天安門事件より28年。
chinaにて、民主主義の萌芽が戦車で轢き潰された日。
人民解放「軍」は軍という名こそ冠しているが、共産党の私兵集団だと世界に示された日。
あれから中国はどうなったか。
中国共産党は何をしたか。
日本の民主主義はどうなっているか。
共産主義者が叫ぶ民主主義って、何だ?
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(OGP画像)
世界の常識として、自国民を守ることこそが軍の使命に他ならない。
災害派遣はもとより、国民の生命・財産を守る最後の力である。
権力の暴走により、自国民を弾圧する行為を「白色テロ」と呼称する。
あってはならぬことで、独裁政権下において繰り返された行為だ。
しかし、この場合であっても「一般には国権により」という定義が伴うように思う。
私は、中華人民共和国という、彼らが私たちに強いる「謎の尊称」ではなく、
世界標準の、音で定義された「支邦」が正しいように思うが、
それをそのまま使用すると怒られる謎の国、現代日本において政治家を行っているので、
ここは妥協して「CHINA」という英語表記を用いたい。
天安門事件は、CHINAの意思とは言い難い。
CHINAが国家であるとして、CHINAの意思として、国家の統制のもとに自国民を轢き殺したわけではない。
あれは一政党であるはずの、中国共産党の指揮の下になされた暴虐無人の行為である。
当然のこととして最低の人権侵害である、世界中から未だ非難され続けるべき行為だ。
野蛮な国と呼ぶべきで、これは時が経過したとして許されて良い行為ではない。
人民解放「軍」は、軍ではない。
国家の統制のもと、自国民を弾圧・殺戮する行為が白色テロだと考えるが、
すでに白色テロですらない。
一政党、そして「共産主義というイデオロギー」に基づき、
自国民を殺戮したのだ。
人民解放「軍」は、軍ではない。
共産党の私兵集団である、危険な存在だ。
それは人命である。
軍であるならば、まずもって守るべきであった国民の生命であり、財産である。
そして、轢き殺されたのは、CHINAにて産まれつつあった民主主義の萌芽に他ならない。
共産党の私兵集団が轢き殺したのは、民主主義の芽であった。
我が国を振り返ると、同じく共産主義を掲げた政党が「民主主義」を叫ぶ。
共産主義者が叫ぶ民主主義って、何だ?
私には、わからない。
日本共産党は、中国共産党と無関係を装うのだろう。
しかしそれは無理な話だ。
発祥をコミンテルンとしており、コミンテルン日本支部を前身として持つ以上、関係性はある。
wikipediaを読む程度でも理解できる話で、そもそも日本共産党は暴力革命の方針を未だ否定していないではないか。
共産主義を掲げた政党の私兵集団が行った暴虐、
戦車という一般の国民においては抗うことのできない「武器」を用いて、兵器を用いて、轢き殺した28年前。
これを思うに、共産主義者が民主主義を論じることは理解できない。
私は謎の状況、理解に苦しむ状況だと思うのだけれど、
これが一般には、多くは疑問を持たれていない謎の国・日本において政治家をしているのだけれど、
いったい我が国は、「共産主義者が民主主義を叫ぶ」状況を、なぜおかしいと思わないのだろうか。
共産主義者が叫ぶ民主主義って、何だ?
天安門事件だろうか。
つまり武力を用いた、国家に拠らぬ私兵集団を用いての言論弾圧であり、自国民の殺戮なのであろうか。
六四天安門事件の翌日(6月5日)、彼は天安門事件を鎮圧するために現れた59式戦車?の車列の前に立ち、行く手を遮った。
「共産主義 vs 民主主義」に他ならない。
短い動画である、是非ご覧頂きたい。
1989 Tiananmen Square Protests
※ 重要な特記
昨年紹介していた動画は削除されていた。「無名の反逆者」で検索可能な動画のほとんどは、youtubeでは削除済みだ。恐らくこの動画もやがて削除されるだろう。
これが世界であり、そしてこれこそが「共産主義の弾圧」だ。
下記は、”無名の反逆者”のタイトルで検索可能な動画。再生数が500回と少ないことが理由だろう。APIでの他サイト埋め込みを禁止していたことも功を奏したのかも知れない。
これが、弾圧だ。
共産主義者は、我が国で軽々に弾圧と口にするな!
まずは天安門事件を始めとした、CHINAの暴挙に抗議してからにして頂きたい。
六四天安門事件(ろくよんてんあんもんじけん)とは、1989年6月4日に、天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力弾圧(市民に向けての無差別発砲や装甲車で轢き殺した)し、多数の死傷者を出した事件である。
当時、起きたことを簡単にまとめつつ、私なりの所感を書いた。
流石に長いため折り畳んでおく。
興味がある方はお読みください。
現代の日本においても類似するような動きがある。
ソビエト共産党による一党独裁制が続いた結果、言論の自由への弾圧や思想・良心の自由が阻害されたことや、官僚による腐敗が徐々に進み、硬直化した国家運営の立て直しをはかる目的でペレストロイカを表明。
ここにソビエトの民主化が始まる。
英語圏においては共産主義者を「コミュニスト」と表記するが、共産主義者らは世界同時革命を目指しており「国家の枠組み」で動いていたとは言い難い。
コミンテルンという組織が結成され、日本においてもコミンテルン日本支部が存在した。
いまは日本共産党と称されるが、正しくは共産党・日本支部とすべきだろう。
コミンテルンテーゼという形で指示がなされていた。
ソビエトは、この盟主であったと認識しているが、ここにおける民主化。
CHINAにおいても多大な影響があったことは想像に難くない。
様々な分析があるとは思う。
私は、その時代を直接、生きたわけではないのであくまで後世の政治家としての評価とさせて頂く。
天安門事件とは、ペレストロイカを発端とした民主化運動、これが旧共産圏に伝播していく中での動きなのだと認識している。
類似の政治体制にあった国民が、ソビエトで与えられたものと同様の「少しの自由」を求めたのだ。
これは権力にしがみつく共産党上層部にとって脅威であったということ。
共産主義こそは、一党独裁でありまさに政治権力を必要とする主義だからだ。
ゆえに共産主義者による権力批判は、どことなく恐ろしく感じる。
第3代中国共産党中央委員会主席・初代中国共産党中央委員会総書記。
天安門事件の、直接の引き金と言ってもいいだろう。
・人々は自由を求めた。
コミンテルンの本部、母体とも言えるソビエトにてペレストロイカが表明された。
なんでも言える、つまり言論の自由のような、その路線を「百花斉放・百家争鳴」と呼ぶ。
胡 耀邦(初代中国共産党中央委員会総書記)が政治改革に積極的であったと述べたが、人民はまさにこの路線を求めていたと言えるだろう。
逆に言えば、共産主義下において言論の自由などなかったのだ。
報道の自由も然り。
・反対の動き
鄧小平ら党内の長老グループを中心とした保守派は、「百花斉放・百家争鳴」路線の推進は、中国共産党による一党独裁を揺るがすものであり、ひいては自分たちの地位や利権を損なうものとして反発していた。
天安門事件の前年9月、六中全会にて胡が押し進めようとした政治改革は棚上げされた。逆に保守派主導の「精神文明決議」が採択され、胡 耀邦は失脚。
日本に置き換えれば、安倍首相や麻生政権に置き換えるとわかりやすい。
これが引きずりおろされ、学生たちが不満を貯めていった時代。
・軟禁、そして死去
失脚後も政治局委員の地位にとどまってはいたが、北京市内の自宅で警察の監視のもと外部との接触を断たれるなど事実上の軟禁生活を送っていた。
1989年4月8日の政治局会議に出席中心筋梗塞で倒れ、4月15日に死去した。
1989年、この年に天安門事件は起きる。
ここからデモ等が散発的に発生していく。
胡 耀邦(こ ようほう)の位置づけであるが、ペレストロイカと同等のものを与えてくれたかも知れない存在だったように思う。
CHINAに住む、独裁体制に虐げられてきた者にとって、希望の政治家であったことは疑いない。
政治的に失脚させられたのち、死去。
本当に心筋梗塞であったのかと勘繰る者だって出てきたろう。
そして、この追悼すら許されず、名誉回復を求める発言さえ封じられたのだ。
中川先生を失ってのち、日本のメディアは何をしたのか。
これは直視せざるを得ない、我が国だって危険はある。
天安門事件を「異常な共産党政府の動き」とのみ扱うことは危険だ。日本においても似た事態が発生していた可能性はある。
民が愛した政治家を、共産主義者らは権力をもって抹殺した。
祈る言葉も、労う言葉すらも封じたのだ。
そのとき、民衆はどう動いたか。
学生を主としたもので、「権力にしがみつく共産党(保守派)」と対決することになる。
ここで述べる保守派とは、現状維持みたいな意味あいであって、CHINAにおける共産党の党内構造において、この場合の権力側の老人たちは実際に保守派と称される。
・小さな炎
死去翌日、16日。
中国政法大学を中心とした民主化推進派の学生たちによる胡の追悼集会。
翌々日の17日。
同じく民主化推進派の大学生を中心としたグループが北京市内で民主化を求めた集会。
どちらも小規模なものであった。
さらに18日。
今度は1万人規模。
北京の複数の大学の学生を中心とした1万人程度の学生が北京市内でデモ。
民主化を求めて天安門広場に面する人民大会堂前で座り込みのストライキ。
そして19日。
メディアによる偏向報道。
北京市党委員会の機関紙である『北京日報』が批判的に報じる。
拡大の21日。
夜には10万人を越す学生や市民が天安門広場において民主化を求めるデモを行う。
急激に規模を拡大。
日本における、古くからの左翼が求める姿がまさにここにある。
左派がSEALDSらに見たいであろう幻、まさにここにあるのだが、(日本の)左派はこれをどう思うのだろうか。
これを潰したのは共産主義者であった。
しかも武器を用いて、だ。
CHINAにおけるSEALDS?が対峙したのは、共産党であった。
日本は謎の国である。
実はメディアへの弾圧が、最後の引き金になっていくのだ。
『世界経済導報』という週刊誌があった。
胡耀邦の追悼をテーマとした座談会を開き、参加者が胡の解任を批判したり名誉回復を要求する発言を報じた。
日本で言えば、中川昭一先生の追悼本を出したり(実際、私自身がかつて出したことがある。)名誉回復を求める発言を報じるようなものだろう。
・江沢民
ここで突然、江沢民が出てくる。
当時は、党委員会書記であったのだが、宣伝担当の曽慶紅市党委副書記と陳至立市党委宣伝部長に命じ、問題の箇所を削除するよう命令を出す。
『世界経済導報』の社長はこの要求を拒否、同紙は発行停止となった。
江沢民はこの動きが評価され、党総書記に選ばれる要因となった。
・メディアの悪用
人民日報やテレビなどの国営メディアを使って事態を沈静化するように国民に呼びかけたものの、『世界経済導報』事件などもあって活動は逆に拡大していく。
中国共産党は学生だけでなくジャーナリストの反感をも買った。
・検閲制度を否定
4月29日午後に、共産党幹部とが高校生と会見。
党内に腐敗があることを認めたものの、「大多数の党幹部はすばらしい」と述べた。『世界経済導報』事件があった直後にもかかわらず「検閲制度など無い」と否定。
さらに「デモは一部の黒幕に操られている」と強気の姿勢を続けた。
この模様が夜に放送されると、学生は抗議デモに繰り出した。
SNSがない時代であったが、若者の動きは同じであったと言えるだろう。
この怒り、政権への怒りが抗議デモをより活発化させていく。
例えばアラブの春。
全てを評価する立場にはないが、原風景は、天安門事件の前夜に確かにあったのだ。
中国共産党は、この前に事態を収集させたい。
軟化する方針も見せたのだが、学生らの目標は容認できない内容でもあった。(四・二六社説の撤回)
ハンストは50万人に及び、当時はイギリス領であった香港に飛び火、また国外に留学していた学生たちにも延焼していく。
・対決
民主化運動の指導者は、漢民族出身の大学生である王丹や柴玲、ウイグル族出身のウーアルカイシ(吾爾開希)など。5月18日午前に李鵬、李鉄映、閻明復、陳希同らが彼らと会見した。
李鵬が「会見の目的はハンストを終わらせる方法を考えることだ」と発言すると、ウーアルカイシは「実質的な話し合いをしたい。我々は李鵬を招待したのであって、議題は我々が決める」と反論した。
学生側は「学生運動を愛国的なものとすること」と、「学生と指導者の対話を生放送で放送すること」を要求した。李鵬は「この場で答えることは適当ではないし、2つの条件はハンスト終結と関連付けるべきではない」と話し、会見は物別れに終わった。
李鵬を激しく非難する姿が全世界にテレビにより流されたことで注目を集めることとなった。
・ゴルバチョフ訪中
この最中にゴルバチョフが訪中した。
実は、ソビエトと中国は仲が悪かった。
冷戦時代の1950年代より続いていた中ソ対立の終結を表明するための訪中であり、綿密に準備がなされいた。当初の予定通り北京を公式訪問。
天安門広場周辺は、ご覧の有り様であり中国共産党は恥をさらす結果となった。
正直、ぶちきれたと思う。
・戒厳令布告
ゴルバチョフがCHINAを離れる5月17日までは、中国共産党内は平穏を装った。
学生側に同情的な者もいたし、強行路線の者もいた。
5月17日午後、政治局常務委員会による投票をすることなく、鄧小平は戒厳令の布告を決定した。
・報道管制
これが行われ始めると、多くの場合「最後まで行ってしまう」ように感じる。
戒厳令を受けて厳しい報道管制が敷かれた。日本やイギリス、西ドイツなどの西側諸国のテレビ局による生中継のための回線は中国共産党によって次々と遮断される。
米国のCNN は、依然として世界各国へ向けた生中継を続けていたが、キレた中国は警察官などを派遣、放送を中止するよう要求した。
しかし、まさに生放送中であり、この模様は全世界に報じられることになる。中国が報道管制を行っている事実が報じられた、ということだ。
そして、武力弾圧へ。
地方から続々と人民解放軍の部隊が北京に集結していることが西側のメディアによって報じられたていた。
人民解放軍による武力弾圧が近いとの噂が国内だけでなく外国のメディアによっても報じられるようになる。6月3日の夜遅くには、天安門広場の周辺に人民解放軍の装甲兵員輸送車が集結し始め、完全武装した兵士が配置に着いたことが西側の外交官や報道陣によって確認された。
6月3日の夜中から6月4日未明にかけて、人民解放軍の装甲車を含む完全武装された部隊が民主化要求をする学生を中心とした民衆に対して投入された。一旦は数で勝る民衆によって阻止されたものの、その後これらの部隊は中国共産党首脳部の命令に忠実に、民衆に対して無差別に発砲した。
(参考:wikipedia六四天安門事件)
冒頭の言葉を繰り返させて頂く。
天安門事件より28年。
chinaにて、民主主義の萌芽が戦車で轢き潰された日。
人民解放「軍」は軍という名こそ冠しているが、共産党の私兵集団だと世界に示された日。
あれから中国はどうなったか。
中国共産党は何をしたか。
日本の民主主義はどうなっているか。
共産主義者が叫ぶ民主主義って、何だ?
私には、わからない。
ただし、この六四天安門事件は、伝えられ続けるべきだという立場だ。
我が国が、自由と民主主義を維持していく上で
絶対に忘れてはならぬ、大切なエピソードが満載されていると感じるからだ。
天安門事件を忘れない。
そこで起きたこと、その前夜に何があったのかを伝えていく必要がある。
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【今日は何の日?】共産党により民主主義の萌芽が轢き殺された日【天安門事件】 天安門事件より28年。 chinaにて、民主主義の萌芽が戦車で轢き潰された日。 人民解放「軍」は軍という名こそ冠しているが、共産党の私
小坪先生、新規投稿ありがとうございます
>天安門事件より28年。
>chinaにて、民主主義の萌芽が戦車で轢き潰された日。
情報ありがとうございます。天安門事件という単語さえ、脳内にありませんでした。
まことに恥ずかしい限りです。いまから、じっくりとブログの記事を拝読させていただきます。
6月3日(土)に反天皇制運動連絡会を主な母体とする団体が、東京の吉祥寺駅周辺でデモを行った模様。
彼らが、翌日である6月4日の【天安門事件】を意識して共産主義活動をしているのかは不明だが、垂れ幕やプラカードがあやしい。
テロリスト化を恐れます。
警察・公安の皆様には、要監視でお願いしたい。
戦車の前に戦車の行く手を遮ろうスクッと立ったあの青年の姿は瞼に焼き付いたままです。あの場面しか覚えていないです。前後の日に何があったか詳しく教えて頂けました。
まだ最近と言っても1年か2年以内ですよ。天安門の前で惨殺された遺体の写真をネットで見たのは。
話は逸れますが、蓮舫が中国の微博weibo で公式アカウントを運営、蓮舫_shaのアカウント名で35万人越えるフォロワーと流暢な中国語でコミュニケーションしてるみたいですね。見つけたのは中国人の友人が教えてくれたという日本人です。それで分かったのは彼女の言っていた17才の時?に父親に連れられて父親が国籍離脱の手続きをしたと思う。中国語だったので分からなかったというのは嘘ですね。
人民解放軍は中国共産党の私兵集団であり
たまたま現在あの地域を武力制圧しているだけで正当な国家ではなく
故に「白色テロ」ですらない
確かにそうですね
いわばショッカーに征服されてしまったようなものか
世界の共産主義国家は、その大部分が「人民を平等にする」といいながら、どこも狂ったような全体主義体制を構築した後に、国民を圧迫したり大迷惑をかけながら、最後はいろんな方法で息の根をとめられて終末をむかえました。
いまでも世界に何か国か残っています。
たとえば東南アジアでもベトナムやシンガポールは独裁的な側面ありますが、シンガポールは「明るい北朝鮮」と言われながらも政党数がたしか10か20くらいあります。
一方ベトナムは(チトーはすぐれた指導者でしたが)共産主義体制であるため、現在は共産党のみが合法化政党であり、他の政党は非合法です。
複数政党制でないかぎり、政治的な自由や言論の自由が保証されるのはむずかしいです。
日本の場合は、とにかく共産主義者がリベラルの皮をかぶって自由主義者や人道主義者に見せかけてきたので、その異様性が水面下に隠れた異様な戦後史をつくっています。
たとえば戦後しばらくしてソ連や中国を見物して、ソ連共産党や中国共産党に歓待させられて、社会のうわべだけ見てきて、ほとんど疑問をもたないで、共産主義経済や共産主義国家を絶賛してきた東大の大内兵衛など。(そのときも中国共産党は南原繁などに日本人戦犯収容所を見せるなどの念の入りようです)
洗脳とマインドコントロールだけで突出して得意なのが共産主義者です。
いまでも東京大学の経済学部の卒論で優秀なものには「大内兵衛賞」がさずけられるなど、共産主義者があばれまわって、まともな日本人を大学やマスコミから追い出してきた形跡というか後遺症が今でも残っています。
さて日本の狡猾な共産主義者が戦後ずっとやってきたことで、絶対に今後は徹底検証されなければならないのが、中国や北朝鮮の告発者の情報を左翼が隠ぺいしてきたということです。
中国の毛沢東の文化革命などで悲惨な目にあった多くの中国人が日本に来て中国を告発しましたが、その多くの声が偏向マスコミや左翼によって握りつぶされました。
最近は中国人漫画家のラージャオ氏などが有名です。中国でマンガを公表すると刑務所にいれられるか軟禁されるので日本に来てマンガを発表しているのです。
以下、ラージャオ氏の告発する中国共産党の過去について。
(以下はマンガより抜粋)
「1960年代、大躍進政策の失敗で中国経済はボロボロでした。
中国共産党幹部:「毛同士、知識青年たちの働き口がありません」
毛沢東:「ふん、都会の若者はみんな辺境に送りこめ!」
「知識人は辺境に来たれ」という掲示を各地にばらまく。都市出身の十数万人の知識青年は、不毛の荒野を開墾させられました。
ラージャオ氏の祖母:
「(掲示を見て)大変なことになったわ・・。うちは地区の班長だから最低でも一人は出さないと」
祖母は三女に行って欲しいと伝えますが、いやだと夜逃げします。それで行かされることになったのが、ラージャオ氏の母でした。
ラージャオ氏の母は最初はなんとか労働をつづけますが、4年も働かされてとうとう上海にもどって辺境には行かないと誓います。
それから共産党はラージャオ氏の母の家族に猛烈な嫌がらせをやります。
(日本の左翼軍団の日教組が職場でやってきたような「吊し上げ」をやられます)
それでラージャオ氏の母は、家族のために、また辺境の地に戻る決意をします。
辺境の地で強制労働された知識青年は(なんと中年まで働かされて)ついに怒りが爆発して集団抗議を行います。
すると共産党は軍隊を出動させて、農場にもどれと鎮圧するのです。
知識青年が故郷にもどるには、共産党幹部に1000元(当時で一年分の給料)の賄賂を贈るなどすれば戻れるので、なかには賄賂を払って故郷にもどる青年もいました。」
以上、抜粋ですが、
ラージャオ氏は、
「共産党の統治は私たち家族に大きな苦しみを与えました」
「もっと醜い目にあわされている人も中国にはたくさんいます」
と述べます。
過去に日本にきた中国人のなかには、ラージャオ氏のように中国共産党を告発する中国人が大勢いました。
これらの声が左翼マスコミによってほとんど握りつぶされました。探せば資料や書籍、記録としてはあちこち残っています。
左翼は非常に狡猾であり、上記のような告発を行うと、「これは日本人の中国人差別を助長するものであり、日本人の中国への戦争犯罪から目をそらすものである」と、
まさに、為にする難癖(結論ありきの誘導をするために本質をごまかす)をつけて、これらの告発を隠ぺいしてきました。
あれほど大躍進で多数を殺して人民を不法に弾圧したのに、「中国共産党の幹部だけ裕福になったらいずれ人民の暴動が起こる」と洞察した鄧小平により、西側の資本力や技術を大量導入して、格差は異常でも平均的な収入は確実にあがったことで、現在の中国の社会は「小康状態」を保ってますが、ソフトランディングにしろ、ハードランディングにしろ、いずれは共産党の崩壊が起こります。
ハードランディングとは、大暴動などが起こり、場合によっては人民解放軍が過激な鎮圧により中国が国際的に孤立化して、最後は各地域の自治区が独立まで突き進みます。
一方のソフトランディングとは、まず共産党以外の政党をみとめて複数政党制への道筋をつけて、じょじょに中国共産党から他機関に権限を委譲していって、大混乱なく近代的な法治国家になる道です。
どちらになるかわかりませんが、中国が近代化して豊かになることは日本への経済移民や政治難民も少なくなることなでの、日本人にとってや日本社会にとっては長期的には摩擦が減ることで歓迎すべきと思います。
と同時に河野洋平のような中国共産党の代弁者みたいな訳のわからない政治家を選挙により減らしていくが大事です。
本テーマに関係ないことですみません。
前日テーマに関して、
「従って、日本正常化のための第一歩は、反日的な在日朝鮮人(圧倒的大多数が密入国者とその末裔)の完璧な「除鮮」しか道は残されていないのです。」
というハンドルネームの「歴史の真実」に反論しました。
「日教組の歴代委員長が在日であるという根拠を示せ」などと私から反論しています。
最近は、「だれが在日かは、市役所の戸籍係が察知して過去にひそかに公表しているのだから間違いない」などという書き込みもあり、悪質です。
ほとんどデタラメで捏造であると思います。
こういうのを突破口にして、在日朝鮮人への敵愾心(てきがいしん)を執拗に煽っています。
一種のノイローゼです。
自発的に勉強したり検証しないで、ネット情報だけかきあつめて多くの日本人を扇動して、過激な道にすすめば世の中が浄化されると妄想にひたっています。
こういうのが集団化するとこれから日本にいろんな弊害をおよぼします。
鳥頭さ〜ん、まず火病起こしてエントリーと関係ないこと書くの止めましょうね。
それから、朝鮮人シャベツニダ!と騒ぐんなら、同胞に仏像盗むな、とか靖国でテロ起こすな、とかサッカーで日本人選手に暴行働くな、とかレイプや強盗しに海を渡るな、とかお稲荷さんや仏像破壊をするな、とか注意して止めさせてからにしてもらえませんかね。って何回書いたら分かるのかな?
鳥海山さんに対する私からの質問への返答も、まだ頂けていないのですが。
普通の会社員であると仰る鳥海山さんが、私の地元で行うという聞き取り調査のやり方についての質問です。
このやり取りを見ているオーディエンスの方々から「同胞ネットワークを駆使して聞き取り調査をする」とは言えないんだろうな、と勘ぐられないか心配しております。
なんだか、今日は、朝っぱらから、お二人とも楽しげな様子だ。
なにか新手の朝鮮人イジメのやり方でも見つかったのですかねえ・・。
(というのは冗談ですよ、笑)
お二人とも、「日本を守る」というよりも、朝鮮人の憎悪のほうがはるかに先立って勝っております。
「やむにやまれぬ日本人の怒りの表明」というような感じは、あんまりありませんね、すみませんが・・。
これは「鏡の原理」といって、あまりに憎悪をもって朝鮮人を見るので、朝鮮人の日本への憎悪ばかりが目について拡大され、ますますこちらも憎しみが募っていくという原理です。
憎しみは物事を解決せずに、焦りを生んで空回りしていくだけです。
民族対立のようなデリケートな問題は冷静な対話ができる人間が先頭に立たなければなりません。
後ろから朝鮮人をけしかけている左翼を淘汰すると同時に、日本人の後ろから「朝鮮人をいじめ抜いて追い出せ」と絶叫している無頼漢も淘汰しなければなりません。
私に当たり散らすのも結構ですが、おそらくお二人とも、それなりの良い年をした大人でしょうから、若い人の模範になってください。
新潟県の調査の件ですが、誠に申し訳ありません。
最近、私は空いた時間は国会図書館で調べものをしているので、とても現地調査をやる余裕がありません。
期待させてしまっておりましたら、「また次の機会に」、ということで、なんとかご勘弁いただきますようお願い致します。
なんと言うのでしょうか。
鳥海山さんが余裕を演じるほどに、御自分が観えなくなっているように感じられるのですよ。
なにかイジメられるような事があったのでしょうか?
(ちなみに私にはまったく心当たりがありません)
そして、ついに勇み足で言ってしまいましたね。
この文脈↓で「こちらも」というのは、つまり、そういう事ですね(笑)
>これは「鏡の原理」といって、あまりに憎悪をもって朝鮮人を見るので、朝鮮人の日本への憎悪ばかりが目について拡大され、ますますこちらも憎しみが募っていくという原理です。
この部分のあとは「被害者ポジション」からのレッテル貼りばかりで、申し訳ありませんが欠伸が出ました。
それと調査の件ですが、私が聞いているのは調査「方法」であって、調査する・しないではありません。
分かっていて惚けてますよね?
ついでに言うと、鳥海山さんは「出張のついでに調査する」と仰っていましたよね。
さらに言うと、新潟に国会図書館はありません(苦笑)
「(笑)」「(苦笑)」と倍返しですか。なかなか負けず嫌いですな。しかし、私の書き方も読み直すと上から目線すぎましたか。私はいじめられっ子ではなくガキ大将でした。
調査方法に関心あるのですか。今回は、キーワードとしては、
・特定の教団の信者と異民族のつながり
・新潟県における、その地域的な分布
・政治的傾向と歴史的推移など
この辺が思いつきましたが、正直どこから切り込んでいけばよいのか。
やはり地域が広いので、もう少し市町村まで限定しないと難しいと思いました。この調査の件については、まったく竜頭蛇尾で、私の降参です。では、お元気で。
今後も小坪先生を応援していきましょう。どうぞ私のコメントは読み流してください。
いえいえ、以前からのブログ読者の方々なら貴方の正体は皆さん分かっているのですがね。
新たに読者になられた方々が騙されないように、余計な嘘が紛れ込んでいる場合には今後もツッコミを入れさせて頂きますのでヨロシク。
天安門事件から何年かして「実は戦車による轢き殺しなんてなかった、目撃した記者は一人もいない」なんて話が出て来てびっくりしたのを覚えている。
天安門事件当時の生の報道に触れた世代にとって考えられないような歴史改竄なのだが、若い人の中には信じてしまう人もいるのだろうか。
中国は人が多いので、命の価値が安いとか低いとか言われますよね。だから何も無かったと平気で言えるんでしょうね…。
あと気になったのが二酸化炭素減らしを中国とヨーロッパ主導でやるらしい??のですが、環境汚染大国が主導ってすごいです…。もしくは、中国は二酸化炭素だけは低いんでしょうか…
↓
「日本では政府からメディアに直接的な圧力がある。これには裏付けがあり、自信を持って言える」
ttp://blog.m.livedoor.jp/jin115/article/52179215
↑
捏造するなと言われる事を、圧力を受けていると騒いでるのでは、と言うコメントが結構ありまして、多分これが真実だと思いました。
↓
【国連】産経掲載の「杉田水脈氏のなでしこリポート」に、ヒューマンライツ・ナウの伊藤和子弁護士「あほやな」⇒ ツイート合戦勃発
ttp://blog.m.livedoor.jp/honmo_takeshi/article/51425564
↑
杉田さん、いつもありがとうございます。
以下は杉田さんを見習え
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辻元清美「(天皇制は)生理的にイヤ、気持ち悪い。一族のそばで同じ空気を吸いたくない」@自著・『清美するで!!』より
ttp://blog.m.livedoor.jp/honmo_takeshi/article/51424083
329: 名無しさん@涙目です。
多様性、多様性と言いながら自分の嫌いな多様性は同じ空気吸いたくないとまで言う。
差別主義者はどっちなんだよマジで。
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JR相模湖駅前ツバメの巣を駅職員が駆除、ヒナ落下死…利用者の前で 鳥獣保護管理法違反の可能性も
ttp://blog.m.livedoor.jp/dqnplus/article/1927631
7: 名無しさん@1周年 2017/
つばめって言ったら旧国鉄のシンボルだったんだがな…
85: 名無しさん@1周年
巣の下にビニ傘逆さまにして吊るすだけで良いのに
しかも落として死なせるとかアホ杉
107: 環境破壊ちゃんφ ★
個人的にはフン避けを作って差し上げて欲しいのだが
フンそのままにしてるとダニが沸いて アレルギー性のくしゃみや咳が出ちゃう人もいるからなあ
https://trafficnews.jp/post/68178/
†
(´・ω・`) 京王相模原線 若葉台駅ではフン受け板を設置しております
140: 名無しさん@1周年
下にパイロン置いて頭上注意の張り紙
なぜ、これをしないのか
290: 名無しさん@1周年
>>217
外国人ですか?昔から日本ではツバメは益鳥として大切に扱われてきました
見かけが可愛いからという理由ではありません
236: 名無しさん@1周年
ツバメなんか何年も何カ月もいるわけじゃないんだから
クレームなんかいれずにシーズン過ぎるのを待てよと
256: 名無しさん@1周年
自分が子供の頃はツバメが巣を作ったら下に庇作って
巣立ちまで見守るって教えられてたんだけどなぁ
幼稚園とか小学校でもやってたんだけど
最近の世代はそういう機会すらないの?
↑
糞が汚いと言う方の気持ちも分かりますが、出来たら見守ってあげて欲しいです。
撤去するとしても、せめて雛が生まれてない内であればよかったのに…と、悔やまれます
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暫く、小生のコメントには下記のフレーズを、継続的にTOPに書き込ませて頂きます。
皆様に於かれましても、下記のフレーズを拡散されては如何でしょうか。
何分、実績であり事実ですから、異存は無いでしょう。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
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どこの国の共産党も、根っこは同じです。
日本共産党は「護憲政党」なんてホザイていやがりますが、コイツらが政権など盗ったら真っ先に行うのが改憲でしょう。
あまり我々は意識する事はありませんが、仮に間違って共産党が政権を盗っても、天皇陛下が認めなければ形式上は大臣には成れ無いシステムになってます。
故に、共産党は常に皇室を滅ぼそうと画策している訳です。
扨て、本エントリーの主題でもある1989年6月4日に発生した第二次天安門事件事件ですが、発生からまだ30年にも至っていません。
一応死者は無かったとする、1976年4月5日に発生した第一次天安門事件ですら、発生から41年。
この二つの天安門事件で痛みを味わされた本人や、犠牲者の遺族はまだ多くが健在でしょう。
中共が金盾で「天安門」と言うキーワードが、ネットでヒットしない様にしている事を御存知の方も多い事でしょう。
その他にも「巨大家鴨(巨大アヒル)」も、規制がかかっているとの噂もあります。
何故「巨大家鴨」も禁句とされているかと言うと、本エントリーのOGP画像の背景、「無名の反逆者」「戦車の行く手を遮った男」が遮った戦車を、お風呂に浮かべる玩具のアヒルに置き換えたコラが世に広く出回ったからだと言われています。
「巨大家鴨」も禁句である事が本当であるなら、中共は確実に天安門事件が打倒共産党のスローガンの一つになると分析し自覚していると考えて良さそうです。
現在の中共は二つの天安門事件を知る者が死に絶えるのを、ただひたすらに待っている状態とも言えます。
そこで、二つの天安門事件で痛みを味わされた本人や、犠牲者の遺族はまだ多くが健在であるうちに、天安門事件やら巨大家鴨やらを中国に広める事が出来たら、中国国内はどうなるのでしょうね?
日本のアニメや漫画だけでは無く、その手のタッチのイラストも中国ではそれなりの人気がある様ですから、「巨大家鴨」とか「両手に荷物を持って、何かを遮る男」なんかを紛れ込ませたイラストとかネットにUPすると、地味に効く可能性がありますね。
中共が天安門事件を必死に隠蔽しようとするなら、それを逆に広めてあげれば良いのです。
中国の侵略行為に怯えているだけでは、何も始まりません。
それならば、いっそうの事中共の崩壊を、平和的な方法で後押ししてやるのも一興でしょう。
それともう一つ、若し日本共産党より中国共産党が先に滅亡したら、日本共産党の党員はどの面下げてお天道様の下を歩くんでしょうね?
皆様も、中国共産党滅亡後の日本共産党の面を拝んでみたいと思いませんか?
尖閣に4隻今日、中共が来ていました
天安門事件自体は失敗したが、同年後半の東欧革命に少なからず影響を与えています。
中国当局が戦車の件など、色々やりすぎて全世界からバッシングを浴びたので
後にベルリンの壁に東ベルリン市民が殺到した際、東独当局は彼らを撃つ事をためらったんですよね。
ルーマニアでは銃撃戦やチャウシェスク大統領夫妻が処刑されるといった
血生臭い様相となりましたが、それ以外では比較的平和裏に体制が変わりました。
天安門における運動家らの犠牲は決して無駄ではなかったのです。
追記です。
実はジャーマンメタルの大御所・スコーピオンズのWind Of Changeという作品のPVに
天安門事件や東欧革命の映像が使われています。
https://youtu.be/n4RjJKxsamQ
歌詞は、今となってはお花畑もいいところだな?というのが正直な感想です…
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