1 サヨクにある幻想
サヨク自身は、自分が行うサヨク活動の目的をどのように思い込んでいるか。
サヨクでない人々の間にも、サヨクとは人権や平和を求めて活動する存在だという幻想を抱く人がいる。もちろん、サヨク本人となると尚のことだ。いうまでもなく、これは間違いである。サヨクは自らの悪意のエンジョイを、社会活動の仮面で理論武装してるだけなのだ。時にサヨク自ら意識せずに。
ただ、ジンケンのためとかヘーワのために活動しているなどということが嘘であることを、伝統的な社会主義を担うエリート左翼の場合知っている。本当の所は、戦争と革命闘争のための下準備にすぎないことを知っている訳だ。知っていてジンケンのためとか、ヘーワのためとか若者を騙す訳だ。これに、どちらかというと考えるのがあまり得意でない体質の若者は、ニセ生首写真とか見せられて簡単にコロリと騙される。
サヨクが結局何をやっているかといえば、放火、殺人、でっちあげ報道による個人生活破壊、つけまわし、無言電話、嫌がらせの手紙やファックスや電子メールの送付、つるし上げなどといった人権を根底から踏みにじる行為であり、人々の平和な生活を徹底して侵す行為である。また、社会主義国における人権侵害や、軍事的な脅威は何かと隠蔽する。これらのことから、ジンケンのためとかヘーワのためとかいうセリフが、普通の人間なら簡単に嘘であることを見抜くことができる。
しかし、世の中全てが考える人という訳ではない。どちらかというと、学習能力が秀でて思考能力が低い人間も多い。残念ながら見ぬけない人もいるのだ。
こういう人がサヨク洗脳を受けると、考えることを完全にやめるサヨクロボットとなる。サヨク宣伝のみを受け入れ、学習し、再現するロボットだ。サヨク情報以外の情報を入力できず、サヨク思想を疑わず、ただひたすらエリート左翼が入力したプログラムを実行する人間だ。
普通簡単に見抜くことのできることでも、オウムとかサヨクに退嬰化してしまうと、見抜けなくなってしまう。オウムとかサヨクという存在のどうしようもない所はそこである。考えるのであるなら、説得の可能性がある。しかし考えないとなると、もうどうしようもないのである。
更に、一応付け加えるが、例えばこのページによりサヨクの洗脳が解けて改心するという期待を筆者は全く持っていない。このページに記されている大量のサヨク問題を目の前にしても、間違いなくサヨクはサヨクであり続けるだろう。
「0.サヨクって何(このページの目的)」でも記したが、あくまでこのページは世間一般の人々を対象にしている。オウムとかサヨクに洗脳されてしまった後では、論理的実証的心情的 如何なる説得も無意味なのである。
あえて洗脳解除の可能性があるとするなら、オウム信者の時と同様に以下の手段以外にないだろう。
1 とにかくサヨク組織から物理的に引き離す。
2 サヨク信者となるために受けた洗脳と同じくらいのショックを与え、同じくらいの時間をかけて、心理カウンセリングを行う。
いずれにせよ、ホームページごときではサヨクはどうにもならないのだ。
ロボットは考えない。
ロボットは改心しない。
ロボットは良心が無い。
ロボットはプログラマ以外の入力を受け付けない。
ロボットはプログラマの命令に従い動作するのみ。
2 サヨクは理想主義者ではなく、ただの無責任な阿呆
サヨクを理想主義者という人はサヨク以外にも多い。おうおうに現実主義者との対比でこのように呼称される。はたしてサヨクは理想主義者か。全く違う。ただの無責任な阿呆にすぎない。
(1)真の理想主義者とは
筆者の言う理想主義者とは例えばこういう人間だ。
空を飛ぶというのは、大昔から人類の夢だ。その夢にいどんだ自転車屋の兄弟がいる。ライト兄弟だ。
音を機械に蓄積しいつでも再生できたなら、すばらしいことだ。その夢にいどんだ発明家がいる。エジソンだ。
ライト兄弟やエジソンはそういう理想に向かって、自らリアルな現実を解析し把握し懸命に対処した。これが理想主義者である。
高い理想をかかげ自ら取り組む人間。これが筆者の言う理想主義者である。
(2)サヨクの「理想主義」
逆に、「セーフはシャザイシロー」とか「フクシヨサンをフヤセー」とか他人に要求しつづける人間。ひたすら他人に「理想」なるものを要求することを「行動」と勘違いした人間。これは理想主義などではなく、単なる無責任な阿呆だ。
サヨクの「理想主義」とは、
(1)政府など他人に、結果を考えない「理想」を要求。
(2)馬鹿げた内容であるため、おうおうにシカトされる。
(3)「ううむ、嘆かわしい。世間の人間はボクのリソーを理解できない意識の低い人間だ。逆にボクはなんて高い理想を掲げた意識の高い立派なヒトなんでしょ。」と自慰る。
というものだ。つまり単なる無責任な阿呆なのだ。
(3)サヨクを「理想主義」などと呼称するべきではない
エジソンの偉大さは「セーフは蓄音機を開発しろー」と喚き続けた点にあるのではない。自ら理想に取り組んだ点にある。
また、世間にいる多くの人々も理想に向かって努力している。どうすればもっと使いやすい製品になるか。どうすればもっと安価に製造できるか。どうすればもっと望ましいサービスを提供できるかなど。
つまり、理想主義と現実主義は必ずしも逆なのではない。理想主義とは徹底した現実主義の裏付けがあって成り立つのだ。
サヨクを理想主義などと呼称するのは、理想に向かって現実的に努力する多くの人々を愚弄するものだ。