宮中祭祀のひとつで収穫祭にあたります。
陛下が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に進め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する日です。
この日、福岡では筥崎宮において「憂国忌」が挙行されました。
私も記念講演は聞けなかったものの、神事に参加させて頂きました。
主催団体、福岡黎明舎の先輩らに可愛がって頂くと共に、名を連ねております。
私の、毎年の恒例になっております。
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憂国忌
非常に乱暴な言い方をすれば「三島由紀夫先生の法事」になります。
楯の會隊長、三島由紀夫先生は、昭和45年11月25日、東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で国を憂いて割腹されました。
敗戦の大きな十字架のひとつとして、政治的にも中途半端、違憲状態に置かれた「自衛隊」の存在がありました。
これを、軍という適法な状態に戻すための動き、つまり憲法改正の契機として注目されたのは、左翼デモ隊に対しての治安出動、つまり警察力をもって鎮圧不可な状況に陥って自衛隊が出動することでありました。
「檄」のすべてが秀逸な言葉でありますが、その中において「国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。」とります。
三島先生は、続けて「政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。」と述べられています。
その「憲法改正の機運、チャンス」は失われてしまう。
自衛隊の、いや存在せぬ幻の日本軍、その名誉のため割腹されたのだと思う。
三島由紀夫先生の遺志を学ぶと共に、森田必勝烈士ともどもに魂を鎮めるのが憂国忌である。
三島先生の檄をここに紹介したい。
いまの世においても、しっかり通用する問題を強く指摘されておられます。
もし読んだことのない方がおられたら、是非、じっくりと読み込んでください。
非常に重要なこと、失われつつある日本が、そして日本への愛が語られています。
われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。
かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑いもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。
しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。
銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。
われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。
われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかった。
沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
三島由紀夫
三島由紀夫先生の最後の演説
三島先生、森田烈士の辞世の句を紹介します。
意味についてはここでは解説いたしません。
まずご自身でお読み頂き、その意味を知ろうとしてみてください。
それが国を思うこと、憂うことを知ることになると思います。
三島由紀夫・辞世の句
益荒男が たばさむ 太刀の 鞘鳴りに
幾とせ耐えて 今日の初霜
散るをいとふ 世にも人にも さきがけて
散るこそ花と 吹く 小夜嵐
森田必勝・辞世の句
今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の
思ひを知るは 野分のみかは
今年、第44回憂国忌。
代表であった辻幸男先生は、11月18日、永眠されました。
私を導いてくださった師の一人であり、救う会を率いてきた本当に大きな存在でありました。
政治活動においては父親のように、厳しくも暖かく指導を賜ってきました。
憂国忌を直前に控え、本当に急な別れでした。
私が少し激しい活動に身を投じれば、大丈夫か、と心配し。
かと思えば「あとこれも」と仕事をさらに振ってくださり。
議員として接した期間は僅かに一年半、一活動家として鍛えてくださった、優しい優しい、力強い人です。
地元小選挙区においても、行橋の議員団において事務局長を仰せつかりました。
懇親会にも参加予定でありました、辻さんを偲びたく思いましたが
「まずは国家のため自らの仕事をなせ」と怒鳴り声が聴こえてきそうです。
後ろ髪をひかれつつ、国を憂う思いを胸に、例年と変わらぬ姿の筥崎宮を後にしました。
今年の憂国忌は、檄の言葉の端々が胸に深く深く入ってきました。
県議時代より懇意にさせて頂いていた鬼木先生が、国会議員(ではありませんが)として来賓挨拶されていたのが象徴的です。
「前衆議院議員 鬼木誠」と聞いた際、一瞬だけ「え?」と思ったのですが、解散後でありますから衆議院議員の身分を喪失しているのです。
式典の前、外でお会いしたのですが、辻さんのこと、選挙のこと、いっぱい言いたいことがありましたが、そういうことを言っていい場でもないし、辻さんのこととか話したら泣いてしまいそうで、顔を見たら気持ちがいっぱいになってしまいました。
憲法を変えたい、だから選挙を頑張る。
厳しい小選挙区、一人の兵隊として、市議として戦う。
福岡二区、鬼木先生(FB)を応援します!
昭和維新の歌 映画 『2・26』 より
皆様は、この歌を聴いてどのように感じますか?
古臭い過去の出来事でしょうか。私はそうは思いません。
最後に。
Facebookのアカウントと、FBのファンページを紹介させてください。
記事を書くたび、こちらでも投下します。
フレンドリクエストは気軽にお願いします。
FB個人アカウント 小坪慎也
FBファンページ 行橋市議会議員 小坪慎也
コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)
若い頃から、私の頭の中では、三島由紀夫氏の作品と、この檄が
どうにもつながらなくて、様々な評伝を読んでみれば、さらに
謎は深まるばかりでした。
大変失礼ながら、真の愛国者なのか?はたまた作家として深淵を
覗き込んでいるうちに迷子になった人なのか?と。
作家・音楽家・画家…見えないものを見て、聞こえない音を聴いて、
無から有を創り出す方々の真意を見出すのは、なかなか容易では
なく。作品を楽しむに留まってました…。
宮中祭祀、神社の様々な神事、各地方の市井のお祭り。その歴史と
意義も、もう一度勉強し直さねば、子供たちににも教えられません。
改めて学ぶことの多さに、ちょっと気が遠くなりました…。自業自得
ですが。
私は恥ずかしながら三島由紀夫さんの著書は殆読んでおりませんが、掲載していただきました檄と駐屯地での最期の演説の内容については、何ら偏向した思想感なども感じられず、誠に純粋な憂国の一途の思いが込められているように感じます。
まだ手遅れではないと思います。日本を取り戻すためには、全日本人が他人事ではなく、自分の使命として自国の国体を護る気概を持てば、必ずや三島由紀夫さんの思いを成し遂げることができると信じます。
なぜ信じることができるか、それは日本は他国のように寄せ集めではなく、我々は長い独自の伝統を持つ日本民族だからです。
昨日は 三島由紀夫の人生を 考えていた一日でした。国体保持のために日本のために一生をかけた三島由紀夫に畏怖の念を抱きます。やっと時代が三島由紀夫に追いついてきました。日本復興ためにギリギリですが間に合って欲しいです。
今日の記事に感謝します。
若い頃、三島由紀夫を理解できませんでした。歳を重ね、政治、マスコミ 日本社会の矛盾、日本の危機に気が付き三島由紀夫の心、行動が理解できるようになりました。
そして小坪先生の今日の記事、胸に迫るものがあります。
2.26事件についての本 末松 太平氏著「私の昭和史―二・二六事件異聞」を読んで見ようと思います。
素晴らしいきっかけを作ってくださってありがとうございます。
祭日はGHQによって変えられました。
「勤労感謝の日」も元の名称に戻して欲しいものです。
三島由紀夫氏も神風特攻隊も私の中では、とても激しいものです。
議員の気持ちがわかりとても嬉しく思います。
敗戦から約70年、ほとんど負け知らずの国でしたから心理的な痛手は大きく、しかし、今後真の独立国になると思います。
今日のブログ記事でファンになりました。よくぞここで三島由紀夫を記述してくれました。三島由紀夫のクサビは今の日本にズシリと突き刺さっています。
本日、玄関先に国旗を掲げました。
もうすぐ半世紀・・。
隊員に送った手紙の一文、
『無言の時の力』。
遣りきれなさと畏敬を新たに。
三島先生が 自刃された時…高校3年でしたので、翌年3月自衛隊に入隊。
やはりその頃の 自衛隊員には…先生の思いは通らなかったでしょうね!
入隊して 初めて 世論の厳しさを、再確認した次第です。
休暇で実家に帰る時、外出する時……制服禁止でした。
映画館や喫茶店でも……入場断られましたしね・・・(-_-;)
[…] 昨年の記事 【憂国忌】新嘗祭、今日この日に国を憂う。 […]