ネット保守を標榜する方が当ブログを主として閲覧している。ゆえに誰しも自覚があるのではないか。
ネットとリアルの乖離、徐々に空気がおかしくなったことを。
「おかしいな」って思っている人はたくさんいると思う。
「流されちゃえば楽だった」のに、敢えて迎合はせず正面から立ち向かった男がいる。過激化路線の編集に、元NHKキャスターという経歴がそうさせたのか、頑として譲らなかった。結果、大炎上。
支持層のメインであったはずのSNSは、いまは逆に牙をむく。それでも譲れぬものがあった。
元・次世代の党の所属。ネットがいまほど力を持たなかったころの話。かつて石原慎太郎先生が結党し、平沼赳夫先生が党首を務められた。ネット保守の原風景、だからこそ”なびけぬ”という矜持を感じた。
辺野古で怪我人が出るほどの喧騒があり、やがて逮捕者まで出る過熱した時。
バッジ付きで現場でマイクを握った男は誰だったか。
覚えてるだろう、古参は。あの日を。
思い出せ、我々の原風景を!
彼は、その矜持を守り抜いた。
その名は、和田政宗。
前回比で衆院元職の保守系が2名出馬、6年前の28万票に比して10万票は流れる。
いまの政党支持率では危険水域にある。票の上積みの要請を受け、受諾した。
戦況を報告する。
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かなり厳しい現在の状況
様々な調査がなされます。
そのうち自民党の比例は13枠と事で、伸びても14枠と言われていました。
さらに厳しい見方をすれば、それ以下(11とか12枠)という話もある。
6年前の19枠から大幅に減らすことは間違いなく、当選に必要な得票ラインは上昇する。
20万票以上が当選ラインではなかろうか言われています。
和田先生の前回得票は288,080票。
これだけとれれば、普通に安全圏でありました。
今回の、和田政宗候補の状況ですが、衆院より元職が2名、新たに出馬してくる構図となっています。いずれも国益に叶う候補だと信じますが、だからこそ票を食い合うこととなり、流れてしまう保守票もかなりあると思います。
仮にそれぞれ5万票ほど流れると計算すると「100,000票落としてしまう」ことになります。
180,000票は、かなり危ない水準だと考えます。
全体を見渡すと、180,000票以上を必ず取って来られる取る団体等が付いている候補者と特定枠2名で、10枠は確実に埋まります。
その場合、「13~14枠」から「10議席を引く」と残数は3議席。
和田政宗候補を含めた候補者で、残りの3枠を争う選挙になるようです。
最低でも11番、12番、13番に入らないとなりません。
他の支持団体が正常に稼働しており、予定通りの集票ができたとしても
【あと2万票の上積み】が必要です。
覚えておいて欲しいこと、思い出して欲しいこと
彼は常にそこにあった。
和田先生は我々と共にあった。
振興のネット勢力が如何にアクセスを得ようとも、ある意味では謎の暴風に誰もがオロオロとしようとも。
今まで、力を持たぬネットの声を拾い上げてくれていたのは誰か。思い出せ、あの日を。
ネットの声を反映させてくれていたのか、私たちは忘れることはない。
「クルドが!」と言う人もいるだろう。
私の立場としてはっきり言うが、和田先生には申し訳ないけどそんな力は持っていない。
もともと野党から入党(次世代からの合流組)は、自民党内での発言力は高くはない。
どちらかと言えば隅に追いやられ、それでも必死にネットの声を現実に反映させてくれていたのだ。
きつい言い方になるが、次世代から来たばかりの一期生に、しかも当時は地方選挙区の野党の議員(初当選は宮城県選挙区)の参院議員が、なぜ外交とかなんだとかにフィクサーみたいな力を発揮できるのか。政治力学的に有り得ない話なのだ。というか、当たり前の話。
いわゆる、ゴリゴリの自民党の議員事務所は敷居が高い。
即時にお願いしたい陳情であっても、大量のアポなど順番待ちも凄いことになっているし、何より一見さんを受け入れるような体制になっていない。例えば衆院の小選挙区出身であれば、地元の後援会など、または自治体単位での「総意」としての大型要望を受け入れるのが精一杯で、やろうと思っても気軽にドアを開けてくれる事務所は極めて希少。
ネットからの声に、保守への受入れのために、あの事務所は。
ドアを軽くあくように、ある意味では誰でも気軽に自分が対応できるように。
「危ないなぁ」と思いつつも、相手かまわず写真の撮影を許し、誰であれ議員本人ができるだけ会おうとしてくれた事務所。
ただそれだけなのに。
覚えておいて欲しいこと、思い出して欲しいこと。
振り返って欲しい、貴方の記憶を。懐かしい日が、多数の政策がそこに在る。
テント村最前線。苦境の沖縄に飛んだ、たった一人の国会議員。
「知らないくせに!」という意味ではなく、思い出して欲しいという投稿です。
まだ自民党に入る前の和田先生、そして自民党に入ってからの和田先生の、ネット保守との物語。
当時おいて、まだ和田議員の秘書となる前の記憶。
ここに記すのは、ある和田事務所の秘書の手記。
かつて平沼先生の薫陶を受け、沖縄に移住して陣頭指揮をとった、現場の指揮官の思い。
この方は、沖縄の保守活動の中興の祖であり、読めば誰の手紙なのか、現場の人は誰もが分かるものです。
いつも本当にありがとうございます。
和田政宗議員とのご縁は、私が園田博之代議士の秘書を務めていた時代にまで遡ります。
当時、和田議員が「みんなの党」から「次世代の党」に移られた際、私は党本部の事務局次長として出向しておりました。
正直申し上げて、当初は「和田政宗議員って誰だろう?」という印象でした。
しかし、入党後の活動を拝見し、その国家観と信念、憲法改正や皇室への思いを間近で知る中で、私たち旧たちあがれ日本の人間から見ても「本物の保守政治家」だと感じるようになりました。
「なぜこのような人物が、みんなの党にいたのか」と、むしろ不思議に思ったほどです。
当時、私は故・石原慎太郎先生から「沖縄の歴史を学ぶべきだ」とのお言葉を頂き、数ヶ月に一度沖縄に通うようになり、ボギー手登根さん、我那覇真子さんといった地元の保守活動家の方々と出会い、やがて沖縄へ移住しました。
辺野古では、基地反対派と対峙する街頭演説も行ってきました。
そんな中、辺野古の現場で活動家による過激な行為がエスカレートし、防衛省職員やそのご家族の顔写真までテントに貼り出されるような事態に発展していました。
この状況を前に、手登根さんから「現職の国会議員に街頭演説をしてほしい」と相談を受けました。
正直、難しいと思いました。
これまで落選中の政治家が辺野古で演説されることはあっても、現職の国会議員がマイクを握ることは一度もありませんでした。
それでも、私は和田政宗議員にご相談しました。
すると和田議員は、即答で「わかりました。やりましょう」とご快諾下さったのです。
当日は好天の下、ゲリラライブのようにスピーカーを設置して街頭演説を敢行され、違法テントの撤去や緑地帯の不法駐車について、毅然とした態度で訴えられました。
驚いたのはその直後、これまで誰も経験したことのない事態が起きたことです。
基地反対派の活動家たちが道路を渡ってこちら側に押しかけ、和田議員に襲いかかるという暴力事件に発展。逮捕者が出る事態となりました。
それでも和田議員は臆することなく、翌日には国土交通省の北部国道事務所を訪れ、緑地帯の不法利用の是正を直接要請。
その結果、すぐに柵が設置され、緑地帯は本来の姿に戻されました。
さらに沖縄の若者が奨学金返済に苦しんでいる現状にも目を向け、国会の場で代表質問に立ち、当時の文部科学大臣から「返済不要の奨学金制度」に繋がる答弁を引き出してくださいました。
その後、園田代議士がご逝去され、四十九日を過ぎた頃、和田議員から「来年の参院選で全国比例の候補となるので、第一秘書になってほしい」とお声がけ頂きました。
私は「沖縄の貧困や振興策を真剣に考えてくださるなら」とお返事しましたが、そこでも和田議員は即答で「沖縄は第二の故郷です。沖縄のために本気で取り組みます」と言ってくださいました。
その誠意に触れ、私は2018年のクリスマスに秘書就任を決意し、大晦日には議員と二人で月明かりの下、議員会館を出ながら「来年、必ず勝ちましょう」と誓い合ったことを今でも覚えています。
⸻
以上、長文となり大変恐縮ですが、和田政宗議員が一貫して示してきた「覚悟」と「行動力」、そして沖縄への深い愛情をどうしてもお伝えしたく、筆を取りました。
引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。
画像も含めて紹介します。
画像提供は、元次世代の党の支部長、ボギー手登根さんです。
本当に殴られてるから。いまのネット保守の、保守が優勢になった状態での言論活動ではなく。
左派が強く、オール沖縄の全盛期において、「普通に殴られる」時代に現場に投入された瞬間。
和田先生は「不法占拠はやめてください」とマイクで連呼するのですが、左派活動家は道路をわたって警察の警戒線を突破。
腕を叩かれる、プラカードで顔を突く。僅か1分30秒の動画であり、実際に逮捕者が出るレベルというのが分かると思う。
ここまで事態が悪化、極めて危険という状況下で。
誰が行ってくれるというのか、バッジ付きの国会議員で来たのは和田政宗だけだった。
下記は私なりの解説。
写真提供は、ボギー手登根氏。
和田先生はマイクを握っただけではなく、具体的に動いてくれました。国土交通省の北部国道事務所に折衝してくれたのです。
当時は、手登根さんはじめ沖縄のリアル保守が追い詰められている状態。オール沖縄が圧倒的な時代でした。ネット保守からリアルに身を投じた者らは、明らかに劣勢な中で戦うという厳しい時代。
国道事務所の話を続けます。
テント村の駐車場に使われ、左翼の牙城と化していた土地がある。明らかに公有地なのだけれど、手の打ちようがない。それほどに状況が不利な時代だった。和田先生とボギー手登根さんらが国道事務所に伺ったところ、最初の返答は、「県民感情に配慮して時期的な回答はできない。」というもの。この回答をお役所仕事だ!と苛立ちを覚えるかもしれないが、当時においては圧倒的な差があったのです。
地元の方が身体をはってコーンを立ててくれたのだけれど、反基地活動家は排除されてしまう。議員がこれを知り、国道事務所のコーンも設置してくれたのだけれど、活動家により基地内に投げ捨てられてしまった。
辺野古違法テント近くのバス停は、
反基地派の駐車場と化し、タイヤに踏みつけられた芝生が
剥がれ赤土が露わになり、雨のたびに流出し海に流れ込んだ。
そんな連中が「辺野古の美しい海を守ろう」と叫んでいる。
これを偽善と言わずして何というのか。 pic.twitter.com/G32emVAQCG— ボギーてどこん(浦添新基地建設見直し協議会) (@fm21wannuumui) January 10, 2020
「誰も助けになど来てくれない」
沖縄の地元の方が嘆いたとき、やってきたのは、
まだ力もない、一期生の参議院議員でした。
選挙区はなぜか東北。
どれだけ心強かったか。
そこからすったもんだがあるのですが、この緑地帯は、最終的には左翼は使えなくなりました。
国は、緑地帯現状回復工事を実施。
いま警備員が命を落とすという痛ましい事故が起きたことでにわかに注目を集めておりますが、言うだけ演説するだけ、ネットに書くだけではなく。実際に来て、物事を動かすのが政治家です。
あまりに過激化しており、沖縄だけで動けないと思ったとき、颯爽と現れたヒーローは、(元次世代の党の)和田政宗だったのです。
国土交通省との折衝をまとめあげたのが和田先生で、どうにかして欲しいという要望を名護市民からも出してもらいました。
テント村問題の解決には、名護市長の勝利を待つ必要があるのですが、テント村の除去、ならびに解決の大きな一助となったのが和田先生の動きでした。
地元からの声だけでは動けなかった国道事務所に対し、国会議員として「完全に立入を禁止」し緑地帯を、左派活動の駐車場から、ちゃんとした緑地帯に戻したのですから。
そうそう、クルドに少しだけ話を戻ります。
和田先生にはそんな力はないよ。ドアを気軽に開けてくれるという危なっかしいところがあるだけで。
だって沖縄の国道事務所のとき、普通に苦労していたから。
一期生の参議院議員なんて、まだ地元の衆議院議員なら別だけども、県外だとこれが限界。すごく粘り強く、何度も頭を下げていた。
外交?クルド?そんな凄い力があるならば、あの時あんなに苦労していませんから。
政治力学を知る者からすれば、謎のことを言ってる人はバカじゃないかなって思う。変な人がいたら、私のblogを貼り付けてくれていい。私が相手する。
いまだから感じるのだけど、和田先生が沖縄に飛んだとき。
辺野古に身を投じたとき、どうにかできるだけの政治力があると自信をもって飛んだわけではないと思う。
超能力者でもエスパーでもない、特権階級なんかじゃないんだ。
持ってるのは勇気、そして「大丈夫、私が行くから」という覚悟。
絶対に民間人を守るんだ!という強い覚悟。
闇のクマさんが苦境に陥った時
請願書が完成した直後のこと。
残された時間は僅かに2時間。
その120分の間、「私が直接会います」とアポを受けたのが和田先生だった。
当時、何も状況も分からない、下手に触れれば本人にとっても大打撃だ。
見捨てることは簡単だったろうさ、しかしそうしなかった。
「私が、会います。」「ご本人に伺います。」と。
たぶん駅から無理矢理に戻ってくれて、作ってくれた十数分。
改選直前の参院議員がどれだけ忙しいか想像して欲しい。
請願書を隅々まで読んだ。
問題になったのは、報告書が今ほどには完成していなかった点。
個別の事例を取り扱うには、精査する時間がない。提出期限まで120分。
断ればいいんだよ、無理ですってバンザイすればいい。
アポすら断ればいい。忙しいって言ってしまえばよかったんだ。
けど、そうしない先生なんだ。
ただでさえボロボロなのに。
厳しい状況にあるのは和田先生のほうなのに。
けど、そうしない先生なんだ。
そのうえで、
「私の一議席では、提出しただけに終わってしまう。」
「それでも構わないか?」「これは、一生懸命に作った請願じゃないのか」
沈黙が続く。
「即時に署名しても構わない。」
「精査が完了しない、個別事案については全削除。どうしても今日が提出期限なら、私がサインする。」
マジか、、、と。
だから貴方は炎上するんだ、と。
ゆえに元次世代は危なかったしいと言われるんだ、
だから、応援するしかないんだよ。
私は、自らの意思で取り下げた。
和田先生からの助言。
「請願は、提出期限に間に合わない。けれども要望ならば期限はない。」
私は頷く。
差し替えが可能ならば、もしも間に合うならば。
「私以外の方の、ある先生の宛先で」と。
これは逃げたわけじゃない。
そこに提示された名は、ある党内組織の長の名前。
「私が、直接持って行く。絶対につなぐ。」
議員本人が決断した。
闇のクマさんの目の前で。
どれだけ心強かったろうね。
提出期限を越えた請願書は、その日の夜には要望書に転換作業を完了。
翌日には和田政宗事務所に持参。
事務所の秘書たちは言うんだよ、
「がんばれ」って。「大丈夫だから、なんとかするから!」「俺たちがついてるから」って。
和田事務所がネット上でどういう状況か、ネット保守だからこそ知ってるだろう。
炎上中のインフルエンサーに、泣きそうな顔をしている彼に、がんばれって彼らは言ったんだ。
”それどころじゃないだろ、そっちも”と内心は思ったよ。
けどね、その頑張れ!という声が、彼を支えたんだ。
頑張れ!と言ったのは、冒頭の手記を寄せた秘書たちだ。
改選前の議員が炎上する、ある意味では空母が燃えている状態の護衛戦闘機たちが、がんばれって。
いや、そっちが頑張れと思ったんだけどもね。笑顔で、言ったんだ。
沖縄に飛ぶ特攻隊も笑っていたらしい。かつて沖縄で戦った秘書たちも心からの笑顔だった。
「俺たちが守るから、盾になるから。」
せっせとプリントアウトしてホチキス止めして、そりゃ速かったぜ。
誰にでもドアをあけてくれる、危なかっしい事務所は、我が国に必要だと思う。
この件は相当にヤバい!と直感が働いた先生は多数にのぼる。
ゆえに和田先生だけがという話ではない。バッジを付けた先生で、あの日、直接会った人は複数いる。
自分の名ではなく、より上位の先生の名を示してきた和田先生は、
頼み込んだんだと思うよ、必死に。沖縄の国道事務所のときのように。特に言わないけれど、そういうのは言わない人だから。
一生懸命にお願いしてくれたんだと思うよ、やがて組織的なうねりになって行く。
もう、動いてる。誰がどう動かしたかなんて知る由もないけれど、和田先生は一生懸命に説明して必死に頼んだと思うんだ。そんなことないよって、きっと和田先生は言うんだろうけどさ。
なすべきことは何か。越えられないハードルか?
台風の予測進路も、気象庁でさえ正確に当てることはできませんが、選挙予測も正確ではないのでしょう。
ただ、「あと1万票」「あと2万票」で危険水域は脱すると考えます。
我が党の党勢は、よろしくない。
あとどれだけ必要かはわからない。ただ、うちで1万を引き受けたい。
その力がうちの読者にはある。沖縄選を戦ってきたからね。
さらに1万を外部サイトにもお願いする。
ひどく大きな数字に感じるかもしれませんが、各県ごとに声掛けをしていけば越えられないハードルではありません。
我が国には47都道府県がございますが、安易に50で割り算をすれば1県あたり200票です。2000票ではありません、200票です。
1県あたり200票、これは絶対に越えられない数字でしょうか?
私はそうは思わない。
そんな戦いは今まで何度もしてきた。
ネット上では、私のblogも随分と力は落としてしまったけれど、それでも2000~3000票の上積みは期待している。あとは私の予備票が5000ぐらい。
好き嫌いもあるだろう、個別政策に対しての意見もあるだろう。そのうえで伏してお願いする、「和田まさむね」で投票を願う。
もし危険水域の脱出まで1万が足りないのであれば、私たちも支えたい。
それだけの御恩がある。押し上げる力の1/5。うちで受ける。
ここまで戦い抜けているのは既存後援会の力。プラスアルファの援軍だけならば。。。
申し訳ないが、周囲の人や家族友人に。
なんなら政治に興味のない方でもいい、頼み込んで5票ずつお願いする。
私の飛び切りのファンが、400名同時に動いたならばどうだろう。
やるぞ、私たちで。
押し上げるんだ、安全圏まで。
もう投票した人もいるだろう、大丈夫。
「投票していない友達」がいる。
貴方には友達も家族もいるだろう、
頼み込んでくれ。
頼む。
できれば一人、5票。
あのとき、和田政宗議員は、沖縄に飛んだ。
ただ身体を張った。
私は、友達を助けてもらった。
二度も、だ。
手登根さんも、クマさんもだ。
恩知らずとは言われなくないのでね。
どうか、私が恩を返す手伝いをお願いできないか。
戦況は苦しい、勝つ見込みも絶対とは言えない。
死に票にしてしまうかもしれない。けど、苦しい時、あの人は助けに来てくれたんだ。
参院選、小坪クラスタは、和田一本で行く。
土を捲き重ねて来たれ、
次の世代を祈った者よ。
君たちのヒーローは、自分たちで守るんだ。
あの時も助けに来てくれた、いまも彼は助けに来てくれた。
今度は私たちの番だ。
むしろ被弾しているはずの事務所が、「がんばれ」と言ってくれた。
勇気と応援を頂いた。
ゆえに、私は「がんばれ!」とエールを返す。
こちらの要望は適切に処理されている。
私たちにはなすべきことがある。
受けた恩を返すことだ。
それぞれの者が
それぞれの立場で
なすべきことをなせ。
守り抜く、暴風の中であれ。私たちが支える。
共に戦う方は、拡散をお願いします。
一歩、前に出る勇気。
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コメント (頂いたご意見は、他SNSに比較し最優先で目を通しております。)
小坪市議、有難うございます。
貴殿の思い、確かに受け取りました。
「今回は杉田先生か」と思っておりましたが、前回と同様、和田先生で行きたく。
より良い明日が来る様、引き続き考えて行動していきます。
個人的には…比例代表は、日本の尊厳と国益を護る会の誰かに入れようと最初から決めてました。
一方、選挙区は…参政党にいれることになりそう…
最近、特にリベラル系自民党議員が保守系自民党議員を露骨に排除してきますからね…
安倍さんは、党内融和をはかろうとしてたのにね…(だから長期政権になったとも言える)
ただ比例代表も…情勢を見ないと、誰に入れるのが一番良いかの判断がつかないので、期日前投票できないでいました。
青山さんの「ぼくらの国会」を見て、和田まさむねさん…あたりが無難かなぁ…と昨日あたりに、ほぼ決めていたところです。
やっぱり和田まさむねさんが「LGBT理解増進法の採決を、自民党から処分されることを覚悟の上で、退席した」のは大きいですね。
共産党色の強かったLGBT理解増進法(稲田朋美案)を、日本の尊厳と国益を護る会が中心となって、自民党内部で毒を薄めてくれた実績は評価されるべきでしょう。
最近、身近な人(ふわっと無党派層)から「参政党に投票してみたいんだが…参政党ってどうなのよ?」って聞かれることがありますね…
たまたまだけど、選挙区は参政党でも良いけど(そこの選挙区に護る会の人は出ていなかった)…比例代表は、LGBT理解増進法の採決を処分覚悟で退席した「和田まさむね」さんとかどう?って答えておいたんですよね。
あと…2年前の動画ですが…
https://www.youtube.com/watch?v=7qQjv6brNXs
↑
和田政宗のもっとも~と右寄りですが&Saya「『LGBT理解増進法』採決に私が退席した理由」和田政宗 AJER2023.6.28(4)
最近色々政治に興味を持って、ふわっと参政党に入れてみたい層に、上記の動画とか見せたら面白そう…