【感動したらシェア】零戦、日本の空を飛ぶ「仲間は傾きゆく天を支える気持ちだった」(元零戦パイロット)

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目頭が熱くなった。
「仲間は傾きゆく天を支える気持ちだった」という元零戦パイロットのコメントである。
鹿屋において、零戦が飛んだ。日本の空を飛んだ。実際の飛行時の動画も見て頂きたい。

実は、日本軍の軍用機で飛べる状態で保存されているものは少ない。
ほとんどないと言ってもいい。

※ 本稿は過去記事の再掲になります。2016年のもの。
【感動したらシェア】零戦、日本の空を飛ぶ「仲間は傾きゆく天を支える気持ちだった」(元零戦パイロット)

文章の書き方も随分と変わったなぁ、こなれてきたなぁと思いつつも、
当時のストレートな感情表現は、私なりに思うところもあった。このBlog記事を書いた際、私はまだ一期生でした。全文、原文ママ。

 

 

 

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軍用機とは何か
私は、戦争を礼賛する立場にはないが、鍋ややかんを打ちこわし、武器に換えて行った祖先の気持ちを知りたいと思う。
ご飯を作る大切な道具も、先祖由来の大切なものすらも、提供していった。

なぜか。
それを「戦争に勝つため」と言うのは、イデオロギーに依存した政治的な価値観だろう。
個々人の思いは、「まだ産まれ来ぬ日本の未来の子たちを守るため」だと思うのだ。

線の一本に命をかけて、図面を引いた技術者たちがいる。
日本を守るため、つまり当時は産まれてもいなかった私たちを守るために作られたものなのだ。
ここにイデオロギーを持ちこめば、保守・リベラル共に様々な言論もあるのだろう。
だけど私は、こう思う。

そう思う自由が、平成の現代日本においては認められている。
「軍用機」という言葉の定義も随分と、様々な色をつけられてしまった。
しかしその本質は、未来を守るための存在に他ならない。

 

敗戦国ゆえか、ほぼ動態保存されている機体はない。
写真の中で目にするばかりだ。
このあたりは、もっと国にしっかりやって頂きたいと思う。

その中でも貴重な、本当に貴重な、飛ぶことのできる零戦が飛んだ。
日本の空を飛んだ。
こんなに嬉しいことはない。

 

 

 

実際の動画
産経より動画がアップされている。

零戦、日本の空を飛ぶ 鹿児島・海自基地で試験飛行

 

 

こうやって飛んだのか、と。
こうやって、かつての日本の空を舞ったのか、と。

そして
こうやって、この音を響かせて、
敵艦に体当たりしていったのか、と。

 

それ以上のことは、私には言えない。

 

 

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※再び日本の空を飛んだ零戦の勇姿は、「産経フォト」で。フルスクリーンの写真に加え、 動画も閲覧できます。
http://www.sankei.com/premium/news/160128/prm1601280008-n1.html

 

こちらも必見です。
飛行可能な零戦の操縦席【360°パノラマ】

 

 

 

報道の紹介
産経より素晴らしい記事があがっている。
一部を紹介したい。全文は、リンク先にてご確認を。

元零戦パイロット「仲間は傾きゆく天を支える気持ちだった」鹿児島鹿屋市でテスト飛行、フェンス越しに歓声

 

 翼よこれが故国の地だ?。零式艦上戦闘機(零戦)がテスト飛行した27日、零戦が飛び立った海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の周辺には、雄姿を一目見ようと、大勢の見物客が訪れた。福岡市在住の元零戦パイロットは、基地を訪れることはできなかったが、「元搭乗員の友人と、零戦が鹿屋の空を飛んだ喜びを分かち合った」と語った。(奥原慎平)

(中略)

 この日飛行した零戦は、ニュージーランド在住でフライトジャケット製造・販売会社を経営する石塚政秀氏(55)が所有する。石塚氏は、2010年2月に米国人バイクレーサーから購入した後、日本国内での飛行を目指して、資金集めや、関係省庁との交渉を進めた。

 当初、戦後70年である昨年の実現を目指したが、安全保障関連法案の審議をめぐり、「戦争賛美の誤解を受けかねない」と複数のスポンサーが撤退し、関係省庁も消極姿勢だった。

 石塚氏はようやく飛んだ零戦を見上げ「感無量だ。部品の一つ一つに日本人の勤勉さが詰まっている。飛ぶ姿を見て、今の日本人に自信を取り戻してもらいたい。この機体を、日本のいろいろな場所で飛ばしたい」と語った。

(中略)

 福岡市南区に住む、零戦の元搭乗員、池田一彦氏(91)は残念ながら鹿屋に赴くことはできなかった。それでも、零戦が旧海軍ゆかりの鹿屋を飛ぶという話を、搭乗員仲間と電話で語り合ったという。池田氏は産経新聞の取材に「零戦が鹿屋の空を飛んだ喜びを分かち合った。零戦の技術力も知ってほしいが、あの戦争において、傾きゆく天を支える気持ちで戦った仲間の思いを、若い人が知るきっかけにしてほしい。いつか日本人が操縦し、編隊で飛ぶ零戦をみたい」と語った。

 

全文はこちら
http://www.sankei.com/west/news/160127/wst1601270114-n1.html

 

「傾きゆく天を支える気持ちで戦った仲間の思い」
この言葉の重みは、なにものにも代えがたい。

どのようなイデオロギーで語ろうとも、
その時その場で何を思ったのか、
どのような思いでどう生きたのか、それを歪めることは誰にもできはしない。
してはならない。

 

「いつか日本人が操縦し、編隊で飛ぶ零戦をみたい」
本当に、そう思う。
今回は米国の方が飛ばしてくださったわけだが、これは日本人の手でなされるべきことだ。

 

 

 

軍用機の保存
行橋にも、飛行機の掩体壕(えんたいごう)がある。
掩体壕とは、空襲を避けるための飛行機を隠す壕だ。

夜間戦闘機 月光、陸上爆撃機 銀河、一式陸上攻撃機。
中型機を格納するための大型の掩体壕になる。
文化財として保存されているが、中身はない。
その掩体壕には、かつて在ったはずの機体はない。
レプリカすらない。

実は、現存する機体が手に入らない。
月光は、スミソニアン博物館のみに現存。
国内にはない。
銀河も同様のようだ。
一式陸上攻撃機は、国内で保存されているが唯一の一機。
政府・行政の手によるものではない。

 

今回の零戦の試験飛行を聴いた際に感じたこと。
それは、今の日本の現状についての疑問である。
飛ばすどころか、残っていない。

 

鍋もやかんも打ちこわし、
先祖由来の品々をも溶かして鉄とした。
世界の先端技術に対抗すべく、技術の英知を結集した。
思いを込め、空を舞い、ついには命すらも込めていく。

私たちを守るために、だ。
当時を生きた日本人の気持ちに思いを馳せるに、たまらないものがある。

それゆえに、この飛行がたまらなく嬉しい。
嬉しくて、悲しくて、せつなくて、たまらない。

 

こうやって飛んだのか、と。
こうやって、かつての日本の空を舞ったのか、と。

そして
こうやって、この音を響かせて、
敵艦に体当たりしていったのか、と。

 

 

 

市議には職権の範囲外ゆえ、公式に述べることはできませんが、
一人の政治家として軍用機の動態保存、この必要性を強く訴えたい。

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. 常磐本線 より:

    重い命題ですね。
    合衆国(GHQ)からの足枷もあるのでしょうが、国としてミュージアムを作り動態保存が希望ですが
    無理なのでしょうね。

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