事務所開き、盛会。

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無事に事務所開きを執り行うことができました。
参加してくださった皆様、また心待ちにしてくださった皆様、なにより短期間にも関わらず準備に奔走してくださった後援会の皆様に深く感謝いたします。

事務所内にて神事を行っているところですが、外まで人が溢れておりました。
往来の妨げにならぬよう、後援会と協議させて頂きます。

”いわゆる選挙”みたいな、決起集会のような事務所開きであるならば土日のほうが有利なのでしょうけれども、大安であったことから2月14日となりました。強く動員をかけていたわけでもなく、関係者のみ3~40名を考えていたのですが100名近く参加してくださったようです。
受付程度は用意していましたが、誘導や案内の人数が不足していたかもしれません。次回はスタッフを増員します。
(※ 平日にお願いすると有休を使わせてしまったりで申し訳ないからです。組織動員というものも行っていません。)

 

神事を執り行って頂いただいたのち、蓑島神社前にて事務所開きのご挨拶をさせて頂きました。
福岡県議会議員の西元けん先生、川端こういち先生、北九州市議の西田一先生らにマイクを握って頂きました。

※ 私は登壇中のため、開式前の写真しかなく恐縮です。アットホームというか、非常ののびのびとした舞台でした。ある意味では恒例なのですけれども。

 

今回の事務所は、小さいころに通った駄菓子屋、永田酒店です。
政策として「買い物難民対策」を掲げてきた経緯があり、回転在庫の防災倉庫としての価値を述べ、店舗を地元の方とともに修復を続けてきました。懐かしさのあまり、大人たちが”あと少し”と手を加える間に、もはや古民家カフェでも作ろうとしているのかという(本来の目的とは逸脱しつつある)美しさを取り戻してきました。

大切な品々でありますが、2tトラックで4台分ほど搬出する必要があり、初期状態から必死に片づけて綺麗にしました。本来は不用なことなのでしょうが、床にもワックスをかけました。テーブルなどはお洒落にしたく思いまして、自分の事務所から私物を持ってきました。

ガラスの棚は、旧・店舗にあったものを磨いたものであり、他の棚については(恐らく専売公社の時代の)備品を蜜蝋で丁寧に修復したものです。年明けからずっと棚を磨いておりました。

「懐かしいなぁ」との思いが、後援会や地域住民にも共有の思いであり、”あと少し、あと少し”とやるうちに修復しすぎたという感じです。

事務所開きの挨拶をさせて頂いてのち、神事とは別にどうしても行いたいセレモニーがありました。

 

 

ここまで修復したら、なんとなくお菓子を並べたい思いになり、あくまでディスプレイとして展示しています。

来賓の皆様を含め、推薦団体の方々からお菓子を棚に収めていただきました。
公選法違反になるため配布などはできず、菓子類の事務所外への持ち出しは厳禁であることを再三にわたって述べたうえ(くどいとお叱りも受けましたが)で、順次お菓子を棚に入れて頂きました。

 

(往来の通行の妨げにならぬよう、私からも司会者からもアナウンスしており綺麗な列を形成しています。)

 

 

 

結構えらい先生たちばかりなのですが、事情を説明して協力して頂きました。

かつては10軒以上の駄菓子屋があったのですが、いまは買い物難民の問題に直面しています。
様々な質問を行い、マッチする政策がないかと研究した10年以上の月日。

「もしもここにお店が開いたらなぁ」という思いは、私だけではなく地域住民の個々にあり、ある意味での「最大のメッセージ」です。当然、販売もできませんし、配るなどは持っての他です。ただ、ここを事務所として借りた夜に、明かりを灯したならばなぜか涙が出てきて、それは清掃に携わった一人ひとりも同じだったのだと思う。

 

 

とはいえ、作業中はこんな状況になるわけで、全力で綺麗にしたからと言って店舗として営業しているわけではないのですけども。

いまは誰とはなしに「あと、ここの錆を落とすわ」とか「ここ、ペンキを塗ろうか」等と(もはや私にも無関係に)どんどん修復していこうという機運です。正直に言えばまだ足が不自由で、そう多くは出歩けませんし、素人なりに棚を磨いていたというのが実態です。それが一人二人と増え、大人の悪だくみではありませんが、なぜか修復活動ばかりしてます。

 

それでいいだんと思う。

 

令和の世においては、時流ゆえやがては淘汰される運命だったのかもしれません。
ただ小さいころに夢見た”辿り着きたかった未来”であり、”帰りたかった場所”を心の底から表現いたしました。

買い物難民、また直近での能登の震災など、目の前に「もの」がある安心感。コロナ禍においてはお金があれども物資は得られませんでした。地域防災の観点からも、別の角度から”かつての駄菓子屋”は振り返られても良いと考えています。
例えば回転在庫の民間防災倉庫などの視点。

これはある意味での政策提案です。
(私が実際にできるわけではありません。)

 

なぜ私は磨き続けたのだろう、
なぜ磨き続けているのだろう。

その刃を、質問力を。
誰がための剣なのだろう、私という存在は。
愛郷心をベースとした、ボトムアップの保守。

これが私の原風景、突き詰めた際の本質なのだと思う。

 

 

 

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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)

  1. ヨウイチ より:

    小坪先生、まずは事務所開設、おめでとうございます。

    地方衰退の原因は「時流」などではなく「経済政策の誤り」です。1997年の小泉内閣の「建設国債も含めた国債発行ゼロ」を目指した「プライマリーバランス黒字化目標」が主犯です。これにより、日本の名目GDPは、世界で唯一、横這いになりました。以降、政府は何をするにも「カネが無い」「財源は増税」に邁進していきます。あまつさえ、企業の利益は株主に献上する「株主資本主義」を第二次安倍政権で推進。

    経済のパイが拡大しない中で、赤字に陥る中小・零細企業を「ゾンビ企業」と呼び、それ等が潰れれば生産性が高い企業のみになって経済成長するから、「これで持たない会社は潰す」とコロナ禍でも「粗利保証」ではなく「無利子融資」という「負債」を課す。「株高だから好景気」コストプッシュインフレなのに「インフレになったからデフレを脱した」という、経済音痴の自民党上層部。

    そして、それに一切、異論も指摘も反論もしない「保守」

    その被害を被り続けている地元の皆様方に、小坪先生はいったいどんな公約をされるのでしょうか。一刻も早く高橋洋一のような獅子身中の虫とは縁を切って、貨幣観を正し、真に地元の、引いては日本を(まずは経済から)復活させていく、地方議員の核(コア)となっていかれることを願っています。

  2. azumaebisu より:

    小坪市議、選挙事務所開きおめでとう御座います。

    必ず当選するべく祈念致します。

    令和6=皇暦・皇紀2684=基督暦・西暦2024年2月16日金曜日

  3. 神無月 より:

    もう市議選なんですね。年月の早さを感じます。

    鳥居(結界)の下でマイクを握る姿に、鬼神の姿を垣間見ます。

    我が街も、子供の憩いの駄菓子屋は消え、コンビニが増えました。

    コンビニを防災物資の拠点化的な記事を目にした記憶が有りますが、コンビニ店の経営は厳しいようですので、理想と現実との乖離は有りそうです。

    事務所開きに、多くの支援者がお集まりのようですのでなによりです。

    世界は大きなうねりの中ですが、日本だけが井の中の蛙で、ノドカな雰囲気に良いのか悪いのか?

    日本は、ウクライナ支援に大風呂敷のようですね。
    .

  4. 櫻盛居士 より:

    **********************************************************************
    共産党は2016年9月13日からの警告を無視し続けましたね。
    ならば、下記は決定事項と承諾したものと見做します。

     ・『テロを利用する共産党』
     ・『テロリストの味方である共産党』
     ・『テロに屈する共産党』

    **********************************************************************
     
     
    趣のある選挙事務所ですね。
    昔のタバコ屋さんは、ドライブスルーならずウォークスルーが一般的でした。
    まだ家のお父さんが「タバコ買って来て」と、子供にお遣いを頼んでも問題視されない時代でした。
    セブンスター1箱が200円しなかった時代、週刊少年ジャンプが100円台の時代迄は、一般的な街の風景でした。

    年々、この様な建物は減って来て居り、どこか物悲しさも漂わせます。
    とは言っても、阪神淡路大震災や能登半島地震を見る限りでは耐震性の面で不安を感じる建物とも言えるでしょう。
    建物の鑑定士では無いので確実な事は家ませんが、木造建築で築数十年を経過して居るにも関わらず、激震地でも倒壊しなかった建物もあるので何とも言えませんが、印象としては戦後に建てられた建物の方が脆いのではないかと感じて居ます。

    風情や情緒と命を引換える訳には行きませんから、懐かしさを感じる建物が建替わって行くのは仕方の無い部分ではありますね。
    風情や情緒、命の両方を取ろうと思えば、年代物の建物の耐震、或いは免震補強は行った方が良いですが、その工事費用が建替えと比べて安価でないと、中々建物の保存は難しいでしょう。
    而も古い建物は現在とは異なり、家電の極めて少ない時代の建築ですから、居住快適性のコンセプトが異なって居る事もあり、薬物テロや化学兵器攻撃に備える事を考えれば密閉性の高い現在の建築の方が有利な為、この意味でも年代物の建物を保存するのに要する経費との折合いが難しい所でしょう。
    これらを網羅して解決する工法の開発を期待したい所ですが、その為には莫大な開発経費を要するでしょう。

    扨て、地域の機能性の視点で考えた場合、今迄の時代はモータリゼーションに沿った淘汰が為されて来ました。
    ですが今後は団塊世代が次第に鬼籍に入って行く時期に来て居り、燃料費の高騰なども併せて、モータリゼーションなどと言った概念の無かった時代程ではありませんが、経済圏視点での異動範囲の見直しは図っても良いのかも知れません。
    一方で自動車の快適性や燃費向上も進んで遠出自体の苦労が軽減されて居ますので、経済圏視点での異動範囲の縮小は出来たとしても非常に緩やかなものになるかと考えます。

    何れにしても民間の経済力が疲弊して居ると、何をするにしても進める事は困難なのには変わり無く、現在の様に官が税として巻上げて、状況によって民にバラ撒く方式だとかなり厳しいでしょう。

    恐らく昔の政治家と比べて、今の政治家の方が票を集め難いのではないかと思います。
    それは国会議員、地方議会議員の双方に言える事だと思います。
    これは昔と同じ様な政策を実現させても、そもそも現在の税制では地元に還元出来る利が少ないからでしょう。
    こう考えると、地元の活性化と票田育成を目的とするならば、手段としては財務省討伐に成ってしまうのかも知れません。

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