戦後が終わる。
敗戦による象徴として、一度も改憲できていない戦後憲法が挙げられる。同等レベルの重みが、他国に作られた憲法で失われた「皇室典範」であった。保守の悲願であったはずが、改正前後では一部の過激論客のネタとなった悲しい状況も散見された。
実は、「10月24日施行」である。
旧宮家養子は「勝利」か、私は勝利であると確信する。断言したい。そもそも改正できたこと自体が勝利だ。
しかし、女性皇族の身分保持と抱き合わせで通った現実もある。国民全員の天皇陛下である以上、広く国民の理解などと分かりにくい言葉で表現はされたが、実態としては『全会一致を目指す』という国会における政党間調整の話でもあった。参院否決などになれば、目も当てられない。
そのあたり、思うところはあるけれども、そうまでして改正した皇室典範は、戦後日本の、敗戦の一つの象徴を自らの手で、やっと解き放ったのだという重みを感じる。ただし、本当の本丸は先送りされた格好で、その論点や”これからのこと”についても、施行を迎えたいま、論じておきたい。
七十九年ぶりの、本則改正
制定以来、皇室典範の本体に、本格的に手が入ったことは一度もなかった。それが動いた。令和8年7月17日、改正皇室典範が成立し、10月24日に施行された。
正直に述べれば、私は複雑な思いでこれを見ている。
「保守の悲願が通った」と喜ぶ声もあれば、「女系への扉を開いた」と嘆く声もあった。ネット上ではどちらも大きな声で語られた。だが、条文を読んだうえで語っている人がどれほどおられたのだろうか。
私は、ここで断言しておく。
今回の改正は、女系への道ではない。
そして同時に、皇位継承の問題が解決したわけでもない。
どちらも言い切っておこう。理由は、条文にすべて書いてあるからです。
だから、まず制度を書いておくので、ご覧ください。感想というか所感は、そのあとで良いように思う。
改正の柱は二つ。それ以上でもそれ以下でもありません。
一つ目は、女性皇族の身分保持である。
これまで女性皇族は、皇族以外の男性と婚姻すれば皇族の身分を離れた。改正後は、婚姻しても皇族の身分に留まられる。公務や宮中行事にも、引き続き携わって頂ける。
ただし、ここに一線が引かれている。
配偶者と子は、原則として皇族にはならない。
要は、これを許すと「令和版の道鏡」みたいな話になってしまう。
絶対に避けねばならないし、女性皇族の話が野党からの調整であったにせよ、最大限の譲歩(政党単位での起立のため)はしつつも、ギリギリで踏みとどまっている。
この一線が、今回の改正の全てを決めている。
なお経過措置として、施行時点でおられる女性皇族については、ご結婚の際に、ご本人の意思により皇族の身分を離れることも可能とされた。制度が変わったから一律にこうなります、という乱暴な設計にはなっていない。当然の配慮だと思う。
皇室典範女性皇族の身分(第十二条・第十五条、改正法の附則第二条)(タップで開く)
改正前
第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。
改正後
第十二条及び第十三条 削除
第十五条 皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合並びに第三十八条第三項の規定による場合を除いては、皇族となることがない。
(参考・改正前の第十五条)
第十五条 皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない。
経過措置皇室典範等の一部を改正する法律(令和八年法律第六十六号)附則
第二条 この法律の施行の際における内親王又は女王(以下「施行時内親王等」という。)が天皇及び皇族以外の男子と婚姻する場合において、当該施行時内親王等が当該婚姻と同時に皇族の身分を離れようとするときは、皇室典範第十一条第一項の規定にかかわらず、皇室会議の議によることなく、その意思により、皇族の身分を離れることができる。この場合において、当該婚姻については、第一条の規定による改正後の皇室典範(以下「新典範」という。)第十条本文の規定は、適用しない。
(条文は e-Gov 法令検索から写しています。改正前=平成31年4月30日施行の版、改正後=令和8年10月24日施行の版)
二つ目は、養子の解禁です。
皇室典範第9条は「天皇及び皇族は、養子をすることができない」と定めておりました。この条文に、初めて例外が設けられたのです。旧宮家の話ともリンクはしてきますが、敢えて対象の限定方法から述べたい。
対象は限定されているのです。旧十一宮家の男系男子で、十五歳以上、配偶者と子がいない者。この方を、現在の皇族(天皇と皇嗣・皇嗣妃を除く)が養子として迎えることができる。
そして、ここからが本質である。
記
養子となった本人には、皇位継承資格を認めない。
その後に生まれた男系の男子には、皇位継承資格を認める。
養子ご本人は、皇族にはなられる。しかし皇位継承資格はお持ちにならない。
一方で、その後にお生まれになった男子には、継承資格が生じる。
つまり、皇族数の確保と、皇位継承資格の確保を、意図的に切り分けた設計である。
皇室典範養子(第九条・第三十八条)(タップで開く)
改正前
第九条 天皇及び皇族は、養子をすることができない。
改正後
第九条 天皇及び皇族は、第三十八条第一項の規定による場合を除き、養子をすることができない。
(古い法律のため、原文には項の番号がありません。上から順に第一項、第二項…です)
第三十八条 親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王(皇嗣及び皇嗣妃を除く。)は、皇室会議の議を経て、この法律による皇族男子であつた者の嫡男系嫡出の子孫である現に皇族でない年齢十五年以上の男子であつて、配偶者及び子がないものに限り、養子とすることができる。
前項の規定により養子をする縁組(次項及び第八項において単に「縁組」という。)については、民法(明治二十九年法律第八十九号)第七百九十八条の規定は、適用しない。
縁組による養子は、当該縁組の時から、皇族となる。
養子皇族男子(前項の規定により皇族となつた皇族男子をいう。以下この条において同じ。)については、第二条の規定は、適用しない。
第一項の規定により養子となつた者については、これを実方の系統による嫡男系嫡出の者として第六条の規定を適用する。
養子皇族男子に係る第七条の規定及び第九項の規定により読み替えて適用する第十七条第二項の規定の適用並びに養子皇族男子の子孫に係る第二条及び第六条の規定の適用については、実方の系統によるものとする。
養子皇族男子である王については、第十一条第一項の規定は、適用しない。
養子皇族男子が第十一条第二項の規定により皇族の身分を離れる場合において、養親(皇族の身分を離れた者を除く。)との縁組が継続しているときは、当該縁組は、将来に向かつてその効力を失う。この場合においては、当該養子皇族男子が皇族の身分を離れる時に当該養親との離縁がされたものとみなして、民法その他の法令の規定を適用する。
(第九項は、摂政の順序の読み替えを定めた表のため略しています)
(条文は e-Gov 法令検索から写しています。改正前=平成31年4月30日施行の版、改正後=令和8年10月24日施行の版)
制度としては、極めて技巧的だ。
そして、この技巧が何を意味するのかを、私たちは正確に把握しておかねばならない。
かつて、ほぼ無関係の血脈が皇室を乗っ取ろうとした事件が、道鏡の話だと私は思っています。専門ではないので理解が浅いかもしれませんが、絶対に「令和版の道鏡」は誕生しないようにという設計思想を感じました。
私はこの一点をもって、なにがなんでも皇室を守り抜くという改正側の、事務を統括する方々の覚悟を感じましたし、それが事務的な、技巧的なものに終始したにせよ、心感じたのであります。
あんな意見を出していた人々は、単に、条文を読んでいないとしか言えない。自説で煽った危機感を、施行を迎えても回収しようとすらしない。施行されたいま、女系の道は開いたのですか?
仮に本当ならば、事実に基づいて述べることができるのであれば、それは日本の危機だから、いまからでも大騒ぎして頂きたいぐらいだ。正直、嘘つき!と思うし、改正時において保守層を混乱させただけだった。後世ではそのように評価されるべき行動だったろう。
もう一度書く。女性皇族が皇族の身分に留まられても、その配偶者と子は皇族にならない。皇族にならない以上、皇位継承資格は生じないんです。凄くシンプルな話で、もはや議論の余地すらない。
女性宮家の創設ではない。女系継承への制度的な道でもない。
ご公務の担い手を確保するための措置である。それ以上のことは、条文のどこにも書かれていない。
皇室典範皇位の継承と皇族の範囲(第一条・第二条・第十五条)(タップで開く)
第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
第二条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
一 皇長子
二 皇長孫
三 その他の皇長子の子孫
四 皇次子及びその子孫
五 その他の皇子孫
六 皇兄弟及びその子孫
七 皇伯叔父及びその子孫
前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。
第十五条 皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合並びに第三十八条第三項の規定による場合を除いては、皇族となることがない。
(条文は e-Gov 法令検索から写しています。改正後=令和8年10月24日施行の版)
逆に言えば、そこに付け込む余地もあった、ということだろう。
逆手にとられた側面は指摘しておきたい。のせられやすかったのだ、それだけ大切だったから。
なぜこの誤解が広がったのか。
理由の一端は、この改正が「二つの柱の抱き合わせ」で通ったことにある。旧宮家からの養子という保守側の主張と、女性皇族の身分保持というもう一方の主張が、一本の法律に同居した。だから、どちらの側から見ても「相手の主張が通ってしまった」ように見える。
そこに、切り取りが乗る。
「女性皇族が残る」の五文字だけを抜き出せば、確かに危機的に見えるだろう。だがその隣に「配偶者と子は皇族にならない」と書いてある。五文字だけを読ませて、恐怖を煽って、収益を上げた者がいる。私はそういう発信を何度も見てきたし、何度も当サイトは指摘してきた。
条文は、公開されている。誰でも読める。
読まずに叫ぶ側に回るのか、読んでから語る側に回るのか。ここが分かれ道だった。
ひとは、危機感を覚えると思考をショートカットさせてしまう。
煽りに乗せられてしまった人がバカだとか間抜けという意味ではなくて、重要事案だからこそ(脳内が)『即時決裁』した側面はある。
仮に批判的に分析するならば「長文に弱い」「文章を読まない」が根底にあり、「みんな言ってるから」で思考停止し、ソースチェックが疎かになっていた部分は指摘しておきたい。
自然に減ったのではない。減らされたのである。
ここを振り返ることで、この皇室典範改正の意義が、そして施行を迎えた重みが伝わるのではないか。
昭和22年、GHQの占領下において、十一宮家、五十一方が皇籍を離脱された。
一夜にして皇統の裾野が刈り取られたわけです。これは我が国が自らの意思で決めたことではありません。占領政策の一環であり、二度と皇室が力を持たぬようにという明確な意図の下で行われたものだと、私は考えております。
紀元節を奪われたときと、同じ構図だ。
奪われたものは、取り戻さねばならない。
それは復古趣味ではない。占領行政によって歪められたものを、独立国として正すという、当たり前の話である。主権の話である。
遅きに失したとの批判はお受けする。その意味で、今回の改正によって旧宮家の男系男子が皇統に復帰しうる道が七十九年ぶりに開いたことは、素直に評価したい。
九年かかっています。
平成29年の退位特例法の附帯決議に始まり、令和3年の有識者会議報告、令和4年の政府報告、そして令和8年6月10日、衆参両院の正副議長の下で「立法府の総意」が確定した。全体会議は計十回。同年6月30日に閣議決定、7月17日に成立である。
九年かけて、扉を一枚開けた。
だからこそ、喜ぶ声があることは理解する。
そのうえで、である。
皇位継承資格を、誰に認めるのか。
女性天皇は、女系天皇は、認めるのか認めないのか。この本丸が、丸ごと先送りされた。
そして数字は、何一つ変わっていない。
現在の皇位継承順位は、秋篠宮皇嗣殿下、悠仁親王殿下、常陸宮正仁親王殿下。
若い世代の継承資格者は、悠仁親王殿下おひとりである。
養子の制度ができた。しかし養子ご本人に継承資格はない。継承資格をお持ちになるのは、養子縁組が成立し、その後に男子がお生まれになった場合の、そのお子様である。
何年かかるか、考えて頂きたい。
そもそも、養子となる意思をお持ちの方が何名おられるのか。
宮内庁は現時点で具体的に把握していないとされる。受け入れ先の宮家についても、報道では四宮家が候補と伝えられるに留まる。
制度はできた。だが、制度ができたことと、実際にお一人でも増えることは、まったく別の話だ。
ここを混同してはならない。
「解決した」と言う者がいれば、それは嘘だ。
「何も変わらない」と言う者がいれば、それも嘘だ。
扉が開いただけである。
法律が通れば終わりではない。実務が残っているのです。
もっとも重たいものが。
婚姻された女性皇族と、皇族ではない配偶者・お子様が、同じご家庭で生活される。このとき、警備はどうするのか。費用は誰が負担するのか。配偶者の職業選択の自由はどこまで保障されるのか。お子様の学校生活はどうなるのか。
これらは制度設計の細部であり、地味な話だ。だが地味な話を詰め切れなかった制度は、必ず現場で壊れる。
私は市議会議員として、制度と現場の乖離を嫌というほど見てきました。議場で立派な答弁が並んでも、窓口で運用が回らなければ市民は救われない。国の制度も同じである。法律が通った日ではなく、運用が始まった日から本番が始まる。
十月二十四日、施行。
その日から、我が国は新しい局面に入った。
この法律には、皇族数の確保の状況等を踏まえ、必要に応じて三十年ごとに制度を見直す規定が置かれた。
改正法見直しの規定(附則第六条)(タップで開く)
皇室典範等の一部を改正する法律(令和八年法律第六十六号)附則
第六条 この法律による改正後のそれぞれの法律の規定については、その施行の状況を踏まえて所要の検討が加えられ、必要があると認められるときは、その結果に基づいて所要の措置が講ぜられるものとする。
2 前項の規定により検討が加えられるに当たっては、皇族の数の確保の状況等を勘案し、必要があると認められるときは、三十年ごとに見直しが行われるものとする。
(条文は e-Gov 法令検索から写しています)
三十年。
私は、その頃には生きているだろうか。生きていても議場にはいないように思う。
そういう時間軸の話が、すでに施行されたのだということを、重く受け止めている。
野党からは反対があった。「男系男子への固執だ」という批判も出ている。
一方で、世論調査では女性天皇への賛成が六割を超えるという数字もある。私は、この数字を軽視しない。国民の思いがそこにあることは事実として受け止める。
そのうえで申し上げる。
皇位の継承は、世論調査で決めるものではない。
これは民主主義の否定ではありません。順序の話です。
二千年以上にわたり、一度も途切れることなく続いてきたもの。それをどう次代にお渡しするかという話に、その時々の空気で結論を出してはならない。私たちの世代で途切れさせるわけにはいかない、ただそれだけのことです。
急がば回れ、ではない。
急がねばならないが、間違えてはならない。この二つを同時に満たすことが、我々に課された宿題だ。
一介の市議会議員に、皇室典範の改正権限はない。当然である。
一応、地方自治法第99条がある。
地方議会は、国に対して意見書を提出することができる。
私はこの手法を用いて、国政の制度を実際に動かしたことが複数回あります。外国人のみに許されていた年金の脱退一時金の問題など。地方の議場で積み上げた議論が、政令指定都市の議連を経て、国会に届き、法改正に至った。年間六〇〇〇億円の改善効果を生み出すに至った。
ただし皇室典範に、意見書はそぐわない。これはあくまで(国民に選ばれたという意味で)国会議員の手によって採決されるべき性格のもので、考えようによっては外交以上に国の専権事項だろう。勝手に地方が口出しをすることは控えたい。喜びの声はあげたとしても、ね。
とはいえ本条文には「必要に応じて」と書かれている以上、必要が生じたならば、地方議会も動くべきだろう。
できればそのような事態にはなって欲しくはないけれど(必要が生じるということは、あまり望ましくない形になっている可能性もある)、もし、いよいよとなれば、やる覚悟を地方議員として持ちたい。そういう議員が一人でも多く揃って欲しいし、有権者には各地で支えて頂きたいと願う。
全国の地方議員が、それぞれの議場で、それぞれの言葉で意見書を積み上げれば、国会は動く。実際に動かしてきた。いま述べているのは理屈ではなく、実績の話である。そして、そのために、まず必要なのは正確な理解です。
デマで騒ぐことでもない。喜んで終わることでもない。
何が通り、何が通らなかったのか。条文で把握すること。
それができて初めて、次の一手が打てる。
扉は開いた。
だが、まだ皇位継承者が増えたわけではない。
あくまで扉が開いただけだ、その扉は、国民みんなで通って行くべきものだと思う。
末尾に。
皇室典範は、かつて憲法に並ぶ最高規範と位置付けられておりました。
残念なことに、(戦後においては)ただの法律と同じカテゴリにされていた。そして、ゆえに(法であるからこそ)担当する閣僚もいる。その担当とは、皇室典範については官房長官である。
かつて共に浪人中であった時代から、ことあるごとにご皇室に対する敬意を感じる先生でありました。末尾になりますが、木原稔官房長官はじめ、本改正に携わった全ての政治家に深く感謝いたします。戦後体制からの脱却の、その一ページとして刻み込まれるべき偉業でありましょう。
「まずは条文を読もう」と思った方は、拡散をお願いします。
一歩、前に出る勇気。
↓応援クリックお願いします。↓
<重要>ブックマークをお願いします。
特にFacebookから閲覧してくださっている方にお願いなのですが、一週間の停止を受けました。次は30日の停止と想定され、更新のお知らせが大きく滞る可能性があります。




コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)