本日、福岡では筥崎宮において「憂国忌」が挙行されました。私は、可能な限り例年参加しています。
主催団体は福岡黎明舎、先輩らに可愛がって頂くと共に、私も名を連ねております。福岡の保守にとっては少し意味のある会であり、三島烈士・森田烈士を偲び思いを学ぶのみならず、県内の保守の有志が共に顔を見せ合う場となっています。
私の、毎年の恒例になっております。
本年は、基調講演の講師を務めさせて頂きました。コロナ対策として来場は最小限としており、オンラインでも配信されました。
私は、緑色の“黎明社”と書かれた腕章に憧れました。私が議員になる前のことであり、もはや十年以上も前のことになります。
三島先生の精神の継承という、本来ならば私の年では語り得ぬ重たいテーマを述べさせて頂きましたが、(特攻を含む)自決と自殺は違うことを述べました。打ち首と切腹も違う。
これらの違いは、単に名誉というだけではなありません。
三島烈士の自決には、【捧げる】という観点もある(ちなみにこの考え方は福岡の先輩から学んだものです。)のではないか?と触れました。得たい未来があるならば、達成したい成果があるならば、何かをコストとして支払わなければならない。
その捧げるものとして、一つしかない命があったのではないか。
私にとって、三島先生の存在は、「ちゃんと払うべきコストを払っているか?汗を流しているか?」というプレッシャーでもある。
(等々という講演をしました。詳細は動画をご覧ください。)
今回で第五十一回。
楯の會隊長、三島由紀夫先生は、昭和45年11月25日、東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で国を憂いて割腹されました。
敗戦の大きな十字架のひとつとして、政治的にも中途半端、違憲状態に置かれた「自衛隊」の存在がありました。
”檄”という、凄まじい名文を残している。
毎年、この文章に触れる度、様々なことを考えてしまう。
是非、皆様にもお読み頂きたい。
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(OGP画像)
憂国忌
非常に乱暴な言い方をすれば「三島由紀夫先生の法事」になります。
福岡の憂国忌は非常に大きな規模であり、筥崎宮で挙行されます。
楯の會隊長、三島由紀夫先生は、昭和45年11月25日、東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で国を憂いて割腹されました。
敗戦の大きな十字架のひとつとして、政治的にも中途半端、違憲状態に置かれた「自衛隊」の存在がありました。
これを、軍という適法な状態に戻すための動き、つまり憲法改正の契機として注目されたのは、左翼デモ隊に対しての治安出動、つまり警察力をもって鎮圧不可な状況に陥って自衛隊が出動することでありました。
「檄」のすべてが秀逸な言葉でありますが、その中において「国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。」とあります。
三島先生は、続けて「政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。」と述べられています。
その「憲法改正の機運、チャンス」は失われてしまう。
自衛隊の、いや存在せぬ幻の日本軍、その名誉のため割腹されたのだと思う。
三島由紀夫先生の遺志を学ぶと共に、森田必勝烈士ともどもに魂を鎮めるのが憂国忌である。
いまの世においても、しっかり通用する問題を強く指摘されておられます。
もし読んだことのない方がおられたら、是非、じっくりと読み込んでください。
非常に重要なこと、失われつつある日本が、そして日本への愛が語られています。
われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。
かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑いもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。
しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。
銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。
われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。
われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかった。
沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
三島由紀夫
三島由紀夫先生の最後の演説
三島先生、森田烈士の辞世の句を紹介します。
意味についてはここでは解説いたしません。
まずご自身でお読み頂き、その意味を知ろうとしてみてください。
それが国を思うこと、憂うことを知ることになると思います。
三島由紀夫・辞世の句
益荒男が たばさむ 太刀の 鞘鳴りに
幾とせ耐えて 今日の初霜
散るをいとふ 世にも人にも さきがけて
散るこそ花と 吹く 小夜嵐
森田必勝・辞世の句
今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の
思ひを知るは 野分のみかは
昭和5年の作曲です。
青年日本の歌 映画 『2・26』 より
皆様は、この歌を聴いてどのように感じますか?
古臭い過去の出来事でしょうか。私はそうは思いません。
作詞・作曲:三上 卓
著作権:無信託
一、
汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ
巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁(こんだく)の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く
二、
権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷(しゃしょく)を思う心なし
三、
ああ人栄え国亡ぶ
盲(めしい)たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり
四、
昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
胸裡(きょうり)百万兵足りて
散るや万朶(ばんだ)の桜花
五、
古びし死骸(むくろ)乗り越えて
雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ
国を憂いて立つからは
丈夫の歌なからめや
六、
天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
民永劫(えいごう)の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ
七、
見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫(おたけ)びて
革新の機(とき)到りぬと
吹くや日本の夕嵐
八、
ああうらぶれし天地(あめつち)の
迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に
誰(た)が高楼の眺めぞや
九、
功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらう
十、
やめよ離騒(りそう)の一悲曲
悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ
われらが剣(つるぎ)今こそは
廓清(かくせい)の血に躍るかな
昭和五年
……作詞者の三上卓は海軍少尉で、昭和5年5月24才の時佐世保でこの歌を発表した。以来、昭和7年の5.15事件、昭和11年の2.26事件に連座した青年将校などが歌い継いだ。
紀元前3~4世紀頃、中国は戦国時代にあった。当時揚子江流域一体を領土としていた楚に、屈原という人物がいた。詩人であり政治家でもあった屈原は、王への進言をことごとく側近に邪魔され、遂には失脚させられて追放される。しかし屈原は他の国に仕えることをせず、祖国の滅亡の危機を憂いながら洞庭湖畔汨羅の川に身を投げた。楚はやがて秦に滅ぼされ、以来屈原は「不運の愛国者」の代名詞となった。
この歌はこの故事を冒頭に引いている。ちなみに、端午の節句の「ちまき」は彼に由来する。
講演においては、私も登壇させて頂き、オンラインで配信されました。
本年は、最小構成での催行であったと理解しております。
檄文 朗読
黎明社 本山貴春事務局長
筥崎宮。
この名前を聞いたことがある方も多いと思いますが、1000年以上も続いている非常に有名な神社です。
京都府八幡市の石清水八幡宮、大分県宇佐市の宇佐神宮とともに三大八幡宮の一つ。
元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、神門に「敵国降伏」の扁額が掲げられました。
以来、海上交通・海外防護の神として信仰されています。
いまも「敵国降伏」と大きく明記されています。
他県のことはわかりませんが、福岡県の憂国忌は非常に大きな規模で継続されてきています。
ざっくり言えば、三島烈士・森田烈士の法事みたいなものだと思いますが、規模とか公式性は他県のイメージとは全く違うかと。
いわゆる保守活動とか、また、ネット論壇とも一線を画し(当然、右翼活動とも異なり)
ほぼ公式の神事みたいな扱いだと思っています。
この場は一つの、保守系ロビイストの学び舎であり、そして戦友と会う場です。
基調講演
※ 私が講師を務めたのは20分頃からです。
(※1 滅多にないことですが、やや緊張していました。順番を間違えているのですが、枠外で国旗に一礼をしています。なぜか離席直後にやってしまいました。)
(※2 緊張の理由は、動画を見て頂ければ憂国忌が私にとってどのような存在かも含め、分かると思います。)
議員になる以前より、かつての私が憧れた黎明社の腕章。
請願を主軸とした、保守系ロビイスト集団の長として戦った過去。
ネットでは異色とされた、行政手段を連打する手法は、
左派の手段を研究し尽くした結果であるとともに、
古くからの「リアル保守」が得意とした手法です。
その原風景は、保守王国福岡県において、
最も激しく(私の知る限りでは)歴史の長い、福岡黎明社の先輩方の教育によるものです。
もっと言えば、数年前に、亡くなった辻幸男先生の後姿。
名前を出して良いかはわかりませんが、藤井守人さんの生き様にある。
同期の本山くん、大島くん、また後進も育ってきました。
それぞれが保守団体の幹部として活躍しております。
藤井さんは、いまは救う会福岡の代表に。
そして、黎明社の代表代行。
私自身も、救う会福岡の副代表に就任。
時代の変化を感じます。
私の、議員としての手法は、実は”非常に古臭い”と言われることもある。
若さに力点を置いた”速さ”ではなく、緻密さや段取りなどについては「まるで古参」という評価。
昨今では絶えた、いわゆる議会での「筋」の話、通し方などが、まるで「年配の議員と接しているよう」というもの。
理由はシンプルだ。
私を政治家として形作った者たちは、ネットを発祥とした者ではない。
あまたの鞍馬天狗たちが、相当に名のある活動家たちが、
共に戦線を駆け抜ける中、後姿をもって、
結果的には「英才教育を施し続けてきた」ようなもの、だからだ。
私の喧嘩は、決して新しくはない。
だが、それが弱いとは思わない。
ほぼ絶えてしまった、古き時代の保守の”覚悟”を伴う斬り結び方。
今でも、通用するものだと証明してみせたい。
私たちは、基本的に「乗り込む」し、リスクを背負って前線に立つ。
こちらもリスクは背負うが、目の前に立った者には「同じリスク」を背負って頂く。
自爆覚悟で、常に、前に。
居合いの速さで正面突破、
撃った者は、決して無事では済ませない。
これが先人たちの後姿より学んだこと。
GHQが悪い、戦後教育が悪い。
それはそうなのだろう、私も同意する。
けれども少し厳しいことも言わせて頂く。
などと言って、何もせぬ日本人が悪いと思います。
憲法が悪い?
家族を拉致された、被害者である家族会が憲法改正までせねばならないのか?
教育が悪い?
家族を拉致された、被害者である家族会が教育改革までせねばならないのか?
貴方は、あれが悪い、これが悪いと言うだけなのか。
悪いものを指摘するだけでは、それでは不信をもたれる政治と同じなのだと、
それがどうしてわからないのか。
政治は民意の集合体であるならば、
どうしても自分も悪いと思えないのか。
どことなく他人行儀の、そんな日本人が一番悪いと思う。
この言葉は、私自身に、自らに返ってくるとわかって書いている。
そう、力もなく、何の動きもできぬ私が悪い。
皆様は、市議になって以降の私しか知らないと思います。
政治活動・戦い方の原型は、活動家として鍛えて頂いた結果です。
ネットや在特会や発祥する以前より、数十年スパンで動いてきた保守団体。
雨の日も風の日も、拉致被害者と共に立ち続けてきた先輩方に育てて頂きました。
(福岡県を相手取り、朝鮮学校の支出金に対して最高裁まで戦い抜いた方々と言ったほうが伝わるかも知れません。)
今日は、今日だけは、元活動家としてBlogを書かせて頂きたかった。
拉致被害者の全員奪還を。
この国が、国家としての責務を果たし、
我が国が国家である矜持を持つために。
何よりも離れ離れにされた家族が、ひとつに戻れるように。
三島由紀夫烈士の言葉を、今日、振り返りたい。
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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)
岸田政権は緊縮財政に舵を切りました。
次は「増税」ですね。
財務省に忖度し緊縮財政。
中国に忖度し人権軽視。
財界に忖度し事実上の移民解禁。
小坪さんは総裁選で岸田さんを担ぎました。
これが望んでいた結果ですか?
全く同感!最初から真正保守とは無縁で、どっちつかずのずる賢こくて時の有利な方につきたがるコウモリのような岸田と言う男のどこが気に入り、なにゆえに担ぎたがるのか?少なからず違和感を禁じ得なかったが、総裁選、衆院選後の今、やはり杞憂ではなかったのが残念でならない。親中派ばかりの内閣閣僚人事や移民、夫婦別姓容認等のグローバル、リベラル政策が如実にそれを示している。かかる完全無欠の左翼岸田を想像すら及ばず何故に忖度し担ぎ上げたのか?公人として天下国家より個人的好悪が優先するとでも言いたいのか?この説明責任を果たせ!話はそれからだ!
三島由紀夫は日本人であるならばかく有るべきと、もう死語となってしまったかのような国粋主義者で文化・伝統に基づく独自性を愛して強調し発揚した、もう二度と現れないランクの文学者でした。ネットで全ての情報を得られる世の中になってしまって、文学を通してだけ得られる感性から私もそうなのですが現代人が遠ざかりつつあります。三島由紀夫の流麗な文章を読むと、日本語とは斯様に表現力がある美しい言葉なのかと教えられます。是非、三島文学も、お読みになって下さい。
何年か前ですが、もう絶版となっていた著作が何冊か文庫本で復刻されたので読んだら、三島由紀夫は文学だけではなく、エンターテインメント小説も書けた人なのかと驚きました。「命売ります」と言うサスペンス小説が、やはり頭の良さで書かれたプロットの面白い小説でした。
三島由紀夫は老いさらばえて生きるということを拒否していた人なのだと思います。死ぬ時を心得たりと、如何に死ぬのかまで決めていたのだと思います。世の中が愚民化、愚劣化して行く事ばかりが目に付きます。上質な文学に浸るのもいいかも知れません。
憲法が悪い、教育が悪い、GHQが悪い。いつまで言っているつもりなんでしょうね。日帝が悪い、秀吉が悪いと言い続けている半島国家と同レベルだと最近思い始めました。
具体的に出来る事って、(政策に不満が有っても)自民党に投票する、売国系企業不買、取り敢えず身内位は政治的覚醒に導く、位しか思い付かない
諸兄皆様、アドバイスお願いします
新コロワクチン騒動でも露呈したが、人間一定数はどんなに事実をぶつけても、思考をアップデート出来ないものがいるよね
未だに反ワクやってる保守ブロガーはお年寄りばかり、当初反ワクしてたトコもある時期からパタリとやめた、ソレってまともなんだよね、どんどん正しい情報入手出来るんだから
(年配者でも柔軟な思考の方は沢山います勿論)
この度の総裁選も個人的には一旦岸田さんで良かったと思う、その代わり日本にダメージ出ないうちに変わって欲しいとも思う(対支那に関しては、市議の心に応えて欲しいし応えるしか無いでしょ)
安倍さん、何か着々とオモテに出ないとこでやってるようだし時間が要るだろうし
北欧に移民したムスリムが「僕らはチカラで国を奪おうなんてこれっぽっちも思っていない、白人は子供を産まない、僕らは最低でも3人普通は5人くらい産む、30年もすれば自然に僕らの国になる」と言っていて、
もっともっと少子化対策と非正規雇用対策に政府も地方もお金と時間を割いて欲しいと思う
小坪さんが総裁選で担いだ岸田さん。
岸田内閣が中共の人権問題を不問に伏すならば、
日本国民の前で中共の虐殺と弾圧を認めることになります。
このタイミングで媚中の林外相は訪中するのか?
日本はアルシュ・サミットの過ちを繰り返すのか?
日本にこんな無駄な時間を費やしてる余裕なんてないのに。
小坪さんが総裁選で担いだ岸田政権にはがっかりです。
ノンケって熱いのよね〜ホント熱苦しい
その熱が首相に届いたのかしら?
岸田氏の目に光はともるのかしらね
最近、小坪市議が良い意味で上手く利用されているように感じてしまうのは、私が変なのでしょうか?
小坪市議の愛国心は本物だと思いますし、私も共鳴する部分は多いので駄文をコメントする図々しさも有ります。
北京冬季五輪への参加是非の表明もタイムリミット間近です。
参加すれば北朝鮮の人権弾圧をも認める事になる様に思います。
ブルーリボンが、中国のジェノサイドも許さないになるのでしょうか。
.
岸田内閣のままならば、参院選で自民党には投票しない。
自民党の自浄能力は無いと確信した。
あまりにも酷いので、一言だけ言わせてもらった。さようなら
件の講演会も高齢化していることはともかく三島氏に対する扱いも5chその他を観ていると小馬鹿にしたかのようなぞんざいな扱いすら受ける始末でありますしましてやある自称哲学者はそれを曲解して保守側を扱き下ろすようなところまであったためこんな調子だからこの国は衰退しているのかといわざるを得ません。
武蔵野市の条例みたいなものによりこの国を中共に与する勢力の手に墜ちてしまうような屈辱は受けたくありませんしそんな情強に陥ったところでへらへらしているようなチャラい存在になりたくはありません。(苦笑)