シリーズ、今日は何の日。
歴史上、忘れてはならぬ日を共に振り返るシリーズです。
3月10日、東京大空襲。
今年は70年の節目になります。
百田先生のtweetを見て、少し思うことがありましたので
思うがままに今日、思うことを述べさせて頂きます。
昨日、私は「日本人はアメリカに対して東京大空襲のことを謝罪・賠償しろとかは言わない、韓国と違って」と書いた。 その後で気がついた。東京大空襲は厳然たる事実だが、慰安婦強制は捏造であると。日本人は事実を耐えているのに、韓国は有りもしなかったことを謝罪・賠償しろと言ってるのだ。
? 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2015, 3月 10
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<保守は大きく二つに分かれる。>
一つは「親米保守」というもの。
用語はアメリカ万歳、世界のアメリカと共に、というもの。
なんだかんだで一般的なもののように思う。
言い換えれば、米国に絶対の信頼を置く保守。
日本の最大の友好国であり、経済的な部分においても
強大な軍備、核の傘による安保においても、切っても切れぬ仲。
私もこの点には同意だ。
事実であり、日米同盟を非常に重視するポジションにある。
二つと書いたが、ここに一切の疑いを持たぬ者、「そうではない者」の二者である。
これはどちらが優れているという話ではなく、皆様それぞれがどちらでも構わないと思う。
<私のスタンス>
私は、どのような国家であったとしても
他国を盲信することは、差し控えたいと思う。
職業柄そうあるべきだとも思うし、元々そういうタイプなのかも知れない。
これは、「最大の友好国」である現在、及び、その事実を認め堅持したいと考えるポジションとは相反しない。
私はそう思う。
<70年前、戦争がありました。>
過去、米国と我が国は戦争を行った。
いまからもう70年になる。
両国においても記憶は薄れ、友好ムードが漂う。
私は喜ばしいことだと思う。
しかしながら。
戦争犯罪を問う中においては、米国の行為にこそ大きな問題があり私はこれに抗議する。
戦後、GHQが行ったことも許しがたい。
いま友好関係にあり、その立場を堅持する。
日米安保を我が国の外交の基軸だと考えている。
その上で、米国が行った行為も、また忘れない。
祖先がされたことを、記憶にとどめたい。
<恨むことと同義ではない。>
これは「妙な隣国」と同じ行為に走れというわけではなく
覚えて恨み、未だに蒸し返そうというわけではない。
ただ忘れるべきではないと思うのだ。
親米に走りすぎる保守には、やや疑問の声もあげたい。
我が国は我が国であり、自主独立の国家だ。
主権を有する我が国として、米国と深い友好関係に在る、
そのスタンスで生きて行きたい。
(これは、あくまで私は、だ。)
<国際法に違反した民間人の大虐殺>
今日、この日、東京大空襲があった。
国際法で禁じられた民間人を巻き込む、まさに虐殺があった。
これは明確に国際法違反であり、
硫黄島で戦った先人、沖縄で散って行った先人。
先人らが玉砕してでも伸ばそうとした、望まぬ未来であったように思う。
<英霊の予測が、最悪の形で的中した日>
この玉砕を「バカ」と言う左翼学者もいる。
私はそうは思わない。
彼らが恐れたのはまさにこのようなこと、であった。
硫黄島が陥落し、飛行場が作られれば祖国が火の海になる。
無辜の民が、内地に残してきた非戦闘員が酷い目にあう、
それを恐れ「一日でも長く」と耐え抜いたのだ。
玉と砕けよと、たった一つしかない命を懸けてまで
必死に戦った思い、「あってはならないこと」だが
先人らが恐れたことは、70年前の今日、3月10日
まさに最悪の形で起きたではないか。
<駆逐艦・舞風>
駆逐艦舞風の最後がどうであったか。
航空攻撃により航行不能になる、しかし飛行機による攻撃はやむ。
生きたまま「実艦射撃目標」となったからだ。
動けぬ舞風に対し「ニュージャージー」「アイオワ」「ニューオリンズ」および駆逐艦4隻で集中砲火を浴びせる。
舞風、及び香取は沈むその瞬間まで反撃の発砲をし続けたそうだ。
これらの事実は全て米国の報告によって判明したものだという。
「そうだ」という語尾となるのは、このためだ。
「舞風」「香取」の生存者は多数放流し、また「香取」からは生存者を満載したカッターが3隻脱出していたという。
しかし、日本による資料は存在しないようだ。
なぜならば、それらの生存者を米軍は執拗な機銃掃射を繰り返し、「舞風」の司令や艦長含む240名全員が戦死、「香取」乗員も全員戦死したからである。
それでも最後まで、舞風は、香取は撃ち続けたではないか。
敵兵を救助せよと、機関停止を行った駆逐艦雷(いかずち)と比較し、私は怒りを禁じえない。
<鬼畜米英、事実だったじゃないか。>
あの時、祖先らが言った鬼畜米英。
・・・事実だったではないか、少なくとも当時は事実であったではないか。
戦争とはそういうものなのかも知れない、
敗戦とはそういうものなのかも知れない、
私は戦争を知らぬ子供たちゆえ、わからぬけれども。
ただ一つ思うのは、これを恨みとして抱き続けるのではなく
祖先への感謝の思いとしたいということ。
なぜなら、祖先らは、じいちゃんたちは!
内地に残した非戦闘員を護るために戦ったのだ。
嫁であり子であり、大事な人を護るため、玉と砕けたのだ。
当然のこととして
「これから先の未来」の日本が、護る対象に含まれていた。
これから先の未来、それは何か、
まだ産まれ来ぬ子ら、これから先の日本の未来の子供たち
その未来を護るため、国を護るため戦ったのだ。
その未来の子供たちが、誰かわかるだろうか。
それは、私たちのこと、です。
ゆえに、私は、今日この日を忘れることができないし
忘れるべきではないと思うし、刻みたいと思うのです。
護られた「未来」の一部として、感謝の念をしっかりと持ちたいのです。
ケネディ米大使、東京大空襲の「平和の日記念式典」で黙祷
キャロライン・ケネディ駐日米大使は、東京大空襲から70年の節目となった10日、東京都庁で午後に開かれた「平和の日記念式典」に出席し、犠牲者に黙祷(もくとう)をささげた。
都は3月10日を「平和の日」と定めており、在日米大使館によると、駐日米大使の式典出席は、大空襲から50年となる平成7年のモンデール氏以来。
ケネディ大使は昨年8月、米国が原爆を投下した広島、長崎両市を訪れ、式典に参列した。
http://www.sankei.com/world/news/150310/wor1503100041-n1.html
<親米保守に転じるまでの葛藤>
上記の思いは、当然のこととして皆が抱いていたことだろう。
その中において「親米」に転じて行く中、凄まじい葛藤があったことだと思う。
父を殺し、兄を殺し
妹がパンパンとなり、
子は飢えて死ぬ。
家は焼け、何もなくなった。
強い反米感情と恐怖がそこにはあったろう。
祖国を復興させる中、経済発展して国民を富ませる中
「いままで」を乗り越え、制約だらけの中、
我が国の舵取りを政治は行ってきた。
その中において、親米という道を
保守として選んだ者たちがいるのだ。
私は、複雑な情念を頂きつつも、その判断に対し
感謝と尊敬の念も抱くのだ。
葛藤の中、選択されたであろう、親米。
日米安保条約。
<安保反対運動を考える。>
そういう意味では、あの時、安保反対に転じた左翼の気持ちもわからなくはない。
その指揮を執った者らには「なんらかの意図」があったように思うが
参加者たちは(結果的に左翼ではあったのかも知れないが)少なくとも売国奴ではない。
むしろ愛国者であったのではないか。
あの学生らは、まさに親を殺された世代なのだから。
原爆を落とされ、原子力という言葉にトラウマがある。
なのに、原子力で動く空母が我が国に着岸するという。
死んでも許せないと思ったとしても、不思議ではない。
学生らの多くは、つまりは参加者は、愛国者であったのではないだろうか。
ここにコミンテルンや左翼が入り込み、おかしな方向に誘導していったのだろう。
<現在の我が国の姿>
そのような思い、複雑な葛藤を経て
いま、我が国と米国は、最大のパートナーとなっている。
これで良かったのだろうか、とも思うし
これで良かったのだ、と言い聞かせる私もいる。
現実を否定するつもりはない。
一つ許せぬものがあるとすれば、
バブルという毒酒に酔っ払い、この葛藤を脳内から綺麗さっぱり忘れ去った世代がいること。
安穏と「とりあえず、それでいいや」と何も考えず
引き継ぐべきものを、私たちの世代に引き継がなかった。
自分たちの世代のことしか、しなかった。
私は、これは許せない。
しかも。
いまだバブルの栄華を忘れることができず
酔っ払いのようにフラフラしている。
あまつさえ、学生闘争の「ノリ」を引き摺り、我が国の足を引っ張る。
私は、これが許せない。
70年前の今日、この日。
3月10日、我が国の首都において、たくさん人が殺されました。
国際法に明確に反した虐殺でありました。
さぞ無念であったことと思います、守り切れなかった英霊らも無念であったと思います。
70年が経過し、我が国と米国は
深い絆で結ばれています。
不思議な縁だと思いつつ、
私はいまの状況を受け入れます。
その上で、主権国家として在るべき姿、
自主独立の思いを強く抱くものであります。
70年後の今日、
米国の大使が、黙祷を捧げてくださいました。
複雑な思いを抱きつつも、私はこれが実はとても嬉しいのであります。
そこに理由はないのだけれども、嬉しいのでございます。
ケネディ大使、ありがとうございます。
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<シリーズ 今日は何の日>
このシリーズは、かなり堅苦しいです。
【今日は何の日?】グアム島守備隊玉砕の日【8月11日】
【今日は何の日?】葛根廟事件【8月14日】
【今日は何の日?】終戦の日・ポツダム宣言受諾【8月15日】
【今日は何の日?】神風特攻隊 敷島隊、突入に成功。連合艦隊、壊滅。【10月25日】
【今日は何の日?】ベルリンの壁、崩壊。共産主義者らの敗北した日【11月10日】
【今日は何の日】真珠湾攻撃・大東亜戦争開戦記念日【12月8日】
【今日は何の日】10年目の竹島の日【2月22日】
【今日は何の日】二・二六事件?国を愛したのは誰か?【2月26日】
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http://media.zenfs.com/en_us/News/Reuters/2015-03-10T051410Z_783397419_GM1EB3A10NU01_RTRMADP_3_JAPAN-FIREBOMBING-TOKYO.JPG
東京大空襲慰霊祭にて秋篠宮両殿下に深々とお辞儀をされる総理大臣
日本のマスコミはなぜこういう映像を配信しないのでしょう。
理屈ではなく、安倍総理に感謝が沸き起こってきます。
ケネディ大使さんも黙祷をささげて下さったとの事。嬉しく思います。
ロイターのサイトからのお写真です。
まことにそのとおりです。 日本の事、世界の事を考えるならアメリカと手を組む選択は、再興のためには最善と。しかし毒が回り過ぎてもいますね。
ケネディ大使の黙とうはうれしいですが、しかし広島の原爆慰霊碑はぜひお持ち帰りになって、ホワイトハウスに飾っていただきたいと思うのは、私が日本人だからでしょうかね?。事実を知ったらみんなそう思うだろうに。
大東亜戦争末期、アメリカの原爆投下を含む無差別都市爆撃(66都市が焦土化)への正当化が、非常に腹が立ちます。曰く「戦争終了の短期化・アメリカ兵の生命を守る等」。実際は「アメリカに歯向かった日本人を殺したかった・有色人種は殺しても構わない・異教徒は殺しても構わない等」でありインディアンの虐殺を正当化して成立した国なので反復脅迫しているわけです。
この正当化を覆す理屈は、「もし日本が先に原爆を開発し、実戦投入できたとしたら、戦争終了の短期化を理由に、降伏するまでアメリカの各都市に無差別爆撃をやってもよかったのか」ということです。
傍証としては、その後のアメリカの戦争(朝鮮戦争、ベトナム戦争等)では無差別都市爆撃ができなかったことです。「戦争終了の短期化」が正しければできたはずですから。
日本がアメリカからの独立を目指すなら、アメリカ側の理解も必要ですが、このアメリカの自己正当化の欺瞞が意識できない限り、アメリカは日本からの大東亜戦争に対する報復という悪夢から逃れられず、円満な独立は難しいでしょう。
保守系最大級団体に怖がって入会しようか迷っている私のような根性無しとは違い、帝国軍人は凄まじい精神道徳を持っておられたのだと思います。
背後に家族や郷里の人を控えて、災いが1日でも遅れるよう玉と砕けた帝国軍人の皆様には頭が下がります。
私の一族は実戦に送られた者がおらず、私は後ろめたさを感じております。
帝国軍人の皆様が災いを遅らせてくださったおかげで私が今生きているのだと思います。
ただ感謝です
日本人が信じて良い国は、日本だけである。
これは、会社組織に置き換えれば分かりやすいと思います。
他社はどれほど友好関係にあっても、ビジネスパートナーの域を出る事はありません。
国家間でも然りだと考えます。
日米に於いては共有するメリットが多いので、多少のわだかまりが有っても友好関係を維持する事が、未来に焦点を向ければ合理的だと考えております。
そして現代に於いても尚、世界の秩序は連合国(一部は成り済まし連合国ですが)によって支配されています。
国連常任理事国が親父の一門が地球を支配しており、嘗てその一門と事を構えた日本は破門こそは取り消されていますが、エンコを飛ばされた挙句連合国一家(特に米国一家)に身を寄せる客人でしかありません。
単なる客人ですから、身を寄せる親父の代紋が無ければ、無頼の無宿人扱いです。(この一門に加わらなかったチベットやウイグルは、ものの見事に本家の代紋を掲げる成り済まし連合国である、中国共産帝国に呑まれてしまいました。)
従って、日本は米国の代紋を利用できる客人であり続ける必要が今のところ続いています。
特に他の一家と渡り合う場合は、状況と場によっては米国一家の名代の形式も必要です。
ですが、若し米国が日本を陥れるなら再び日本は米国と事を構える覚悟も必要かと考えております。
現在の日本がなぜ理不尽にもエンコを飛ばし、客人に甘んじているかの歴史は覚えておかなければなりません。
そして、連合国一門がシャッフルを余儀なくされる事態に備え、その際には一家を構えられる準備をしておかなければならないと考えます。
その準備こそが英霊への最大の供養だと思います。
西洋以外で、特にイスラム圏の人々なのですが、戦争に関してはこういう質問がよくでてきますね。
「日本は米国に原爆を二発も落とされて都市部も執拗に爆撃されてボロボロにされたのになぜ米国を許したのか?どうして恨まないのか?」
こういうデリケートな質問には私はこう答えますね。
「日本人は米国人を許したとか怨念を忘れたわけではないと思う。けれども神風特攻隊の人々が象徴的なのだが、特攻隊青年たちの心情は許すとか許さないなどという心理をはるかに越えた境地に立っている。つまり完全に未来志向なのだ。もし特攻隊青年や軍人たちの遺書が米国人を未来永劫許すななどとばかり書かれていたら現代人にも大きな恨みが残っているだろう。しかしそうではなかった。つまりいくら社会が変わっても精神的遺伝子は子孫に引き継いでいるということだ」
神風特攻隊が戦略的にどうだったかはいろいろな議論があると思います。私は個人的には特攻作戦により米国の攻撃性と報復心をさらにエスカレートさせ、必要以上の冷酷な無差別爆撃につながった可能性もあると思います。また逆に特攻隊の壮絶な戦闘精神により米国は占領しても日本人は容易に奴隷化できるような民族ではないと思わせた面もあったかもしれない。歴史は多面的です。
しかし米国の壮絶なリンチ性を強調する百田尚樹氏のお考えは非常にわかります。当時の日本人の胸中を、同じ日本人の立場で推測できるなら誰でも理解できるでしょう。つまり特攻隊員がゼロ戦で突っ込んでいった当時の状況をほんとうに理解しているか?ということでしょう。当時の日本人にとって、まずアメリカ人はインディアンを絶滅させた民族・人種であった、黒人奴隷の歴史は悲惨以外の何物でもない、また米国が支配した地域はフィリピンを例にとっても悲惨なものであった(米比戦争でも数十万とか百万人とかのフィリピン人が殺され抵抗者は徹底的に抑圧された)ということを知っていた。だからベーブルースだジャズだど大衆文化レベルではアメリカを歓迎していても、ひとたび戦争になったら、日本人に歴史の記憶がよみがえったのでしょう。
そして朝日新聞の鬼畜米英のスローガンで日本人の敵意はいやがうえにも高まったが、米国に占領されてみたら意外と「紳士的」に見えたので日本人の怒りは宥和にむかったと表面的には見えるでしょうが、この占領時代に米国が何をやったか、GHQなどもそうですが、はたして米国兵による強姦ニュースなど滅多に見なかったというくらい米国兵は規律が高かったのか?などは日本人も知るべきでしょう。
「そういう意味では、あの時、安保反対に転じた左翼の気持ちもわからなくはない。・・。 むしろ愛国者であったのではないか」
同じ日本人への愛情をもった眼差しは崇高であると思います。政治家はこうあるべきかも。
けれどもこの論理は個人的には到底わかりません。日本の共産主義者たちはほんとうに卑怯で醜いです。連中は「愛国者」といってもソビエト連邦や中華人民共和国に対する愛国者だったです。
歴史的には戦後日本の共産主義者たちは反米でしたが、現代は新米でしょう。なぜなら米国議会で日本の慰安婦問題を糾弾されたら拍手喝采して米国を応援するからです。(おそらく連中はスーザン・ブラウンミラーの「Against Our Will」のレポートを知っているのでしょうが、日本をたたいてくれるから米国に不都合な側面を無視してでも日本たたきのエクスタシーを感じたいのでしょう)。つまり日本をたたいてくれるならどんな国でも支援する。飯をくれるなら誰にでもついていくような野良犬みたいな連中です。だから日本を呪う自称イスラム国にさえ尻尾をふってみせた。
共産主義者たちの思想が破綻したあとは連中の生きがいは「日本へのいやがらせ」だけでした。いかに特攻隊の連中は愚鈍で滑稽であったかを書いて日本人が敬意をもっている事物をおとしめるのが、平和な現代日本で彼らが「つかのまの幸福感」を一瞬だけ感じるひとときだったです。いかに下らない思想趣味に没頭した人生だったのでしょうか。
日本がもっとしたたかになり、強く出ることが出来ればよいなと思うのですが、日本の立ち位置を見ると現実には難しいですよね。
仲間であることに違いはないけど、日本には日本の考えを持って独自路線を進んでほしいと思います。
表と裏を使い分けて、利用されすぎず、そして孤立しないように。
極端な方向に進まないよう注意しながらに、防衛力をあげ、正しい教育等に力を注げれば少しずつ強靭な日本ができるのではないかなと。
他にもやることがたくさんあると思いますが。
今朝、このブログを読んだのは、自分にとってタイムリーであった昨日寝る前に青山さんの本を読んでおり
ちょうど硫黄島の章を読んで、壮絶な玉砕戦は栗林忠道 中将がインテリジェンスに長けていて、硫黄島が奪われれば
本土が爆撃にあうと予言し、戦闘員の反対の中、自決や万歳特攻を禁じ、一日でも長く抵抗するために
トンネルを掘って島民を非難させ戦闘員だけが地獄の暑さの中、勝てないと判っている戦闘を行い日本の為に死んでいったのを知って、如何に自分たちが何も教えて貰えず戦争は悪だと教えられ英霊をおろそかにして来たのか思い知った、ゆがんだ左翼教育とGHQの悪質さを知ったばかりだった
戦闘員の願いも虚しく東京空襲は起きてしまった
忘れてはいけないし、広く戦争とはどういうものであるのか中立に教えるべきだと思った
現在硫黄島はアメリカでは奇跡の島と呼ばれているらしい、二次大戦最大の激戦地であったにかかわらず
戦争終結すぐに生き残った日米の戦闘員が合同で慰霊祭を行っているのでアメリカでは広く知られ奇跡の島と呼ばれ日本人は何も知らない実態が悲しく思う
ルーズベルトが参戦を望んでいたことを知っているアメリカ人は少数でしょうね。4chでアメリカ人が日本の野望を挫く為に原爆で戦争を終わらしてやったとか自分達がしてきたことを、あまりに正当化するコメントばかり書き込んで何にも知らないものですから、ハル・ノートの原文のURLを貼ったことがありますが、全く関心がないようでした。要するにアメリカ人には自分達こそが正義で、そうでなければならないのです。パール判事はルクセンブルグ公国やモナコ王国のような小国であっても日本が突きつけられたような書状を受け取れば戦うことを選んだであろうと仰っています。負けたとは言え、我々の先人達が大東亜戦争を戦わなければ日本は他のアジア諸国のように白人国の植民地にされていました。白人国の植民地になることはなかった、国の為に命を投げ出された先人達は我々の誇りです。大東亜戦争を侵略戦争であったと言い続ける勢力をいつまでゆるしておかなければならないのでしょう。
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タイ国元首相
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )
当時の状況を考えれば、共産主義の脅威から身を守るため、アメリカと結ぶ以外の選択肢など無かったでしょう。アメリカと手を結んだ政治家たちが、内心何も感じてなかったはずはありません。
そして、アメリカの暴虐を伝えるなら、ソ連(ロシア)の条約破り、占領と虐殺、シベリア抑留を伝えねばなりません。また、中国撤退時に起こった虐殺、惨劇「通化事件など」もまた、伝えねばなりません。
日本は、中国、ロシア、アメリカに囲まれています。外交的孤立がどういう結果を招くか。言うまでもありません。
> 米国の大使が、黙祷を捧げてくださいました。
> そこに理由はないのだけれども、嬉しいのでございます。
それでいいのではないかな、と思います。
ボクは、アメリカは途上国だと思っています。
よく反省し、前向きに頑張ってる国だと見ています。
そして、日本は、影響を与えるべき国だという認識の仕方をしています。
情報ありがとうございます。まずは、黙祷を捧げたいと思います。
>いま友好関係にあり、その立場を堅持する。日米安保を我が国の外交の基軸だと考えている。
>その上で、米国が行った行為も、また忘れない。祖先がされたことを、記憶にとどめたい。
私も、まったく、同意見であります。
初めてコメントさせていただきます。
どうしても一言書かせていただきたくて。
よくぞ書いてくださいましたと。
コメントされている方々を含め、自分が常々考えていた事が、ほとんど書き尽くされています。
例え腸が煮えくり返ろうと、アメリカの影響力を排除するなどという選択肢は、亡国への道でしかありません。
強盗に囲まれているだけでなく、日本国内にテロリストと呼んでも差し支えの無い連中が、ゴマンといるのが現状です。
将来的に米との関係がどうなるかは分かりません・・が、まずは順を追って片付けていくのが当然だと思います。
保守派はこうして、米に思うところはあれど、今は耐えるしかないと判断をしていると思うのですが、反米反日サヨクには、米軍を出て行かせた後のビジョンは有るのでしょうか?
おそらく何もないか、シナ朝鮮のスパイか、どちらかでしょう。
「テロとの戦い」宣言は、例えテロの危険が高まろうとも、現時点で敵に回すべきではない米英に対しての言葉だったのではないかと考えています。
キレイゴトだけで生きていける世の中など到来する予感すら無い現在、戦う事を放棄しては、ご先祖様の血と涙が全くの無駄になってしまいます。
まず最初に戦うべき相手は、国内の反日連中ですね。
乱文失礼いたしました。
> 米国の大使が、黙祷を捧げてくださいました。
> そこに理由はないのだけれども、嬉しいのでございます。
いつの日か、安倍総理が米国大使を伴って靖国神社に参拝していただきたいと思います。
そして天皇.皇后両陛下のご参拝を賜り、慰霊して頂きたいと切に願います。
米国大使の空襲被害者への黙とうに、今を生きる私たちが喜びを感じるのです。
国の未来のため、天皇陛下のため、愛する家族を護るため、
若く尊い命を捧げ散花された英霊の皆様。
両陛下、総理大臣をはじめとする為政者の皆様が感謝を捧げ、慰霊に訪れてくれることを
どれほど待ちわびていらっしゃるのかと思うと、胸が痛みます。
大東亜戦争を戦って下さった英霊の皆様、戦火の犠牲になられた非戦闘員の皆様、
日本の為に、ありがとうございました。
日本中が、真実に気づき、感謝をささげる日が一日も早く訪れますように。。。
アメリカに対する気持ちは常に複雑です。
盲信はまともな関係ではないですから。
複雑であっていいと思う。
“「妙な隣国」と同じ行為に走れというわけではなく 覚えて恨み、未だに蒸し返そうというわけではない。 ただ忘れるべきではないと思うのだ。”
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