メディアとスポンサーとチョコレート。バレンタインについて、甘党の政治家が語ってみる。

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バレンタインである。私の本番は、15日、16日だ。スーパー等で、ちょっと良さげなチョコレートが半額セールになる。資本主義に毒された甘党としては、狙うのは14日ではない。
ほぼ国民的な行事となっているが、これは「人造文化」である。市民権を得て行くにあたって、メディアとスポンサーが如何にブームを作っていったか、非常にわかりやすい好例でもある。

楽しんでいる方もいる、ゆえに批判したり水を指す意図はない。
一人の甘党として、むしろ甘党に所属する政治家として私自身も楽しんできた一人だ。

政治に興味をもつ方は、どのような流れでバレンタインがチョコレートの日になってきたのか。
この流れは是非、知っておいて頂きたい。

 

 

 

(応援候補)
田中じゅん行橋市長選(福岡県)
告示 2月20日 投開票 2月27日

 

 

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(OGP画像)

 

 

 

 

商業と、「人造」文化
「人造」というか、スポンサーの働きかけなり、スポンサーの意向を受けたメディアの動きである。
物を売るためなら、なんでもあり!
と批判的に論じるのみではない。

これがビジネスであるし、これがマーケティングなのである。
ただし、購買力には限界があり、一強が生ずれば、他弱は衰退する。
例えば、行政主導の大きな祭りが産まれた影には、土着の伝統行事の衰退があるように。

全てを「否」とすることは、資本主義の否定でもある。
ゆえに、全否定はしない。
新自由主義に対しては批判的であるが、物を売るためのマーケティングが、文化のような形をとったことまで否定することは、私にはできない。
ただ、そこに影があることは主張したい。

その影とは、商業的理由により発生した「人造」文化の発する強い光により
何かが失われていく、ということだ。

クリスマスは天長節のブラックバス。
雛祭り・端午の節句は、バレンタインとホワイトデーに敗れた。
この例えの意味、比較した意味も伝わるのではないか。

 

 

 

堅苦しい、だろうか。
短めに、さらりと書いてみる。
日本古来の伝承、祭りがある。

例えば天長節。
外来のクリスマスと比較すれば、圧倒されている実態にあり、まるでブラックバスに駆逐されるかのようだ。
雛祭り・端午の節句は、バレンタインとホワイトデーにやられた。
勝負するものではないのだろうが、負けていると思う。

日の丸よりも、クリスマスツリーのほうが多いという現実。
ようこそ、謎の国へ。
保守として、忸怩たる思いでそれを見つめる。

この原因が何かを考えてみると、メディアとスポンサーという解を得た。
バレンタインは、そもそもチョコは関係ない日のようだが、「チョコを売りたい」スポンサーの意向に従い、そういうアプローチを擦りこんでいく。

当事者たち、参加者たちが「自らそうありたい」と願うようになり、それが自然である状態になるまで。

 

まとまっているサイトがあったため、引用する。

日本におけるバレンタインデーの歴史

1930年代 バレンタインデー誕生期
・1932年:モロゾフが日本でチョコレートを販売し始めました。
・1936年:モロゾフが日本で初めてバレンタインデーにチョコレートを贈ろう、という新聞広告を英字新聞「ザ・ジャパン・アドバタイザー」掲載しました。

1950年代 バレンタインデー初期
・1958年:メリーチョコレートが伊勢丹新宿本店でバレンタインセールをしました。ただ、3日間開催されセール中に売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけとのこと。

1960年代 バレンタインデー黎明期
・1960年:森永製菓が新聞広告によるバレンタイン企画を展開し、徐々にバレンタインデーの認知を広めていきます。
・1965年:伊勢丹がバレンタインフェアーを行いました。
・1968年:ソニープラザがバレンタインフェアーを行いました。

1970年代 バレンタインデー成熟期
・1977年:石村萬盛堂がバレンタインデーのお返しにマシュマロを贈ろという企画「マシュマロデー」を初めました。これがきっかけで、ホワイトデーが誕生します。(ここかぁーー)

1970年台は、女子中高生の間で好きな人にチョコレートをあげる、という文化が広まった時期です。

1980年代 バレンタインデー派生期
・1980年:明治製菓・不二家・篠崎製菓・宮川製菓・サクマ製菓・佐久間製菓・マルエ製菓・金太郎飴本店・カンロ・ホームラン製菓・みやこ飴本舗・二葉製菓・メリーチョコレートが加盟する全飴協・関東地区部会が、「ホワイトデー企画委員会」をたちあげて、「ホワイトデーキャンペーン(バレンタインデーのお返しにはマシュマロやキャンディー)」というものを提唱していきます。(ここもだぁーー)
・1984年:第5回ホワイトデーキャンペーンでは、お返し用のキャンディーが品不足になりました。ちなみに売上は55億円だったそうです。

このあたりから、「好きな人にチョコレートをあげる」から「感謝を伝えたい人にチョコレートをあげる」という義理チョコも生まれてきました。(ここでもかぁーー)

もう、お菓子メーカーやりたい放題です。

以下、略
バレンタインチョコ売上500億!でも経済効果はホワイトデーが上

 

 

 

陰謀論は排除して考察する。
確かに、天長節の衰退にはGHQの影があると思います。
また歌などを習っていないことには、日教組の影を指摘することは間違いではないと思います。

ただし、クリスマスがここまで流行した背景は、それだけでは説明がつきません。
ここは敢えて、GHQ・日教組は排除して考察させてください。
主たる要因とは思えないものに思考を囚われたままでは、本質的な部分を見落としてしまうからです。
日本古来の、本当に伝統に根差した日を復活させていくためには、現実を正しく認識する必要がある。

「クリスマス」という外来イベントがこれほどに流行している。
対して、保守のイベント(祝日や国旗掲揚)は廃れていく。

「この野郎!」と、悔しがるのは自由だが(私も悔しがっているうちの一人だが)クリスマスが市民権を得てきた過程を学ぶことで、私たち保守も学ぶことはできないだろうか。

 

本当の要因
それは新自由主義的な考え方や、利己的な思いの横行、と述べることができると思います。
具体的には、バレンタインがお菓子メーカーの仕掛けであったように、クリスマスも「実態とは異なる」流行となっている点を指摘したい。

 

 

 

置き換えて考える。
クリスマスを例えとして、置き換えて考えてみよう。
クリスマスで大騒ぎする日本人だが、これが逆であったらどうか。
異常性がよくわかると思う。

クリスチャンが天長節を祝った場合、キリスト教徒が、天長節を祝った場合、それは何か不思議な気がする。
悪いことではないしありがたい話なのだが、置き換えてみると大層ヘンテコなことになっている。

イメージして欲しい。
お洒落なニューヨーカーたちが、デパートで【奉祝】と書いた板を買い漁る。
CNNにて「とぅでぃ、TENCHOUSETU!!!OH!」とか言っている感じである。

白人カップルを想定してみよう。
恋人たちが、天長節デートを行い、ディナーの予約をする。
菊の花と菊花紋章を前に、「KI-MI-GA-YAHHHH!」とか歌って愛を語らうのだ。

海外のおまいらの場合、ネットユーザーたちの動向を考えてみる。
素晴らしいデザインスキルを無駄に投下し「天長節、中止のお知らせ」が毎年作成される。
そしてリア充、爆発しろ!と叫ぶのだ。

家族の場合を考えてみたい。
良い子にしてたら、陛下が玩具を持ってきてくれるのよ?と。
親が子供に諭すのである。
陛下に行ってもらうと、ちょっと構図が崩れるか。。。

じゃ、こうだ。
「いい子にしてたら、ヤタガラスが玩具を持ってきてくれるのよ。」

子供は不安そうな顔で言うのだ。
「ちゃんとヤタガラス、迷子にならずに来てくれるかなぁ」と。

もうちょっと年をとって生意気盛りになった頃。
「本当は八咫烏って、親が買ってきてるんだよ!」と叫ぶ、空気を読めない子が出てくるのだ。

そして
「いるもん!八咫烏はいるもん!」
「私、見たもん!ちゃんと足が三本あったもん!」
って泣き出す子が出てくるのだ。

不毛なる、八咫烏、実在論争を繰り返す子供を横目に。
オモチャメーカーは・・・。
「ここで一年の売上を絶対に立てるのだ!!」
「我が社の荒廃、この一戦にあり!!!」である。

スポンサーについているアニメにおいては、
ここぞとばかりに新キャラ、新メカが登場。
工場も生産拡大で、掻き入れ時である。
経済波及効果もバカにならない。

九州ウォーカー(本州の方はわかるのかな)などの場合。
いわゆる外戸本みたいな、地域版の雑誌である。
「天長節にお勧めの夜景デート特集」とか組むのである。

デパートでは、
「今年の天長節は、肉じゃがでお祝い!」
「日本本国、直輸入!高野豆腐!」とかポップが躍る。

コンビニでバイトしている人なんかは
「あー、今年の天長節、ケーキのノルマがきっついわー」とか言ってるのである。

疲れたサラリーマンたちは
「あぁ、今年の天長節も仕事だったな」とか、
駅のホームで舞う雪を見て「ホワイト天長節か」などと、しみじみとつぶやくのだ。
そしてそれが、なんとも言えぬ風情をもって、しみじみと疲れた大人の共感を呼ぶ。

これが外国人が、天長節を(日本のクリスマスと同様の)祝った場合のイメージ図である。
クリスマスを祝う日本人を、(敬虔なるクリスチャンをはじめ)海外はこのように見ているのではないだろうか。

 

 

 

保守の考えるべきこと
別にスポンサーを潤わせる必要はないが、強い光に敗れて行く現状を憂うだけでは頼りない。
私は、天長節の記憶が、ほとんどない。
だから、どう祝っていいか、感じていいかわからない。

20年後、30年後、雛祭り・端午の節句を知らぬ子供も出てくるのだろう。
それを知る「私たち」しか、伝えることはできぬし、感じることはできぬし、守ることはできない。

憂うだけでは、これからの日本人に笑われる。
憂うだけでは、頼りない。
いまを生きる日本人しか、できにこともあるはずだ。

なぜ、保守の伝統行事が廃れていくのか。
はっきり言う、楽しくないからだ。
「人造」文化は、メディアの大きなクローズアップもある、ドラマで素敵なエピソードにされている場合もある。
そうやって浸透していく。

だが、結果として「楽しそう」なのだ。
やりたいと思ってしまうのだ、参加者は。

一旦、「スポンサーの意向」や「保守側の意向」は捨てて頂きたい。
参加する者は、どちらが楽しいか。
必要性からのみ催事を論じることは難しく、
そこに楽しい記憶とエピソードがあって初めて、祭りとして成立する。
あの日の縁日がそうであったように。

私は理系で、ややドライすぎる考え方をする。
ただし、縁日の屋台で食べた、白くて甘いものは、
砂糖を熱して液化させたのち、回転運動をもって遠心力により射出され、
細い糸状になった糖分を、割り箸等の棒状のもので巻き取ったものではない。
それぐらいはわかる。
綿菓子は、綿菓子で、あの日、あの場所で食べたからおいしいのだ。
そこには思い出が、共に在るからだ。

バレンタインを楽しむ若者は、楽しげである。
そこには甘酸っぱい思い出もあったりするのだ。
これを単に批判することは容易だが、それだけでは頼りないと思う。

そこに記憶があり、エピソードがあり、人々の中に浸透していく。
もし、保守が復活を望む伝統行事が、あの光景であったならば、と。
怒号と政治主張の中、大量の日の丸がたなびく光景ではなく
人々の笑顔と共に、それがあったのならば、と。

バレンタインに思う。
私たちに足りぬものは何か。
笑顔と、エピソード、記憶である。

 

バレンタインが「チョコの日」として市民権を得て行くまで。
スポンサーの意図、メディアの動き、その流れを是非、知って頂きたい。
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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. carrot より:

    これからはチョコレートを買うことで中国が潤うことになるんじゃないかなとチョコレート好きとしては少し鬱々としてるところでした(ので、初コメントでお邪魔します)。
    近年中国やインド等新興国が豊かになってチョコレートを買う人たちが増えたせいで数年前、世界的なカカオ不足になり価格も高騰しました。
    で、そのカカオ不足に目をつけたのが中国。
    国をあげてカカオ栽培を始めて昨年初出荷したようです。最初の輸出先がベルギー。あの高級チョコレートで有名な・・。
    (アフリカ等のカカオ農家の貧しさはそのままだったので日本などは呑気に官民あげて「アフリカ等のカカオ農家を助けようプロジェクト」とかを始めたんですけど、
    中国はああいう国ですから「栽培して儲けてやる!」となるんですね。。)
    ベルギーはカカオにまつわる惨たらしい黒歴史がある国ですが今回もまた間接的に黒歴史の上塗りをしてしまってることになりますね。
    そして「道徳ロンダリング」でそんなことを考えもしない人たちがバレンタインデーの今日、ベルギーの某高級チョコレートを好きな人に渡したりなんかするんだろうなと思うと少し複雑。
     日本の伝統行事や暦的な何かは核家族化等が原因で知らない世代が増えてるだけかと思うので、
    周知させれば相応の愉しみ方も分かるようになるんじゃないかなと思います。
    単なるイベントではないからストーリーがあるので背景を知ることも愉しさに繋がるように思います。

  2. ロード より:

    甘党、万歳!
    スーパーで良くお菓子を買いますが、ロッテがいいところを独占していることが多くて
    苦々しく思ってます。

    ■お菓子メーカーランキング
    1位 カルビー: 15.7
    2位 ロッテ:  13.5
    3位 森永製菓: 11.8
    4位 グリコ:  10.7
    5位 明治HD:  7.0
    6位 ブルボン: 7.0

    森永は叔父が勤めていた会社で、テロにやられたグリコ森永事件の時は大変だったそうです。
    当時親が、お菓子の詰め合わせを大量に応援買いし、大喜びした記憶があります。
    森永、ブルボン、明治、グリコ、頑張れ!

  3. layer103 より:

    ホントに甘党続いてますねー

  4. 櫻盛居士 より:

    **********************************************************************
    共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
    ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。

     ・『テロを利用する共産党』
     ・『テロリストの味方である共産党』
     ・『テロに屈する共産党』

    **********************************************************************
     
     

    縁日の屋台で食べた、白くて甘いものは―

    そう言えば、年々屋台も減って来てますね。
    この1、2年は文字通り、中共肺炎の所為です。
    それ以前からこの傾向は高まって居り、これは的屋が暴力団と言うカテゴリーに分類され、反社会的勢力として排除されて来て居るからでもあります。
    その意味から言えば、共産党や怪しげな市民団体とかが、反社会的勢力として排除されて居無いのは不思議ですが。

    一般人から見れば的屋も博徒も同じヤクザなのですが、的屋からすれば博徒は”ホンマモン”と言う意識だったりと、一般人の見方や法的な扱いと実態は少々異なって居たりします。
    まぁ、我々一般人が恐れるヤクザの殆どは博徒の印象からのものです。
    基本的に的屋は行商こそが凌ぎで、薬物の密売等を凌ぎとするのは博徒の方だったりします。

    とは言え、的屋と博徒が無関係かと言えばそう言う訳でも無く、故に的屋を擁護する気にもなりませんが、寺社仏閣があればそこを庭場とする的屋の親分である香具師が居り、寺社仏閣を本拠地にするが故に行事や作法に精通して居たりと、伝統を受け継いで来たのも事実だったりします。
    その香具師も年々減少して居り、事細かな伝承も廃れつつある為、外来・人口文化は益々勢力が増して行くのではないかと考えます。

    因みに香具師は縁日の出店場所や出店品目の調整や、食中毒防止に目を光らせたりと、皆が楽しんで金を落として貰える場所創りに腐心して居ますので、いざ食中毒が発生したとなれば、庭場としてる的屋の幹部が患者の所へお詫び行脚したりと、意外な一面があったりします。
    その香具師が途絶えた寺社仏閣の縁日はどうして居るのかと言うと、寺社仏閣側が屋台を受入れなくなったり、寺社仏閣側が屋台を受入れる場合、面白い事に警察が代行したりしてます。
    出店場所調整の事を手板割などと呼ぶのですが、警察が代行する手板割をヒネ割と呼びます。
    このヒネ割、手板割と違って出店場所調整に特化して居るので、運営面やアフターサポート等は無い為、実際には疑問符が付く事もあるのだとか・・・。

    とは言っても屋台の無い縁日も味気無いのも事実で、的屋を排除した所では地元商店街や町内会が頑張ってみたりするのでしょうが、それは我々が嘗て楽しんだ縁日屋台では無くなって居たりします。

    尤も、任侠の世界自体がアイク歓迎実行委員会が組織された頃と形態が異なりつつもあり、致し方の無い流れではありましょう。

    こう言った面でも、日本的な要素が衰退して居る実態を考察して見るのもアリなのかも知れません。

  5. 大保守(柏城耕介) より:

    僕自身もスイーツ系なのでそれなりには、というものですけどあれですね。

    これも発祥はステマみたいなものだったという話はあるとしてリア充でないぼかぁチー牛にチョコぶち撒くなんてゲテモノみたいなことをやりそうな心境だったものすらあります。(汗

    そんなネタはさておきこれに関しても実家の身内みたいに旧態依然な思考回路を持っている者だと2月に男がチョコなんて買うものじゃない、なんて価値観を令和の時代にごり押しするかのようなものもあるのでそういったところに対して広い物の見方をしろだの寛大さを持てなんてブーメラン投げているのは誰かと問いたくなりそうな次第です。(ぇ

    まぁそういったところです、(ぉぃ

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