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ちょっと私小説風に書いてみたい。
いま色んな言論が錯綜していて、きっと軸足の部分で足並みを乱している人たちが多くいる。
私が地方議員になった理由、そのときに見ていたもの。
ある地方議員の原風景と覚悟、故郷を守る。
はじめは、転校生だった。
お宮はきらきらと輝いていて、誰もが楽しそうだった。ちょっと離れたとこ、島の裏っかわ。
たくさんの子供たちは境内を走り回り、駄菓子屋はいつも人だかり。
かつては保育園もあった。妹たちは保育園から。私は小学校の入学とともに。
いまよりももっと輝いていた時代。
魚が獲れた時代。
わいわいと話す漁村の輪、気おくれした。
ちょっと離れたとこから見ていたような気がする。
銀弾鉄砲の音、ビー玉を転がした。
東京から引っ越してきたばかり、標準語。
その標準語も半年前までは博多弁。
うまく話せなかった、なんて言っていいか分からなかった。
きっと今も私はうまく言えない、
そして職務上もそのままには言えないことが増えてしまった。
だからあの日のことを思い出して、なぜここにこの事務所があるのか、
原風景とともに覚悟、故郷を守るという言葉の意味を記しておきたい。
私からはどんな風に見えて、
何を思い、どう生きてきたのか。
これからのこの島のため、そして行橋市のため、
ひいては日本に対してどのように考えているのかを。
まさか本当に、故郷を守るなんて羽目になるとは。
あんなことを言うんじゃなかったと後悔した日もある。
けれども守り抜いた、守り抜くことができた。
いまは行橋市を、そして我が国を護る礎として。
1900議席の賛同を賜る、国内最大規模の地方議員組織を創設するに至る。
チョコレート。
100円玉を握りしめて。
わくわくしながら駄菓子屋に歩いた日のこと。
たくさんの友達たちが笑っていたこと。
そして最後は、島にはほとんど残らなかったこと。
守るため、戦ったのが転校生だったこと。
友達の親たちが区長さんたちで、なぜか同級生の親を指揮して産廃と戦ったこと。
「ここを、守ります」とマイクで気持ちよく絶叫してしまっちゃった直後。
状況はあまりに不利で、もはや手の施しようすらないと感じた。
一手を放ち潰れ、さらに一手を打ち無駄で。
頼み、蹴られ、
考え、無理で。
ある意味での政治マニアだった。
誰から頼まれたわけでもなく、ただたんに政治が好きだった。
研ぎ澄まされたスキルがこんな場面で役に立つとは思ってもみなかった。
いろんな人が助けてくれて、利権ってものが恐ろしいものだと体感させられ、
逃げ出したい夜も、叫びたい日もあったけども、眠れぬ夜を越えて戦うことができたのは、
きっとあの日、お宮の境内を。
混ざりたそうに、けれども少しだけ離れて見ていた私がいたのだと思う。
・・・逃げないで、と。
ここを守って、と。聴こえた気がしたんだ、
その声に従えば、きっと私はあの日の境内の、その輪の中に入っていける気がしたんだ、少しだけ胸を張ってね。
いまは一軒の駄菓子屋も残っちゃいない。
もともとさびれた寒村だったのかもしれない。市政施行70周年、かつてはここも蓑島村だった。
時代の流れと言えばそれまでなのだろう。けれども、そこに刻まれた思い、歴史。
背負う者はいる、苦しくとも苦しくとも。せつなくとも、せつなくとも。
守りたい場所があった、
かなえたい思いがあった。
言いたいことがあった、
伝えたいことがあった。
このままでは小学校がなくなる、児童数のことを説いた。
「なんと不吉なことを!」と、いくばくかの余力があった島の大人たちは私を叱った。ずいぶんと怒られた。
20代で出馬、一回目の若き挑戦は惜敗。
30代での初当選。
そこから三期12年。
できたこともある、できなかったこともある。
悔しい思いをした日もある、
喜びを報告した日もある。
きっと誰しもあると思う、戻りたい原風景。
そんなものはもはやなくとも、心の奥底、どこかに。
三丁目の夕日の、ちょっと前ぐらいが本当に人は幸せだったのかもなって、当時を知らぬ私はイメージで語る。その時代はその時代で、いまよりも酷いこともたくさんあったのだろうけども。
市内の総人口の、わずか1%。
20議席のうちの一つに食い込むには5%は必要なわけで、もはや市議選を戦うことすら不可能な街から。
まさか政策型として全国に名を馳せることになるなんてね、思ってもみなかった。
悔しくてね、そう悔しくて。
バカにされてるみたいで、情けなくて。誰よりも勉強して、勉強して勉強して、一番になってやろうって。
バカにすんなよって、そういう誇りだけ、ちっぽけな誇りだけ胸に抱いて。
あの日、震えるその手でマイクを握り、はじめての出陣式、
壇上に私は立ったんだ。
そういう日が誰しもあった。
これが私の政治の原風景。
なったらなったで、酷いもんでね。
島を守るには、市を守らねば。
市を守るには、国を守らねば。
愛郷心から駆け抜けた若き日々、なぜか日本全体を守る道を選んでいく。
国家観からの保守だけではなく、愛郷心からのボトムからの保守もいる。
小学校の校区には、信号機が一つもない。メインの道は一本道、ある意味では輪だから。
そんなところから、私は来た。
そしていま、モニターの前の貴方に語り掛けてる。
政治ってなんなんだろう、原風景ってなんなんだろう、って。
※1 これを前段部分にして、ちょっと書いてみようかなって思う。時間があればだけども。
※2 発災より一カ月。脱退一時金については意図的に触れなかったけれども、そろそろ進捗について書こうと思う。
一歩、前に出る勇気。
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今だに脱退一時金問題の解決が生活保護受給の制限に大きく関わっていく仕組みがよく分かりませんが、良い結果が出るよう祈ります。
この件の成功のために、自民党が各地の選挙で当選できるよう「いいね!活動」をします。
小坪先生
平成の頭位までは100円が割と大金で駄菓子屋で大人買い?して放課後が過ぎていった思い出があります。
先生の臨戦態勢(いつもかな?)、いつも見ています。我が国を地方からよろしくお願いします(`・ω・´)
小坪氏が地元のお生まれで無いことに無知だった私は少々驚きました。
「ああ、そういうことって、あるんだよなぁ」と言う驚きです。
地元で生まれた人の方が郷土愛が強いとか
引っ越して来た人の方が役に立つとか
どちらがどっちとか言う意味では無く
「そういうことって、あるんだなぁ」と言うシンプルな意味でしかありませんが
私はそのことが妙に嬉しく感動しています。
楽しそうな仲間たちの輪に入りたくて。
純朴な想いが国を護ることの原点であったとは感慨深いですね。
小坪市議、お早う御座います。【外國人年金脱退一時金】にも関連する【川口市暴動クルド人問題】に、動きが有りましたね…あまり望ましい動きでは無い様な感じ…
川口市長が、【クルド人】問題で、國に要望。
1,【暴動】を起す様な【不逞外國人】は、必ず【國外退去】にせよ。←これは、良い事ですし
、且つ当たり前の事ですね。
2,【マトモなクルド人】が生活出来る様に【國民健康保険】に入れる様に取り計らってくれ!←多分…【川口クルド人暴動】の発端である【数時間に及ぶ市立病院占拠事件】が強く関与している気配を感じます。
以上に関しての【國の回答】は…
『1はともかく、2は無理。』
だったそう…
これに関して、昨日【ネット】に挙がっていたのはYouTubeでの【川口クルド人、川口市の懐柔?籠絡?に成功!】との小見出しで、動画がアップされていました…
兼ねてから『庇を貸して母屋を盗られる危険性大の【川口クルド人暴動問題】…今、正確には如何なっているのでしょう?
本当に「故郷を護りたい」のなら、大石久和先生の提言に耳を傾けられますよね。
・社会保障の財源と言って、31年間で国民からは消費税で400兆円。一方、法人税減税は300兆円。
・経団連には中国の企業まで参加している(HUAWEI、上海電力、TikTokのバイトダンス)
・設備投資は1997年を100として2020年には60代まで減少。一方、株主配当は620つまり6.2倍(第二次安倍政権が推進したコーポレートガバナンス強化による株主資本主義の結果)
・役に立たない社外取締役、年中決算作業をさせる四半期決算制度(株主への短期利益の情報提示)
・おかしくなった経済界から多額の献金を受けて、その提言を実現する自民党。それを批判しない保守。
大石久和のオンライン国土学ワールド(2024.02.02)
【日本破壊】経済界の人間が提言する”消費税増税”は間違っている!
こういう側面もあることは否定しませんが…決めつけるのもどうかなぁ…というかんじでしょうか?
>・設備投資は1997年を100として2020年には60代まで減少。一方、株主配当は620つまり6.2倍(第二次安倍政権が推進したコーポレートガバナンス強化による株主資本主義の結果)
1997年って…「山一證券が自主廃業を発表した年」ですよね?
この頃の設備投資って…野放図になんでもかんでも無闇矢鱈に過剰投資しまくってたバブルの風潮を引きずっていたような…(この頃はまだ、不景気なんて10年以内に回復して好景気がまた来るとみんな信じていたわけですよ…まさか失われた30年になるなんて、ほとんど誰も思ってなかった…)
こんな時(1997年)が、比較対象として適切なのかなぁ?…というかんじもします。
労働分配率とか株主還元とかの割合は…どのぐらいが適切かは、人によって感覚に振れ幅はあると思う。
個人事業主などは「無限責任」(事業が潰れた時、借金を背負うハメになる。)
株主は「有限責任」(会社が倒産した時、出資したお金がパーになる。ただし株券は紙屑になってしまうけど、借金までは背負わない。)
サラリーマン(従業員)は「無責任」(会社が倒産しても、特に責任は負わない。就職活動は、しなきゃだけど…)
…ですからね。
株主からお金を集めることで新しい事業を立ち上げたり、事業を拡大したりできるわけなので…
「俺に任せてくれれば、こんな事業を立ち上げてみせます!俺を信じてお金を出資してください!お願いします!(俺が失敗したら…全部パーで、紙屑になりますけどね…)」って言って、大金を出してくれたのが「株主」なので…それなりに「株主様に報いる」必要があるのは、まぁ必然かと…
もちろん事業を成功させるには「優秀な従業員が必要」だから、こっちにも「報いる(主に給料で)」ようにしないと優秀な人が逃げちゃいますけどね…
だから、「株主に報いる」か「従業員に報いるか」のバランスが大事。
周囲を見回してみると…最近は若い人を中心に「株主資本主義」時代に、さっさと適合しようとしてるかんじがします。
若い人は、適応力が高いというか…「会社が、給料より株主配当を重視」するなら…「自分が株主になって配当貰えば良いんじゃね?」みたいな発想で新型NISAだか積立NISAだかをさっさと始めてるみたい。
社会の変革を訴えるのも大事だけど…それと同時に、自分で出来ることは自分でなんとかするみたいな発想も大事なのかも…
若い人の柔軟な発想も見習わなきゃなぁ…ってかんじです。
https://www.youtube.com/watch?v=ItiCZNCcALo
↑氷河期世代のブラック企業勤めの平凡サラリーマン(45歳)が約20年間の壮絶節約生活で「貯金1億円達成」らしいんで…まぁ、「涓滴岩を穿つ」というか…ここまでくると、もう「執念」よね…
1億円で高配当株(3%~5%)でも買えば、黙って年収300~500万円でしょうから、充分食えるはず…
さすがに、ここまで極端なのは真似できないし、真似しないほうが良いと思うけど…
給料がさほど上がらなくても補う方法は存在してるみたいだから、「こういう人の生き方をちょっとだけでも取り入れる」ことで、株主資本主義時代でも、なんとかなりそうかな…ってかんじで、なるべく希望を失わないように努力しています。
小坪市議の前世は、どんな人生だったのでしょうね。
チームを守りたい的な基礎部分の感情が、日本になったような感じでしょうか?
霊格の高い人は、己の欲よりも人の為に尽くす傾向が有るそうです。
前世も、それなりの苦労を経験されたと想像いたします。
刀がお好きのようですので、その関係の立場だったのかも知れませんね。
戦後レジームからの脱却が、いつの間にか戦後レジームの完結へ向かっているような、様々な矛盾だらけの動きに不安に感じます。
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