【物申す政治家】「解党的な出直し」党要職を歴任した武田良太、出陣式にて。10年の滑走路、その半生を地元地方議員として。

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私のおひざ元は福岡11区、自民公認の衆院候補は「武田良太」です。
全国でも名を知られる有名政治家でありますが、今回の衆院選では”横一線”とギリギリの戦いをしています。どうかお力添えをお願いします。

その後ろ姿や威風堂々とした所作、それが昭和的なものだとしても誰もがついて行きたくなるボスです。
こんなことを書くのも照れくさいですが、いつもの勝気な振る舞いが大好きです。
いまの緊張感をもった表情、なにより出陣式という晴れの壇上において「支持者や党員に大変なご心配とご迷惑をかけた」と深々と頭を下げられた時、私はたまらない思いがしました。

かつては武田先生から「小坪はこう見えてなかなかやるところもあって、俺の側近なんだけ・・・」と他の国会議員に紹介してくれた際に、間髪いれずに「側近じゃないです」と切り返して、私としては最高の政治ジョークだったのですが、少し本当に不機嫌になってしまったり。他の国会議員も交えそこらへんの居酒屋での出来事。同席した国会議員の困った顔も含め、あの表情はくそ面白かった。なんだろう、トムとジェリー的な仲の良さです。

地元小選挙区ですから頻繁に会う機会もありますが、私は少々困っても武田先生には意地になっても頼まない。
嫌いだからじゃない。なんか負けた気がするし、甘えたくなかった。地元議員が有力になればなるほどに。

かつて本当にヤバいぐらいに揉めていた際(弁護士への懲戒請求者らが訴えられ、私が弁護士会に文書照会を求めたころ)「何か言うことがあるんじゃないのか」とすごく心配して声をかけてくれ、私は「親が子供の喧嘩に口を出すな!」などと言い返してしまい、すごく心配した目で何かを言いかけて、双方が押し黙って。「・・・甘えてしまったら、一緒に歩けなくなる」「隣は無理でも、一歩遅れたぐらいの場所を胸を張って歩きたいんだ。」と小声で言って、複雑な目で見つめてくれるような人。自分で始めた喧嘩ぐらい、自分で最後まで遂げたかった。無事にひと段落したころ、こっそりご飯に誘ってくれたり。なのに悪態をついて怒られたり。

自分のことは頼みにくくて、少し意地にもなっていて。もとの姿は、普通の兄ちゃんみたいな存在だったから。
武田先生に頼んだのは、後にもさきにも産廃問題で地域が苦しんだときぐらい。自分のことはこれからも言えないと思う。
「代議士に頼らなくても、自分で人間関係を構築して、ここまではできましたよ?」と不敵に笑いたい相手。

私は、きっと武田先生の悪態をついていきたいんだと思う、本人に。
面と向かっていじりたい。たまに怒らせたい。実際に怒られる。
なぜと言われても理由なんてない。

そのうえで明確にしておかねばならぬことがある。
武田良太という存在は、今後の福岡県にとって、また国政においても極めて重要な人物だと述べる。
近隣政令市においては北九州市(9区10区)が自民議員不在の中、当県を代表する国会議員らの近い将来における引退も取り沙汰されており、まさに入れ替わりや世代交代が想定される中、極めて重要な人物です。出陣式における武田良太先生の演説を紹介します。

その半生について、地元小選挙区の市議として、ここがどのような自治体構成で、そしてどのような選挙を戦ってきたのかを紹介したい。
35歳で初当選、以降連続7期当選を果たしたベテラン議員だけれども、実は25歳で初出馬しており10年の浪人期間。初当選は公認を得られず無所属で、初当選より約一年の二回目の選挙が郵政解散。地方には郵便局が必要!と造反し、刺客を立てられ400票差で(二期目も)無所属での当選。”気合が違う”と言われる、武田後援会の成り立ちを私なりに振り返ってみたい。それは10年の滑走路と呼ばれる。

 

 

 

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【武田良太出陣式】「解党的な出直し。物価高騰と地方経済の疲弊」

トータルで7分ほど。全編を見ても苦痛にならぬ長さだけれど、忙しい方向けにショート版も作ってみました。
私は序盤の、武田先生の挨拶の冒頭の部分に打ちのめされたところもあります。

なぜ私がショックを受けたかは、前述の背景に触れたうえで述べさせて頂きたい。

 

ショート版

 

福岡11区は極めて激しい小選挙区です。
面積もの広さも含め、その激しさを10年の滑走路という言葉を引用して述べていきます。

なぜ私が冒頭の挨拶に衝撃を受けたのかという点も踏まえて。

 

 

 

10年の滑走路

これは書籍のタイトルにもなっている言葉。
武田先生は、35歳で初当選。7期を連続当選のベテランで、8期目を目指します。

これだけだと、テレビに出てきた人ね、自民党の人ね、成功者ねとだけ感じるかもしれない。
実はドラマもある。

初出馬は25歳。
当選まで10年間、落選の日々。
この件を取り上げた書籍として「10年の滑走路」という本も出ている。

しんどい、よ。
しんどいだろうよ、ある意味では無職。我が身に置き換えて考えてみると分かるだろう。
政治少年、または政治青年だった時代がある。伯父が田中六助だったかと思うが、その流れで政治家を志したとか言っていた気がする。(何度か聞いたが、よく覚えていない。)

 

では序盤戦から。自民の公認を得るまでも苦労はあるが、やっと得た公認でも勝てない時代。
ついに無所属出馬となっており、そこで初当選している。

 

28歳 第41回衆議院議員総選挙
当  山本幸三 48 新進党 前 66,798票
比当 中西績介 70 社会民主党 前 51,569票
落  武田良太 28 自由民主党 新 42,152票

32歳 第42回衆議院議員総選挙
当  山本幸三 51 無所属 前 68,440票
落  武田良太 32 自由民主党 新 65,838票
比当 中西績介 74 社会民主党 前 41,152票

35歳 第43回衆議院議員総選挙
当 武田良太 35 無所属 新 78,882票
落 山本幸三 55 自由民主党 前 62,628票

 

 

喧嘩選挙区と称する者がいるほど、ここは難航した選挙区。
武田先生が初当選した際には、無所属でのチャレンジャー。
のち入党が認められるが、その一年後が「郵政民営化」だった。

まだ初当選より僅かに一年、選挙体制も固まっていないはずだが、
「郵政民営化に反対」、ほぼ新人の状態で「族議員」として刺客を立てられる。
当然、自民党の公認は得られない。
相手は、自らが初当選の際に破った山本幸三。

この流れを見ても自民党で国会議員になるのが、どれほど過酷な道かということがわかると思う。
ゆえに、異常なレベルと言うものがいるほど、盤石の選挙体制をひく。

 

37歳 第44回衆議院議員総選挙 福岡県第11区
当  武田良太 37 無所属 前 78,757
比当 山本幸三 57 自由民主党 元 78,308票

僅か、初当選より一年強、郵政民営化に反対し、メディアスクラムの中、元職の自民を破り、議席を守る。
その票差は、僅かに400票強。

 

41歳 第45回衆議院議員総選挙 福岡県第11区
当 武田良太 41 自由民主党 前 106,334票
落 山口はるな 33 社会民主党 新 61,192票
落 山下登美子 55 日本共産党 新 14,475票

ちなみに、日本共産党の山下さんは私と同じ小学校区。
娘さんが私の兄弟の同級生で、子供は同じ小学校に通った。
のち、私が初当選した市議選において、同じく出馬。
私は、(市議選ではあるが)山下さんを破って市議になった。

結果として、議場では共産党に付け狙われるようになった原因の一つと先輩議員が言われたことがある。(事実かどうかは、本人しかわからないだろう。)

市議会で図書館建設の可否において住民投票で意見陳述をした山下さん(男性)は、この共産党候補の山下さんの旦那さん。
どちらも近所の叔父さん、叔母さんであり、小さい頃はよく遊んでもらった。

まさか、大人になって、国政選挙で戦い、市議選で争い、
さらに議場で戦うことになるとは思わなかった。

 

小学校は、私の学年は人数の多いほうで、それでも20人少々。
10人前後という学年もある中で、実は「物凄く狭い世界」が、全国に発信され、国政を戦い、市議選を争い、というね。

 

このような流れがある選挙区ゆえ、徹底した選挙体制をひいた地盤。

民主党が政権交代を果たした際も、安定した戦い。
維新に風が吹いた際も、である。

 

選挙区が広いことでも有名。
田川市、行橋市、豊前市と、三つの市に加え、田川郡、京都郡、築上郡で構成される。

田川郡(香春町、添田町、糸田町、川崎町、大任町、赤村、福智町)京都郡(苅田町、みやこ町)、築上郡(吉富町、上毛町、築上町)と、自治体の数が半端ない。そして、面積も異常に広大。

 

私は11区で選挙を覚えたためこれが通常だと思っていたのだが、別の選挙区では異なるようだ。他では、主に県議が指揮官となり、市議が手足としてピラミッド構造を形成しているようだが、11区においては、「武田後援会」がこの広大な選挙区内の隅々に構築されている。

事務所も常設で3つ(田川、行橋、豊前)あったと思う。
常設かどうか私も知らない苅田事務所などもあり、私設秘書の数も尋常ではない規模。

度重なる激しい選挙の結果、「武田軍」と称されるような、極めて堅い組織を練り上げている。国会議員自身が、これだけ強大な組織を構築し、維持している例は少ないようだ。
(他の場合は、県議・市議の後援会の集合体なのだが、11区は独立部隊となっている感じ。)

 

浪人中の10年の経験、そしてその後の「戦闘」の結果、
このような布陣となっているのだろう。

まさに武将みたいな存在。
性格だって勝ち気で、見ていて清々しい。

 

 

 

■武田良太氏「何をもって裏金というのか」

極めて激しい小選挙区です。
面積も広いと述べたのは前述の通り。常設の事務所がカバーするエリアは広く、私設秘書の数もたくさん必要になります。

”裏金”と批判される未記載ですが、5年間で1926万円を記載せずというのが武田先生への報じられ方でした。これは武田「個人」ではなく、民間に例えるならば株式会社武田良太みたいなものであり、何かを製造して販売したり等の営業活動はできませんから、地元として地域として、地元事務所の家賃であったり人件費を負担しているイメージでした。少なくとも私はそうです。地方議員だと来賓や招待扱いになることも他選挙区ではあるようですが、私は自分の私費で武田先生のパーティー券を購入し、自分の意思で参加しておりました。毎回毎回ではありませんが、購入してきた理由は、政治活動に使ってもらうため、です。

国会議員の歳費は個人に入る所得ではなく、膨大な面積をカバーしようと考えるならば法人としての売上同様に論じるべきです。
歳費のなかだけでやれ、パーティー券を買わない!となれば、恐らく行橋市の事務所は閉鎖される。地元の市議として、国政に直結の窓口は地域発展のために必要だと思ったんです。

私は自分の意思でパーティー券を買ってきましたし、「使ってくれ」と思って、ない財布の中から支出してきました。年に何回もはありませんしね。
国会議員として国民が納めた税金を奪っているならまだしも、そういうことをしているならば私は一番に刺しに行ったと思う。
しかし(私が)”使ってくれ”と自ら差し出したものまで謎の議論になるのは、私にはわからない。何をもって裏金というのだろうか。

 

■武田良太氏「何をもって裏金というのか」

 

武田氏は先週、「裏金」について10月5日、このように話しています。

自民・前 武田良太氏(今月5日インタ)「何をもって裏金というのか本当に裏金をもらった人には厳しい判断が下るんじゃないかと思うけど我々は決して裏金はもらっていませんし、そこのところは政治倫理審査会で説明させていただいています」

 

 

凄まじい逆風の中、説明のため表に立った武田先生は立派だなと思いました。
恰好よかった。

ちょっと手が震えるように見えるぐらい、緊張の面持ち。
戦ってるんだなって。ある意味で、党を背負って立っている姿に、私は憧れすら覚えたんだ。

そして「あー、こんちくしょう、これは追いつくには普通では無理だな。」と。
実は勝手にライバル視してたりするもので、憤慨して悔しがるほどには格好いいと思いました。

 

その武田先生が、晴れの舞台である出陣式において、党員や支持者に向けてお詫びの言葉を述べたとき、
私は頭を殴られたような衝撃を覚えたのです。

 

 

 

余人をもって代えがたい人材

25歳のあんちゃんが、長い長い10年の滑走路を走ってやっと35歳で初当選。
そこから7期を当選し、大臣も歴任し。自民党が苦しいときには自ら矢面に立つ。
その初当選は自民党出馬ではなく、二期目の当選においては公認がないだけではなく刺客まで立てられて。

 

このことは触れまいかと思ったのですが、私は保守活動に身を投じたのは麻生内閣からです。
その末期、中川財務大臣の編成した予算に、政策に希望を頂いたからです。守りたい、と。一片の盾として在りたいと願った。

いま武田先生と麻生さんは仲が悪いと報じられますけれど、どれぐらい悪いのかは私は知りませんが(まぁ、よくはないだろうけれど)
私が会ったときには、実は麻生内閣を支える会みたいのがあって、同じ福岡県から出ている総理ということで、その呼びかけ人だかを武田先生がしておられました。懐かしいなぁ。(その後に仲悪くなったんだと思う。)

 

先般の衆院選では、北九州市である福岡9区と10区が敗退しました。
共に比例重複出馬が年齢で許されず、行橋市に隣接する政令指定都市は自民の国会議員を有しません。

いま北九州空港の滑走路の延伸、また国防上も重要な第八航空団築城基地の滑走路延伸も政策として推進されていってる渦中です。
全国に比較すれば、かなり発展のイメージの強い福岡県でありますが、まだまだ行橋苅田みやこ等、また豊前市などの豊築ではインフラ整備は必要です。ここには日産やトヨタ、ダイハツなどの自動車産業も集積されている。さらには大分や宮崎に向かうルートの途上でもあり、本当に高い政治力が必要なんです。

 

福岡県には11選挙区がありますが、ここ最近の衆院選で多くが代替わりなり新人に交代するなりして世代交代が進みました。
それはそれで良いことだと思うのですが、誰も彼もを入れ替えてしまったならば、誰が福岡県を束ねていくというのか。かつて総理を務められた、私が応援していた重鎮議員もやがては引退していく。人には等しく、年齢というものがあるのだから。この記事は、11区の友人や議員も見るだろうから正面から書くことは怖い部分もあるのだけれど、私は麻生内閣を応援していたし特に中川昭一先生が大好きでした。いま仲が良いとか悪いとかではなく、福岡県全域で見た場合においても、あの若さで初当選を果たし大臣経験もあるベテラン政治家は、もはや唯一無二の存在なのだと言いたい。

照れくさいけれども、言いたい。会えば悪態つきたくなるけれど、言いたい。
必要な人材なんだ、と。

各県の選挙応援に入り、私がなんとなく疲れていると、夜中に電話をくれたりして、
「飯、食ってるか?どうしてるか?」とかいうもんだから「一人で寂しんですか?私は忙しいです。」とか言い返して電話切られたりするから誉めるのが恥ずかしいけれども、地元小選挙区の市議会議員として武田良太が必要な人材なんだと胸を張っていいたい。

 

※ 毎回毎回の衆院選で、少ない時は地元には僅か一日だけ。全国に応援に駆けまわっていた武田先生も、今回はかなり長期間にわたって地元に。
私も応援に入ると約束した先生のところには駆けつける予定ですが、なかなか地元を離れにくい状況が続く。

 

 

 

 

 

 

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