本日、福岡では筥崎宮において「憂国忌」が挙行されました。私は例年参加しておりましたが、本年は調整がつかず参列できず申し訳ありません。主催団体は福岡黎明舎、先輩らに可愛がって頂くと共に、私も名を連ねております。
私の、毎年の恒例になっております。
宮中祭祀のひとつで収穫祭にあたります。
陛下が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に進め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する日です。
今回で第四十八回。
楯の會隊長、三島由紀夫先生は、昭和45年11月25日、東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で国を憂いて割腹されました。
敗戦の大きな十字架のひとつとして、政治的にも中途半端、違憲状態に置かれた「自衛隊」の存在がありました。
”檄”という、凄まじい名文を残している。
毎年、この文章に触れる度、様々なことを考えてしまう。
是非、皆様にもお読み頂きたい。
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(OGP画像)
憂国忌
非常に乱暴な言い方をすれば「三島由紀夫先生の法事」になります。
福岡の憂国忌は非常に大きな規模であり、筥崎宮で挙行されます。
楯の會隊長、三島由紀夫先生は、昭和45年11月25日、東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で国を憂いて割腹されました。
敗戦の大きな十字架のひとつとして、政治的にも中途半端、違憲状態に置かれた「自衛隊」の存在がありました。
これを、軍という適法な状態に戻すための動き、つまり憲法改正の契機として注目されたのは、左翼デモ隊に対しての治安出動、つまり警察力をもって鎮圧不可な状況に陥って自衛隊が出動することでありました。
「檄」のすべてが秀逸な言葉でありますが、その中において「国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。」とあります。
三島先生は、続けて「政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。」と述べられています。
その「憲法改正の機運、チャンス」は失われてしまう。
自衛隊の、いや存在せぬ幻の日本軍、その名誉のため割腹されたのだと思う。
三島由紀夫先生の遺志を学ぶと共に、森田必勝烈士ともどもに魂を鎮めるのが憂国忌である。
いまの世においても、しっかり通用する問題を強く指摘されておられます。
もし読んだことのない方がおられたら、是非、じっくりと読み込んでください。
非常に重要なこと、失われつつある日本が、そして日本への愛が語られています。
われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。
かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑いもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。
しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。
銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。
われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。
われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかった。
沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
三島由紀夫
三島由紀夫先生の最後の演説
三島先生、森田烈士の辞世の句を紹介します。
意味についてはここでは解説いたしません。
まずご自身でお読み頂き、その意味を知ろうとしてみてください。
それが国を思うこと、憂うことを知ることになると思います。
三島由紀夫・辞世の句
益荒男が たばさむ 太刀の 鞘鳴りに
幾とせ耐えて 今日の初霜
散るをいとふ 世にも人にも さきがけて
散るこそ花と 吹く 小夜嵐
森田必勝・辞世の句
今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の
思ひを知るは 野分のみかは
昭和5年の作曲です。
青年日本の歌 映画 『2・26』 より
皆様は、この歌を聴いてどのように感じますか?
古臭い過去の出来事でしょうか。私はそうは思いません。
作詞・作曲:三上 卓
著作権:無信託
一、
汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ
巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
混濁(こんだく)の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く
二、
権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷(しゃしょく)を思う心なし
三、
ああ人栄え国亡ぶ
盲(めしい)たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり
四、
昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
胸裡(きょうり)百万兵足りて
散るや万朶(ばんだ)の桜花
五、
古びし死骸(むくろ)乗り越えて
雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ
国を憂いて立つからは
丈夫の歌なからめや
六、
天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
民永劫(えいごう)の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ
七、
見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫(おたけ)びて
革新の機(とき)到りぬと
吹くや日本の夕嵐
八、
ああうらぶれし天地(あめつち)の
迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に
誰(た)が高楼の眺めぞや
九、
功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらう
十、
やめよ離騒(りそう)の一悲曲
悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ
われらが剣(つるぎ)今こそは
廓清(かくせい)の血に躍るかな
昭和五年
……作詞者の三上卓は海軍少尉で、昭和5年5月24才の時佐世保でこの歌を発表した。以来、昭和7年の5.15事件、昭和11年の2.26事件に連座した青年将校などが歌い継いだ。
紀元前3?4世紀頃、中国は戦国時代にあった。当時揚子江流域一体を領土としていた楚に、屈原という人物がいた。詩人であり政治家でもあった屈原は、王への進言をことごとく側近に邪魔され、遂には失脚させられて追放される。しかし屈原は他の国に仕えることをせず、祖国の滅亡の危機を憂いながら洞庭湖畔汨羅の川に身を投げた。楚はやがて秦に滅ぼされ、以来屈原は「不運の愛国者」の代名詞となった。
この歌はこの故事を冒頭に引いている。ちなみに、端午の節句の「ちまき」は彼に由来する。
請願を主軸とした、保守系ロビイスト集団の長として戦った過去。
ネットでは異色とされた、行政手段を連打する手法は、
左派の手段を研究し尽くした結果であるとともに、
古くからの「リアル保守」が得意とした手法です。
その原風景は、保守王国福岡県において、
最も激しく(私の知る限りでは)歴史の長い、福岡黎明社の先輩方の教育によるものです。
もっと言えば、数年前に、亡くなった辻幸男先生の後姿。
名前を出して良いかはわかりませんが、藤井守人さんの生き様にある。
同期の本山くん、大島くん。
それぞれが保守団体の幹部として活躍しております。
藤井さんは、いまは救う会福岡の代表に。
そして、黎明社の代表代行。
時代の変化を感じます。
なおらいの挨拶は、
郷勇連盟の吉田会長。
私の、議員としての手法は、実は”非常に古臭い”と言われることもある。
若さに力点を置いた”速さ”ではなく、緻密さや段取りなどについては「まるで古参」という評価。
昨今では絶えた、いわゆる議会での「筋」の話、通し方などが、まるで「年配の議員と接しているよう」というもの。
理由はシンプルだ。
私を政治家として形作った者たちは、ネットを発祥とした者ではない。
あまたの鞍馬天狗たちが、相当に名のある活動家たちが、
共に戦線を駆け抜ける中、後姿をもって、
結果的には「英才教育を施し続けてきた」ようなもの、だからだ。
私の喧嘩は、決して新しくはない。
だが、それが弱いとは思わない。
ほぼ絶えてしまった、古き時代の保守の”覚悟”を伴う斬り結び方。
今でも、通用するものだと証明してみせたい。
私たちは、基本的に「乗り込む」し、リスクを背負って前線に立つ。
こちらもリスクは背負うが、目の前に立った者には「同じリスク」を背負って頂く。
自爆覚悟で、常に、前に。
居合いの速さで正面突破、
撃った者は、決して無事では済ませない。
これが先人たちの後姿より学んだこと。
GHQが悪い、戦後教育が悪い。
それはそうなのだろう、私も同意する。
けれども少し厳しいことも言わせて頂く。
などと言って、何もせぬ日本人が悪いと思います。
憲法が悪い?
家族を拉致された、被害者である家族会が憲法改正までせねばならないのか?
教育が悪い?
家族を拉致された、被害者である家族会が教育改革までせねばならないのか?
貴方は、あれが悪い、これが悪いと言うだけなのか。
悪いものを指摘するだけでは、それでは不信をもたれる政治と同じなのだと、
それがどうしてわからないのか。
政治は民意の集合体であるならば、
どうしても自分も悪いと思えないのか。
どことなく他人行儀の、そんな日本人が一番悪いと思う。
この言葉は、私自身に、自らに返ってくるとわかって書いている。
そう、力もなく、何の動きもできぬ私が悪い。
皆様は、市議になって以降の私しか知らないと思います。
政治活動・戦い方の原型は、活動家として鍛えて頂いた結果です。
ネットや在特会や発祥する以前より、数十年スパンで動いてきた保守団体。
雨の日も風の日も、拉致被害者と共に立ち続けてきた先輩方に育てて頂きました。
(福岡県を相手取り、朝鮮学校の支出金に対して最高裁まで戦い抜いた方々と言ったほうが伝わるかも知れません。)
今日は、今日だけは、元活動家としてBlogを書かせて頂きたかった。
拉致被害者の全員奪還を。
この国が、国家としての責務を果たし、
我が国が国家である矜持を持つために。
何よりも離れ離れにされた家族が、ひとつに戻れるように。
三島由紀夫烈士の言葉を、今日、振り返りたい。
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桜の会(議長会派):小原義和(公明)、西岡淳輔(公明)、(死没のため略)
市民の会(いわゆる野党会派):藤木巧一、二保茂則、鳥井田幸生、大池啓勝、工藤政宏、瓦川由美、西本国治
共産党会派:?永克子(共産)田中次子(共産)
詳しくはこちら。
私なりのケジメ
【爆破予告】テロに屈した議会に討ち入り。忠臣蔵、切腹の美学。地方議員の覚悟【テロに屈しない人はシェア】
最後に。
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【憂国忌】新嘗祭、今日この日に国を憂う。三島由紀夫烈士の言葉を振り返る。 本日、福岡では筥崎宮において「憂国忌」が挙行されました。私は例年参加しておりましたが、本年は調整がつかず参列できず申し訳ありま
そもそもマッカーサーの走り書きを改正してなんになるのかと
改正したとして、出来たとして
自主憲法制定がその先に果たしてあるものか
憲法改正が、果たして三島先生の望んだものであるのかと
いまの憲法の条文を読めば、その日本語としての醜さが滲み出ているように思います
いまの憲法云々の争いは、結局のところ
一字一句変えさせたくないと言うエセ護憲派と
一字でもいいから変えたいと執着するエセ改憲派の小競り合いとしか思えません
GHQ製憲法の破棄、そして創憲、ですか。
素地を生かせば良い物が産み出されます。
昨今の、様々な被災地の様子から、日本人はまだまだ日本人のままだと感じます。事が起きれば必ず良い選択をできる素地があると信じています。
米国に守られ「事」が起きないため、いわゆる右的気運が高まることもないという状況下、これまでやりたい放題だった報道への批判や労組の組織率低下などいわゆる左側にも手詰まり感が見られる中、今重要なのは、これまで左派によって「常識とされたこと」に疑いを持つ人を増やし、「事」に備えることかと思料するものです。
今日この日に国を憂う。大東亜戦争で負けて苦渋を舐めて73年、次は勝ち組に回るためにこの時を待ってたかのような満月が輝いて見えるのは自分だけか。韓国は自滅し、核を持った北朝鮮と二個一(にこいち)(高麗連邦統一)になろうと画策しているが経済的に締め上げることに変わりなし。放置してれば勝手に潰れ、勝手に騒ぎ出す。中国も全面的降伏しかなく落しどころは完全服従だ。北方領土も竹島も返還してもらおう。日本国内のゴミは一掃し、送り返そう。 半島から流れつくゴミは押し返そう。反日売国奴も在庫一掃。一人でも多く覚醒させ、憲法改正に協力しよう。
拉致被害者を奪還しなくてはいけない。なので締め上げを国内外マックスに。
今日の満月はきれいでしたね
何というか象徴的でしたよ
きれいな日本になりますように
今日のブログ記事はとてもよい記事です。
私は、ほんの少ししか行動をしていないけど、それでも知らない人が見たら驚くのですよね。
ロッ●や花●の不買を何年も続けたり、DHCの化粧品を愛用したり、余命本等を多読したり、保守速報や小坪議員のブログを楽しく読んで、たまにほんの少しの寄付。
これだけで、敵はどんどん滅んでいってます。(まだまだですけどね。)
最初の一歩踏み出すのは怖いかもしれませんが、行動したらすごく楽しいし、心も喜びます。
三島先生は、最後は自決されましたが、とても満足のいく人生だったのでしょう。
私はとてもそこまでの心境になるほどには日本国を愛せていないけど、それでも、三島先生や戦争で亡くなった方々の数百分の一でも勇気を出して行動して今のところは満足ですね。
しかしすぐに「もっと頑張りたいな。」と欲が出てきます。困ったものです。
とにかく無理せず行動していって、しっかりと長生きして、今後のどんどん良くなっていく日本を??見ていきたいものです。
行橋市議会議員 小坪しんや様
#1三島由紀夫の「自衛隊を国軍、名誉ある国軍とする」は正しい主張です。
安倍首相の憲法改正(悪)は国軍を否定し自衛隊のままで良いというものです。はたして露朝支が攻めてきた時、敵前逃亡罪もない自衛隊員の何割が残るでしょうか。半分以上が公務員を退職するといわれています。
#2青年日本の歌についてですが、
「財閥富を誇れども」「昭和維新」・・・これは共産主義革命歌です。
作詞・作曲の三上 卓を調べてみますと5・15事件で犬養毅首相の頭に銃弾を打ち込んだ海軍中尉。
たった十五年の禁固刑で戦後三無事件もおこしている。赤い将校です。
小坪議員は反共ではないのですか?
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2018/11/09/173337
**********************************************************************
共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。
・『テロを利用する共産党』
・『テロリストの味方である共産党』
・『テロに屈する共産党』
**********************************************************************
嘗て三島由紀夫氏と道場を共にし、結果的に楯の会には参加しませんでしたが、三島由紀夫氏直々に参加を誘われた事もある御仁が先日亡くなりました。
楯の会に誘われる位ですから、当然の如く保守に位置する人でしたが、当時はネットなど無い時代でしたから、リアルでしか活動出来無い時代を過ごして来た方でした。
三島由紀夫氏とは別の道こそ歩まれましたが志は同じくし、長年地道な活動を続けられて来ました。
そう言った方々の下積みがあっての今なのでしょう。
扨て、近年は人との繋がり方が変わりつつあると言えるでしょう。
以前ならばこの時期ですと、御歳暮の支度で忙しくなる頃でした。
然し、最近は御歳暮を送る事も、頂く事も減っているのではないでしょうか。
頂いたら頂いたでお返しが「面倒臭い」と感じる方が強く、そこを察して送る方も控えると言うのが近年の主流でしょう。
弔事にしても同じで、何百万円も使って葬式を出す事も減っていますし、出したら出したで葬儀に来る人も限定的な場合が多いかと思います。
経済的な負担もある為、最近は家族葬で済ます事も多く、香奠すら辞退される事もしばしばです。
若い世代ですと、葬式饅頭なんてものも知らないかも知れません。
初七日法要も葬儀と同日に終わらせる事が多いですし、四十九日迄の中陰法要は割愛、故人が迷わぬ様に四十九日迄灯明と線香を絶やさないなんて仕来りも、若い世代は知りもしないのではないかと思います。
葬祭ですらこの様な流れですから、先祖の五十回忌、ましてや百回忌なども経験した事の無い人が多いのではないでしょうか。
政治家の世界では人との繋がりこそが仕事ですので、昔ながらの仕来りも残っているでしょうが、一般的には全てが合理化されて来ています。
この様な義理掛け事の合理化全てを否定する訳ではありませんが、その半面あらゆる事が他人行儀で、政治も他人事、事件も他人事と言った感覚に陥っているのも事実でしょう。
一方で義理掛け事をライトにしながら、繋がりを補完出来るツールとしてネットが活用される様にもなって来ました。
今はその過渡期なのかも知れません。
その意味から言えば、リアルとネットとの役割分担をより効率的に確立した陣営が、今後を有利に進める事が出来る時代になるのかも知れません。
今日は台湾の地方統一選挙の投票日だそうですが、民主進歩党が苦戦していて国民党が勝ちそうなんだそうです。中狂の選挙介入が疑われるそうです。大丈夫なんでしょうか?心配です。
「九合一 統一地方選挙と台灣正名などの国民投票。 24日午前の台北発高雄行きの高鉄切符は既にほぼ完売した。 選挙権は戸籍に従って与えられるため、選挙日には帰省ラッシュが起きる。 https://www.nna.jp/news/show/1839031 … 投票時間は午前8時から午後4時までです。今度は國民党が勝ちそうだからとても嫌です。?」 7:06 – 2018年11月23日
(yunhan wangさんのツイートを引用)
「台灣正名などの国民投票」も行われるのですね。知らなかった。。。
三島先生にはもっと生きていただいて、日本の為に活躍して欲しかったですね。もし今、三島先生が生きておられたら、今の日本をどう思われるでしょうか?、やっぱ、情けないと思われるでしょうか?
まあ確かに、民主党政権誕生の際には、さぞや落胆されると思います。日本はもう駄目だあー、お前らは何をやってるんだー、とか思われるでしょう。
でも、それでも、私は日本人をそれ程に悲観していません。まあ、日本国民が聡明とか利口とかは間違っても言えませんが、でも、どうしようもない馬鹿とか間抜けでも無い、と思っています。今後がどうなるかは分かりませんが、希望は有ると思います。
憲法で自衛隊を正式に認める。
国民投票で左右される事になると思うのですが
これに反対する人がそんなに多いとは思えない。
勿論マスコミは捻じ曲げて報道し平和憲法が!9条が!
とやるでしょうが、シンプルにあなたは自衛隊を認めますか?
と聞けば大多数の人々が、素直にハイと答えるでしょう。
平和が!戦争が!と思うのは極めて無責任な愚か者だけです。
出来れば政府はマスコミだけに委ねるのではなく、憲法改正広報誌などを
印刷し国民全員に配布して欲しいですね。
小坪先生、
ありがとうございました。”檄”の一字一句、飛ばさずに読ませていただきました。
三島氏に対する信念は評価できることなのはいうまでもありませんが
これに限らず参加者も高齢化していることはあるので個人的に少々
距離は置いているところはあります。
ただ氏のことを曲解して行動保守に対して小馬鹿にして反安部を主張
するような自称哲学者には呆れそうなところもあります。