちなみに現総務委員長とは、以前のエピソードの際に出てきた副議長である。委員会替え、議長選挙を経て、いまは総務常任委員会の委員長となっている。
この民主的に選ばれた委員長に対し、「バラバラで動く」と宣言したのみで、誰の許可も得ずに個別に動く。
宣言しただけで、物事が決したと考えるのなら、日本の内政は大混乱だ。これが議会で動く際の、あるべき「先輩議員の姿」なのか。
民主主義が何かも、議会のルールもわかっていない。
似た過ちを、私はかつて犯した。
その責任はすでにとっている。
彼女はどうするのだろう、注目している。
私たちの事例の場合は、委員会研修への尽力に対し人として謝辞を伝えたいという「研修に関連する行為」であった。しかし、徳永克子(共産党・行橋市議)の場合は、「個人のワガママ」だけである。特に理由は述べられていない。
理由も不明確なまま、このような単独行動をとることは許されていいはずがない。
私は賛否をとる場合であれば、確実に「否」と表明させて頂く。
私たちの「前例」の場合は、お礼を伝えねばならない(ほどの尽力を実際に賜ったと考えている)背景があたが、それでも委員長は責任をとり委員長職を辞し、副委員長であった私は会派離脱の自動失職という責任をとった。
他委員からの承認はとりきれていなかったが、正副委員長が揃って動いていたため、つまり「委員会としての動き」とみることもできる。(連絡が徹底しきれていなかったため)委員の軽視ではあるが、組織としての委員会と見れば、ぎりぎり格好はついていた。
今回の漢書の事例は、「黙認」であって、委員長の許可の元に動いたものではない。
一委員に過ぎぬ彼女自身が決定権を有するわけでもない。
委員の賛否はとられておらず、委員会の意思は示されていない。
徳永克子(共産党・行橋市議)は、同じように責任をとるのか。
少なくとも、委員を構成する私は「ありえない」と断じている。
それとも今後は「委員長に言い逃げ」をすれば、なんでもやって良いという流れに「議会改革」なされるのだろうか。
となれば、以前の、私たちの一件については「考えを改めたこと」を表明し、一言、お詫びでもして欲しいものだ。
そうでないならば、議会の「前例」に基づき。。。
私と同様、次の議会(12月議会)において、謝罪でも本会議で述べるのだろう。
常任委員会ゆえ「辞めること」はできないが、この前例は彼女自身が作ったものだ。
これすらできないなら、いよいよ情けない、ただの内弁慶である。
さらにバカにさせて頂こう。
他人には厳しいルールを課し、責め立て、、、
そして自分はそれ以上にひどいことをする。
自分はよくて人はダメ。
これがルールを司る、議員のすることか。
また、日本共産党は、法規範の最上位、憲法を護れと叫ぶ。
憲法以前に法を守れと言いたいし、最低限のルールを守れとこちらは言いたい。
それができないなら、全部、ウソに聞こえるんですよね。
たまには自らの身を振り返ったらどうか。
徳永克子(共産党・行橋市議)が、憲法を護れ!と言うと軽く聞こえる。
簡単なルールすら守れていない者に、憲法のなんたるかは理解できているのか「疑問」だからである。
民主主義の仕組みも理解できておらず、九期生という立場のみを振りかざし、
委員会においては過度な説明負荷を職員に求める。
自分で勉強したらいいのではないか???
ググれば出てくるレベルのことで、委員会の審議時間は浪費され、
本来、市民の公益のため時間を使わねばならぬ市職員たちは、彼女を満足させるための「わかりやすい資料」を作るための時間ばかりを浪費する。
このような手段で、議会が動くと考えているなら大きな大間違いだ。
かつてはそれが通じていたのだろう、大きな声のものが勝つ。
言うなれば旧態依然の、悪しき自民党のようなやり方だ。
時代は変わったのだ。
若い者も、死ぬ気で学び続け、法と規律を重んじ、
気を許すときはゆるみ、締めるときは締める。
一見、正論と感じる、少し難しいようなそれっぽいことを述べているだけでは。
その程度では、理解の目は欺けない。
そして、かつてはそれに異を唱える者はいなかったのだろうが、私は前に出る勇気をもつ議員である。
何より、私の目からみた行橋市議会は、そのような場合、明確にルールと規範にのっとり、動く議会である。
人を呪わば穴二つ、という。
自らが作った前例だ、議会冒頭での「ワガママの反省」程度は、述べるのではないだろうか。
議会のルールに明るい「九期生」である以上、誇り高くやってくださるだろう。
徳永克子(共産党・行橋市議)が、議会において謝罪するか否かは、彼女の自由だ。
同じように「彼女が謝罪したか否か」を、Blogで書く自由が私にはある。
そして、その行為が適切であるか否か、それを自由に論評する権利が私にはある。
手登根と違って、彼女は公人なのだから。
まぁ、苛立つ思いも、わからなくはない。
シールズの一件で、私の辞職勧告を求めるweb署名が集められていた。
彼女は、これに相乗りしていたが、この時点で少し怪しかった。
九期生である彼女は、相当に初期の段階からこの矛盾に気付いていたはずだ。
行政書式の様式を満たしておらず、そのままは出せる形になっていなかった。
(辞職勧告の類は、国家賠償責任の対象となる。有名な前例であり、常識である。)
陳情として出されたそれは、採決(賛否をとる)の対象とはならず審議されなかった。配布のみである。
彼女が紹介議員となっていれば、審議対象にはなっていた。
しかし、彼女はここで逃げた。紹介議員とはならなかったのである。
ゆえに審議対象とはならず、採決すらされなかった。
書式の不備については承知していた、ということだろう。
提出者たちに書式の不備などを伝えればよかったわけだが、それをしなかったのは「通す自信がなかった」からではないか。
全国から注目され、全国の左巻きからエールを贈られる中、惨敗する姿をさらしたくなかった、ということだ。
九期生ともなって、このような性格のものを提出し、通せなかったら余りに恥である。
次に、辞職勧告を出そうとした。
彼女なりの善後策であろう、これも他議員の賛同が得られる見込みが立たず断念。
(私の悪口のような)決議にランクを落とし、決議を出そうとした。
初期においては、4名か5名の賛同者がいたと思うが、本会議が近づくにつれ、一人二人と降りて行き、私の知る最終状態では「賛同者は1名」にまで減少していた。
出したところで惨敗するのは必至であり、余りに恥ずかしかったのだろう。
決議の提出自体を取り下げた。
よって、議事録上、何も存在しないこととなった。
その9月議会において、私は自ら提出者となった意見書を採択に導いている。
私の意見書に対し、賛成に回るということは、彼女に目を着けられることと同義である。
このように混乱した場合、どちらも通らない公算が高い。
しかし、私の意見書は通った。
一期生vs九期生、完全なまでの勝利であった。
誰がどう見ても、議会人であれば理解できる、圧倒的なまでの差であった。
で。。。
それが理由かは知らぬが、
「ご飯が一緒に食べたくない」である。
だったら研修に来なければいい。
議員間のことではなく、委員会のことであるから「議会のこと」である。
私怨によるもので、議会を混乱させた。責任は問われるべきである。
民主主義を理解していないと述べたが、もう、私の目から見ても子供っぽいにも程があるのだ。
誰の目にも明らかだろう。
民主主義とは「過半数の賛意を得る争い」でもあるのだ、特に議会ではそう。
北風と太陽の、北風よろしく喧嘩を売りまくり、力をもって相手を従わせる。
かつては通用した手法なのだろう、しかし今は時代が違う。
誰もついていかないし、他の議員からも尊敬されず、人間関係はズタズタになる。
政策が良いだけで通るものではなく、日頃の人間関係がものをいうのが、議会であり民主主義である。
今回、どうせ謝罪はせぬのだろう。
結果、彼女はさらに孤立するのだろう。
何も通せなくなり、市の職員も言うことをきかぬようになるだろう。
議員としての力は失墜し、九期生という議会最長老として敬われることもないのだろう。
人には厳しいルールを課し、自らは守らない。
その理由が極めて私的で子供っぽいなら、なおさらだ。
今回の行いが、「民主主義というルール」で動くにあたって
大きな打撃となることを理解できないのであれば、
それは民主主義を理解できていないと言っても過言ではない。
議会人として、当然のこととして承知すべき基礎的素養を有していないということだ。
九期生という驕りゆえ、強く言えば誰でも言うことを聞く。
そのように錯覚しているのであれば、その姿は旧態依然の(かつての)自民党の姿と何ら変わらない。
12月議会が楽しみだ。
彼女は「なかったこと」にするのだろうか。
まぁ、それもいい。
結果、全ての力を失っていくだろう。
私は、委員長への愚弄、身勝手な動き、彼女自らが作った前例を守れぬこと。
相当に情けない議員で、ルールから縁遠い、憲法を論じる資格がない者だと考えております。
えぇ、怒っております。
視察研修は、遊びに行ってるんじゃないんだよ。
関連
共産党市議・徳永克子さんから、よくわからない電話がかかってきました。
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【議員としてどうなの?】徳永克子(共産党・行橋市議)の自発的ぼっち飯と議会のルール 本日、視察研修より戻った。 公務出張と言っても良いかも知れない。 私の所属する総務常任委員会において、防災に関連した自治
福岡で生まれ育った身として、日本国のことなど全く考えないような共産党議員を選出することは怒りにも似た感情が吹き上がります。世界の嫌われ者、支那のような世界を市民は望んでいるのでしょうか?言論統制、民主主義を否定する共産党などに賛同するなどあり得ないことです。日本共産党は今でも警察公安当局の監視対象です。平たく言えば「犯罪予備軍」です。こんな党の人間を税金で養うような誤った選択をすべきではありません!
以後、我ら庶民のウォッチャーは、こと行橋市議会の話題では、徳永議員を「ぼっちメシ徳永」と称することと確定したわけで。
保守活動家として引退されていた小坪議員を徳永克子議員が呼び起こした結果、外国人の税制優遇に対する改善を多数の市議会町議会村議会が採択されたんですよね。つまり立役者の一人が徳永克子議員!日本共産党や民主党のHPに徳永克子議員の功績をアピールしなければいけませんね!
共産党と言うのはいつも耳障りの良い事を言う癖に、ルールは守らない、人に迷惑をかける、ろくでもない連中だというのが地元の人間から見たスタンスです。
現在もそうですが公安監視対象である事を知らない若者がいる事に付け込んで、自分らが正義の味方であるかの様に振る舞う一方で、こういった真実の告白がある事が心強く、微力ながらお力添えしたい所存です。
私は、共産党が大嫌いである。
街のあちこちに嘘のポスターを貼って
共産党カーでは、嘘の情報を垂れ流し
街頭での演説?でも、嘘を言う。
「安倍の暴走、戦争法案、徴兵。」等々言い、政治のことを知らない人達を脅かす。
私の友達が「共産党が、戦争法案だと言ってる。私の子供が徴兵されたらどうしよ?戦争起こったらどうしょ?」と、言ってきた。
真実を話すと、友達は安心をしていた。
街頭でチラシ配りなどをしているけど、いつも通行人の邪魔になっている。
いつになれば、邪魔にならない配りかた出来るのだろうか?と、思っている。
自分さえよければ、自分の正義を押し付けて良いわけがない。
また、サヨクの特徴が出ましたね。
「我々は良い、お前らは駄目」
「法の下の平等」も「多数決で決定する原則」も理解しない連中が、「憲法を守れ」とは片腹痛いですね!
愛媛県のとある「自民党員」より
最悪のタイミングで最悪の選択をする人っていますねー。そして寝た子まで起こしたと(笑)もともと「民主主義」じゃなくて「共産主義」ですから、きっとルールが合わないんでしょう。
行橋は名の通り川が多く、橋が多いですから防災計画大事でしょうね。しっかり見てきてください。
地元 仲津小・中学校の入学卒業式には、必ず徳永克子が現れる!
父兄としては、せっかくの式典に泥を塗られた気がする。
君が代の斉唱はないが、有れば 徳永克子に起立しないことで、恥をかかせてやろうと待ったが実現しなかった!
面の皮が厚い 徳永克子は、不要だ!!
空いた口が塞がりません。w
我々は人間として、例え主義主張は違っても、最低限相手には敬意を表するの普通だと思ってました。
何処かのプロレス政党を見るまでは。。w
意外に共産党は、その組織力から、そういうのしっかりしているんじゃないかな?と想像してましたが、そうでもないんですね。w
年長者も同様に、敬うべきと教えられてきましたが、肝心の年長者がこういう態度や行動をされると、敬う気にもなれなくなります。
きちんと謝罪できますかね? それとも傲慢のままで通しますかね?
年長者の行動は若者も子供達も見ています。
憲法・法律よりも前の、道徳の問題だと思います。
救急車妨害、歩道乗りこみ、演説中に目の前で人が倒れても無視、
生活保護で党費と生協の会員費を払う・・・思いつくだけでもこれだけの
非常識な行為をやってますね。(伊豆大島の1件も共産党の町長でしたね)
人に厳しく自分に大甘、これがサヨクです。
民主主義を理解できないのも
憲法が定めた民主主義を否定するのも
『共産主義』者としては正しいのかもしれません
もっともそれは共産主義というものが
『尻も拭かずにトイレから出てきて肩の糸屑を糾弾する』
程度のものと証明する行為でしかありませんが
東側の崩壊で共産主義の存在意義が失われた今、
彼らの武器は
ルールを守れと言って相手を縛り
その上で自分はルールを破ること
反戦と言って侵略
人権と言って弾圧、と
今後も彼らは憲法を護れと言いながら、
同じ口で憲法を踏みにじっていくのでしょう
徳永氏のように
なお、文明社会では彼女たちのような人種を
『野蛮人(バーバリアン)』
と呼びます
今回の件も算盤弾いて不利にならなければ、
謝罪もしないんじゃないでしょうか
社会の常識が通じないことを武器にする野人ですから
徳永と言う名前からしてもあれなんでしょう
名前を聞いただけで、狂ってると思える
アカであれなんだから、まともな行動を期待してはいけない
あまり構い過ぎると被害者面を始めるかと思います、ほどほどウォッチングが宜しいかと…
あと、ソーラーパネルと言いこれと言い民主党は…
↓
ノーベル賞のニュートリノ研究、民主党が『事業仕分け』した施設だったことが判明! *今回の受賞は“仕分け前”の研究成果
ttp://blog.m.livedoor.jp/honmo_takeshi/article/46501448
↓
あと、教材を何とかしないとですね…
↓
国語教材が真っ赤すぎて話題にwww「現代文、主な評論家→荻上チキ」
ttp://m.moeruasia.net/article/45633374
↓
こちらは余談です
↓
日本も1か所ランクイン。一度は見るべき世界30の特選廃墟
ttp://karapaia.m.livedoor.biz/article/52201779
↓
あと、職場の先輩が
「ノーベル平和賞とノーベル文学賞は基準が曖昧で正直微妙だな」と言ってました
↓
村上春樹「日本は相手国が『もういい』というまで謝るしかない」
ttp://m.moeruasia.net/article/43671654
共産党って本当に「自分に甘く、人に厳しく。」なんですね。
ところで共産党のポスターに「暴走政治を街から追い出せ!」みたいな感じのポスターがあります。わたしは共産党こそが暴走政党だと思っています。いつ街から出てってくれるんだろう?といつも思いながら、そのポスターの前を通ってます。
沖縄フェンスクリーン運動
で検索ください
米軍基地フェンスに黄色と黒の放射能?の小さなマークをくっつけまくっています
カズヤYouTube沖縄
でも検索ください
沖縄を助けてください
(/≧◇≦?)
突然のコメントごめんなさい。タイトルの「【議員としてどうなの?】徳永克子(共産党・行橋市議)の自発的ぼっち飯と議会のルール」についてどこを読めば分かりますか?最初の部分に書いてむあるのかなとおもったのですが、ずーっと長いものを読まないとわからないというのは辛いです。時間もありません。なので一つ提案、もっと短くまとめたものをどこかでだしてもらえないでしょうか。テーマを絞ってカズヤチャンネルぐらいの情報量だと主婦でも理解できる気がします。ご検討くださいますか。
徳永克子、九期生 ご助言申し上げる。
あとから来たのに追い越され、泣くのがいやなら、さ?あ歩け?!
ほんに共産党っち、アホしかおらんと?
全くあんぐりというレベルの行動様式ですね。本当に相手にするだけ時間のムダという気がします。実力の格差が見えていないというのは哀れなものです。
さて、それはともかくとして、自らの人生経験においても色々と考えさせられる内容を含む記事でした。
> ぶっつけ本番ではなく、質問テーマが絞られ、かつ聞きたい内容を双方が事前学習を済ませている。
すばらしい取り組み姿勢だと感じます(実は当然の事であるはずですが・・・・)。会社の会議でも、その場で初めて資料が提出されることが多すぎます。資料の事前配布を過去何度主張した事か。そしてほぼ守られたことはなく、珍しく守った人がいたとしても他の参加者が事前に目を通していない・・・・。たった2時間程度の会議でその場で目を通してすぐに核心部の議論ができるほど人間は賢くはない。技術系の東証一部の会社ですらそうでした。ましてや一般の企業ではなおさらではないでしょうか。日本企業の会議が長引く一番の要因はこの点にあると感じています。
> 政策が良いだけで通るものではなく、日頃の人間関係がものをいう
実は耳が痛くなりました。会議への提案事項等で品質を上げることには力を注いできましたが、人間関係の方はあまり注力しなかったもので・・・・。敵対関係という意味ではありませんがネゴという点では・・・・
小坪先生、新規投稿ありがとうございます
そして、視察研修本当にお疲れ様でした。各分野を専門とし、数年がかりでプロジェクトを組んできた公務員が相手(これは、半端な議論はできないすね)では、必死に事前学習(まさか徹夜!?かな)しなくてはですよね。
でも、このような視察研修をしていただけるなら、日本国民は喜んで応援するとおもいます。んで、終わった後、どうぞ豪勢な飲み会でも慰労会でもなんでもやってください。
閑話休題・・・・
民主主義を理解できない大人!←肝になるタイトルをみつけました。
ボッチ飯を食べる徳永克子といい、某八王子市議会議員といい、先日の衆議院決議でのプラカードを掲げて在日朝鮮人目線の辻元といい、参議院での、ダイビング小西、机にのぼった牧山といい、セクハラ暴行の津田といい、まさに、民主主義を理解できない大人の具体例を日本国民はいやと言うほど見せつけられて、いや、ネットで、地上波のNHK(あの反日のNHKでさえwというべきか!)でも、視聴できる時代になったと。いい時代になりました。ある意味、感謝です。
腹がたちますが、、でも、一方、徳永のおかげで、それまで、ひそかにフェンスクリーン運動をしていた手登根さんがチャネル桜の沖縄チャネルにがんがん出演するようになる!保守の前線から一度は引退宣言(!?)した小坪先生を前線に呼び戻した!という意味で、徳永効果!はあったんですね。その意味では、徳永GJといわないと!いけません。
徳永効果については、同様なコメントをすでに記載されているかたもいますし、同じような思いをたくさんの日本国民が感じているとおもいます。
あらためて、小坪先生、事前学習が過酷だが、楽しみもあり有意義な視察研修、おつかれさまでした。そして、体調、是非、万全になるまで休息をとってくださいね。
それでは、失礼します。
先生お疲れ様です。
程度が悪い議員の子守も大変だと思います。
一言共産党など程度か低い議員に申します。
なぜ発狂して話しするのですか?火病みたいですね。落ち着いて話しするくらいの余裕見せてください。
そんなに発狂しなければどこかの国に顔向け出来ないのではないかと思われてますよ。
反対も結構。対案を出して黙らせるくらいの政策出来ないのですか?反対!反対!なら小学生でも言えますよ。政治家なら政治家らしく政策で議論し、対案を出してきっちり相手に理解させてください。
FBのシェアをさせて頂きます。
役職・人生を「長く」生き、学んだ人物なら、
新規や若輩の方々の「手本」となり、
「羨望や尊敬」に値する行動をして、然るべきと考えます。
学校の教師でも、立場のみで生徒に尊敬されない、
こういう方がいますね。
「先生」という言葉が有りますが、
人を生かす、物を生かす、何かしらを生かす事が出来て、
それを先んじて行う・出来る方を、
「尊敬の念を込めて」呼ばれる言葉と、私は考えております。
…なので、「出来る人物」で有れば、
年齢は関係無く、使う言葉と思います。
―――――――――――――――――――――――――
長く生きた・長く居るから、偉い訳じゃねぇよ
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徳永議員、
この方は、「先生」と呼ぶにふさわしく無い人物ですね。
上記載のコメントでも記載されておりましたが、
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「ぼっちメシ徳永」
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こちらの呼び名が、
非常にふさわしいと存じます。
先生みたいな人は国政で頑張るべきです。愚生も一応保守を応援してますが、自民でも反日は沢山います。是非 段階を踏んで、国政を狙って下さい。 先生のような方が日本に多いと日本も良い国になりますね!
こんにちは
たびたび 出てこられる 徳永議員
どんなお方なんだろうと思って
ブログ見てきました。
ほんとに 本当に ホントに 気持ちわるかったです。
共産党=犯罪予備軍
違法とはいえない、グレーな行動が彼女の得意分野か・・・
ダブルスタンダードは同じ立場になったときの行動を問われますし、その結果人間関係を悪くします。
狭い地域の限られた選良の行いは次の選挙の投票動機になります。