【画像あり】小坪しんやのパラオ旅行記1?ペリリュー島

 

 

青い海に、輝く月

パラオ旅行に行った。戦跡を訪れ、慰問を行う。書きたいことは多々あるが、資料性の高い写真の掲示を主としたい。ペリリュー島を歩いた。

パラオに行こう。
私事で恐縮ですが、今年六月、結婚しました。新婚旅行はパラオ。博士の記事(前頁)に憧れてのこと。戦跡が生活の中に普通にある島で、旧日本軍、戦前日本の残滓がそこかしこにある島だった。触れたいことは多々あるが、語るよりも主に写真にて伝えたい。

※特記
本エントリは、5年前に私が書いた原稿です。かつて定期発行していたSNS-FreeJapan第四号「主権と領土、国家観」(平成22年12月1日発行)より、「政治に向き合う(特別編)パラオ旅行記」を転載、後半にて一部を追記しております。

 

■ペリリュー島
言わずと知れた激戦区である。最初に「みたま」に祈る。意外かも知れないが、ペリリュー守備隊の一部は、まだ存命だそうだ。

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生きて還ったことも、逆に苦悩した日もあったという。慰霊碑より存在を知り、ただ頭を下げる。ありがとうございます、と手を合わせる。

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おにぎりせんべいと、パックの羊羹。許可を得て、捧げる。こんなものしか用意できなかったが、飛行機に乗せることができそうなものが、これしかなかった。白米とあんこ。代用で申し訳ない。どうしても日本国内から持って行きたかったのだ。

 

■千人窟
入り口こそ狭いが、中で千人が守備していた。ここが本部だったらしい。硫黄島にさきがけ、艦砲射撃・空襲を避け、上陸後の持久戦を狙ったもの。
岩を掘り、洞窟の塹壕を作った。

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驚くべきことに、内部も案内してもらえる。割れた瓶やかつて使われていたであろう品々が散在。内部は狭く、かつ天井が低い。よく頭をぶつけるそうだ。ここで、日本人は戦った。

 

■博物館
戦史博物館。かつては海軍の魚雷倉庫(信管)だったそうだ。艦砲射撃により壁面に大穴が開いている。
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館内は撮影禁止だが、室内もいまだ使用可能な状態が保たれている。建物そのものが戦跡。海軍の建物の、堅牢さに驚く。

 

■空港と戦車
前頁で触れられてはいるが、パラオは非常に重要な位置にあった。南洋庁の本庁が置かれ、これは当時アメリカ並に広大であった日本の国土を、ミクロネシア方面全体を統括する省庁である。サイパン、ヤップ、トラックなど多数の支庁があった。戦前、日本の国土は広かった。

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意外に知られていないが、ペリリューにあった空港は、東洋一と謳われ広大なものであった。ゆえに目標となったようだ。
米国にとっては、グアム、サイパン進出のための後方拠点、日本にとってはフィリピンへの防波堤。そしてトラックという喉元に突きつけられた匕首。パラオを、そしてペリリュー空港を制することが、南洋海域の制海権・制空権を制することであり、軍事上重要な位置にありました。

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この写真は滑走路です。九五式戦車かと思いますが、普通にそこに在ります。ただ在るのです。いまだに野ざらしで放置されていることにも驚きましたが、多雨にも関わらず朽ち果ててないことに驚きました。

 

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日本軍総司令部近影)
相当に頑強な建物です。建設時、戦火が及ぶことは想定されてなかったのではないでしょうか。二階からはペリリュー空港滑走路を見渡すことができます。天井には大きな穴(爆弾の直撃)がありますが、階段もしっかりしており、当時の建設技術を忍ばせます。多数の弾痕がありました。

 

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ペリリュー神社)
ここにも参拝。かの有名な碑文があった。

※ 謝辞
「行きたい」と思った理由は、まさに前頁の「博士の独り言」のエントリーであった。本旅行記を掲載するにあたり、どうしても博士の記事を掲載する必要があった。
事情を察してくださり、快く協力してくださったことに感謝します。また、原稿の掲載依頼後から数日後、やや修正された記事がを再アップしてくださっていました。思うに、このために書きなおしてくださったのではないでしょうか。重ねて感謝いたします。

▼当時寄稿して頂いたエントリ
パラオの桜と英霊(博士の独り言 II)
重ねて感謝申し上げます。
こちらのエントリも是非お読みください。

 

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※ここからは平成27年4月9日(ブログを書いている今日)の追記になります。
上記は紙媒体で発行したため、紙面の都合があり何点かの写真とテキストを割愛せざるを得なかったため、ここに補完させて頂きます。

オレンジビーチ)
血で染まりオレンジに、、、という話も日本では聞くが、これは誤りのようです。
米軍の上陸拠点が色で指定されていたそうで、他にも何色かの色で指定されたビーチがあったそうです。
こんなに綺麗な浜辺で、その場に立つと本当に何も言えなくなるぐらい綺麗だからこそ、なんとも言えない思いになり涙が出てきました。

 

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国旗と写真)
いまだに大切に、このように残して頂いていることに深く感謝。
ペリリュー島は空港のあるコロールより船で二時間程度でしたか、かなり離れており、日本人の観光客も多くは来ません。

これは「なんで行かないんだ」と嘆くような話ではありません。
費用もそれなりにはかかりましたし、往復の時間を考えるとかなり必要です。
(注:冒頭、述べたように新婚旅行です。このオプションを組み込むため、必死の主張がありました。)パラオという遠くの国に訪問し、相当に限られた時間の中、なかなか選択してくれる日本人は多くはないようです。
ガイドさんも毎日は出ていません。私の場合、このツアーを最重要視した上で他の予定を組んで行ったため、行けたという理由もあります。

 

 

関連記事)
【パラオ】日本軍の沈没した船に、中国国旗
こちらにも現地に行ったゆえの思いを綴っております。
よければ併せてお読みください。

本稿は、前篇・後編に分かれており、パラオの政治事情や現地でのヒアリングレポートが後編に続きます。
こちらも公開予定です。

(追記)
公開しました。
小坪しんやのパラオ旅行記2?失われていた修身教育と原因

 

 

天皇陛下の、パラオ行幸を一人の日本国民として本当に心から嬉しく思います。
天皇陛下、万歳!

 

 

 

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ご迷惑をおかけしておりますが、近日中に再度改修したいと思います。

コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. はらっち より:

    議員、パラオの記事をアップて下さりありがとうございます。

    このたびの天皇陛下のパラオ行幸啓がかないましたこと、日本国民として感無量です。
    また、自然ないきさつで日本の巡視船「あきつしま」がペリリューに寄港したという事実に涙が出ます。
    願わくば、英霊の皆々様は乗船されて日本国に帰国されたしと夢見ております。

    今回、NHKがけっこうまともにパラオ慰霊の旅を逐一報道していたのには驚きました。

  2. 一陽来復 より:

    >天皇陛下の、パラオ行幸を一人の日本国民として本当に心から嬉しく思います。
    >天皇陛下、万歳!

    同意です。
    また、地元の神社の氏子としても、戦没兵士の係累としても、最高司祭であられる陛下の各地への慰霊のご行幸、本当にありがたく思います。ご安航をお祈りいたしておりましたが、本日無事お戻りになられたようでほっとしております。

  3. 草莽の団塊です! より:

    小坪先生、ペリリュー情報ありがとうございます。みたま、千人窟、博物館、滑走路と戦車、日本軍総司令部、ペリリュー神社、オレンジビーチ、国旗と写真、いずれも初めて見る映像です。私にとっては、眼から鱗の情報ばかりです。本当に感謝です。滑走路にたたずみ時間を刻んできた九五式戦車、そこに置いてあるということ自体、パラオの人達は大切にしてくれているんだとおもいました。にしても、戦後の米国の反日教育洗脳教育にそれはちがうといい、洗脳されなかったパラオの人々に本当に感謝したいおもいで一杯になりました。すこし、うるっときてしまいました。

    追記:
    あらためて、5年前にご結婚されていたことをしりました。超遅いですが、ご結婚おめでとうございます。
    でもでも、新婚旅行にパラオ、そしてなんと、特別仕様のペリリュー島へいかれるとは、これは、奥様も愛国でいらっしゃることのなりよりの証ですね。

  4. 愛国婦人部 より:

    小坪先生おはようございます。
    先生のブログを毎日拝読しております。

    天皇、皇后両陛下のパラオ共和国への行幸啓に大変感動しました。
    改めて自分は日本人なのだと思いました。
    遠い南の島で祖国を一日でも長く生き延びさせるため命を捧げた日本人兵士の魂。
    悲しくてなりません。
    日本人としてしっかり生きていきたいと思いました。
    小坪先生ありがとうございました。

  5. 生野区民 2 より:

    テスト

  6. 草莽の団塊です! より:

    小坪先生、こんにちは!

    さきほど、文字化けしたメールが届きました。おそらく確認メールだったのではとおもいますが・・・・、とりあえず、ご報告させていただきます。

  7. 福岡市民 より:

    パラオ ペリリュー島の貴重な写真をありがとうございました。

    議員にとってもとても大切な思いの場所ですね。

    この度の天皇皇后両陛下のご訪問に言葉に出来ないほど様々な思いがこみ上げて感無量です。

    私もいつか必ずパラオに訪れたいと思ってやみません。

  8. 巻線 より:

    パラオの記事をありがとうございます。
    とても綺麗で良い所ですね。
    私もいつかは行ってみたい国です。

    この度の天皇皇后両陛下のパラオ訪問は我々日本人にとっても、パラオの人々にとっても大変喜ばしい事ですね。
    英霊達も喜んでいることでしょう。

  9. ハヤブサ より:

    パラオにはまだ日本のものが多く残されているんですね。感慨深いものがあります。

    天皇皇后両陛下とパラオの皆さんのニュースを見て、自分は単純に感動してました。
    なにかじわっと胸の奥からくる温かいものがありました。
    話変わって、他のサイトさんで知ったのですが、パラオの切手がなかなか素敵で欲しくなりました。一部の人たちにとっては、絵的にちょっと引っかかるかもしれませんが。

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