最低だと思う。
詳しくは、以下の八重山日報の記事をご覧ください、と思うのですが、、、
数点、背景を述べます。
<戦時中のパラオ>
いまでこそ親日国としてパラオは紹介されておりますが、戦時中は異なる側面もありました。
パラオ最大の島であるコロール島には「南洋庁」が置かれており、
これはヴェルサイユ条約により日本が統治することになった、多くの島々を施政管理するためのものでありました。
シンプルに言えば、戦時中のパラオは、南洋の島々すべてを束ねる重要な拠点であったのです。
首都みたいなもの、と言ってもいいのかも知れません。
<東洋一の空港>
また、激戦で知られるペリリュー島でありますが、
ここには「東洋一」と謳われた、1600mもの滑走路をもつ空港があったのです。
南洋の島々を束ねる中央省庁でありますから、その防備と考えれば当然のことであります。
当然ながら、レイテ攻略に際して、米軍の攻撃対象となりました。
これまた当然のこととして、日本軍も理解しております。
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<陸軍の投入>
米軍の攻撃対象となる、我が国にとっても大きな空港のある重要拠点。
そして島々を束ねる中央官庁が置かれています。
島を防衛するため、陸軍の精鋭部隊が投入されます。
そして、、、ご存じの通り、南洋の島々は孤立していくのです。
制空権を失い、制海権を失い、援軍も送れない。
補給物資、つまりご飯も武器も、弾すらも送れない。
<海軍の苦悩>
陸軍からは、補給物資を送れ、と矢の催促です。
補給は海軍の担当です、陸軍は基本的には船を持ちませんから。
(強襲揚陸艦の原型となったあきつ丸などのみ。)
矢の催促、
これも当然と言えば当然です。
自らの同期が、そこで飢え、弾もなく死を待つばかりなのですから。
かと言って、海軍も簡単には動けません。
艦船には限りがあり、機動部隊による艦隊決戦が目前(レイテ前のことです。)ゆえ、一隻の艦でさえ温存したい・・・。
海軍と、陸軍の思惑はすれ違います。
詳しい方は、まるゆ、鼠輸送という言葉を思いつくやも知れません。
(※レイテについて触れた関連記事)
【今日は何の日?】神風特攻隊 敷島隊、突入に成功。連合艦隊、壊滅。【10月25日】
<それでも。。。>
陸海軍が、それぞれの主張が異なり喧嘩ばかりしていた、
確かにその側面は否めません。
それでも、
それでも、同じ日本人同士、どうにか物資を届けたいと祈ったのです。
制空権を喪失、事実上の制海権を喪失。
それでも、それでも。。。
<それでも、それでも。。。>
例えば足の速い駆逐艦。
艦艇の中では、小型の艦種です。
とは言え、金額にすると(現在の金額に換算しても)凄まじいもので、護衛艦一隻に相当します。
ゲームじゃないんです、駆逐艦一隻は、とても高価なのです。
とは言え小型の艦種、
当然、火力は乏しい。
装甲も薄い。
あるのは速力だけ。
戦い方も、足を活かした、肉薄してからの雷撃。
一撃必殺の酸素魚雷、元々最前線を張るための艦種です。
(市議みたいですね。)
小型でありますから、積める物資には限りがあります。
危険を冒して物資輸送しても、焼け石に水なのかもしれません。
それでも、それでも、駆逐艦で。
夜間、目立たぬよう、少数で。
(これが鼠輸送です。)
航続距離だって短い。
さしたる戦闘力を持たぬ給油艦も、共に随伴した。
随伴する補助艦艇も命がけです。
当然、見つかればアウトです。
それでも、それでも、届けた。
<輸送船の配備>
駆逐艦や潜水艦による、散発的な補給では限界があります。
大量に物資を積載できる輸送船、どうしても届けたい。
制空権を、制海権を、喪失した中。
いかに護衛艦隊をつけようとも、狙われればアウトです。
一発で、沈む。
多くは述べません。
パラオ近海には、多くの艦船が沈んでおります。
日本軍の船が、我が国を護るため、命を賭した軍人たちと共に、沈んでいます。
そこはまるで、静かな墓場のように。
我が国を護ろうとした者たちと
彼らの愛した、我が国の艦船が、沈んでおります。
産経新聞の名物コラム、産経抄より一部を紹介。
▼天皇、皇后両陛下は来月、慰霊のためにパラオ共和国を訪問される。その沖合では、昭和19年3月30日、旧日本海軍の給油艦「石廊(いろう)」が、米軍機の爆撃を受けて沈没し、乗組員約200人の大半が死亡している。
▼取材で海に潜っていた共同通信の記者が、海底に沈む「石廊」の船尾付近に、中国国旗が結びつけられているのを見つけた。「中国人ダイバーが行った可能性がある」という。「犯人」が誰であれ、海に眠る英霊たちへの冒涜(ぼうとく)以外の何物でもない。きのうの小紙に掲載された写真が、中国に配信されたら、どんな反応が返ってくるだろう。
▼「死者を大事にする習慣をもう一度、思い出そう」。そんな声が上がってほしいものだ。ひょっとして、「捏造(ねつぞう)写真だ」と決めつけるかもしれない。確かに、巨大なサンゴに「KY」の文字が刻まれていたあの写真に構図が似ている。26年前、メディア史に大きな汚点を残した朝日新聞の写真である。今回はあり得ない、と共同通信に代わって断言しておこう。
・・・まるで、見てきたかのように語るな、と思った方もおられるやも知れません。
嫁さんに頼み込み、新婚旅行に選んだ先がパラオでした。
ペリリューにも行きました、新婚旅行で慰霊もどうかと思いますが、それはそれで悪くないと思っています。
私は、見てきたのです。
<艦船の「艦」と「船」>
艦と呼ばれるもの、つまり軍艦は
「戦艦・重巡洋艦・軽巡洋艦(及びそれらの練習艦)、または空母(水上機母艦・潜水母艦含む)」までで、
駆逐艦は潜水艦と共に艦艇に分類されました。
船首の菊花紋章、船の舳先についている菊の御紋ですが、終戦時には狭義の「軍艦」にのみ付けられていました。
(武勲艦を除く。)
意味は色々とあるでしょうが、「沈む可能性」のある艦艇にはつけなかったのかな、と思います。
菊の御紋を海中に没するわけにはいきません。
補助艦艇である輸送船・給油艦は、それらよりも、さらに弱い装甲と、事実上ないに等しい火力しか有しておりません。
皆様は、乗れますか?
そして、行けますか?
制空権がなく、制海権がなく、
その中を補助艦艇に乗って、行けますか?
仲間のため、日本人の同朋のため、行けますか?
※余談
新聞記事において「艦」や「軍艦」と表記しているものは、狭義では誤りかと思います。
冒頭に紹介した八重山日報の記事においても「日本軍沈没船」と書かれております。
いまの日本人からすると、軍の所有する艦艇イコールすべて軍艦でありますから、本来は「艦」という言葉が使いたかったのではないでしょうか。
上手に躱していく記者たちは、「わかっているな」と思いました。
<船が沈むということ。>
「我が国の未来を護るため」戦った軍人。。。
その言葉のほうが保守には伝わりやすいのでしょう。
しかし、考え方を変えて、別の側面から見てください。
軍人とは、いまでもそうですが、大半が男性です。
体力もある「働き手」であります。
妻もおったでしょう、子もおったでしょう。
給油艦「石廊(いろう)」でありますが、乗組員約200人の大半が死亡しております。
100名の、旦那さんが沈む。
100名の、お父さんが沈む。
小さな過疎の村においては、これほどの働き手の世代は、
村の若者、全てとも言えます。
船が沈むということは、
100名の夫が、この世からいなくなるということ。
100名の父が、この世からいなくなるということ。
帰りを待ちわびる故郷が、「世代まるごと」を失うということ。
とても、とても重たいことなのです。
皆様は、乗れますか?
そして、行けますか?
制空権がなく、制海権がなく、その中を。
装甲も貧弱、火力も乏しい、補助艦艇に乗って、
行けますか?
仲間のため、日本人の同朋のため、行けますか?
それでも、それでも。
それでも、行った先人たちがいるのです。
?
それでも行きました。
だからここに沈んでおります。
船乗りにとっての船は、特別な存在です。
いまでこそダイビングスポットのようになっておりますが、
それも時代の変化、良いことなのかもしれません。
パラオ近海には、多くの艦船が沈んでおります。
日本軍の船が、我が国を護るため、命を賭した軍人たちと共に、沈んでいます。
そこはまるで、静かな墓場のように。
我が国を護ろうとした者たちと
彼らの愛した、我が国の艦船が、沈んでおります。
他国の国旗を、ここに掲げること。
どれほどの痛みと冒瀆か。
筆舌に尽くせません。
併せてお読みください。
・【許せないと思ったらシェア】自衛官の心を、殺す者たち【人でなし】
どうしても、許せませんでした。
怒りの種類は、同じ方向のものです。
・【3月25日】第28回防衛問題セミナー?南西地域の防空体制
明後日の開催です。
参加すること、一人でも多くが集うこと、それが、自衛隊への直接的な支援になります。
・【緊急拡散】全く関係ないカナダで慰安婦像設置計画!阻止にご協力を!(24日まで)
明日いっぱいであります、
停止との噂もありますが、確証がなかったため、
最後の最後まで油断せぬよう動きましょう。
一歩、前に出る勇気。
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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)
陛下がパラオにいかれる前に発覚してよかったというべきか・・・。
当然、このふざけた中国旗は外されてるんでしょうね。でないと許せません。新しく日の丸を付け替えて差し上げたいです。
陛下がおみえになられて、海の底の艦艇にも想いを贈って下さることでしょう。
議員、私も親稼業が少し落ち着いたらパラオに行きたいです。
あと7?8年は無理ですが、下の子が大学を出てお金の心配がひと段落ついたら、主人と二人か、できたら家族で行けたら嬉しいなぁと思っています。
もちろん慰霊のためです。日本人として。
議員のパラオ新婚旅行のお話もぜひいつか記事にしてください!
恐ろしくて行けません。
なんたる冒涜でしょうか…
年代ねこそぎ、なんとなくイメージが湧きます。
私の村では約5000人の人口のうち約300人が戦地で亡くなりました。
実に男性の7?8人に1人の割合です。
年代ねこそぎで補給物質を届けようとした英霊への冒涜許せません。
追記しますと氏族全滅にいたったケースもありました。○○さんが多く戦死し、その地区にもう○○さんは一人もいません。○○さんが十数件ありましたが、一件も残っていません。
先祖が無縁仏になってでも戦いを続けた英霊への冒涜は、菩提への冒涜でもあります。
日本人への冒涜は許せません。
真珠湾のそばにある米軍の記念館では、日本海軍の素晴らしさをきちんと記載してあるそうです(アンカー青山さん情報)、一方、シナは、捏造南京大虐殺記念館がある国です。民度の違いがよくわかります。
去年でしたかね?孤立する陸軍に物資を届けに行って撃沈された
重巡洋艦羽黒がスクラップ業者に引き上げられて売り払われている
という記事が出たのは。今回の件も含めてものすごく不快です。
祖父はシベリアの何処かに眠っていますが、そこを掘り返されるのと同じですよ。
余談ですが、俳優の谷原章介さんのお祖父さんが特設巡洋艦の艦長をされていたそうです。
お祖父さんの乗った特設巡洋艦がフィリピン沖で撃沈され、その時に部下を失ったことを
戦後もずっと背負っていたそうです。
(特設巡洋艦とは・・・徴用した一般商船に15cm砲などの装備を搭載した船です)
この記事の写真の旗にキッチリ折り目がついているのは何故でしょうね?
KY事件を思い出しますね。
中華人民共和国国旗の制定は1949年9月27日。
中華人民共和国建国は1949年10月1日。
大東亜戦争にはカスリもしない国旗です。
まるで我が国の艦船を「中国人民解放軍が仕留めた」とも言いたげな行為ですが、時系列を追えば全く掠りもしないばかりか、大陸で支那人同士で殺し合いに興じて居た頃です。
当時の中国共産党は単なる匪賊であって、国ですら無かった訳です。
件の行動は、実に特定アジアらしいですね。
武人への愚弄、英霊への冒涜には本来は腸煮えくり返る思いの筈ですが、余りにも特定アジア人の行動や思想はバカバカし過ぎて、呆けてしまう自分がここに居ります。
それでも、敢えて面倒くさがらずに怒り、連中には罰を与える事が必要ですね。
稚拙すぎる。
他国に迷惑をかけて、マーキングに勤しむ国が多い。自信の無さの裏返しにしかみえない。
呆れてものも言えない。これが正直な気持ちですが、はっきりと批判したほうがいいですね。
大々的に報道し、騒げば良いのですがそんなことをメディアがするはずもなく。これも日本の現状の一つでしょうか。それを考えると恐ろしい。
国旗が消えているそうですね。取り付けた人と取り外した人が違う可能性もありますが、少なくともこの両国で大きな話題になっていることを知っている人物でしょう。
行かないことを選択する自由は無かったのです。
それだけのことです。
父は普通の徴兵で戦争に行った一陸軍の兵士でしたが、中国大陸で補給の任務についていたそうです。終戦間近に奥地の部隊に物資を届ける命令を受け、30人の部下とともに旅立ったあと、本隊が全滅したそうです。届け先の部隊も壊滅して辿り着けず、程なく終戦を迎えたそうです。あの広い大陸で前にも後ろにも味方はいず、それでも諦めずにあらゆる知恵を絞って、一年かけて九州まで辿り着いたとよく話してくれました。一人も死なせず日本に帰れたことが父の自慢でした。紙一重の生還が無ければ私は今ここにいません。命をかけて日本を守ってくれた方々を冒涜するのは許せません。
>皆様は、乗れますか?
>そして、行けますか?
行けませんね。勝つ見込みのない戦争に日本がのめり込んでいったのは、外交戦と諜報戦で負けたからです。同じ過ちを繰り返してはならない。軍備と諜報を強化する必要があります。
国にために戦った人々に哀悼の意を示すのは世界共通の慣習です。日本以外に戦没者をいやしめる社会はおそらく歴史上存在しないのではないでしょうか。日本では左翼があまりに強かったから、こういう事態になりました。本来軍隊は持ってはならないという考え方なので軍人への敬意は限りなく低いです。
戦没者に慰霊の気持ちを素直に示せるようになってはじめて歴史も素直に議論できることになるのでしょう。
まさに私の母の親しくしていた従姉妹のお父さまが輸送船の沈没で沖縄でお亡くなりになったと母や叔父から聞いた事があります。
今は品川のお寺の代々のお墓で永眠なさっておられます。
私は戦時中ならば皆と同じ戦列に立って戦って死にたいと感じますし、畳の上で死にたいとも思いませんし、できればぽっくりと逝くよりもギリギリまで苦しみに耐えた挙句に力尽きて矢折れて耐え切れずに闇へ転がり落ちるのが正しい死の姿だと思いますので、喜んで死地へと赴きます。まあその際は医官としてでしょうが。
悩みとは、命がどうこうではなく、務めを果たせないことから来るものだからです。人間生まれてきた以上はどうせ死ぬわけです。ただ、かけがえのない愛するものに対して想いが残るから苦しむ。愛執ゆえに苦しむ。できるだけ一切放下しようと努めても、どうにも愛執だけは残る。そこが苦しみの元で、しかし人間とはその苦しみを捨てないものだろうとも思う。ドグマなんかじゃなくて、涙ゆえにはっと知る己の心のうち。
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