【判決全文公開】ブルーリボン訴訟、一審敗訴~バッジ着用を禁じた裁判官の判断、違法性を認めず。

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報道でご存じの方も多いと存じますが、令和5年5月31日、ブルーリボン訴訟の一審判決がくだされました。裁判官の判断に違法性を認めず、一審においては棄却されました。原告より同意を得たうえで、判決文を公開いたします。

拉致被害者救済活動の象徴的な存在である「ブルーリボンバッジ」を公有地である裁判所敷地内において、裁判官が外すように命じました。そのことの是非を問う国家賠償訴訟において一審で請求が棄却されたことを受け、会長声明を発出しました。

判決文においては、司法権が司法をかばうロジックのみに終始し、拉致被害者に寄り添った文言は一行たりもともありません。また立法権で制定した二つの拉致に関する法律において、国の責務として広報啓発が定められていることも無視しています。司法介入だけが問題とされるのではなく、等しく司法も立法権・行政権への介入に抑圧的な振る舞いが求められるはずです。三権のいずれの権能であれ、主権問題である以上は主権者たる国民に寄り添うことは述べるまでもございませんが、我が国の一人の政治家として憤りを覚える冷たい判決文でありました。

本訴訟が国家賠償請求訴訟という性格を鑑みれば、家族会や救う会が公にコメントすることは考えにくい。しかし、その心中を察するにあまりある。拉致された家族を救出したいという願い、その象徴を公権力により除去されるという異常事態について、私たちブルーリボンを守る議員の会は、拉致被害者救出のため強い覚悟をもってブルーリボンバッジを着用することで意思を示していく。

 

 

(応援候補)
野村ともあき堺市長選挙(大阪府)
令和5年5月21日 告示
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ブルーリボンを守る議員の会

ブルーリボンを守る議員の会は、以下の会長声明を発出しました。

 

会 長 声 明

 ブルーリボンを守る議員の会は我が国の政治家として、北朝鮮による日本人の拉致事件は単に拉致被害者の人権侵害というだけではなく、日本の国家主権の侵害の問題として認識し、これまで拉致被害者の救済のために議会活動その他国民運動に邁進してきました。

 いま地方行政においては、執務中の職員までもがブルーリボンバッジを着用する自治体が少なからず存在し、東京都知事、大阪府知事、沖縄県知事をはじめ、警視総監までもがブルーリボンバッジを着用して議場に入場しています。国においても、全ての閣僚がバッジを着用して閣議に臨み、官房長官自らがその写真を撮影して拉致被害者のご家族に報告しています。

 ブルーリボンバッジは拉致被害者救済活動の象徴的な存在です。これを公有地である裁判所の敷地内で着用させないよう、司法という国家権力を持って命じられるという暴挙がありました。驚きと深い悲しみを禁じ得ません。さらにその理由が法廷で釈明されなかったことには怒りすら覚えます。判決文においては、拉致被害者に対して寄り添った文言が存在しないことには衝撃を受けました。

 拉致問題は主権問題であり、主権者たる国民の権利が侵害されたままになっている以上は、いずれの三権においても最優先されるべき事柄です。立法権・行政権・司法権のいずれの権能においても国民主権であるという理解に立ち返り、拉致被害者への最大限の努力と配慮はなされねばなりません。

 主権・領土・国民が主権国家の三要素でありますが、裁判所および敷地内は我が国の”領土”です。主権者たる”国民”が拉致されたことの救出を願うバッジを、司法権が”公有地において国権の発動”として除去させたことについて、拉致被害者に対する斟酌が一切ないことには驚きを禁じ得ません。

 判決文において、司法権が司法に配慮するばかりの言葉遊びに終始しているように見えることについて一言申し上げます。三権はそれぞれ独立しているのであり、司法への介入だけが問題とされるのではなく、等しく司法も立法権・行政権への介入に抑圧的な振る舞いが求められます。我が国には、拉致に関する二つの法律があり、国権の最高機関として立法府は意思を示しています。広報啓発を努力義務として定め、被害者救出後の支援を法で定めています。行政権は、これら法に従う。立法権・行政権をまったく無視し、司法権が司法権の内部でのみ議論を終始させ、あまつさえ主権者たる国民が人権を侵害されていることに対してなんら言及していないことは、公権力としての良識を疑います。

・拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律(平成十八年法律第九十六号)
・北朝鮮当局によって拉致された被害者等の支援に関する法律(平成十四年法律第百四十三号)

 我が国は、支援法第三条(国等の責務)において「帰国又は入国のため、最大限の努力をするものとする。」と定め、また人権法第二条(国の責務)において「国民世論の啓発を図るとともに、その実態の解明に努めるものとする。」と定めています。同法において啓発された国民世論の発露としてのバッジ着用を、公権力が自ら除去する判断はいかなる権能においても許されません。

 本訴訟が国家賠償請求訴訟という性格を鑑みれば、家族会や救う会が公にコメントすることは考えにくい。しかし、その心中を察するにあまりある。拉致された家族を救出したいという願い、その象徴を公権力により除去されるという異常事態について、私たちブルーリボンを守る議員の会は、拉致被害者救出のため強い覚悟をもってブルーリボンバッジを着用することで意思を示していく。

 

 

 

 

報道の紹介

以下、産経新聞より。

法廷でブルーリボンバッジ着用禁止、裁判官判断の違法性認めず

裁判官が、北朝鮮による拉致被害者の救出を願う「ブルーリボンバッジ」の着用を禁じたのは憲法が保障する表現の自由に反するなどとして、大阪府内の男性3人が国に計390万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が31日、大阪地裁であり、達野ゆき裁判長は違法性を認めず、請求を棄却した。

原告は不動産会社「フジ住宅」(大阪府岸和田市)の今井光郎会長(77)ら3人。争点は、法廷の秩序を守る目的で裁判官に与えられた「法廷警察権」をいかに評価するかだった。

(中略)

フジ住宅訴訟では、女性の支援者とフジ住宅の支援者が別のバッジ着用を巡ってトラブルになっており、裁判長は「メッセージ性のあるバッジは外す」と指示。この対象にブルーリボンも含まれ、判決まで着用は認められなかった。

原告側は拉致被害が日韓で起きたことを踏まえ「ブルーリボンはフジ住宅訴訟の争点と全く関係がない」として、法廷警察権の乱用にあたると主張。一方、国側は、着用を認めれば「裁判所に対する中立性、公平性に疑問を抱かせ、当事者間の喧噪(けんそう)につながる可能性があった」として、正当な法廷警察権の行使だと反論していた。

法廷でブルーリボンバッジ着用禁止、裁判官判断の違法性認めず
裁判官が、北朝鮮による拉致被害者の救出を願う「ブルーリボンバッジ」の着用を禁じたのは憲法が保障する表現の自由に反するなどとして、大阪府内の男性3人が国に計39…

 

 

判決文(全文)

 令和5年5月31日、大阪地裁。達野ゆき裁判長。
 

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人の心を、司法に求めるのは無理筋ではあるが・・・

司法は、法に基づく判断を行う権能だと認識している。
ゆえに人治主義の対局であるべきだとは理解もする。

しかし、人の心はないのか?とは述べたい。
誇りはないのか、とも。

 

なんだこれは。納得ができるか。
ストレートに言えば、そんな言葉を並べるしかなくなる。

立法が法を作るところであれば、行政は法に基づいて執行する権能。
司法と立法はある意味では対局にあり、選挙制度により常に民意を確かめつつ進む権能であることを鑑みれば、実は立法とは「もっとも心に寄り添える権能」だといえる。昨今の政治を見るに、んなわけあるか!と言いたい人もいるだろうが、基本的にクビになることのない公務員で構成される行政機構に比較したし、さらには公務員というだけではなく「むしろ心を捨てて判断のみに特化」する司法(裁判所)に比べれば、やはり”心に従うことが許された権能”だと言える。

 

会長声明でも述べた中身と重複するが、我が国の公権力を三つに分けたようなもんで、それが三権分立。一極集中だと腐敗するという意味から相互監視みたいな意味合いだったとは思う。この際、それはどうでもいい。我が国の公権力は、我が国が主権国家として発動するものであり、主権を害されている以上は「拉致被害者に最も寄り添うべき」というのが私のロジックだ。

裁判所だって日本の領土だぞ、しかも公有地ではないか。
庁舎管理権であろうが法廷警察権であろうが、いずれにせよ司法行政である。じつは行政権の発動がなされたと私は考ええていて、日本国の公有地で、(司法の判断により)行政権をもってバッジの除去が命じられたという事件だ。

なんぞ難しい判決文が必要だったろうか、日本人が拉致されているではないか。

 

私も議員だから、一応はまっとうなことを書いておかないといけないし、会長声明においては抑え気味には書いてはいるけれども、そりゃ公人として最低限のロジックは抑えて書くけれども、主権国家としての我が国の公権力をもって、拉致という主権侵害の救済を求める活動の象徴が除去される。馬鹿にしてるのかな?とすら思う。

いずれの公権力であっても、国民主権というのであれば寄り添うべきは国民ではないか。
司法手続きとしては、個別事案の、その時点その時点でのことを論じるとかやるんだろうが、はっきり言う。リップサービスの一つも入れてはやれんのか、と。

例えば「北朝鮮に拉致された日本人、被害者のみならずご家族の皆様の心中を思うにあまりある。我が国には二つの法が制定されており、国家としての責務も明記されている。その救出を願う国民の願い、その象徴が踏みにじられたと感じ傷ついた方がおられることについては一定の理解を示すべきであるけれども・・・」など、なんか枕詞の一つでもつけてはやれなかったのか、と。

 

なぜ私が怒っているのかといえば、裁判所はいつも『寄り添う』じゃないか。『寄り添って』きたじゃないか。
明らかにおかしな裁判であっても、原告が左派色を帯びている場合には”気持ちはわかる”とばかりに傍論として意見を述べたり、もしくは行間のはしばしに配慮を見せているではないか。

左派は騒ぐからか?
うるさいからか?抗議されるからか?

 

救う会も家族会も、何も言えまい、言うこともあるまい。
国に盾つくような振る舞いは「我慢」し、何より国家を信じてきたではないか。

ジェントルマンならば、いい子ならば、黙っているならば。
踏みにじってもいいのか、と。

ワーワー、やいやい、騒げばいいのか。

 

司法に心を求めるのは無理筋なのだろうけれど、人治主義になれとは言わないけれど、
ブルーリボンバッジを「外してもいいよーんだ、特に違法性もなかったもーん」「てへぺろ」なんだ、これは。

司法権が司法をかばっただけ、うちわ向けのロジックに終始するばかり。
法を制定した立法権への配慮は?法を守り執行している行政権への配慮は?
何より主権者たる国民の、家族たちへの配慮は?

 

一審はね、厳しいだろうと覚悟はしていた。
裁判官の忌避(裁判官を変えろという手続き)もとってる。忌避を申し立てて、勝った一審なんて私の知る限りはない。

敗訴だろうとはわかっていた、しかしね、一行も、
ただの一行もないんだ。

司法権だって我が国の公権力だろうがよ、どうして拉致被害者に対して何の一言も、斟酌もないのだ?
これが我が国の公権力の在り方なのか?

この疑問と怒りを発露することは、司法介入ではない。
むしろ司法が立法権や行政権を侵しているのだ。司法は、立法侵害をやめろ。法があるのだ、立法判断はなされているだろ。ちょっとは配慮して、自分の権能のことだけやっとれ。

どうせ拉致のことも、ブルーリボンバッジがなにかもわかってなかった、知らなくてやったというのが実態だろ。それを認めたくないから、わけわからんことを言いつのってさ。そういう動きをとるだろうとは理解してたよ、していたけれどもね、それでも拉致被害者に対して、ご家族に対して、何か一言はあると信じていた。信じた私が馬鹿だった。

心をもたずに公権力をふるい、御簾の向こうに隠れているような裁判官は、私は批判されてしかるべきだと思う。

 

 

 

主権者たる国民が拉致され、

その救出を願う象徴を踏みにじっておきながら

何の斟酌すらなく、寄り添う言葉もなく

いけしゃあしゃあと言えてしまう、この冷たい判決文に怒りを覚える。

政治家が自ら「私は着用する」と覚悟して声明に賛同することは、

まったくもって司法介入ではない。

それとも立法職には、自らの意思で拉致被害者の奪還を祈る権限すら「裁判官が管理」するとでもいうのか。

だったら総理大臣が大阪地裁を視察する際などは、裁判官の権限で外してみなよ、やってみろよと思ってしまう。

地方議員の、堺市議会議員のバッジだから外したのか?とすら私は思ってしまう。

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. azumaebisu より:

    本当に酷い判決です。 

    この所、地方裁判所の【変な判決】が頻発している様に思います。

     率直に言えば『左翼に忖度した判決ばかりと感じます。】

    控訴されるのでしょうか?

  2. 櫻盛居士 より:

    **********************************************************************
    共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
    ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。

     ・『テロを利用する共産党』
     ・『テロリストの味方である共産党』
     ・『テロに屈する共産党』

    **********************************************************************
     
     
    怒りを表明するのは、この件に関してプロセスとして必要でしょう。
    裏腹に「立法府をナメるなよ」と言うのもあるのではないでしょうか。

    実は裁判所が逃げを打つにしても、本文中にある様に枕詞を付けておけばやり難くなって居た事でしょう。
    ですが、相手は思いっきり下手を打ちました。
    この裁判所側の下手打ちによって、司法の腐敗を白日の下に晒す事が出来た訳です。

    実際、本音ではニンマリした人が居ても不思議は無さそうですね。
    司法のクリアランス―

    反日勢力が政権を盗った場合を考慮すれば、司法の独立性を担保して置きたいのは山々でしょうから、安易なクリアランスは躊躇して当然と言えるでしょう。

    然し乍ら、腐敗の進行度合いによっては浄化を促進させる何らかの手立てをブッ込む必要もあるでしょう。
    本件は手札として温存するか、クリアランスに着手、或いは手鎖をハメるかの判断に迷う所ではありますが、極東地域が不安定な状況にあり、中国による台湾侵攻が現実味を帯びつつある今、我が国の司法が反日勢力に傾いて居るのは、後々国民を守る観点から言えば、かなり由々しき事態とも思えます。

    故に、今は禍根を残しそうに思えても、長期的なスパンで見た場合、司法クリアランス、或いは縛りに着手するのは、悪手では無い可能性が高いと考えます。

    この件も直近で「スカッと気分爽快」とは行かないでしょうが、せっせと畑を耕して種を撒き、こまめな水やりで、大きな収穫を得る為の下地に成るものと考えて居ます。

  3. カルライン より:

    ロシアによるウクライナ侵攻によって、日本国民の意識も一気に変化したので、憲法改正(9条関連)の国民投票は過半数取れる見込みがかなり出てきたように思えます。

    「(憲法9条の規定は)必要な自衛の措置をとることを妨げない」という自民党の憲法改正(加憲)案が通って、自衛隊の特殊部隊が本来持っている能力をきちんと発揮できるようになれば、拉致被害者を奪還する実力はあるので、その実力を背景にすることで、やっとまともに交渉できるようになるはず。

    拉致被害者の全員帰国が叶って、ブルーリボンバッジを着ける必要が無くなることこそ、最終目標なわけで…
    もし今度の選挙で野党第一党が入れ替わるようなことがあったら、憲法審査会の動きも増すかなぁ…?

    今度の選挙、結構大事かも…

  4. BLACK より:

    多分ですが
    青少年組織を持つ政治団体・在日外国人団体・宗教団体は
    組織の中の子供に「偉くなれ」「出世しろ」と言って励まし育てます。
    現在の裁判官・弁護士・大学教授の中には
    そのように特殊な団体の環境の中で育って来た人たちが多い気がします。

    普通の家庭の環境だけで育った来た人たちとは違います。
    「偉くなれ」「出世しろ」と言うことは
    「偉くなって、出世して、組織の為に働け」と言う意味です。
    その子供にとっては、それが使命です。
    家族も、周囲の者も、組織も、それを期待し誉めてくれます。

    当裁判官のことは私は知りませんので、
    私が育つ途中で見て来た(体験した)ことからの推測に過ぎませんが
    現在の裁判官・弁護士・大学教授の中には
    国と国民に不利益をもたらすこと
    自分を育ててくれた組織に利益をもたらすこと
    これを使命としている人たちが居る、私はそう思っています。

    何十年もかけて、時にはお金もかけて
    そのように子供たちを育てた成果です。
    また、本人はそうしなければ「裏切者」と糾弾される立場であるかも知れません。

    テレビ局も、マスコミも、企業も、学術界も
    同じ状態だと思います。
    (大王製紙創業家排除の顛末の裏事情を思い出す方もおられることと思います。)

    以上 文責 BLACK

    • BLACK より:

      補足

      大王製紙のことは前会長の著作から
      「そういう子供たちが(同志たちが)大人になって裏でチームを組めば(手を握れば)そうなりますよね」
      と言う私の感想です。

      以上 文責 BLACK

      • BLACK より:

        >「そういう子供たちが(同志たちが)大人になって裏でチームを組めば(手を握れば)そうなりますよね」

        これは、一企業のことだけでは無く
        日本で起こっている理不尽なこと、不思議なこと、不正なことに
        通じる裏事情かも知れません。

        以上 文責 BLACK

  5. 神無月 より:

    判決文を読んだだけの感想です。
    バッジを外してくださいに至った時の裁判の状況(雰囲気)を知りませんので、どちらともでしょうか。

    当時の原告側が、差別の表現に対して過剰に抗議し騒ぎ立てる集団であれば、裁判を進めるに辺り、メッセージ性の有るバッジを外させるまでは理解できます。

    問題のブルーリボンバッジを原告側がどのように見ていたのかは、その場に居ませんと判りません。
    原告側がブルーリボンバッジを気にしていなければ、裁判官は過剰な取り外しを強要した事になります。
    逆に、原告側がブルーリボンバッジも差別的な表現として受け取り、不快で有ったとしたならば、裁判の進行上取り外しを必要としたのかも知れません。

    法律はグレーゾーン部分の記述はしていませんので、司法の出番なわけですが、グレーの濃淡の判断は裁判官も人間だものですので、最高裁まで用意されているんですよね。

    北朝鮮が偵察衛星の打ち上げを急いでいる感じですので、各国の軍事の動きが慌ただしくなるのかも知れません。
    .

  6. アンチレッド より:

    判決文より引用
    本件バッジの着用を許せば、
    別件原告及び別件被告らの各支援者の間でさらなるいさかいに発展し、
    傍聴券の発行が円滑に行われず、ひいては別件訴訟の進行に支障を来す可能性、
    また、別件原告の支援者に対し、裁判所の中立性や公平性に対して懸念を抱かせる可能性があったと認められる。
    以上引用

    この判決文の問題点
    ・「バッジの着用を許せばいさかいに発展する」という判断は、別件原告側の心情に寄り添ったものであり中立性を欠いている。
    ・そもそも原告/被告/その支援者は争いの当事者であり、裁判所内で中立性を要求すること自体本末転倒である。
     よって「別件原告の支援者に対し、裁判所の中立性や公平性に対して懸念を抱かせる可能性があったと認められる。」とは意味不明であり、さらにこの判断も別件原告側の心情に寄り添ったものであり中立性を欠いている。

    傍聴席の人数を原告被告で公平に半々にしているわけでもなく、裁判の傍聴席にそもそも中立性などないでしょう。
    傍聴席が原告被告どちらかに偏った裁判などいくらでもあると思いますが、これについての弁明を聞いてみたいところです。

  7. 本日、埼玉県で坂東忠信氏の講演会がありましたが、坂東氏は、全ての警察官にブルーリボンバッヂを着用させることを目指すアイディアを披歴されました。これで、警察官の忸怩たる思ひを幾分でも和らげることが予想され、またその一新した気分によって、全ての拉致被害者が解放されることを、願ってやみません。

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