【今日は何の日】真珠湾攻撃・大東亜戦争開戦記念日。いま日本人が知るべき、”開戦の詔勅”の口語訳【12月8日】

日付けが変わってしまいましたが、12月8日は我が国にとって非常に重要な記念日です。

大東亜戦争開戦記念日、
これは単なる自衛戦争ではありませんでした。
我が国が大東亜の解放を夢見て立ち上がった日であります。

昭和天皇の「開戦の詔勅」の口語訳を紹介します。なぜ、我が国は開戦したのか。
その思いを私たちは噛み締めるべきだと思う。

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12月8日、真珠湾攻撃。
実現不可能とされた浅い水深における航空魚雷攻撃。
そもそも航空機で艦船を攻撃するという発想が当時は驚くべきもので
遠く離れた海上にて、空母より艦載機が発艦、航空機で雷撃する。
仰天の作戦で、日本の技術が成し遂げた大戦果でありました。

12月8日、侵略戦争が!とメディアが騒いだ日。
かつては「日本が侵略戦争を?」と声高らかに言って喧伝する日でもありました。
全国一斉反日記念日、テレビを捨てたくなる日、でありました。

12月8日、報道しない自由を行使する日。
現在は、やむにやまれぬ自衛戦争であったとの認識が主流となっており、今度は「報道しない自由」を行使する日になっております。
だんまりでございます。

12月8日、国民に忘れられつつある悲しい日。
悲惨な結果となりました、流れた血はいかほどか。
流した涙はいかほどか。
それでも自らの意思により立ち上がった我が国、
今日、この日、その思いをしかと胸に刻む必要があると私は思う。

 

 

<永久機関と植民地支配。>
私は、植民地と永久機関は似ていると思っています。
当時の西欧列強ら大国は、いずれも植民地を持っておりました。
これを現代に置き換えると、「夢の中の原発」に近いのかな、と。
(私は再稼働推進派、将来的には緩やかな脱原発です。)

植民地とは無限のエネルギー。
食糧でも物資でも「なんでもできてしまう」非常に優秀な永久機関であったのでしょう。
そりゃそうです、どこかの誰か(植民地支配された有色人種)が必死こいて働いてるわけです。

働けば価値ある資産ができる。
これを不当に安く入手できるのであれば、ぶっちゃけ働かずともよい。
そう考えると原発なんか目じゃない、永久機関のようです。

だけれども、そこには人がいるのです。
そう、人間がいます。
有色人種がおります。

<立ち上がった我が国>
亜細亜において、唯一、先進国として工業化を成し遂げ、日露戦争の勝利もあり国際的な立場を保有していた日本。
決然と、これに異議を唱えます。

列強諸国からすれば、たまった話ではない。
どうしても認められるような話ではないのだ。

イメージしてください、
明日から電気と原油が使えなくなります、と。
たまったもんじゃないでしょう?

ついでに工場も没収、農地も没収、働いている農民も没収。
食料自給率も無視して、全部なし。
(この農地とは植民地の土地、そして非常に安価で働かされている有色人種)

イメージしてください。
自動化されオートメーションで動いている工場があったとして
生産設備(有色人種)も組立ロボット(有色人種)も、全部没収。

列強諸国らが飲めるわけはないのです。
彼らは思いこんでいた。思い込むよりなかった。
「色のついた人」は、人間ではない。
だから、かわいそうではない。
未開の、文明も持たぬ、つまりは意思すらない動物だ、と。

私は牛肉を食べます。
生きてる牛を見れば、かわいいなと思います。
だけど牛丼になると、おいしいな、と思います。
列強諸国は、有色人種は人ではない、かわいそうではない、そう思い込むよりなかったのでしょう。

飲めるわけは、なかった。
黙ってればよかったんです、無視すればよかった。
そうすれば傷つくこともなかったろう。

国民が血を流すことも、
国土が焼かれることも、
なかった。

しかし、我が国は立ち上がりました。

我が国は、これら人権問題を国際世論の場で確かに訴え、
そして戦ったのだ。
結果、戦後においては多くのアジア諸国が独立していく。

 

昭和16年(1941)12月8日・真珠湾攻撃 開戦の詔書

8

昭和天皇「開戦の詔勅」口語訳
昭和16年12月8日

 神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
 私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。
私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

 そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。
 今や、不幸にして、米英両国と戦いを開始するにいたった。

 まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。
中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。
 帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。

 米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

 私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にも益々、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
 このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、悉く水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。

 ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
 皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

御名御璽
昭和十六年十二月八日

原文
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス

朕茲ニ米國及英國ニ対シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵?職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顕ナル
皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両國ト釁端ヲ開クニ至ル

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

中華民國政府曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ
帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提携スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英両國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剰ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ?強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ

朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ隠忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノ??ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ?々經濟上軍事上ノ脅威ヲ?大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ
東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ?靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

御名御璽
昭和十六年十二月八日

 

私がなぜに、ここまでの反共か、その理由を記す。
大東亜戦争を引き起こすべく片棒を担ぎ
その上で戦場に散った英霊の名誉を汚すゆえ、です。

具体例を挙げる。
コミンテルンのスパイであった、共産主義者:尾崎秀美(朝日新聞記者)や、日本が飲めぬほどの条件に厳しくハルノートを書き換えた「ハリーホワイト」らを指します。

コミンテルン日本支部として発祥した日本共産党を許すつもりはありません。
その上で平和の使者を名乗る・・・?
その欺瞞は、化けの皮ははがねばなりません。

<関連記事>
【赤旗問題】コミンテルンのスパイであった、共産主義者:尾崎秀美(朝日新聞記者)
【今日は何の日】ベルリンの壁、崩壊。共産主義者らの敗北した日【11月10日】
【戦う政治家】特攻隊の隊員らを「犠牲者」なのか、という問いに対して。
【背乗りの疑い】慰安婦問題を巻き起こした、吉田清治氏は死亡していたとの報道。
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とは言え、当時は新人市議であった抑えておりました。
そんなこと私は、思っていても口にはしませんでした。
一年半耐えていましたが共産党・行橋市議が私をいじめたからです。

戦う力は、あった。
極めてシステマティックな動き、手慣れた撃ち方。
速度に物を言わせた抜刀のようなロビー活動。
次々と現れる謎の人脈。
相当に古くより活動家として存在しておらねば、できるはずもない。

だが、私は耐えた。
一年半、ぐっと我慢した。
ひとつには、いい加減しつこいと思ってはいた。
本当はキレキャラなのに、平静を装っていた。

いまだってそうです。
だいぶ長いこと私は耐える。そして抜刀する。
速度も破壊力も想像以上だ。

私は元より反共の思いは強くもっていた。
しかし内に秘めておればよいと思っていた。
いつまでも分厚い着ぐるみを着て、のほほんと笑っていたかった。

あー、もう、こりゃダメだ。
「やろう」と思わせてしまったのは、撃った者たちです。

追い詰めて、追い詰めて
どうにも抜き差しならなくなれば
思いを胸に、前にでるより他ない。

我が国は、12月8日、立ち上がった。
私も逃げずに立ち向かうのだ。
日本人だから。

追記。
以下のコメントを頂いたため、レスします。
動画はコメント欄には貼れないため本文にて失礼します。
>「日本が大東亜の開放を夢見た」と小坪さんが断言するソースを示して下さい。

果てしなくシンプルにソースを出してみます。
英数字とアルファベットの羅列がソースでしょうか、私はそうは思いません。
また、本来は紙や書類をもってソースというのも変なものなのです。

まず人の心の情動、そして動きがあり、それが書面となるのです。
たった一本の動画と、ある歌の歌詞をもってそれを証明してみせましょう。

なぜインドネシアの独立パレードにおいて、現地の方がこの歌を歌っているのでしょうか。
またこの歌には、どのような意味があるのでしょうか。
これが答えになるかと思います。

1番
見よ(みよ) 東海(とうかい)の空(そら)明(あ)けて
旭日(きょくじつ)高く(たかく)輝けば(かがやけば)
天地(てんち)の正気(せいき) 潑溂(はつらつ)と
希望(きぼう)は踊る(おどる)大八洲(おおやしま)
おお晴朗(せいろう)の朝雲(あさぐも)に
聳(そび)ゆる富士(ふじ)の姿(すがた)こそ
金甌(きんおう)無欠(むけつ)揺るぎなき
わが日本(にっぽん)の誇りなれ

2番
起て(たて) 一系(いっけい)の大君(おおきみ)を
光(ひかり)と永久(とわ)に頂き(いただき)て
臣民(しんみん)我等(われら)皆(みな)共(とも)に
御稜威(みいつ)に副(そ)はむ大使命(だいしめい)
往け(いけ) 八紘(はっこう)を宇(いえ)となし
四海(しかい)の人(ひと)を導きて(みちびきて)
正しき(ただしき)平和(へいわ)打ち立てむ(うちたてん)
理想(りそう)は花(はな)と咲き(さき)薫(かお)る

3番
今(いま)幾度(いくたび)か我(わ)が上(うえ)に
試練(しれん)の嵐(あらし) 哮(たけ)るとも
断乎(だんこ)と守れ(まもれ)その正義(せいぎ)
進まむ道(みち)は一つのみ
嗚呼(ああ) 悠遠(ゆうえん)の神代(かみよ)より
轟く(とどろく)歩調(ほちょう)受け継ぎて(うけつぎて)
大行進(だいこうしん)の行く(ゆく)彼方(かなた)
皇国(こうこく)常(つね)に栄え(さかえ)あれ

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<シリーズ 今日は何の日>
【今日は何の日?】グアム島守備隊玉砕の日【8月11日】
【今日は何の日?】葛根廟事件【8月14日】
【今日は何の日?】終戦の日・ポツダム宣言受諾【8月15日】
【今日は何の日?】神風特攻隊 敷島隊、突入に成功。連合艦隊、壊滅。【10月25日】
【今日は何の日?】ベルリンの壁、崩壊。共産主義者らの敗北した日【11月10日】

コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. 波那 より:

    ■タ イ
    ◎ククリット・プラモード 元首相
    「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」

    ■マレーシア
    ◎ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
    「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。」

    ■イギリス
    ◎アーノルド・J・トインビー 歴史学者
    「第2次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」
    (1956年10月28日/英紙「オブザーバーL)

    🔻自存自衛と大東亜の解放を掲げて戦われた日本の戦争は、アジアの諸国民や各国の識者からどのように受け止められているのだろうか。
    https://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/844

  2. 波那 より:

    繁栄し豊かな在りし日の五族協和の国、荒野に現れた一大都市だった美しい満州の街の様子が記録された動画が出ていますが、アメリカはあの満州の権益を欲しがって狙っていました。ですが当然、日本はそんな勝手な要求は拒絶しました。そして石油や鉄鋼等、日本の存続に不可欠な資源や物資を禁輸されると言う仕打ちに至り最後通牒のハル・ノートを突き付けられたのです。当時の世界は白人国がアジア、アフリカ全領域を支配し植民地にしていた時代。白人でなければ人間に非ずの頑迷な有色人種差別が罷り通っていた時代です。大英帝国なんて地球上の四分の一を支配していましたから。ですから、戦わなければ我が国も同じ非道の目に合わされたのは明らかでした。戦前の日本は海軍力で世界一位の国だった事も白人欧米国には脅威だったと思います。大量の人の生命が失われてしまうのですから、どんな戦争も美化されるべきではありません。ですがもし日本が戦わずにいれば日本も他のアジアの国々のように侵略され支配される事になってしまったのは明らかです。

    敗戦後、アメリカから押しつけられた日本人に自虐史観を植え付ける為の洗脳工作のいわゆるWGIP(War Guilt Information Program)によって、何故、日本が戦争に至ったのかの背景は悉く打ち消されてしまいましたが、満州利権を得ようとしていたアメリカの目論見もその一つです。

    🔻満州利権を狙っていたアメリカ
    https://blog.goo.ne.jp/tgalmoh/e/ae81cfbb42af012e621d511a2cd43a8e

    なぜアメリカは日本の中国進出を嫌ったのか?

     世界のブロック経済化により、日本は中国に勢力範囲を拡大しようとした。それに対してアメリカが激怒したことが日米開戦の大きな要因となった。それにしても、なぜアメリカは日本の中国進出をそれほど嫌ったのか?

      「中国が可哀そうだから」「日本の傍若無人な振る舞いが許せなかった」

     などというのは、もちろん後付けの理屈である。そんなことで自国の国民を戦争に駆りたてたりはできないし、アメリカ国民もそんなことで戦争に行ったりはしない。アメリカが日本の中国での動きに神経をとがらせていたその最大の理由は「経済」なのである。

     じつはアメリカも中国の権益を欲していた。とくに満州というのは喉から手が出るほど欲していた地域なのである。しかも第二次世界大戦よりはるか以前の日露戦争当時から欲していた。満州は当時の世界情勢を左右する地域だった。満州は欧米列強たちがこぞって食指を動かしていた地域だったのである。

     19世紀後半の満州は世界地図のなかで欧米列強に植民地化されていない数少ない地域だった。アフリカ、アメリカ、アジアと侵略を続けてきた欧米諸国にとって中国は最後に残った獲物であり、満州はその最果ての地である。あまりに遠すぎるので、まだ満州まではどこの国も手をつけていなかったのだ。中国に進出していたイギリスやフランスも満州まではまだ行っていなかった。

     満州の広大な大地は欧米列強にとって魅力のあるものだった。そのため列強たちは、この地をどういう分け前にするのか牽制し合うようになっていた。そして19世紀末になって、ついにロシアがこの地に侵攻を始めた。

     満州と陸続きのロシアは他の列強よりも有利な立場にあった。また極寒の国ロシアにとって満州は温暖な気候である。さらに満州に進出できれば太平洋へ出ることができる。満州はロシアにとって魅力あふれた地域だった。それでもロシアは19世紀末まではそれほど露骨に満州に進出してはこなかった。清への遠慮があったからだ。

     しかし日清戦争で清か敗れるのを見ると、ロシアは露骨に満州に侵攻してきた。日本が清から租借されたはずの遼東半島を強引に横取りし、満州全土に租借権や鉄道の敷設権や権益を持つにいたった。ロシアが満州を南下し、朝鮮半島にまで来たところで日本と衝突し、日露戦争が起こった。

     ところがロシアは日本に敗れたため、満州地域での影響力を大きく損なった。そこで欧米列強は満州への野心を抱くようになったのである。その野心がもっとも強かったのがアメリカである。

     植民地獲得競争に出遅れたアメリカは、他の列強に比べると保持している植民地は少なかった。世界一の工業国となっていたアメリカは、その工業製品を引き受けるマーケットを求めていたし、満州の穀物や鉱物資源にも目をつけていた。

     日露戦争では、アメリカは日本とロシアの間に立ち、講和を取り持ってくれた。しかし、それもロシアが持っていた満州地域の市場を開放させるためでもあったのだ。実際、セオドア・ルーズベルトは最初に日本とロシアの講和を持ちかけたとき、日本に対して「ロシアが利権を持っていた満州地域を中立地域にする」という提案を行っているのだ。この案は日本に拒否されたため実現しなかったが、この当時からアメリカが満州地域に並々ならぬ野心を持っていたのは紛れもない事実である。

    南満州鉄道の並行線を建設しようとしていたアメリカ

     日本は日露戦争で獲得した南満州地域での権益を、決してアメリカに譲ろうとしなかったので、アメリカのもくろみは外れてしまった。日露戦争の勝利で日本が獲得した南満州鉄道にしても、当初はアメリカ人の実業家エドワード・ヘンリー・ハリマンと日本が合同で経営することになっていた。当時の日本の首相、桂太郎とハリマンとの間で合意までなされていたが、外務大臣の小村寿太郎が猛反対し、日本単独での経営となった。ハリマンはアメリカのパシフィック鉄道などで財を成した鉄道王である。もちろんアメリカとしては気分がいいわけがない。もし、ハリマンが南満州鉄道を経営していれば日米戦争はなかったのではないか、と述べる歴史家もいる。

     目露戦争で勝利した日本は、当然のごとく満州にあったロシアの権益をわが物にするつもりだった。アメリカは当然おもしろくなかった。というよりも日本が南満州地域を握ることでアメリカに実害も生じていた。日本は南満州の市場で大きな影響力を持つようになったのだ。

     たとえば当時、アメリカの綿製品は満州の市場に進出していたのだが、日露戦争以降は日本製品に駆逐されてしまった。これに怒ったアメリカは目本に対し市場の閉鎖性を訴えたが、当時、日本製の綿製品は価格などの強い競争力を持っており、アメリカの訴えは妥当なものではなかった。

     アメリカはどうにかして日本の利権を横取りしようと画策した。そして、なんとアメリカは清国に働きかけ、日本が獲得していた南満州鉄道(ハルビン~旅順)に並行に走る鉄道を建設しようとしたのだ。この鉄道も日本の抗議で建設はできなかった。するとアメリカは次に「四国借款団」というものをつくった。「四国借款団」は満州地域の鉄道をすべて中立化し、中国に鉄道建設などで借款をする場合はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツが一体となって行うというものである。

     欧米諸国はアジア、アフリカなどに対し、多額の借款(融資)を行い、その対価としてさまざまな権益を獲得し、経済的な面から支配していくのが常套手段だった。そのため、どこかの国が抜け駆けをしないように中国への借款は4か国が一体となって行うようにしようとしたのだ。

     この「四国借款団」には日本も加わるように要請されていた。日本が中国の権益を拡大しようとしていたので、それを抑えるためである。

     もちろん日本としては南満州鉄道の権益を手放すことになるため、それは了承できなかった。そして日本はアメリカの動きを警戒し、ロシアとの協力を深めた。明治43(1910)年には第二次日露協商が締結され、満州におけるお互いの権益を確認し合い、協力関係を築いた。口シアも満州北部に権益を持っていたので、日本とロシアが協力してアメリカの圧力を防ぐのが狙いであった。

     アメリカの企ては明治45(1912)年に辛亥革命で清国政府が倒れたことで頓挫した。「四国借款団」もいったん、うやむやになってしまった。

  3. autumn ripple より:

    twitter界隈では、「共産党と強い繋がりのある」社団法人が公金関連の不正疑惑で大炎上していますね。同事業を委託されている他組織にも延焼、別件で支援者も延焼中。
    背後には共産党がガッツリ、立憲がそこそこ関わっているのが見え始め、東京都は公金の取り扱いが極めて杜撰、また組織側を庇うためにか公開義務のある書類すらのり弁と、役所、共産党、フロント企業の癒着と税金吸い取りが暴露されつつあります。
    この左派税金寄生スキームは地方でも行われていそうなつながりも発見されつつあります。
    今の所大都市の話ですが、普通の市町村でも疑わしい業務委託はありませんか?
    普通の人でも公開請求は出来ますが、東京都はろくに開示しないようで、議員の力が必要になりそうです。
    全てを議員にお任せではなく、正当な手続きを役所に不当に拒否された場合に力になってくれそうな議員一覧とかあると良いのですが。。(本来は議員全てが有権者の力になってくれるべきですが)

    • autumn ripple より:

      本日のエントリー内容と違う内容で申し訳ないのですが、ここ最近のリアルとネットの乖離関連エントリー、現在のtwitterでの炎上事件、合わせて考えると、余りに議員や他人任せ過ぎた気がします。テレビをただ見ているが如く、インターネットをただ見ていただけだと。
      少しの法学、少しの会計知識、普通の四則演算などで、自力で夜出来ることがあるとわかりました。
      調べるのはこれからですが、情報公開請求の適用対象、方法など調べ、頼らす動く道を探してみたいです。

  4. kidokazu2 より:

    #行橋「ゆくはし」市市議会議員小坪慎也市議 #拡散希望 #憲法改正反対!現行憲法凍結!大日本帝国憲法再生! #7/8奈良テロ事件 #政治家 #開戦の詔勅 #歴史 #植民地 #真珠湾攻撃 #パールハーバー

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