私は、まずもって「明治維新」を全否定する立場ではないことは明言しておく。
幕府体制は限界を迎えていたことは事実であろうし、世界と渡り合えるだけの国家体制をひくことは必要ではあったという考えに同意するからだ。
ここで旧体制を維持し続けることは、まさに亡国の道であったろう。
その上で、新政府軍とされる、軍とも言えぬ輩を評価する気はない。
上記の、「国家体制としての変革が必要だった」という部分に同意しつつも、これが【軍事的なクーデター】の側面があることを否定できないからだ。しかも、皇室を政治利用し、日本国民を虐殺した事件であるとさえ考えている。
【江戸城の無血開城】と称賛する者もいるが、あれはテロの結果のように感じるのは私だけか?江戸に放火するとか、民間人である町民に被害を与えると「脅迫」しての交渉である。実際に、火付け・略奪・凌辱を組織的に行った。これも史実だ。
今の世に例えれば、東京において無差別テロを予告するようなもの。
ただし、現在のルールを全て適用することが正しいとは思っていないので、だから駄目だとは言わない。ただ、「民間人に被害を与え、首都で騒乱を起こす」という、まさにテロリスト的な行為であり、それに対し政権が屈したという構図は否定できないという点を指摘したい。
だから「無血開城は素晴らしい」と手放しに賞賛する気になれないのだ。
反論として、それでも時代情勢から言えば、これが快挙という意見もあるだろう。
その声にも私は同意するものではある。同意はするが、賞賛はできない。
民間人に被害を与え、テロをもって政権を屈服させる行為は、賞賛に値する行為ではないからだ。流されなかった血があることが評価されることと、これは両立する。
さて、では幕府軍が完璧だったかと言えば、それも事実ではない。
壊走する佐幕派においても略奪行為はあった。武器弾薬も枯渇していたろうし、水・食料だって不足する。そもそも、自分たちが幕府方であるという慢心から、強圧的に振る舞ったこともあるのだろう。
だが、【新政府軍と称される悪質な集団】への批判を、私はしっかりと行っておきたい。新型の武器を多く用意できたがゆえの勝利、その側面はあったと思う。詳しく話せば様々な要因はあろうけれども、武器の絶対数は「維新という軍事クーデーター」に大きな影響を与えた。
また、その武器は、我が国を内戦状態に陥れ、国力を低下させる目的の「他国の支援」を活用したことも事実で、【維新が売国奴】という点は、指摘してよいと考えている。
同じく、佐幕派が崩れて行く中で、我が国の領土割譲を条件に、まさに国を売る行為をなそうとしたことも、触れておきたい。
維新という言葉への批判。
私が主として論じたいのは、「民間人に武器を供与した場合」の、国民への被害である。
とくに軍規が厳しいわけでもなく、突然、武力を手にした者がどのような蛮行を犯すのか。
新政府軍として戦った者の、一般兵に関して特段の調査を行ったわけではないが、中には「居所が定まらず、定職についていない者」も含まれていたことと思う。というよりも、その比率は決して低くはなかったように思う。
私が、新政府「軍」であるとか、維新「軍」という言葉に違和感を覚えるのは、あれは軍と呼べるものではないからだ。これらの者が、生死もわからぬ中、前線に身を置き、女性とも接しえない状態で「武器をもって」、会津に攻め入ったとき、何が起きたのか。
悲劇は、白虎隊だけではない。
「維新」という言葉には、日本人同士が血を流した、内戦の意味が含まれる。
国家体制としての変革が求められたことに同意しつつも、だからと言って「良い言葉」と考えるのは、私は賛同できない。
さらに特筆すべきこととして、その被害が民間人に及んでいる点だ。軍と軍による戦争であれば、(基本的には)被害は軍人に限定されているはずであるが、維新はそうではない。
事実、江戸城の開場においても、民間人に害をなしており、それは組織的になされたことであり、かつ交渉カードとして用いている。軍と、テロを同一に扱うことは、私にはできない。
維新が通ったあと、
そこで起きたのは、虐殺だ。そして物取り、凌辱。
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以下は、ある本へのレビューBlog。
下記のBlogが全て正解かは、私は歴史学者ではないので確信は持てない。
だが、それなりにフラットな書き方だとは思うし、類似の文献や意見は多数ある。
会津藩VS長州藩 なぜ“怨念”が消えないのか
なぜ会津人が長州藩を嫌いかというと、会津戊辰戦争敗戦処理による。戦死者の埋葬を禁じたり会津出身者を職に就かせなかったりした。
ところが、近年の調査ではこの会津戊辰戦争で非道の限りを尽くしたのは、実は薩摩でも長州でもない。長州藩に至っては、そもそも北越戦争に戸惑って会津攻めに間に合っていない。日本人として恥ずかしい行為をしたのは途中から薩長軍に加わった便乗藩。福井、尾張、淀、黒羽、大垣。福井藩は松平春嶽により会津藩主松平容保に京都守護職を押し付けたし、尾張藩主は松平容保の実兄である。そんな各藩は会津を攻め、捕えた男性は惨殺、女性は強姦の上惨殺。中には70歳を過ぎた老婆を集団強姦した上に串刺しにして川に捨てた。主に大垣藩:黒羽藩。
会津女子が籠城戦の前に自刃したのはこのような事態になる前に自ら命を絶ったにすぎない。
武家屋敷に押し入ってはその家の宝物を取店で売っていた。会津降伏後、街中のマーケットでは自分の家の歴代の家宝が二束三文で売られていたのを連行されている会津藩士は見ている。そして強姦され家の周りで打ち捨てられている妻や娘の姿を見ながら連行された。
これを許可し、さらに埋葬を禁じた長州藩に対して恨みを持つのは当然の事ではありますが、平然それに加わっていた大垣藩:黒羽藩に対しては今でも許し難い。
(後略)
また、私はかつて東北でサラリーマンをしていた時代があり、
上記を裏付けるような話は、少なくとも空気としてはあった。
それが史実によるものなのかはさておき、確かに伝承として民間にもあることは事実として述べておきたい。
半年以上も、遺体の埋葬を許さなかったというのは、よく語られるエピソードである。
自身の近所の方が、亡骸となって、その遺体が腐乱していく中で生活するというのが、どれほど残酷なことだろうか。
これについては、実は一部については埋葬を許していたという資料も、2017年に出てきたそうで、一概に言えるわけではない。
幕府軍について、礼賛する投稿ではない。
実際、壊走していく幕府側も、かなり酷いことをやっているわけだ。
だから、どちらが良いというものではない。
私が述べたいのは、維新という言葉に、何が含まれているかという、その部分。
まずもって「国内の内戦」であり、日本人同士が殺し合ってしまったという部分。
そして、被害は、軍人(つまり侍)だけではなく、民間人にも及んだという点。
国家体制の変革と言う意味では、必要だったという意見に同意するものの、
維新の実態は、政治家としては「汚点」と述べるべき部分も、ある。
それが私の答えだ。
無論、どちら陣営においても、必死に国家のことを考えた者はいただろう。
ただ、坂本龍馬などは、後世の脚色が強すぎて、実際に英雄だったかは疑わしいと思っている。史実の部分を紐解いても、国際法を駆使した「保険金詐欺」みたいのでなりあがっているわけで、その部分も含め私は英雄視できない。
さて、両陣営に素晴らしい者がいたことに触れた上で、新選組について述べたい。
私とは立場の異なる国会議員が、新撰組を党名に入れたことが悔しくてならないことを付記しつつ、私なりの新撰組への思いを書く。
彼らは、決して「所謂おりこうさん」ではなかったと思う。
今でいうところのヤンキーとか番長みたいな存在であったのではないか、と思う。腕っぷしは強いが、それだけ、という扱い。そして、腕っぷしの強さは評価されない時代であった(江戸幕府の時代)はずだった。
そんな自分たちが、なんと侍になれた。
嬉しくてたまらなかっただろう。
高学歴というわけでもないが、地方公務員に採用された、的な。
実際にはもっと重たい覚悟があったと思うけれど、彼らの不屈の忠誠心とはここにあるように思う。
というのは、元々は士族ではなかったわけで、歴代に渡って家として江戸幕府に世話になっていた者とは立場が違うからだ。
真剣に国家を憂い、燃える思いがあったけれども、
ここまで戦い抜くだけの、ある意味では、「謎の忠誠心」みたいなものが、新撰組の魅力だと思う。
何世代にもわたって江戸幕府にお世話になったわけではない。たった何年かだけ、である。
そこに誇りがあるのであれば、それは侍として生きることが許されたという、そこにあるのではないか、と。
土方歳三、辞世の句
天保6年5月5日(1835年)
武蔵国多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)の農家土方隼人と恵津の間に生まれる。父は歳三が生まれる3ヶ月前に結核で亡くなっており、母も歳三が6歳のとき同じく結核で亡くなっている。
(中略)
「よしや身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらむ」
また、
「たとえ身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらん」
さらに、
「鉾(ほこ)とりて月見るごとにおもふ哉(かな)あすはかばねの上に照かと」
が土方歳三の辞世の句とされる。
鉾とりて、という句には、思う部分がある。
似た心境で議会に臨んだことが私にもあるからだ。
私は、ある意味では雑兵。
雑兵は言い過ぎかも知れないが、政治的にはいつ抹殺されても仕方ないと思っている。
それだけリスクのある案件を抱えている、ということだ。
戦艦や巡洋艦は、基本的には沈めない運用を心がけるが、駆逐艦などの動きはそうではない。
国会議員や県議ではできない、つまり政治的なリスクを伴う(左派から攻撃対象になるであろう)案件を取り上げることが、ある意味では宿命づけられている。
その上で、私が市議をひかないのは、誰か別の者に、リスクのある政策を託すことが嫌だからだ。自らが安全地帯に退き、穏便な言葉使いにし、安全運転を心がけるだけの偉い人にはなりたくない。
”あすはかばねの上に照かと”という部分は、なんとなく思うことがある。
その上で、下記の句を紹介しておきたい。
本投稿のタイトルに用いたもの。
「差し向かう心は清き水鏡」
解説は色々あるけれども、新撰組の隊士同士で語り合うときの心境、という説のようだ。
それらの解説は私はよくわからないのだけれど、綺麗な言葉だなと思いました。
隠しても仕方ないので正直に書くと、この句を実際に知ったのは動画サイトでの歌です。
そして、この歌があまりに綺麗なため、とても好きになったのです。
Hijikata Toshizō themed song 『心は清き水かがみ』
歌の中にもネタバレが入っておりますが、鬼百合という表現が誰を示しているかも触れて聴くと、ちょっと涙が出そうになる。
孤立した友軍のため、それでも身体を張る、
それが死地であるとわかっていても、身を投じた理由は何か。
自らの、本来の指揮官(先輩)であれば、どう判断したか、
「あの人ならどうしたかな」って思って、だから行ったんだみたいなストーリー。
ちなみに、私の(政治だけではないけれど)、お師匠さんというか先輩は、亡くなっています。
私も時々、思う、
「あの人(先輩)だったら、どう判断するかな」って。
いくつか覚えているエピソードがあって、いっつもフォローしてもらってて
「どうすれば先輩に恩が返せるか?」って話をしたところ、結構、怒られた。
「俺(私から見て先輩)に、おまえが恩を返せるわけはないだろう?」「俺も努力を続けるわけで、俺が失脚したときだけだ」と。
「目上の人間には、恩なんて返さなくていいんだ。上の者であるという誇りにおいて、後輩とか年下には、一方的に尽くすのが先輩の仕事だ。」みたいな。
で、
「どうしても返したくなったならば、次の世代に、おまえも俺と同じように返せ」と。
「同じ人に返すものではなくて、次の者に尽くしていくのが俺らの流儀」みたいな。
そんな人でした。
勝手に、新撰組になぞらえて聴いていました。
維新勢力は、国家のお家騒動に天皇陛下を巻き込み、官軍を名乗りました。
そして佐幕派には「賊軍」と宣伝を行い、それもあってでしょう、この国内内戦で戦死した兵は、靖国神社に祀られていません。
私は、それが、私の恩人を愚弄する行為に思えてならなかったのです。
この部分は、極めて私的なエピソード。
言うほど新撰組に詳しいわけでもありませんが、勝手に先輩に投影していただけ、です。
かつて、磐梯山の近くで働いておりました。
「ならぬことは、ならぬのです」ではありませんが、私は九州人の血だけではなく、東北の思いも含め、”賊軍”とされた悲しみも知る政治家です。
維新が、国家として必要なものであったことは同意いたします。
けれど、それを政党名に冠するセンスは、ひどく疑問なのです。
東北の者はどう思うのか、と。
(個人的には、新撰組ファンは、どう思うのか、という点も。)
私も、五稜郭まで戦い抜く覚悟。
「たとえ身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらん」
「鉾(ほこ)とりて月見るごとにおもふ哉(かな)あすはかばねの上に照かと」
このような句を読む日が来ようとも、私は戦い続けるように思います。
”刺し違えてでも”という気概は、関西では珍しいようだし、”妖しい”とか”怖い”みたいな印象もあるらしい。それは大阪の政治家特有のノリであり、こちらでは、一定の理解は得られるもの。
県外に向けて刀を向けたこと、
そちらのルールなんて知らない、
私には私のルールがある。
「維新」っていう単語を、良いものとして扱ってきた風潮自体が嫌だった。
我慢してたのに、いっつもポカポカやられる。
私が抜いたとして、それは(私にとっては)普通のことだと思っています。
差し向かう心は清き水鏡。
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時世 と 使命
…という事でしょうかね。
見抜く事、気付く事、が出来たので有れば、
ただ御身を流れに委ねるだけで、
到達の道の先へ向かうもの、なのかなと存じます。
結果の先を 何と望むか、捉えるか?
…ですかね。
なんか、ふわっとした投稿で失礼致しました。(笑
おはようございます。
東北での一般人への虐殺、埋葬の禁止。これでは日本神界の承認は得られない。
だから、明治政府には神の光りがなかったのですね。
明治維新から150年、戦後75年。日本人は苦しみながら学んできました。今こそ目覚める時で、世界に対して鏡のごとく振る舞う事を求められています。友好的な者には、共に繁栄を、敵対する者には罰を。世界の安寧を日本は背負っているのです。
山本太郎氏の「れいわ新選組」ですが結党から一月で、1億円強の寄付金を集めていますね。HPhttps://www.reiwa-shinsengumi.com/
寄付金対象者もちゃんと日本人の個人で成人に限っています。
しかも公約も保守系の人も受け入れやすい物も多いのです。
消費税廃止、第一次産業保護、防災庁新設、新規国債発行を財源とした積極的財政出動などなど。
いやー某自民党よりよっぽどまともではないですか?これにつられて民主党の悪夢また再びになるかも?
維新勢力が天皇を巻き込んだという感覚には同意致しかねます。越前藩士「橋本左内」が日本の内外情勢を鑑み中央集権国家を造る事が喫緊の為すべき事として第14代将軍を一橋慶喜とし、慶喜に大政奉還をさせようと画策し二晩と三日でで京都を含めて大凡を折伏しその段取りも出来上がりましたが、ここで出てきたのが溜間詰の重鎮井伊直弼です。天皇さえも介入しなかった徳川家の継嗣問題に地方の一藩士が指揮を執るとはと、守旧派の怒りに満ちた反撃が安政の大獄です。橋本左内に対する評定所の判決は遠島でしたが、井伊直弼が自ら筆を執り死罪と書き改めました。愚か者が権力を握るとろくな事はありませんね。
徳川慶喜は既に大政奉還派だったわけです。橋本左内の死罪さえなければ、大久保も岩倉も新政府を偉そうに動かせる事もなかった、つまり明治天皇、橋本左内、西郷隆盛、岩瀬肥後守等俊才らでもっともっと良い日本国を造ったであろうと思うとき左内の獄死こそ日本国千年の嘆きです。
長くなりそうなのでこれまでと致します。
>かつて、磐梯山の近くで働いておりました。「ならぬことは、ならぬのです」ではありませんが、私は九州人の血だけではなく、東北の思いも含め、”賊軍”とされた悲しみも知る政治家です。
感動しましたよ。「れいわ新撰組」なんぞ、人を馬鹿にしてますね。れいわ、新撰組などという言葉は覚悟なしに使えないのに、軽ーく使う。こんな馬鹿はぜひ落選させたいものです。
小坪さんがんばって下さいね。
小坪氏、私はずっと疑問だったのです。
九州男子の小坪氏が、どうしてこんなに新選組や東北の気持ちに寄り添うことができるのか、と。
それは小坪氏のご気性なのだろうと思っておりましたが
今日、もうひとつ理由を知ることが出来て納得できました。
誠に僭越でありますが少々言わせてくださいませ。
私は江戸城無血開城は素晴らしいと賞賛する立場です。
それは幕府側に向けての賞賛です。
戦えば勝てるかも知れない戦いに、国益の為に負けた、その計算と覚悟を賞賛したいです。
江戸城無血開城とは首都全体を戦火から守ったことです。
その為に新選組は首都から追い出され、血気盛んな武士達は上野に集められ戦死しました。
首都防衛の為の犠牲です。それだけの犠牲を払って江戸城と首都、ひいては日本を守った幕府を賞賛したいです。
新選組についてですが
百姓と言われますが、それは正しいのですが、少々補足したいです。
新選組の出身者と新選組をバックアップした人たちには八王子千人同心がいます。
(バックアップした人たちが新選組の司令塔ではなかったのかとも言われております)
八王子千人同心は旧武田家臣団で、幕府防衛と首都防衛の為に百姓として首都の北に定住した人たちです。
(土方さんが好んだと言われる赤は武田軍の赤だったのかも知れません)
百姓と言われることは物語としても劇的なのですが
実際は少々違うニュアンスもあります。
新選組とバックにいた司令塔達が、どこまで八王子千人同心を意識していたのか不明ですが
新選組の甲州進軍はもしかしたら彼等にとって大きな意味があり
彼等は300年経って本来の役目を果たそうとしたことになります。
私が官軍を好きになれないのは
時代は前後逆なのですが
官軍には、ロシア革命や文化大革命等、共産主義に多い暴力革命と同じ匂いがするからです。
行動様式がとても似ているように感じます。
最近、現代の北海道独立論に、戊辰戦争時の幕軍の北海道共和国のことが利用されていると知り
とても不快です。
そういえば明治政府は神社仏閣と文化財の破壊をしています。
暴力革命賛同者が「新選組」を名乗るとは意味不明です。
新選組は対テロ組織、現代で言えば警察特殊部隊か機動隊ですよ。
保守であり体制側ですよ。
重ね重ねの投稿で失礼いたします。
上記投稿で江戸を首都と表現してありますが
当時の首都は京都ですので間違っております。
良質な記事をありがとうございます
このような視点で考えたことがないので新鮮でした
**********************************************************************
共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
**********************************************************************
明治以前を理解するには、我々が学校教育で学んだ”士・農・工・商・穢多・非人”と言う枠組みで捉えると、少々弊害が出て来てしまいます。
そもそも藩と言う用語も盛んに用いられる様になったのは明治以降で、以前は「○○様御領地」と言った用法の方が一般的で制度も各藩まちまちであり、足軽(卒)に属する同心(歩兵)と与力(騎馬・機動)の階級が逆転している藩も存在しています。
既出の八王子千人同心は徳川家康が江戸入府の際、甲州口防衛に組織された警備隊で、泰平の世が続くにつれその存在意義も変わり、日光への派遣警備隊の任務も担う様になります。
一応は幕府の正規組織の建前を有する組織でしたが、その多くは無給卒族で公務中以外では名字の名乗りや帯刀を許されず幕府からは百姓格として扱われて居た事もあり、実際には幕府との軋轢も無かった訳ではありません。
旗本(士)配下の組織ですが、平同心(卒)は普段は農業を営む半士半農の郷士であり、非常勤職員(現在で言うと消防団的な)と捉えれば分かりやすいかと考えます。
八王子千人同心の間で流行った剣術の一つに天然理心流がありますが、この天然理心流の使い手が後の新選組中核を担って行く訳ですが、だからと言って新選組と八王子千人同心とが直接結び付く訳でも無いので、中々理解するのが難しい所でもあります。
更に刀身が約60cm?70cmの刀は武士しか帯びる事が出来ませんでしたが、その範囲より短くても長くてもそれは脇差として扱われ、庶民が帯びても咎めが無いなど、現在の銃刀法の感覚と比べると色々と価値観が異なります。
ここまでサラっと記しただけでも、我々が学校教育で学んだ”士・農・工・商・穢多・非人”と言う枠組みを逸脱しており、当時の社会的概念や風潮、制度を現代の感覚で評してもマッチングする事が難しいのは事実でありましょう。
そう言った価値観の違いもさるものながら、組織や個々人の信念と利害が絡んで来る訳で、一概に何が正しいかもその境目が非常に曖昧であると言えるでしょう。
兎角、選挙制度の無かった時代の我が国の政権交代は即ち戦であった訳で、諸外国の国の滅亡を賭けた闘いとは異なる事も理解を難しくしています。
只言える事は、当時は形や方法は異れ何れも国を思う誠があった訳で、その点では現在のおパヨク様とは異なります。
つまりは現在我々が対峙しているのは当に外来の傀儡となった国賊であり、この点で幕末から明治初期と現在とを推し測る上では明確な区別が存在するのです。
何はともあれ、当時と比べれば命のヤリトリが大きく軽減されて居る訳で、当時に思いを馳せ死に急ぐ事があってはなりません。
100歳以上が万人を数える時代ですから、今が40歳であってもまだ60年も残されて居る可能性が高く、それは今後も膨らんで来る事は確実です。
若い世代などは、人生設計を110年視野で考えなければならない時代になりつつあります。
ある意味、齢80に至っても「若造」と呼ばれかねない時代に到達しようとしている訳で、この過渡期に於いてはどれだけ生きたかが戦力に直結する御時世でもあるのです。
川崎無差別殺傷事件にて、お亡くなりになられた御二人の御冥福を心からお祈り申し上げます。そして、今治療中の被害者の方々のご回復をお祈り申し上げます。
今朝一斉に流れ来たテロップに、そして飛び込み伝えくる犯罪事件のニュースに心が凍りつきました…ヘリによる上から映し出される事件現場の異様な光景に、報道に胸が押し潰れ涙溢れて仕方なかった事です。何気ない朝小さな手を握り、「いっていらっしゃい」の
数分後に思いもよらない惨劇に巻き込まれ様とは家族は想像しなかったことでありましょう。悲しい子供達を襲う事件が後を絶たない
という現実、またもや日本の未来を担う宝物である子供の命が、そして子供を見守る大人の命が奪われました…何の罪のない人の命をどんな理由があろうとも、奪ってはならないのです。人として生まれたからには、やってはいけないことがあるのです。あまりの理不尽な凶悪事件に、涙落ち動く事が出来ずにおりました。
この世には、人の命を身を呈して助ける者がいる。そして、人の命を簡単に奪うモノがいる…それは人の形をした獣、ひとでなし。
それでも、残された家族の一人一人には、残された人生を、生きたくても生きられなかった者をいだき生きていかねばならない。
哀しいことに、被害者の情報が先に報道されるマスコミの非道さ残酷さに怒りを覚える。
令和という始まりに、続くおもてなしオリンピックの話題、トランプ大統領の来日に希望が見えてきたこの日本に、繰り返される凶悪犯罪や事故や災いに為す術もなく途方に暮れます。テロとは断定は出来ませんが、我国にはFBIもなく、スパイ防止法もありません。全ては起きてからでしか動かない政府の対応にも不審ばかりです。安倍総理お一人だけで政府が動かせるのは不可能な現状…。
訴え続けてきた日本の未来を担う子供達の為の、国民の為の安心安全なる本当の意味での平和を、我々大人は今こそ、美しい日本を取り戻す為に真剣に現実と向かい合い、逃げることなく考え行動して行かなければならないのではないのでしょうか。もう誰一人として様々な犯罪の犠牲になってはならないと存じます。祈
山本太郎は、絶対に支持できません! 本当に腹が立ちます、此処や他で押している人達、こいつが何やってきたか知ってて言ってるわけですか?? 今出している公約とかは、日本第一党・桜井誠さんの、ラジオ放送からの丸パクリでしょうが!ふざけんなです。
山本の事務所?中核派とか居るとか?天皇陛下への態度(誰かの入れ知恵パフォーマンスで田中正造の真似・不敬じゃ済まない!)、震災の時のこいつ!逃げたし、原発発言とか!挙げれば切りがない。 何もたいして考えて無い有権者がまた、こういう上っ面を取りつくろった糞パよくに投票するのかと思うと心底情けないです。
一億どうとか言ってるけど、俳優業とか(一番最初に出た時から、こいつはおかしいと思ってました、大っ嫌いです)ダラダラやって顔を売ってきた成果でしょうかね。 マスコミメディアは、こいつ系は大好きでしょうしね。
個人的に、とても新撰組好き何で本当に汚らわしい・腹が立って仕方が無いです。
新撰組なら、結束信二さん、脚本の一連のシリーズが、本当に本当に大好きです。
もっと、真剣に政治の事を(地方政治含め)考えるべきです、顔を知ってるとか、学歴経歴(事実かどうかも判らん)とかで、安易に投票するのは止めて欲しい。
日頃から、以前から、何をやってきたか?これが大事だと思います。
川崎の事件・もう、絶対に許せないです。 亡くなられた方怪我された方救助に当たられた方などなど大変だったでしょうし悲しくて悔しくてたまりません。
この場で、結束信二氏のお名前を拝見できるとは感激です。
TV等メディアでは悪役でしかなかった新選組を主役で見せて下さった草分けであり功労者です。
山本太郎氏は三谷幸喜氏脚本の大河『新選組』で、原田左之助を好演しておられます。
それゆえ、山本氏は自分にとって「新選組」と言う言葉は使える、と思われたのだと思います。
「新選組」ってつけた理由はこれだけでしょう。
あとは少し、長州(安倍総理)と対決する、と言う意味も含まれるかと思いますが。
原田左之助ファン、新選組ファンが、この安易な発想に踊らされないことを願っています。
新選組ファンが見抜いてくれることを願っています。
新選組ファンなら炎上しても良いところです。
余談ですが
原田左之助は江戸城無血開城時、上野で戦死しています。
小坪先生は当時の日本を誤認されています。
当時は今の米国と同様の連邦国家ですので、お互い外国人でした。
江戸時代における軍事クーデターとは、当主を巡るお家騒動のことでしょう。
幕府を武力で追い落すのは違法でも何でもなく、徳川は自分がやったことをやり返されただけです。
江戸の民間人といっても、250年も参勤交代と改易で外様から略奪し続けた訳でして、そりゃ怨まれてますわ。
よく「琉球は薩摩に搾取されて…」との描写がNHK等で見受けられますが、薩摩や外様は江戸に搾取され続けたのです。
以下に人口1億人を超える国家を列挙しますが、この中で統一国家と呼べるのは日本だけでしょう。
(フィリピンは統一国家ですが、地方自治がgdgdで連邦制に移行したいらしい。)
1億を超える人間が単一の政府と法の下で動けるようになったのは、江戸の無血開城と新政府が徳川の覚悟に敬意を払ったからです。
中国 1,395(百万人)
インド 1,334
米 327.35
インドネシア 264.16
ブラジル 208.33
パキスタン 200.96
ナイジェリア 193.88
バングラデシュ 164.88
ロシア 143.97
日本 126.49
メキシコ 124.74
フィリピン 106.60
>幕府を武力で追い落すのは違法でも何でもなく、徳川は自分がやったことをやり返されただけです。
同感です。
長州なんて徳川の詐欺にやられたようなものだし、関東土着の大名は、有力どころは秋田の佐竹以外、徳川によって潰されましたし、中でも安房里見氏など長州よりヒドい詐欺みたいな潰され方です。
>江戸の民間人といっても、250年も参勤交代と改易で外様から略奪し続けた訳でして、そりゃ怨まれてますわ。
鳥羽伏見で幕府軍が大敗した後、関東各地で大規模一揆が起って、代官所や陣屋に普通に銃撃を加えていましたから、江戸中後期の百姓一揆よりずっと過激化してます。
そういえば、小栗上野介のいた寺か何かも銃撃されています。
江戸の住民には徳川贔屓がそれなりにいたみたいですが、関東ではそうではありませんでした。
お二方とも反論のピントがずれてらっしゃいませんか?
まず小坪氏は徳川の治世を礼賛などされてませんが。批判しているのは新「政府」軍を標榜し統一国家を目指そうとする者たちが幕府軍の「土地」に住んでいるというだけでこれから「自国民」となるであろう民を虐殺したことについてです。
(連邦国家だから外国というところも引っかかりますがそこは置いときます)
やったことをやりかえしただけねぇ。明治維新は新たな時代を切り開こうとしたから称賛されているのにそれで良いんですかね。
現在になり明治維新の悪い面を見ようともせず礼賛し自分たちが日本国を造り上げたと驕る者たちがいる。その名を冠し「驕り」と「粗野性」をもって己の領分も弁えず活動する者たちへの警鐘と私は読み取りましたがね。
>これから「自国民」となるであろう民を虐殺したことについてです。
これは結果論であり、文字通り、勝てば官軍負ければ賊軍です。
>連邦国家だから外国というところも引っかかります
例えば、テキサス州の歴史を学ばれては如何かな?
薩摩藩と幕府の軋轢は宝暦治水事件
行橋市議会議員 小坪しんや様
江戸時代に教育を受けた世代が消えていく日露戦争より後になると、日本は破滅の道を進んでいきます。やはり明治時代以降の教育は間違っていたと思わざる得ません。
http://nakagawayatsuhiro.com/?p=587#more-587より、以下引用
(参考) 日本の、天皇殺害/天皇制廃止“凶暴革命”の発祥地は、長州藩と土佐藩
明治維新が我が国にとり功罪相半ばすることについて、維新(革命)四藩のうち長州藩、土佐藩、薩摩藩が、日本における共産主義イデオロギーや無政府主義イデオロギーの濫觴となった歴史事実において、異論はあるまい。長州藩・山口県は “昭和天皇テロリスト” 難波大助、 “日本共産党創設者” 河上肇、 “日本のポル=ポト” 安倍晋太郎を輩出した。明治長州閥のドンで“反・天皇/反・皇族の元祖”山縣有朋の害毒は、河上肇に劣らない。“ロシアの対日侵略を誘導するその手先”松岡洋右(秩序破壊の無法主義者)も、河上肇の変種と見做してよい。
いかなる革命も、ジョージ・ワシントンが喝破したように、祖国を恒久に持続させる保守主義の基盤を破壊尽すから、政治的大変革をもたらす政治革命が必要な時には、一?も社会変革を決してしてはならない。明治維新の日本国が日露戦争終了の1905年までの四十年間は辛うじて国家として機能したのは、歴史の連続を顕現する明治天皇の御存在と明治天皇を奉戴した江戸時代の武家の子弟(武士のエートス)が存在したことによる。薩長による維新そのものは、日本の国家存続基盤の破壊(ヴァンダリズム)以外、何も残さなかった。1905年の日露戦争後の日本は、明治維新の“負の遺産”がドッと噴出し、それに覆われ、国家亡国を開始する1910年代へと突入した。
土佐藩からは、“日本アナーキスト元祖”中江兆民、アナーキスト行動派第一号の幸徳秋水、共産主義者第一号の植木枝盛が誕生し、日本をして天皇無き暗黒の社会へのハーメルンの笛となった。彼らこそ、長州出身の河上肇とともに、1990年以降、世界随一に共産主義思想が繁茂する“異常国家・21世紀日本”形成の起爆剤となった。
薩摩藩は、“永久革命主義の戦争狂アナーキスト”西郷隆盛を産んでいる。
実は私も読み漁った司馬史観への疑惑から、一気に反対方向に落ちるところでした。これって、戦後GHQがやった『真相はかうだ』と同じ構図だと気付き、気持ちをしっかり持ち直しているところです。シナ朝鮮じゃあるまいし、150年前の事がそうそう隠蔽しきれりもんじゃありません。原田伊織という怪しげな人物の『明治維新という過ち』という本が元になっているようです。分断の定型手法なのでしょう。アイヌや沖縄を虐殺された先住民にしたてているのも、同根ですね。
ちなみに東京在住の私は彰義隊の墓碑に事あるごとに参拝しておりますが、近くに朝鮮人が建てた『博士王仁の記念碑』とやらが冒涜としか思えず、これを許した東京都に対して怒りに震えております。
幕府を倒して代わりに日本の政治を担ったのが薩長土肥の下級武士。
廃仏毀釈(廃寺・予算を出さない)、廃藩置県(城郭を壊した・幕府大名は屋敷を追い出され下級武士であった明治政府要人が住んだ)、江戸時代の物を2足3文で外国に売り渡した(浮世絵の版木・刀などの名品等々)
新撰組は京都の町の警護をしていた。薩長土肥の下級武士は京都の町を全焼させようと計画していた。それを防いだのは新撰組だ。新撰組が居なければ、古い都は無くなっていた。
知恵を出し合って新しい世の中を作り出すというより、幕府の後に居座ったのが明治政府だったと思う。
大事にした方が良いものも知らず聴かず江戸時代の物はダメこれからは富国強兵と心を躍らせた。それでよかったこともあったと思う。全否定はしないが、「今の寺の苦心惨憺の経営状態・壊さずに城が残っていれば観光資源だった・日本の文化財の海外流出」
そしてまた我々は「日韓併合」をした明治政府の尻拭いで苦しんでいる。
今の朝鮮野党は相談にもならないが、温故知新で旧幕府の情報収集力と明治政府の新鮮な感覚が混ざったそう言う政治世界が欲しかったし、これから注意すべき事かなと思う。
江戸幕府の力が弱って来た時、下級武士でも武士は武士だと思うが、市民への惨殺・強姦があったのだろうか?出典はありますか?戦国時代でもなかったことなので会津藩の災難はショックでした。
会津(会津に限定して良いのかわかりませんが)の災難は、出典と言うより証言だと思います。
昭和中期くらいまでは証言できる方もご存命でした。
会津で生き残った人たちの見たこと、親の代から聞いたことの言い伝えだと思われます。
出典も探せばあるかも知れませんが。
小坪氏が書かれていることも、小坪氏が会津で聞いたことだと書かれております。
それでは信用できないと言われれば、それまでですが・・・・
官軍(明治政府)の指揮官クラスは下級武士ですが、実際に戦闘をしたのは武士ばかりではなかったと思われます。
武士教育を受けていない者(農民、ヤクザ等々)に当時の最新兵器を持たせ戦場に出したことが会津の災難につながったと思われます。
あと私が興味を感じるのは、参戦した人たちの感情です。
官軍、賊軍の明確な善悪の分け方も戦い方、残虐性に影響したと思われるからです。
政府の在り方として、上で瓢吉さんが書かれておられますような、橋本佐内が提案していたような大政奉還による新政府、またそれを手本としたような坂本龍馬が描いていた大政奉還後の各藩から議員を出し議会で国家を運営する方式。
これが本当の無血革命で新しい国家になったはずだと思っています。
そんなの革命じゃないや、と言わればそれまでですが・・・
江戸幕府が正しかった、良かった、とは申しません。申せません。言うつもりもありません。
でも江戸幕府の一国平和主義的な、海外に興味の薄い、良い面もありました。
もし、橋本佐内や坂本龍馬が描いていたような形の新政府であったなら
(私は坂元龍馬のこの政策のみは評価しております。これが暗殺された原因だろうとも思っております。あとは小坪氏と同感です)
第二次世界大戦も日韓併合も無かったかも知れないと思っております。
ただ、その場合、日本は原爆を落とされることも無く平和だったと想像しますが
アジアは欧米の植民地のままだったかも知れません。
どちらが良い悪いと比較は出来ませんが、明治政府の良い面はたくさんありますが
明治以後の政府が持っていた海外に対して好戦的な面は明治政府の性格でもあると、個人的に思っております。
沙羅様、知識不足でこれくらいのお返事しか出来なくて申し訳ございません。
どなたか適格なお返事を頂戴できるとありがたいのですが。
会津の災難の理由のひとつに
徳川幕府に対する他藩の300年の恨み、被害者感情、不平等感も大きいと思います。
それを集中的、象徴的に受けたのが会津、東北だと思っています。
都市としての江戸で、それを晴らすことは出来ませんでしたから。
指揮官は両軍共に武士だったと推察されますが
それぞれの軍に外国人軍事アドバイザーがついていたと推察されます。
外国人軍事アドバイザーのバックには、武器商人、ディープステート等がいて・・・・・
その思惑、個性のちがいが影響した部分も考えられるかも知れません。
シャブ中の安倍昭恵の逮捕はまだかしら?
あれだけの大麻好きアピール、シャブ仲間が生コン大量逮捕並にしょっ引かれてるわ
ならぬ事はならんのでしょ?
アジアは虎視眈々と植民地支配を狙う白人勢力の思惑が交差する中で、日本は(フランスが幕府)を(イギリスが薩長)を支援し戊辰戦争を行った。
江戸末期日本の大判小判が米国に流出し、米国北軍はその金で独立戦争を勝ち取った。日本の戊辰戦争で使われた武器・軍服は、米国の独立戦争の時の武器であり軍服だった。使わなくなった米国から、フランスやイギリスの手を経て、日本人がお互いに争う場に売られてきた物だった。
日本の金が巡り巡って日本人同士の争う場に金まで払って使用された。自分はそれを知った時日本人は日本人同士コロシ合う前に、外国勢力に対しては日本人の中で知恵を絞る必要があったんだと思った。
明治政府がその後の判断を間違えて行ったのは歴史を見ての通り。
BLACK様の「それを集中的、象徴的に受けたのが会津、東北だと思っています」の所で謎が解けました。日韓併合後、朝鮮へのインフラ整備の金は「東北整備のための税金だった」と聞いたことがあります。明治政府の東北に対する態度がそこに現れているという事ですね。今から考えると全くの無駄でしたが。その無駄をさせたのが明治政府の「怨念・しこり・感情のわだかまり」とは何とも情けないと思います。
そうですよね。歴史って大事ですね。こちらのブログとコメントでは本当に学ばせていただくことが多くて、ありがたいです。感謝します。
最前線に立ち続けるというご覚悟は大変素晴らしいと思います。ただ、ご自身も意識されていると思いますが、次世代の人間を育て、後ろ盾になるという役割もまた避けえないことだと思います。
そういえば新撰組を名乗る不届きかつ不埒な山本某みたいな
輩もいるものの新撰組の実態はそうだったとすれば奴のことは
逆に国体を破壊せんとするだけに疑念しかありません。
山本氏は、安倍憎し(岸家は長州志士の家系)の為か
自身が演じた組織への理解が出来ていない為か
国民へのミスリードを狙っている為か
全く逆のポジションを名乗っておられると思います。
日本赤軍が「機動隊」と名乗るみたいな。
新選組ファンとしても、安倍総理支持者としても、とても不快です。
[…] 差し向かう心は清き水鏡。新選組の生き様と、維新の蛮行 2019年5月27日https://samurai20.jp/2019/05/ishin-14/ […]