【祝】沖縄県知事選 古謝げんた、当確報道。いま語られるオール沖縄の真実

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「やった!」という歓声が聴こえるようだ。長い長い戦いだった。古謝候補の勝利であるとともに、沖縄県民の勝利である。そして、”長い戦い”の主語には、様々なものが含まれる。二度の知事選で奮闘した佐喜眞候補、4年前の戦いがあって今がある。

8年前、退くこととなった安里予定候補、古謝元市長。
今回お譲り頂いた下地予定候補者。振り返れば、個々の陣営に対して様々な思いがある。長い戦いだったんだ。

12年前、翁長県政オール沖縄は、実は左翼ではなかった。
今夜だから言えるし、今夜だから言うべき内容。本当は、翁長県政が誕生した際には違ったんだ。やがて左傾化していき、とんでもないことになったのはご存じの通りなんだけども、翁長県政がスタートし、沖縄県が混乱に陥って行った発端は知るべきなのだと思う。実は翁長氏こそが、左派政権の革新知事を倒した立役者であったことも歴史的事実。

維新が、もともとは大阪自民からパージされた議員を中心に結成されたように、オール沖縄も何より翁長知事は(自民党の幹事長も務め)那覇市長であったから、自民党の那覇市議もほぼ全員がオール沖縄に行ってしまい、県庁所在地の自民市議が激減したところがスタートだった。はっきり言えば、自民同士の内乱もスタートにはあって、勇退予定だった仲井真知事との諍いが発端にはあった。そして維新がそうであったように、(自民内部には)指摘されて然るべき腐敗というか、内部の問題もあったように私は記憶している。

つまり、地域密着側の地域政党として、県民党となった可能性もあったオール沖縄は、やがて左派団体に牛耳られ、約12年もの長い長い戦いを経て、今夜、古謝候補が勝利したという状況だ。恐らく翁長県政がスタートする前から、ログとして記事を書いてきた者は、私と手登根さんぐらいしかいない。「左派組織を倒したぞ!」みたいな触れ方では、本当は浅いんだ。我々は何と戦っていたのか、なぜ戦っていたのかを含めて論じられるべき夜だと私は思う。

 

 

 

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4年前の戦い 東京のメディアとネットのコタツ記事に苦しむ

佐喜眞さんのこと、だろう。
今回の古謝候補同様に、ネットは大いに盛り上がった。ご家族(娘さんら)なども出てきて、涙ながらに応援した方もおられた。そのまま、忘れていった人もいるかもしれないが、私は忘れられない。

さらに8年前の戦いのことに戻るのだけど、8年前に敗れた佐喜眞候補は、立って立って立ちまくった。4年間、徹底的に地域活動を繰り返し、知名度不足を底上げすべく足を使った。

 

もとは宜野湾市の市長を務めていた。
ご存じの通り普天間基地を抱える自治体で、非常に重要な自治体。

宜野湾市長を三期務め、油も乗り切っていた。
最高の人材である。経歴も華やかで、宜野湾市議を二期、沖縄県議を二期務め、さらに宜野湾市長を三期務めていた。

 

四年前の県知事選も私は沖縄にいたのだけど、佐喜眞さんは本当に有能な政治家です。
年齢はいまwikiで見たのですが、まだ62歳。これだけのキャリアをもつ市長を、ある意味では引退に追い込んでしまったのだなぁとか複雑な思いがある。もったいない。

より若い候補を!という流れだったのだと思う。
今回の勝利には佐喜眞さんの判断もあったと私は信じる。

 

なぜ4年前は敗れたのか。
下地氏も出馬し、保守系候補の一本化に失敗した。
とはいえ、それを加味しても一万票は足りないわけで、下地さんを理由にすることはできない。
もちろん、一人に絞ったほうが票は伸びやすいわけで、その効果も加味するならば大きいのだろう。

 

私の感じる主たる理由は二点。
一つ目は、在京メディアの影響。ちょうど安倍元総理が命を奪われた直後のことで、なによりメディアによる旧・統一教会への批判が凄まじく強かった時代だ。沖縄は、(集団自決のデマを世界日報が暴いたこともあり?)統一教会の存在感は
高かったように思う。もろに横波をくらい、ある意味では沖縄以外の外的要因で苦しんだ選挙状況のように記憶している。在京メディアは、別に沖縄知事選を狙ったわけでもなかったろうけども、絶賛でそういう風が吹いていた時代だったというのはある。

二つ目は、ネット保守・保守論壇の責任もある。沖縄は統一地方選ともセットの選挙なわけで、リベラル地盤の保守系候補が苦しみまくる選挙でもある。あまりに過激なことを飛ばすと、本当は知事選もセットでやりたいのに、二連旗を掲げにくくなる陣営は確かにあった。自分の身も守らねばならないのだ。一万票の話は、ネット保守の過激化で「抜けた票」はあると思う。今回の県知事選だと、31か所も同時に選挙があるわけで、2000票×5陣営で1万票は抜けるわけです。4年前は、ネット保守のこたつ記事にしゃぶりつくされた知事選にも見えた。

当時、相当に強い言葉を私は発していたように思います。
今回、その二匹目のドジョウを得ようとしようとした層に、ある意味で即応できた人がいたのは、4年前の経験が活かされているからです。

※ 序盤には、(地方選が始まってもいないタイミングでの)優勢報道は、本人が再生回数で儲かるだけで完全にデマでした。名前や媒体はリスト化されて、共有されています。アホとして。信頼できない人々として。

 

 

 

8年前の戦い 候補者の一本化に苦しむ

翁長知事が急逝。
電撃戦とはなった。

候補者選定に苦しみ、様々なトラブルもあった。
私は県知事選の四役を務めることに、なぜかなった選挙だ。安里陣営として私は戦った。
他、元南城市長の古謝予定候補者もいた。

正直、しきりはよくなかったと思う。

 

少しきな臭い話をする。
このときの本当の戦いは、那覇市長選だった。
名前を出すけれども、県議であった「翁長政俊」氏が、自らが市長選に出馬するため様々な画策をしたというのが実態だと思っている。

知事選の候補者選定は、那覇市長選を誰がどうとるかみたいな、そういう密室の連続でまともに進んでいなかったように思います。安里陣営の、当時における幹部として証言します。

事実、のち那覇市長選に出馬するも、犯人が誰と言うか混乱の渦が誰かがわかっていたので、当該候補は自民からも見捨てられるかような、だって知事選を政争の具にしてグチャグチャにされたという怒りもあったわけで。城間市長が誕生したとき、ですね。

 

知事選の方が後回しにされ、候補者調整はほぼなされず、
「だいじょうぶww」という報告だけ党本部にはあがっていたようですが、まったく大丈夫ではなく。

各候補が引くに引けず、大混乱の知事選でした。
いろいろと思うところはありましたよ、だって最初は候補なんていなかったのだから。

名護市は、絶対に勝てないと言われていて、候補を探してくるけれども辞退が続いて。
辺野古があるのが名護市なのですが、名護市長選には候補者が見つからなかったんです。そこに至るまで市長選を負けまくっており、もはや手を挙げてくれる人もいなかった状態。

ここが奇跡的に勝って、すると「勝てるぞ」となると我も我もとなり、候補者の一本化が大変に遅れたのが八年前。調整が非常に乱暴だったので、党本部が手助けに介入。菅官房長官が、そして党からは二階幹事長が沖縄入りし、沖縄のために頼むという形で花道を作りました。私はその際に事務方として、のち選対役員として(幹事長特別補佐)戦うことになりました。

あまりに時期が接していたため、各後援会は解散はせず、組織を活かしたまま行動せよということになり、結果、沖縄に張り付くことになりました。

あまり他県のことは言いたくありません、言うべきでもない。
ただ、選挙と政治にはいろんなものがあるなぁ、ドロドロした話もあるし、密室の話もあるなぁと感じた8年前。いまほどネットの力はありませんでした。

 

 

 

12年前 自民分裂からの、オール沖縄

極左組織としてオール沖縄を論じ続けることは、むしろ危険であり、今後の沖縄のためにならないと思うので明確に述べておきます。

『オール沖縄=極左』と言っているインフルエンサーたちがいたら、「ばーか」と言って頂いて構いません。マジで情報をもっておらず、取材もしてない方々です。このblogを貼り付けて頂いて構いません。

利権と利権の衝突でもありました、政局の話もあったわけです。

 

勇退することになっていた仲井真知事が、もう一度、やる、と。
いろんな地域で見られる構造ですが、翁長雄志氏が野望と持ったとも言えるし、仲井間知事という老害が地位に固執したとも言われる。どういう情勢だったかはそれぞれに言い分はあるだろうけれど、これは「自民の分裂選挙だった」という部分は外形的な事実です。

少なくとも12年前、極左政党と戦って自民が敗れ、そしてオール沖縄が誕生したわけではない。
ここは取り違えると大変に面倒なことになるので、ググるだけでいいので、ちゃんと調べて論じたほうがいい。バカみたいに思われるから。

 

あれは、なんだろう。
青臭い夢みたいなものではなかろうか、熱狂を生じた理由もわからなくはない。
兵庫知事みたいな扱いで、ある意味ではそれ以上だったのかもしれないなぁ。左派では、なかったんだよ。

固定化した、ある意味では腐敗している”自民組織”に、若い自民の市長が挑む。

 

翁長知事は、985年から2014年まで、一貫して自民党に所属していました。
父は真和志市長と立法院議員を務めた保守政治家、兄は県議と副知事を歴任。次男の雄治氏も元県議で、政治一家です。2018年8月8日、膵臓がんのため67歳で死去。県民葬が営まれました。

議員歴
1985年7月 那覇市議に初当選(34歳)。以後2期
1992年 沖縄県議に初当選(41歳)。1996年に再選し、2期
2000年11月 那覇市長に初当選。以後4期、2014年まで
2014年11月 県知事選で当選、12月10日就任

 

そのまま仲井真知事に挑んでもかなわないからね、ウィングを広げた。
そう、左翼も混入した、というわけ。けれども、主力は自民だったよ、支持者も。
だから12年前に勝ったのは、「真・自民」とか、「新・自民」だったわけです。

 

新知事に翁長氏 仲井真氏に約10万票差

 

第12回知事選は16日投開票され、無所属の新人で前那覇市長の翁長雄志氏(64)が36万820票を獲得し、初当選を果たした。

 

 

そこから4年、様々な錯綜のもと、亡くなった翁長知事の座を巡って、左派VS保守の構図が固定化していく。
ネット上で、ググってわかるのは、このあたりからではなかろうか。それ以前には、書いてる人がほとんどいないから、ググってもAIでも分からないんだよ。

 

今回の知事選にも実は影響を与えている話なんだ。
オール沖縄には、保守系の企業も相当数が参加していた。それを、この形で戻ってきてもらうまでに、12年が必要だったんだ。

 

12年前の、知事選の候補予定者の座談会の絵を見て欲しい。
噛み締めるもんだよ、干支が一周分の様々な軋轢は。

 

県知事選立候補予定者座談会 辺野古 最大争点に

 

知事選に向け健闘を誓い合う(左から)喜納昌吉氏、翁長雄志氏、仲井真弘多氏、下地幹郎氏 =29日、那覇市天久の琉球新報社

 

琉球新報社は29日、11月16日投開票(10月30日告示)の県知事選へ立候補を表明している現職の仲井真弘多氏(75)、前那覇市長の翁長雄志氏(64)、元郵政民営化担当相の下地幹郎氏(53)、元参院議員の喜納昌吉氏(66)を本社に招き、座談会を開いた。最大の争点となる米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設問題で、仲井真氏が危険性の早期除去の観点から移設計画を評価したのに対し、翁長氏は「県民の受忍限度を超えている」と反対し、県外、国外移設を主張した。下地氏は県民投票による解決を提案、喜納氏は埋め立て承認の取り消しで移設に反対する手法を示し、4氏が公約の違いを鮮明にした。

(続きはリンク先にて)

 

 

言いたくはないが、言われていたことをそのまま言う。

確かに沖縄には予算はついた、ついていた、基地予算も含め。
それは莫大な、特にインフラ整備については本土から見ても垂涎のレベル。非常に整備されている。これ以上、何がいるの?というぐらいに。

けれど、本土のゼネコンがほとんどを牛耳っており、何も沖縄には富が残らない。
一部の県議や知事周辺に集中しているという不均衡が指摘されたのが、翁長市長であった。

 

むかついたんだろうよ、仲井真知事に。
そういう固定した利権構造に。県民所得があがぬままの、基地負担に。

沖縄を奪還した本人として心底むかついたんだろう。
翁長知事は、県政を奪還した当事者でもあったんだ。

自民の幹事長時代の実績として最も大きいのが、1998年の県知事選。当時の大田昌秀県政の与党だった公明党を稲嶺惠一氏への選挙協力に引き込み、自公態勢を構築しました。この選挙で稲嶺氏が大田氏を破り、県政は革新から保守へ移りました。自公連立の試金石とも言われた選挙であり、その実務を仕切ったのが翁長氏でした。

それで金権腐敗みたいになっていては、浮かばれない。
仲井真知事に挑んだ翁長知事が、単に極左組織のリーダーとはね、言ってはならないんだよ、特に本土の人はね。古い人は翁長知事のことをちゃんと覚えているから。

 

結果、左派まで巻き込んでの「翁長、いけぇ!!!」ということになり、空前の大勝利になりました。

そのあと、病に倒れ、急に亡くなりました。
デニーになりました、そして今夜を迎えたわけです。
12年の月日が必要でした。

 

 

 

青い目のデニー

選挙が終わったので、これもやっと言える。
彼も苦労したと思う。父は米兵さんらしく、どうやらデニー氏は会ったことがないらしい。
産まれる前に帰国したらしい。

私も聞いた話で恐縮だが、「え?」と思う保守もいるかもしれないが、むしろ知らない沖縄県民がいない。
国会議員もしているし、その前はラジオのDJ。

子どもの頃は苦労もあったのだろうし、沖縄には、当時においてハーフの子供は多くいたと思うよ、本土に比較すれば。

 

そのデニー氏が「米軍基地に反対!」と叫ぶ行為は、一定の整合性はある。
心を打つのだ、特に女性の。子を持つ母親たちの。彼が幼少期に苦労したのだろうと思いを馳せながら。

だからデニー氏の女性人気は非常に堅固だった。

 

左派の偶像のようにされ、結果、彼も人生を棒に振った。

ただ、デニー氏の半生を思うに、全力で批判して良い対象とは私は思わない。

 

 

 

沖縄を、前に。

この言葉に集約されるのだろう。

決して古謝候補は、対立候補の批判をしなかった。

 

むしろ、その思いすら背負っていくと述べた。

何を背負おうとをしたのかは、このblogを読めば分かるだろう。

全部、だ。

 

官僚出身なのだ、知っている、全部。
政治の、沖縄が混乱したすべてを。
経緯を。

どんな思いであったかも。

 

あの言葉は実は軽いものではなかったんだ、選挙戦術でもない。

どうせ、「左派打倒www」みたいな動画やポストに溢れるのだろうから、今夜ぐらいは祝杯とともに、私も伏せていた思いを述べさせて頂きました。

 

 

我々は何と戦い、何に勝ったのか、

なぜ県政の混乱はあったのか、12年が必要だったのか。

相手の思いも背負うと言う古謝知事候補の勝利は、何を意味するのか。

これは一つの象徴ではあるのだけど、何の象徴かを履き違えてはいけない。

4年前、8年前、そして12年前の戦いを振り返ることで、

今回の知事選の重み、その意義が見えてくると思う。

新しいを沖縄を創る選択が示されたことを一人の地方議員として心から喜ぶ。

「沖縄を、前に。」と思った方は、拡散をお願いします。

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. 常磐本線 より:

    古謝氏おめでとうございます。
    浄化は大変だと思いますがよろしくお願い致します。
    沖縄県民の良識に乾杯。
    秘蔵のボトル開けよう。

  2. 波那 より:

    テレビ無いから7時58分から選挙ドットコム視てました。8時ピッタリに「出ました、決まりました〜」って言ったから、まさか8時ピッタリに当確出ると思ってなかったから、えっ!デニーなの?😰と思った。おめでとうございます🎊🎉🎊🎉🎊
    沖縄の皆さん、有難う御座いました。これで沖縄の安全保障に心を合わせて取りかかれます。応援に入られた各党の皆様、お疲れ様で御座いました🙇。

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