▼脱亜論の原文・全文について
ネットで有名な脱亜論であるが、その原文をお読みになった方はどれほどいるだろう。
かなり簡略化され、韓国や中国に言及した部分のみをトリミングした文章が飛び交っているのが現状だ。
当然だが、これは現代語訳であり、原文は漢字+片仮名である。
▼中国・韓国を述べるにあたっての前文がある。
内容も明治維新から遡っている。
近代化の流れを水際で停めたい思いが滲み出ており、根底には日本らしさを失いたくないという思いが滲み出る。
その上で、近代化を受け入れざるを得ない状況であることを受け入れ、言論人としての生き方を説いている。
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▼当時の世界状況に思いを馳せる。
「受け入れざるを得ない状況」とは、西欧列強の台頭であり
今で言うグローバリゼーションの急激な流れのようなものだろう、
その中において、我が国が独立を維持していくためには必要だ、というもの。
「日本における維新に相当するものが起きなければ」
守旧派が続投し、近代化の遅れれば致命的だ。
シナ(原文ママ)、朝鮮(原文ママ)への批判、「国交を断つべき」という意見は、実はここから派生している。
脱亜論で維新に触れられていたことを、ご存じない方も多いと思う。
表面的に見れば、ネットで行われる主張の本旨とは離れるように感じる人も多いだろう。
しかし、実は極めて重要なパートなのだ。
脱亜論は、
国際情勢を鑑み、近代化を嘆きつつも重要性を説き
維新がなぜ起きたのか、その経過を述べている。
その上で、ネットで有名な批判は行われている。
▼ネットで有名な脱亜論
以下は、まとめサイトNewsUSのフロントページに掲載されていたもの。
これが現在のネット文化のもつスキルとも言えるのだろう、必要個所のみに徹底的に特化し、不要なものを削ぎ落としていく。
この技術は、批判的に言えば週刊誌やワイドショー的とも言えるのだろうが、情報発信の手段としては正しい。
特にテキストを主としてきた掲示板系であれば、そうなるのは必然だ。
ネット上で連綿と培われてきた技術であり、私はこの筋肉質な文章を賞賛したいと思う。
しかし、その上で全文も併せて読んで頂きたいと思うのだ。
日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、
もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、
日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、
近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、
しかもそれは表面だけの知識であって、
現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、
たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
(中略)
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
(『脱亜論』明治18年(1885年)3月16日)
▼脱亜論、原文
かなりの長文である。
明治18年(1885年)3月16日、脱亜論は新聞『時事新報』の社説として掲載された。原文は無署名の社説で、本文はカタカナ漢字表記、長さは400字詰原稿用紙で約6枚。
のちに石河幹明編『続福澤全集』第2巻(岩波書店)に収録されたため、福澤諭吉が執筆したと考えられるようになった。
かなりの長文、
言葉使いも全く異なるため、読むのにはやや苦労するかも知れない。
とは言え、片仮名と漢字のため(一部の漢字は調べながら読まないと厳しい)日本人なら(時間さえかければ)読めないこともない。
後半に現代語訳を載せるため、時間のない方はそちらをお読みください。
我日本ノ國土ハ亞細亞ノ東邊ニ在リト雖ドモ其國民ノ精神ハ既ニ亞細亞ノ固陋ヲ?シテ西洋ノ文明ニ移リタリ然ルニ爰ニ不幸ナルハ近隣ニ國アリ一ヲ支那ト云ヒ一ヲ朝鮮ト云フ此二國ノ人民モ古來亞細亞流ノ政?風俗ニ養ハルヽ?我日本國ニ異ナラズト雖ドモ其人種ノ由來ヲ殊ニスルカ但シハ同樣ノ政?風俗中ニ居ナガラモ遺傳教育ノ旨ニ同シカラザル所ノモノアル歟、日支韓三國相對シ支ト韓ト相似ルノ?ハ支韓ノ日ニ於ケルヨリモ近クシテ此二國ノ者共ハ一身ニ就キ又一國ニ關シテ改進ノ道ヲ知ラズ交通至便ノ世ノ中ニ文明ノ事物ヲ聞見セザルニ非ザレドモ耳目ノ聞見ハ以テ心ヲ動カスニ足ラズシテ其古風舊慣ニ戀々スルノ情ハ百千年ノ古ニ異ナラズ此文明日新ノ活劇塲ニ?育ノ事ヲ論ズレバ儒教主義ト云ヒ學校ノ?旨ハ仁義禮智ト稱シ一ヨリ十ニ至ルマデ外見ノ虚飾ノミヲ事トシテ其實際ニ於テハ眞理原則ノ知見ナキノミカ道徳サヘ地ヲ拂フテ殘刻不廉耻ヲ極メ尚傲然トシテ自省ノ念ナキ者ノ如シ我輩ヲ以テ此二國ヲ視レバ今ノ文明東漸ノ風潮ニ際シ迚モ其獨立ヲ維持スルノ道アル可ラズ幸ニシテ其ノ國中ニ志士ノ出現シテ先ヅ國事開進ノ手始メトシテ大ニ其政府ヲ改革スル?我維新ノ如キ大擧ヲ企テ先ヅ政治ヲ改メテ共ニ人心ヲ一新スルガ如キ活動アラバ格別ナレドモ若シモ然ラザルニ於テハ今ヨリ數年ヲ出デズシテ亡國ト爲リ其國土ハ世界文明諸國ノ分割ニ歸ス可キ?一點ノ疑アル?ナシ如何トナレバ麻疹ニ等シキ文明開化ノ流行ニ遭ヒナガラ支韓兩國ハ其傳染ノ天然ニ背キ無理ニ之ヲ避ケントシテ一室内ニ閉居シ空氣ノ流通ヲ絶テ窒塞スルモノナレバナリ輔車唇齒トハ隣國相助クルノ喩ナレドモ今ノ支那朝鮮ハ我日本國ノタメニ一毫ノ援助ト爲ラザルノミナラズ西洋文明人ノ眼ヲ以テスレバ三國ノ地利相接スルガ爲ニ時ニ或ハ之ヲ同一視シ支韓ヲ評スルノ價ヲ以テ我日本ニ命ズルノ意味ナキニ非ズ例ヘバ支那朝鮮ノ政府ガ古風ノ專制ニシテ法律ノ恃ム可キモノアラザレバ西洋ノ人ハ日本モ亦無法律ノ國カト疑ヒ、支那朝鮮ノ士人ガ惑溺深クシテ科學ノ何モノタルヲ知ラザレバ西洋ノ學者ハ日本モ亦陰陽五行ノ國カト思ヒ、支那人ガ卑屈ニシテ耻ヲ知ラザレバ日本人ノ義俠モ之ガタメニ掩ハレ、朝鮮國ニ人ヲ刑スルノ慘酷ナルアレバ日本人モ亦共ニ無情ナルカト推量セラルヽガ如キ是等ノ事例ヲ計レバ枚擧ニ遑アラズ之ヲ喩ヘバ比隣軒ヲ並ベタル一村一町内ノ者共ガ愚ニシテ無法ニシテ然カモ殘忍無情ナルトキハ稀ニ其町村内ノ一家人ガ正當ノ人事ニ注意スルモ他ノ醜ニ掩ハレテ堙沒スルモノニ異ナラズ其影響ノ事實ニ現ハレテ間接ニ我外交上ノ故障ヲ成ス?ハ實ニ少々ナラズ我日本國ノ一大不幸ト云フ可シ左レバ今日ノ謀ヲ爲スニ我國ハ隣國ノ開明ヲ待テ共ニ亞細亞ヲ興スノ猶豫アル可ラズ寧ロ其伍ヲ?シテ西洋ノ文明國ト進退ヲ共ニシ其支那朝鮮ニ接スルノ法モ隣國ナルガ故ニトテ特別ノ會釋ニ及バズ正ニ西洋人ガ之ニ接スルノ風ニ從テ處分ス可キノミ惡友ヲ親シム者ハ共ニ惡名ヲ免カル可ラズ我レハ心ニ於テ亞細亞東方ノ惡友ヲ謝絶スルモノナリ
明治18年(1885年)3月16日
http://ja.wikisource.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E8%AB%96
▼脱亜論 現代語訳
現代語訳を紹介するが、一部、意訳もある。
例えば冒頭部分は、忠実に訳すと以下のようになる。
>世界の交通の道は便利になり、西洋文明の風は東に進み、至るところ、草も木もこの風になびかないことはない。西洋の人物は古代と現在に大した違いはないのだが、その活動が古代は遅鈍、今は活発なのは、ただ交通の機関を利用し、勢いに乗じるがためである。
これが以下のようになる。
>現在、西洋人の地球規模での行動の迅速さには目を見張るものがあるが、ただこれは科学技術革命の結果である蒸気機関を利用しているにすぎず、人間精神において何か急激な進歩が起こったわけではない。
文意に忠実かつ美しいと思ったので、意訳であることを認識した上で紹介する。
読まれる方も意訳であることを理解した上で読んで頂きたい。
また、原文では麻疹(はしか)を例として出しているが、(麻疹が大流行しない現代ゆえだろう)これはインフルエンザに置き換えられている。
それらを含め、意味に忠実として意訳版の以下を紹介したい。
isa訳 脱亜論
近代文明とはインフルエンザのようなものである。インフルエンザを水際で防げるだろうか。私は防げないと断言する。百害あって一利も無いインフルエンザでも、一度生じてしまえば防げないのである。それが、利益と不利益を相伴うものの、常に利益の方が多い近代文明を、どのようにして水際で防げるというのだろう。近代文明の流入を防ごうとするのではなく、むしろその流行感染を促しつつ国民に免疫を与えるのは知識人の義務でさえある。
西洋の科学技術革命について日本人が知ったのはペリーの黒船以来であって、これによって、国民も、次第に、近代文明を受け入れるべきだという認識を持つようになった。ところが、その進歩の前に横たわっていたのが徳川幕府である。徳川幕府がある限り、近代文明を受け入れることは出来なかった。近代文明か、それとも幕府を中心とした旧体制の維持か。この二者択一が迫られた。もしここで旧体制を選んでいたら、日本の独立は危うかっただろう。なぜなら、科学技術を利用しつつ互いに激しく競いながら世界に飛び出した西洋人たちは、東洋の島国が旧体制のなかにひとり眠っていることを許すほどの余裕を持ち合わせてはいなかったからである。
ここに、日本の有志たちは、徳川幕府よりも国家の独立を重んじることを大義として、皇室の権威に依拠することで旧体制を倒し、新政府をうちたてた。かくして日本は、国家・国民規模で、西洋に生じた科学技術と近代文明を受け入れることを決めたのだった。これは全てのアジア諸国に先駆けており、つまり近代文明の受容とは、日本にとって脱アジアという意味でもあったのである。
日本は、国土はアジアにありながら、国民精神においては西洋の近代文明を受け入れた。ところが日本の不幸として立ち現れたのは近隣諸国である。そのひとつはシナであり、もうひとつは朝鮮である。この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているのだが、もともと人種的に異なっているのか、それとも教育に差があるのか、シナ・朝鮮二国と日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。情報がこれほど速く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、それでも過去に拘り続けるシナ・朝鮮の精神は千年前と違わない。この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
私の見るところ、このままではシナ・朝鮮が独立を維持することは不可能である。もしこの二国に改革の志士が現れて明治維新のような政治改革を達成しつつ上からの近代化を推し進めることが出来れば話は別だが、そうでなければ亡国と国土の分割・分断が待っていることに一点の疑いもない。なぜならインフルエンザのような近代文明の波に洗われながら、それを避けようと一室に閉じこもって空気の流れを絶っていれば、結局は窒息してしまう他はないからである。
『春秋左氏伝』の「輔車唇歯」とは隣国同志が助け合うことを言うが、現在のシナ・朝鮮は日本にとって何の助けにもならないばかりか、この三国が地理的に近い故に欧米人から同一視されかねない危険性をも持っている。すなわちシナ・朝鮮が独裁体制であれば日本もそうかと疑われ、向こうが儒教の国であればこちらも陰陽五行の国かと疑われ、国際法や国際的マナーなど踏みにじって恥じぬ国であればそれを咎める日本も同じ穴の狢かと邪推され、朝鮮で政治犯への弾圧が行われていれば日本もまたそのような国かと疑われ、等々、例を挙げていけばきりがない。これを例えれば、一つの村の村人全員が無法で残忍でトチ狂っておれば、たとえ一人がまともでそれを咎めていたとしても、村の外からはどっちもどっちに見えると言うことだ。実際、アジア外交を評する場面ではこのような見方も散見され、日本にとって一大不幸だと言わざるを得ない。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。日本は、むしろ大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。(明治18年3月16日)
isa訳 脱亜論より。
▼併せて知っておきたい背景
もともと福沢諭吉は、朝鮮を支援している立場であった。
前段において「維新に近いものがおきれば」という前提を付記させて頂いたが、朝鮮における維新志士を支援していたのだ。
代表例は開化派(維新と読み替えてよいと思う)の金玉均。坂の上の雲でも出てくるし、同署をベースとした日露戦争物語(漫画)にも出てくる彼である。彼らを通じ、福沢諭吉は朝鮮半島の近代化を訴えていた一人であった。
朝鮮への理解を深め、ハングルの使用が朝鮮近代化と民衆の教化に必要だと考えていた。
▼「朝鮮維新」
これは私の造語なので注意を。
朝鮮における明治維新とも言える、甲申政変(こうしんせいへん)。
実際にクーデターは決行に移される。
が、3日で倒される。
福沢諭吉とも親交が深かった金玉均とは、この指揮官の一人。
成功していれば、朝鮮の坂本龍馬になったはずの人であった。
クーデター時においては
清国の属国をやめ、朝貢を廃止、これを「発表」している。
背景を書くと長くなるため、今日はここまで。
明日、重たいニュースがない限りは明日、続きを書きます。
なぜ「朝鮮維新」と脱亜論が関係あるのでしょう?
脱亜論の全文についての意見と、「朝鮮維新」との関連性。
私は情報リテラシーの一環として、明日のエントリを書く予定ですが、どの部分に話の根幹があるのでしょうか?
この話をしていくと、韓国人や左巻きは、「脱亜論」を排外主義として批判できなくなります。
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「脱亜論」を朝鮮人こそ感謝すべき理由?福沢諭吉の生きた時代?
最後に。
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小坪先生、こんばんは
脱亜論のご紹介ありがとうございます。
Youtubeで、朗読形式の脱亜論を視聴したことはありますが、小坪先生に紹介していただくまで、全文(きょうと明日の2回にわけてアップされる)に触れたことはありませんでした。ですので、本当に感謝です。
しっかりと栞をおかせていただきます。また、別途、ワードで保存させていただきます。
追記:
(『脱亜論』明治18年(1885年)3月16日)ですが、記載内容だけを見て、
これが、平成2015年5月7日付けのシナ、朝鮮と日本に関わる論説だよと提示されてもまったく違和感がないことに・・・なにか、デジャブのようなものを感じます。
ふと、頭のなかをよぎったのは、130年後に生きる日本人が、再度、このようなデジャブにとらわれることがないようにと願いたいものですが・・・
最初の青い枠の中の文章を読んで、出典が書いてなければ今現在の保守論壇の誰かが書いたものと言われても分からないほどの内容で驚きました。結局、中国や朝鮮の非常識さというか精神性の低さは、福沢諭吉の時代やそれ以前からずっと殆ど何も変わってないということなんでしょうね。
脱亜論の概要すら知らなかったので、クイズはかなり難しいです。反日サヨク一派もまたく容認できないような、当時の朝鮮自身の極悪な所業の数々?・・・次回が楽しみです。
小坪先生、ブログの更新、お疲れ様です。大変勉強になります。
諭吉翁のお言葉、タイムスリップをしたかのように、現在の状況にそのままぴたりと当てはまるのにビックリしました。特に『近代文明や国際法について知りながら、それでも過去に拘り続けるシナ・朝鮮の精神は千年前と違わない。』は、まさしくそのまんまです。結局、日本にとって日韓併合が大失敗だったということになるのでしょうが、韓国(朝鮮)にとっては1910年の併合から2010年までの100年が最も豊かな時代だったと、後世の人々は思うのかもしれません。日本は、最初の35年間で莫大な投資をしてインフラや学校、大学まで作って社会基盤や人を育て、朝鮮半島の近代化に成功しました。戦後は日本の手を離れて反日に舵を切りましたが、35年間で育った人々がアメリカや日本からの支援(賠償金含む)を得て経済成長させました。しかし、戦後70年経った今、その人たちのほとんどがいなくなり、果実を食い尽くし、併合期前に戻りつつあるのが今の韓国ではないでしょうか。朝鮮半島は再び不安定になってゆくのかもしれません。朝鮮半島の不安定化は日本の国益に決してプラスにならないのが難しいところです。しかし、善意の支援、援助をしても、それを弱みとみて、韓国、北朝鮮は卑怯な手口でつけ込んでくることを日本人は学習しました。結果的に、朝鮮半島に深く関わってはならないというのがこの100年間の反省でもあります。
憲法改正を含めた鉄壁の安全保障政策を今こそ議論し、変えるべくは変えることが絶対に必要だと思います。
NHKが「アジアの中の日本」キャンペーンをしていたと思ってググって見た所、NHKで2005年?放送の「日本の、これから」で、第3回放送(8月15日) 「アジアの中の日本」・2006年放送第8回放送(8月15日)「もう一度話そうアジアの中の日本」 がヒットしました。
NHKによる「脱『脱亜論』」では無いかと思います。
日本の政治家をめざすような方は、特に福澤諭吉などを読んでほしいと思います。
特に推奨できるのは、福澤諭吉が40歳の壮年期のころの著作「文明論之概略」などです。齋藤孝氏の訳がこなれていて読みやすいです。大抵の図書館にあると思います。
「文明論之概略 (ちくま文庫)」福澤 諭吉 (著), 齋藤 孝 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3-%E6%96%87%E6%98%8E%E8%AB%96%E4%B9%8B%E6%A6%82%E7%95%A5-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%A6%8F%E6%BE%A4-%E8%AB%AD%E5%90%89/dp/4480430385
福澤諭吉の脱亜論は、当時の朝鮮や中国が未来永劫に渡ってダメな国家や民族と決めつけたわけではなく、どの民族にも固有の発展段階があり、民族自らが自発的に変わろうとしないと変われないものだ、それは他国が安易に手を差し伸べるものではない、と福澤自身の経験をもとに日本の朝鮮半島への介入を警告したものでしょう。
その予言は当たったようにも見えますが、では日清戦争、日露戦争、日韓併合、どれも日本が関与しなければどうなったかというとそれは全く想像できません。ひょっとすると北朝鮮や韓国は(当時のChinaがしっかりと面倒を見てくれて)現在の吉林省南部の朝鮮族自治区のような立派な自治区になっていた可能性もある。そのほうが日本にとってはストレスが無かったかもしれない。
(あるいは逆に李舜臣のような「偉大な将軍」が現れて中国を併合し旧ソ連のような巨大帝国になっていたかもしれない)
またえらそうなことを書きますが、日本人の教養としては、平安から江戸時代の古文(伊勢物語など。特に原文で読めるのがいい)と明治期の福澤諭吉や岡倉天心は必読だと思います。
日本の文化的伝統には、源氏物語に続く伊勢物語など男女の秘めやかな交流や人情機微を描いた文化と、古代中国から伝来した少々堅苦しい儒教的な文化が混交しています。
私は後者よりも前者のほうに愛着をもっています。人間は一部の賢者が高度な理屈を考えて一般大衆を道徳的に律して啓蒙しなければならないというのが後者であるとすると、前者は男女間の「もののあわれ」など解して自然と融和すれば、おのずと人としての思いやりが身についていくものだという考え方であると思います。(軍国主義の時代は厳しく大衆を律する必要があるから儒教的発想が広まったのでしょう)
わけのわからない朝鮮人の頑迷さは朝鮮半島の朱子学に由来するものではないでしょうか。それと戦後の日本の左翼知識人もわけのわからない朱子学だか儒教だかに時代をとびこえて先天的に頭が汚染されていたのではないでしょうか。
反日左翼知識人は一年中、「日本の戦争責任を、戦争責任を!」と呪文のようにとなえてきまして、やつらはカールヤスパースの戦争責任論などを引用して、誇り高き西洋知識人のエッセンスを身に着けた西洋型インテリジェンスの代表と自称していますが、とんでもないことです。朱子学の原理信者と実際は瓜二つの脳みそ構造なんだろうと思うと、その異様な偏屈さが納得できます。
儒学を少しけなしましたが、福澤諭吉などは儒学など東洋思想や日本の古典、西洋の古典(マルクス主義など陰険な思想が流行る前の西洋から学んだのでそれが良かった?)などを吸収して、自己のなかで見事にアウフヘーベン(止揚)しました。それは卓越した実用的才能と同時に日本を愛し「日本をより良い国にしたい」という素直で明確な目標と理想があったからだと、ありきたりの感想ですが)思います。
福澤諭吉の結論は単純明快。
古来の日本の伝統や信仰と西洋から始まった近代文明とは矛盾せず融和できる。逆にそのほうが日本人の心性に即した近代化を実現できて、近代化も自主的にコントロールできる、と。
この予言はまったく正しかったにもかかわらず、暇つぶしとゆがんだプライドのために、天皇制は近代化を妨げるとか不平等や貧困や戦争を起こすとわめきちらし、それが大衆に受け入れないと知ると、天皇制があるため戦争責任を果たせないと悪質な嫌がらせを日本人に対して散々とやってきたのが反日左翼です。
甲申政変に触れておりましたので、昭和に入って帝国陸軍に示達された戦陣訓との関係を少々・・・。
現代語訳にて「近代文明や国際法について知りながら、それでも過去に拘り続けるシナ・朝鮮の精神は千年前と違わない。」とありますのは、甲申政変にてクーデターが失敗した際、日本公使館に逃げ込まなかった非戦闘員である日本人居留民を清国兵が虐殺したのと関係があると言われています。
女性に至っては、30名余りが陵辱された後に虐殺されました。
当然、福沢諭吉もこの一件を知る事となります。
その後、脱亜論が発表されるに至りました。
若し、2chなら「支那人、タヒね」と表現される所でしょうが、そこは福沢諭吉、さすがに怒りの表し方が違います。
この後も清国兵は長崎事件を引起すばかりでは無く、この事件を切欠として海軍力を背景に、調子に乗った清国は日本に外交的圧力を掛けてきています。
そこに擬態支那の朝鮮は、相変わらず現在の韓国政府の様に纏りなく、ウダウダやった結果、日清戦争に発展し清国が負けた途端に日本に事大して行く様になります。
扨て、この様に日本人は昭和に入る迄に、何度も支那朝鮮人による獣が如き所業を目の当たりにさせられます。
これらの経験を蓄積を基に綴られたのが、昭和の帝国陸軍戦陣訓です。
しばしばサヨク連中が一節だけをピックアップして、非人道的だの何だのと日本軍の批評に利用する「生きて虜囚の辱を受けず」が記してあるのが昭和の帝国陸軍戦陣訓です。
なぜ「生きて虜囚の辱を受けず」なのかは、上記の様に国際法を無視し降伏した将兵に捕虜待遇を与えず、支那古来の風習による虐待や虐殺を繰り返した国(民族)が在ったからです。
支那では人間は所有物であり、負けた勢力は慰み者であり最終的には食糧でしたので、捕虜になってしまうと戦死するより苦しい目に遭わされるのが常であり、故に捕虜になるよりは楽に死ねる戦死を選ぼうってのが、日本軍の経験則による方針に結びつきました。
甲申政変に関しては、当時の革新派勢力が大阪事件を起すなど、朝鮮を利用した動きも見られ、兎角朝鮮と言う地域は日本にとって迷惑ばかり掛ける厄介な存在であったとも言えます。
そもそも、朝鮮の近代化は朝鮮人自身の手によって成されるべきものであったのに、日本におんぶに抱っこで革命を起こそうとした訳です。
明治維新とは根底が異なって居たわけです。
そう言った意味では、支那も朝鮮も脱亜論が訴えるように、日本から積極的に関わるべき相手では無い事が分かります。
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脱亜論と福沢諭吉と石河幹明
何が優れているかといえば、事実であればその1885年という今から100年以上前に支那と朝鮮を正確に見、分析していることであり、そこから現在の中国、韓国が変わらないという本質が分かるということでしょう。
しかし、この脱亜論には無署名の社説であるため、福沢諭吉脱亜論真偽説がある。
ひとつ、
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h07/#Hirayama_17
おそらく石河幹明でなければ候補はもういないだろうし、石河幹明であればあったで評価といいうものが様々変化するでしょう。
しかし、この検証は情熱を持った研究者が左翼の政治的利用を排除して行うべきことでしょう。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166603947
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B1%B1%E6%B4%8B
[…] 【資料】脱亜論の原文と現代語訳?福沢諭吉の生きた時代? より […]